雑感 Back 2013
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| 道標 |
| 生きることは、歩いてきた道に |
| ”道標”を立てる営みである。 |
| これから歩く道に立てる道標を、 |
| 作っていくことである。 |
| ふり返ってみたまえ。 |
| はるか遠くから、君の立てた道標が並んで立っているのが見えるだろう。 |
| 道標に何と刻むかは、君の問題だ。 |
| あと何本用意するかも、君だけの問題だ |
| 新しい夢 |
| 人は乗り越えてきた障壁の数だけ、 |
| 新しい夢をみてきたはずだ。 |
| 障壁を乗り越えれば強くなる、というのは、 |
| 実は、新しい夢をえがくことができたということなのだ。 |
| 弱った心では夢はえがけない。 |
| 立ちはだかる壁の向こうには、 |
| たしかにまだ見ぬ景色が広がっていた。 |
| 測る |
| 暖かさは温度計で測れる。 |
| では、「温かさや温もり」は何で測るか・・・・ |
| その答えが |
| あなたの持ち味である。 |
| あなたが長年をかけて培ってきた、 |
| あなただけの持ち味である。 |
| 意志 |
| 希望や勇気というものは、 |
| かつて落ち込んだ経験がつれてやってくる。 |
| あまり追い込むのは可愛そうだとでもいうかのように、 |
| 十分落ち込んだあたりで、「もういいだろう」と手を差し出してくれる。 |
| 自分のこれまでをふり返ってみると、 |
| そんな大きな”意志”が確かにあったと感じる。 |
| 糸口 |
| 途切れ途切れで不鮮明な子どものころの記憶の中に、 |
| いまでも鮮やかによみがえる思い出がいくつかあるでしょう。 |
| よほど強く印象に残ったのですね。 |
| よく考えてみると、そんな記憶がいくつもつながって |
| 自分の人生の”青写真”をつくってきたのではないか、と思えるのです。 |
| 設計図なんて、何もないゼロからは生まれません。 |
| きっと”核”になる思い出や出来事があって、 |
| それに肉付けをしてきたのだろうと思うのです。 |
| 自分でも説明しにくい”我が人生”ですが、 |
| 案外そんなところに理解し、納得する糸口があるような気がしています。 |
| 夢 |
| 朝目覚めて、枕元にあるクリスマスプレゼントに歓声をあげた子どもは多いだろう。 |
| 世の大人たちが総がかりでサンタクロースを演じた日・・・・・ |
| 中学生や高校生になった兄、姉たちも、はしゃぐ弟、妹たちを見て |
| 事の真相は明かさない。 |
| 理由はただ一つ・・・・ |
| 夢は願えば叶う、ということを知ってほしいと思うからだ。 |
| やがて現実を知る日が来ても、 |
| 夢を叶えてもらったという記憶が温もりとなって、 |
| 夢を持つことの価値を信じる人間になれる。 |
| 勝つ |
| 勝ち続けるということは、 |
| やがて周囲の人みんなが”敵”になるということ・・・・・・ |
| 考えてみれば、おそろしいことである。 |
| 腕時計 |
| 電池で動く腕時計は、4,5年で電池交換が必要になる。 |
| 昔と違って、高機能満載の時計の電池交換はメーカーへ送らなければならない。 |
| 一週間はかかるだろう。 |
| 今流行の「ソーラー式」は電池交換不要がうたい文句だが、 |
| これとて、内蔵されている二次電池に寿命があって、 |
| 永久に電池交換不要というわけではない。 |
| さて、そうなると、安心して長年使える時計とは? |
| 「自動巻き」である。 |
| スイス製の超高価な時計などはみな「自動巻き」で、国産品にも使っているものがある。 |
| 壊れないかぎり、腕をふるだけで動き続ける、いわば「究極のアナログ」時計である。 |
| 一番原始的な動力が、一番長く動くという事実は実に痛快だ。 |
| ここにも、”古くて新しいもの”がある。 |
| 一粒の砂 |
| 都会の雑踏の中を一人歩いてみる。 |
| 大勢の人が行き交うが、みんな自分とはかかわりのない人たちばかり、 |
| こんなにもたくさんの人がいるのに、自分とつながる者が誰一人いない・・・・ |
| それもよいと思うことができない人間は、 |
| そんな場に長居は無用だ。 |
| 砂漠の砂の一粒になるには、 |
| それなりの勇気と覚悟が必要になる。 |
| 抱きしめる |
| 子どもは抱きしめてやるものです。 |
| 突き放すことはあっても、這いあがってくれば抱きしめてやるものです。 |
| そうやって肌に伝わった親のぬくもりが、 |
| 人生の寒風にさらされても心を凍らせずに、生きていく力になります。 |
| 何度でも、子どもは抱きしめてやりなさい。 |
| 生きざま |
| ”津軽のゴーギャン”と呼ばれた画家常田健さんの絵をみた。 |
| りんごを作りながら、生涯津軽の農民の働く姿を描き続けた画家だ。 |
| 売るための絵は描かない・・・・ |
| そう言って生涯一枚の絵も売ることはなかったという。 |
| 不器用だからと言いながら、愚直なまでに貫き通す”情熱”が胸をうつ。 |
| 声高に叫ばなくとも、人の「生きざま」というものは確かに伝わるものである。 |
| 祈 |
| そうですか、 |
| お子さんたちも、もう大学生と高校生ですか・・・ |
| 長かった子育てももう少しですね。 |
| やがては遠くへいってしまうわが子たちに |
| 親がしてやれる最後のしごとは、 |
| 日々を懸命に、誠実に生きる姿を見せてやることです。 |
| 生意気な口利きも、未熟な自己主張も、 |
| 彼らの最後の甘えです。 |
| 彼らは親のその姿を目に焼き付けて |
| 甘えさせてくれた親に感謝しながら、巣立ちの準備を始めています。 |
| どうぞがんばってください。 |
| ご家族のお幸せを祈っています。 |
| 伴侶 |
| いっしょにいると楽しい、と思える人がいい。 |
| そばにいてくれると頼りになる、そんな人もいい。 |
| いちばん苦しいときにいちばん近くで支えてくれる、そんな人なら言うことはない。 |
| 生涯を共にするなら、容姿や収入や学歴などではなく、 |
| そんな人を選びなさい。 |
| 伴侶と呼べるのはそんな人のことだ。 |
| みっともない |
| 思い出してごらんなさい。 |
| これまでみっともないことが結構あっただろう。 |
| 一つひとつの”みっともなさ”には |
| 心ならずも傷つけてしまった人たちが付属している。 |
| 詫びるすべはもはやないだろうが、 |
| 最悪の”みっともなさ”は、そんな人たちをも忘れてしまうことだ。 |
| まっとうな人間でありたいなら、たとえ苦い思い出でも |
| 心にだけは刻んでおこう。 |
| 宝 |
| 眠っている宝物は、掘り当ててはじめて「宝物」になる。 |
| あるとわかっていても手を出さなければ |
| 宝物にはならない。 |
| 行間 |
| パソコンや携帯電話の「メール」機能・・・・ |
| たしかに便利で、簡単で、素早く相手に届きます。 |
| 用件を伝えるだけなら十分ですが、 |
| 気持ちを伝える道具や手段にはむかないようです。 |
| 手紙にはあってもメールにはないもの、 |
| それは”行間を読む”という想像力を駆使した作業です。 |
| 直筆の手紙が温かく感じられるのは、 |
| 行間にかくれた相手の気持ちを読んでいるからでしょう。 |
| それがむずかしいメールだから、 |
| 「顔文字」などという、得体のしれない記号が必要になります。 |
| 旅路 |
| 一生の宝物になった思い出は?・・・と聞かれて |
| 何が浮かんでくるだろうか。 |
| 熱く燃えた時間、まぶしく輝いた時間、深い感動に胸が震えた時間・・・・ |
| そんな遠い日の思い出が、 |
| 乾きそうになる自分を潤してくれるということはまちがいない。 |
| 人間は、思いのほかさびしい生き物だが、 |
| さびしさには滅法弱い人間も、 |
| 思い出という心温まる道連れがあるから、長い旅路も歩いて行ける。 |
| たそがれ |
| 老年期を「人生のたそがれどき」と言うことがあります。 |
| なるほど・・・・たそがれどきですか。 |
| 「たそがれ」は、あたりが暗くなり、「誰ぞ 彼は?」という意味、 |
| たしかにあたりは暗くなってきましたが、 |
| まだ、ぼんやりと人影はわかります。 |
| 人影が見えているうちに、用事を済ませなさいということですね。 |
| あこがれ |
| 遠い日のこと・・・・ |
| 古い木造校舎の窓から幾度となく見たであろう景色は、 |
| すっかり変わってしまって、今はもうない。 |
| まだ”ため息”など知らなかったあのころ、 |
| その景色を見ながら、どんなあこがれを抱いていたのだろう。 |
| あれから半世紀・・・・ |
| 容赦なく過ぎていく時間の怖さも、 |
| 出会い、別れた人たちの顔も、 |
| 美しいものや醜いもの、深いため息も、 |
| 存分に知った。 |
| 今思えば”あこがれ”は人生の燃料であったのかも知れない。 |
| 残り少なくなった”あこがれ”を想い、 |
| それを燃やしながら歩いてきた道を想う。 |
| 前へ |
| もっと前へ、と勧める者には二通りの人間がいる。 |
| 自分が先に前に出て、ここまで来いと言う者、 |
| 自分は後ろにいて、おまえだけ前に進めと言う者・・・・・ |
| もっと前へ、と言われたら、 |
| そう勧める人間をよく見てみることだ。 |
| どちらの人間かがわかれば |
| 進める一歩の歩幅が決まる。 |
| 独り言 |
| 人はだれもみんな、 |
| 口に出さなくても独り言を言いながら暮らしている。 |
| 独り言なんか言わないぞ、と思う人は考えてみるとよい。 |
| 「独り言なんか言わないぞ」と今心の中でつぶやいたではないか。 |
| 口に出すか、出さないかの違いだけで、 |
| 人は人生の大半を独り言を言いながら過ごしている。 |
| 赤 |
| 赤い色を見て、「赤だ」と感じる人は素直な人でしょう。 |
| どう見ても赤以外の色には見えないのです。 |
| 赤の中に、黒や青の色が見える人がいます。 |
| なぜか素直に「赤だ」とは見えないのです。 |
| ひねくれ者と言われることもありますが、 |
| 素直な人には見えないものが見えることで |
| ずいぶん助かることだってあります。 |
| 勝てない |
| この人にはとうてい勝てない、と思わせる人がいる。 |
| 「欲しいが自分にはない」ものをその生き方の中に持っている人だ。 |
| くやしい気持ちもあるが、同時に惹かれる気持ちも存在する。 |
| 男女のあいだでは決して起こりえないこの感情が、 |
| 人生を味わい深いものにしてくれる。 |
| 齢 |
| ある年齢になるとわかってくることがある。 |
| それは言い換えると、 |
| その年齢になるまではわからないということ・・・・ |
| 長い間、Aだと思い込んでいたものが、Bもあったのかもしれない、 |
| いや、CやDだってもしかすると・・・・・ |
| 心にずっと引っかかっていた結び目の糸が少しずつゆるんできて、 |
| 「これしかない」と思い込んでいたものが揺らぎ始める。 |
| 多くの場合、後悔とおのれの未熟さを思い知らされるのだが |
| 胸のつかえが下りるなら、齢を重ねるというのも悪くない。 |
| 望郷 |
| わたしの故郷は、 |
| 瀬戸内海の潮風に包まれた陽だまりの町である。 |
| わたしという人間を育て、生きていく足掛かりを作ってくれた場所、 |
| すべてはそこから始まった。 |
| いい思い出もよくない思い出も含めて、そこが始まり・・・・ |
| 年とともに望郷の念が強まるのは、 |
| おまえの出発地点を忘れるな、という天啓であろう。 |
| 雨ふるふるさとは はだしで歩く 山頭火 |
| こころを「はだし」にして歩いてみたい故郷である。 |
| それでいい |
| 枯れ葉のように見えるからだめだ、という理由で |
| かつて高齢者の車につける標識が変更になったことがあります。 |
| 愚かなことだと私は思っていました。 |
| 枯れ葉は養分を送り続けて立派に大きくなった枝を見ながら |
| 「よかった」と満足するものです。 |
| 人間だって役割が終わりに近づけば枯れていくのでしょう。 |
| 受け入れたくないという気持ちもわかりますが、 |
| 素直にそれでいいじゃありませんか。 |
| どんな言い方をしようと、どう取り繕おうと、 |
| 要するに「枯れていく」のですから・・・・・・ |
| 枯れ葉・・・大いに結構! |
| 曲がる |
| 腰の曲がったお年寄りを見かける。 |
| 腰を曲げなければ成り立たなかった労働の厳しさが伝わってくる。 |
| 人間、腰を曲げて働くことから遠ざかるにつれて、 |
| 言葉だけで世間を渡っていくようになるものだが |
| 言葉でメシを食っている者は心得なければならない。 |
| その言葉で、腰を曲げる労働を見下すようなことを言うと |
| やがて腰はうしろ側に反り返るということを・・・・ |
| 家族 |
| それぞれが一日のできごとを持ち寄り、 |
| 言葉をあつめて温めあう・・・・ |
| それが家族、それが団らん。 |
| すき間風など、入り込む余地はない。 |
| そんな場所が欲しくてたまらない人はたくさんいる。 |
| 今、その中にいるなら |
| 何ものにもまして大切にすることだね。 |
| 身軽に |
| 葉をすべて落とした裸木は実に美しい。 |
| 来春の芽吹きをこころに秘めて、しなやかに身構える・・・・・ |
| 厳しさに向き合う姿はかくあるべし、と教えられる。 |
| 構えるなら |
| 身軽であれ、、しなやかであれ。 |
| そして何よりも、 |
| 最後まで生き残れ。 |
| 男 |
| 「男だろう、泣くんじゃない」と子どものころから教えられる。 |
| 男は泣くもんじゃない・・・・・・ |
| 「どうして?」と聞く男の子はいない。何故かを教える親もいない。 |
| だが、深い意味は分からなくても、何となく子ども心にも理解できるのだ。 |
| 大人になった今、あなたはどうだろう。 |
| 男は泣いてはいけない、という意味が理解できるだろうか。 |
| 「なぜ?」と聞かれたら、答えはあるだろうか。 |
| 満たされる |
| 満たされているから凍らないのです。 |
| 身や心を凍らせる寒風は、 |
| 入り込むすき間を探して忍び込んできます。 |
| 「寒いね」と言いながら、凍らないのは、 |
| すき間がないほど満たされているからです。 |
| 満たしてくれている人や物を忘れてはなりません。 |
| 未熟 |
| 未熟であるのはしかたがない。 |
| 未熟を恥じて、成長しようと努力しているなら、それでいい。 |
| 未熟を恥じる気持ちを持たない者は、 |
| 何年、何十年経験しようと、外見だけは”既熟者”に見えても、 |
| 永遠に”未熟者”である。 |
| 未熟を克服しようとするから、人は成長する。 |
| 考える |
| 与えてもらうことばかり考えているから、 |
| 不満が生まれます。 |
| 与えることを考え始めると、 |
| 不満は消えて感謝が生まれます。 |
| 問答 |
| 男性にとって女性の魅力とは何ですか? |
| 「女性」であることです。 |
| 点 |
| 日々のしあわせだと感じる小さな”点”をつないでいくから、 |
| 何十年もの長い時間、人は生きていける。 |
| 点と点のあいだには、 |
| 思いがけない不運や災いもあるだろう。 |
| だが、 |
| それでも点をつなごうとするから、乗り越えられる。 |
| 今日も、その小さな点を刻むことに励むがよい。 |
| 始める |
| 最高を望み、 |
| 最悪に備えよ。 |
| それがことを始める基本である。 |
| 想い |
| もう若くはない”私”と、十分に若い”君”が互いの存在を想うとき・・・・ |
| 与えたものと与えてもらったものが行き交っている。 |
| その摩擦のぬくもりが、 |
| こころを温めてくれる。 |
| 大切な人 |
| たとえどんな窮地に陥っても自分を見捨てない味方がいると思うなら、 |
| その人のために自分もそういう者になりなさい。 |
| その気持ちを言葉で伝える必要を感じない相手こそ、 |
| 真に大切な人である。 |
| ありったけ |
| ありったけのものを差し出す相手は、 |
| ありったけのものを返してくれる相手でなければならない。 |
| そんな相手にめぐり会えた人は、 |
| 人生の最も奥深いしあわせの一つを味わったと思ってまちがいない。 |
| 気持ち |
| 「だれも自分の気持ちをわかってくれない・・・・・」と嘆く君へ。 |
| あたりまえだと思うよ。 |
| 想像はできても他人の気持ちを理解するのは至難の業だ。 |
| 君の気持ちをわかろうとする者はいるだろうが、 |
| ほんとうにわかる者などいないと心得なさい。 |
| わかってもらわなければ何もできないのか? |
| わかってもらったらどうなるのか? |
| そこをもう一度、考えてみてごらん。 |
| 岐路 |
| 人生を左右する岐路に立たされる・・・・ |
| だれにも何回かは経験があるだろう。 |
| そのとき選んだ道を歩んできて、今がある。 |
| こころ穏やかに過ごしたいなら、 |
| 「この道にしてよかった・・・」と思うことだ。 |
| 「あっちへ行けばよかった」と思い始めたとたん、 |
| 立っている足元の道がぬかるみになる。 |
| 景色 |
| そこに住めば |
| きびしい暮らしを強いられる場所ほど、 |
| 旅人の目には「いい景色だ」と映る。 |
| ”いい景色”とは、 |
| 人が住むことを阻もうとする場所のことである。 |
| 成長 |
| 苦しい時代やつらい時代をくぐって |
