雑感 Back 15
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| 答 | 
| さわやかに、清々しく生きたいものです。 | 
| さわやかに・・・・・ | 
| そのために何が必要か、を | 
| 懸命に考えています。 | 
| 息絶えるまでにその答えが見つかるといいのですが・・・・ | 
| 初恋 | 
| 初恋・・・・・・ | 
| その中身をぺらぺらと他人にしゃべる者はいないだろう。 | 
| しゃべれないのだ。 | 
| 異性に感情を抱きはじめた原点であり、 | 
| 自分がどんな人間かを悩み始めた記念日でもある。 | 
| 淡い、切ない、甘酸っぱいなどと形容されるが、 | 
| 未熟なおのれをこれほど鮮明に思い出させる記憶は他にないので | 
| そんな言葉でつつんでいるだけである。 | 
| なに? | 
| 「どんぐりころころ」を歌っていた子ども・・・・ | 
| 「”どじょう”ってなに?」 | 
| 自分たちの手でどじょうを消してしまったおとなは | 
| 返事にこまる。 | 
| だます | 
| 「サンタさんがきたよ!」と電話のむこうで幼い孫がうれしそうに話す・・・・ | 
| 世のおとなが総ぐるみで子どもをだましている。 | 
| それが許されるのは、 | 
| かつて自分もだまされたが、そのことを | 
| 決して不快には思っていないからだ。 | 
| 想像力 | 
| 同情や慰めもときに必要なものだが、 | 
| ”下手な”それらはかえって相手を傷つける。 | 
| 下手か、上手かの決め手は、 | 
| 一にも二にも想像力だ。 | 
| どんな言葉をかけるべきかは、 | 
| 相手の心情をどれだけくみ取れるかにかかっている。 | 
| だから、何も言えない無言の慰めもある。 | 
| 時代 | 
| どんな少年時代をすごしたか、 | 
| どんな青年時代をくぐったか、 | 
| そのなかでどんな人に出会い、どんな人と別れたか・・・・・・ | 
| 履歴書は、そこから書き始めなくてはならない。 | 
| いま在る自分のすべては、あの”時代”から始まっている。 | 
| おもしろい | 
| 分かれ道です。 | 
| 標識はありません。 | 
| どちらの道を選ぶのか、思案のしどころです。 | 
| この先起こり得る、あらゆることを想定して、 | 
| 最後は”イチカバチカ”の決断です・・・・ | 
| いくつもの分かれ道に立って | 
| そんな危うい賭けをしながら築いてきた、 | 
| 自分の人生です。 | 
| 「賭けごとはしない」という人生もあるでしょうが | 
| きっと平凡で、つまらないと思います。 | 
| ”賭け”だから、おもしろいのです。 | 
| 問い | 
| 人は自分に対する他人の評価をいつも気にする生き物である。 | 
| よく見られたい、きれいに見られたい、いいやつだと見られたい・・・・・ | 
| それを努力する目標だと考えれば、見栄も虚栄もまちがってはいない。 | 
| しかし、 | 
| 「なぜそんなことをするのか?」と問われた時の答は用意しておくべきだ。 | 
| だれも聞いたりはしないが、考えただけでもおそろしくなる問いであるから。 | 
| いろいろ | 
| まあ、人生いろいろあるですよ・・・・ | 
| (「北の国から・遺言」より 五郎のセリフ) | 
| いろいろある・・・ | 
| 自分の”いろいろ”の一つがいま目の前に現れ、 | 
| 解決を迫っているわけだ。 | 
| 人生まっただ中、いろいろあって当然である。 | 
| しくみ | 
| 人が「ひとり」になる道筋は複雑でも、 | 
| 「ひとり」が「ひとりぼっち」になるしくみは、 | 
| 単純である。 | 
| 誕生日 | 
| 誕生日など祝ってもらわなくてもいい、とは言わないことだ。 | 
| 年齢に関係なく、 | 
| 自分のことを大切に思ってくれる人がいるということ、 | 
| その証しをもらっているのだから | 
| 素直に”ありがとう”と言っておくべきだろう。 | 
| 「もういい年だから・・・」「いまさら・・・」は禁句である。 | 
| 誕生した記念日がうれしいのではなく、 | 
| 自分を大切に思ってくれる人の存在がうれしいのだ。 | 
| そんな人のいない者から見ると、 | 
| 夢のような恵みである。 | 
| 縁 | 
| わたしがわすれないかぎり | 
| いつもこころのなかでいきている・・・・ | 
| 縁とはそういうものでしょう。 | 
| 返答 | 
| きのうと変わらず夜が明けて、 | 
| きのうと同じように日が暮れていく。 | 
| きょうは生きたのか、生かされたのか、 | 
| 何か一つでも生存の証しを残せたか・・・・・ | 
| 時間に追われる忙しさに、かつては考えたこともなかったことが、 | 
| このごろ妙に返答を迫ってくる。 | 
| 願い | 
| 神仏に願い事はだれもがするが、 | 
| 昨年願ったことへの感謝をする人はまれであろう。 | 
| 以前願ったことへの謝意を告げてから | 
| 新たな願いを聞いてもらうのが礼儀である。 | 
| 礼儀をわきまえずに神前や仏前に立つから | 
| 願いはなかなか叶わない。 | 
| 成長 | 
| 幼子の一年間の成長にはだれもが驚くが、 | 
| 同じ進度でわが身の老いも進んでいる。 | 
| それが人間としての成長の姿だ。 | 
| 去年はできていたことが、 | 
| 今年はもう以前のようにはできなくなっている、などということは | 
| ごくあたりまえのことであって、 | 
| 驚いたり、嘆いたりするようなことではない。 | 
| ”老いる”こともまた、人として成長している姿である。 | 
| 感謝 | 
| 長い旅の途中であなたに出会いました。 | 
| しばらくいっしょに歩けたことは忘れません。 | 
| ともに踏んだ大地に残る足あとは | 
| もうしばらく消さないでいようと思います。 | 
| 別れ | 
| あのときの「さようなら」を最後に、 | 
| もうすがたを見ることができなくなった人がいる。 | 
| 人生には | 
| そんな人の方が圧倒的に多いのだ、と | 
| 年を重ねるうちにわかってくる・・・・・ | 
| 「さようなら」を言ってもまた会える人を | 
| 大切にしたい。 | 
| 正真正銘 | 
| 生まれたばかりの赤ん坊も、 | 
| どんな高齢のお年寄りも、 | 
| 「生きること」のプロである。 | 
| その年齢を生きることにかけては | 
| だれにもひけをとらない、正真正銘の | 
| ”プロ”である。 | 
| 大きいもの | 
| 山があり、川があり、海がある。 | 
| 見上げれば空があり、雲が流れる。 | 
| 大地があり、木々が育ち、 | 
| 風が吹き、雨が降り、霧も出る・・・・ | 
| 得体のしれないものに押しつぶされそうになったり、 | 
| 自分がちっぽけな存在だと思われるようになったら、 | 
| それらのとてつもなく大きなものに包まれてみることだ。 | 
| 押しつけがましいことは何も言わないが、 | 
| 腰をおろす場所だけはいつでもそっと用意してくれる。 | 
| なるほど | 
| ある年になると誰もが経験することがある。 | 
| それまではあり余るほどあって、あるのが当然だと思っていたものが | 
