雑感バックナンバー16
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| あこがれ | 
| 清楚で純朴で初々しいものがいいですね。 | 
| 長い間その反対のものばかり見てきたようなので、 | 
| このごろ、やけにそんなものにあこがれます。 | 
| 飾りや虚言や無意味な駆け引きでくたくたになるのはもうごめんです。 | 
| 文化 | 
| おじさんたちには | 
| 到底ついていけない風潮や流行が巷にあふれているが、 | 
| まあ、これから先の社会をつくっていくのは君たちなのだから、 | 
| それもいいだろう。だまって見守ることにしよう。 | 
| おじさんたちの歌っていた歌が今では「なつメロ」になったように、 | 
| いずれ君たちの”文化”もそうなる日が来る。 | 
| 後に続く者たちに恥ずかしくないものにしておきたいね。 | 
| 栄光 | 
| 過去の栄光にすがって生きるなど、まっぴらごめんだが、 | 
| 「過去の栄光」は必要だ。 | 
| かつて輝いたことがあるという記憶は | 
| 次第に熟成され、やがて、ささやかな「誇り」になる。 | 
| そんなものも持たず、手ぶらで進めるほど、 | 
| ”第二の人生”は甘くない。 | 
| 選択 | 
| いろいろ迷いはあったのでしょうが、 | 
| そこを選んで、そこに立ったのは紛れもなくあなたです。 | 
| 今さら立つ場所をまちがえたと言うのはずるいですね。 | 
| 最後まで「ここは自分の居場所だ」と腹をきめて、 | 
| もう一度まちがえたと感じる原因に挑んでごらんなさい。 | 
| まだまだ時間はあります。 | 
| 言葉 | 
| しあわせになってください・・・と願うのは、 | 
| 行く手が決して平坦な道ではないときや、 | 
| 困難が待ち構えていることがわかるときだ。 | 
| 大切な人が悲しみや涙に包まれて暮らすことにはなってほしくないから、 | 
| しあわせになってください、と祈る。 | 
| 具体的な言葉は具体的な不幸を連想させるので、 | 
| これに代わる適当な言葉はない。 | 
| 牛歩 | 
| 脱兎のようにはいかないから | 
| 牛歩のように進みたい。 | 
| 大きな目を開いて、路傍の草を食みながら、のんびり、ゆっくり、 | 
| 一歩一歩を踏みしめてゆっくり歩きたい。 | 
| 走りたくなれば、「まさかお前が・・・」と言われるくらいに走れるのだから・・・・ | 
| いいではないか。牛歩がちょうどいい。 | 
| 請われれば | 
| ひとかどの人物とは、 | 
| ふだんは目立つこともなく、後ろに下がっているけれども、 | 
| いざ頼まれれば、誰をもうならせる仕事をする人である。 | 
| ・・・・請われれば一差し舞える人物になれ・・・・・ | 
| 梅棹忠夫 | 
| 歴史 | 
| 「歴史」と呼ぶ時の流れを山の稜線に例えるなら、 | 
| その時代を生きた人々の暮らしや喜怒哀楽は、 | 
| 深い谷底を流れる川の水であろう。 | 
| 高所から見れば、稜線は明確に、容易にたどれるが、 | 
| 谷底の流れは見えない。 | 
| 将来自分の生きた時代を「歴史」と呼ぶときが来ても、 | 
| 谷底を流れた水は表に出ることはないだろう。 | 
| 私もあなたも、 | 
| 今、そんな谷底を流れている。 | 
| 充足 | 
| いま一番ほしいものは何ですか? | 
| 望めば手に入るものと、それがむずかしいものと、 | 
| それぞれ一つずつ思い浮かべてごらんなさい。 | 
| もし即座に思いつかないなら、 | 
| はた目にはどう見えようと、満たされているということです。 | 
| 消す | 
| 具体的には何のつながりもないのに、 | 
| あるものを見たとたん、思い浮かぶ人がいる。 | 
| 自分の中では消したつもりでも、 | 
| まだ消えていない人という証しである。 | 
| 手抜き | 
| かつて、ここぞというときに手を抜いて痛い目にあったことがある。 | 
| ここぞというときには決して手を抜いてはならないと知った。 | 
| 千載一遇の好機はめったにやっては来ないということを、 | 
| まだ若いからという理由で軽視するのは、 | 
| 単なる損失だけでは済まず、いずれ後悔という追撃を受ける。 | 
| ここぞというときは必ずやってくる。 | 
| そのときはよそ見をしないで全力を注ぐことだ。 | 
| 石 | 
| 先ほど蹴とばした石ころは、 | 
| 実は何千年、何万年も前にこの世に生まれた石です。 | 
| 自分を蹴とばしたり、投げたりした人間を何人も見てきたことでしょう。 | 
| 今度はおまえか・・・・ | 
| 畑の石ころを捨てようとする私に、 | 
| そう言われているような気がします。 | 
| 離別 | 
| 去っていった人がいる。 | 
| 一人や二人ではないだろう。 | 
| 去っていったと思っているが、 | 
| 相手の人間からみれば | 
| 自分が「去っていった」人になる。 | 
| 離れるとはそういうことだろう。 | 
| まね | 
| どんなに精巧に作っても | 
| レプリカは所詮”ニセモノ”です。 | 
| ホンモノと違うのは、レプリカには「創造」が許されないこと。 | 
| 知恵や感性を使って苦心しながら創造するから、ホンモノになるのです。 | 
| 最近”ホンモノ”に巡り合っていないと感じるなら、 | 
| きっと自分で創り出すことをしないで | 
| だれかの、何かの「まね」をしているからでしょう。 | 
| 別れ | 
| 別れはいつか来る。かならずやって来る。 | 
| どんなに覚悟はしていても、 | 
| 圧倒的な哀しみや寂しさは、 | 
| そんな覚悟など容赦なく押しつぶそうとするだろう。 | 
| 自分はこれほどまでに弱い人間であったのかと思い知らされる。 | 
| だが心配はいらない。それでいいのだ。 | 
| 落ち込むときはとことん落ち込む・・・・・・ | 
| 自分にいのちがあるかぎり、多少時間はかかっても | 
| 必ずまた復活の芽が静かに育っていく。 | 
| 何年たっても | 
| 尊敬できるか、それに近い気持ちで「先生」と呼べる師を持てれば、 | 
| この世で手に入る数少ない「幸運」の一つに恵まれたと思いなさい。 | 
| 尊敬は感謝から生まれ、感謝は愛してもらったという実感が育てます。 | 
| 赤の他人同士でありながら、こんな不思議な関係は他には成り立たないでしょう。 | 
| 利害損得の一切からまない、純粋で、無垢で、さわやかな、 | 
| かけがえのない関係です。 | 
| いいかげん | 
| 「いいかげんにしろ!」・・・・・ | 
| 加減とは足したり引いたりしてバランスよくすることだから、 | 
| 「いい加減」とは、程よくバランスのとれた状態を言う。 | 
| 「いい加減にしろ!」と叱られるときは、 | 
| 何か偏った状態になっているということだから | 
| 叱られて思い当たれば耳を傾けることだ。 | 
| 器 | 
| 何ごとにつけ、 | 
| 「済んだことはしかたがない」と思えるかどうかは | 
| その人間の器の大きさの問題である。 | 
| 反省は肝に銘じながらも、まず次に何をするか・・・・ | 
| それが見通せる者の後ろには | 
| 必ずだれかがついてくる。 | 
| 練習 | 
| 人が出会い、別れるという営みを繰り返すのは、 | 
| 世代交代という壮大な受け渡しのための予行練習なのでしょう。 | 
| 「生者必滅 会者定離」という、厳格なこの世の仕組みは、 | 
| きっと何度も練習を繰り返すから受け入れられるのです。 | 
| いきなり本番では、きっとだれもが卒倒するでしょう。 | 
| 消える | 
| 形あるものはいずれ姿を消す・・・・・・ | 
| それが地表の掟です。 | 
| 本気で考えだすと、とんでもなく怖くなるので、 | 
| 普段はあまり考えません。 | 
| 消えることは自然なことだとわかっていても、 | 
| わが身に重ねると、全く理解不能の命題となります。 | 
| 個性 | 
| 持って生まれた特性や特徴を”個性”と言う。 | 
| 「個性=自分らしさ」とは限らない。 | 
| 自分らしさには個性を元にした明確な方向付けが必要だ。 | 
| 私はこうしたい、おれはこうやって生きる・・・・・・・ | 
| それがはっきりしたとき初めて、、 | 
| 個性は”自分らしさ”になる。 | 