| 人はやっと”人”になっていく・・・・ |
| そうなんだろうなぁ・・・と思えるなら |
| あなたも成長したんだと思うよ。 |
| 初雪 |
| 人間の都合などにはおかまいなく、 |
| その時期がくれば雪は降る。 |
| 人間はオロオロするだけだが、自然は至って冷静である。 |
| 春が来れば花が咲き、冬が来れば雪が降る・・・・・ |
| その静かで強靭な意志を感じる初雪だ。 |
| この冬の手始めに20cmの積雪を残していってくれた。 |
| 本番はこれからだ、準備をしておけよとの伝言である。 |
| 願 |
| あきれるほどの重荷を背負って、 |
| あきれるほどの早足で歩いている・・・・ |
| 大変でしょう。 |
| あなたがどうかそんな人でないことを願います。 |
| 水 |
| 湧き出る山の清水を飲んで、 |
| 「まずい!」と叫んだ者を見たことがない。 |
| 「うまい!」と叫ぶ者は、 |
| ふだん、いかにまずい水を飲んでいるかを、 |
| 思い知らされた者たちである。 |
| そのうまい水が、本来の水の味だったのだ。 |
| 未練 |
| とっくにあきらめていたはずなのに、 |
| 未練がときどき顔を出す・・・・ |
| あるんですねぇ、そんなことが。 |
| あきらめるというのは、 |
| 未練を力ずくで押さえこんでいる状態ですから、 |
| 押さえる力が弱くなればそうなるのも当然かもしれません。 |
| そんなときは、しかたがありません。 |
| 「このやろう!いいかげんにしろ!」とでも言いながら |
| ヤケ酒でも飲みますか・・・・・ |
| 強さ |
| ほんとうに強い者は、 |
| その強さを証明してみせる必要はない。 |
| よくある話 |
| ”オレが” ”わたしが”と前に出たがる人たちは、 |
| 事がうまく運ばなくなると、 |
| いつの間にか、最後尾に立っている。 |
| 思い出 |
| 胸をしめつけられるような追憶の思い出に勝つ術はありません。 |
| ただじっと耐えるだけ・・・・ |
| 忘れようとするあなたに、 |
| 忘れてほしくない、とダダをこねているのですから、 |
| 抱きしめてやるしかありません。 |
| 思い出を抱きしめる・・・ |
| その方法はあなただけが知っています。 |
| しあわせ |
| 結婚したからってしあわせになれるわけじゃない。 |
| 子どもができたからってしあわせになったと言えるわけじゃない。 |
| お金があるからといってしあわせだとは思えない。 |
| ほんの数時間感じるしあわせもあれば、 |
| 何日も続く幸福感もあるだろう。 |
| 失ってみればわかる、と言うんだが、 |
| しあわせって何だろうね。・・・・・ |
| 挫折 |
| 挫折なんて、人生ではざらにあるもの、 |
| そうものごとが自分の思い通りに運ぶはずがない。 |
| 挫折がざらにあるのなら、 |
| そこから立ち直って新たな歩みを始めた例もざらにある。 |
| 若い君たちには想像もつかないだろうが、 |
| そこらにいる平凡そうに見えるおじさんやおばさんにだって、 |
| 復活のドラマの一つや二つ、ちゃんとあるもんだ。 |
| 信じて |
| わたしがいることを |
| 喜んでくれる人がどこかにいてほしい・・・・ |
| そうだね・・・ |
| きっといると信じて |
| 生きてみなさい。 |
| そう思うだけで、勇気がわいてくるじゃないか。 |
| 恋 |
| 恋の始まりは一瞬の”火花”です。 |
| その火花に目がくらんで他のものが見えなくなることです。 |
| 火花も飛ばない、相手がしっかり見えるというのであれば、 |
| それは |
| 恋に似た、ただの”相手探し”でしょう。 |
| 似ているのでみんな、よくだまされるのです。 |
| 粗食 |
| コッペパンに脱脂粉乳のミルクの給食、 |
| 今の牛肉より安かったクジラ肉、 |
| 身近な食材であったサツマイモ、 |
| 麦の入ったごはん・・・・・・ |
| 今はなつかしい、そんな食べ物で、 |
| ここまで大きくしてもらいました。 |
| 舌をかみそうなカタカナの名前の料理などありませんでしたが、 |
| 不平や不満を言った覚えはありません。 |
| 粗食だね、という人たちに反論する気はありませんが、 |
| そんな”粗食”でも、十分人間は大きくなれるものです。 |
| 汚れ |
| きれいに澄んだ水を汚すのは簡単です。 |
| 汚れた水をほんの少し入れればいいのです。 |
| しかし、そうやって汚れた水を、きれいにするのは並大抵のことではありません。 |
| きれいな水を入れたからといって、元の澄んだ水にはならず、 |
| 元通りにするには、信じられないほど大量の澄んだ水が必要です。 |
| 生きていくことも同じ・・・・・・ |
| きれいなものはきれいなままで・・・・を |
| 心がけたいものですね。 |
| コツ |
| 会話を盛り上げるコツは、 |
| 相槌をうちながら聞くことです。 |
| そして相手の話に、知っていても知らないふりをして敢えて質問をすることです。 |
| 得意にさせてもらうと |
| 人は饒舌になります。 |
| この道 |
| 一年や二年の回り道が大きな損失にならないのは若いうちで、 |
| 人生も終盤にくると、そんな余裕はないんだなぁ。 |
| 進むのはこの道だ、と決めたのなら、 |
| わき目をふらずに進まなければ時間は待ってくれないよ。 |
| 分かれ道で立ち止まっていると、 |
| あっという間に日が暮れてしまう・・・・・ |
| 生きがい |
| 生きがいとは |
| 朝ごはんをおいしく食べるために欠かせないものである。 |
| 朝ごはんがおいしくなくなると、 |
| 人間、急に萎れていく。 |
| 二人で |
| 二人で歩けば「おもしろい道だね」となるやぶ道も、 |
| 一人で歩けば「なんだ、この道は!」となります。 |
| 二人で歩く、ということは、 |
| 一人では腰の引ける”やぶ”を |
| おもしろいものに変えて進んでいくことなんでしょうね。 |
| 答え |
| 我が子に「高校へ行け」「大学へ行け」と求める親は、 |
| 「何のために?」と聞く子にどう答えるのだろう。 |
| 「おまえの将来のためだ」と言うのでは答えになっていない。 |
| 子どもがその年になるまでに |
| 少なくとも子どもが納得する明確な答えは見つけておくことだ。 |
| 名前 |
| ヘクソカズラ、オオイヌノフグリ、アホウドリ・・・・・・ |
| 何とも失礼な命名である。 |
| 人間の勝手な都合でそんな名前をつけられた彼らだが、 |
| いやな顔一つ見せず、 |
| 美しい花を咲かせ、美しい羽を広げる。 |
| だれがどんなことを言おうと、 |
| 輝く中身を持っていれば、名前や肩書は風に散っていく。 |
| 紅葉 |
| 人間の目には鮮やかに、絢爛たる色絵巻に映る山々の紅葉・・・・ |
| だが、山の中では一本一本の木が、 |
| 来春の芽吹きを迎えられるかどうかの試練を受けようとしている。 |
| 負けてなるものか! 何とか乗り越えるぞ!・・・と、さまざまな色に葉を染めて身構えている。 |
| あの色は、 |
| 厳しい冬に立ち向かう木々たちの決意のあらわれである。 |
| 感動 |
| 感動の中身は忘れても、 |
| 「感動した」という記憶は残っていくものだ。 |
| その記憶が何層にも積み重なり、まるで磁石のように次の感動を引き寄せる。 |
| 最近感動しなくなったというのであれば、 |
| それは齢をとったからではなく、 |
| 積み重ねた感動の記憶を使い果たしたのかもしれない。 |
| しごと |
| 新しい道を切り拓いてつくることはできなかったが、 |
| あとに続く人が歩きやすいように踏み固め、 |
| 道に迷わないように案内板を立ててきた・・・・・ |
| それが長年の私の「しごと」であった、という気がする。 |
| 交差 |
| 交差する二本の線・・・ |
| 交差するまでは互いに近づいていくが、 |
| 交差したあとは離れていくだけ・・・・・ |
| 残念だが、人と人の関係にはそんなことがある。 |
| 交差した一点だけが今も自分の中に鮮明に刻まれている・・・・・・ |
| 暮らし |
| いまの暮らしを考えてみたまえ。 |
| もがき苦しんだり、失意の底に沈んだり、厚いかべにぶち当たったりして |
| やっとの思いで築いてきたもの・・・・・ |
| 決してすんなりと手に入ったものではないはずだ。 |
| それでも不満はあるだろう。 |
| だが、同じことをもう一度やれ、と言われたらもうごめんなので、 |
| これで十分、いいのだ、と自分に言い聞かせるしかない。 |
| 手入れをしないから不満がわいてくる。 |
| 手入れをすれば、花は咲く。 |
| 欲望 |
| ”欲望”とは |
| 他人に悟られまいとするほど如実にその姿を現し、 |
| しまいには自分でも持て余す、厄介な身内である。 |
| そんな身内はいない、と下手に隠すよりも、 |
| 手を焼きながらも同居しています、と正直であるほうが心休まる。 |
| まさか |
| 親も驚くほどの大量の宿題を出した先生が、 |
| まさか子どもたちが悪戦苦闘しているときに |
| 遊んだり、くつろいでいたりはしていないと思います。 |
| 結末 |
| だれもが一番知りたい結末を知らせず、暗示するだけで終わる小説や映画は、 |
| 余韻や奥深さを生み出す手法としてはあるのだろうが、 |
| はなはだ”消化不良”に似た不快感を与え、何だかスッキリしない。 |
| 読者や観客は文学者や作家ではない。 |
| 明快な結末を望む普通の人間である。 |
| たぶんこうなるのだろう・・・では納得できない人たちである。 |
| 天罰 |
| 人生を振り返るなら、忘れずに |
| 一番手痛い目にあわせた人を思い起こせ。 |
| 恨んでいるだろうなあ・・と思えるなら、 |
| もう”時効”かも知れない。 |
| 天罰はすでにわが身に何度も降りかかったはずだから・・・・・ |
| 旅 |
| 自分の人生に鮮烈な記憶を刻んでくれた人は |
| ふりかえれば、そう多くはありません。 |
| 一人ひとりの名前や顔が、生きてきた”証し”になっていませんか。 |
| さまざまなできごとを人生の一里塚だとすると、 |
| そんな人たちは、 |
| 旅の途中で見た”絶景”であったのかもしれません。 |
| 絶景も見ないで、ただ歩くだけの旅は |
| くたびれるだけで、楽しくはありません。 |
| いい旅をしてきたのだと思っています。 |
| 経験 |
| 先の見えない暗闇に立ち尽くした経験は、 |
| 明るい道を歩くときには役に立たない。 |
| だが、 |
| 暗闇にも道はある、と知っていれば、 |
| 暗いことを怖がることはないだろう。 |
| 失望も、絶望も、挫折も、 |
| 人生、すべからく経験である。 |
| 待ち伏せ |
| 人生の節目には |
| 待ち伏せしているものがある。 |
| 正体はそのときにならないとわからない。 |
| 待ち伏せしているものに出会ったから、 |
| そこが「節目」になった。 |
| 背伸び |
| 背伸びをしたままの姿勢では長時間耐えられない。 |
| しかし、 |
| 仕事や人間関係では、自分を大きく見せるためにそれをやっている人がいる。 |
| 疲れるだろうなあ・・・・・ |
| 素人 |
| 誰もが「絶景だ」と言ってカメラを向ける風景を絵に描くと、 |
| 素人ゆえに、 |
| たいてい目で見た感動に絵が追いつかない。 |
| 何でもない風景の中でも、 |
| 自分だけが見つけた感動なら、何とか描ける。 |
| 多くの人の絶景は、絵描きにとっての絶景にはならない・・・・・・ |
| 素人絵描きが10年かけて得た結論だ。 |
| 修行 |
| 齢をとるごとに鮮明になっていくのは、 |
| いのちには限りがあるということ。 |
| 真摯に受け止めたいが、生易しいことではない。 |
| これまでの人生で多くのことを経験し、学んできたのは、 |
| すべてこの一つの命題を理解し、 |
| 受け入れるためのものであったのではないか、と思えてならない。 |
| 夢 |
| 物価があがり、保険料が増え、年金が下がり、消費税が増える・・・・ |
| 何だかイヤな話が続いている。 |
| それでも夢を持て、というなら |
| 頑張れば報われるという確かな証しを見たい。 |
| かつて”いつでも夢を”という歌が流行ったころには |
| それがあったという記憶がある。 |
| 家族 |
| 手軽に幸せな気分に浸りたければ、 |
| 休日のおもちゃ売り場へ行ってみてごらんなさい。 |
| 目を輝かせておもちゃを手にする子どもたちも、 |
| それを横でうれしそうに見守る親や祖父母たちも、 |
| みんなほんとうにいい顔をしています。 |
| そんな姿は見ているだけで十分幸せな気持ちにさせてくれます。 |
| 満ち足りて、温かい気持ちにさせてくれるのは、 |
| そこにある”家族の匂い”・・・・・ |
| 一点突破 |
| ここからが正念場だ、という地点に立ったら、 |
| 自分を信じて「一点突破」を試みるよりほかにない。 |
| あれも気になる、これも気になる、だろうが、 |
| あくまで「一点突破」だ。 |
| 一つ穴があけば、何かが流れ始める。 |
| 評価 |
| できもしないことをできるように話す者は”ホラ吹き”だ。 |
| できるのにできないと話す者はひきょうだ。 |
| できることはできる、できないことはできない、と話す者は |
| 正直者だ。 |
| 一人の人間の中には、この三者が同居している。 |
| 問題は、 |
| だれがいちばん目立つかである。 |
| 準備 |
| 子どもの頃のさまざまな思い出が胸に去来するようになったら、 |
| 子どもに返る準備が始まっている。 |
| 後悔 |
| 人間は”後悔する”生き物です。 |
| そして、その後悔をいつまでも忘れないで |
| 持ち歩く生き物です。 |
| 叱責 |
| 他人の失敗を責めるのは容易いが、 |
| 後悔しているんだろうな、と思えれば、 |
| あえて非難することはない。 |
| 平然を装うことで十分叱責になっている。 |
| 以前 |
| 選べと言われれば選びますが、 |
| ほんとうはどれも欲しくなんかありません。 |
| 私が欲しいのは、 |
| むやみに人に押し付けようとしない「あなた」です。 |
| 以前のあなたは、たしかに |
| そんな人でした。 |
| なみだ |
| なみだがにじんでくれば、強くなれる。 |
| なみだがあふれれば、やさしくなれる。 |
| なみだが乾いたら、また立ち上がれる。 |
| 始める |
| 気がつく。 |
| 何とかしなくては、と思う。 |
| どうすればよいかを考える。 |
| こうしようと見通しができる。 |
| 実行に移す準備を始める。 |
| そして実行する。・・・・・・ |
| それが”始める”ということだ。 |
| 役に立つ |
| 人の役に立つ・・・・? |
| そんなことを意識して暮らすわけにはいかないだろう。 |
| だが、 |
| 人を傷つけない、ということならできる。 |
| これだけたくさんの人がいて、複雑な人間関係の中で生きているのだから、 |
| 人を傷つけない、ということも、立派に人の役に立っている。 |
| 絶景 |
| かつて北アルプスの北穂高岳山頂から、 |
| 槍ヶ岳を望んだ感動が忘れられない。 |
| 日本にこれほどまで美しい山があったのか・・・ |
| 息をのむとはまさにこのことだと思わせてくれる絶景であった。 |
| 目をつぶれば浮かんでくる心に残る絶景が一つあれば、 |
| ずいぶん長い時間、こころを温めてくれるものだ。 |
| 二つ三つあれば、もう言うことはない。 |
| 起点 |
| 「ここからすべてが始まった」という起点があるはずです。 |
| それは小さな「できごと」だったことでしょう。 |
| 点から始まり線になったその延長上に立ってみると、 |
| 「そうか、あれが始まりだったのか」と見えてくるのです。 |
| おのれの「起点」を承知しておくことは、 |
| 長い人生、思ったより大事なことだと思います。 |
| 中身 |
| 原作のつまらない映画やドラマは、 |
| いくら脚本を練っても、演技力のある役者をそろえても |
| 観客のこころを動かさない。 |
| 中身はさほどでもないものを、包装で隠そうとする行為に似ている。 |
| 中身のしっかりしたホンモノは、 |
| たとえ新聞紙に包んでいても、芳醇なかおりを放つ。 |
| 人もまた然り・・・・包装にだまされてはならない。 |
| 夏 |
| 最近まであれほどにぎやかだったセミの声が、 |
| いつの間にか聞こえなくなりました。 |
| 無事にいのちをつなぐことができたのでしょうか。 |
| 彼らにとってたった一度きりのこの夏は、 |
| どんな夏だったのでしょうね。 |
| 小さないのちの芽が、土の中で眠っていることを祈ります。 |
| 実り |
| やりとげた、と思えることをいくつ持っているだろう。 |
| 句点(。)を打てる事実が多いほど、 |
| 人生の「秋」に、手にする実りが多くなる。 |
| お礼 |
| ありがとう・・・・・ |
| もう届けるすべはありませんが、できることなら感謝とお礼を |
| あなたに届けたい・・・・・ |
| 平凡に流れていく日常に、こんなにも鮮やかに、こんなにも深く、 |
| 熱く生きた証しを刻んでくれたことに、 |
| こころから「ありがとう」と言うほかありません。 |
| 人が生きていくには、 |
| 熱く生きた記憶がどうしても必要です。 |
| 負けると |
| わずらわしさに負けて手を抜くと、 |
| その処理に何倍ものわずらわしさがやってくる。 |
| 最初のわずらわしさでカタをつけておかないと |
