雑感 Back Number17
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| 結 | 
| もう二度と生きることのない2011年が | 
| たくさんの思い出を引き連れて、時空のかなたに消えていく。 | 
| 目指すはより高みへ、 | 
| 望むはより平穏に・・・・・ | 
| 新しい一年がどうか夢多き、そして実り多き時間でありますように・・・・・ | 
| 技 | 
| 他人の持つ”技”のすごさは、 | 
| 同じことを自分がやってみるといやというほど思い知らされる。 | 
| どんなに簡単そうに見えても | 
| その人がその技を身につけるのに費やしたこれまでの時間や苦労を思えば | 
| とてもじゃないが、やったこともない自分が | 
| 太刀打ちできるものではない。 | 
| やってみることもしないでとやかく言うのは、 | 
| 筋違いというより、この上ない無礼である。 | 
| 一年 | 
| 思い返してみるといろいろなことがあったのだが、 | 
| あっという間の一年だった気がする・・・・・ | 
| そう思えるというのは、 | 
| この一年十分に”よく生きた”という証しですね。 | 
| 十分によく生きたから「あっという間」だったのです。 | 
| 夢 | 
| 「よく夢に出てきます。」などと言いますが、 | 
| あれはウソですね。 | 
| 本当に大切だ、かけがえがない、と思っている人やものは | 
| 出てきてほしいと思っても | 
| そう簡単に夢になどに出てはきません。 | 
| 席 | 
| この世に生まれてきたときに借りた”席”は、 | 
| いずれ返さなければならない。 | 
| つぎにどんな人が座るのか、は残念ながらわからない。 | 
| しかし、 | 
| きっとだれかが座ることになっている。 | 
| 次の人が少しでも”すわり心地”がいい席になるように、 | 
| 日々懸命に手入れをしておかなくてはならない。 | 
| 日々を精一杯生き、充実した暮らしをせよというのは、 | 
| きっとそういう意味だと思う。 | 
| 杞憂 | 
| 気の遠くなる年月の先に、 | 
| この宇宙を構成するすべての物質は、 | 
| そのエネルギーを使い果たして、消えていく、という。 | 
| 地球も、太陽も、たくさんの星たちも、無数の銀河も、宇宙も、 | 
| やがてその命に終わりがくるというわけだ。 | 
| 考え出すと暗い気持ちになるが、今を生きるわれわれは | 
| さあ、今度の連休には何をしようか、とわくわくしていればよい。 | 
| いくら考えてもどうしようもないことはあるものだ。 | 
| 謎 | 
| 「男に生まれてきてよかった!」と言う。 | 
| だが、女に生まれた経験はないので | 
| 厳密に言えばまちがいであろう。 | 
| 想像はできても、男女の本質は互いに永遠の謎・・・・・ | 
| 理解不能の”謎”を持つ相手だから | 
| 近づいてみたくなる。 | 
| クリスマス | 
| わが子たちに笑顔を届けようと | 
| 日本中に無数のサンタクロースが出現する日だ。 | 
| 外国の神聖な儀式の、おいしいところだけを | 
| ちゃっかりいただいて利用しているが、 | 
| まあ、それはいいだろう。 | 
| 自分のところへはサンタさんは来てくれない、と | 
| 暗い顔になる子どもがどうかいませんように・・・・・・ | 
| オンリーワン | 
| ドライバーが一本あれば難なく外せるネジも | 
| それがなければ、まったくお手上げだ。 | 
| そんなドライバーのような人材がたしかにいる。 | 
| ナンバーワンではないだろうが、 | 
| ”オンリーワン”であることは間違いない。 | 
| すばらしいことだと思わないか。 | 
| 足 | 
| 二足歩行の原則は、両足を交互に動かすこと、 | 
| 勇ましく前に出て前進の役目を果たしているように見える足よりも、 | 
| 実際に推進力となっているのは | 
| 大地をけっている後ろ足・・・・・ | 
| 振り向かないかぎり、その後ろ足は見えない。 | 
| 何かを動かしている本当の力は、 | 
| 多くの場合、 | 
| 見えない自分の後方にある。 | 
| 愛情 | 
| ことさら意識などしなくても | 
| 我が子を愛情いっぱいに育てていれば、 | 
| その子が親になったとき、同じように我が子を慈しむだろう。 | 
| 理屈で理解しなくてもそれはできる。 | 
| 何代にもわたって受け継がれてきた「愛情の連鎖」である。 | 
| 自慢 | 
| 自慢はすればいい。 | 
| うんとすればいい。 | 
| それが”厭味”にならないための方法はただ一つ、 | 
| いっしょうけんめい自慢することだ。 | 
| もったいぶった自慢話ほど、鼻につくものはない。 | 
| 記憶 | 
| メンコ、ビー玉、凧揚げ、石蹴り、コマ回し、カン蹴り・・・・・ | 
| 一昔まえの、子どもたちの遊びの”定番”でした。 | 
| これらに共通しているのは、 | 
| 遊びのルールや道具を自分たちでつくり出していたということです。 | 
| 都合が悪ければそのルールや道具を臨機応変に変えて | 
| 楽しんでいたように思います。 | 
| 自分で手作りしたものに今でも不思議な充足感を感じるのは | 
| そんな幼い日の記憶があるからかもしれません。 | 
| 単純 | 
| 豪雪に見舞われる雪国の家の構造は単純である。 | 
| 見てくれなど構わず、とにかく、太い梁や柱で家を支え、 | 
| 雪が載る余分な出っ張り部分を造らない・・・・・ | 
| 強大な相手に立ち向かうのなら、 | 
| 複雑で余計なものを始末して、身軽になること、 | 
| そして耐えねばならぬ重さを予測して、 | 
| 身がまえ、心がまえを十分にしておく・・・・ | 
| 降りだした雪のなかで補強工事はできない。 | 
| 想像力 | 
| ”用心する”とは”想像力”を働かせることである。 | 
| 「ひょっとするとこうなるかもしれない・・・」という勘のようなひらめきを | 
| 目の前の現象のなかに見ることである。 | 
| どんなに小さなことでも | 
| 望まぬ結果になりそうな原因を前もって取り除いておくこと、 | 
| 「しまった!」と真っ青になることを避けたければ | 
| そうするしかない。 | 
| ワン | 
| そう言えば歌の歌詞にもあったなぁ。 | 
| ・・・ナンバーワンよりオンリーワン・・・・・ | 
| この短いフレーズの中には、 | 
| とてつもなく大きなものが含まれているような気がする。 | 
| ナンバーワンとオンリーワン、 | 
| 同じ「ワン」でもどちらを求めるかは | 
| その人の基本的な資質と深く関係している。 | 
| 陽光 | 
| お日様はいいもんだ。 | 
| 何だかじっとしているのがもったいなくなる。 | 
| えり好みもせず、すべての命あるものに等しくその恩恵を与え、 | 
| 元気を出せ、くよくよするな、と包んでくれる・・・・・ | 
| そこにいてくれるだけで、体もこころも温かくなる・・・・・ | 
| そんな人間になるのは大変だが、 | 
| なれたらいいなあ・・・・・ | 
| 着岸 | 
| 行きつく先などだれにもわからない・・・・ | 
| いずれ”どこかに”たどり着くことだけは確かなので、 | 
| ふだんは心配していないだけだ。 | 
| ところが、行きつく先が見え始めると、とたんに、 | 
| みんな落ち着かなくなる。 | 
| なぁに、あわてなくても、いずれ船は岸に着く。 | 
| 味 | 
| 一杯のラーメンを求めて行列ができる店がある。 | 
| 反対に、どんな立派な店構えを誇ろうと、 | 
| 味に満足できない店には二度と足を運ばない。 | 
| 客とはそういうものだ。 | 
| 見かけや体裁ではなく、、大切なのは中身だということ・・・・・ | 
| どんな味をだすか、それで勝負は決まる。 | 
| 人もまた然り・・・・・・ | 
| 返事 | 
| わずらわしい”しがらみ”は、 | 
| 「NO」と言いたいのに、「YES」と言ってしまった回数に比例して成長し、、 | 
| 重苦しくまとわりつく。 | 
| あとでボヤきたくなければ、 | 
| 自分の意に反した「YES」をできるだけ言わないことだ。 | 
| 青春 | 
| 若者は、自分が生きている今を「青春だ」と思って生きてはいない。 | 
| だから | 
| 青春の持つ素晴らしさや輝きを、楽しみ、味わうことはできても | 
| そのことが人生の中でどんな意味を持つのか、を知ることはない。 | 
