荷物
自分の背負っている荷物の重さは
それを肩から下ろしたときにわかる。
ほっと一息ついてその荷物をみると
我ながらよくこんなものを担いで歩いていたなと
少々照れながら思う。
歩き続けることが人生と言うなら
肩に食い込む荷物は軽いほうがいい。
簡単には捨てられないとわかっているものでも
思い切って捨てていかないと足取りが重くなる。
粋がってみてもすべてを背負い込む余力は
残っていないと自分に言い聞かせながら
さて 何から捨てようかと思案する日々である。



問い
自分はいったい何者であるかという問いに
答えを見出せないまま 今日まで何とか生きている。
見つけたいとは思うが 結局見つからないのかもしれない。
まあ いいか 今さら仕方がない。
竹が節を作って伸びていくように
その時々の締めくくりをちゃんとしてこなかったのだから・・・・
性懲りもなく まだバカなことをやっているなと
あきれ返る自分に 一人苦笑いしたりすることも
この年になればおまけみたいなもの・・・・・
それも間違いなく自分の一部であり
答えを見つける資料ぐらいにはなるだろう。



答え
対象となる異性はたくさんいるのに
なぜその人だけに惹かれるのか・・・・・
ほのかに芽生える恋心をだれもが経験するが
この問いの答えを進んで見つけようとはしない。
簡単には説明できないその答えは
多くの場合 その気持ちに終止符を打つときに
黙っていても現れてくる。
抑えきれない情熱にめぐり合えたら
少し早めに考えてみるべきかもしれない。




自戒
清流の水の冷たさを知るには
手をつけてみるしかない。
きれいなせせらぎに出会ったら
だれもがそうするではないか。
眺めているだけでは 水の冷たさはわからない。
平凡な時の流れの中にいると
時折かすんでしまう夢や憧れを
もう一度引き寄せるには そうするしかない。




温もり
出口の見えない暗闇の中で
目の前に差し出された手があれば
素直に握ってその力を借りるものです。
誰の助けも借りたりしないと粋がってみても
一人ではどうすることもできない闇の中にいるのなら・・・・・
ほんの少し誰かの力を借りたからといって
それで自分の値打ちが下がることは決してありません。
差し出された手で少なくとも難局が打開され
貴方の新しい一歩を生み出す力になるのなら
恥ずかしがらずに 素直に 謙虚に
その温もりをいただきましょう。
謝意は貴方の踏み出す足取りで示せばいいのだと思います。




大樹
原野の真中に立つ一本の大木のように
生きていけたらいいな。
誰に気兼ねや遠慮もせず 伸ばしたいだけ枝を伸ばし
鳥や虫や動物たちに自分が作った果実を存分に分け与え
下を歩く者には涼しい木陰を用意して・・・・・・・
 雷や大風がくれば 一人で受け止めなくてはならないが
しっかりと大地に張った根を信じてじっと耐える。
そんな大木に憧れる自分が今いるのは 仲間をかき分けて
少しでも上に伸びなければ日光がもらえない雑木林・・・・
この中では大樹になることを夢見ながら枯れていく木が多い。
叶わない夢だとは知りながら
原野に立つ大樹に憧れる。




構え
大声で叫んでみても 小さな声でつぶやいても
伝えたいことの本質は変わらない。
ただ ほんの少し相手の構えが違うだけ・・・・
伝えたいことが重いものであればあるだけ
小さな声で話せる人でありたい。
相手に不要な身構えをさせなくてすむように。




決断
飛び込むことは決めていても 最後の決断に迷うとき
そっと背中を押してくれる人がほしくなる。
多くは語らず 餞は「がんばれよ」の一言でいい。
そのやさしいまなざしと 背中に伝わる手の温もりがあれば
新しい道への最初の一歩を踏み出す勇気が手に入る。
長い人生 
みんなそうやって誰かに背中を押してもらって生きてきたのだ。
後戻りはできない道だが
振り返れば遠くで手を振る その人が見えないか。