| 「こんなはずではなかった」と、だんだん腹が立ってくる。 |
| 人望 |
| まちがったことは言っていないのに、 |
| なぜか人望がないという人がいる。 |
| まちがったことをよく口にするのに、 |
| けっこうみんなから慕われる人がいる。 |
| ということは、決め手になるのは「まちがったことを言う」かどうかではないということ・・・ |
| 身近なところに、この両者に近い人がいるなら、 |
| よく観察してみたまえ。 |
| 人望がある、というのはどういうことかがわかるだろう。 |
| いいかげん |
| いいかげんにしたくても、いいかげんにはできないことが |
| あなたを一人前にするために |
| 押し寄せてくる。 |
| しゃべる |
| 早口でしゃべる年寄りは敬遠される。 |
| 人のしゃべる速さは、 |
| 年とともにゆっくりになっていくものだ。 |
| その口で自分を売り込む必要も、他人を批判する必要も |
| もうなくなっていくのだから・・・・・ |
| 帰り道 |
| 人生は、 |
| 生まれて歩き始めたときから |
| ”帰り道”・・・・・・ |
| 若いうちは、それを”行き道”だと思ってしまう。 |
| 記憶と記録 |
| いちばんたいせつなことは、 |
| 記憶にしか残らない。 |
| 記録には残せない。 |
| お化け |
| お化け屋敷のしかけはわかっている。 |
| それでも怖いのは、 |
| そこが暗闇の中だからである。 |
| 陽光のふり注ぐ日なたでそれらを見れば、おそらく笑ってしまうだろう。 |
| 「お化け」とは、つまり暗闇であり、 |
| 暗闇を怖がる人間の心理なのである。 |
| こころに闇を持つと、何でもないものがお化けになり、おびえ続けることになる。 |
| 竹馬の友 |
| 子どものころ、「竹馬の友」を「たけうまの友」と読んで笑われたことがある。 |
| 今ではなつかしい思い出だ。 |
| 多感な少年時代を共に過ごした大切な友だちをどう呼ぶか・・・ |
| ”親友”ではありふれている。 |
| ”無二の友”では固すぎる。 |
| ”竹馬の友”・・・・・胸に落ちるいい言葉ではないか。 |
| そんな友に恵まれていれば言うことはない。 |
| 理由 |
| 自分の生い立ちや過去を否定的に見る人間は、 |
| ものごとがうまくいかない理由にそれを使うようになる。 |
| 一旦それを理由にすると、他の理由は考えられなくなるものなのに・・・・・・ |
| 悲しいことだ。 |
| うまくいかないということではない。 |
| 本来の理由ではないもので自分をごまかしている、という点で・・・・ |
| いつ |
| 老いが始まったかどうかは、 |
| 「よいしょ」や「どっこらしょ」をいつ使うかでおよそわかる。 |
| 以前は立つときにつかっていたこれらを |
| 座るときに使うようになったら、 |
| 年齢に関係なく、”老い”は始まっている。 |
| 経験しているのでまちがいはない。 |
| 赤い糸 |
| 子どものころ、「だれにも赤い糸で結ばれた人がいる」と聞いて、 |
| 自分にもそんな人がいるのか、と胸を躍らせた思い出がある。 |
| そんな糸なんかあるものか、とスネたときもあったが、 |
| 今になって思えば、やっぱり糸はあるものだと思う。 |
| 惹かれる人に出会いながらも、うまくいかなかったとしたら、 |
| それはおそらく、 |
| 赤い糸でつながっていなかったか、色ちがいの糸で結ばれていた人だ。 |
| 誰にも見えない糸だから勘違いが起こる。 |
| ぬくもり |
| いろんな事情で母親の愛情に恵まれずに育つ子どもがいる。 |
| かわいそうだと多くの人が言うが、一概にそうは言えない。 |
| 自分には与えられなかった”ぬくもり”を追い求める本能的な働きが、 |
| 人格形成に影響を及ぼし、ぬくもりに敏感に反応する人間になることがある。 |
| 手に入らなかったものだからこそ、その本質が人一倍よくわかるのだろう。 |
| そうやって立派に生きている人間はたくさんいる。 |
| 心の風景 |
| もう一度見てみたい心の風景・・・・ |
| そう言われて思い当たる場所があるでしょう。 |
| 今はもう見ることができなくなった風景・・・・ |
| さまざまな想いがちりばめられた風景・・・・ |
| 思い出せば胸が熱くなる感動の風景・・・・ |
| そういう場所を「心の風景」にするために、 |
| 長い時間、懸命に生きてきたという気がします。 |
| 忙 |
| 忙しくてそんなヒマはない、というのもわかるけど、 |
| たまにはのんびり時間をすごすことも大事だよ。 |
| 「忙」という字は、 |
| 「こころが亡くなる」と書く。 |
| 亡くしちゃいけないね。 |
| 事実 |
| ”絶世の美女”と呼ばれた人も、 |
| 年老いればふつうの”おばさん”になる・・・という事実は |
| 何を物語っているのか。 |
| 答えがうすうすわかる齢になってきた。 |
| 人生 |
| 人が生きた証しなのだから、 |
| 「人生」は人の数だけある。 |
| わたしやあなたの人生も、地上で暮らす72億人の人生の中の一つ・・・・ |
| 夫婦でも、家族でも、交わることはあっても決して重ならない唯一の軌跡を持っているから、 |
| 私は「わたし」であり、あなたは「あなた」なのだ。 |
| 先頭 |
| だれもやらないことをやったからといって、 |
| 賞賛されるとは限らない。 |
| 出しゃばるな、と非難されることだってあるだろう。 |
| 自分がやろうと思ったことを、たまたまだれも今までやらなかっただけのこと・・・・ |
| それでも、先を越された”ひがみ”で非難する者はどこに行ってもいるものだ。 |
| 先頭に立って道を拓く厳しさは、 |
| できた道をあとからついてくる者には決してわからないのだから、 |
| へこむことはない。 |
| 哲学者 |
| 青年と老人のちがいを一言で言ってみたまえ。 |
| 年齢、容姿、経験の差?・・・・それはありふれた答えだ。 |
| 根源的な違いは、 |
| ゴールが見えているかどうか、だよ。 |
| ゴールを見据えた老人は、すべてすぐれた”哲学者”だ。 |
| なぜなら、未だかつて誰一人明快な答えを見出していない難問に、 |
| 一人で立ち向かおうとしているのだから・・・・ |
| この一点に関しては、 |
| 残念だが、青年の出る幕はないな。 |
| 幸運 |
| ありそうでないもの・・・・あしたの幸運 |
| なさそうであるもの・・・・きのうの幸運 |
| 乗り合わせ |
| 同じバスに乗り合わせた多くの人がいる。 |
| みんな顔見知りの、いわば”知人”だ。 |
| 親しく話をした人もいれば、2,3度顔を合わせただけの人もいる。 |
| 中にはとても大切な関係を築いた人もいる。 |
| 行き先はみんな違うので、止まるたびに何人かが降りていく。 |
| 別れの手を振りながら、もうこの人と会うこともないだろうと思う。 |
| そうやって少しずつ減っていく乗客・・・・・ |
| 終点まで乗り合わせる人がようやくわかってきた。 |
| 一部 |
| 夫婦で力を合わせ、子どもを育てる・・・・ |
| 学校に通わせ、必要な教養を身につけさせ、一人前の人間として社会に送り出す・・・・・ |
| すばらしいことではないか。 |
| 変わり映えしないきょうの一日が何であったのか、と問われれば、 |
| そのすばらしい出来事の、ささやかな一部をつくったと答えればよい。 |
| 芝生 |
| 花はないが、手入れの行き届いた芝生は緑のじゅうたんのようにきれいだ。 |
| 芝生はないが、かわりに花壇があれば好きな花や野菜が育てられる。 |
| 互いに、互いの庭を見て「あの庭はいいなあ・・・」と思う。 |
| 人が人を見る時に似ている。 |
| 互いに |
| 自分にないものを持っている人をみるとうらやましい。 |
| そう思う「わたし」も、誰かからそう見られている。 |
| ウソではない。 |
| 夢 |
| ともに夢を語り合う・・・・・ |
| 相手が異性でも同性でも、それができれば最高の関係です。 |
| 忘れ得ぬ人とは、 |
| 遠い昔に見た夢を今も共有している人でしょう。 |
| 互いに今も同じ夢を見ているから忘れられないのです。 |
| 盛り |
| どんなに華やかでも”盛り”はいつか過ぎる。 |
| 盛りのあとには、実をつけ、種を太らせるという地味な営みが待っている。 |
| 華やかな盛りは、そのために用意されたもの・・・・ |
| 次に待つ営みのために、盛りを無駄にしてはならない。 |
| 答え |
| 遠い日の、たった一つのできごとについて、 |
| 「あれでよかったのか」と今でも後悔していることはないか。 |
| 彼(彼女)の大切な人生に傷をつけてしまったのではないかと、 |
| 何十年たった今も繰り返し思い起こしていることはないか。 |
| あれでよかったのか・・・・ |
| その答えを相手から聞くことはもうあるまいが、 |
| もしも傷つけたのなら、その傷が癒えていることを祈るばかりだ。 |
| オラたちが子どものころは |
| 集落の同世代の師匠たちが昔の話を聞かせてくれた。 |
| ・・・・オラたちが小学校のころは、えれぇ雪だっただよ。学校は山一つ向こう、 |
| 峠を越えていかなきゃならねぇ。スキーのできる子はスキーはいて峠から |
| 学校まで下るだ。そりゃひっくり返ったり、木にぶつかったりもするが、 |
| 歩くより早いもんだからやってただ。 |
| 帰り?スキーをかついで登っただよ。 |
| 歩く子は”かんじき”はいて腰くれぇまで雪のある道を歩いただ。一時間はかかったね。 |
| 学校に着いても、体も服もカチカチに凍ってるもんだから、 |
| しばらくストーブの前で融かさなきゃ勉強にならねぇだ。 |
| 今考えりゃ、えれぇことだが、そのころはそれが当たり前だったから |
| 別に大変だとは思わなんだ・・・・・・・・・ |
| 同じころ、私はどんな通学をしていたのだろう、と思うと、 |
| それだけでも「師匠」と呼ぶに値する達人たちだ。 |
| 今、子どもたちはスクールバスで学校に通い、 |
| その峠を越える通学路はやぶに包まれて歩く人はいない。 |
| 風景 |
| 人には、人生を共にしてきた風景というものがある。 |
| 他人には何でもない風景だが、 |
| その中で仕事をし、家庭を営み、さまざまな出来事の背景にいつもあった風景・・・・・ |
| いつの日か、「ああ、これが自分といっしょに生きてきた風景だったんだ」と |
| 気づくときがくる。 |
| 今は何でもない風景が、その時はきっと |
| この上なくなつかしい風景になっていることだろう。 |
| 報告 |
| どこでどんな生き方をしていてもかまわない。 |
| 大切なのは、 |
| 「生きてこい!」とこの世に送り込んでもらったのだから |
| 「このように生きました」と報告できる中身をつくることだ。 |
| きのうの出来事も、きょう起こるであろう出来事も、 |
| そのために用意されている。 |
| 幸せ |
| 愛する人と結ばれて幸せな人生を送る人がいる。 |
| そんな人を見ていると、縁もゆかりもない自分までもが幸せな気分になれる・・・・・・ |
| そんなとき、わけもなく |
| 人は幸せになるために生まれてきたのだ、と |
| 心の底から思う。 |
| 時雨みち |
| 驟雨のなか、ふと立ち寄った軒先から雨だれが落ちていく。 |
| 雨だれの向こうに広がる景色は、かすんで茫洋とした大海の趣き・・・・・ |
| そんなときふと脳裏に浮かんだ、それまで何でもなかった人が、 |
| 突然たいせつな人になる。 |
| 時雨みちは、 |
| ただ雨が降るだけのみちではない。 |
| 若者へ |
| 若者は青春をうんと謳歌するがいい。 |
| やってみたい、やれそうだと思うことにはためらわず挑むがいい。 |
| 大事なものを見失ったり、熱い想いが届かなかったり、 |
| 深い挫折に思い切りへこんだりしても、大したことじゃない。 |
| また立ち上がればいい。 |
| それが許され、またそれができるのが君たち若者の特権だ。 |
| 今しかやれないことだけは見失うな。 |
| 今日 |
| きのうと変わらない今日が始まる・・・・・・・ |
| けれど、 |
| きのうとはちがう出来事が一つあれば、 |
| 今日を生きた意味がある。 |
| 消費者 |
| ふだん大金と思われる一万円札も、 |
| いったん細かくするとあっという間に消えていくという経験があるだろう。。 |
| 働いて一万円の収入を得ることを考えてみると、 |
| 消えていくあまりの速さに怖ろしくなることがある。 |
| 購買意欲をそそる物があふれている昨今、 |
| 「これだけ稼ぐにはどのくらい働かなくてはならないか」と問いながら |
| 商品の値札を見るのが賢明な消費者である。 |
| 親子 |
| 子どもは大きくなっていくもの・・・・ |
| 親は年老いていくもの・・・・ |
| 一見するとさびしい隔たりだが、 |
| その狭間を埋めるものが、互いを思いやる気持ちだ。 |
| 顔を見せる、電話をする、手紙を書く、プレゼントを交換する・・・・・・・ |
| いずれしたくてもできなくなるそれらを、 |
| できるうちに一つでも多くやっておこうと思い、実行する関係を「親子」という。 |
| 汚れる |
| 見えているところは汚れない。 |
| 見えないようにと隠したところから汚れていく。 |
| 人間も然り・・・・・・ |
| 題名 |
| 自分のこれまでの人生を一本の映画だとすると、 |
| いったいどんな「題名」になるんでしょうね・・・・・ |
| 最近どうも気になるんだなぁ・・・・ |
| いいこと |
| 生まれてから今日まで、何かいいことがありましたか。 |
| 一番よかったことを一つだけ挙げてごらんなさい。 |
| ・・・・・・・・・・・ |
| すぐに思いつかないというなら、 |
| 十分に充足した、幸せな人生だったのです。 |
| たくさんあったから、「一つだけ」が選べないのです。 |
| いのち |
| 長旅を終えた愛車に「ご苦労さん。ありがとう。」と言って軽く車体をたたいてやる・・・・・・ |
| 交換することになった車のタイヤに |
| 「いろんなところに連れていってくれてありがとう」と言って別れを告げる・・・・・・ |
| 長年つかった愛用の品を手放すとき、 |
| 「お疲れ様、おまえのおかげで助かったよ」と言って軽くなでてやる・・・・・・・ |
| たくさんの実をつけ、夏の味覚を楽しませてくれたキュウリの苗が |
| 役目を終えて枯れ枝になってきたときに、 |
| 「おいしい実をたくさんいただいたよ。ごくろうさん。」と声をかけてやる・・・・・・ |
| もの言わぬ彼らにそんな言葉をかけてやれるようになったのは |
| 最近のことだ。 |
| 「いのち」が見えてきたと思っている。 |
| いとおしさ |
| 帰省してにぎやかにはしゃぎ回る孫たちを見ていて思う・・・・ |
| 次の時代を、自分の中の「何か」を受け継いで生きてくれる存在、 |
| それがいとおしさの本質なのであろうと・・・・・ |
| 「この子は自分の何を受け取ったのだろうか」と、一人ひとりの顔を見ながら、 |
| すこやかに育て、と祈る。 |
| 時間 |
| どんちゃん騒ぎで仲間と盛り上がった時間も幸せな時間である。 |
| 騒がなくても、一人静かに満ち足りた気持ちになる時間も |
| 十分に幸せな時間である。 |
| 人生には、後者の方が圧倒的に多いものだと、 |
| どんちゃん騒ぎから遠ざかってみるとわかってくる。 |
| しごと |
| どんな”しごと”も、要するに何かをつくりだす営みです。 |
| 消費するだけというしごとはありません。 |
| 一見つくりだすこととは無縁に見えるしごとでも、 |
| よくよく考えれば何かをつくりだすことに関係しているでしょう。 |
| ところで、 |
| あなたは、何をつくっているのですか? |
| 一日 |
| 若者が若さを謳歌して目いっぱい遊んで終わった一日も、 |
| 年寄りが山奥の畑で一人草取りに汗を流して終わった一日も、 |
| 同じ”一日”に変わりはない。 |
| 老若男女、誰にも同量の一日が与えられているという事実・・・・・ |
| なぜだか考えたことがあるだろうか・・・・・・・ |
| 若者たちが浮かれて騒ぎすぎないように、 |
| 年寄りたちがわが身の行く末を考えすぎないように、 |
| 一日は等しく与えられる。 |
| 中心に |
| いっしょうけんめいに生きていることが美しいと思える人になりなさい。 |
| いっしょうけんめいにやっている姿がすばらしいと思える人になりなさい。 |
| それを自分の生き方の中心に据えれば、 |
| 大きくまちがえることはありません。 |
| 成長 |
| ひな鳥の待つ巣へせっせとエサを運び続ける親鳥たちをみていて、 |
| 親鳥には何か楽しみはあるのだろうか、と思ってしまう。 |
| だがよくよく考えてみれば、そうか、人間も同じではないか、と気づく。 |
| 日々のエサ運びは大変だが、我が子が大きくなっていく姿をみることが |
| 何よりの喜び・・・という点では全く変わらない。 |
| 手をかけ、苦労や心配を重ねた見返りは、 |
| 我が子たちが”成長”という形で返してくれる。 |
| そして、やがて「巣立ち」・・・・・ |
| いつの間にか大きくなったなあ・・・としみじみ思う。 |
| それだけで親の苦労は報われる。 |
| 伝言 |
| 平凡で変わり映えしない毎日でも、 |
| 精いっぱいがんばって生きてください。 |
| 胸躍るドラマや心が熱くなる出来事は今日もないかも知れません。 |
| それでも、 |
| 家路につくおりに、ふと見上げた空の色が、昨日とはちがっていませんか。 |
| 今日という一日をしっかり生きた者だけが気づける、 |