| 壮年期や老年期にはない、青年期だけの特徴である。 | 
| 与える | 
| かかわりのあった多くの人たちから”もらったもの”は数知れない。 | 
| もらったものに感謝しながら思う・・・・・ | 
| 代わりに自分は何かを与えることができたのだろうか、と・・・・ | 
| 今となっては確かめようもないが、 | 
| 与えられたものがどうか少しでもあってほしい。 | 
| かかわりを持ってともに同じ時間を共有したことが | 
| 価値あるものだったと思いたいから・・・・・・・・ | 
| 目 | 
| 今日一日、 | 
| 何かいいもの、すてきなもの、美しいものを見ましたか。 | 
| 一つ見えたら、それが一つ目のくもりを消してくれます。 | 
| 見たくないものをたくさん見てきたでしょうから、 | 
| 目のくもりは半端ではありません。 | 
| 澄んだ目にするためには、 | 
| これからもうんとすてきなものを見ることですね。 | 
| 顔 | 
| 「笑ってみてください」と言われてつくる笑顔には、 | 
| どこか”ぎこちなさ”があります。 | 
| 笑うべきときでもないのに笑おうとするからです。 | 
| 記念写真を撮るときに、何と言われても | 
| そんなつくりものの顔は残したくありません。 | 
| 気難しそうに写ったのなら、 | 
| それが自分のほんとの顔です。 | 
| 貫く | 
| これまでの人生で、一度も曲げることなく | 
| 貫き通したものはありますか。 | 
| 他人の評価など、どうでもいいのです。 | 
| 自分で「そう言えば・・・・」と思い当たるものがあるなら | 
| 十分立派に生きてきたじゃありませんか。 | 
| 並みの人間に簡単にできることではありませんから。 | 
| 懐古 | 
| おじさんたちが”昔はよかった・・・・”というのは | 
| あながちまちがっていないだろうね。 | 
| 今と比べて昔の方がよかったことは確かにある。 | 
| 今を盛りに生きている人たちが | 
| 20,30年後に果たして同じことが言えるかどうか、疑わしいな。 | 
| 昔の「何が」よかったのか、その論点をはっきりさせてその言葉を口にすれば、 | 
| 単なるおじさんの”たわごと”にならずに済むということだろうね。 | 
| 外見 | 
| どんなに外見を装っても、 | 
| 自分が”どれほどの器を持った人間か”は、自分が一番よく知っている。 | 
| 見栄をはって見せたい外見を大きくすると | 
| 足りない”器”がより一層足りなくなって、 | 
| いつ見破られるかが不安で仕方がなくなる。 | 
| 見栄えは悪くても、あるがままの自分を見せていれば | 
| そんな心配はない。 | 
| 肝に銘じて | 
| 優越感や劣等感は、だれかの、何かと比べることで生まれるものだが、 | 
| その感情が次の行動を生み出す力になることもあるので | 
| それ自体悪いことではない。 | 
| いけないのは、 | 
| それで相手や自分を「決めつけて」しまうことだ。 | 
| そうすると、 | 
| 優越感は傲慢に、劣等感は自分の卑下に至る。 | 
| 人は変わっていくもの、たまたま今がそうであるだけだと | 
| 肝に銘じておこう。 | 
| いいこと | 
| きょうは何かいいことがありましたか。 | 
| いいこと・・・・どんなにささやかなことでも、 | 
| それが明日もがんばってみようと思う原動力に | 
| なっていると思いませんか。 | 
| だから、いいことは”いいこと”なのです。 | 
| 生きがい | 
| ”血が騒ぐ”・・・・・ | 
| このごろ、とんと使わなくなった言葉です。 | 
| 熱く燃えるものにめぐり会う機会が減ったからでしょうか。 | 
| 血が騒がなければ”祭り”は盛り上がりません。 | 
| ”生きがい”とは血が騒ぐことなのですが、 | 
| ”血気盛ん”は若者専用だとしても | 
| ”血が騒ぐ”は我々も共有しておきたいものです。 | 
| しあわせ | 
| 人はだれも | 
| だれかに望まれてこの世に生まれてきた。 | 
| 少なくとも自分の意思ではない。 | 
| 気がつきにくいが、 | 
| ”生きていく”とは、自分の存在を望んでくれる人に巡り合う営みでもある。 | 
| そんな人たちに囲まれて暮らせる生活があれば、 | 
| ほかに何が要るだろう。 | 
| ”しあわせの原型”は常にそこにある。 | 
| 天秤 | 
| 良く言えば細かいことにくよくよしない・・・・ | 
| 言い換えれば「おおざっぱ」 | 
| 良く言えば用心深い・・・・ | 
| 言い換えれば「神経質」 | 
| さて、わが身を天秤にかけると、どちらに傾くか、 | 
| 知っておいて損はない。 | 
| その気質や性格が、人生の大事な岐路に立った時、 | 
| かならずある方向に自分を動かす。 | 
| 詫びる | 
| 会って一言過日の非礼や無礼を詫びたい、と思っていても | 
| 実際に会うと素直にその言葉が出る人は少ない。 | 
| それほどに”詫びる”という行為はむずかしい。 | 
| 自分の”自尊心”を一度へし折らないといけないからだ。 | 
| そんな苦痛を乗り越えて詫びるから | 
| その行為が謝罪の意味を持つ。 | 
| CM | 
| ”恋は遠い日の花火ではない・・・・” | 
| ずいぶん昔に聞いた、某ウィスキーメーカーのCMだ。 | 
| 幾編かのシリーズであったが、どれも秀逸であった。 | 
| バックに流れる曲と相まって、働くお父さんたちの胸に響いたものだ。 | 
| ストーリー性を持ったCMは今もあるようだが、 | 
| あれほどの秀作にはお目にかからない。 | 
| 商品名をこれでもかと連呼する貧しい発想はなく、 | 
| まるで映画でも見ているような爽快感と哀感があった。 | 
| なつかしい。 | 
| 醍醐味 | 
| 文学の永遠のテーマだといわれる”出会いと別れ”・・・・・ | 
| 人の一生にとっても大きなテーマである。 | 
| 人との出会い、仕事との出会い、風景や場所との出会い、 | 
| 自分が生きた時代との出会い・・・・・ | 
| それぞれの出会いには、それぞれ固有の”別れ”が付属していた。 | 
| 出会いの対象を選ぶことはできなかったが、そのかわりに、 | 
| ”予約”では味わえない醍醐味を味わうことができただろう。 | 
| 今になって思えば、 | 
| つらさ、悲しさ、切なさもその”味”のうちということになる。 | 
| 師 | 
| 君のようなやり方もあるのかも知れないが、オレならこうする・・・・・ | 
| どうするかの判断は君がすればいい・・・・・ | 
| こうしろ、ああしろと直に教える「師」もいるだろう。 | 
| だが、こんな教え方をする「師」もいる。 | 
| どちらがやる気を起こす方法か、 | 
| 自分の経験に重ねてみるとよくわかる。 | 
| 平和 | 
| 争いは、双方が互いに自分の考えの方が正しいと思うから起きる。 | 
| 平和は、相手の考えにも一理あると思う時に訪れる。 | 
| 未熟 | 
| 今は名医と呼ばれる医者も | 
| 初めのころは未熟な医者であっただろう。 | 
| 努力と経験を積み重ねて、そう呼ばれるようになった・・・・ | 
| 未熟であることを恐れる必要はない。 | 
| 大切なことは、未熟であると自覚することだ。 | 
| 自覚さえしておけば、 | 
| ”未熟”ゆえの失敗は減らせる。 | 
| 遺伝 | 
| 多くの人が、自分の気質や行動傾向は、 | 
| 両親からうけついだものだと思っている。 | 
| 間違いではないだろうが、 | 
| 両親にそのような気質を遺伝させた祖父母や曽祖父母や先祖がいたことも | 
| 事実である。 | 
| 気質や性分と呼ばれるものには | 
| 気の遠くなるような時間と幾多の先祖たちの生き様が刻まれている。 | 
| 見返り | 
| なんとなくスッキリしないのは、 | 
| 見込んでいた”見返り”が戻ってこないからではありませんか。 | 
| ”見返り”は契約や約束とちがって、 | 
| 自分が勝手に”あるものだ”と思い込むものです。 | 
| ”見返り”なんか求めてはいけないことだったのかもしれませんね。 | 
| 邂逅 | 
| わたしが選んで歩きたいと思った道にあなたがいた・・・・ | 
| 偶然などとは思いたくないので、 | 
| めぐり会えたのだと思っています。 | 
| 審美眼 | 
| 「これこそ求めていたものだ」というものにめぐり会うには、 | 
| 「求めていたのはこれではない」というものに | 
| できるだけ多く出会わなければなりません。 | 