切り札
男にとって 社会的な地位や肩書きは
自分の居場所を常に確認するための定点になる。
自分の能力や技術や自分の存在そのものが
周囲の誰にも必要とされていない事実を見るのはつらいものだ。
仕事に力を注ぐという営みも
潜在的には居場所があることを確かめるためのもの・・・・・・
 仕事をやめて自由になったとたんに体調を崩して
おかしくなる人が多いのもその理由による。
誰にも必要とされなくてもいいと腹をくくるためにも
必要だと思われているうちに
自分らしい身の引き方を探しておくべきだろう。
それが やがてやってくる有り余る時間を
体力や気力を損なわずに乗り切る切り札となる。




笑い
最近腹の底から笑ったことですか?
残念ながらありませんね。
何でもないようですが 笑うのも結構大変なんです。
時 場所 場合を考えない笑いは人を傷つけたり
不愉快な思いを押し付けたりすることになりますから・・・・・・
でも 思い切り笑えたらいいだろうなと思います。
疲れや嫌なことがいっぺんに吹き飛んでいくでしょう?
なかなかそんな笑える話題や場面に出くわさないから
仕方がないので 普通の顔をして生きています。
苦笑いならよくするんですが あれは後ろ向きの笑いですね。
思い切り口をあけて 大声で笑ってみたいものです。



切れ味
長い時間をかけて研ぎすましてきたものが 
年を重ねるごとに 少しずつ錆びていく寂しさがある。
切れ味の悪くなった自分の感性を 
年のせいにはしたくないから
新しい砥石を探して 右往左往している毎日・・・・・・・
達人と呼ばれる人たちは
かつてかみそりの刃のような切れ味を誇った自分の感性が
今は大木を断ち切るマサカリに変わりつつあることを
知っている。
大切なのは刃の厚みだと言うことを
立ち向かう相手の大きさに打ちのめされながら
学んできたからだ。
かみそりの刃では 小枝一本も切ることはできない。




友へ
そうですか そんなに長い時間がかかったのですか
いや 粘り強い貴方のことだから 
いつかきっとたどりつくとは思っていたのですが・・・・
でもいいじゃないですか
だれにもできないことに一人で挑んで
だれの力も借りずにそこまでやれたのなら・・・・
あきらめずに貫き通した一筋の意思に 素直に敬意を表します
今度遭ったら ぜひ話を聞かせてください
貴方の真似は到底できませんが
夢に向かって歩き続ける情熱くらいなら
私にも何とか手に入ると思います
時間をかけ 回り道をした分だけ
貴方の今いる場所が輝いて見えます




テレビドラマ
そんな ドラマのような生き方などあるはずがないと
わかっていても
多くの人が憧れる そんな生き方やそんな人がいる。
作り物しか見てこなかった人に
本物と思わせる小さな輝きがちりばめられた
そんな生き方が・・・・・・
たとえ作り物でも そこに自分なりの虚構が
つくれる余白を埋め込んでくれている話なら
人は自分なりの感動をその余白に重ねながら
主人公たちとともに生きることができる。
最近見たテレビドラマの中に
私は「夢」をみることができた。




渋柿
渋柿に教えられている。
赤く色づいてはいても その強い渋みのために
鳥でさえ近寄ろうとはしない。
寒がしまり 動物や人が冬ごもりの準備を始めるころ
ようやく熟して絶妙の甘柿になる。
さあ もういい頃だよとささやいているのか どうか
どこからともなく鳥たちがやってきて
その実を冬を迎える糧として頂戴する。
人の一生を柿に例えるなら
年を重ねて そろそろ渋みも取れ 熟して甘柿になる頃・・・・
そんなふうに都合よくは なかなか行かないので
おまえは大した奴だと あの渋柿を見ながらつぶやいている。