| 徐々に身の周りからすがたを消してしまうこと・・・・・ | 
| だが、それをさびしいとは感じない心のしくみも | 
| 同時に働き始める。 | 
| なるほど、うまくできている。 | 
| 世代 | 
| われわれ世代の強みは、 | 
| 夢や希望の持つ力を信じられることだ。 | 
| 社会や世の中が熱を帯び、元気になっていく過程を体験し、 | 
| 夢や希望をもって社会に出ていく喜びを多くの人が味わったから・・・・ | 
| われわれ世代の最大の弱みは、 | 
| 疑い深くなったことだ。 | 
| 繁栄や熱情はいつか終わるということを身をもって体験してしまったから・・・ | 
| 風 | 
| 向かい風はだれもが感じられる。 | 
| だが追い風はそれがむずかしい。 | 
| 追い風をつかむことのできる者でないと、 | 
| 船は動かない。 | 
| 人生の追い風は、時として | 
| 向かい風のように吹くことがある。 | 
| 傍らに | 
| 一番苦しくて、みっともなくて、情けないときに | 
| 見放さず、そっとそばにいてくれる人・・・・・ | 
| 大げさななぐさめや励ましなどしないが、 | 
| 凍えそうな気持ちをいつも温めてくれた・・・・ | 
| あんな状態からよくぞ立ち直れたと思うことがあるなら、 | 
| 近くにきっとそんな人がいた。 | 
| 立つ | 
| 立っている。 | 
| 自分の足で立っている。 | 
| だれの助けも借りずに立っている。 | 
| 座りこみたくなる誘惑にまだ負けてはいない。 | 
| 座り込むのは容易いが、 | 
| 一度座ればもう二度と立ち上がれないだろう。 | 
| だからこうして | 
| 身を切る北風に顔をむけて | 
| 必死で立っている。 | 
| 返礼 | 
| いやだと言えないことが世の中にはあるものだ。 | 
| 無駄なことだとわかっていても | 
| とにかくやらなければならないことがある。 | 
| そんなことでもまじめにこなしていく姿を誰かが必ず見ていて | 
| ”信用”という返礼をこっそり送ってくれる。 | 
| バカげたことではない。 | 
| 名言 | 
| 喜怒哀楽・・・・ | 
| なるほど、いにしえの人はうまいことを言う。 | 
| 四つの感情に左右されながら人生が築かれるというなら、 | 
| おそらくこの順番で進んでいくのだろう。 | 
| 最期が「哀」ではちとさびしすぎる。 | 
| やはり最期は「楽」でなくてはならぬのだろう。 | 
| 朱 | 
| 朝焼けや夕焼けを見て感動できる人間は、 | 
| どこかで身を切る痛みを味わった者である。 | 
| そうでなければ、 | 
| あの”朱”に心は動かない。 | 
| 話 | 
| おれはおれにしかできないことをやる。 | 
| つべこべ言わずにおまえもそうしろ。 | 
| 情けない愚痴をこぼす前に、 | 
| おまえにしかできないことを見つけろ。 | 
| そうでなくちゃ、この世に生まれてきた | 
| 甲斐がないだろう。 | 
| 季節 | 
| さびしいから人が恋しくなるのではない。 | 
| 人が恋しいからさびしくなる。 | 
| 人が恋しくなるのは、 | 
| これから厳しい季節や時間を迎えようとしているときである。 | 
| 汗の噴き出る真夏には、 | 
| そんな気持ちは起こらない。 | 
| 強さ | 
| つらいことが重なる。 | 
| 生きている意味を疑いたくなる・・・・ | 
| それでも倒れずに生きていられる”強さ”を | 
| あなたは気づかないうちに自分の中に | 
| 育てていた。 | 
| 弱い人間なんかじゃない。 | 
| あなたがそうであるなら | 
| 他人の悪口を言うと何だか気持ちが悪い・・・・・ | 
| そんな子どもに育てなさい。 | 
| 「悪口」は、どんな言葉を使おうと、 | 
| 自分をみじめにするだけだと教えてあげなさい。 | 
| あなたがそう思うのであるなら | 
| きっと伝わるはずです。 | 
| 食べ物 | 
| 自分の食べるものを自分で調理したことがあるかどうかは、 | 
| たくましく生存できるかどうかの分かれ道だ。 | 
| 他人に食べさせるものを一生懸命調理したことがあるかどうかは、 | 
| やさしく生きていけるかどうかの分かれ道になる。 | 
| おいしく食べてもらいたい、という気持ちがそうさせる。 | 
| だから、作ってくれる人の苦心もわかる。 | 
| 仲間 | 
| 同じ時代を生きてきた人たちは | 
| 同じころに生まれ、同じころに消えていく。 | 
| そういう仲間たちと、いまを共に生きているわけだ。 | 
| 顔も名前も知らないが | 
| あなたも、君も、お前も | 
| そんな仲間の一人・・・ | 
| あの頃・・・ | 
| みんな貧しかったが、ちっとも恥だとは思わない時代だった。 | 
| がんばれば豊かな暮らしに手が届く、とだれもが信じ、 | 
| 巷に流れる歌や映画にも夢があふれる時代だった。 | 
| パソコンも携帯電話もゲーム機もなかったが、 | 
| それで不便だとはだれも思わない時代だった。 | 
| 近所のおじさんやおばさんに | 
| 力いっぱい叱られ、ほめられた時代だった。 | 
| 悩みや不安は今と変わらないが | 
| 人がみな人にやさしくなれた時代であった・・・・・・ | 
| ほんの少し前の話である。 | 
| 命 | 
| 命を燃やして人は生きている。 | 
| 喜怒哀楽のすべてに必要な熱源だ。 | 
| 命は燃えるもの・・・・・ | 
| だから終わりがある。 | 
| 荷物 | 
| どんなに苦労して手に入れ、蓄えてきたものでも、 | 
| もう自分が持っていても役には立たない・・・・・ | 
| それを「荷物」と言います。 | 
| 早くだれかに渡すか、しまい込むかしないと | 
| これから歩く道中のじゃまになるだけです。 | 
| やけに息が切れるのは、 | 
| 捨てずに持ち歩いている、その荷物のせいでしょう。 | 
| 魅力 | 
| おもてを歩く勇気がないから、 | 
| うら道をさがそうとする。 | 
| うら道をさがしても見つからないから | 
| 歩くのをあきらめる・・・・・ | 
| 人間の魅力が色あせていくのは | 
| たいていこの順序である。 | 
| ストレス | 
| ストレスがまったくない暮らしにあこがれるが、 | 
| ストレスがゼロになると、そのことがストレスになるという。 | 
| 人間は、 | 
| 悩んでいないと生きていけない生き物なのだ。 | 
| つり合い | 
| 忙しくて、へとへとになりながらも平穏な日々が続いているなら、 | 
| つり合いがとれている。 | 
| 一方に心配事があっても、もう一方にはそれを打ち消す楽しみがある・・・ | 
| そう考えれば | 
| 多少の問題も何とかなりませんか。 | 
| 飾る | 
| 身を飾る装飾品が一つふえるたびに | 
| それまで自分の中で清楚に輝いていたものが一つ消える。 | 
| 装飾品は | 
| 輝きを失った部分を隠すものに他ならない。 | 
| ”飾らない人”が好人物の代名詞として使われるのも | 
| もっともである。 | 
| 目標 | 
| 「一日一事」・・・・ | 
| 一日に何か一つ、「今日はこれをやった」と言えるものをつくっていく・・・・ | 
| 山里で暮らすようになってから身についた、 | 