| 「何かちがうな」という感覚を研ぎ澄まさなければ、 | 
| 「これこそ」と思えるものは見えないでしょう。 | 
| これまでを「失敗」と思わずに、 | 
| 審美眼を磨く練習であったと思えばいいのです。 | 
| ツケ | 
| 先送りにしてきたツケがドンと一気に清算を求めてやってくる・・・・ | 
| お金の話だけではなく、身の回りの諸事も同様、 | 
| ”ツケ”にして先送りにする習性を身につけると、 | 
| えっ、こんなときに?・・と言いたくなる最悪のときに | 
| 請求が回ってくるものです。 | 
| 「今日のことは明日に延ばさない」・・・ | 
| 先人の知恵はだまって聴いておくものですね。 | 
| きっと何度も手痛い請求に苦しんでの言葉でしょうから。 | 
| のぼり階段 | 
| 人生は、後戻りのできない”のぼり階段”のようなものですね。 | 
| 先は見えなくても、 | 
| うしろを振り返れば、かつて歩んだところがよく見えます。 | 
| くだり階段だとそうはいかないでしょう。 | 
| そうです。 | 
| 下っている人などいません。みんなのぼっているのです。 | 
| 反論 | 
| 「今がよければいい」という考えは、 | 
| 刹那的だ、夢がないと酷評されることが多い。 | 
| だが、よくよく考えてみれば | 
| だれも「いま」を幸せな時間にするために努力しているではないか。 | 
| 今がよければいいのである。 | 
| 今をよきものにするために知恵をしぼり、汗を流せ。 | 
| そして、その「今」を明日も、明後日も続けていければよい。 | 
| 役目 | 
| 一人ひとりの顔がみんなちがうのは、 | 
| この世で受け持つ役目の違いを識別するのに必要だからです。 | 
| この人はこんな役目、あの人はあんな役目・・・・・・ | 
| 同じ顔を持つ人がいないように、 | 
| まったく同じ役目を与えられた人はいません。 | 
| どんな役目を果たすために生まれてきたのか・・・・・・ | 
| 自分の顔に責任をもつ、というのは | 
| 自分の役目を自覚するということですね。 | 
| 道筋 | 
| しあわせになる道筋はいろいろあっても、 | 
| しあわせでなくなる道筋は限られます。 | 
| ただ、 | 
| その道筋は、たとえ知っていても | 
| 危うさが自分の身に降りかからなければ | 
| 気付きにくいものです。 | 
| 我慢 | 
| たしかに二度あることは三度ある・・・ | 
| だが、三度あれば四度目はもうないだろう。 | 
| どんなことも | 
| 三度は耐えて我慢してみることだ。 | 
| 不安 | 
| うれしいことがあまりに続くと、 | 
| このあと何かイヤなことが起こるのではないかと不安になる。 | 
| 有頂天からどん底に落ちた経験がある者ならそう思う。 | 
| そうやって身構えることができる者は | 
| どん底に落ちることはまれである。 | 
| 失敗 | 
| 覚えているだろうか。 | 
| かつて、生涯でもっとも愚かな”失敗”をしてしまったことを・・・・・ | 
| あれはほんとうに”失敗”だったのか、などと思い返しても | 
| 今となっては大した意味はない。 | 
| どう言い訳をしようが、あのときは確かに愚かであったのだ。 | 
| そう自分に言い聞かせ、 | 
| そして、 | 
| その苦い思い出を生涯ふところに入れて | 
| 生きていくしかない。 | 
| うしろ | 
| 前にいる人や、横に並んで立つ人は、 | 
| あなたを励ますことはできても、 | 
| あなたを直接動かすことはできません。 | 
| それができるのは、 | 
| あなたのうしろにいる人だけです。 | 
| だまってそっと背中を押してくれるから、 | 
| 重い足も一歩前へ進めるのです。 | 
| いつもあなたのうしろにいる人を、おろそかにしてはなりません。 | 
| 青春 | 
| 遠い昔の”青春”というあの短い時間を時折思い起こしている。 | 
| 無我夢中で駆けぬけてきてしまった。 | 
| 急いだので、たくさんのものに触れたはずなのに | 
| たくさんのものが指のあいだからこぼれていった。 | 
| 離さずにしっかりとつかまえたものよりも | 
| 指のあいだをすり抜けていったものの方がはるかに多かったと、 | 
| 今ならよくわかる。 | 
| 重石 | 
| 償おうにも償えない過ちを、 | 
| 人はだれも一つや二つ、引きずって生きている。 | 
| 生涯でもっとも愚かな失敗であった・・・・・ | 
| よほどのことがない限り、進んで他人に話すようなことではない。 | 
| 重苦しい記憶だが、 | 
| そんな”重石(おもし)”を持って生きているから、 | 
| 地面から浮くこともなく、足が地についている。 | 
| 踏み台 | 
| かつて高い所へのぼるために”踏み台”にしたものがあったはずだ。 | 
| 目は上を向いていたから、 | 
| 何を踏んづけたのか、足元を見る余裕はなかっただろう。 | 
| 踏んだ当人はとっくに忘れているが、 | 
| 踏まれたものは、その痛さを今も忘れてはいない。 | 
| 傷 | 
| 浅いと思っていた傷口が思いがけず深いものだったと気付くことがある。 | 
| 痛みが少しずつひいていくことは感じられても | 
| こんなに深いところまで傷を受けていたのかと思う。 | 
| 心でも体でも、そうとわかったら | 
| ゆっくり傷のいえる時間をつくってやることだ。 | 
| 致命傷でなければ、かならず傷は癒える。 | 
| カレンダー | 
| そろそろ来年のカレンダーを求める時期ですが、 | 
| 日々の充実を求めたければ、 | 
| ”日めくりカレンダー”を使うことです。 | 
| 一枚一枚破りすてるのも自分、 | 
| 減っていく残りの日数を感じるのも自分、 | 
| 一日を生きるということを、 | 
| これほど確かに感じさせてくれるものはめったにありませんね。 | 
| 不言実行 | 
| いまからやろうとしていることを | 
| ぺらぺらと周囲にしゃべるのは感心しません。 | 
| しゃべりたくなる気持ちはわかりますが、 | 
| 決意はしずかに実行に移すものです。 | 
| 実行力をともなわない着想は、 | 
| ただの”おもしろい話”です。 | 
| 運命 | 
| 運命に逆らってみたかったと、あのときはそう思ったのに、 | 
| 終わってみると、 | 
| 何だかもともとそうなるようになっていたことに気がつく。 | 
| まるで人生と言うジグソーパズルの一つのピースのように、 | 
| あれほど悩み、揺れ動きながら一大決心をした時間も | 
| いま思えば収まるべきところにちゃんと収まっている・・・・・・ | 
| 運命に逆らってみる・・・そういう”運命”になっていたのかも知れない。 | 
| フリ | 
| 人の悲しみに同情することはできる。 | 
| だが、いくら頑張っても | 
| その中に溶け込むことはできない。 | 
| ”冷たいやつだ”と言われたくないからといって、 | 
| 溶け込んだ”フリ”をするのは | 
| 限りなく相手に失礼な行為である。 | 
| 燃える | 
| 車だって燃料を燃やして動いているのだから、 | 
| 人間も何かを燃やさないと動けないだろう。 | 
| 生き生きと動きたければ、 | 
| 何かを燃やすことだね。 | 
| ところで、いま君の中で燃えているものは | 
| いったい何ですか? | 
| 美 | 
| 「いやぁ、みごとなもんですね。」 | 
| 「そうですね。みごとでしょう。」 | 
| 「どうしてこんなに美しいんですかねぇ。」 | 
| 「自分が美しいとは知らないからでしょうね。」 | 
| 「えっ?」 | 
| 「ほんとうに美しいものは、だれかに見てもらおうなんて思ってないし、 | 
| 自分が美しいなどとは少しも気づいていないもんですよ。」 | 
| お礼 | 
| 与えてもらったお礼がしたいなら、 | 
| 与えてもらったもので自分が幸せになることだね。 | 
| 言葉で述べるお礼の何倍も、 | 
| あいてに感謝することになる、唯一の方法だ。 | 
| 想う | 
| ある人のことをふと想うとき、 | 
| ある人も自分のことを想っている・・・・ | 
| うまく説明はつかないが、 | 
| 人が人を想うとはそういうことなんだな。 | 
| いたわり | 
| よくも悪くも、疲れたら休むしかないんだ。 | 
| 心や体の悲鳴を聞こうともせず、休まないことが善だと突っ走れば、 | 
| 悲鳴は絶叫に変わり、やがて声も出なくなるだろうよ。 | 