| ささやかなご褒美です。 |
| ドラマ |
| 今も会いたいと思う人の数だけ、 |
| 平凡に思われる自分の人生にも”ドラマ”があった・・・・ |
| それだけはまちがいない。 |
| 待たせる |
| 約束の時間になっても現れない・・・・・ |
| どうしたんだろう、何か異変でもあったのか、まさか事故?・・・・・・ |
| 現れるまでの時間、いろんなことを考えてあれこれ気をもむ。 |
| そんなときに「遅れてごめん」と言いながらやってくる者の評価は |
| たとえ遅れた時間が五分でも、確実にさがる。 |
| 約束というのは、双方が守ることを義務だと感じるから約束になる。 |
| 人を待たせるというのは、 |
| すっぽかすよりも罪が重い。 |
| あのときのまま |
| 会うことが叶わなくなった、なつかしい人がいる。 |
| 会えないのはさびしいが、一つだけ良いこともある。 |
| 相手が齢をとらないということ・・・・ |
| 記憶の中ではいつまでも別れたときのままで、変わらない。 |
| 実際に会えばきっとその変貌ぶりに驚くのだろうが、 |
| 思い出の中に生きるその人が |
| いつまでもあのときのまま、というのもいいではないか。 |
| 男とは |
| 男という生き物は、 |
| いくつになっても新しいものを見ると欲しくなる生き物です。 |
| 一度手に入れたものはもう自分のものだと思う生き物です。 |
| 新しいものには、常に挑戦してみたくなり、 |
| たとえそれが不可能だとわかっても手に入れることを夢見る生き物です。 |
| 一度「これだ」と思ったらもう他のものが目に入りません。 |
| ゆえに、行動を起こすときの決断は |
| おそらく女性には理解してもらえないほどの素早さです。 |
| それでときどき手痛い失敗もしますが、 |
| なぜか「もう懲りた。これでやめよう」などとは思わないのです。 |
| まったく懲りない生き物です。 |
| 顔色 |
| きらわれたらどうしよう、などといくら考えても |
| 好意をもってもらえないときにはどうしようもありません。 |
| 下手な小細工はかえって事態を悪化させるだけでしょう。 |
| ありのままの自分を見せて、それでだめなら、 |
| 自分とは縁のなかった人だと割り切ることです。 |
| つらくても、そうするしかありません。 |
| 他人の顔色をうかがってばかりいると、 |
| 仕舞いには自分の顔色がわからなくなります。 |
| 走る |
| とにかく走りました。 |
| 「走れ」と言われてわき目もふらずに、全力で走りました。 |
| 途中何度も転びましたが、そのたびに立ち上がりました。 |
| 疲れました。 |
| 「まだ走れ」とだれかが叫んでいますが、 |
| もう走りません。 |
| 自分の歩幅と速度は、 |
| 自分で決めたいと思います。 |
| 夏休み |
| だれもが郷愁をおぼえるこの言葉・・・・ |
| 遠い昔の、心に残る景色がよみがえる。 |
| 入道雲、せみしぐれ、夏草のにおい、かき氷、蚊取り線香、花火・・・・ |
| 今の子どもたちも同じものを見ているのだろうか。 |
| 猛暑だ、熱帯夜だと連日のように報じられるが、 |
| どんなに暑くても子どもたちにとってはそれも”夏休み”、 |
| もしかすると何十年か先、夏休みの思い出は |
| 猛暑で外に出られなかった記憶になるのかも知れない。 |
| 子どもたちよ、 |
| すてきな夏休みになるといいね。 |
| 忘れない |
| 思い出さない、 |
| だけど、忘れない・・・・・ |
| しっかりと生きていくためには |
| それが一番だということもある。 |
| わたし |
| 君にも私にも、泣くばかりで自分では何一つできない赤ん坊のときがあった。 |
| あのときから比べて考えてみたまえ。 |
| 今の自分にできることがどれほど多いことか・・・・・ |
| どれ一つをとっても、みんな自分の力で身につけてきたこと、 |
| そして命がある限り、それは自分のものであるということ。 |
| 長い時間をかけて獲得してきたものが、紛れもなく「わたし」を包んでいる。 |
| 君の両手には、持ちきれないほどの「自分」が誇らしげに輝いているではないか。 |
| ちゃんと生きてきたのだよ。 |
| やれること |
| 人間、一生のあいだにやれることなど、たかが知れているぞ。 |
| 若いころ、「一旗あげてやるぞ!」と意気込んだとしても、 |
| 結局、どれほどのことができただろう。 |
| ほんの小さな事実を二つ三つ、こしらえただけではないか・・・・・ |
| その二つ三つこそが自分のやってきたことなのだ、とわかる日がいずれ来る。 |
| 大言壮語はしないことだ。 |
| 人知れず |
| 遠い日、 |
| 人知れず泣いた日のあったことを、誰も知らない・・・・ |
| 知らなくていい。知られる必要はない。 |
| あの日流したなみだが、 |
| 今自分を支えてくれているということを、自分だけが知っていればいい。 |
| 泣くときは、人知れず泣くものだ。 |
| いい人 |
| 人物評価を求められて、「あの人はいい人ですよ」と答えるとき、 |
| 「いい人」の中にはあるが、自分にはないものを念頭に置いている。 |
| 自分の中にある自分がいちばんきらいな面と正反対な面を持つ人が |
| 自分にとっては「いい人」になる。 |
| 証拠 |
| 人生ではだれもみんな、似たようなところで立ち止まり、 |
| 似たようなところで後ろをふりかえる。 |
| そうするには、そこがちょうどよい地点だからだ。 |
| 証拠?・・・証拠はある。 |
| みんな立ち止まってふりかえるから、 |
| 歩いている時には見えなかった景色や時代の色が同じように見える。 |
| だから、それが話題になると共感がわく。 |
| おいしいもの |
| おいしいものを食べると幸せな気分になる。 |
| では、まずいものを食べると不幸せな気分になるか? |
| そうはならないだろう。 |
| 食べて幸せな気分になる、というのは |
| そのおいしさを分け合い、共感できるだれかがいるからだ。 |
| お茶漬けに漬け物でも、こころを許せる人と食べればごちそうになる。 |
| 最高級の料理も、一人で食べればただの「めし」だ。 |
| 齢 |
| 子どものころの”あこがれのマドンナ”も |
| いっしょに遊んだ”悪ガキたち”も、 |
| みんな自分と同じように齢を重ね、今はおじいちゃん、おばあちゃんになっている。 |
| 自分だけが齢をとって仲間はずれになっているのではない、と思うと |
| 何だかうれしい。 |
| 誤差 |
| 幼子の成長は日々めざましい。 |
| それに比べると年寄りの老化は、一年や二年では顕著に表れない場合が多い。 |
| その誤差があるから、 |
| 幼子を慈しむ余裕がでてくる。 |
| もしも、幼子と同じ速度で老化していれば、 |
| とてもかわいいなどと言って笑ってはいられないだろう。 |
| 大いなる誤差に感謝! |
| 先生 |
| たくさんの先生に出会った。 |
| その先生から教わったはずの勉強の中身はなぜか覚えていない。 |
| だが、教科の勉強とは関係のないところで、 |
| 話してくれたり、見せてくれたり、やってくれたりしたことは、 |
| 先生の顔とともに、不思議と思い出せる。 |
| ”先生”とよばれる人たちは、 |
| 「ティーチング・マシーン(教える機械)」にはならないでほしい。 |
| うんと人間臭い、”地”の自分を見せてやれる「人間先生」であってほしい。 |
| 教え子たちは、そんな先生の姿を胸に刻んで生きていく。 |
| 水拭き |
| 遠い昔、木造校舎の掃除は「水拭き」が基本であった。 |
| ぞうきんとバケツ・・・・ |
| そんな掃除の”常識”がいつの間にか”非常識”になってしまった。 |
| 今やモップとワックス・・・・・ |
| 水など使おうものなら、たちまちお叱りを受けるご時世だ。 |
| 濡れたぞうきんを持って腰をかがめて床を拭かなくなった時から、 |
| 何か大切なものが消えていった、と思うのは |
| 私だけであろうか。 |
| 甘える |
| ”甘える”という行為は、 |
| 自分の弱さ、弱い部分をかくさず相手に見せるということだ。 |
| 弱点や無防備な自分を見せるのだから、 |
| 全幅の信頼の寄せる相手でなければならない。 |
| 甘えたいと思っても |
| 「甘えるな!」と叱責する人は、 |
| 「お前の弱さなんか見たくない!」と思っている人である。 |
| 空 |
| かつて忙しさに追われていた日々にも、 |
| 時おり空を見上げることはあった。 |
| 今と変わらず青かったのだろうが、 |
| その青さに感動することはなかったような気がする。 |
| 今、空がとてつもなく青く見えている。 |
| あのころとは、何かが変わったのだろう。 |
| 空の青さが今ならわかる。 |
| 式 |
| およそ「〇〇式」とよばれる”儀式”は、 |
| 節目をつくるためのもので、単なる慶弔のためのものではない。 |
| たとえ滑り落ちても、直下の節目で止まれるためのもの・・・・・ |
| そこまではちゃんと登ってきたという証しを残すためのもの・・・・ |
| 節目の少ない者は、 |
| 滑り落ちる距離も長くなる。 |
| 歌 |
| ほんの少し前、歌が「夢」を綴った時代があった。 |
| おじさんたちの若いころだ。 |
| 歌が明日の生きる道を示してくれたこともあった。 |
| あこがれや恋を教えてくれたのも歌だった。 |
| おじさんにはよくわからないが、 |
| 若者が聴く今の歌にも |
| きっとそんなものがあるんだろうね。 |
| 歌えと言われても歌えない歌ばかりだが、そう思って見守ることにしよう。 |
| 許す |
| 許せない、という気持ちの裏側には、 |
| 許してもいい、という気持ちが潜んでいる。 |
| 許してしまうと、これまで耐えて抑え込んできた時間の意味が説明できなくなり、 |
| 自分が混乱してしまうから、許せないと思うことにしている、という場合が多い。 |
| 許せないと思う意味づけは簡単だが、 |
| 許してもいいと思う意味づけは、骨が折れる。 |
| 猛暑 |
| ごめんなさい。 |
| 全国的に猛暑の毎日だということですが、 |
| 我が家は涼しくて快適な毎日です。 |
| 日中の日差しこそ強いものの、朝晩は寒いくらいです。 |
| 熱帯夜?・・・そんな経験は一度もありません。 |
| 冬の間、雪下ろしや雪かきに苦労したごほうびをいただいている、と思っています。 |
| 長野県が長寿日本一になった遠因は、案外これなのかもしれませんね。 |
| クーラーとは無縁の夏、最高です。 |
| どちら |
| こっちを向いて手を振る人は知り合い、 |
| あっちを向いて手を振る人は他人・・・・ |
| 離れていてもそれで区別はつく。 |
| 待っている人はそのどちらなのか、を見誤ってはならない。 |
| あっちを向いて手を振る人は、 |
| いくら待ってもこちらへはやってこない。 |
| わがまま |
| ”わがまま”は一種の甘えですが、 |
| 甘えさせてくれる人がいると思うからできるのです。 |
| 一人で暮らしてみると、 |
| そのことが痛いほどわかるものです。 |
| 一人の時に、 |
| わがままを言う者など、ありえないでしょう。 |
| 甘えたい人がそばにいるから”わがまま”になるのです。 |
| すごいこと |
| 私も、あなたも、君も、おまえも、 |
| この年の夏を共に元気に生きている。 |
| そりゃ、悩みや心配事もあるだろうが、 |
| 考えてみればすごいことじゃないか。 |
| 名前も顔も知らない大勢の仲間とこの地表で |
| 今も同じ空気を吸って生きているということは |
| 信じられないほどすごいことだとは思わないか。 |
| 感謝 |
| 多くの人が休日となる土日にも働く仕事があり、 |
| そこで子育てをしながら働く人たちがいる。 |
| 幼稚園や保育園、学校の行事が多い土日に休めず、 |
| 苦労している人も多いだろう。 |
| 休日に出かけた先で、そんな人を見かけたら、 |
| 心の中で「ご苦労さま、あなたのおかげで楽しませてもらっています」と、 |
| つぶやくことにしている。 |
| つくる |
| 他の動物たちと違って、 |
| 二足歩行を許された我々には、自由に使える二本の手がある。 |
| 自由に使えるその両手で、 |
| これまでに何かを作り,創り、造って残してきただろうか。 |
| 思い当たるものがないというのでは、 |
| したくてもできない他の動物たちに申し訳ない。 |
| 残すべきものを”つくる”営みに傾注せよ。 |
| 幼子 |
| 幼子は、幼いからかわいいのではない。 |
| 自分にはもう二度と戻ってこない時間をたっぷりと持っていて、 |
| それを何一つ自慢せず、どう使うかも吹聴したりせず、持て余しもせず、 |
| まったく素直に受け入れて、無防備に生きているからである。 |
| 危なっかしくて見ていられない、というのが |
| かわいさの本質である。 |
| 祈り |
| きょうはいい日だった、ほんとうにいい日だった・・・と |
| 心から思える一日はそうめったにあるものではない。 |
| そんな日にめぐりあえたら、 |
| 一日の終わりに外へ出て、空を見上げてみる。 |
| 無言でも、手を合わせなくても、心静かに何かに感謝したくなる・・・・・ |
| それを”祈り”という。 |
| 感謝 |
| 人生の終盤に来てぜひともやっておくべきことがある。 |
| 自分に感謝すること・・・・ |
| 自分をかわいがることなら誰もがするだろうが、 |
| 感謝しているか、となるとどうだろう。 |
| 幾多の難関や障壁を乗り越えてこの年まで生きてこれたということは |
| まさしく快挙である。 |
| 「おまえは大した奴だ」と言ってやっても |
| ウソにはならないと思う。 |
| 迷う |
| 続けようか、やめようかと迷っているのではありませんか。 |
| 続けた場合、やめた場合のあれこれを思案して決心がつかないのですね。 |
| それぞれの最高と最悪の場面を想像してごらんなさい。 |
| そして、「最高の場面」を比べてどちらを味わいたいか、 |
| それを判断の材料にしてみたらどうでしょう。 |
| 最悪の場面ばかり考えていると、決心は鈍るばかりです。 |
| 満足感 |
| 事を成し遂げた満足感は |
| 事を始めようとする期待感を凌駕するだろう。 |
| だが、満足感には「これで終わった」という空疎感もいっしょについてくる。 |
| だから、大きな仕事であればあるほど、過程を楽しみながらやる・・・・・・ |
| それが終わったあとのさびしさを軽減する唯一の有効な方法だ。 |
| 顔 |
| 思い通りにならないからといって、 |
| ふくれっ面をするのはおやめなさい。 |
| そんな顔をしてふてくされても、問題は何一つ解決しません。 |
| 解決を模索する人間の顔は、 |
| 朝の空気のように、凛として引き締まっているものです。 |
| ふくれっ面は、道化師が客のために見せる顔です。 |
| コップ |
| 人はだれも、 |
| 水のいっぱい入ったコップを持って生きている。 |
| 今にもこぼれそうになる水を、 |
| 必死になってこぼすまいとがんばって生きている。 |
| それでもときどきこぼれてしまう一滴の水が、様々なドラマを引き起こす。 |
| 他人とのちがいがあるとすれば、それはコップの大きさだけで、 |
| 例外はない。 |
| 見送る |
| 喜びは、人間を癒すことはあっても強くはしない。 |
| 最も深いところで人間を鍛えてくれるのは |
| 切ない別れの体験だ。 |
| 見送る・・・・ |
| 去っていくものを万感の思いをこめて見送った体験は |
| あたまとこころをバラバラにしたことだろう。 |
| そこから何とか立ち直ったとき、日常はそれ以前と何ら変わらなくても、 |
| 見送った相手の存在が、”別れる”とはどういうことかを鮮明に刻んでくれる・・・・・ |
| それを”強くなった”という。 |
| 単純 |
| 年をとると何ごとも単純がいい。 |
| わかりやすいのがいい。 |
| 人も道具も、複雑になればなるほど説明書が厚くなり、 |
| 厚い説明書はだれも読もうとしないだけでなく、手に取ろうともしなくなる。 |
| 「単純な人」という評価には、人間として軽いという意味もあるが、 |
| むずかしい年寄りはきらわれる。 |
| 夫婦 |
| 夫婦とは、 |
| 互いに刺激し合い、協力しあって、 |
| 忘れてはいけないことを守り通そうとする、 |
| 共同経営者のようなものである。 |
| どちらかが我を通し始めると、たちまち経営は傾く。 |
| 悩み |
| 来るものは拒まず、去るものは追わない・・・・・ |
| それができればすばらしい生き方だと思う。 |
| 来るものを必死で拒もうとし、去るものを力ずくでも止めようとする・・・・ |
| あなたの言う悩みは |
| つまるところ、それが原因なんじゃないかな。 |
| どうもそんな気がする。 |
| 個性 |
| ”自分らしさ”とは、 |
| 同じものをだれもが持っていそうだと思って探してみても、 |
| 結局自分以外、だれも持っていないと知ったときの驚きである。 |
| 探そうとしない者には、その存在は行方不明のままである。 |
| 子ども |
| 親は、愚痴をこぼしてもいい、夫婦ゲンカもあっていい。 |
| 生活のきびしさを見せつけてもいい。 |
| だが、子どもがかわいいと思えるときには |
| 力の限り抱きしめてあげなさい。 |
| それだけで、折れることなく伸びていこうとする・・・・ |
| それが”子ども”です。 |
| 分け合う |