| 心おだやかに暮らす目標である。 | 
| 自分 | 
| 誇れる才能もなく、自慢できる体力や容姿もなく、 | 
| 人をうならせる特技も持たない。 | 
| 地味で目立つこともなく、 | 
| ごく普通にしか生きられない・・・・・・ | 
| だが、世間に迷惑をかけることはなく生きてきた。 | 
| それで十分。いいではないか。 | 
| 変質 | 
| あいつには負けたくないという気持ちが | 
| 自分を高めてくれる。 | 
| ”あいつには”が”あいつだけには”となったら、 | 
| ただの、情けない羨望となる。 | 
| 励まし | 
| 錦秋を誇った山々の紅葉が | 
| まるでシャワーのように猛烈な勢いで散り始めている。 | 
| 一本の木が落とす落葉の量は半端ではない。 | 
| それらがみな木々の養分となって、来年の芽吹きを支える。 | 
| 冬支度を急ぐ彼らに背中を押されながら、 | 
| 「お前もがんばれ」と励まされている。 | 
| 空 | 
| たとえわずかでも、空を見上げる時間が持てた日は、 | 
| 人間として生きた日である。 | 
| 問い | 
| 満ち足りているか? | 
| これで十分か? | 
| 「はい」とはなかなか答えられない。 | 
| それは困るし、不快なので、 | 
| 自分にこんな問いはめったにしない。 | 
| 列車 | 
| 若い日に、生きるために否応なく | 
| ”上り列車”に乗せられた。 | 
| 行き先は告げられなかった・・・・・・ | 
| そろそろ”下り列車”を探さなければならない。 | 
| 帰るべきところは下り列車でなければたどり着けないから。 | 
| 支度 | 
| 「冬支度(じたく)」とは言うが、 | 
| 夏支度や秋支度とは言わない。 | 
| 戦(いくさ)支度、旅支度、嫁入り支度・・・・・ | 
| 支度がただの準備と違うのは、 | 
| 目に見えぬ大きな力に対峙する覚悟が秘められていることだ。 | 
| 物がまえだけでなく、心がまえも整ったとき、 | 
| 「支度ができた」と言う。 | 
| つまらない | 
| ことあるごとに「つまらない」と言う人は、 | 
| 「つまらなくない」体験を知らない人だ。 | 
| あるいは、知っているつもりでも | 
| それを手に入れるために戦ったことのない人である。 | 
| 傷つくこともなく、指をくわえて見ているだけだから、 | 
| つまらない。 | 
| 待つ | 
| 待つことに慣れすぎると、 | 
| 新しくやってくるものが怖くなる。 | 
| 待っても来なかったものが | 
| そうさせる。 | 
| 筋書き | 
| そうか、なるほど、こんな筋書きになっていたのか、と | 
| 年を重ねるたびに少しずつ自分の人生の輪郭が見えてくる。 | 
| 筋書きはドラマの進行とともに明らかになるということ・・・・ | 
| この先、心配しなくても筋書きはちゃんとできているようだ。 | 
| 寒さ | 
| いっしょに手をつなげる者が傍にいれば | 
| 木枯らしの中でも風邪はひかない。 | 
| ねらい | 
| 平日に観光地やショッピングセンターに行くと | 
| おじさんやおばさんたちであふれ返っている。 | 
| この人たちの心を動かす取り組みを本気で考えないと | 
| どんなシャレた名前をつけようが、 | 
| どんなプレゼントやサービスを付加しようが、 | 
| 傾きかけた景気は元気にならない。 | 
| おじさんやおばさんたちは、”ノリ”が悪く、すぐに反応はできないが | 
| ホンモノを見抜く目だけは確かである。 | 
| 分かち合う | 
| しあわせはだれかと分かち合ったときに”幸せ”になる。 | 
| 一人で感じるものは、 | 
| それらしくあっても、別のものだ。 | 
| 縁 | 
| かつて私を喜ばせ、私を傷つけ、私を悩ませた人たちがいる。 | 
| そんな人たちと一緒に生きた時代を忘れない。 | 
| 彼や彼女たちが今どんな人生を送っているのか、知る由もないが | 
| 遠い昔に私と縁があったことを覚えていてくれるだろうか。 | 
| まちがいなく私の人生の一時期を共に生きた人たち、 | 
| あなたたちもどうか幸せであってほしい・・・・・・ | 
| 一つ | 
| 通り過ぎてゆくものとやってくるもの・・・・・・ | 
| そう聞いて思い浮かぶものをそれぞれ一つ挙げてごらんなさい。 | 
| そこに挙がったものが | 
| おそらく今のあなたの生き方を一番深いところで | 
| 支えているものです。 | 
| 生きる | 
| 小さな喜びを積み上げていく営みを | 
| 「生きる」という。 | 
| 小さな悲しみを乗り越え、大きな悲しみに備える営みを | 
| 「生きる」という。 | 
| きのうや今日、身の回りに起こったささやかな出来事も | 
| このいずれかに組み込まれていく。 | 
| わがまま | 
| ”つかみ損ねた幸せ”と言うが、そんなものはない。 | 
| それはつかめなかったかもしれないが、 | 
| 代わりに何か別のものをつかんだはずだ。 | 
| まぼろしの幸せと実際につかんだものを天秤にかけて | 
| 「きっとあっちのほうがよかった。」と思いたいだけだ。 | 
| ただのわがままだと心得よ。 | 
| 別れ | 
| きのう会った人とは、きょう別れなければならない。 | 
| いつまでも引き留めておきたいが、そうもいかないだろう。 | 
| 「きのう」と「きょう」のあいだは一日とは限らない。 | 
| 一週間になるか、一ヶ月になるか、数年、数十年になるか・・・・・ | 
| ”会う”というのは | 
| ”別れる”筋書きの、ほんの一部である。 | 
| 忘 | 
| とっくに忘れてもいいことなのに、 | 
| なかなかそれができない・・・ | 
| 忘れてはいけないことだからです。 | 
| 励ます | 
| だれかを励ましていれば | 
| そのうちきっと自分も励まされる。 | 
| ”励ます”とは、 | 
| ただ”頑張れ!”と言うことではない。 | 
| 「あなたのことを見守っています」と伝え、 | 
| 「わたしのことも見守ってください」と伝えることである。 | 
| 相手 | 
| あなたはいい相手にめぐり会いましたね。 | 
| そうは思わないですって? | 
| 思い違いですね、こちらから見ているとよくわかるんですよ。 | 
| お互いの存在にまったく違和感がなく、 | 
| 四六時中相手のことを気にかけなくてもいいでしょう? | 
| そこにいるのがあたりまえになっていませんか。 | 
| うまくいかない相手だとそうはいきません。 | 
| あなたはほんとうにいい相手とめぐり会ったのです。 | 
| いっしょに | 
| 人は、自分がさびしいのもイヤだけど、 | 
| 他人がさびしいのも気になる生き物だ。 | 
| だからいっしょにいる。 | 
| 煩わしいこともあるが、 | 
| さびしさで元気のない人を見るよりは気が楽だから・・・・・・ | 
| 遠い日 | 
| 人はみな、遠い日に自力で立ち上がり、自力で歩き始めた。 | 
| そんな画期的なことをやってのけたのは、 | 
| 誰かのためでもなく、計算があってのことでもなかった。 | 
| ただ、 | 
| 自分の行きたいところへ行き、やりたいことをやるためだった・・・・ | 
| あのときの願いは今もあるはずだが、 | 