| いたわってやりなさい。 | 
| 長年いっしょに頑張ってきた君の最大の、最高のパートナーじゃないか。 | 
| ゆっくり休ませてやりなさい。 | 
| 心に刻んで | 
| 一人でもいい、 | 
| 自分のことを愛してくれる人がいれば | 
| 人は生きていける。 | 
| 理由 | 
| ある”決断”の理由を聞かれて、 | 
| 自分の本心と違う理由が口から出ることほど | 
| 情けないことはないだろう。 | 
| 自分をごまかしてまで取り繕うのは、 | 
| いったい何のためなのか・・・・・ | 
| 偽りの理由を述べるくらいなら、 | 
| 「答えられない。」と答えるべきではないか。 | 
| 理由 | 
| たった一人で生まれ、たった一人で死んでいくのですから、 | 
| どう考えたって、人間はもともと”さびしい”生き物です。 | 
| いろんな人にめぐり会い、絆を結ぼうとするのも、 | 
| そんな理由からなのでしょう。 | 
| たとえ”ひとり”になっても”ひとりぽっち”にならなければ | 
| 人間、何とか生きていけます。 | 
| 気休め | 
| 気休めのものが甘く感じられるのは、 | 
| 気持ちがゆるんでいるときだ。 | 
| 覚えておこう。 | 
| 気休めのものに手を出すと、 | 
| 本心から欲しいものが遠ざかる。 | 
| 深くて重い | 
| 浅い人間はつまるところ軽い人間である。 | 
| 軽いものは少しの風で流されるし、 | 
| 風にむかって踏みとどまることはむずかしい。 | 
| 深くて重い人間になりたい。 | 
| どうすればそうなれるのか・・・・・ | 
| それが自分の生涯の”テーマ”ではなかったのだろうかと、 | 
| このごろ気がつき始めている。 | 
| 貫く | 
| みごとな生きざまである、と言われたいなら、 | 
| 一本おのれの中心を貫くものを持とう。 | 
| どんなときにも決してブレない、しっかりした芯のあるものを・・・・・ | 
| そして息絶えるまで、何があろうと | 
| それを貫き通そう。 | 
| 決断 | 
| 勇気が必要なときがある。 | 
| 勇気よりもあきらめが必要なときもあるだろう。 | 
| 立ち向かうのか、退くのか、それをまず決めなさい。 | 
| 話はそれからだ。 | 
| 意識 | 
| だれかと見比べれば見劣りするかもしれない。 | 
| だれかと競えば惨めな敗北を味わうかもしれない。 | 
| そんなことを考え始めるとイヤになるが、 | 
| ”だれか”を意識するから、 | 
| そうなる。 | 
| 丸い | 
| 年をとって人間が丸くなる・・・と言うのは、 | 
| すりへったからではない。 | 
| 許す、認める、受け入れる、ということに | 
| 若いころほど苦労しなくなったということである。 | 
| 方法 | 
| 考えてもどうにもならないことは考えない。 | 
| つべこべ言わずだまって受け入れる。 | 
| それが生きることに疲れない方法だ。 | 
| 友 | 
| さびしい、苦しいからといって、 | 
| 気安く”友”を求めてはなりません。 | 
| まずは一人で、力のかぎり立ち向かうことです。 | 
| その姿を見て、こころを揺さぶられた者が | 
| そっと近寄ってきて、 | 
| やがて”友”になるのです。 | 
| 記憶 | 
| 楽をして手に入れたものはあっけなく消えていく。 | 
| 欲しいものを手に入れるための”格闘”をしなかったからだ。 | 
| 難敵や強敵と戦った記憶がないと | 
| せっかく手に入れた”たからもの”に自分の名の刻印は刻まれない。 | 
| 出会い | 
| 人には | 
| 生涯をかけてめぐり会わなければならない人たちがいます。 | 
| その多くとすでに出会いを済ませました。 | 
| この先めぐり会う”運命”で結ばれた人は | 
| そう多くはないでしょう。 | 
| つき合える時間は限られるのでしょうが、 | 
| どんな人が目の前に現れるのか、 | 
| 楽しみにして待つことにします。 | 
| 営み | 
| 色鮮やかに紅葉しながら散っていく木の葉もあれば、 | 
| ただ枯れて褐色になって落ちる葉もある。 | 
| こうして森や林ではそれぞれに「命を引き継ぐ」営みが行われている。 | 
| それを命を引き継ぐ大切な儀式だと見ていない人間だけが、 | 
| ”きれいだ””絶景だ”などと浮かれ騒ぐ。 | 
| 今日を生き、明日も生きようと、命を見据える木々にはまるで関係のない話だ。 | 
| 彼らは言う・・・・ | 
| おまえたちだって立派に”紅葉”してるじゃないか・・・・ | 
| 通り過ぎれば | 
| 通り過ぎて、ふり返ってみれば | 
| それほど大したことではなかった・・・・・ | 
| そのときはたしかに大変だったのだが、 | 
| いま思えば思いつめていただけだった・・・・ | 
| 通り過ぎてからいつもそう思う。 | 
| 失う | 
| ”失う”ということの本当の意味を知るのは、 | 
| 自分の手を離れたときではない。 | 
| それに代わるものはないと思い知ったときだ。 | 
| 何日か、何か月か、何年か経ったある日、 | 
| 代わりを見つけようとしても | 
| どこにもそんなものがないと気がつくときだ。 | 
| 原色 | 
| 鮮やかに自分を取り巻き、ギラギラと見えていた周囲の”色彩”が、 | 
| だんだんと色褪せていきます。物も人も景色も・・・・・・ | 
| 目の衰えがそうさせているのではないようです。 | 
| 原色を必要としなくなったということでしょうか。 | 
| いい具合に年を重ねるとそうなると聞きました。 | 
| 予感 | 
| 今会っておかなければもう二度と会えないかもしれない・・・ | 
| そんな人が必ず現れる。 | 
| ”予感”がそう教えてくれるので、 | 
| 心が騒ぐときには疑わないことだ。 | 
| 疑う | 
| 小説や映画では、猜疑心の強い人間が善人として描かれることはない。 | 
| だが、よく考えてみれば、 | 
| 疑う能力を研ぎ澄まさなければ | 
| 誰を信じてよいのかがわからないだろう。 | 
| 疑え!、納得のいくまで疑ってみることだ。 | 
| そして、これだ!と思えるならトコトン信じろ。 | 
| 間に合う | 
| やり残したことをあれこれ考えています。 | 
| まだ間に合うこともあれば、 | 
| もう無理だと思うこともあります。 | 
| 無理なことは背中のリュックにつめて背負って行くとして、 | 
| とりあえず、まだ間に合うことを | 
| 一つずつやっていこうと思います。 | 
| 背中のリュックがこれ以上ふくらむのはごめんですから…・ | 
| 望 | 
| だれにも迷惑をかけず、 | 
| 自分の好きなことを、好きなようにしながら暮らせること・・・・ | 
| これから望むならそんな生活。 | 
| 見かけ | 
| 見かけは悪くても、立派に役目を果たしてくれるものがあります。 | 
| 見かけは立派でも、使い勝手が悪いものがあります。 | 
| ”見かけ”は先入観の産物で、言ってみれば「錯覚」ですから、 | 
| 見かけで判断してひどい目に会った人なら | 
| 自分の眼力もかなりいい加減なものだと思い知るでしょう。 | 
| だから次からは見かけで惹かれても、 | 
| 「待てよ」と考えることができるようになるのです。 | 
| 物だけでなく、人を見るときにもあてはまることです。 | 
| このごろ | 
| 今まで気づくこともなかった小さな命の営みに心癒されること、 | 
| 野辺に咲く名もない野草に声をかけてやりたくなること、 | 
| 流れていく雲を見て、自分も”生かされている”と感じること、 | 
| 今日しておくことと、今日しなくてもよいことの区別が少しゆるくなること、 | 
| 自分の生きた証しを何か残したいと思うようになること、 | 
| ”一日一生、今日を精いっぱい生きろ”という言葉が胸に落ちること・・・・・・ | 
| 若い日にはなかった、そんな気持ちがこのごろ生まれていないか。 | 
| 成長 | 
| ここへ来て見てごらんなさい。 | 
| そこからはよく見えない景色やちがった景色が広がっています。 | 
| そんなところで「よく見えない!」などとブツブツ言っていないで、 | 
| ここまできてごらんなさい。 | 
| 成長するというのは、 | 
| 立つ場所を変え、視野を変えていく営みです。 | 
| 明かり | 
| バカげたことだと思っても、 | 
| 自分にはそれしかできない、と腹をくくったときから | 
| 暗やみの中でも道を照らす明かりに小さな灯がともる。 | 