| 個性には枝葉があるが、 | 
| 自分らしさは、一本の貫く幹である。 | 
| 恵み | 
| 種や苗代、肥料代、手間を考えると | 
| 野菜は買って食べた方が絶対安上がりです。 | 
| それでも畑で野菜を育てようと思うのは、 | 
| 「恵み」を感じたいからです。 | 
| 自然や大地からの「恵み」としていただいた野菜を食べる・・・・ | 
| 思い上がりが消えて、不思議に謙虚になれる自分に出会いたいからです。 | 
| 不安 | 
| 豊かであるということは | 
| 乏しくなるかもしれない不安を内包しています。 | 
| 満たされているということは、 | 
| 空っぽになるかもしれない不安を孕んでいます。 | 
| 対極にある不安をいつも意識しておけば | 
| 今ある満足に浮かれることはないでしょうね。 | 
| 極意 | 
| おそらくもう劇的な変化はないでしょう。 | 
| だから日々の小さな変化を楽しむのです。 | 
| 接点 | 
| どんなに接近しても接点がなければ交わることはありません。 | 
| 接点は「点」であって、ほんのわずかな”きっかけ”です。 | 
| 考えてみれば、その小さな”点”から始まった関係を | 
| ずいぶんたくさん、そして長く保ってきたのですね。 | 
| その小さな”点”ができたのは、 | 
| ひょっとすると天文学的な確率だったのかも知れません。 | 
| だれもがそれを「縁」と呼びます。 | 
| 子ども | 
| 子どもであろうとする子どもは好きではありません。 | 
| 子どもの世界から逃げようとする子どもも好きになれません。 | 
| 子どもであることを乗り越えようと | 
| 一生懸命けなげに背伸びをしている子どもを見ると、 | 
| わけもなく抱きしめてやりたくなります。 | 
| 最高 | 
| 今が最高だ!と思う時間をできるだけたくさんお持ちなさい。 | 
| いくつ持ったからと言って咎められることはありません。 | 
| 何年かたつと、それらの時間が心のすき間を埋めてくれて、 | 
| 何だかやっていけそうな、何とかなりそうな、 | 
| そんなささやかな勇気を育ててくれます。 | 
| そんなときが必ず来ます。 | 
| ケンカ | 
| 「この野郎!」と思う相手とはケンカをしない。 | 
| そんな人間とケンカをすれば、 | 
| 自分も相手と同じ水準まで落ちてしまう。 | 
| 腹は立っても「かわいそうな奴だ」と見ていればよい。 | 
| ケンカをするなら、 | 
| 自分の水準をこえる相手に挑むべきである。 | 
| 真理 | 
| 「途切れることなく、脈々と続いているもの」が見え始めると、 | 
| 人生も実りの時期だ。 | 
| 自分もその「続いているもの」の一部であること、 | 
| 後に続くものたちへ橋渡しをしているのだということ・・・・・・ | 
| すがすがしく、すきとおった、まるで水晶のような真理ではないか。 | 
| 共振 | 
| 満開の桜を見て、 | 
| 咲き誇る花に心を動かされる人もいれば、 | 
| 散っていく花びらに感動する人もいる。 | 
| しかし | 
| 大地に根を張り、天空に枝を広げ、花を支える木そのものや | 
| 花びらをすべて落とした葉桜をめでる人はまれである。 | 
| 「美しい」と感じる心は、 | 
| 深くその人間の生き様と共振する。 | 
| 「きれいだ」と感じる心とはその一点で異なっている。 | 
| のど | 
| のど元過ぎれば熱さ忘れる・・・・ | 
| あまりいい意味では使われないようだが、いいではないか。 | 
| のどの中にあるうちは熱さを感じていたのだし、 | 
| のど元を過ぎて、いつまでも熱いと感じるのは病気だ。 | 
| ただし、 | 
| のどの長さが人並より短い人は、 | 
| まだみんな熱いと言っているのに一人涼しい顔をするので | 
| 評判は悪くなる。 | 
| 店じまい | 
| 店じまいの準備はすすんでいますか。 | 
| 案外片づけにも時間がかかりますから | 
| 早めに取りかかった方がいいと思いますよ。 | 
| 季節 | 
| 雪国の春は、 | 
| 季節が一度リセットされてから始まる。 | 
| すべてを「白紙」に戻したところから始まる雪国の春は、 | 
| 雪のない地方の春と決定的に異なる出発をする。 | 
| 季節を一度リセットする・・・ | 
| それが雪国に暮らしてみてわかる自然の計らいだ。 | 
| 厄介な雑草も、芽吹きのころには実にいとおしい。 | 
| 脱け殻 | 
| 「脱け殻」はかつてそこにあった生命の痕跡は残すが、 | 
| 実際には何の役にも立たない。 | 
| すがたかたちは以前と変わらなくても、 | 
| 肝心の中身が行方不明・・・・・ | 
| そんな脱け殻になりかけてはいないか。 | 
| 時間 | 
| いくつかの「しあわせな時間」をつなぎ合わせながら、 | 
| きょうという日が終わっていく・・・・ | 
| しあわせではない時間もあっただろうが、問題ではない。 | 
| 終わっていく一日には、 | 
| 温かく、満たされた記憶しか刻まれない。 | 
| 才能 | 
| 自分にはあの人のようなことはできない・・・・ | 
| 器のちがいを見せつけられて | 
| 自分には才能がないのかもしれないと落ち込むことがある。 | 
| だが、 | 
| 一人の天才が天才でいられるのは | 
| そのまわりで支えてくれる何十、何百人がいるからだ。 | 
| 確かに天才はいるだろう。 | 
| だが、「並み」もいなくてはこの世は成り立たない。 | 
| 天才にはまねのできない、優れた「並み」で十分ではないか。 | 
| 「並み」として胸を張れ。 | 
| 一言の評価 | 
| 人物評価の言葉は、短いほど本質的で、的を射ているものだ。 | 
| 一言でいうとどんな人ですか?・・・・ | 
| そう聞かれて答える一言には、たとえ平凡な言葉でも | 
| おそらくその人物のほとんどすべてが含まれる。 | 
| さて、自分を他人が評価するとどんな一言になるのか・・・・ | 
| いまさら心配しても仕方がないが、 | 
| 気にはなる。 | 
| 一つ | 
| 二つあるから、どちらか一方がみすぼらしく見えるのでしょう。 | 
| はじめから一つなら、それがすべてなのです。 | 
| 大事にしたいものなら、 | 
| 二つを望まず、一つだけにしておきなさい。 | 
| 将来 | 
| 「大きくなったら何になる?」・・・・・・ | 
| 子どもにそう聞くのはまちがっています。 | 
| 何かになる、のではなく、何かをするのですから、 | 
| 「大きくなったら何がしたい?」と聞くべきでしょう。 | 
| 宇宙飛行士になりたい、ではなく、 | 
| 宇宙から地球を見てみたい・・・・ | 
| そんなふうに自分の夢を語れる子どもに育てたいものです。 | 
| 「何か」になるのは、「何か」をした結果ですから・・・・ | 
| 思い通り | 
| 意に反するものに阻まれて、なかなかそうはいかないのですが、 | 
| ”幸せな生き方”があるとすれば、 | 
| それは「思い通りに生きる」ことでしょうね。 | 
| 思い通り・・・・・だれにも干渉されずに | 
| こんなふうに生きてみたいという思いに | 
| 正直に従うことです。 | 
| そろそろ考えてもいい時期ではありませんか。 | 
| 灰色 | 
| アナログとデジタル・・・・ | 
| 世の中が総デジタル化して、その恩恵は受けながらも、、 | 
| 思考や感じ方はしっかりアナログの世界で生きているのが | 
| 私たち中高年である。 | 
| 決定的なちがいは、「白か黒か」と問われて | 
| 灰色も考えてしまうところ・・・・ | 
| デジタル的思考には「灰色」はない。 | 
| 灰色を考えることで苦労も多いが | 
| 白黒だけでは味わえない人生の深い機微を楽しむこともできる。 | 
| デジタル家電製品の調子が悪いとき、思わず | 
| 叩いてみる人間は、紛れもなく「仲間」である。 | 
| 変化 | 
| 若かったころの自分と、今の自分を比べて | 
| 何が変わり、何が変わっていないかを整理しておくべきだろう。 | 
| 容姿や体力、気力の変化は仕方がないが、 | 
| 外見ではなく、自分という人間の中身、 | 
| ものの見方・考え方・感じ方の変化はどうであるか・・・・・・ | 
| 変わったといえるものが学んで成長した証しであり、 | 