| 「同じ釜の飯を食った仲・・・」と言う。 |
| 同じ釜の飯を食うとなぜ絆が深まるのかを考えてみたまえ。 |
| 同じ釜の飯でも、状況では奪い合ってケンカになることだってあるだろう。 |
| だが、そうはならなかったのは、 |
| 分け合ったからである。 |
| 命をつなぐ食料を互いに分け合って食べるという行為こそが、 |
| 「絆」とよばれるものの原型である。 |
| 転じて、食べ物だけでなく、記憶を分け合い、共有する関係も |
| 人は「絆」と言うようになった。 |
| 計画 |
| 人間は、愛だの恋だのと大騒ぎをするが、 |
| それらはつまるところ、人類が存続するという壮大な計画の一部なんだなぁ。 |
| だが、渦中にいる者たちは、そんなことだとは露ほども思っていない。 |
| これがすべてだと思い込んで情熱を注ぎ込む・・・・・・ |
| しかし、 |
| ”熱”が去ってしまうと、もう恋でも愛でもなくなってしまい、 |
| 「あれは何だったんだろう」と思うばかり・・・・・ |
| そして、そこからやっと本来の計画推進のための日常が始まるということだ。 |
| 音楽 |
| 音楽とは、 |
| 心に通う血液をサラサラにする成分を多量に含むサプリメントである。 |
| 服用しなくても生きていけるが、 |
| 粘り気の強い血液で満たされた心では、 |
| 空の青さも鮮やかな花の彩りも濁って見える。 |
| 喜び |
| 心配や不安や悩みがあるから、喜びや幸福感が生まれる。 |
| 心配や悩みもなしに、いきなりやってくる喜びはない。 |
| どんな些細な出来事も、必ずこの決まりに支配されていると言ってまちがいない。。 |
| いま、心配事があるなら、思うことだ。 |
| 「解決できない試練はやってこない」・・・・・ |
| そして、解決のために自分にできる最善を尽くせ。 |
| ”喜び”はほんの少し向こうで待っている。 |
| 渋さ |
| 人生、真ん中あたり・・・・・ |
| 脂が乗りきった齢と言われることがある。 |
| その時期を過ぎると、次第に脂がぬけ、枯れ始めていく。 |
| 枯れ始めると、通常脂のかわりに”渋さ”がでてくるものだが、 |
| 自己研鑽もせずに蓄えた脂は、ただ腹のまわりに溜まるだけで、 |
| 渋さにはならない。 |
| 渋さとはつまり存在感、豊富な経験や分別に裏打ちされた確固たる人格の重み・・・・ |
| 「最近渋くなったね」は、最高の賛辞である。 |
| 本心 |
| 「言葉がたりなかった」、「説明不足だった」・・・と釈明する人がいる。 |
| まあ、そういうことにしておこう。 |
| だが、多くの人は、「あれが本心なんだ」ととっくに見抜いている。 |
| 説明不足でも、真意はちゃんと伝わるんですよ。 |
| 心にもないことを言うのは、お世辞で済むが、 |
| 心にあることを言うのだから、どう言おうとそれが本心。 |
| 生き甲斐 |
| 生き甲斐とは、 |
| 夜、眠りにつくときに安心して目をつぶれる”安眠剤”である。 |
| これがないと、あれこれ要らぬことを考え出してなかなか眠れない。 |
| 明日も何かいいことがありそうだと思いながら眠りに就けるなら、 |
| 気づかなくても生き甲斐はちゃんと自分の中に座っている。 |
| ウツクシイということ |
| キレイな人にはよく出会うが、 |
| ウツクシイ人にはなかなかお目にかかれない。 |
| お金をかければウツクシイ人になれる、というのが定説のようだが、 |
| そうではないだろう。だまされてはいけない。 |
| ウツクシイ人になるためにお金は必要ない。 |
| ウツクシク輝いているものは外見ではないからだ。 |
| キレイな顔は、蒸しタオルで一拭きすると、原型にもどる。 |
| 成長 |
| 日に日に生長していく畑の野菜たちを見ていて想う・・・・・ |
| 生きることは伸びること、 |
| 地上の茎や葉の生長は、それと同じ長さの根が反対方向に伸びて支えている。 |
| 顧みて、人の成長も下に向かって伸びていくものがあるから叶う。 |
| 目に見えない”根”を成長させない人間が、 |
| 大きく育つことはありえない。 |
| 始まり |
| ”始まり”はすべて終わりのための始まりである。 |
| 終わりを予期しない始まりは、 |
| どんなに昂ぶろうと、どんなに派手に演出しようと |
| まだ何も始まってはいない。 |
| 10年 |
| 今日の今の自分の姿が、 |
| 10年前には想像もできなかったように、 |
| 10年後の自分を想像することはむずかしい。 |
| 10年生きてみれば、おのずとわかることなのだから |
| 今からあれこれ気をもむのは、よしたほうがよい。 |
| こうなっていればいいな、と夢見るだけにしておこう。 |
| 財産 |
| 子や孫たちに財産を残そうとする・・・・・ |
| 悪いことではない。 |
| だが、せっかく残した財産で、子孫が不幸な末路をたどった例は数知れない。 |
| 自然界で、そんなことをするのは人間だけで、 |
| 金や物を持たない他の生き物たちは、”生きる術”を伝え、残そうとする。 |
| 「親からもらったものは自力で生きていく術だ」と考える子どもに育てることが |
| 親が残してやれる何よりの財産なのだ、と |
| 金品や不動産を持たないおじさんは考える。 |
| 友 |
| 真の友とは、 |
| いちばん大変な時に、いちばん近くにいて、 |
| いちばん言ってほしいことを、 |
| いちばん最後に言う人間である。 |
| 一日 |
| 笑って終わった一日は、 |
| 近いうちにまた同じ一日をつれてやってくる。 |
| 中身 |
| 包装やかざりは不要です。 |
| あなたの中身そのものを見せてください。 |
| むき出しで構いません。 |
| わたしも、そうしようと思います。 |
| 自分をどんなもので包み、何で飾り、いかに見栄えをよくしようかと腐心した日々が、 |
| かつてありました。 |
| それがどれほど意味のない、無駄なものであったか・・・・・ |
| いまなら、わかります。 |
| 追憶 |
| かつてともに同じ時間を生きた・・・・ |
| そういう人なら無数にいるだろう。 |
| その中で、 |
| たとえ短くとも、その時間が今も輝きを失わない人だけが |
| 自分の中で生き続けていく。 |
| 健勝であれ! |
| いい時間 |
| いやなこともずいぶんあったはずなのに、 |
| なぜか、楽しかったことばかりが思い出される・・・・ |
| ということなら、それは |
| かけがえのない、いい時間を生きたのである。 |
| あとになって思い出せる「楽しかったこと」は、 |
| その時を懸命に生きなければ手に入らない。 |
| 二人合わせて0 |
| その昔、中学校ではじめて「負数(マイナス)」を教わったとき、 |
| 数学の先生が言ったのを覚えている。・・・・ |
| 「負数はまちがいなく存在するが目に見えない数だ。 |
| そうだな・・・君たちの将来の恋人みたいなもんだな。 |
| どこかにはいるが、姿が見えない・・・ |
| 1とー1は合わせると0になるだろう。二人合わせて0になるというのは |
| とても相性がいいんだ。合わせて0になる相手を見つけなさい。」・・・・・・・・ |
| ユニークな先生で、”二人合わせて0”という言葉がなぜか心に残った。 |
| 合わせると0になる相性のいい相手と結ばれると、 |
| どちらかに偏らず、確かにいつも0から始められる。 |
| 採用試験 |
| 8円で仕入れた物を9円で売った。その後、10円で買戻し、11円で売った。 |
| さて、もうけはいくらになったか・・・・・・ |
| 中国のある企業の採用試験に出された問題だそうだ。 |
| 自分なりに出した「1円のもうけ」という答えでは、「補欠採用」、 |
| 採用された人の答えは「2円の損」だった。 |
| さて、そのこころは・・・・? |
| 生涯 |
| たとえ何年の生涯でも、 |
| その中にはそれぞれの”春夏秋冬”がある。 |
| 年月の長短は問題ではない。 |
| ”冬”を迎えた者は、まちがいなく”春”も”夏”もくぐってきた。 |
| それなりに感動も喜びもちゃんと味わってきた・・・・・・ |
| そうは思わないか。 |
| 本質 |
| あれでよかったのだ・・・と何度も自分に言い聞かせる。 |
| しかし、そう思えば思うほど、あれではいけなかったのではないかと思えてくる・・・・・ |
| それが未練や後悔の本質だ。 |
| いいもいけないも、とにかくそうしてしまったのだから、 |
| もうどうしようもない・・・・・ |
| それも未練や後悔の本質だ。 |
| この悩ましい本質に翻弄されるのが、人間ということか。 |
| 命 |
| 去年、畑でトマトをつくったところに、 |
| 無数の小さなトマトの芽が出ていることに気づいた。 |
| 熟して落ちた実のタネが発芽したのだ。 |
| 「おおっ・・・・!」 思わず声をあげてしまった。 |
| 人間が食べるために種を植え、育てたのだと言いたいが、 |
| そんなことは彼らにはまったく関係のない話なのだろう。 |
| オレはトマトだからトマトとして芽を出し、生きる・・・その意思を主張するかのように |
| かつて父や母が生きた場所に小さな命を懸命につなごうとしている。・・・・・・ |
| 邪魔だからと、とても引き抜く気にはなれなかった。 |
| 関係 |
| 突きつめればどうだかわからないが、 |
| 何となく気が合う・・・・・ |
| それがいちばんいいのかもしれない。 |
| 長く続く関係は、 |
| 何となく気が合う関係である。 |
| 読む |
| 人の心はなかなか読めない。 |
| それでも何とか読もうとするのは、 |
| 彼(彼女)のこころが自分の行動を決めると思う時だ。 |
| そんな必要のないときは、 |
| 人が何を考えていようと、関係ない。 |
| 真の”自由”とは、おそらく後者の場合を言うのだろう。 |
| ドラマ |
| 一つでいい。 |
| あなただけの、とっておきの”ドラマ”をつくりなさい。 |
| そして、それを主役となって最後まで演じなさい。 |
| 観客なんていなくてもいい、だから拍手も望まない・・・・・ |
| 精いっぱい自分らしさを表現し、そのドラマを演じ終えたら、 |
| 静かに舞台をおりる、それだけです。 |
| 見えてくる |
| 田舎暮らしのいいところ? |
| そりゃあ、いろいろあるが、強いて言うなら、 |
| 街の暮らしとは何だったのかを客観的に見ることができることかな。 |
| 対極の地に立つと、ほんとうにいろいろ見えてくるんだなぁ・・・・・・ |
| 恥 |
| 恥をかきたくない? |
| 気持ちはわかるが、恥は若いうちにうんとかきなさい。 |
| 恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちをいやになるほど味わうことで、 |
| 知らないうちに人として大きく、かしこくなっていく。 |
| 恥多き人間ほど、味わいがあるもんだよ。 |
| 全力で向き合ったのにうまくいかなかったことなんて、 |
| 長い人生の中では何度となくあるものだ。 |
| 切ない |
| あの頃は満たされて幸せであった、という記憶は、 |
| 何年かたつと思い出そうとしてもぼんやりする。 |
| だが、 |
| あの頃味わった切ないという記憶は、 |
| 何年、何十年たった今でも、色あせることはない。 |
| 切ない・・・・・ |
| その時は世の無情を嘆いたのだろうが、時間がたつと何だかいとおしい記憶にかわっていく。 |
| 得体の知れぬ、手ごわい情感だとは思わないか。 |
| 勉強 |
| 学校で学んだことが直接大変役に立った、ということは稀だ。 |
| だが、学んだことがもとになって、知恵や工夫を産み出したということなら |
| ざらにあるだろう。 |
| 学校の勉強とはそういうものだ。 |
| 無意味と思われる数学の公式や、物理や化学、生物の基礎知識も、 |
| 身に付けておけばいつかかならず、自分を助けてくれる。 |
| てこの原理を知らなければ、石一個も動かせない。 |
| 割合の意味を知らなければ、安売りの広告も役に立たない。 |
| 光合成の意味を知っているから、森林浴の効果がわかる。 |
| 自立 |
| 自立する、というのは、 |
| 読んで字のごとく、自分で立つこと・・・・ |
| 喉から手が出るほど欲しくても |
| ”助け”や”甘え”などの寄りかかりに依存しない強固な意志を持つこと・・・・ |
| そして何よりも、 |
| 自分で立ったのだから、 |
| 自分で座りたいときに座れること・・・・ |
| 修行 |
| すべては一瞬であった。 |
| 遠く離れて見れば、自分の身に起きたさまざまな出来事も「九牛の一毛」・・・・ |
| おのれの過去を顧みて、そう思えるなら |
| それはもう立派な”悟り”ではないか。 |
| まちがいなく、懸命に生きるという修行を積んだ証しである。 |
| 気付く |
| 自分なら決してやらないと思えるヘマや失敗を |
| 平然とやってしまう人間をみるとなぜだか無性に腹が立つでしょう。 |
| 自分とはちがう人間なのだと思い知らされる瞬間です。 |
| 自慢 |
| 親として我が子に自慢できることは何か?・・・・・ |
| 長い時間をかけて懸命に子育てをしてきたのだから |
| 何かありそうなものだが、 |
| あらためてそう問われてみると全く自信がない。 |
| 強いて何か答えろと言われるなら、 |
| 子どもたちを社会人として一人前の人間に育てた、ということだろうか。 |
| あたりまえのことだが、ひょっとすると、 |
| それは大いに自慢してもいいことなのかも知れない。 |
| すごい |
| 旅の紀行番組に登場するレポーター・・・ |
| 見たもの、聞いたものに「すごい!」を連発する人がいる。 |
| たしかに「すごい」のだろうが、「すごい」はきわめて主観的な表現である。 |
| 「すごい」と言う前に何がどうすごいのか、その感動を |
| 「すごい」を使わずに自分の言葉で言い表す努力をしてほしいものだ。 |
| 「すごい」を一度も使わずに、感動を伝えてくれる人を見ると、 |
| 安心して見ていられる。 |
| 権威 |
| ”権威”のあるだれかの言葉や考えを引用して話すと、 |
| 何だか自分の格調が高くなった気がする・・・という心理は貧しい。 |
| 原理やしくみを説明するための引用なら仕方がないが、 |
| 自分の考えや気持ちを、自分の言葉で話せなくなったら |
| オ・シ・マ・イだ。 |
| 失敗 |
| 失敗ですか? |
| 我ながらあきれるほど何度も何度もしましたよ。 |
| その度にいろんな人に迷惑をかけてしまいました。 |
| 「失敗を恐れてはいけない」と言いますが、 |
| 失敗するのはやっぱり嫌なものです。 |
| でも、 |
| 失敗を恐れてもいいが、「失敗は絶対にしない」と誓うことだけは |
| やめておきなさい。 |
| それが大失敗の元です。 |
| 一生懸命やったのにうまくいかないことは |
| 明日も明後日もきっとあるでしょう。 |
| 修行 |
| 修行の第一歩はどんなときも”そうじ”から始まる。 |
| そうじが別に技を獲得するために有効だからではないだろう。 |
| 意味もないと思えることにどれほど耐えられるか、 |
| つまりはこれから続く修行の試練に耐えられるかどうかを |
| そうじをすることで試そうとしているのだ。 |
| あなどれない”そうじ”である。 |
| 実力 |
| チヤホヤされると自惚れる。 |
| 自惚れると、他を見下すようになる。 |
| そうなると周囲から「イヤなやつだ」といわれるようになる。・・・・ |
| 才能も美ぼうも、たいていこの順序で色あせていく。 |
| チヤホヤされても、それは実力ではないと自分に言い聞かせる者だけが、 |
| 前に向かって伸びていく。 |
| ちがい |
| 同性に対する興味と異性に対する興味のちがいですか? |
| 何と言えばよいか・・・・そうですね、例えると、 |
| テーブルの上に置かれたケーキとお店のガラスケースの中のケーキ・・・・・ |
| 感 |
| 山奥の畑の真ん中に、一人仕事の手を休めて座っている・・・・・・ |
| 周囲の山には残雪が白くかがやき、遠くには北アルプスの峰が雲の中に浮かぶ。 |
| あちこちから小鳥のさえずりが聞こえ、タンポポやカンゾウの新芽に包まれて、 |
| 空はどこまでも青く、木々の新緑がまぶしい。 |
| 谷から吹き上げてくる涼しい風に春のにおいが満ちている。 |
| 額ににじむ汗をふきながら感じている・・・・ |
| 生きている! |
| 無関心 |
| 無視されるのは構わない。 |
| 無視しようという誰かの意思が見えるからだ。 |
| 無関心はつらい。 |
| 自分にかかわろうとする一切の意志が見えないからだ。 |
| 自分とかかわろうとする意志が周囲から消えると |
| 人は無性にさびしくなる。 |
| まず一つ |
| 何とかしなければならない問題が、 |
| 眼前にいくつも立ちふさがる。 |
| そのあまりの多さに、そのあまりのわずらわしさに、気が滅入る。 |
| そんな時は、とにかくまず一つを全力で片付けることだ。 |
| 一つが視野から消えると、 |
| 不思議と残りが消えていく道筋が、見えてくる。 |
| なみだ |
| 人間は懐かしいものに出会ったときも涙が出るんですね。 |
| わけもわからず、ただ思わず目の奥が熱くなって・・・・・・ |
| そんなものにふれた日は、 |
| きっと魂が時空の中を喜んで飛び回っています。 |
| とびっきり幸せな時間だと思うことです。 |
| おまえらしくない |
| 「どうした?おまえらしくないぞ」と言って背中を押してくれる人がいるだろう。 |