| 健在だろうか。 | 
| 許す | 
| どんないきさつがあったにせよ、 | 
| 許せるうちに許しておきなさい。 | 
| 時期を逸すると | 
| 永久に立腹している演技を続けなくてはなりませんよ。 | 
| とっくに許しているなら、なおさらのことです。 | 
| 待つ | 
| そう落ち込むことはないだろう。 | 
| 田舎のバス停で、一時間に一本しか来ないバスに乗り遅れた・・・・ | 
| そう思えばいいじゃないか。 | 
| なあに、しばらく待っていれば次のバスがくる。 | 
| 哀しみ | 
| 「悲しみ」には、明確な原因がある。 | 
| 認めたくなくても、ある。 | 
| 「哀しみ」には、思い当たる原因がないことが多い。 | 
| 哀しみはこれまで味わった悲しみがすべて溶け合っているからだろう。 | 
| 悲しみは何とか乗り越えなくてはならないが、 | 
| 哀しみは乗り越えるものではない。 | 
| いっしょに歩んでいくものだ。 | 
| 老若のゆくえ | 
| 若すぎると、 | 
| どうでもいいことと大切なことの区別がつかず、 | 
| 力任せに全部を片付けようとする。 | 
| だがその結果、 | 
| へとへとになりながらも、思わぬ可能性にめぐり会うことがある。 | 
| 老いすぎると、 | 
| どうでもいいことと大切なことの区別がつきすぎて、 | 
| どうでもいいことはやらなくなる。 | 
| その結果、消耗は少ないが、 | 
| どうでもいいと思う事の中に潜んでいた可能性は | 
| 気づかないうちに確実に遠くへ逃げていく。 | 
| あのころ | 
| 大変だったけど、 | 
| あのころが一番楽しかった・・・・・ | 
| 年齢に関係なく、自分の人生を振り返ってそう思うときがやってくる。 | 
| あのころは精いっぱい無我夢中で生きていた、という充実感がそう思わせる。 | 
| 他人にわかってもらう必要はないが、 | 
| できれば共に歩んだ人と分かち合いたい、 | 
| ささやかなしあわせである。 | 
| 旅 | 
| ””旅行”と“旅”の違いは | 
| 「予期せぬ事態」の有無だ。 | 
| 旅行には原則として「予期せぬ事態」はあってはならない。 | 
| 旅はいわばそれの連続だ。 | 
| 人生を例えるのに「旅」は使っても | 
| 「旅行」は使わない理由である。 | 
| 美 | 
| これからは | 
| うんと美しいものをさがしなさい。 | 
| 途方もなく美しいと思うものを手に入れる努力をしなさい。 | 
| こころを枯らしたくなければそうしなさい。 | 
| こころに”紅葉”は似合いません。 | 
| 景色 | 
| 旅人にはのどかで、雄大で、心洗われる景色でも、 | 
| その景色の中にはそこで暮らしを営む人々がいる。 | 
| 自然の景色が雄大で、すばらしいと感じるほど、 | 
| そこで暮らす人々の暮らしは厳しい、ということを忘れないでいたい。 | 
| その人々が、自分の暮らしを守るために | 
| その景色も守っている。 | 
| 悲喜 | 
| 悲しみは通り過ぎる。 | 
| 喜びは立ち止まる。 | 
| ゆえに、 | 
| 人は生きていける。 | 
| 感謝 | 
| 苦しい時や悲しい時もあったでしょうに、みんなの前では | 
| いつも笑顔が絶えなかった・・・・ | 
| あなたの笑顔でどれだけ周囲が明るくなったことか、 | 
| おもしろくもない話をうなずきながら聞いてくれる姿が | 
| どれだけ励みになったことか・・・ | 
| あなたはほんとうにいい人です。 | 
| わたしはそう思います。 | 
| 眼力 | 
| 大切なのは、何をしたか、ではなく、何のためにしたか、です。 | 
| (黒澤明脚本 映画「雨あがる」より) | 
| 言われてみると、なるほど | 
| 「何をしたか」だけで他人の行為を見ていることが多いと気づかされます。 | 
| 「何のために」は見えにくいのですが | 
| 眼力とは、それを見抜く力のことなのです。 | 
| 策 | 
| 何とかしなければならないのだが、 | 
| 煩わしく、めんどうで、おっくうになることがいくつも重なると気が重い。 | 
| そんなときの解決策はただ一つ、 | 
| まずどれか一つのカタをつけることだ。 | 
| すると天秤のつり合いが変わって気持ちが少し楽になる。 | 
| あれこれ頭を抱える前に、まず一つを片づけてごらんなさい。 | 
| 終末 | 
| ハッピィエンドで終わる映画は浅薄だ、などと若いころは思っていた。 | 
| 人生、そうおいしい話ばかりではないと信じていたし、 | 
| うっ屈感が明るい終末をどこかで否定していた。 | 
| だが、年を重ねて最近は、なぜだか映画やドラマは | 
| 「ハッピィエンド」で終わってほしいと思うようになった。 | 
| 「ああ、よかった!」・・・・・・ | 
| 自分の終末がそうであってほしいと思うようになったからかも知れない。 | 
| 問い | 
| 若者に夢を語れるか。 | 
| 人生はこんなにもすばらしいものだと話してやれるか。 | 
| つまづいても、倒れても、 | 
| また立ち上がれるのが君たち若者だ、と言ってやれるか。 | 
| 失恋や挫折の痛みを受けとめ、励ましてやれるか。 | 
| 人の幸せとは何かを真剣に語ってやれるか・・・・ | 
| そんな機会がもしきたら、彼ら若者たちに | 
| 人生の応援歌を精いっぱい聞かせてやれる者でありたい。 | 
| 存在証明 | 
| 人がこの世に生きた、という存在証明(アリバイ)は、 | 
| せいぜい子と孫の二世代の記憶の中だけで輪郭を持つ。 | 
| それ以上を望むのは至難の業だ。 | 
| 後世に残る偉業など望んでもとうてい叶わぬことなのだから、 | 
| それでいいのだろう。 | 
| そんな覚悟をつくるために「寿命」と呼ばれる時間が与えられている。 | 
| 年寄り | 
| 老いた年寄りは、 | 
| 遠い日の、若い情熱に満ちあふれた日々の記憶を | 
| アメ玉のようになめながら生きようとする。 | 
| 達者な年寄りは、 | 
| 思い出しはしても、未だ時にあらずとあえて封印をする。 | 
| 若さゆえに見えなかったものが今頃になって見えてきて | 
| 耳元でささやくからだ。 | 
| おまえはかくも”未熟”であったと・・・・ | 
| 子育て | 
| 毎日の子育て、お疲れ様です。 | 
| 息も抜けず、たまには解放されたいと思うこともあるでしょう。 | 
| 子どもはあっという間に大きくなります。 | 
| あどけない笑顔、泣き顔、寝顔、何気ないしぐさ・・・・ | 
| 今日の今の”この姿”はもう二度と見ることはできません。 | 
| そう思いながら刻々と変わっていく我が子の成長を | 
| どうか”楽しみながら”見守ってやってください。 | 
| 進む | 
| うしろが詰まっているから仕方なく前へ進む、というのでは | 
| おもしろくありません。 | 
| 前へ進むのであれば、 | 
| 「進むしかない!」と決意して進みたいものです。 | 
| いつも何かに押されて動いていると、 | 
| そのうち行きたくもない崖っぷちに立たされることになります。 | 
| 分岐点 | 
| もしも、もう一度人生がやり直せるとしたら、 | 
| どの時点からにしますか? | 