| 変わらないといえるものがほんとうの”自分らしさ”であると | 
| 思うのだが・・・・・ | 
| 天職 | 
| 天職とは、天から与えられた仕事、つまり | 
| これをするためにこの世に生まれてきたといえる仕事です。 | 
| しかし、 | 
| はじめから「これは天職だ」と思える仕事に巡り合うわけではありません。 | 
| 自らが時間をかけて天職にしていくのです。 | 
| 終わった時に、 | 
| 「この仕事をやっていてよかった」と思えるように | 
| 今手がけている仕事に全力を注いでいれば | 
| 気づかないうちに少しずつ、天職になっていくのです。 | 
| 自失 | 
| 桜はとなりの梅にあこがれたりしない。 | 
| キツネはタヌキになりたいなどと思わない。 | 
| よそ見ばかりして自分を見失うと | 
| 見るものすべてがうらやましくて仕方がなくなる。 | 
| 隣の芝生がきれいに見えたら | 
| 我が家の芝生を手入れするしかない。 | 
| 自己顕示欲 | 
| 力がある、才能がある、知識がある、並みの人間ではない・・・・・ | 
| そう見てもらいたいと思う気持ちは潜在的にだれにもあるものだ。 | 
| 自分を大きく見せたいと思うのは、本能のようなものなのかもしれない。 | 
| 自分を大きく見せる・・・・・・必要があるならそれもいいだろう。 | 
| だが、一体何のために? | 
| 春 | 
| 森羅万象、すべてのものには「いのち」がある、ということを | 
| 自然は春という季節をつくって我々に教えてくれる。 | 
| 花、草、木、虫、それらがみんな一斉に | 
| 自分のいのちの存在を主張しているではないか。 | 
| 春に心浮き浮きするのは、 | 
| 数えきれないほど多くの「いのち」を目の当たりにしているからだ。 | 
| 消してしまうのは一瞬だが | 
| どんなに小さくても、それを生み出すには何万年もの時間を費やした。 | 
| それが「いのち」である。 | 
| 誇り | 
| 最高級の、純粋な自己満足を「誇り」という。 | 
| 「誇りに思う」のはあくまでも自己満足でなければならない。 | 
| それを「お前も認めろ」と他人に押し付けると | 
| ただのやっかいな「ホコリ」になってしまう。 | 
| きまり | 
| 表があるなら裏もある・・・という決まりは、 | 
| 人間にもあてはまる。 | 
| 表は他人に見せるもの、裏は見せないもの、 | 
| 両者を操るのは自分なので、それぞれは自分が一番よくわかっている。 | 
| 二つの”ちがい”が少ない人ほど、 | 
| 「裏表のない人だ。」と称され、好人物になるのは、 | 
| 多くの人が”ちがい”の大きさを身をもって知っているからだ。 | 
| 決着 | 
| どう決着をつけようと構わないが、 | 
| そのために人知れずじっと飲み込んだものだけは | 
| 自分の記憶にとどめておきたい。 | 
| 吐き出せば楽だったにちがいない。 | 
| しかし、だまって飲み込んで収拾させた・・・・ | 
| その選択の迷いと飲み込む苦しさを | 
| いつか自分の生きる力に変えていきたいもの・・・・ | 
| 他人に見せるものではない。 | 
| 親 | 
| 親が子にしてやれるのは、 | 
| 一人前になるまで愛情をもって育てること・・・・ | 
| それからあとは、どんなに心配でも親の仕事ではない。 | 
| この厳粛な一線をしっかり叩き込んでおかないと、 | 
| 子どもが本物の「親」になれない。 | 
| 「育てる」から「見守る」へ・・・・ | 
| 少しさびしいが、それでいい。 | 
| 仕事 | 
| 何を生業として生きようと、それはいい。 | 
| 誇りを持って打ち込める仕事をしているなら、 | 
| それはきっと世の中の役に立っている。 | 
| どんなにつまらなく思えることでも、 | 
| だれかが私のやっていることで | 
| きっと幸せな時間を手に入れている。 | 
| 母の日 | 
| この日、全国でたくさんの花が届けられただろう。 | 
| きれいな花だからうれしいのではない。 | 
| 届けてくれる子どもたちの心遣いがうれしい。 | 
| いつまでもあなたはわたしのお母さんです・・・・・ | 
| そんなメッセージが聞こえてくるようで、 | 
| 母は温もりに満たされる。 | 
| セリフ | 
| 「一度くらいつまずいたっていいじゃないか」と励ましのつもりで言うのは、 | 
| 一度もつまずいたことのない者のセリフ・・・・ | 
| つまずく痛さや傷の深さや怖さは、生半可なものではない。 | 
| つまずいて立ち直った経験のある者は | 
| 気安くそんなセリフを口にはしない。 | 
| だからとて、決して冷たい人間ではない。 | 
| 立ち上がれる人間かどうかを見ようとしているだけだ。 | 
| 試練 | 
| 「神は乗り越えられる試練しか与えない」・・・・ | 
| 人気ドラマの中で何度も繰り返されるセリフである。 | 
| なるほど、 | 
| この言葉をいつもポケットに入れておけば何だか勇気がわいてくる気がする。 | 
| 乗り越えられない試練はやってこないということだ。 | 
| 笑い | 
| 人を笑わせるのは「技」であり「芸」である。 | 
| 長年勉強し、磨き、鍛練した技と熱意を持つ者が人を笑わせる。 | 
| 人は”おかしい”から笑うのではなく、 | 
| ”おもしろい”から腹の底から笑うもの・・・・・。 | 
| そんなものとは無縁の、思いつきのドタバタやギャグも | 
| たしかに笑えるだろうが、 | 
| そのうち、そんなもので笑っている自分がむなしくなる。 | 
| 訓 | 
| さわやかに生きたいなら、 | 
| 人を恨んだり憎んだりしないこと・・・・ | 
| それしかありませんね。 | 
| 対立 | 
| 「白だ」と言うと「黒だ」と言う人と対立する。 | 
| 「灰色だ」と言えば対立は薄らぐかもしれない。 | 
| だが、灰色だと言ったときから | 
| 内心「白だ」と思っていても | 
| もう二度と「白だ」とは言えなくなる。 | 
| 因果応報 | 
| その言葉は知らなくても、 | 
| その事実ならだれにも思い当たる。 | 
| 明日を悔やみたくなければ、きょうその原因を作らないことだ。 | 
| 10年後、平穏に暮らしたければ | 
| 今そのための原因を作っておくことだ。 | 
| 鬼 | 
| 全国に「鬼」のつく地名は多い。 | 
| また「鬼」にまつわる伝承も数多く残されている。 | 
| 「鬼」とは・・・・・ | 
| 時の権力者にとって邪魔な勢力やその首領のことである。 | 
| それを心得ておれば、 | 
| 美談としての童話の「ももたろう」の話も違った話になる。 | 
| 少し前の | 
| 春がうれしいのは、冬を乗り切ったからだ。 | 
| もうすぐ夏だ、と思うからではない。 | 
| 前夜に何ごともなくても夜は明けるが、 | 
| 前夜が嵐であれば夜明けは一層美しい・・・・ | 
| うれしい気持ちやしあわせな気分は | 
| いつも、少し前に味わった心細さや不安をバネにしている。 | 
| フォークダンス | 
| その昔 | 
| 学校や世間が公然と男女が手を握ることを許した唯一の機会でした。 | 
| あと何人であこがれの彼女とペアになれる・・・・ | 
| そんな勘定をしながら胸を躍らせたものですが、 | 
| 今思えば乙な計らいだったのですね。 | 
| そんな時代に青春を駆け抜けた私たちは、 | 
| 今思えばかわいそうなくらい”純情”でした。 | 
| 立派 | 
| 逃げ出したくなるあの状況のなかで | 
| 君は逃げずに踏みとどまった・・・・・ | 
| 満身創痍となりながらも、倒れなかった・・・・ | 
| 他人はいろいろ言うだろうが、見上げたもんだ。 | 
| ぼくは立派だったと思うよ。 | 
| 後悔 | 
| 「我 事において後悔せず(宮本武蔵)」と行きたいが、 | 
| なかなかそうはいかないものだ。 | 
| 凡人に後悔はつきもの・・・・・・ | 
| しかし、後悔の一つもなく生きるのでは順調すぎて、 | 
| 人生、滑るようにあっというまに終わってしまうだろう。 | 
| 後悔は、 | 
| 人生の滑り止めだと思えばよい。 | 
| 一点 | 
| 人の一生が始まり、やがて終わりを迎える、というしくみは | 
| だれにも平等にあてはまる。 | 
| そのしくみの重さや意味を身をもって深く考えられるのが | 