| まわりのものは暗くて見えなくても、 | 
| 自分の足元だけは踏み外さない程度にちゃんと照らしてくれる。 | 
| 覚悟を決めた人にはそれだけあれば十分だ。 | 
| 顔 | 
| だれかに文句を言いたくなったとき、 | 
| だれかのせいだと言いたくなったとき、 | 
| 鏡をみてみるといい。 | 
| きっと自分の好きな顔ではない。 | 
| 飽きる | 
| 飽きもせずよくやるね・・・・と言うのは | 
| そんな集中力や持続力を持ち合わせない者の負け惜しみ。 | 
| いくらやっても飽きないのだからそれでいいのです。 | 
| たとえ中身が何であれ、 | 
| 好きなことに熱中していれば、他人からはそう見えるものです。 | 
| 負け惜しみに耳を貸すことはありません。 | 
| やりたいことをやりたいようにやる、 | 
| それでいいでしょう。 | 
| 一大事 | 
| 学校に入り、仕事を持ち、家庭を築き、子どもを育てる・・・・ | 
| どの営みもみんなちゃんとやることが決まっていて、 | 
| 迷いや悩みもその道を歩きながら出会っていきます。 | 
| けれども、 | 
| 人生、ある年までくると | 
| 頼りになるその道が突然なくなってしまい、 | 
| それからは道は自分で作らなくてはならなくなります。 | 
| だれかの作ってくれた道を歩くことはできません。 | 
| ”生きる力”が問われる一大事です。 | 
| 情熱 | 
| 男は根源的に”情熱的な”生き物です。 | 
| 思い込むと一途に、こうと決めたら一直線、 | 
| ばかげたことに夢中になり、後先考えずに突っ走り、無邪気にのめり込む・・・・・ | 
| 女性にはとうてい理解できないだろうと思える、そんな”情熱”を、 | 
| 男なら誰しも内包していると感じます。 | 
| 我ながらあきれるほどに・・・・・ | 
| 方向 | 
| 去っていく者のつま先は、 | 
| 見送る自分と同じ方向を向いている。 | 
| だから、またいつかきっと会える。 | 
| 温もり | 
| 何とか元気になってほしいと励ましたいなら | 
| 何も言わなくていいから、 | 
| そっと手を握ってあげなさい。 | 
| その手の温もりに「待ってるよ」という思いを重ねて | 
| 手を握ってあげなさい。 | 
| 人の手の”温もり”には | 
| 信じられない力が宿っています。 | 
| 子育て | 
| 十分とは言えなくても、伝えるべきものは伝えた・・・・ | 
| 多くはないが、生きるために必要なものは持たせた・・・・・ | 
| 見栄えはしなくても、生きる楽しさや厳しさは自分たちの後ろ姿で示してきた・・・・ | 
| あとはお前たちの才覚で生きていけ・・・・ | 
| そう言って終われる子育てでありたい。 | 
| 無銘 | 
| 職人と芸術家のちがい? | 
| そりゃ簡単だ。 | 
| つくったものに名前を刻むかどうかだろう。 | 
| 自信のあるなしではないね。 | 
| ”芸術家”をこえる技を持った職人はざらにいる。 | 
| かれらが名前を刻まないのは、 | 
| 使う者がそれを必要としないからだ。 | 
| 無銘だからといって誇りや技がないわけではないことだけは | 
| 覚えておこう。 | 
| 別れ | 
| ”別れ”は大切なものだと思うようになりました。 | 
| またいつか会える人との今日の”別れ”は | 
| 二、三日たてば忘れていきます。 | 
| もう二度と会えないと思う人との”別れ”は | 
| どんなに時が流れても心から消えることはありません。 | 
| 自分が熱く生きた証しは | 
| そんな、二度と会えなくなった人たちから手渡されるものです。 | 
| 話 | 
| きょうはどんな人と、どんな話をしましたか。 | 
| 有意義な会話はありましたか。 | 
| 元気がもらえる話に加われましたか。 | 
| 十分話したはずなのに、話し終わったあと、さびしくなるのは | 
| 与えたかもしれないが自分は何ももらえなかったときです。 | 
| だれとも、一言も話さなかったさびしさより、 | 
| うんと胸に突き刺さるむなしさです。 | 
| スイッチ | 
| だれもが気づかないまま、 | 
| さまざまな”スイッチ”の恩恵を当たり前のように受けて使っている。 | 
| あまりにも身近にありすぎて、その便利さを考えることはしないだろう。 | 
| だが、 | 
| 自らスイッチをつくろうと試みる人はまれである。 | 
| 実りある人生とは、 | 
| 自分で自分だけの”スイッチ”を作り出すことではないだろうか。 | 
| 親心 | 
| 離れて暮らす年老いた親が、わが子や孫のために思いつく行動は、 | 
| 多くの場合、彼らにとってはありがた迷惑なことである。 | 
| ”そんなことしなくていいのに・・・・・・・” | 
| 生活の基盤がちがうので、どうしてもズレてしまうのだが、 | 
| 受け入れられるものなら、最大限受け入れてあげなさい。 | 
| 親はそのことのために何日も、何時間も | 
| 子どもや孫が喜ぶ顔を思い描きながらあれこれ考えたのだ。 | 
| 親心とはそういうものだと、 | 
| いずれ自分にもわかるときがくる。 | 
| どころ | 
| ”がんばりどころ”は、足や腰が悲鳴をあげるころにやってくる。 | 
| 力をふりしぼってここを乗り切らなければ、 | 
| 思い描いた姿にはとどかない。 | 
| ”ふんばりどころ”は、心が折れそうになるころにやってくる。 | 
| どんなにつらくても、苦しくて投げ出したくなっても、 | 
| ここであきらめたらズルズルとまたもとに戻ってしまう。 | 
| 逃げずに真正面から向き合っていれば、 | 
| いずれの”どころ”も「今がそのときだぞ」と | 
| ちゃんとその時期は伝えてくれる。 | 
| 真理 | 
| どんなに近づこうと、 | 
| ”接点”を持たなければ永遠に交わることはない。 | 
| どんなに離れていても、 | 
| ”接点”を内包していればやがて近づき、 | 
| 必ず交わる。 | 
| 誇り | 
| 無事に役目を終えた木の葉たちが、 | 
| キラキラと輝きながら誇らしげに落ちはじめた。 | 
| 真っ先に落ちる葉は、真っ先に木に養分を運び始めた葉なのだろう。 | 
| 森や林の中は | 
| そんな彼らの自慢話で今ごろきっと盛り上がっている。 | 
| 分かり合う | 
| 何を考え、何に心を震わせ、何を悲しみ、何を大事にする人か・・・・ | 
| 人と人とが分かり合うというのは大変なことなんだ。 | 
| 面倒くさくて、わずらわしくて、時間のかかる厄介な営みだね。 | 
| それなのに、人はその努力を懲りずに続けようとする・・・・・ | 
| でもね、バカげてなどいないんだよ。 | 
| その努力のおかげで、 | 
| やがてその人はかけがえのない”大切な人”になる。 | 
| テーマ | 
| 「君の人生の”テーマ”は何だ?」・・・・・ | 
| かつて知人からそう聞かれたことがある。 | 
| 人生のテーマ? | 
| 日々の忙しさについぞ考えたこともなかったが、 | 
| 与えられた時間の大半を使ってしまった今頃になって | 
| 妙に気になりだした。 | 
| 生涯をかけて追い求めてきたもの、大切にしたいと思い続けてきたもの、 | 
| それが”テーマ”だと考えると、 | 
| たしかに何かありそうな気はするのだが・・・・ | 
| ”テーマ”のために生きているわけではないにしても、 | 
| できれば見極めておきたいと思う。 | 
| 幸せ | 
| 豪華な邸宅に住み、高収入が約束された仕事を持ち、 | 
| 高価な車を乗り回し、”ブランド”で身を包む暮らし・・・・・・ | 
| うらやましいとは思うが、まっぴらごめんだ。 | 
| 小さな食卓を囲む家族のだんらんがある、とはとても思えないから。 | 
| 片や、幸せにはお金が不可欠と思う暮らし、 | 
| 一方は、幸せは自らの汗と家族の協力でつくるものと思う暮らし・・・ | 
| どちらを取るかと問われれば、迷うことはない。 | 
| 一度 | 
| ”一度しかない人生だから”とよく言うが、 | 
| ”一度しかない”という意味がほんとうにわかるのは、 | 
| その大部分を使ったころである。 | 
| 意味がわかってくると、その意味のあまりの重さゆえに | 
| めったに口にできなくなる言葉である。 | 
| 哀 | 
| おもしろいと思って見ていても、 | 
| やがて哀しくなる・・・・・ | 
| それが”大人”になったという証しだ。 | 
| おもしろさは、いつも哀しさの一部である。 | 