記憶
新米のほのかな甘味をかみしめながら
昔食べた麦飯の味を懐かしく思い出し 食べてみたくなる。
家族の温かい団欒の談笑の中で
ふと一人で冷や飯を食べていた 遠い昔の夕暮れを思い出す。
信じあえる多くの人に囲まれながら
自分は一人ぼっちだと傷心に沈んだ 遠い過去が甦る。
人は十分に満たされると
そうではなかった日々を不思議と思い出す。
足りなかったものが満たされていく過程には
その年月をともに歩んでくれた自分自身がいたことを
あらためて確かめようとしているからだ。
どうやら それが年をとるということらしい。




自分
今ある自分と こうありたいと思う自分とは
もうずいぶん長い間 せめぎあってきた。
未だ勝敗の決着はついていないが
どうやら 今の自分の方に分がありそうである。
こうありたいと願う自分になるためには
今の自分の大部分を捨てるか 変えないと叶わない。
それは ちと骨が折れる。
というわけで 加減のよいところで折り合いをつけながら
今日まで生きている。
しかし 悠々と流れる雲を見上げながら
これでいいのかと問い続けることだけは
決して忘れないようにしたい。
人はみんな そうやって生きているのかな・・・・・




さざんか
山茶花の花が咲き始めている。
凍てつくような寒中でも みぞれ交じりの雨の中でも
我が意に介さずとばかり 可憐な花を開く。
およそ生命の営みには不向きと思えるこんな時期に
何ゆえあえて花を開くのか・・・・・
流れに逆らう気負いや 高慢な自己主張もなく
そんなふうにありたいと願う人間を横目に
泰然自若としてたたずむ意思だけが見える。
顧みて 我に冬に開く花の用意があるか
だれかのためでなく 自分だけのために彩る花を咲かせるか
寒中寸暇の暖あり・・・・・
物言わぬ一本の木に 教えられている。




邂逅
いろんな意味で気になる人がいる。
どうせ他人なのだから どうでもいいようなものだが
その人の存在が心のどこかにひっかかる。
何気なく交わす言葉の端々に
妙に気を遣う自分を感じて 少しうろたえる。
異性であれば 淡い恋心
同性であれば ライバル心・・・・・・
平静な心が揺れ動き しかもそのことが
わずらわしいと感じていないのなら
今自分は とても大切な人に巡り合っているのだと
思うことにしている。




目標
目標を立てる。それに向かって準備をはじめる。
そこに至る道のりが長く 険しいほど
周到な用意がなくてはならないと思うから
相当の覚悟とともに助走距離を長くする・・・・・
若いころの目標なら 失敗もまた肥料になるのだろう。
しかし この年になっての目標には
失敗は許されない。 
そう腹をくくってみれば 
案外難しいことではないかもしれない。
途中で投げ出すわけにはいかないと決めた目標なら
今日そのために何をしたか、 が
明日を生きる力になる。





余力
何日か先に 気の重い出来事が待っているとしたら
なんでこんなにわずらわしい目に遭わなくてはならないのかと
腹立たしくなることがある。
その日が終わればきっと素敵な開放感が味わえるのだろうなと
それだけをより所に今日を生きている。
生きていくことはわずらわしさと向き合うことだ、などと
カッコいいことを言うのは 
もうそろそろ終わりにしてもいいのかなと思う。
性懲りもなく 勝手に向こうからやってくる厄介な事態には
いやでも付き合うしか仕方がないが
苦悩するだけの価値が見出せない対象であるなら
自ら求めて渦中に飛び込む必要はない。
いずれ本気で立ち向かわなければならない相手が現れるまで
余力として残しておくのも 生きる知恵といえる。





夜明け
何事もなかったように東の空が白み 夜が明けていく。
人々の営みの中では一大事があった昨日も
そんなことは関係ないと言わんばかりの潔さで
みごとに再起動されて 今日が始まる。
いい加減に目を覚ませと言われているようで
何だか気持ちがいい。
夜明けに立ち会うことができた日は
何かいいことがありそうな気がする。