| 長く生きてきた者の特権である。 | 
| 終わりが視野にある、その一点で、 | 
| 若い人たちに負けることはない。 | 
| 過去 | 
| 深い人間か否か・・・ | 
| 取り返しのつかない悔いるべき過去を持っているかどうかで | 
| それは決まる。 | 
| きっと | 
| 車から空き缶やごみを山道に捨てていく人がいます。 | 
| だれかがその人の家の庭にごみを投げ込んだら、 | 
| きっと烈火のごとく怒るのでしょうね。 | 
| 謝罪 | 
| 原発事故の収束が見えない。 | 
| かつて「日本の原発は絶対安全です。」と断言し続けてきた | 
| 企業や学者や政治家たちのだれ一人、 | 
| 「あれはまちがっていた」と顔を見せて謝った者はいない。 | 
| 声高に叫ぶ者ほど、旗色が悪くなると、 | 
| 沈黙して姿を見せなくなる。 | 
| 祖父母 | 
| 何人の孫たちがいても | 
| 彼ら一人一人にとっては唯一の祖父母・・・ | 
| やがて彼らの思い出の中に生きるのだから | 
| 精いっぱい、彼らの自慢できる、すてきなおじいちゃんでいてやりたい。 | 
| 風呂 | 
| 「風呂をわかすってどうすることなの?」・・・・ | 
| 孫にそう聞かれてしまいました。 | 
| そうですね、今は「沸かす」とは言わないんですね。 | 
| 焚口にすわって、薪の火を見ながらお湯が沸くのを待った・・・ | 
| そうやって風呂は「沸かす」ものだったのですが、 | 
| 今はもう見られなくなった”昭和”の景色です。 | 
| 解釈 | 
| 少し乱暴な解釈だが、表現とは、 | 
| 止めることのできない時の流れを止めて見せるものだ。 | 
| 連続した時間の中から一瞬の何かを”切り取る”営みだ。 | 
| そうやって取り出されたものだから、 | 
| いつ見ても、何度見ても飽きずに心に響くものがある。 | 
| 時間に流されながら生きる人間だからこそ、 | 
| 時間を止めて見せてくれるものがまぶしく見えるのだろう。 | 
| 贈り物 | 
| 過ぎてみれば「あっという間」なんですね。 | 
| 何度も立ち止まり、悩み、迷ったあの日々が | 
| いつの間にかほろ苦い、遠い日の思い出に変わっていく・・・・ | 
| そんな”浄化作用”があるから、 | 
| 人は少々の困難にも耐えていけるのでしょう。 | 
| 生きる営みにはみんな等しく付属している、 | 
| 天からの贈り物かも知れません。 | 
| 回り道 | 
| 野球で言うと、 | 
| <回り道>は変化球で、<近道>は直球のようなもの・・・・ | 
| 変化球を生かすには直球の威力がないとだめだという。 | 
| 人生でよりよい回り道をしようと思えば、 | 
| それ以前に近道をしっかり歩いておかなければならない。 | 
| 人生の回り道の達人は、 | 
| きっと近道を知りつくし、その功罪を十分に心得ている人である。 | 
| 威張る | 
| 一度や二度部下を叱責したからといって、 | 
| 「威張っている上司」だとは言われない。 | 
| 威張っているとみられるのは、 | 
| 叱責の回数や内容ではなく、別のところに原因がある。 | 
| それがわかっている上司は毅然と部下を叱責できるが、 | 
| わからない者はオロオロするか、ますます嫌われるか、 | 
| そのいずれかである。 | 
| 縁 | 
| 君やあなたやお前が、今こうしてわたしの”中”にいるというのは、 | 
| きっと何かの「縁」だったのでしょう。 | 
| 星の数ほどいるこの世の人間の中で | 
| 私が話し、挨拶をし、手紙を届け、なつかしく思うことができる人たちは | 
| あなたたちだけなのです。 | 
| 偶然の力は少し借りましたが、 | 
| あなたたちに出会って縁ができたことを、不思議さとともに | 
| ほんとうにありがたく思っています。 | 
| 未知の時間 | 
| 若者がうらやましいと思うのは、 | 
| 未知の時間をたくさんもっていることだ。 | 
| 「可能性」とも呼ぶ、未知の時間は | 
| 彼らだけが持ちうる何ものにもかえがたい宝・・・・・ | 
| 当の若者たちは気にもしていないだろうが、 | 
| ほとんどを使い果たしてしまったおじさんたちにはよくわかるのだ。 | 
| どうか無駄遣いしないで大切にしてほしい。 | 
| 間 | 
| 「間違い」は、 | 
| 相手と自分との距離、「間」のとり方を違えるから起こる。 | 
| 真剣勝負なら倒されることを意味する。 | 
| 人と人との関係は、 | 
| 「間」のとり方で変わるもの・・・・ | 
| あけすぎれば相手に届かず、 | 
| 近寄りすぎると、相手が何者かがわからなくなる。 | 
| 長く付きあいたいと思うなら | 
| 「間」を意識して接することだ。 | 
| みんな | 
| みんなと・・・みんなが・・・みんなで・・・・・・ | 
| そんなことばを持ちだす前に、 | 
| まず自分ひとりで始めなさい。 | 
| それが大変なことであればあるほど、 | 
| 一人で立ち向かう勇気のない者が | 
| 「みんな」を担ぎ出す。 | 
| うた | 
| また見ることのない山が遠ざかる | 
| 山頭火 | 
| 若いころは何気なく読んでいた句だったが、 | 
| 最近になって、このうたを詠んだときの彼の気持ちが | 
| 少しわかるようになった。 | 
| 「また見ることのない・・・」という言葉に響くものが | 
| 自分の中にも生まれているからかもしれない。 | 
| さびしいが、だからこそ、 | 
| しっかりと今見えるものを焼きつけておきたいと思う。 | 
| 価値 | 
| きょうは生きてみてよかった・・・・・・ | 
| あしたをそう思える日にするために | 
| がんばってみよう。 | 
| 生きる価値のない一日などはない。 | 
| いのち | 
| 繁殖力も弱く、草丈も低い野草たちは、 | 
| 春の雪解けを待って一番に小さな花を咲かせる。 | 
| うかうかしていると、生い茂る他の野草たちに飲み込まれてしまうからだ。 | 
| 大事な花粉を運んでくれる虫たちもまだ少ない時期に、 | 
| 精いっぱい可憐な花をつけて何とか生きようとする・・・・・・ | 
| けなげで、したたかで、愛くるしく、たくましい。 | 
| 抱きしめてやりたくなる。 | 
| 教え | 
| わが子に教えてやらねばならないことがある。 | 
| 楽をして生きようと思うな・・・・ | 
| 何ごとにも誠実であれ・・・・ | 
| 友達を大切にしろ・・・・・ | 
| これらを指針にして育っていけば、 | 
| その子どもは道を踏み外すことはない。 | 
| 親はこれらを教えるために | 
| わが子を叱り、ほめている。 | 
| 友 | 
| 一番苦しくて情けないときに、 | 
| だれも考えつかないやり方でそっと気遣ってくれる人・・・・ | 
| それを「友」と呼ぶ。 | 
| そんな友に感謝し、気遣いを決して忘れまいとする気持ちを | 
| 「友情」と呼ぶ。 | 
| 借り | 
| だれの力も借りずに一人で生きてきた、と思いたくなるときがあるだろう。 | 
| 一番苦しい時を乗り越えたのは確かに自分なのだから、 | 
| そう思うのも仕方がない。 | 
| だが、さまざまな形で、陰になって支えてくれた人はいた。 | 
| ただ、見えにくかっただけだ。 | 
| 嵐が去って、落ち着くと次第に見えてこないか。 | 
| ・・・生きるということは、だれかに借りをつくること、 | 
| 生きるということは、その借りを返していくこと・・・・・ 永六輔 | 
| 問い | 
| 満たされて、 | 
| 精いっぱい、価値ある日々を生きているか・・・・・ | 
| いつもそう自分に問い続ける者でありたい。 | 
| 成果 | 
| 大変な思いをして努力し、苦悩しても | 
| 見返りに手に入るものは、 | 
| いつもそんなに多くはない。 | 
| できれば拍手や感嘆の声を、と思うが | 
| だれもが賞賛する成果など簡単にあげられるものではない。 | 
| たとえだれの目にも止まらない、地味でささやかな成果でも | 
| それが自分でつくりだしたものなら、苦労した甲斐はあった・・・・ | 
| それでいいのだと思う。 | 
| トップ | 
| 日本のあちこちで、想定外の事態が発生し、 | 
| 今何をすべきか、決断の内容と迅速性が求められて、 | 