| 重荷 | 
| ”あの時はごめんなさい”と心から思う秘密を | 
| だれしもいくつか持って生きている。 | 
| しかたがなかったと内心言い訳はしながらも | 
| どこかで別の選択や方法があったのではという思いが消えない。 | 
| 長く生きるとは、そんな”重荷”がいやでも増えることで、 | 
| 歳とともに人間が深くなる理由である。 | 
| 誕生日 | 
| いくつになっても誕生日に「おめでとう」と言うのは何故か? | 
| 区切りのその日まで、無事に生きているからだ。 | 
| 若いころはこの日を何かの”道具”として使ってきた覚えがあるだろう。 | 
| ある歳までくると、 | 
| この日は”道具”ではなく、”目的”になってくる。 | 
| 「次の誕生日まで何とか元気でいたい」と・・・・・・ | 
| 断と継 | 
| 人はだれもハサミと縫い針をもっている。 | 
| ハサミで邪魔なものを切り裂き、 | 
| 縫い針で必要な関係を縫い合わせる。 | 
| 時おりその使い方を誤り、痛い目にあうことがある。 | 
| 断ち切ってはいけないものをバッサリと切ってしまい、 | 
| 縫い合わせてはいけないものを縫ってつないでしまう・・・・ | 
| 誤った代償を | 
| ”後悔”という | 
| 美 | 
| きれいでありたいなら | 
| 美しくありたいと願うことだ。 | 
| 美しくありたいなら | 
| きれいであろうなどと思わないことだ。 | 
| せめて | 
| 労働が過酷であればあるほど、その証しは手や指に現れるものだ。 | 
| 節くれだち、マメが幾重にも重なり、変形し、真っ黒に日焼け・・・・ | 
| そんな手が作り出したものの恩恵は存分に受けながら、 | 
| そんな手になる仕事からは遠ざかろうとする。 | 
| それは仕方のないことだと言うなら、 | 
| せめて手にしたものの向うに | 
| 汗を流し、肩や腰の痛さに耐えて届けてくれた人を見ようと努めることくらいは | 
| してもよいだろう。 | 
| 意味 | 
| これまでに、この地上でめぐり合った人たちは | 
| その時々に私の生きざまに刺激を与え、安らぎを与え、奮起を促してくれた。 | 
| 願わくば、彼らにとっての”私”も、 | 
| そういうものであってほしい。 | 
| 何十年も生きてきて、 | 
| だれにも、何一つ影響を与えなかった人生など、 | 
| あまりにさびしすぎる。 | 
| 方法 | 
| 心を通じあわせる方法は二つ・・・・ | 
| 長い時間をかけて向き合い、互いに理解しようと努力し続けること、 | 
| 瞬時にひびき合ったものを信じて、行動を共にすること。 | 
| 八甲田山 | 
| 映画「八甲田山」を久しぶりに観ました。 | 
| 原作は新田次郎の「八甲田山死の彷徨」・・・・・ | 
| 200人の大量遭難を生んだ原因は、 | 
| 軍の無謀な計画と無能な指揮官の命令であったと作品は訴えます。 | 
| 遭難こそないものの、まったく似た構図が今の社会にも横行していませんか。 | 
| ずさんな計画と無茶な命令がどんなに部下たちを苦しめるか、 | 
| ”組織”と呼ばれる集団のリーダーたちにはぜひ見てほしい映画です。 | 
| 遠足 | 
| 昼食時になって、なかなか弁当のふたを開けようとしないA君、 | 
| 彼の家は父子家庭で、父親は朝が早い仕事であった。 | 
| 器用とはいえない父親がその朝どんな弁当を作ったのか、 | 
| およその見当はつく。 | 
| やっと開いた彼の弁当箱には | 
| 平天の煮つけと佃煮と少しこげた卵焼きが無造作に並んでいた。 | 
| 「おお、うまそうじゃないか、先生のからあげと平天交換してくれないか。 | 
| 先生な、平天が大好物なんだ・・・・・・・」 | 
| なかなか弁当のふたを開けられなかったA君に | 
| 先生はそれ以外の方法を思いつかなかった。 | 
| 並んで座って食べた。空が青かった・・・・・・・ | 
| 道 | 
| 君の選んだ道は私の道とはちがっていたが、それはいい。 | 
| 君は君の道を行けばよい。 | 
| 交わることも、ならぶこともない二つの道だが、 | 
| 「あいつも今ごろ、あの道を歩いているんだろうな」と | 
| 思い浮かべることができればいい。 | 
| 君の歩いている道が見える。 | 
| 私の歩いている道は見えているだろうか。 | 
| ありがとう | 
| ここまで育ててくれて、ありがとう。 | 
| ここまでいっしょにいてくれて、ありがとう。 | 
| 一人ぽっちではないと教えてくれて、ありがとう。 | 
| いつも元気な顔を見せてくれて、ありがとう。 | 
| 私を今日まで生かせてくれたみんな・・・・ | 
| いまある私をここまで支えてくれたみんな・・・・・ | 
| ほんとうにありがとう! | 
| あしたも精いっぱい生きてみます。 | 
| 励まし | 
| 励ましてほしいだって? | 
| そりゃ無理だよ。 | 
| 気の利いた言葉は言えるが、 | 
| そんなもの、どう言おうが社交辞令だろう。 | 
| 君がそんなもので元気になるような、軽い人間だとは思いたくない。 | 
| だから、 | 
| 自分で君の持てる力をふりしぼれ。 | 
| 私にできることは | 
| そんな君のそばを離れずに見守っていることだけだ・・・・ | 
| 問 | 
| 「もっとたくさん・・・」 | 
| 「一つだけ・・・・」 | 
| 今、口から出るのはどっちですか。 | 
| ウソとホント | 
| 心苦しくても”ウソ”を言わなくてはならないときがある。 | 
| ”ウソ”の方がいいのに、”ホント”を言わなければならないときがある。 | 
| いずれかを一度でも経験した者は、 | 
| 「ウソとは何か」ということを他のだれよりも | 
| 深く、重く理解することができる。 | 
| 意味 | 
| 創造・・・ | 
| 「創」の原意は「きずつける」で、 | 
| 「造」の原意は「到達する」である。 | 
| 何ものをも傷つけず、こわすこともなく、新たなものにたどり着くことはできない。 | 
| 「創造」とはそういう意味だ。 | 
| 自らの手でつくりだしたものを思い浮かべてみるとよい。 | 
| かならず「創」の事実があったはずだ。 | 
| 世代 | 
| おそらく、おじさんやおばさんたちは、 | 
| 「もったいない」を生活の基本として育った最後の世代だろう。 | 
| 途中から「もったいない」は”悪”に変わり、 | 
| どんどん使ってどんどん捨てることが求められる世の中になった。 | 
| どこか後ろめたさを感じながら | 
| ”大量消費・大量廃棄”の渦のなかに・・・・・ | 
| だが、幼いころにしつけられた”もったいない”は、 | 
| 体の奥で生き続けているらしく、 | 
| 今でも簡単に使い捨てができない。 | 
| 「捨てる」ことに躊躇する最後の世代でもある。 | 
| こわす | 
| ”つくりかた”ならだれもが教えてくれる。 | 
| 学校でも、職場でも、社会でも | 
| 人は”つくりかた”を身につけるために勉強し、練習し、経験を積もうとする。 | 
| だが、 | 
| ”こわし方”はだれも本気で教えてくれない。 | 
| 本気でこわさなければ何も変わらないということはざらにあるのに、 | 
| こわし方に巧みな人間は少ない。 | 
| 壊滅的にこわれたところから立ち上がったときに | 
| 人は本当に変わることができるのだが・・・・・・・ | 
| なんとか | 
| まあ、なんとかなるさ・・・・ | 
| くよくよ考えるのはやめて、 | 
| なりゆきにまかせてみよう。 | 
| そうするのが一番いいということも | 
| 人生にはあるものだ。 | 
| どーんと構えていれば、そのうち何かが動く。 | 
| 考えるのはそれからでも遅くないだろう。 | 
| 甘え | 
| 一番甘えて育つべき時期に”甘えること”を許されずに育つと、 | 
| 大人になって、自分に甘えてくる相手を受け入れることが難しくなる。 | 
| 甘えは許されないものだという感覚がそうさせる。 | 
| 過度の甘えをたしなめることも必要だが、 | 
| 思い切り甘えても許される体験を忘れてはならない。 | 
| わかれ | 
| 里帰り、帰省、お盆の行事・・・・ | 
| 全国のいたるところで | 
| 親子や兄弟姉妹、親せきや友人との久しぶりの対面があったことだろう。 | 
| 楽しく過ごした時間も終わり、やがて別れのとき・・・・ | 
| 見送る者、見送られる者の双方に | 
| 大切な「きずな」の重さが埋め込まれる。 | 
