立ち止まる時
子ども
先生に会っていただきたい人ができました
この夏 かつての教え子からそんな便りが届いた
14,5年前 山間の小さな小学校で
若さと情熱だけを武器に ずいぶん無茶なことをやってきた私を
先生と呼んでくれる子どもたちがいる
愛する人ができ
やがて父となり 母となるであろうこの子たちに
私がしてやれたのは何だったのだろうか
くりくり坊主とおかっぱ頭で
にぎやかに校庭を走りまわっていたあの頃を
かけがえのない思い出として生きているこの子たちに
幸多かれと祈る
立ち止まるとき
どちらを向いて歩いても
北風の 身を刺す冷たさから
逃れることはできない
ならば せめて堂々と前を向いて
つらくとも
その冷たさを受けとめるしかないではないか
少なくとも 前を向いて立てば
道を踏み外すことはないだろう
後ろ向きに厳しさと向き合う姿勢は
時には 命取りになる
風
今日は とても爽やかな風が吹いている
そして 美しくやさしい雲も流れている
これだけで ぼくは嬉しくなってしまうのだけれど
人生は 風と雲だけで埋めてしまうわけにはいかない
飢えを満たす糧や 渇きを癒す水を得るために
右往左往しながら 気づかぬうちに年老いていく
でも いいじゃないか
ときにはのんびりと
風と雲だけで満たされる時を持つことも・・・・
独りきりの闘いに疲れたときに ほんのちょっぴり
耳を傾けてもいい相手だと思うのだが・・・・・・・・・
生涯無印
何の印も持たずに生きるとは
すべての印を否定することではない
人は ひとりぽっちで生まれ
ひとりぽっちで 死んでいく
生死の瞬間には 何の印もない・・・・
ただ それだけのことなのだ
その鮮烈な事実を忘れずに
余分なものは身につけず
あるがまま
さっぱりと 生きる