| ”トップ”に立つ者の力量と資質が問われている。 | 
| 平時とは全くちがう臨戦態勢の中にいて、 | 
| どんな意思決定をするのか、を見ていれば、 | 
| 彼がどれほどのリーダーであるかは、 | 
| 解説などしてもらわなくてもよくわかる。 | 
| 試練 | 
| 一人で立ち向かう試練がある。 | 
| だれかと分かち合いながら乗り越える試練もあるだろう。 | 
| 辛さ、苦しさ、悲しさはいやというほど味わうが、 | 
| ”試練”とは | 
| 自分が何者であるか、その正体を見ることのできる、 | 
| 唯一の機会である。 | 
| 動く | 
| 行ってみればそこがどんなところかわかるのに、 | 
| 行こうとしないからいつまでたっても | 
| 見える景色は変わりません。 | 
| 何かを変えたければ、 | 
| 行動を起こすしかないでしょう。 | 
| それが地表の掟です。 | 
| 一人 | 
| なにごとも | 
| 人に頼らず、一人でやるというのは容易なことではない。 | 
| だが、「一人で」と言いながら、実は一人ではない。 | 
| 姿はなくともかならず”だれか”がそばにいる。 | 
| ほんとうに一人では、 | 
| おそらく鉛筆一本削ることもできないだろう。 | 
| ・・・・・ | 
| せきをしても一人 尾崎放哉 | 
| 風評 | 
| 「うしろ指をさされる」と言う。 | 
| できればそんなことは避けたい。 | 
| だが、 | 
| うしろ指もさされずに、大きなことを成し遂げた人物がいるだろうか。 | 
| さされても見えない指などに惑わされず、 | 
| 我が信じた道を行くと覚悟を決めればよい。 | 
| 「風評」はいずれ風のように消えていくものだ。 | 
| 大切なもの | 
| 一番大切なものをあきらめてしまうと、 | 
| それからは | 
| すべてが”がまん”の連続になる。 | 
| 刻む | 
| 未曾有の大災害に遭遇して、 | 
| 今まであまり見えなかったいろんなものが見えてくる・・・・・・ | 
| 人が本来持っている温かさや責任感、希望を持つ力、 | 
| 「国」とは何か、危機管理とは何か、指導者のあるべき姿、 | 
| 科学や科学技術の意味、”豊かさ”の意味、 | 
| 気づかないところで日々の暮らしを支えてくれていたもの、 | 
| 忘れていた自然に対する畏怖の気持ち、 | 
| そして何よりも「命」の存在の大きさ・・・・・・ | 
| 大きな犠牲を払って見えてきたこれらのものを | 
| 心に刻んで生きることなら、だれにもできる。 | 
| こころ | 
| 「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える・・・・・ | 
| 宮澤章二「行為の意味」より | 
| 最近よく目にする言葉だ。 | 
| 見える「こころづかい」から、 | 
| 見えない相手の「こころ」を見ようとするから | 
| 人はやさしくなれる。 | 
| 意見 | 
| 十人集まれば十通りの案が生まれる、というのはどうもうそだね。 | 
| たいていは「オピニオン・リーダー」が一人か二人いて、 | 
| 彼らの意見に引っ張られていく。 | 
| だからと言って、自分の考えがないわけではない。 | 
| 「これが正しい!」と言える自信がないだけだ。 | 
| しかたなしに付き合うのだが、 | 
| 自分の思い通りにならないことだけは覚悟しておくことだ。 | 
| 三手の読み | 
| 何ごとも用心するにこしたことはない。 | 
| この先がどうなるのか、などわからないのだから、 | 
| どうなっても慌てふためかないように備えるのだ。 | 
| それでも災難はやってくるだろうが、 | 
| 予防接種のように、それをしておくかどうかで、 | 
| 症状は変わる。 | 
| 用心のポイントは三手の読み・・・・・ | 
| こうする・・・・ | 
| するとこうなるだろう・・・・ | 
| そうなればこうする・・・・ | 
| 遊び | 
| ”遊び”には大切な条件が二つある。 | 
| 自分を解き放つものであること、 | 
| 何にもまして選択は自由であること・・・・・ | 
| 忙しくて実際には遊べなくても、 | 
| それを求める「あそび心」なら持てるだろう。 | 
| あそび心までを失うと、 | 
| ほんとうに遊びたいときに遊べなくなる。 | 
| 情報 | 
| こんなにも危険なものと一緒に住んでいたのか、と | 
| 考えただけでも恐ろしくなる報道が続いている。 | 
| 「ただちに人体に影響の出る値ではない」としきりに聞かされるが、 | 
| 「ただちに」とはどういうことだ? | 
| いずれ影響が出てくる可能性があるということではないのか。 | 
| それが怖いから、みんなあわてているのだ。 | 
| 専門的な知識はなくても、 | 
| それくらいはみんなわかっている。 | 
| クライマーズ・ハイ | 
| 極度の興奮状態を「クライマーズ・ハイ」と呼ぶことがある。 | 
| 岩壁を登る登山家の心理からそう名付けられた。 | 
| ”ハイ”の状態はいずれ収まるが、 | 
| 怖いのはその後だという。 | 
| 高揚していた分、脱力感も大きいからだ。 | 
| ”抜け殻”にならないためには、 | 
| 常に何かを注ぎこんでおかなくてはならない。 | 
| 自力ではなかなかむずかしいが、 | 
| そのために人はいっしょに生きている。 | 
| 想定外 | 
| 天災を語るとき、 | 
| 多くの人が「想定外だった」と言う。 | 
| 想定外とは、 | 
| 甘く見ていたという意味であるが、 | 
| だれもそうは言わない。 | 
| 反応 | 
| 反応がない、というのはさびしいものです。 | 
| NOでもいいから反応してもらえると、力が出るのですが、 | 
| だれも応えてくれないのはたまりません。 | 
| 大切な人だと思うなら | 
| ぜひ何かを返してあげなさい。 | 
| 教え | 
| 蛇口をひねれば水やお湯が出る。 | 
| 明るい部屋や温かい食事や疲れをいやす風呂があり、 | 
| 夜は温かい布団で眠れる・・・・・・・ | 
| あたりまえと思っている日々の平凡な暮らしが | 
| どれほど恵まれ、大切なものであるか・・・・ | 
| そのことを日本中の人が思い知らされている。 | 
| 決して忘れてはならない。 | 
| 真 | 
| 思い切って無茶なことをしなければ | 
| それが無茶なことだったとは気づかない。 | 
| 無茶はやってみるから無茶になる。 | 
| 答 | 
| ・・・・・人が老いていくとはどういうことですか?・・・・・ | 
| 自分が勝手に踏み荒らした地面を少しずつ | 
| もとの地面にもどしていくことだろう。 | 
| あとにそこを歩く人たちが、 | 
| 歩きやすいように元通りにすることさ。 | 
| きれいにならし終えたころに | 
| やっと与えられた仕事が終わるということだね。 | 
| 季節 | 
| 「そろそろオレの出番だ」と、春がそこまで来ているが、 | 
| 「まだまだオレの舞台だ」と、冬がなかなか去ろうとしない。 | 
| これでもかと雪を降らせ、その雪をあっという間に融かす両者のせめぎあい・・・・・ | 
| 顔は見えないが、 | 
| たしかに両者の存在が感じられる。 | 
| ついぞ感じたことのなかった、不思議な感覚が | 
| 雪深い山里にいると生まれる。 | 
| 安全 | 
| ここまでくれば安心だ・・・と思ったところが安全地帯ではありません。 | 
| ほんとうに安全なのは、その一歩先です。 | 
| もう一歩先へすすんでから腰をおろしなさい。 | 
| いつもそうすることが、わが身を守る基本ですね。 | 
| 特効薬 | 
| 劇的に効果をあらわす特効薬をだれもが求める。 | 
| その特効薬が見つかるまでに試されたであろう、無数の試薬の存在は | 
| やがて忘れられていく・・・・ | 
| そういうものかも知れない。 | 
| 心配 | 
| 橋を渡るとき、「この橋がなかったらどうなるか」など考えたりしない。 | 
| そこにあるのがあたりまえと思っているものがあるなら、 | 
| 「もしなかったら・・・・」と考えてみるといい。 | 
| 要らぬ心配ではなく、 | 
| もっと大切にするために・・・・ | 
| 雪 | 
| どんなに積もって固くなった雪の下でも | 
| 野の草花たちが押しつぶされずに生きていられるのは、 | 