| 「おまえらしくない」と言える人には、ふだんの自分がよくわかっている。 |
| もしかすると、自分の本質をいちばんよく理解してくれている人なのかも知れない。 |
| そう言ってくれる人に出会ったら |
| 迷わず頼りにしなさい。 |
| そしてあなたも、いつかどこかでだれかにそう言ってやれる人になれるといい。 |
| 体験 |
| 泣きながら笑うのもいい。 |
| 笑いながら泣くのもまたいい。 |
| 「泣く」と「笑う」・・・本来なら互いに相容れない二つの感情が同時に存在するとき、 |
| 心の中は、おそらく大変なことになっている。 |
| うれし泣き、泣き笑いは人間の感情の中で最も熱いもの・・・・・ |
| 体験できることは、まったく幸せなことである。 |
| 比べるもの |
| 老いは自分で感じることができる。 |
| だが、若さはそうはいかない。 |
| 比べるものを持つ者と、それを持たない者のちがいだ。 |
| 老いを知らない若者には、自分の若さが本当には理解できない。 |
| 弱いからこそ |
| 春になって雪どけを待っていたかのように、一番に可憐な花を咲かせる野草たちがある。 |
| 福寿草、カタクリ、イチゲ、エンゴサク、オウレン、ニリンソウ・・・たちは、 |
| うかうかしていると、あっという間に他の背丈の高い野草たちの中に埋もれて、 |
| 日光も満足に浴びることができなくなる。 |
| だから一足先に開花し、日光を浴びて種を残そうとする。 |
| 気まぐれに我々人間の目を楽しませてくれているわけではないとわかると、 |
| 思わず「がんばれよ!」と応援してやりたくなる。 |
| 弱いからこそ、強いものにはない智恵を働かせて |
| たくましく生きるすがたは、何よりも美しい。 |
| ゴメンナサイ |
| カブトガニを円盤代わりに投げて遊んで、ゴメンナサイ。 |
| 引き込み線の線路の上に五寸釘を置いて、潰して小刀をつくって、ゴメンナサイ。 |
| クズ鉄屋さんで拾った、錆びた日本刀(脇差)を振り回して遊んで、ゴメンナサイ。 |
| 父親のたばこを一本くすねて、遊び半分に吸って、ゴメンナサイ。 |
| 近所のおじいさんが丹精込めたトマトの青い実を全部取ってしまって、ゴメンナサイ。 |
| カエルにキセルのヤニを飲ませて面白がって、ゴメンナサイ。 |
| カンシャク玉(火薬)をボルトにはさみ、「手りゅう弾だ」と言って投げて遊んで、ゴメンナサイ。 |
| ネコとイヌの足を結んで、ケンカするのを楽しんで、ゴメンナサイ。・・・・・・・ |
| 子どものころの、そんないたずらのおかげで、何とかまともな大人になれました。 |
| 筋書き |
| 自分の人生の”筋書き”はこういうことになっていたのか・・・ |
| これから先はまだ不明だが、およその筋書きは見えてきた。 |
| なるほど、あの出来事がこの結果の原因であったのか、 |
| あの出会いや、あの時の選択がこの現状のきっかけだったのだ・・・・ |
| そううなずける事実が多くなるにつれて、 |
| ”人生”という言葉の意味が少しずつわかってくる。 |
| 仕事 |
| 生涯を通して |
| 歴史に名を残すような大きな仕事ができる人はごくわずかだろう。 |
| ほとんどの人は、そんなものとは無縁の、ごくありふれた仕事に汗を流す。 |
| 自分の仕事がだれかの役に立っているとか、 |
| だれかの暮らしを支えたりしているとか、 |
| ”ごくありふれた仕事”をしていると、そんな大げさなことは考えない。 |
| だが、もしもみんながその”ありふれた仕事”を一斉にやめると、 |
| たちまち大混乱になって立ち往生・・・・・・ |
| ”ごくありふれた仕事”とは、そういう仕事である。 |
| 評価 |
| 自分の存在を正当に評価してもらえる・・・ |
| 人が最も頑張れるのはそんなときだ。 |
| 隣の人と同じようにはできないが、隣の人にはできないことが君にはできる・・・・ |
| 箸(はし)とフォークを例にして、かつて私にそう話してくれた人がいた。 |
| そう言われると、何だかやる気がわいてきたものだ。 |
| 今でも感謝している。 |
| 言われてみれば当たり前のことでも、 |
| カベにぶつかったときに聞くと、涙がでるほどうれしいことがある。 |
| こどもの日 |
| 何十年も前の子どものころ、熱を出した日のことを覚えている人はいないだろう。 |
| だが、そのとき親はきっと心配して看病してくれた。 |
| 自分が親になってからも、同じことがあったはずだ。 |
| 見守り、育ててくれた親のことや、 |
| 我が子のすこやかな成長を願った遠い日のことを |
| 忘れずに思い出しなさい、というのが |
| おとなにとっての「こどもの日」である。 |
| 普通の人 |
| 年を重ねると人間が丸くなる・・・と言われます。 |
| 角張っていてはあちこちに引っかかり、歩きにくいからでしょう。 |
| 足腰も弱ってくるので、転ぶと大変です。 |
| 丸くなったぶん、角に凝縮されていた自分らしさが消えて、 |
| ”普通の人”になっていくのです。 |
| 人当たりが柔らかくなった、と言うのは |
| かつてはどんなに剛腕を鳴らした人でも |
| ただの”普通の人”になったと言っているのです。 |
| ”普通の人”で十分です。 |
| 働く |
| 「お金のためだ」と割り切ってやっている仕事でも、 |
| ほんの一瞬思いがけない輝きを見ることがある。 |
| 単純で、単調で退屈な日々に、 |
| わずかに彩りがつく。 |
| その彩りのおかげで、もう少しがんばってみようと思える。 |
| 働くとはそういうことなのかな・・・・・ |
| 人生最良の時 |
| あれがわが人生最良の時だった・・・・・ |
| そんな時間もなしにただ老いていくのはさびしいではないか。 |
| 大輪ではなくとも、あの時精いっぱいの花を咲かせたという記憶があるから |
| 人は生きていける。 |
| そう思うことにしている。 |
| 切れる |
| あの人は切れる人だ、という評価には、 |
| 優れた能力をもった人だ、ということのほかに、 |
| 切れるがゆえに下手に近づくとけがをする、という意味が含まれています。 |
| 懸命になって身につけ、磨こうとしているものがあっても |
| それは何かを”切る”ためのものであってはなりません。 |
| ”できる人”にはなっても、 |
| ”切れる人”にはならないほうが無難です。 |
| 音 |
| 木々が芽吹くときには、はじけるようなかすかな音がしているはずだ。 |
| だから、裸木だった木々が新緑の装いに身を包むとき、 |
| 山中に芽吹きの音があふれ返る。 |
| 自然から離れてしまった我々には聞こえないが |
| 鳥たちはその音を聞いている。 |
| 鳥たちのあの喜びようは、きっとそうだ。 |
| 似てはいても |
| 恋に落ちるとは言っても、愛に落ちるとは言いません。 |
| 恋は穴に落ちるように瞬時に成り立つものですが、 |
| 愛には時間がかかるということでしょう。 |
| 恋は落ちるもので、愛は育てるもの・・・・ |
| I Love Youの和訳が入ってくるまで、わが国には |
| 「愛しています」という告白はなかったのです。 |
| 「あなたが好きです」・・・・それで十分でした。 |
| いきなり「愛しています」はウソっぽいし、きっかけは「好きです」・・・ |
| それが本当だと思います。 |
| 似てはいても、恋と愛はまったく別のものなのですから。 |
| 幸せ |
| 身近なところに幸せをつくれない者に、 |
| 夢のような大きな幸せがつくれるはずがない。 |
| 幸せの本体は、 |
| 常に自分の手の届くところにしか在りえない。 |
| 答え |
| 「そこに山があるから・・・・」 |
| なぜエベレストに何度も命がけの登山をするのか、と問われて、 |
| 登山家ジョージ・マロリーが答えた言葉だとされる。 |
| 名言だと言われるが、 |
| 山を知らない記者の質問に適当にそう答えたという説もある。 |
| 考えてみれば愚かな質問である。 |
| なぜそんなことに熱中するのか、と問われても |
| 本人にも言葉にできる確かな答えが見当たらないときもある。 |
| 笑顔 |
| 俳優やモデルは笑顔をつくる訓練をするという。 |
| 演技では許せても、 |
| 日常でそれを見せられるのはあまり心地よくない。 |
| 幼子が見せる笑顔にだれもが心和むのは、 |
| それが演技ではないからだ。 |
| 自然に笑顔になれる瞬間が |
| ”充実”の最も鮮明な証しである。 |
| 使い捨て |
| 使い捨ては美徳だ、と言われた時代があった。 |
| そんなに遠い昔ではない、ほんの少し前のこと・・・・ |
| 繁栄、文化的な生活、豊かさとして何気なく今みんなが手にしているものは、 |
| 国民が総がかりで使い捨てに励んだ結果である。 |
| 使い捨てができるのは、 |
| 捨てても次がすぐ手に入るとだれもが信じて疑わないからだが、 |
| その結果、 |
| いつの間にか人間も使い捨てられるものの一部になっていた。 |
| 使い捨ての風潮は、人間を例外とはしなかったということだ。。 |
| 処方箋 |
| ずいぶんと汚れてしまいました。 |
| 生きていくために仕方がなかったこともあります。 |
| 望んだわけではないのに、醜い光景を目にし過ぎたこともあるでしょう。 |
| 人の心やものごとには”裏”がある、と知りすぎたせいかもしれません。 |
| 純真無垢な幼児のように・・・というのは無理でしょうが、 |
| せめて落とせる汚れがあるなら、 |
| 少しでもきれいに、さっぱりしておきたいものです。そのために、 |
| 美しいものをできるだけたくさん見る・・・・・・ |
| それが目下の処方箋です。 |
| 働く |
| 働く目的の第一は、 |
| それで生計を立てること、 |
| では、第二は? |
| 難問である。 |
| 真面目 |
| おもしろくない、硬いなどという理由で、 |
| 世の中には真面目であることを揶揄(やゆ)する風潮があるようだが、 |
| とんでもない思い違いだ。 |
| だれもみな、いつか人生を振り返る時が来るだろう。 |
| そのときに、「おれは真面目に生きてきた」と思えることが |
| どれだけ満たされ、幸せであることか想像してみるとよい。 |
| 真面目で誠実であるということは、 |
| 美しい生き方である。 |
| 早いうちに |
| やりたいことがあるなら、多少の出費や犠牲を払ってでも |
| 早いうちにやっておきなさい。 |
| 「そのうちに・・・」と思っている間に、 |
| いつの間にかやれる時期は遠ざかってしまう。 |
| 「思い立ったが吉日」というのは、そのことを意味しているのだろう。 |
| やりたくて先延ばしにしてもよいのは、 |
| 自分の人生を振り返ることくらいだと心得なさい。 |
| 条件 |
| 輪郭だけは見えていても、登ろうとしない者に、山は見えていない。 |
| かべにぶつかったと言いつつ、突き破ろうとしない者に、かべはない。 |
| 成長したいと願っても、挑まない者に、進歩はない。 |
| やさしい人間になりたいと思っても、哀しみを背負わない者に、他人の涙は見えない。 |
| 見せる |
| 若く”見せる”ための栄養食品や装飾品が巷に広がって、 |
| 結構な需要があるという。 |
| 気持ちは理解できるし、そう願うことは悪いことではないだろう。 |
| ただ、 |
| そうやって若く”見せて”いても、いずれだれかに見破られる。 |
| しかも、度を越した若返りは、見破った側の人間に失笑を超えて、 |
| ある種の「無残さ」を感じさせてしまうことを忘れてはならない。 |
| 上司 |
| 肩書があるから尊敬されたり、慕われたりするのではない。 |
| あるとしたら、それは単なる仕事上の”社交辞令”であろう。 |
| 魅力的な上司になりたければ、ポイントはただ一つ、「人がら」である。 |
| 時には厳しい叱責も必要だろう。 |
| だが、その中に「思いやり」が見えれば叱られたことは苦にはならない。 |
| では「人がら」はどうすれば育つのか・・・・・ |
| 人の心を思いやる想像力を磨くしかない。 |
| 裸足 |
| 人間が自然に対して傲慢になったのは、 |
| 裸足で大地の上を歩かなくなったからだと思うよ。 |
| 靴や履物の発明は、人間の行動様式を変え、活動範囲を広げたかわりに、 |
| 自然への畏敬を失わせてしまったんだな。 |
| 海水浴でだれもが童心に返れるのは裸足になって、 |
| 素足で大地を踏んでいるおかげだろう。 |
| ためしに森の中を裸足で歩いてみるがいい。 |
| 一歩も進まぬうちに、たちまち動けなくなるだろう。 |
| 望 |
| 悲しみよりも哀しみが見える人でありたい。 |
| 隠された哀しみを見逃さない人でありたい。 |
| 哀しみは乗り越えるものではなく、 |
| 背負っていくものだと自分に言い聞かせる人でありたい。 |
| 縁 |
| あなたとは何か”縁”があったのでしょう。 |
| そうでなければ、星の数ほどいる人間のなかで、 |
| こうしてあなたとつながっているはずがありません。 |
| 顔を知り、名前をおぼえ、言葉を交わし、今頃どうしているだろう、と思い、 |
| 健康を祈ったり、多幸を願ったり、再会を楽しみにしたり・・・・・ |
| 生涯にそう多くはない、大切な人として、 |
| あなたのことはいつまでも忘れません。 |
| 勝つ |
| やさしい闘いに勝つよりも、 |
| きびしい闘いに負けるほうが、人間、強くなれる。 |
| 負けてもいい。負ければ何かがつかめる。 |
| 今日 |
| きのうと同じように今日がはじまる。 |
| きのうとはほんの少しちがう出来事があらわれ、 |
| きのうとはほんの少しちがう人に出会い、 |
| そしてきのうと同じように、今日が終わる・・・・・ |
| きのうとよく似てはいても、 |
| 二度とはやってこない今日という一日は、充実していただろうか。 |
| いい日 |
| いつかいい日がくる・・・・ |
| そうだと思います。 |
| 何とか折り合いをつけて何とかもうしばらく耐えてみることです。 |
| いい日がきたときに、 |
| 自分をほめてやれるように・・・・ |
| 覚悟 |
| あり余るほどの物に囲まれ、 |
| 好きなものがどこへ行っても腹いっぱい食べられる暮らしの中にいる・・・・・・・ |
| ちょっと手を入れればまだ使える物を惜しげもなくゴミにし、 |
| 中身より高価な包装を当然だと思い、 |
| 曲がった野菜や見栄えのよくない果物を敬遠し、 |
| 流行おくれのものを着たり、持ったりしていると「ダサい」と揶揄する・・・・ |
| 今はこんな時代だ、とだれも信じて疑わない・・・・・ |
| 赤信号もたしかにみんなで渡ればこわくないだろうが、 |
| 赤信号を渡ったツケはいずれ思い知るときがきっとくる、と |
| 覚悟だけはしておいたほうがよい。 |
| 割り切る |
| あきらめてしまったのではありません。 |
| 割り切っているのです。 |
| あきらめたと思うとさびしいでしょう。 |
| だから割り切って、下を向かず顔をあげているだけなのです。 |
| あきらめたのではなく、割り切る・・・・・ |
| その境地にたどりつくには思いのほか時間がかかります。 |
| 春の花 |
| 若い日、わけもなく目立ちたかった。 |
| 自分はここにいる、だれか見てくれ・・という叫びの姿であった気がする。 |
| おろかな行為も多々あったのだが、 |
| 今思うと、あれは”春に咲く花”だったんだな・・・ |
| 春の花は、居並ぶほかの花たちに負けないよう、 |
| 懸命に自分の存在を主張しなければならないのだ。 |
| 若者が目立とうとすることは悪いことではない・・・と |
| すなおに思えるようになった。 |
| 熱 |
| おじさんたちが学生時代、全国の大学は学園紛争の真っただ中にあった。 |
| 私のいた学校でも毎日、キャンパスの中でセクト間のゲバ棒闘争があり、 |
| 頭から血を流しながら建物の中を逃げまわる学生がたくさんいた。 |
| すべての授業はボイコット、授業をするという教授を取り囲み、談判もした。 |
| 学生会館はバリケードで封鎖され、まるで砦のようであった。 |
| 機動隊が来ると言うので、校門に座り込んでピケをはったこともある。 |
| ことの善し悪しは別にして、 |
| 今から思えば信じられないようなエネルギーであった・・・・・・ |
| 同質ではなくとも同量のエネルギーを今の若者たちも持っているはずなのだが、 |
| ぶつけたり、吐き出したりする場はちゃんとあるだろうか。 |
| 熱いうちに形にしなければ、やがて熱は冷め、燃えていたことも忘れていく。 |
| 学んだこと |
| 戦後まもなく生まれたおじさんたち世代は、 |
| 物がない時代に子どもであった・・・・ |
| みんな平等に無いのだから、持たないことを恥ずかしいと思う気持ちはないし、 |
| 食べ物も着るものもおもちゃも粗末であったが、苦にはならなかった。 |
| どんなあぶない遊びをしようと、先生も親も今のようには叱らなかった。 |
| 兵隊帰りの男の先生たちにはよくビンタをもらったが、 |
| 先生を恨んだことはない。 |
| 物はなかったが、空隙をうめる熱いものが満ち溢れていた。 |
| 物がなければかわりに何かがある・・・・ |
| おじさんたちが身をもって学んだことである。 |
| 物があるということ |
| ヒマラヤの山岳地帯で暮らす子どもたちに竹とんぼをプレゼントしたある人が話していた。 |
| ・・・・・・「10年も前に渡したあの竹とんぼを、今でも大切に使っているんです。 |
| おもちゃなど持たない彼らが不幸せだなどと思う気持ちを恥ずかしく思いました」・・・・・ |