| 顔が見えなくなったあと、 | 
| 互いに「息災であれ」と祈る気持ちは、さびしさとともに、 | 
| また明日から元気にがんばらなくては、という決意にかわっていく。 | 
| 届け先 | 
| あなたに届けたいと思ったものが | 
| まだ手元にあります。 | 
| 梱包もしっかりしたし、自分の住所も書きました。 | 
| しかし、 | 
| 肝心の、届け先であるあなたの居場所がわかりません。 | 
| そんな未配達の荷物が、年々ふえていきます。 | 
| 年を重ねるということは、そういうことなのでしょうか。 | 
| 無印 | 
| 華々しい活躍をして脚光を浴びた人も、 | 
| 現役を退けば”ただの人”になる。 | 
| 過去の栄光は、 | 
| その後の人生では花瓶に生けた花のようなもので、 | 
| しばらくは見ていられるが、 | 
| やがて枯れて手に余る。 | 
| ”ただの人”とは完全に無印の人という意味であることを | 
| いやでも呑み込まなければならない。 | 
| 足跡 | 
| 歩けば足跡は残るものだが、 | 
| 足跡は自分のために残すものではない。 | 
| 長い時間、懸命に歩いた痕跡は、 | 
| あとに続く者たちが、 | 
| かつてここを歩いた人がいた、と確かめるためのものだ。 | 
| いい加減な足跡を残すと | 
| 彼らが道に迷うのだから、 | 
| 心して踏みしめよ。 | 
| 構図 | 
| 投手ばかり9人集まっても、野球はできない。 | 
| そんなことはみんなわかっているのに、 | 
| なぜかみんな投手になりたがる・・・・・ | 
| 話し合いや計画がうまくいかないときは、 | 
| きっとそんな”構図”がどこかにあるはずです。 | 
| 意思 | 
| 目を閉じていても見えてくる光景がある。 | 
| それが鮮明であればあるほど、大切な意味を持っていたということ。 | 
| その数が多ければ多いほど、ぼんやり生きてはこなかったということ。 | 
| 思い出そうとしなくても、ふとまぶたの裏に見えるものは | 
| 見てほしくてたまらず、勝手に顔を出す・・・・・ | 
| 記憶にも”意思”がある。 | 
| 視点 | 
| みごとだと感服する他人の生き方が見えてくるのは、 | 
| さまざまな迷いに見舞われる若い時代ではない。 | 
| 迷いの数が少なくなり始めるころ、 | 
| ようやく自分の生き方をふり返る余裕ができるにつれて、 | 
| 他人の生き方も見えてくる。 | 
| 若いころに見ていた他人の生き方は、 | 
| あこがれか、羨望か、敵対のいずれかであった。 | 
| そこに”みごとだ”と評する視点はなかった。 | 
| 花火 | 
| 打ち上げ花火・・・・・ | 
| ”きれいだった”とはみんな言うが | 
| 豪華で、華麗で、誰をもうならせたあの花火の形や色を、 | 
| 次の日まで覚えている人はいない。 | 
| 一見はなやかに見えるものは | 
| 長く人の記憶には残らない。 | 
| 痛い目 | 
| ”痛い目”は若いうちにうんと経験すべきである。 | 
| こんなことをすればこんな痛い目にあう・・・・ | 
| その経験が健全な大人になるためにはどうしても必要だ。 | 
| 痛い目にあわせないのが親のつとめだ、などと | 
| 勘違いすることなかれ。 | 
| 痛い目を知らずに育つと、 | 
| だれもそんなところで転ばないような場所で、 | 
| 思い切り転んで大けがをする。 | 
| ほどほど | 
| 十分ではないかもしれないが、 | 
| よくよく考えれば、ほどほどに満たされてはいないか。 | 
| ”ほどほど”を手に入れ、守るために日々頑張ってきたのだろう。 | 
| まちがっても | 
| ”ほどほど”の設定目盛りを勝手に上げないことだ。 | 
| 上げたとたん、”ほどほど”は”まだまだ”に変わり、 | 
| やがて”もっともっと”に変質する。 | 
| 自分 | 
| 大きい人だと言われる人がいる。 | 
| 深い人だと言われる人がいる。 | 
| どちらも魅力的な人たちだ。 | 
| 他人の大きさや深さがわかるというのは | 
| 自分もそれに近い水準に達しているということ、 | 
| まったく手の届かないところにいる人たちではない。 | 
| 深さ | 
| 好機を逃した悔いの深さは、 | 
| 対象となる相手の魅力を増幅させる。 | 
| 友達 | 
| ラブレターを一度も書いたことがないという人、 | 
| 何かの上に”あぐら”をかいているのに、 | 
| 自分はちゃんと”正座”していると思っている人、 | 
| ”憂い”の表情を持ち合わせない人、 | 
| 一度も転んだことのない人、 | 
| 以上、友達にはなりたくない人たち・・・・・ | 
| ようやく | 
| 記憶にのこる人と同じ年齢になったころに、 | 
| ようやくその人の思いや気持ちがわかるようになる。 | 
| どうやら人間は | 
| そのようにできているようだ。 | 
| 歯車 | 
| きちんと噛み合って正確に動いていた自分の”歯車”も、 | 
| 年を重ねれば少しずつ摩耗し、不具合が出てくる。 | 
| それは仕方がないとして、ではどう対処するか・・・・ | 
| 回転速度を落として静かに動かすしかないだろう。 | 
| ガタガタ音を出しているのに、無理に動かそうとすると、 | 
| しまいには動かなくなるのが道理だ。 | 
| 効率は悪くなるだろうが、何も心配ない。 | 
| ゆっくり動く分、燃料は少なくてすむ。 | 
| 硬直 | 
| 放置しておくと間違いなく硬直するもの・・・ | 
| 冷凍庫に入れた水と新しい刺激をあきらめた脳。 | 
| 言 | 
| 最期に「いい人生だった」と言って終われるように、 | 
| いまその人生をよりよく、精いっぱい豊かにしようとして生きている。 | 
| 昨日の喜びも一昨日の悲しみも | 
| そのための積み石であった・・・・・・ | 
| そう思うことにしよう。 | 
| あの日 | 
| 一歳七ヵ月になる孫が、 | 
| この夏やっと”卒乳”したと聞いた。 | 
| 誕生以来、命の糧であった母乳をやめ、自ら糧を求めようと決断した日である。 | 
| そんな決断の日はだれの幼い日にもあったのだが、 | 
| いつの間にかみんなすっかり忘れてしまっている。 | 
| あの日は | 
| 将来必ずやってくる「親離れ・巣立ち」のための大事な練習を | 
| 無事に終えた日ということだったのだ。 | 
| 人間 | 
| 失敗しない人間なんていない。 | 
| まちがいを犯さない人間なんているはずもない。 | 
| 自分だけは失敗もまちがいも決してしない、と誓うのも、 | 
| 立派なまちがいの一つ・・・・・ | 
| 小さな失敗やまちがいを何度も繰り返しながら反省し、学習し、 | 
| 大きな失敗、大きなまちがいに備えている。 | 
| 美しい言葉 | 
| 苦しいときこそ夢を語れ・・・・ | 
| かつて苦境に立ったときに友人が励ましてくれた言葉だ。 | 
| 気持ちはうれしかったが、そのときは | 
| そんなことが本当に実行できる人間がいるのかと疑った。 | 
| あれから何十年もたって、 | 
| いまだに窮地のなかで夢が語れる人間にはなれないでいる。 | 
| その言葉を実践しながら生きている友人を見ながら思う。 | 
| 苦しいときこそ夢を語れ・・・ | 
| ほんとうに美しい言葉をもらったと・・・・・ | 
| 刺激 | 
| 若いころはだれも思ってもみないが、 | 
| 日々の暮らしから”刺激”を消去されるのは何よりもつらいものだ。 | 
| 刺激があるとそれに反応するために負荷がかかり、 | 
| 適度な”ストレス”が心身を活性化させてくれる。 | 
| 老いに埋没しないための有効な手段は、 | 
| 刺激を失わないこと・・・・ | 
| 待っていてもやってこないなら、 | 
| 自分から動いてでも求めることだ。 | 
| きっと・・・ | 
| まだ幼い子どもだったころ、 | 
| 悲しくて、切なくて、寂しくて涙が出てきたことがきっとあった。 | 
| 涙が出そうになって、 | 
| ここで泣いてはいけないと必死でこらえたこともきっとあった。 | 
| 大半はもう忘れてしまったが、 | 
| 子どもだったあのころ、そんな場面はきっと何度もあったはず・・・・・・・ | 
| 今涙が出るのは、 | 
| きっとあのときと同じ状況の、よく似た場面にちがいない。 | 
| 頼り | 
| 「あなたがいてくれてよかった」・・・ | 
| だれかに頼りにされる人生でありたいと思います。 | 
| だれかの役に立っていることほど、 | 