| 地面との間にわずかな空間を雪が作ってくれるからだ。 | 
| 春になって森で一番に雪が融けるのは木々の根もと、「根開け」と言う。 | 
| 雪の中は外気がどんなに冷え込んでも0度を保つ。 | 
| 人間にとっては厄介な雪も、 | 
| 木々や動物たちの営みをそうやって支えている・・・・・・ | 
| 地面を凍らせることもなく、重みで押しつぶすこともなく、 | 
| 寒さでふるえさせることもなく、 | 
| 自然はともに生きる仲間をむやみに傷つけたりせず守っている。 | 
| 弱者 | 
| 近所にあった小さな個人商店がなくなり、 | 
| 買い物は車で郊外の大型スーパーへ、という生活様式を作ったのは | 
| まぎれもなく私たち自身である。 | 
| 年をとり、頼みの車に乗れなくなって初めて | 
| 便利さと引き換えになくしたものに気づかされる。 | 
| 買い物弱者・・・・だれが悪いのでもない。 | 
| 今は遠い話でも明日は我が身になることを | 
| だれも本気で考えなかっただけだ。 | 
| わすれもの | 
| 森のリスたちは長い冬にそなえて | 
| 秋のあいだにクルミやドングリを集めてあちこちに埋めて隠しておく。 | 
| だが、隠し場所のいくつかは忘れてしまうらしい。 | 
| リスのえさになるのを免れたドングリたちは | 
| 助かった!とばかりそこで芽を出す・・・・・ | 
| 物覚えのいいリスたちばかりだと、 | 
| 森は生きていけないな。 | 
| 距離 | 
| 人が人を思う気持ちの強さは、離れている距離にほぼ比例する。 | 
| 離れていることは、 | 
| 決してマイナスではない。 | 
| 感動 | 
| 海の近くで生まれ育った者は、 | 
| 海を見てホッとはしても感動はしない。 | 
| ”感動”はいつも | 
| 未知との遭遇である。 | 
| 自ら求めなければ遭遇はない。 | 
| 心理 | 
| ”赤信号 みんなで渡れば怖くない”・・・・・ | 
| 一人ではできないのに、集団になると | 
| とんでもないことをやってしまう。 | 
| だれかは犠牲になるが、 | 
| 自分に危害が及ぶ確率はグンと低くなる、と感じる心だ。 | 
| 小魚たちが群れをなして泳ぐ本能に似ている。 | 
| とんでもないことだ、とバカにするが、 | 
| 案外それに近い心理状態でみんな生きている。 | 
| 一日 | 
| こころおだやかに過ごせた日は、 | 
| だれかや何かにぬくもりを伝えることができた日・・・・・ | 
| だれかの役に立った日かもしれない。 | 
| 言葉は交わさなくても、顔や姿は見えなくても、 | 
| ぬくもりは届けることができる。 | 
| こころはおだやかなときに発熱するのかもしれない。 | 
| 代償 | 
| 手に入れたものが大きいとそれだけ | 
| かわりに置いてきてしまったものも大きいものです。 | 
| そう望んだのは自分なのでしかたがありませんが、 | 
| 日を重ねるごとに、置いてきたものが遠くで輝き始めます。 | 
| そうか、あのまま持っていたら | 
| こんなに輝くものだったのか・・・・・ | 
| 代償とはそういうことです。 | 
| 後始末 | 
| 「自然」という名の大きな力が、 | 
| 気まぐれに降らせた大量の雪の後始末を始めたようです。 | 
| 太陽を連れてきて、朝から夜まで | 
| 猛烈な勢いであれほどあった雪を融かして水にもどしています。 | 
| 自分のやったことは、ちゃんと後始末をするんですね。 | 
| いやいや、見上げたもんです。 | 
| 邂逅 | 
| 何も言わなくていい。 | 
| ただ黙ってそこにいてくれるだけで | 
| 無尽の勇気や元気を与えてくれる・・・・・ | 
| 山のように大きな、大きな存在・・・・ | 
| 一生かけて一人でいい、 | 
| そんな人にめぐり会いたい。 | 
| 器 | 
| 達成感があるから新たな“やる気”がわいてくる。 | 
| 報われたと思うから、また新たな苦労にも立ち向かえる。 | 
| 人は、 | 
| 満たされていっぱいになると発熱する | 
| 不思議な”器”があるからがんばれる。 | 
| 叫び | 
| 耳を傾け、信じようとした自分にも非があるが、 | 
| 声高に叫ぶ者たちに何度も踊らされてきた・・・・・・ | 
| そのころは輝いて見えた彼らだが、 | 
| 旗色が悪くなると、叫んだ者たちは、 | 
| さっさと姿をくらませた・・・・・ | 
| 傷痕は癒えても、 | 
| 傷つけられた記憶は消えずに残っていく。 | 
| われわれ世代の、共通した思いである。 | 
| 若い君たちは | 
| 若い君たちはわき目をふらずに自分のやりたいことに力を注ぎなさい。 | 
| 心残りにならないように、今だからやれることを精いっぱいやりなさい。 | 
| 多少の失敗や道に迷うことなど、長い人生大したことではありません。 | 
| 自分に与えられた「一生」の意味を考えるときは必ずくるので、 | 
| その時になって「しまった!」と言わなくていいように | 
| やりたいと思うことはぜひやっておきなさい。 | 
| やれなかった心残りをたくさん抱えたおじさんからの | 
| ささやかな忠告です。 | 
| 才能 | 
| 自分に付帯する能力のなかで、 | 
| 自分自身をも驚かせるものを「才能」と言う。 | 
| ”オレにはこんなことができるのか!”とあらためて自分を見直し、 | 
| ほめてやりたくなる・・・・ | 
| 才能は人をうならせるためのものではない。 | 
| 自分を好きになるために備わっているものだ。 | 
| たまたま他人がそれを見て、驚くだけ・・・・ | 
| 潔く | 
| 桜の苗木を植え続ける88歳のおじいちゃんが言う。 | 
| ・・・おら、もうすぐ死ぬからこの桜の花は見られん。あんたたちが見届けてくれ・・・・・ | 
| 自分のいなくなった後に咲く花を思い描けるおじいちゃん・・・・ | 
| 屈託のない笑顔はさわやかな春風のようであった。 | 
| かくも潔く、さわやかに生きたいと思う。 | 
| やってみる | 
| 考えても無駄なことはいくらでもある。 | 
| だが、やってみて無駄なことはない。 | 
| 「やってみる」という行為には | 
| 五体や五感を動かし、全身で何かを開拓した記憶が残る。 | 
| そんな記憶の連なりが生きるという営みの正体であり、 | 
| 終わりに存分に生きた実感となる。 | 
| 迷うくらいなら、とにかくやってみることだ。 | 
| 意味 | 
| 君もオレも、 | 
| 望まれて生まれてきた・・・・ | 
| 望んでくれた者たちがいなくなっても | 
| その事実は消えない。 | 
| だから、 | 
| オレたちがこの世を生きることには意味がある。 | 
| 望んでくれた者たちのためにも、 | 
| 精いっぱい、生きようじゃないか。 | 
| 価値 | 
| いい一生だった・・・・ | 
| 終わりにそう言える人生にするために、 | 
| まだまだやっておかなくてはならないことがあるだろう。 | 
| まず一つ・・・・・ | 
| 何から始めようと、それが心残りを減らすものなら | 
| 価値はある。 | 
| 耐える | 
| 多くの野草たちは、 | 
| いま雪の下でじっと寒さや雪の重みに耐え、 | 
| 来春の芽吹きのために備えている。 | 
| 人間にも、 | 
| そうしなければならない時期があるようだ。 | 
| ”忍耐”は | 
| 喜びの予兆でなくてはならない。 | 
| 好機 | 
| 若いころ・・・チャンスだと思えばわき目もふらずに突き進む。 | 
| 人生真ん中あたり・・・チャンスだが、待てばもっと大きなチャンスがくるかも知れない | 
| と目の前のチャンスを見送ることが多くなる。 | 
| 人生終盤になって・・・・待ってもチャンスはめったに来なくなる・・・・・・ | 
| 好機到来はだれもが望むが、 | 
| チャンスとは何だ? | 
| 固く、強く | 
| どんなに大量に降ろうと、降ったばかりの雪は軽い。 | 
| 雪がその力を見せつけるのは、一度とけて再び固まったときだ。 | 
| なみの道具ではまるで歯が立たない。 | 
| 固く、強くなりたければ、 | 
| 一度とけることも必要だと教えてくれる。 | 
| 理 | 
| ツルツルに凍った坂道を転ばずに下る歩き方がある。 | 
| 雪国で暮らす人なら、自然と身につく技だ。 | 