| 「ここだろう」と思う時点が、つまり”分岐点”だったのですね。 | 
| 笑い | 
| 「あれから40年・・・・・」 | 
| 中高年を対象に毒舌をふりまき、大変な人気のお笑い芸人のセリフ。 | 
| いろんなネタはあるようだが、つまるところ | 
| 隠しようのない「老い」を笑い飛ばしてしまえ、という主張だ。 | 
| 面と向かって言われれば「ムッ!」とくる話でも | 
| こうして同世代みんなに言われればなぜか笑える。 | 
| 自分のことを言われているのではない、と思いながら聞けば | 
| たしかにおもしろい。 | 
| 世のため | 
| 世のため、人のためになることはできたのだろうか・・・・ | 
| 小さな町工場で、部品用のネジを長年作っている人がそうつぶやきました。 | 
| 多くの人があなたの作った小さなネジで動く冷蔵庫や掃除機のおかげで | 
| 快適な暮らしをさせてもらっています。 | 
| 立派だと思いますよ。 | 
| 豊かさ | 
| だれかの大切なものをギセイにして成り立っている”豊かさ”がある。 | 
| そのことに気づかない、あるいは、 | 
| 気づかないふりをしている世の中が、 | 
| もうずいぶん長く続いている。 | 
| そんな世の中に、あなたも私も住んでいる。 | 
| 友へ | 
| 出世を望むのはいいとしても、 | 
| 仲間を見下す道具に肩書を使うな。 | 
| やむをえず、仲間に背を向けなければならないなら、 | 
| 下手な小細工はやめて堂々と向き合え。 | 
| そして、どんな批判もその全身で受けとめろ。 | 
| それが君の望んだ「肩書」を背負う責任だ。 | 
| こそこそと自分や仲間をごまかす、 | 
| 情けない生きざまだけは見せないでくれ。 | 
| 難問 | 
| お金はなくても愛情があれば大丈夫・・・ | 
| 肯定しますか?否定しますか? | 
| 自分の「生き方」の根底にかかわる難問です。 | 
| 仲間 | 
| 卑屈になって小さくなることはありません。 | 
| 堂々と胸をはって、大きな顔をしていればいいのです。 | 
| 60歳以上の仲間たちが | 
| 国民の25%もいるというのですから、 | 
| 4人に一人は同じ時代を生きてきた仲間なのです。 | 
| ”一大勢力”ではありませんか。 | 
| 悪口 | 
| だれかの悪口を言った回数だけ | 
| その人の奥底にそっと息づいていた、清流のように清楚な魂がにごっていく。 | 
| そして、悲しいが | 
| もう二度ともとの清らかさにはもどることはない。 | 
| 警告 | 
| 両手をいっぱいに広げた長さを「一尋(ひとひろ)」という。 | 
| 自分の身長とほぼ同じ長さだ。 | 
| いくら両手を広げても | 
| 人は、自分の身の丈にあったものしかつかめないという警告である。 | 
| 過大な望みは結局手に余る。 | 
| ドラマ | 
| 人が生まれ、やがて消えていく・・・それが人生というドラマだと言うなら | 
| 雲の彼方に思えた終末部分がそろそろ見え始めてくるころです。 | 
| 筋書きがどうなるのかは依然として不明でも、 | 
| どうやらあのあたりがエンドらしいという察しはつく歳になりました。 | 
| じたばたしても、つべこべ文句を言ってもなるようにしかなりません。 | 
| せめてそこまでの道のりは、後悔などとは無縁のものにしたいと思います。 | 
| ドラマは今も静かに進んでいます。 | 
| 満足 | 
| 満足のいく仕事、満足のいく生き方ができたか、となると | 
| 即答するのはむずかしい。 | 
| その答えは人生のゴール地点に立ったときに考えるとして、 | 
| 今考えなければならないのは、 | 
| 残された時間を美しい記憶で満たしていくことだろう。 | 
| 満足するためには、 | 
| 美しいものにめぐり会ったという自己満足が不可欠だから・・・・・・ | 
| こたえ | 
| 新幹線や在来線の特急に乗るとお目にかかる光景がある。 | 
| 車掌やワゴン販売員がその車両を出入りするさいに | 
| かならず客の方を向いて一礼する姿だ。 | 
| 世界中さがしても、こんな光景はおそらく日本だけだろう。 | 
| それを見て悪い気はしないという国民性だ。 | 
| 近くに座っていた子どもが親に聞いていた。 | 
| 「あのおじさん、なぜおじぎしてるの?」 | 
| さて、この答えはむずかしい。 | 
| 父・母へ | 
| わたしのいいところは、みんなあなたたちからもらったものです。 | 
| わたしがじぶんをすきでいられるのは、 | 
| あなたたちがそのようにそだててくれたからです。 | 
| わたしにいのちをわけてくれて、ありがとう。 | 
| 父さん、母さん、おやじ、おふくろ・・・・・・・ | 
| あなたの子どもでよかった。 | 
| 目標 | 
| あこがれるが、とても真似はできない・・・・・ | 
| 仕事や生き方の目標となる人物を視野に置くと、 | 
| 彼と自分との違いにいやでも目がいくものです。 | 
| そうですね、 | 
| もともと違う人格をもって生きているわけですから、 | 
| 同じようなことはできなくて当然でしょう。 | 
| 目標は「ここへ行く」と決めれば、いつかたどり着けるものです。 | 
| 真似はできなくても、やろうと思えば彼と同じ道は歩けます。 | 
| お手本 | 
| 年老いた者にしかできないことがある。 | 
| 若い者たちに、自分もやがてあのようになる、という姿を見せてやることだ。 | 
| 人が老いるとはどういうことか、を包み隠さず見せていくことだ。 | 
| そう考えれば、 | 
| どんな年寄りになればよいか、は明確になる。 | 
| 風貌や体裁ではなく、 | 
| 眼力、洞察力、冷静な判断力を磨かなければ | 
| 彼らの”お手本”にはなれない。 | 
| 無駄にしない | 
| 転んでもただ起きない・・・・ | 
| しぶとく、がめつい人間の代名詞として使われるが、 | 
| そうではない。 | 
| 転んで痛い目にあったのだから | 
| その痛みを無駄にしたくないと考える人なのだ。 | 
| 転んだら何かをつかんで起き上がりなさい。 | 
| 事実 | 
| いとおしく思える人や物が年々ふえているなら正常でしょう。 | 
| 減っているというならちょっと心配ですね。 | 
| 若いころも「かけがえのない」という言葉は使っていましたが、 | 
| その本当の意味が身にしみてわかってくる歳になりました。 | 
| かけがえがない、ということは | 
| もうどんなに望んでも、二度と手に入らないということ・・・・・・ | 
| 恐ろしいほどに厳粛な事実です。 | 
| 夢 | 
| 長い間温め続ける夢がある。 | 
| 最近になって持ち始めた夢もあるだろう。 | 
| どちらでもよいが、 | 
| 一つくらいは実現できただろうか。 | 
| 実現もせず、ただ見ているだけの夢では | 
| 心は太らない。 | 
| 主役 | 
| 映画でも芝居でも、主役は一人です。 | 
| だから、「主役になりたい」と、 | 
| みんなが望んでも叶うことではありません。 | 
| 主役が引き立つかどうかは、 | 
| まわりを固める脇役の力で決まります。 | 
| ほとんどの人は脇役として登場する場面なのに | 
| みんなが主役になろうとするから | 