| 生きることを熱くさせてくれるものはありません。 | 
| 何か | 
| 他人の生きざまを見ていると、 | 
| 自分には何か決定的に欠落しているものがあるのでは、と思うことはないだろうか。 | 
| 他の人間はごく普通に持っているのに、 | 
| そこだけがぽっかり空洞になっていて、自分にはそれがない・・・・・・ | 
| 思い当たらないと言うなら、それはそれでいい。 | 
| 思い当たるとしても、落ち込むことはない。 | 
| 無意識のうちにそれをもとめようとして | 
| ”自分らしさ”がそこから生まれているのだから・・・・・ | 
| 人間 | 
| 否応なしに”針のむしろ”のような場に立たされることがある。 | 
| 逃げ出せるものなら逃げ出したい・・・・・ | 
| しかし、ここを乗り切らなければもっと苦しくなるとわかっているから、 | 
| 歯をくいしばって耐えようとする・・・・・ | 
| それが人間だ。 | 
| 信じられないほど大きな負荷がかかっていても | 
| 逃げずに戦えばきっとむしろの”針”は消えていく、と | 
| そう信じられるのも人間だ。 | 
| 決断 | 
| きのうと同じように夜が明けて、 | 
| きのうと同じように日が暮れていく・・・・ | 
| そのあいだに一体何をするか、何はしないか、 | 
| 一日が始まるというのは、 | 
| そんな決断を繰り返せという意味である。 | 
| 若さ | 
| 若さとは、可能性を追い求めること、 | 
| 決して無茶をすることではない。 | 
| したがって、六十歳の”若さ”があり、八十歳の”若さ”もある。 | 
| 二十代の”若さ”と少し違うのは、 | 
| 入り口と奥行きが狭くなっていることくらいだ。 | 
| 何かを探し、追い求めているかぎり、 | 
| それをやめてしまった者に比べれば、 | 
| はるかに若い。 | 
| やらせ | 
| 近所のおばさんからお菓子をもらったわが子に、 | 
| 「ちゃんとありがとうってお礼を言いなさい。」としつける親がいる。 | 
| 子どもは素直に「ありがとう」と言う。 | 
| そんな場面に出会っても、だれ一人、 | 
| ”これはやらせだ”と憤る人はいない。 | 
| ”やらせ”とは、 | 
| 目的をもってだれかを謀ること。 | 
| それがわかっていない大人がいる。 | 
| 関係 | 
| この世には男と女しかいないのだから、 | 
| 人間がつくる関係は三つの種類しかありえない。 | 
| 男と男、男と女、女と女・・・・・・ | 
| 同性の関係ならいくつ掛け持ちで持っても許されるが、 | 
| 男と女はそうはいかない。 | 
| だから、 | 
| ”ドラマ”が起こる。 | 
| 道 | 
| まっすぐに伸びた道は、見ている分には気持ちがよい。 | 
| だが、実際に歩き始めると、 | 
| こんなにおもしろくなく、つまらない道はないことに気づく。 | 
| 「あの角を曲がると何があるのだろう」・・・・ | 
| 歩く楽しみは、そんな期待がつくってくれる。 | 
| 人生も然り。 | 
| 望み | 
| 望むから 希望になる・・・・・ | 
| ある酒造メーカーのCMに出てくる言葉です。 | 
| なるほど、と思ってしまいました。 | 
| 言い換えれば、望まなければ、何もない、ということになります。 | 
| そうですね、欲しい、手に入れたいと思うから | 
| 人はそのためにどうすればいいかを考えるのです。 | 
| まずは欲しいと望みなさいということですね。 | 
| 言葉 | 
| 「おかえりなさい」と言う言葉には、 | 
| 「ここはあなたの安息の場所ですよ」という意味が込められている。 | 
| その証拠に、 | 
| ケンカをしていたり、仲の悪い関係だったり、 | 
| 互いの信頼が消えてしまった者たちには | 
| 使いたくても使えない言葉になる。 | 
| 生き方 | 
| 他の道もあったのだろうが、 | 
| 結局こんな生き方しかできなかった・・・・ | 
| 「こんな生き方しか」と、やや否定的に言いながらも、 | 
| 多くの場合、 | 
| 「こんな生き方」にどこかで納得している自分がいる。 | 
| どの道を選んでも、結局「こんな生き方しか」できなかっただろう、と | 
| だれもが思うからだ。 | 
| 見える | 
| 遠いところにあるものはちゃんと見えていても | 
| 一番近いところにあるものは | 
| 最も見えにくい。 | 
| 見ようと思えばちゃんと見えるのに、 | 
| 見逃してしまうか、見ようとしていないからだ。 | 
| そうすると、 | 
| 最も見えにくいものが、最も大切なものだ、ということも | 
| 見えなくなる。 | 
| 不器用 | 
| 不器用を恥じるな。 | 
| 不器用を恥じる気持ちこそ恥じよ。 | 
| 前言をいとも簡単に覆し、たやすく変節する人間が多い中で、 | 
| 君は愚直なまでに自分の信念を守ってきただけだ。 | 
| 他人はそれをみて「不器用な奴だ。」と言うかも知れない。 | 
| いいではないか。 | 
| 少なくとも君は、 | 
| 他人の不器用を見てあざ笑う人間にはならなかった。 | 
| 立派なことだ。 | 
| 彩り | 
| もっと早く出会いたかった・・・・・・ | 
| そう思える人は、振り返ると一人や二人ではないでしょう。 | 
| 残念ですが、叶いませんでした。でも・・・・・・ | 
| もっと早く出会っていたらきっとこんなこともできただろう、と考える | 
| 夢のような時間を与えてもらったはずです。 | 
| 出会う時期はたしかに合いませんでしたが、 | 
| そんな人のおかげで自分の人生に”彩り”が増えたことは間違いありません。 | 
| それでよし、として呑みこんでおくことです。 | 
| 自然 | 
| 空や海や山を見て「美しい!」と感じられる人は、 | 
| 幼いころに、それらと無心に遊んだことのある人でしょう。 | 
| 自然は自分と遊んでくれた人間を忘れません。 | 
| ささやかなお礼をもらっているのです。 | 
| 甲斐 | 
| 自分の持つあらゆるもの、ありったけのものを注いでも | 
| 決して悔いの残らない気持ちを「愛」と言う。 | 
| 人は自分以外のだれかのために生きている、ということを | 
| 痛切に思い知る瞬間だ。 | 
| そんな「だれか」を一人でも持てたら、 | 
| この世に生まれてきた甲斐がある。 | 
| 名言 | 
| 「よく遊び、よく学べ」と言うが、 | 
| あれは子どもに向かって言う言葉じゃないんだね。 | 
| 子どもは黙っていてもそうするもんだ。 | 
| だからあれは、われわれ大人に向かって言われる言葉だと思うよ。 | 
| よく遊べない大人は真に学べないし、 | 
| よく学べないから、つまらない遊びにうつつをぬかすんだろう。 | 
| つべこべ言うまえに、まずよく遊びなさい。 | 
| 一つ | 
| しあわせは小さくていいんだよ。 | 
| ホッとして、何やら満たされた気持ちになるほんのわずかな時間が | 
| 一日に一つあればいいじゃないか。 | 
| 欲張らないで、一つ・・・・・・ | 
| よかった | 
| 人は、誰かを幸せにするために生まれてきます。 | 
| そして | 
| 誰かのこころを和やかにするために今も生きています。 | 
| ”私”がいてくれてよかった・・・・ | 
| そう思ってくれる人のために生まれてきたのだから、 | 
| 無意味な人生などありません。 | 
| 今もきっとどこかで、その人は | 
| ”私”と出会えてよかったと思っています。 | 
| 目的 | 
| 種を維持することだけが目的なら、 | 
| 男と女は蜂のような生存形態でもよかったでしょう。 | 
| それなのに、男女がほぼ同数生まれるのには、 | 
| 何か理由があるはずですね。 | 
| それを知るために、 | 
| 男と女には出会いがあり、別れがあるのだと思います。 | 
| 熟年 | 
| ささやかでも、みんなそれぞれに | 
| 小さな夢や希望をもって日々を生きている。 | 
| そんなあたりまえのことが、「ほんとうにそうなんだ」と思えるようになる・・・・・・ | 
| 熟年とよばれたいなら、 | 
| せめてそれくらいの手土産は必要だ。 | 
| 道 | 
| 道をつける人と、その道を広げる人と、その道を歩く人がいる。 | 
| ずいぶん長い時間をかけて | 
| あなたや私がやってきたことは、 | 
| どれだったのだろうね。 | 
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