| 傍目には危険だと思えても | 
| 必要に迫られてあみ出すものが一番理にかなっている。 | 
| ためらわず | 
| 我が道を行くことだ。 | 
| 音 | 
| 五円玉を握りしめて走った先に待っていたのは | 
| 紙芝居屋のおじさんの鳴らす拍子木の音・・・・ | 
| 参考書をめくりながら聴いたラジオの深夜放送・・・ | 
| とうふ屋の哀愁をおびたラッパの音・・・・ | 
| 黒煙を吐きながら走る蒸気機関車の汽笛・・・・ | 
| ”ソノシート”といわれるペラペラの赤いレコードから流れていた音楽・・・ | 
| そのころは気づかなかったが、、 | 
| 今思えば、今では消えてしまったそんな「音」に | 
| 育ててもらっていたのかも知れない。 | 
| 大切なことは | 
| 学歴・・・? | 
| 人間の持つ可能性や能力が一目ではわからないので、 | 
| とりあえずどこの学校を卒業したかを目安にしようとしているだけでしょう。 | 
| そんなものは実際の仕事や暮らしには何の影響もないということは、 | 
| しばらくいっしょにやっていればすぐにわかることです。 | 
| 大切なのは、どこの学校か、ではなく | 
| そこで何を学んだか、 | 
| 学んだことを生かして、今何をしているか、ですね。 | 
| うつわ | 
| 人にはそれぞれその人の「器」がある。 | 
| 残念だが、どんなに豊富な水があろうと、 | 
| 自分の器一杯分しか水はくめない。 | 
| くやしいから、器を大きくしようと誰もが試みるが、 | 
| 器を取り換えるのは容易なことではない。 | 
| 自分の器はどれほどのものかを心得ておかないと、 | 
| たくさん汲んだつもりの水も大半はこぼれている。 | 
| 踏み台 | 
| 「くよくよするな」と言うが、 | 
| 平然と笑っていられない状況の中では | 
| あれこれといろんなことが頭をかけめぐるものだ。 | 
| すぐには無理でも、かならず何とかなる、と信じていれば | 
| 「くよくよした時間」は、やがて新しい一歩を踏み出すための | 
| 踏み台となる。 | 
| 祈り | 
| 祈るだけでうまくいく、などとは誰も思っていない。 | 
| それでも人が「祈り」に頼りたくなるのは、 | 
| それしか方法がないと思うからだ。 | 
| 自分の力のおよばない、何かとてつもなく大きなものに出会うと、 | 
| 思い上がりが消え、ささやかだが祈りが生まれる。 | 
| そんなとき | 
| 人はみんないい顔になる。 | 
| 若芽 | 
| 伸びようとする若芽は、 | 
| 行く手をさえぎる邪魔ものが現れても押しのけたりしない。 | 
| 強引に突き進めば折れてしまうから、 | 
| 自分がほんの少し方向を変えるだけだ。 | 
| 自分らしく生きたければ、 | 
| 若芽に学ぶことがある。 | 
| 射程外 | 
| 自分には決して火の粉が降りかからない射程外の場所にいて、 | 
| 他の者たちを叱咤激励する・・・・ | 
| そんな「役目」も必要なのだろうが、 | 
| 射程外に立つと、 | 
| 人はみな、勇ましい言葉を口にしたくなることだけは | 
| おぼえておくことだ。 | 
| 横顔 | 
| 横顔にはその人のすべてが現れる。 | 
| 正面の顔のようには他人の視線に備えることができないからだ。 | 
| だから無防備で、繕いようがない。 | 
| 横顔の美しい人に出会うと、わけもなくときめいてくる。 | 
| 素人 | 
| 素人はどこまでいっても”素人”だ。 | 
| どんなに高い技術や見識をもっていても、決してプロにはなれない。 | 
| ”プロ”になる方法はただ一つ、 | 
| それで「メシを食う」覚悟を持つことである。 | 
| メシが食えなくなるかもしれない恐怖と戦う決意を固めることである。 | 
| 素人が逆立ちしてもプロにかなわない理由がそこにある。 | 
| わかれ | 
| みんな去って行き、残される切なさや辛さは、 | 
| 人が味わう寂しさの中でも際立っている。 | 
| 一度でもそんな気持ちを味わうと、 | 
| いっしょにいられるというのは、 | 
| この上なく幸せなことなのだと思い知らされる。 | 
| いっしょにいてくれるものを大切にしなさい。 | 
| 技 | 
| 自分なら難なくできることなのに、 | 
| それを他人がやるとひどく手間取り、 | 
| 出来上がりもひどい結果になる・・・・・・ | 
| そんな場面があったら | 
| あなたは余人の真似できないすばらしい「技」を持っている。 | 
| 気づかないうちに鍛え、身につけてきた「技」であろう。 | 
| どんな小さな、つまらないと思えることでも | 
| 重ねた経験や痛い失敗のなかでひそかに育てた、 | 
| 正真正銘、あなただけの「技」である。 | 
| 予報 | 
| この冬の降雪量は平年並みか、少ないでしょう・・・・・ | 
| 冬になる前に出された信州の長期予報だ。 | 
| 結果は平年並みどころではない、大雪である。 | 
| だが、予報が外れたからといって文句を言う人はいない。 | 
| 自然の営みは | 
| 予報のプロでさえ読めないものだということを | 
| 自然のなかで暮らしているとだれもが思い知っている。 | 
| 人間の都合などお構いなしに、自然は自己主張をするもので、 | 
| 人間はだまってそれを聞くしかない。 | 
| 順位 | 
| 自分にとって大切な人たちに、 | 
| あの人が一番で、あの人が二番・・・という順位はつけられない。 | 
| だが、 | 
| 快く思わない人たちにはやっている。 | 
| 「あいつだけは絶対に許さない」・・と。 | 
| 元気 | 
| 元気のあるうちにやっておかなければならないことがある・・・ | 
| 人生も終盤が近づくとだれもが感じることだ。 | 
| 十年後にもおそらくそう思うのだろう。 | 
| だから、いまならまだ元気があってやれることを | 
| 本気で考えなさい。 | 
| 名答 | 
| 漠然とした不安はないだろうか。 | 
| この先、オレはいったいどうなるのだろう・・・・と。 | 
| まあ、なるようになるさ・・・ | 
| そんな曖昧で単純な答を手に入れるまでに | 
| ずいぶん長い時間がかかったような気がする。 | 
| よくよく考えればいい答ではないか。 | 
| 踏む | 
| 同じところを行ったり来たりしている・・・ | 
| オレは一体何をやっているのだろう、と自分を責めないでください。 | 
| 無駄なことをやっているように見えますが、 | 
| 行ったり来たりした分だけ、 | 
| そこは踏み固められて歩きやすくなります。 | 
| 雪国に住むとよくわかることです。 | 
| 消える | 
| 自分がいなくなっても、 | 
| 何一つかわりなくこれまで通りに進んでいく・・・・ | 
| ”消える”とは | 
| そういうことだ。 | 
| 徒労 | 
| かつて発行された「二千円札」を持っている。 | 
| だれも使わない、使えない不思議な紙幣だ。 | 
| それを考え、推し進めた人は、 | 
| いまごろどこで何をしているのだろう。 | 
| 歴史に残る大きな仕事をした・・・と | 
| 思っているだろうか。 | 
| 恩 | 
| 生涯忘れてはならない”恩”を受けた人がいる・・・ | 
| そのときはそう思ったはずなのに、忘れかけている人はいないか。 | 
| その人の存在がもしなかったら、 | 
| 今の自分はここにこうしてはいなかった・・・・・・ | 
| ”恩”とは | 
| 与えた側ではなく、受け取った側が大切にするもの、 | 
| ときどきは思い出しておかないと | 
| 行方知れずになる。 | 
| 収拾 | 
| ひがんで、いじけて、スネて生きるのは簡単だが、 | 
| 収拾がつかなくなる前に縁を切るべきだ。 | 
| 初めは同情してくれた人たちも、 | 
| そのうち持て余し、厄介な存在だと思い始める。 | 
| そりゃそうだろう、 | 
| 子どもだって、一時間もスネれば回復する。 | 
| いつまでもスネて手こずる大人にはとうてい付き合いきれない。 | 
| 絆 | 
| 実家に里帰りをしたとき、 | 
| 家のどこかに自分の幼いころの写真が飾ってあるだろう。 | 
| 「絆」を確かめるのに大げさな儀式や舞台装置はいらない。 | 
| 幼いころの幸せそうな写真が一枚あればよい。 | 
| 「ああ、こんな時代もあったんだなあ・・・」と | 