| いつまでたっても幕が開かないのです。 | 
| お粗末 | 
| 北アルプスの名峰槍ヶ岳の山頂で、カップラーメンを食べるというCMを撮影するため | 
| に一般の登山者を途中で足止めして、ヘリコプターから撮影をしたという報道があっ | 
| た。この撮影が登山者たちのひんしゅくを買い、相次ぐ抗議に食品会社は謝罪をし、 | 
| CMも放映中止となったそうだ。アイディアを思いついた人も、ゴーサインを出した会社 | 
| の責任者も大切なことを忘れていたようだ。山は個人の物ではなく、みんなの物、 | 
| まして天下の「槍ヶ岳」は山を愛する人にとってはあこがれの「聖地」であるということ | 
| を・・・・「私物化」しているということが思い浮かばなかったとしたら、ほんとうにお | 
| 粗末な、情けない話である。この会社のカップラーメンはしばらく食べないことにした。 | 
| 時期 | 
| 人生を語るにはまだ少し早すぎる。 | 
| 人生を夢見るには少し遅すぎる。 | 
| こんなもんだろう、と納得するには | 
| ちょうどいい頃合いかもしれない。 | 
| 音 | 
| どこか物悲しい夜汽車の汽笛・・・・・ | 
| あのなつかしい音を思いだせる最後の世代になりました。 | 
| 寝台列車など望むこともできなかったので、 | 
| 通路に新聞紙を敷いて寝た記憶は今でも鮮明に残っています。 | 
| 若い人に話せば「そんなバカな・・・」と笑われるでしょう。 | 
| 失意であれ、希望や不安であれ、 | 
| その時々の思いを抱いて夜汽車に乗っていると | 
| あの汽笛の音は、物悲しくも、勇ましくも聞こえたものです。 | 
| 今思えばあれは、私たちの「青春」の音だったのかもしれません。 | 
| 答 | 
| 完全な愛・・・? | 
| もっとも不完全な欲求不満のことでしょう。 | 
| アルバム | 
| 目をつぶればその時の風景や光景が今でも鮮明に浮かんでくる・・・・ | 
| 子どものころに遊んだ思い出には、そんな力があります。 | 
| そこが山河であれ、海であれ、街中であれ、 | 
| 余分なものが消え、年々澄んだ景色になっていくことに驚きながら、 | 
| なつかしいというのはこんなことを言うのか、と思い知ります。 | 
| 「原風景」と呼ぶそうですが、 | 
| 「なるほど」とだれもがうなづける言葉です。 | 
| だれに話してもおそらくわかってはもらえないけど、 | 
| 自分だけのすてきな”アルバム”ですね。 | 
| 伝言 | 
| なんとか今日をしのげ。 | 
| 今日を乗り切れば、あすは少し楽になる。 | 
| 最悪ではない。 | 
| 執行猶予 | 
| 命は、誕生した時に | 
| いつか終わる日が来ることが決まっている。 | 
| だれもみんな等しく、”執行猶予”されて生きているわけだ。 | 
| 思い上がってはならない、と思う。 | 
| どちらが | 
| 不器用と器用・・・・ | 
| どちらがいいか、と問われれば”器用”と答えるだろう。 | 
| 手先であれ、生き方であれ、器用にこなせるのはいいが、 | 
| ”器用”は一歩間違えると、 | 
| 傲慢、思い上がりに陥る。 | 
| ひたすら掘り下げる”不器用”な人間の愚直さに、 | 
| ”器用”な人間は逆立ちしても勝てないときがある。 | 
| 器用も不器用も | 
| 個人の特性の一部であって、人格を決めるものではない、と心得たい。 | 
| お返し | 
| 過去113年間で最も暑い夏になった・・・・と報じています。 | 
| この記録も近いうちにまた更新されるのだろう、とだれもが感じていますが、 | 
| どうしたらいいのか、だれにもわかりません。 | 
| 自分の暮らしが地球の環境と結び付いているなどと、 | 
| 考えもしなかった多くの人たちですが、 | 
| 「地球が悲鳴をあげている」という言葉が | 
| 妙に納得できるようになったことだけは確かです。 | 
| 地球を痛めつけて便利さや快適な暮らしを手に入れた | 
| 「お返し」なのかも知れないことも・・・・・ | 
| 足あと | 
| やがて消えていくものは、足あとを残そうとしてはならない。 | 
| そこを歩いたという痕跡は、 | 
| かかわりのあった人間が記憶の中にちゃんと残してくれる。 | 
| 大樹 | 
| ”寄らば大樹の陰”・・・は処世訓としては成り立つが、 | 
| 大樹の陰に育つ草花は、大きくなれない。 | 
| 風雨にさらされても、庇護を求めず自分の生命力だけで | 
| 生きる覚悟を決めた時、 | 
| やがて大樹をしのぐ芽が伸び始める。 | 
| チャンス | 
| 風は揺らす木を選ばない。 | 
| 雨は潤す畑を選んだりしない。 | 
| 心配しなくても | 
| チャンスはかならずやってくる。 | 
| 逆境 | 
| 想像もしなかった苦しい状況に立たされたとき、 | 
| 何をしたか、何はしなかったか・・・・・ | 
| 逆境の中でこそ、 | 
| その人間のほんとうの値打ちが試される。 | 
| 思い出箱 | 
| 子育ては、やがて来る子離れで終わる。 | 
| 手塩にかけた子どもたちが、 | 
| それぞれの道に懸命に飛び立っていく・・・・・ | 
| その姿を見送りながら、 | 
| 失敗もいろいろあったが、大筋でまちがってはいなかった、と胸をなでおろして、 | 
| これまでの日々を「思い出箱」に入れていく。 | 
| ときどき開けて見ることのできる、その箱さえあれば、 | 
| 親は生きていける。 | 
| 挑戦 | 
| 生後4,5ヶ月の幼子が懸命に挑むのは「寝返り」・・・・・ | 
| ”世界”を自分の力で変えようとする挑戦だ。 | 
| 遠い日、 | 
| あなたも私もそうやって、途方もない挑戦をした。 | 
| 何かをひっくり返すことに、まちがいなく挑んだのだ。 | 
| ゆっくりと | 
| ゆっくり流れる時間は、 | 
| 急がなくてもいい時間を手にしたときに感じられるものです。 | 
| 今が無理なら | 
| いずれ、と夢見るのもいいでしょう。 | 
| 心おだやかに、ゆっくりと生きたいものですね。 | 
| 思い出 | 
| 「小学校や中学校時代の思い出は?」と聞かれて、 | 
| 何が浮かんでくるだろうか。 | 
| 合計9年間もいた学び舎でのできごとの中から | 
| どんな場面が思いだせるか、はおそらく | 
| 今の自分の生き方と無縁ではない。 | 
| 会話 | 
| ”自分へのご褒美”・・・・・ | 
| そう言って自分のがんばりをほめてやりたくなるときは、 | 
| 人が何かの節目を迎えたときだ。 | 
| 何かが終わった、何かを乗り越えた・・・ | 
| そんなとき、 | 
| その苦労や努力の輪郭をしっかり刻むために | 
| もう一人の”自分”とひそかな会話をしたくなる。 | 
| いい言葉だと思う。 | 
| 呼称 | 
| 看護婦が看護師に、 | 
| 保母が保育士に・・・ | 
| 婦人部が女性部に・・・ | 
| いいことだ。 | 
| なぜ呼び方が変わったのかをしっかり理解するなら。 | 
| 過去 | 
| かつて輝いていたころを懐かしむのはよい。 | 
| だが、 | 
| どんなに輝いていたとしても、それはすでに”過去”のこと。 | 
| 過去形を現在進行形にする文法がないように、 | 
| 昔の輝きで今の自分は飾れない。 | 