| 10年前のおもちゃを今も大切に使っている子どもがこの国にはいるだろうか。 |
| あふれるほど物があるということの意味を考えさせられる、いい話ではないか。 |
| なごり雪 |
| 三月も終わりだと言うのに、雪が舞っている。 |
| もう以前のような力はない。 |
| 降っても積もることはないし、うっすらと積もってもすぐにとける雪だ。 |
| 巷では桜が満開だとか・・・・ |
| そんなこと、オレの知ったことか、と言わんばかりに、 |
| 山里に下りてきた雪は、雪であり続けようとする。 |
| なごり雪・・・ |
| だれが名づけたのだろう。 |
| 自分の舞台のおわりを予感しているかのように舞う雪に |
| 「うんざりだ」などとは言わず、もうしばらくつきあうことにしよう。 |
| 理解 |
| 男は、 |
| なぐさめられたり、同情されたりすると、 |
| 逆に傷つく厄介な生き物です。 |
| 途方に暮れる難局の真っただ中にいても、どんなに落ち込んでいても、 |
| ”助けてほしい”の一言がなかなか言えない生き物です。 |
| そのことさえ理解していれば、 |
| かけてやる言葉はおのずと決まるでしょう。 |
| おしゃべり |
| 女はおしゃべりによって自分の社会をつくる。 |
| 男のおしゃべりは、相手との間合いをはかる手段にすぎない。 |
| 互いのまねをしようとすると、何だか落ち着かない。 |
| 土 |
| 幼稚園の先生から興味深い話を聞いたことがある。 |
| 長い間砂場で砂遊びをしたり、土遊びをしたりすることができないと、 |
| イライラしたり、かんしゃくを起こしたりする子が増えるというのだ。 |
| 存分に土遊びをさせると、みんな落ち着くという。 |
| なぜだろう・・・・ |
| この事実が教えてくれることを、大人たちは忘れかけている気がする。 |
| 願い |
| 今も自分のことを忘れないでいてくれる人がいる。 |
| 全力を注いで自分のことを忘れないでいてくれる人をつくりなさい。 |
| そのためだけに人と出会いなさい。 |
| そのためだけに人と別れなさい。 |
| 帰る |
| 手ぶらでこの世に来たのだから、 |
| 帰る時も手ぶらで帰る・・・・・ |
| そういうことなんじゃないかな。 |
| 親は海になれ |
| ・・・・親が子にどうしてもしてやらなきゃならねぇことがある。 |
| それはな、子どもにさびしい思いをさせねぇことだ。 |
| ”さびしさ”てのは、チラチラ降る雪みてえに少しずつ心の底に積もってよ、 |
| そのうちにガチガチに凍っちまう。 |
| 親は海になってやれ。親は海でなくちゃならねぇ。 |
| 海には雪は積もらねえからよ・・・・・・・ |
| テレビドラマ「とんび」より |
| 感動 |
| 1月、2月、向こうの景色が見えないほどの雪の壁・・・ |
| 降った雪に除雪で飛ばした雪が重なり、軽く3メートルはあるだろう。 |
| ここにきてものすごい勢いで雪解けが進んでいる。 |
| 天は、自分のやったことは自分でちゃんと後始末をするんだな・・・・・ |
| これだけの雪を人間が融かそうとすると半端な労力と費用ではない。 |
| まったく大したものだと思う。 |
| 恐るべき自然の力・・・まさにこれを感動と呼ぶのだろう。 |
| 毎日すばらしい光景を見ている。 |
| はったい粉 |
| 遠いむかし、田舎の祖母が石うすで炒ったオオムギをひき、 |
| それに砂糖とお湯を入れてかき混ぜたおやつを作ってくれた。 |
| ”はったい粉”と呼んでいた・・・・ |
| 祖母といっしょに石うすを回しながら、どんな話をしたのか記憶はもうない。 |
| だが、あのはったい粉の甘い香りと味は、祖母の顔とともに今でも鮮明によみがえる。 |
| ”はったい粉”は、ただのオオムギの粉を使った食べ物ではなく、 |
| 祖母の人生そのものであったのだろう、と今思う。 |
| 祖父 |
| 中国山地の山奥で暮らしていた祖父は、農業のかたわら、鉄砲で猟をしていた。 |
| 囲炉裏の火で溶かした鉛を仁丹の大きさの穴の開いた容器に流し込み、 |
| それを取り出し、薬きょうに火薬といっしょに入れて散弾の弾を作っていた。 |
| 幼いころ、その作業がおもしろくて、囲炉裏端で食い入るように見ていたものだ。 |
| その弾でイノシシやウサギを仕留めた武勇談を |
| 祖父の膝の上にすわり聞くのも楽しみだった。 |
| 若いころ、どんな人生を送ったのか、くわしく聞く前に祖父は逝ってしまった。 |
| 我が家の囲炉裏の火を見ていると、あの頃 |
| キセルでたばこを吸いながら胸躍る話をしてくれた祖父が無性に懐かしくなる。 |
| 田舎暮らしにあこがれたのは、きっとあの頃の祖父の影響にちがいない。 |
| 信仰 |
| 家を建てるとき、「地鎮祭」なる儀式を行う人がいる。 |
| かねてより興味深い儀式だと思っていた。 |
| その土地にいる神に、土地を貸してもらう許しを得る儀式だそうだ。 |
| この土地に神がいる・・・・ |
| 名前も由来も知らないが、見えない神の存在を身近に感じるときではなかろうか。 |
| ふだん、神への信仰などない人も |
| 古来より続く土着信仰をまぎれもなく体験しているのだが、 |
| 本人たちはあまりそのことに気づかない。 |
| 恵まれる |
| 自分は恵まれているのか、そうでないのか・・・ |
| 知りたければ方法は一つ・・・ |
| そんな問いが出てくる時なら、 |
| 十分に恵まれている。 |
| 災難の真っただ中にいる時に、そんなことは考えない。 |
| 思う存分 |
| どんな暮らしをしていても、 |
| 大地にしっかり足をつけ、胸をはって生きているなら言うことはありません。 |
| フワフワと水に浮く浮草のような頼りない暮らしでなければ |
| 立派ではありませんか。 |
| 他人に迷惑をかけず、小さくても自分の幸せを守っているなら |
| 最高です。 |
| いろんな人がいろんな生き方をしてもいいように、 |
| 大地はこんなにも広くできています。 |
| 思う存分に生きてごらんなさい。 |
| 何か |
| 人をうならせる才もない。 |
| 何でもこなせる器用さも持ち合わせていない。 |
| これといった特技にも恵まれない・・・・・ |
| だが、 |
| そんなものを持つ人たちにはない”何か”を |
| あなたは持っている。 |
| それは、ほかの人たちから見ると |
| うらやましくてしかたのないものだ。 |
| 大したもんだと思うよ。 |
| 世の中、不公平にはできていないということだ。 |
| 花粉症 |
| 真偽のほどは定かではないが、 |
| 森や林から生まれる水には、多くの花粉がとけこんでいて、 |
| それを長年飲んでいる人は、花粉症にかかりにくいと聞いたことがある。 |
| なるほど、 |
| 時期になれば、全山が黄色にそまるほどの花粉の中で生活しているのだが、 |
| 集落や近隣の集落で、花粉症に悩んでいるという人の話を聞かない。 |
| 水はいのち・・・というのはそういうことかもしれない。 |
| 雪どけ |
| 春めいてきて、雪どけが一気に進み始めた。 |
| 毎日雪かきに追われ、体のあちこちが筋肉痛に襲われる日々からようやく解放される。 |
| だがここにきて、ある感覚が芽生えている。 |
| 「やれやれ」という気持ちと、「もう終わりか」という気持ちが同居するという不思議な感覚・・・・ |
| やっかいだと思っていた雪に、名残惜しさを感じるのは私だけであろうか。 |
| 帰っていく孫たちを見送る祖父母の寂しさに似た思いで、 |
| 水に戻っていく雪たちを見ている。 |
| 伝 |
| 人生、この先何が起きるかわからない。 |
| くよくよ考えてもしかたがないのだから、 |
| 今を懸命に精一杯生きなさい。 |
| 人生は、思っているよりも短いぞ。 |
| 旅 |
| 「人生は旅である」という。 |
| その意味は、 |
| 「人生は旅行である」と比べてみるとよくわかる。 |
| 旅行ではなく、旅・・・・・・・・ |
| 旅なのだから、いずれ終わるのだが、 |
| 旅のおわりに、その旅を振り返り、一体何を思い出すのだろうか。 |
| このごろ、それがとても大事なことのように思える。 |
| 回転寿司 |
| 回転寿司屋なのに、まわってくる皿が少なく、注文しないと食べられない店がある。 |
| 好きな寿司を目で見ながら選べることが”売り”であったはず・・・・・・ |
| 忙しくて対応できないと言うなら、 |
| たとえば、定期的にオーダーストップの時間帯を設け、 |
| その間に回転する寿司を十分に準備する・・・・ |
| おいしい寿司が食べられるなら、客はそのくらいは待ってくれるだろう。 |
| それはむずかしいと言うなら、 |
| 回転寿司の看板をおろし、「注文寿司」と店名を変えたほうがよい。 |
| 劇的 |
| 東北のある雪深い山里に暮らす人が話していた。 |
| 「この雪があるから、春がほんとうに嬉しいんです。」・・・・・ |
| まったく同感である。 |
| 劇的な季節の変化を体験しながら暮らしていると、 |
| 次の季節を待つ気持ちが次第に純化されていくようだ。 |
| いつの間にか春・・・いつの間にか冬・・・ |
| それも悪くはないが、 |
| 何だか損をしている気がする。 |
| 満足 |
| 与えられたもので満足できない習性は、 |
| 与える喜びを持つことを許さない。 |
| このごろ・・・ |
| 健康診断結果のCやD評価も、目の色を変えずに受けとめられるようになる。 |
| バスや電車に乗って「シルバーシート」が気になりだす。 |
| 揚げ物やステーキが縁遠くなり出す。 |
| 高齢者割引が適応されると聞いて「えっ!」と驚くようになる。 |
| 自分の年齢が時々定かでなくなる。 |
| 財布は忘れても、老眼鏡だけは忘れずにポケットに入れるようになる。 |
| 大抵のことは「まあしかたがないか・・・」でカタが付くようになる。 |
| これまで見向きもしなかった小さな「命」が妙にいとおしくなる。 |
| 「齢だねぇ・・・」などとは、冗談でも言わなくなる。 |
| 階段とエスカレーターが並んでいれば、迷うことなくエスカレーターを選ぶようになる。 |
| 生きているのではなく、生かされていると素直に思えるようになる・・・・・・ |
| このごろ?・・・まあ、そういうことだな。 |
| 天賦の才 |
| 人には持って生まれた”特性”がある。 |
| 他人とはちがう能力やものの見方、感じ方である。 |
| ある分野や領域でそれが発揮されると”才能”と呼ばれるものになる。 |
| 自分にはない才能を持っている人を見ると羨ましくなるが、 |
| それは仕方がない。 |
| 一人ひとりみんなちがうから”特性”なのであって、 |
| 私には私の、君には君だけの”特性”がある。 |
| それを磨いて”才能”に進化させたかどうかが違うだけだ。 |
| 天賦の才は、 |
| 一人の洩れもなく、万人に与えられている。 |
| 例外はない。 |
| 習得 |
| 転んで起き上がる術は、 |
| 歩き始めた幼いころに、すでに習得しているではないか。 |
| おとなになったからといって、 |
| 起き上がり方が変わるわけではない。 |
| 昔は君もちゃんと自分で起き上がっていた・・・・・・ |
| 足跡 |
| 朝起きて外を見てみると、 |
| 家のまわりの雪上にたくさんの動物たちの足跡が残されている。 |
| 夜のうちに我が家の近くにやってきて、 |
| エサとなるものをさがしたのだろう。 |
| もちろんそんなものはなく、足跡は森の奥へと続き、消えていく。 |
| ひもじいのだろうな・・・ |
| 心なしか、去っていく足跡がさびしく感じられる。 |
| 雪解けを誰よりも待っているのは、まちがいなく彼らである。 |
| 幸運 |
| 気がつかないだけだが、 |
| 不運に遭遇した数だけ、 |
| 実は”幸運”にも出会っている。 |
| 不運の方が多いと感じるなら、 |
| 幸運はこれからやってくるはずだ。 |
| つりあいはとれているものだ。 |
| 田舎 |
| 都市に暮らすメリットは、田舎では望めない。 |
| 逆も成り立つ。 |
| 都市に暮らすデメリットは、田舎にはない。 |
| 逆も成り立つ。 |
| 都市と田舎を隔てるものは、 |
| 不要だからと多くの人が切り捨てるものと |
| それを捨てずに大事にしている人々の |
| 暮らし方の違いだけである。 |
| 静かに |
| 激しく動くものは、華やかで威勢がよいが、 |
| やがて周囲にぶつかり、傷つける。 |
| 人を納得させ、その気にさせるものは、 |
| 静かに動くものである。 |
| 悲鳴 |
| どんなにつらくとも、どんなに苦しくても |
| 悲鳴だけは決してあげまい。 |
| 歯を食いしばってでも耐えて見せよう。 |
| 悲鳴をあげても荷は軽くはならないし、 |
| それを待っている敵を喜ばせるだけだ。 |
| 口から出そうになる悲鳴を闘志に変えて |
| 死に物狂いで立ち向かえ。 |
| 住む |
| こころ穏やかに暮らしたければ、 |
| 山や海、川が見えるところに住むことだ。 |
| すべてが見えるところなら最適だが、それはむずかしいだろうから、 |
| どれか一つでもいい。 |
| 要は、四季の移り変わりを感じながら暮らすこと・・・・・ |
| 山も海も川も見えないところに長居は無用だ。 |
| 最前線 |
| 現場の最前線にいない者は多くを語ってはならない。 |
| 「現場にいないからこそ、わかることがある」などと、 |
| たわけたことは言わないことだ。 |
| 現場にいないのに、現場監督を名乗る者は、 |
| どんな肩書を持とうが、脇役である。 |
| 脇役は主役を引き立てるのが務めであり、 |
| まちがっても主役の真似をしてはならない。 |
| 心残り |
| だれにも大きな”心残り”の一つや二つはあるだろう。 |
| ああしておけばよかった、あんなことをしなければよかった・・・・ |
| 何年たっても、いやそれどころか年を追うごとに |
| その思いが心の奥でコロコロと転がり出す。 |
| 思い出せば切なく、つらいこともあるが、 |
| 自分の人生に太い輪郭線を刻んでくれたのだと考えて |
| 背負っていくしかない。 |
| 消せるすべがまだあるなら、さいわいだと思って |
| なるべく早くやっておくことだ。 |
| がんばる |
| 人は、ほめてもらいたい人のためだけに |
| 真にがんばれる。 |
| 「自分のために・・・」なんて、 |
| ありそうだが、ありえない。 |
| 魂 |
| うしろを振り返り、別れの手をふった回数だけ、 |
| 人間はやさしくなれる。 |
| 百人との出会いよりも、一人との別れ・・・・・ |
| 切ない別れを経験して、柔かくならない魂(たましい)はない。 |
| 悪口 |
| たとえ気を許せる相手の前でも、他人の悪口は決して言わない・・・・・ |
| それを生涯通して守れたら、すばらしい。 |
| 一つだれかの悪口を言うたびに、自分の品格が音をたてて崩れていく。 |
| その恐ろしさにも気づかず、悪口を言う人は、 |
| きっとどこかで自分が悪口の材料にされていることにも気づいていない。。 |
| 優劣 |
| 我が家には、ゼンマイ式の柱時計と、 |
| ソーラー式の電波時計が同居している。 |
| 片や2,3分の誤差など意に介さず、のんびりと時刻を知らせ、 |
| 片や数秒の狂いもなく、正確無比に時を刻む。 |
| 顔も違えば性格や能力も異なるが、 |
| 「時を刻む」という目的のために、それぞれの個性を生かして存分に働いている。 |
| 優劣? |
| そんなものをつけようと思うから、 |
| 懸命に働く古いものが”不用品・ごみ”になる。 |
| すてきなこと |
| 人を好きになれるって、すてきなことです。 |
| 縁もゆかりもなかった人が、 |
| 自分の中に住みつくようになるんですから・・・・・ |
| こんな不可解で、心地よい同居者は、 |
| 人を好きにならないと近寄ってきません。 |
| こんな日 |
| こんな日がくるとは夢にも思わなかった・・・・ |
| そんなうれしい日がやってきたあなたに一言、 |
| よかったね、 |
| ずいぶん前にこんな花が咲く”たね”を、あなたはまいておいた。 |
| あなたが忘れていただけで、花はちゃんと覚えていた・・・ |
| あなたがたねをまかなかったら、こんな日はこなかっただろう。 |
| まいた”たね”に感謝して、”こんな日”を大事にしてください。 |
| 親孝行 |
| 親に迷惑をかけないことが、 |
| 親孝行だなんて考えないことだ。 |
| 迷惑だろうが心配だろうが、かければいい。 |
| それで腹を立てる親などいない。 |
| 我が子のために何かをしてやりたい・・・そう思うのが親だ。 |
| いくつになっても、どんなに離れていようと、 |
| 親は親であり、子はいつまでも子である。 |
| 役目 |
| 親の役目は、我が子が生きていく環境を整えてやること、 |
| その中でどういう生き方を選ぶかは、子どもの役目・・・・ |
| 分かってはいても、これがなかなかむずかしい。 |
| ”環境”は整えるものであって、押し付けるものではない、という鉄則を |
| ついつい忘れてしまいがちだからだ。 |
| そんなときの方策は一つ、 |
| 自分の生い立ちを考えてみることだ。 |
| 後悔しているのか、満足しているのか、納得しているのか、 |
| 答えはそこに必ずある。 |
| 変節 |
| 他人に「こうしろ!」と求めたのだから、 |
| 自分もそうする・・・・ |
| それが”けじめ”というものだろう。 |
| 前言を自分の都合でひっくりかえす変節こそ、 |
| 最も卑怯な生き方だと思って生きてきた。 |
| 「時間がたてば人は変わるものだ」と言い訳する者を |