| 思い出せるわずかな時間があればよい。 | 
| 昔は・・・ | 
| プライバシー・・・・ | 
| 日本語に訳すとなんというのだろう。 | 
| もともと暮らしの中になかったそんな言葉をみんなが使い始めたころから | 
| 音を立てて崩れていったものがある。 | 
| ”むかしはよかった・・・・”とは言うが | 
| だれもそんなむかしに戻りたいとは言わない。 | 
| 問答無用 | 
| 来るものは拒まない。 | 
| 去るものは追わない。 | 
| 手放したくないものは握って離さない。 | 
| ジャマなものはさっさと放り出す。 | 
| 言いたいことは言う。 | 
| 言いたくないことは口が裂けても言わない。 | 
| やりたいことは全部やる。 | 
| やりたくないことには目もくれない。 | 
| オレはオレ、お前はお前。 | 
| 自分の好きなように生きる。 | 
| 問答無用、それでよろしい! | 
| 要求 | 
| 甘やかすというのは、 | 
| 要求は無条件で受け入れられることを結果的に教えることだ。 | 
| 要求しても手に入らないことがあり、 | 
| 要求することすらできない事態が人生にはある、ということを | 
| きちんと教えておかないと、 | 
| 誕生日のささやかなプレゼントを喜ぶ子どもには育たない。 | 
| 階段 | 
| 階段を二段跳びでかけあがるのは、 | 
| 階段を作った人に失礼な行為です。 | 
| 一段ずつ足を踏み外さないように、と心を配りながら作ったのに、 | 
| 元気があるから・・・と言って無視されるときっと情けなくなると思います。 | 
| 階段は一段ずつ踏みしめて、 | 
| 少しずつ高みへ上るために作られたものです。 | 
| 今は若い君たちにもいずれわかります。 | 
| 海 | 
| 流れる川の水は、 | 
| 山奥の岩の間からしずくとなって川に落ちたときから | 
| いずれは海にたどりつく定めを与えられる。 | 
| 人もきっと水と同じだ。 | 
| だから、山奥の清流のせせらぎを聞くと何だかなつかしくなり、 | 
| 海を見ていると、 | 
| 自分のたどり着く場所を見ている気持ちがして | 
| 何だか心が休まる。 | 
| 子ども | 
| どんなに高価な、流行の子ども服を着せてもらっても、 | 
| 「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない子どもはかわいそうだ。 | 
| 教えるべきものを間違えた親のもとで、 | 
| これから苦労をしなくてはならない。 | 
| 誇り | 
| 長いものには巻かれろ・・・ | 
| 出る釘は打たれる・・・・・ | 
| 寄らば大樹の陰・・・・ | 
| 多くの人がしかたなく受け入れる処世訓だが、 | 
| これまでの人生、一度くらい反旗をひるがえしたことがあるだろうか。 | 
| 多くの場合、負け戦になるだろうが、 | 
| 理不尽なものと力のかぎり戦った事実は、 | 
| 生きてきた人生を想うとき、必ず誇りになる。 | 
| 同類 | 
| 人は、自分にはないものを持つ人に惹かれる。 | 
| だから、似たようなものを持つ同類の人間は、 | 
| 悪い人ではなくても | 
| 心から好きにはなれない。 | 
| 観察力 | 
| 小石を池に投げ込んでごらん。 | 
| そのときのようすをよく見て順番に話してみなさい・・・・・ | 
| 子どもの”観察力”のほとんどすべてが | 
| その語られる説明でわかる。 | 
| 戦い | 
| 子どもの頃、私を目の敵にしていじめる子がいた。 | 
| ある雨の日、 | 
| 大事にしていたメガネをとりあげ、からかったその相手に | 
| わたしは決死の覚悟で”戦い”を挑んだ。 | 
| 数発なぐられたが、あきらめずに食らいついた。 | 
| 旗色が悪いとみた彼は雨の校庭を逃げ回ったが、 | 
| 執拗に追いかけ、泥まみれになりながら彼の胸ぐらをつかんでいた・・・ | 
| いじめはその日以後止まった。 | 
| 腕力では勝てるはずがないと思っていた相手に無謀な戦いを挑ませたのは、 | 
| 彼の「メガネザル!」という理不尽な一言であった。 | 
| ホントの話 | 
| 高齢化が進み、過疎の集落が増えると聞いても | 
| 自分とは縁がない話だと多くの人が思っている。 | 
| 現実の厳しさは、過疎の山里に来てみればすぐにわかるのに、 | 
| そこから一番遠く離れたところにいる者たちが、 | 
| 「それは大変なことだ」と口にする。 | 
| だが、 | 
| 山里の住人たちは、だれ一人「大変なことだ」とは思っていない。 | 
| そんなふうには思わないのだ。 | 
| ウソのような、ホントの話である。 | 
| てがみ | 
| かつて縁のあった人たちから、年始の便りが届く。 | 
| 縁の浅い深いはさまざまでも、 | 
| 私との縁を忘れていない人たちの心遣いがうれしい。 | 
| 日本中のだれもが、わずかの時間でかくも多くの人の顔を思い浮かべ、 | 
| ”てがみ”の持つ力をあらためて知るときである。 | 
| 居場所 | 
| 話し相手は必要だ。 | 
| 共に仕事をしたり行動したりする仲間も必要だ。 | 
| だが、 | 
| そんな者たちに囲まれていても、 | 
| 自分の”居場所”がないと感じることがあるなら、 | 
| そこは腰をおろし、談笑する場所ではない。 | 
| 安寧を求めるつもりでも、限りなく消耗するだけである。 | 
| 手遅れ | 
| かつてある人を「優柔不断だ」と責めたことがある。 | 
| 相手の人格を一言で斬るなどという無謀な言動は、 | 
| 相手の心に刃を突き刺すだけでなく、 | 
| 相当な返り血をあびる覚悟が必要なことに気づかなかった・・・・・ | 
| 今思えば赤面の至りだが、多くの場合 | 
| 失礼な所業やおのれの未熟を詫びたくても | 
| すでに相手は遠く、手遅れになっている。 | 
| 親心 | 
| 受験をする、就職する、結婚する、自分の家を持つ・・・・ | 
| 我が子が人生の節目を迎え、 | 
| それぞれの試練に立ち向かおうとするとき、 | 
| 口では励ましの言葉を言っても | 
| 内心 あれこれ心配をせずにはおれないのが親だ。 | 
| どんなに親孝行の子どもにも | 
| そんな親の気持ちは完全にはわからない・・・・・ | 
| だが、子を想う親心とはそういうもの、 | 
| それでいいのかもしれない。 | 
| 一日 | 
| 思い出してみてほしい。 | 
| 遠い日のどこかに、 | 
| 自分の生きる方向を決めた「一日」があった。 | 
| 不安や悩みと戦いながら、一つの決断をした日だ。 | 
| ほかの記念日は忘れても、 | 
| その日を忘れてはならない。 | 
| 味方 | 
| 本来味方にはなれないはずの相手なのに、 | 
| 味方だと思って手を振ると矢が飛んでくる。 | 
| 別に悪い人間ではなくても | 
| どうしても味方にはできない相手はいる。 | 
| なみだ | 
| なみだもろい人は、 | 
| 人一倍多くのなみだの場面を体験した人だ。 | 
| 悲しみ、切なさ、感動・・・・と | 
| なみだの場面はさまざまだが | 
| それらの一つひとつを懸命に受け止め、大切にしてきた人である。 | 
| だから、似たような場面に出会うと | 
| 心が勝手にそのときの揺れを思い出し、同調して震える。 | 
| なみだもろいのは | 
| 心が硬直していない証しである。 | 
| 教え | 
| たくさん持っていたいという考えは、 | 
| それらが減っていく恐怖を生み出す。 | 
| ほどほどにあればよいと考えれば、 | 
| 一つや二つなくなっても、うろたえることはない。 | 
| 執着する心をいましめるのは、 | 
| 減っていく恐怖が多くの過ちをひきおこすと教えたいからだ。。 | 
| 新年 | 
| 始まるときに心に決めたことの多くは、 | 
| そのうち姿を消していく。 | 
| ふがいないわけではない。それでいいのだ。 | 
| そのために、年がかわるというしくみを決めて | 
| やり直す機会をつくっている。 | 
| 繰り返しているうちに、ほんとうにやるべきことが | 
| ちゃんと見えてくる・・・・・ | 
| それでいいのだ。 | 
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