| 潮時 | 
| 水であれ、知恵や情熱であれ、 | 
| 噴き出してくるのは、中から押し出す力があるからだ。 | 
| そんな力がなくなったときを「潮時」という。 | 
| そんなにむずかしい話ではない。 | 
| 夏 | 
| 思い出は、春夏秋冬それぞれにちりばめられているはずだが、 | 
| なぜだか、「夏」の記憶が一番濃い気がする。 | 
| 遠い日を思い出すとき、 | 
| そう思わないか。 | 
| 刻印 | 
| どんなことであれ、精いっぱいやったことには、 | 
| その人の”刻印”がどこかに打ちこまれている。 | 
| 自分で打ちこんだ覚えがなくとも、 | 
| 見える人にはちゃんと見えている。 | 
| 心残り | 
| いつか行ってみたい、と思う場所はいくつあってもよい。 | 
| どんなところだろう、と夢をふくらませることができるから。 | 
| もう一度行ってみたいがもう二度と行くことはないだろう、と思う場所は | 
| 少ない方がよい。 | 
| 心残りをたくさん抱えて暮すのはかなわないから・・・・ | 
| 勝手に | 
| したいように、好きに生きるなんてことは、 | 
| だれもがそう簡単にできることじゃないが、できればやってみたい。 | 
| みんなでいっしょに暮らしているんだから、 | 
| 自分が好きにした分、だれかに迷惑をかけている。 | 
| そのことに気づいて暮らせれば、 | 
| ”好き勝手に生きる”ことが”自由に生きる”姿に変わっていく | 
| 続き | 
| 新芽のように柔らかく初々しい「青春」・・・・・・ | 
| やがて人生の中心部分を忙しく生きる日が続く「朱夏」、 | 
| 現役を引退し、第二の人生を生き始める「白秋」、 | 
| 晩節を迎え、心静かに暮らす「玄冬」・・・・・・ | 
| だれもが等しく輝く「青春」にも、人それぞれの続きがある。 | 
| 体感 | 
| 「今日から夏です」「今日から秋です」という区切りの日は、 | 
| 暦の上にはあっても実際にはない。 | 
| もう夏ですね、やっと秋になりました・・・・・・ | 
| 厳密に日を決めなくても、体感がそれと教えてくれる。 | 
| 「老い」もきっと同じことなんだろうな。 | 
| 言 | 
| “穴があったら入りたい”・・・・ | 
| 穴があっても入らない人がそう言う。 | 
| どんなにみっともなくとも、 | 
| 隠れずに身をさらすことが責任をとることだと思う人は | 
| たとえ穴があっても入らない。 | 
| ”入る者”はさっさと自分で穴を掘って隠れている。 | 
| 願い | 
| ボケ封じにご利益があるというお地蔵様をみた。 | 
| 頭から顔にかけて手あかでツルツルに光っている・・・・ | 
| 何百年という時の流れの中で、 | 
| ただひたすら頭や顔をなでられ続けてきたその姿に胸をうたれた。 | 
| お地蔵様にではない。 | 
| 数えきれないほどいたであろう、なでた人々の真摯な願いや祈りに・・・・・ | 
| 対価 | 
| 労働の対価は賃金で返ってくる。 | 
| 努力の対価は達成感や満足で返ってくる。 | 
| 悩み、苦しみ、もがき、汗を流した対価は人間としての成長で返ってくる。 | 
| 例外なくきちんと支払われる対価には | 
| いつ、どんな形で返ってくるかはさまざまでも | 
| 未払いだけはない。 | 
| あとは信じるかどうかの問題だ。 | 
| 言 | 
| ”去るものは追わず”・・・ | 
| 去っていくものを追ったことがある者は、決まって今はそう言う。 | 
| 追っても無駄であったと身にしみているから・・・・ | 
| 一日 | 
| 何だかんだやっているうちに、あっという間に一日が終わる・・・・ | 
| 一日が短いと感じる暮らしが | 
| 一番健全な暮らしなのかも知れません。 | 
| 光 | 
| 暗くなると見え始める星のように、 | 
| じたばたしなくても、輝く力を持ったものならいずれ光り始めるでしょう。 | 
| まだ今は輝いて見えることはなくとも、 | 
| そんなものが必ずあなたの中にもある・・・・・ | 
| 信じてもいいことだと思います。 | 
| 真価 | 
| 教職を志す人の多くがその動機に「子どもが好きだから」と言う。 | 
| 純朴で無垢な部分もたしかにあるが、 | 
| 大人の持つ醜さやずる賢さも負けないくらい併せ持っている。 | 
| 子ども好きは大事だが、 | 
| 「かわいい」だけでは済まない場面にいずれ直面するだろう。 | 
| そこから本当の「仕事」が始まり、動機の真価が問われることになる。 | 
| 平静 | 
| ヒステリックに怒鳴っても、事態は何も変わらない。 | 
| 怒鳴り声が耳の中を素通りしていくだけだ。 | 
| 平静な声で、相手に一番響いて届く言葉を探せる者が、 | 
| 混乱の中で力を発揮できる。 | 
| 理想 | 
| 「理想」は「現実」に打ち砕かれるものだ。 | 
| そんなに甘いものではない、と思い知らされたときから | 
| 地に足の着いたホンモノの「理想」が育ち始める。 | 
| 空論が実論に変わるためには | 
| 一度倒れることが求められる。 | 
| 予感 | 
| やっぱりそうだったか・・・と思うできごとに出会うことがある。 | 
| 予感したのに、「そんなはずはない」と | 
| 無視した結果を今味わっているわけだ。 | 
| 自分の”予感”を信じるなら、とことん初めからそうすべきであった。 | 
| そんなはずはない、は多くの場合 | 
| 「きっとそうなる」話になる。 | 
| 弁護 | 
| 情けない、愚かなやつだ、と自分で自分を裁くとき、 | 
| 多くの場合、検事はいるが弁護人が不在である。 | 
| 無実ではなくても、ちゃんと弁護してくれる弁護人を用意して | 
| おのれの行為を裁くことだ。 | 
| 勝手な | 
| これくらいは許されるだろうという勝手な理屈をつけてやったことは | 
| だれも許してくれない。 | 
| いずれ思い知るときがくる。 | 
| 診断 | 
| @「年だなぁ・・・」と自嘲する回数が激減し、日常が現実的な老いと向き合う生活となる。 | 
| Aもうこの年だから、と若干の未練はあってもあきらめのつくことが多くなる。 | 
| Bかつてあれほど好みだった食べ物に以前ほど箸が向かなくなる。 | 
| C近所の病院の存在がやけに気になり始める。 | 
| D神や仏とは無縁の生活をしていたのに、不思議と何かに手を合わせたくなる時がある。 | 
| Eあらゆるものに宿る「いのち」が見え始め、無性にいとおしくなる。 | 
| F新たに何かを始めるよりも、やり残したことの方が気になり始める。 | 
| G愚痴が減り、かわりに「まあ仕方がないか」とひとり言を言うことが増える。 | 
| Hそういう生き方をしてきた人なのだ、と共感はできなくても理解はできるようになる。 | 
| I自分も時空の旅人なのだという意味がほんとうにわかるようになる。 | 
| 三つ以上思い当たれば、心配いりません。 | 
| 順調に”発育”しています。 | 
| 道 | 
| どんな人間でもその人が一生かけてやることは | 
| 後に続く者へ、一本の「道」をつくってやることだ。 | 
| 後輩でもいい、子どもや孫でもいい、見知らぬ誰かかも知れない。 | 
| 彼らが必ず自分の作った道を歩くとは限らないが、 | 