覚悟
長い年月生きてきたという証は
振り返ったときに見える自分の足跡でわかる。
もはや取り戻すことができない時間の意味は
その中で出会った多くの人の顔を思い出すことでわかる。
あの人も あのこともみんな私に付属する記憶の再生装置
なつかしさや いとおしさを織り交ぜて
出会えてよかったとほんとうにしみじみ想う。
まだこれから出会うであろう 多くの人や物事が
かけがえのない記憶になるためにも
目の前にいるあなたと他人を見間違えない覚悟をしようと思う。
そのために ささやかだが今日も
私の足取りと歩幅で歩いてみる。




守る
忘れがたい思い出を刻んでくれた多くの人に教えられて
ひたすら城壁を高くして守ることだけを大切にしてきた人も
少しずつ柔らかくなっていく。
人が年を重ねながら生きていくということは
一旦守るために積み上げた城壁の石を
一つずつ外していく営みなのかも知れない。
高い城壁はそれだけ多くの日陰を作ってしまう。
一生懸命に生きている人を見たら
心が熱くなることも
小さな優しさをさりげなく渡してくれる人に出会ったら
心が震えることも
陽の差し込む城壁の外では普通のことだったのだと
今になってしみじみ思う。




追憶・青春
あなたにもわたしにも 等しく流れた時のはざ間に
思い出という道標をいくつ置いてきたのでしょう。
数える間もなく流れていったところを見ると
きっと駆け足で通り過ぎてしまったのですね。
振り返っても もう見えなくなりかけたその道の向こうに
間違いなく あの頃の熱く澄んだ情熱や
力いっぱい踏みしめた大地の匂いが刻まれています。
何の見返りも求めず ただ一途に駆け抜けることが
あの頃の私たちの憧れだったように
今 置き忘れてきた思い出という道標を一つずつ拾いながら
 青春という名の時間がわたしたちにもあったのだと
新たな憧れと少しの照れくささで噛み締めています。




決断
若い頃 自分を奮い立たせてくれるものは
黙っていても向こうからやってきた。
寄り付くことさえ困難だと思える大きな壁や高い山の頂が
いつのまにか忍び寄り 気がつけばそれを踏破するための一歩を
ちゃんと踏み出していた・・・・・・
行く手をさえぎるものには 果敢に挑む力と意思があった。
人生少し長く生きてくると そんなワクワクするような目標は
黙っていては もうやって来なくなる。
こちらから探しに行かない限り 巡り合う機会はないのだろう。
日溜りに座して今日と変わらぬ明日を待つか  
ときめきを求めて寒風の中に一歩を踏み出すかは
すべて私の決断にかかっている。




抵抗
 物忘れの頻度が増えるにつれて
かつてコンピーター並の記憶力を誇った自分の脳みそにも
金属疲労が蓄積していることを痛感する。
若い頃なら病気を疑うが 今は少しのテレ笑いを含めて
こんなものなんだろうと素直に受け入れている。
刃向かってみても太刀打ちできる相手ではないことは
黙っていても自分の五感の中に染み込んでくる。
逆らえないものを黙って受け入れるということは
決して ひれ伏して隷属に甘んじることではない。
無駄な力は使わずに
やがて来る決戦に備えよという予告である。
かつてはたとえ天地が裂けても許容できないと思ったものが
今は 実に素直に自分の中にある。




節目
竹は自分の生長を一つずつの節で区切って育つ。
木々は年輪という足跡を残しながら年を重ねている。
顧みて自分には区切りと言える節目があったのだろうか。
その節目を増やすごとに大きく、人間として豊かになれた、
そう感じさせるものが・・・・・・・・
転勤や子どもの誕生、大切な人との出会いや別れ
なんだか少し頼りないが、それが節目だったんだろうと
今になってみると思えるのだが、
目に見える形で残っていないから確かではない。
人間がいくら威張ってみても 
そこらに自然に生えている竹や木々に結局勝てないのは
節目を残す術を磨いてこなかったから・・・・・・
節目は時とともに固くなり その上に伸びるものを支える。




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