| 友にしたくはない。 |
| 脱皮 |
| 自分を変えたい? |
| そうですか・・・・役に立つかどうかわかりませんが、 |
| 経験から得た教訓を一つ・・・・ |
| 何かを思い切って捨てることです。 |
| それも、これまでは大事なものだと信じていたものを、です。 |
| 人間だって”脱皮”しないと成長できません。 |
| 捨てる・・・とにかく思い切って捨てることです。 |
| 無知 |
| 無邪気な幼児をだれも無知とは言わないだろう。 |
| 「無知」とは |
| まったく何も知らないことを言うのではない。 |
| 知ってはいるが本来の意味とは違うものをほんものだと思い込み、 |
| それを振りかざすときに用いる。 |
| 「無知」にあつかましさが付加されると、 |
| 「厚顔無恥」となる。 |
| 春を待つ |
| 何メートルも積もった雪を見ていて思います。 |
| この雪の下で、あれほどたくさん生きていた野草たちは |
| 今どうしているんだろう・・・・・・ |
| 光も届かず、冷たい雪の下で何を考えているんだろう・・・・・・ |
| 春を待つ気持ちは、きっと |
| 我々人間以上なんでしょうね。 |
| 眼力 |
| どこから来たか、など問題ではない。 |
| どんな人間か、も問題ではない。 |
| 問題は、 |
| 何ができる人間か、である。 |
| 「人を見る」とはそういうことであり、 |
| 「人を見る目」とは、 |
| それが見抜ける眼力のことを言う。 |
| 大切な人 |
| いつも見守ってくれている大切な人は、 |
| まっ先に自分に駆け寄ってくる人ではない。 |
| 少し離れたところからやさしいまなざしを注いでくれる人・・・・ |
| 大切な人は目立たない。 |
| 行方不明 |
| 時計が刻む時間だって普遍的なものじゃないと言うではないか。 |
| 永遠に不変なものなどありゃしないということ・・・ |
| だからこそ、 |
| 今目の前にあるもの、手の中に感じられるそのぬくもりを |
| 愛おしいと思える時間をつくりなさい。 |
| 全力を傾けてやらないと、 |
| あっという間にどこかへ行って、行方不明になる。 |
| 向き合って |
| 何か一つくらい、 |
| ”夢”に向き合って挑んでみたことはあるだろうか。 |
| それとも |
| なりゆきのまま、流れに乗って生きてきただけだろうか。 |
| 夢に向き合って挑むということは、 |
| 流れから自分の意志で離脱することである。 |
| 簡単なことではない。だが、やってみる価値はあるだろう。 |
| 決断するなら早いほうがよい。 |
| 今 |
| ゆっくりでいい。 |
| 前に進んでいれば、それでいい。 |
| あせることはない。 |
| 叱る |
| 年をとるにつれて、 |
| 自分を叱ってくれる人は少なくなるものだ。 |
| 気は楽だが、その分責任はかえって重くなる。 |
| 叱ってくれる人がいるうちに、 |
| うんと叱られて、反省し、うんと自分を磨いておきなさい。 |
| そして、磨き上げた自分で、叱られない仕事をしなさい。 |
| 先生 |
| 生かすも殺すもその腕にかかっている・・・と思うから、 |
| 相手を「先生」と呼ぶ。 |
| 医者、教師、弁護士、師匠・・・・・ |
| 「先生」と呼ばれる者たちは、 |
| 何ゆえ自分がそう呼ばれるかを、 |
| 片時も忘れてはならない。 |
| 「先生も人間だから・・・」が通用するのは、 |
| 多くの場合、その腕が信用されなくなったときだ。 |
| 駆け足 |
| 青春時代はわけもわからず、一気に駆けぬけてきてしまった。 |
| 壮年時代も駆け足だった気がする。 |
| そして、ここまできてようやく |
| 普通の並足となった。 |
| ふりかえって今、 |
| なんだ、そんなに急ぐことはなかったじゃないか、と思う。 |
| 急がなくてもよかった・・・・・・そうしみじみ思うのだが・・・・ |
| 芯 |
| この世の無常を一度でも経験した人間は、 |
| 確実に強くなる。 |
| 表面は変わらず小心者で、臆病な人間に見えても、 |
| ”芯”に間違いなく変化が生まれている。 |
| 他人はもちろん、自分自身でさえ気づかない変化かもしれない。 |
| しかし、その変化がいつか、誰もが背中を丸めてしまう真冬に、 |
| 寒風の風上に向かって屹立し、倒れない「したたかさ」となって |
| 自分を支えてくれるだろう。 |
| 信頼 |
| いつ、いかなる場合においても、 |
| 信頼されたければ、上を見るな。下を見るな。 |
| 仲間とおなじ地平に立て。 |
| ともに同じ道を歩む者だけが頼りにされる。 |
| 負けたくない |
| ライバル心をもって張り合うことは悪いことではない。 |
| 負けたくないという気持ちが進歩を呼ぶことはある。 |
| だが、勝って見下してやろうと思い始めたとたん、 |
| 進歩は止まり、手の内を読まれまいとする情けない敵対心に変わる。 |
| 負けたくないと思うところまでが”ライバル心”である。 |
| 幸せな時 |
| 幸せな時、 |
| 人は笑うものだと思っていた。 |
| だが、ほんとうに幸せな時、 |
| 人は涙が出るものだと知った。 |
| 今から何十年も前のことだった・・・・・ |
| 以来、なんども確かめたので、まちがいはない。 |
| 子ども時代 |
| 決して恵まれた子ども時代ではなかった・・・・・ |
| それなのにこうして真っ当に生きてこれたのはなぜだろう・・・・ |
| そう思う人はたくさんいることだろう。 |
| 答えは簡単だ。 |
| だれかを恨んで生きてこなかったからだ。 |
| 自分の境遇をだれかのせいにはしてこなかったということ・・・・ |
| だから自分で切り拓く道ができた。 |
| 歴史 |
| レコードというものを知らない若者が増えているという。 |
| 手でハンドルを回してぜんまいを巻く「蓄音機」でSPレコード・・・になると、 |
| もはや知っているのはおじさんたち世代だけになった。 |
| 次に登場して、その存在を知られるのは、 |
| 何十年か後、学校の歴史の資料の中だろう。 |
| 「昔の人はこんなものを使って音楽を聴いていたんです・・・・・・」と。 |
| 間もなく歴史の中に生きる世代になるということだ。 |
| 幸せ |
| 我が子の幸せを願わない親はいない。 |
| それは子どもたちが巣立っていっても変わることはない。 |
| つつましくとも、家族みんなが仲良く、健康で楽しく暮らしてほしい・・・・ |
| かつて、勉強しろ、いい学校に入れ、と要求した親も |
| ここまでくると、そんなことはもうどうでもよくなる。 |
| ”しあわせ”というものはどういうものかを |
| 自分なりに学んできたからだ。 |
| 残される |
| 出ていく者には、 |
| 残され、見送る者の気持ちを深く察する余裕はない。 |
| つらかっただろうな、とわかるのは |
| 何十年もたってからだ。 |
| それは |
| 残される側に、自分が立つようになったとき・・・・・・ |
| ドラマ |
| 年をとっていく寂しさは、 |
| 若いころのように体が思うように動かないということだけではない。 |
| 自分のまわりから心躍る「ドラマ」が消えていくという寂しさもある。 |
| ドラマが起こらなくなれば、代わりに穏やかな日々にはなるだろう。 |
| それはうれしいことだが、 |
| 可能性やチャンスや、わくわくどきどきが少なくなるというのは |
| 思いのほか、寂しいと感じるものだ。 |
| 合理化 |
| かつて路線バスには車掌さんが乗っていた。 |
| 切符を売り、次の停留所を知らせ、下りる客を確かめ、 |
| 誰もいなければ運転手に「降者なし」と伝えていた・・・・・・ |
| ”合理化”とは、 |
| 身近なところで働いていた人が消えていくことであり、 |
| それまでのごくありふれた景色をなつかしい記憶に変えることである。 |
| 教訓 |
| ひな鳥をいつまでも手元に置いておこうとする親鳥はいない。 |
| 時期がくれば、くちばしでつついてでも巣立ちを促す。 |
| 親の手を借り、巣立ちの遅れたひな鳥は、 |
| 一人になったとき、真っ先に倒れるという。 |
| まさに教訓である。 |
| 賭ける |
| 一か八か、賭けてみる・・・ |
| 考えてみれば恐ろしい決断だが、 |
| 人生には幾度かそんな決断をせまられることがある。 |
| だが、多くの場合、 |
| かりに悪い方に転んでも何とかなるという見通しが少しはあるものだ。 |
| その見通しもなく、負ければ完全にゼロ・・・という賭けは、 |
| ただの”博打(ばくち)”だ。 |
| そんな怖いことは、とても堅気の衆のやることではない。 |
| のんびり |
| 「のんびりして、いいところですね。」・・・・ |
| 田舎を旅する旅番組のリポーターは決まってそう言う。 |
| のんびりしているように見えるのは、 |
| 彼が田舎では考えられないスピードで生きているからであって、 |
| 田舎が特別のんびりしているわけではない。 |
| 「のんびりしていて、いいところですね」と言われると、 |
| そこで暮らしている人たちは |
| 返答に困る。 |
| 共感 |
| 喜びはなぜか共有できるのに、 |
| 察することはできても、残念だが、 |
| 悲しみを真に共有することはできない。 |
| それは、喜びは普遍的なものであるのに対して、 |
| 悲しみは、 |
| 極めて個人的なものだからである。 |
| 共感することはできても共有はできないものなのだ。 |
| 経験 |
| 先に川を渡った者は、 |
| どこが深いか、どこが滑るか、どこが危ないか、を |
| 身をもって知っている。 |
| どうすれば無事に渡れるか、それが知りたければ |
| その人の話に耳を傾けることにためらいがあってはならない。 |
| 時に、経験は知識を凌駕する。 |
| いつのまにか |
| 楽しみや生き甲斐を見つける方法ですか? |
| そんな便利なものがあればよいのですが、ないと思いますよ。 |
| 何かをやっていたら、いつのまにかそういうことになっていた・・・・ |
| そういうものなんじゃないですか。 |
| とにかく何かをやってみることでしょう。 |
| 土俵 |
| 相撲は土俵の中でとるもので、 |
| 土俵の外まで持ち込むと、ただのケンカになる。 |
| 争いごとの多くは、 |
| 土俵の外でおこなわれる。 |
| あなたが対立している相手と今向き合って立っているのは |
| 土俵の中だろうか。 |
| あやまち |
| あきれるほど何度も何度もくりかえし,イヤになるほど後悔しているのに、 |
| それでも懲りずにやってしまうあやまちがあるものだ。 |
| 情けなくて、しまいには自分に腹が立つ・・・・・・ |
| オレにはそんなものはない、と言えるなら立派だが、 |
| それは自分で気づいていないだけかもしれない。 |
| わかっていても |
| あやまちをくりかえすのが人間なんだろうな。 |
| 経験 |
| 拍手喝采を浴びる経験は |
| 生涯そう何度もあるものではない。 |
| ゆえに価値がある。 |
| いつもその中にいると、価値を忘れ、それなしの生活が考えられなくなる。 |
| 間違い始めるのは、たいていそんなときだ。 |
| どんな人に |
| えらい人にならなくてもいい。 |
| 魅力のある人になりなさい。 |
| 人の上に立たなくてもいいんだ。 |
| 横にたくさんの仲間が並んでくれる人になりなさい。 |
| どんな人になるかは、君自身の問題だ。 |
| 決して他人の真似をしてはいけないよ。 |
| 孤独 |
| 孤独に慣れることなどありえない・・・と思われがちだが、 |
| 何度も何度も繰り返していくうちに |
| 人は少しずつ孤独に慣れていくものだ。 |
| そうでなければ、 |
| 一人ぼっちで消えていく究極の孤独には |
| 到底耐えきれないだろう。 |
| さびしくて、つらいとき、 |
| そう思ってみてはどうか。 |
| 思い込み |
| 一目ぼれ・・・ |
| 言い換えれば「錯覚」、 |
| さらに言い換えれば「思い込み」・・・・ |
| しかし、 |
| これほど完璧で、美しい思い込みはない。 |
| ほろ苦い、甘酸っぱい記憶とともに |
| この「思い込み」のおかげで、 |
| しあわせな人生を送っている人は多いことだろう。 |
| やりたいこと |
| 「今一番やりたいことは?」と聞かれて |
| すぐに答えられることがあるなら結構じゃないか。 |
| やれるか、やれないかは問題じゃない。 |
| やりたいと思う気持ちがいつしか夢になり、 |
| 生き生きと暮らす力になるんだ。 |
| 夢にむかってもう計画を立て始めているなら、 |
| 言うことはないと思うよ。 |
| 赤と黒 |
| 絵を描いているとわかるが、 |
| 赤と黒の対比ほど、神秘的で奥深いものはないと感じることがある。 |
| 理論的なことはわからないが、 |
| 暗闇の中で燃え盛る炎を想起すれば、何となくわかるような気がするのだ。 |
| 漆黒の闇と炎・・・・・ |
| 体の奥底に、太古の先人たちの見た光景が埋め込まれていて、 |
| その感覚がよみがえるのではないか、と理解している。 |
| 赤と黒は美しい色である。 |
| 友 |
| 君の弱点を、僕は知っている。 |
| 長いつき合いだ。それくらいはわかる。 |
| 強い君もいいが、 |
| 弱点を見せないように懸命に努力している君も好きだ。 |
| 同じように、 |
| おそらく僕も、もうとっくに君には見破られているんだろうね。 |
| 差し引き |
| 人生、たくさんの喜びやしあわせがやってくる。 |
| だが、 |
| かつて奪ったものを差し引いた分しか、やってこない。 |
| 喜びやしあわせが少ない、と言うなら、 |
| かつて奪ったものがそれだけ多かったのだろう。 |
| 居心地 |
| むかし、そこに立っていた、という事実が |
| 今でも足を引っ張っているなら、 |
| 今立っているところがあまり居心地のよい場所ではないはずだ。 |
| 人は、今いるところに不満があると、 |
| かつて立っていた、居心地のよいところを思い出す。 |
| 夫婦 |
| 夫婦であることは、次の過程を経て証明されるという。 |
| 初めの十年は「愛」、 |
| 次の十年は「努力」、 |
| 次の十年は「がまん」、 |
| 次の十年は「あきらめ」、 |
| 次の十年は「信頼」、 |
| 最後の十年は「感謝」・・・・・・・ |
| さて、さて、今どのあたりですか。 |
| 私に |
| 父の背中は何を教えてくれたか・・・ |
| 母の手のぬくもりは何を残してくれたか・・・・ |
| 今、どこでどんな生き方をしていようと、 |
| それが「私」という人間の原型である。 |
| 父や母とはちがうものが今あるとしても、 |
| それは太い幹の先についた葉っぱに過ぎない。 |
| いいこと |
| 励ますつもりで「そのうち、またいいこともあるさ」と言うことがある。 |
| だが、それが本当の励ましになるのは、 |
| 「いいことがある日」までの空しい日々を、共有する覚悟が伝わったとき・・・・ |
| 辛さを持つ人には、 |
| 「いいことがある日」までが長いのだ。 |
| 友 |
| 中学、高校時代の親友から賀状が届いた。 |
| いつか一杯飲みたいな、と互いに言い続けてもうかれこれ四十数年・・・・ |
| 仕事もそろそろ区切りが付くようなので、 |
| その約束が果たせる日は遠くないだろう。 |
| 年をとると、 |
| そんな約束が、大事な生きる目標の一つになっていく。 |
| だれかが・・・ |
| さびしいのは、この先に希望や夢の灯りが見えないとき・・・・ |
| つらいのは、自分の力ではどうしようもないと思い知らされたとき・・・・ |
| そんな無力感に包まれたとき、人はだれかが恋しくなる。 |
| わけもなく人恋しくなるわけではない。 |
| 別れ |
| 何度も繰り返してくると、 |
| 別れも人生の一部だということが痛いほどわかるようになる。 |
| 人は出会いを賞賛するが、 |
| 別れも長い目で見れば、賞賛に値する。 |
| 別れがもしなければ、 |
| 今頃は人間関係のあまりの多さに煩わしくて、忙しくて、 |
| 目がまわっていることだろう。 |
| 教える |
| 「教える」とは、単なる知識や技、要領の伝達だけを指すのではない。 |
| 信念を持った人間が、知識や技に込められた奥深い真理までをも伝え、 |
| 理解させようとする営みである。 |
| そこまではやれない、必要がない、やってもうまくいかない、と思うから |
| 「教える」という言葉のかわりに「指導する」という言葉が使われる。 |
| 「指導する」と言えばりっぱに聞こえるが、 |
| 「教える」には遠く及ばない。 |
| 道 |
| 途中まではたしかに同じ道を、同じ方向に向かって歩いていた。 |
| 今、互いに立っている場所が違うところをみると、 |
| どうやらどこかで別々の道に分かれたようだね。 |
| 君は私とは違う、その道を選んだ・・・・・ |
| そう思うことにしている。 |
| 人生 |
| 人生をいかに生きるべきか、など難しすぎてわかるものではありません。 |
| 人生何をなすべきか、と問われても同じです。 |
| こうした方がいい、こうはしないほうがいい、くらいは言えそうですが、 |
| 人生すべてとなるともうお手上げです。 |
| 自分の人生が終わるときにはその答えが見つかるのでしょうから、 |
| それまでは、そんな難問は横に置いて、 |
| 目の前の”今日”を全力で乗り切ることにしませんか。 |
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