| 選択肢の一つにはなる、そんな道を作る営みを | 
| 人は自分の生涯をかけてやっている。 | 
| いい道ができていますか? | 
| 人生 | 
| 生まれたその日から人生が始まるのではありません。 | 
| 小さな”細胞”が、何万年という祖先の進化のおさらいを | 
| 一年かけてやり抜いて、ようやく人間として生まれてくるのです。 | 
| 壮大な時空の旅をしてきたから、 | 
| 人は大きな夢が見られるのです。 | 
| 旅の途中でたくさんの先人たちに出会ったから、 | 
| たくさんの伝言を手にして生きることができるのです。 | 
| 健全な | 
| たとえどう見えようと、その人にはその人の生き方がある。 | 
| 自分には真似のできない、真似はしたくないと思える他人の生き方でも、 | 
| 認めることができるようにならないと、 | 
| 健全な年寄りにはなれない。 | 
| 実践 | 
| 本物の”年寄り”は、 | 
| つべこべ言わずその年相応の生き方を本気で実践している。 | 
| 「年だなぁ」と自嘲している間は、 | 
| まだ修行がたりない。 | 
| 尺度 | 
| 「やさしい」というのは、 | 
| 相手の行為そのものではなく、 | 
| その奥に見える、その人の真意を「私」が好ましいと感じる心理状態だ。 | 
| 好ましいと感じるのだから、 | 
| 実は似たようなものを「私」も持っている。 | 
| 集団 | 
| どういう力関係でこの集団が動いているのか・・・・ | 
| だれの、どんな影響力が一番強く働いているのか・・・・ | 
| はじめて集団に接し、その仲間に入るときは | 
| まずこのことを見極めよ。 | 
| それが見えないうちに近づくと、 | 
| 自分の座る場所を間違える。 | 
| 別離 | 
| 人は「おめでとう」と言われた回数だけ、 | 
| それまでの自分と別れている。 | 
| 器 | 
| 毎日使う食器であることに気づく。 | 
| おもてに模様のない、真っ白な器が結局一番いい、と・・・・ | 
| 時折使う物なら、極彩色や染付もいいだろうが、 | 
| 日々手にし、目にする器は白がいい。 | 
| どんな料理も拒まず、料理の彩りを裏側で支える白・・・・・ | 
| 器が威張っていないのが心地よい。 | 
| どこか人の姿と重なる気がするのだが・・・・ | 
| 予感 | 
| ”人生の転機”は予想もしていなかったときにふいに現れる。 | 
| それが”転機”であったというのはあとからわかるのだが、 | 
| そのときは「何かが変わる」予感だけは確かに感じられるものだ。 | 
| 今が「その時」かどうかはわからなくても、 | 
| 予感があれば”その時”は近い。 | 
| 切れ味 | 
| 切れない包丁を平気で使っている人は、 | 
| よく切れる包丁を持つと決まって手を切る。 | 
| 予期 | 
| 泳げないからといって、いつも救命胴衣を持ち歩く人はいません。 | 
| 傘は、雨が降るかもしれないと察するから持ち歩きます。 | 
| こうなりそうだと予期し、起こるかもしれない事態をあらかじめ想定し、 | 
| 綿密に準備する力を”危機管理能力”というそうですが、 | 
| 漫然と事態をながめ、 | 
| 可能性のある危ない事態を予測できない人は、 | 
| 雨の中をぬれて歩くしかありませんね。 | 
| お返し | 
| 見知らぬ土地で心細い思いをしているときに、 | 
| 声をかけてくれる人がいる。 | 
| きっと”心細さ”がその人には見えたのだろう。 | 
| お返しは、 | 
| 次は自分が”その人”になることだ。 | 
| 調味料 | 
| 入れすぎた砂糖の甘さ、塩の辛さは取り返しがつかない。 | 
| 砂糖であれ、塩であれ、調味料はほどほどがよい。 | 
| 調味料を”日々の喜び”に置き換えてみると | 
| なるほど、とうなづける。 | 
| 有り余る”喜び”は明日の不幸を連想させる。 | 
| 衝動 | 
| なぜそんなことをするのか?と問われても答えられないことがある。 | 
| 体の奥底から何かが湧きでてきて、自分を突き動かしている感覚・・・・・ | 
| 説明のつかない衝動で動いているとき、 | 
| 人はまちがいなく空を飛んでいる。 | 
| だから、余人には見えないものを見ている。 | 
| 禁句 | 
| 年を重ねると、多くの機能は弱って退化していくが、 | 
| 一つだけますます磨きがかかって研ぎ澄まされていくものがある。 | 
| どうやら人間はそのようにできているようだ。 | 
| 人によって内容は異なるだろうが、その鋭利さは、 | 
| 若いころの比ではない。 | 
| 自分の”それ”が何であるのか・・・・ | 
| 思い当たるものがない、などと情けない話は禁句である。 | 
| チャンス | 
| 「逃がした魚は大きい」と言う。 | 
| 魚を「チャンス」や「幸せ」に置き換えれば | 
| その意味はだれにもわかる。 | 
| ”逃げた魚”ではない、”逃がした魚”なのだ。 | 
| 臆病 | 
| 生来の臆病者だからいつも注意を怠らない・・・・・ | 
| 恥じることではありません。 | 
| 神経質?・・・言いたい者には言わせておきなさい。 | 
| 小さな失敗をしないから、 | 
| 大きな夢が見られるのです。 | 
| ちがい | 
| 体内でごく微量の電気を起こす”発電装置”が女性にはあるという。 | 
| 男性にはない。 | 
| 不公平にも思えるこの違いの意味は、 | 
| 女性からわけてもらって充電するバッテリーが劣化し始めるころになって | 
| ようやくわかってくる。 | 
| 心理 | 
| ”うらやましい”という心理がそのまま”ひがみ”になるわけではない。 | 
| うらやましいと思う相手の中に | 
| 自分と同等なはずなのに・・・という気持ちが生まれたときに | 
| ”うらやましい”が”ひがみ”や”ねたみ”となる。 | 
| 観念 | 
| 「長生きしてくださいね。」・・・・・・ | 
| いつかそう言われる時が必ず来る。 | 
| 余命が短いと、誰の目にも見え始めるときだ。 | 
| そう言われたらきっぱりと観念して | 
| 「明日までは何としても生きるぞ」と言い聞かせて日々を暮らすことにしよう。 | 
| 欲 | 
| すでに持っていれば欲しがらないのが正常だが、 | 
| そううまくいかないことが結構多い。 | 
| 今欲しくて手に入れたいと思っているものをもう一度思い起こしてみよう。 | 
| すでに持っているのに、なぜそれが欲しいのか? | 
| 手に入れてどうしたいのか? | 
| 過ち | 
| 言い方はちがっても、人間のおかす過ちは | 
| 「暴走」か「失速」のいずれかである。 | 
| つまり、突き進む速度のまちがい・・・・・・ | 
| 思い当たりませんか。 | 
| 博識 | 
| 身につけた”博識”は自慢したくなる。 | 
| そんなことも知らないのか、と相手を見下したくなる。 | 
| 自慢するのは勝手だが、たくさんの知識を | 
| いったい何に、どう使おうとしているのか・・・・・ | 
| 見せびらかし、ひけらかすだけの知識は | 
| 何も知らないことより始末がわるい、ということなら | 
| 本人は知らないだろうが、 | 
| 自慢される側の人間ならみんな知っている。 | 
| 駅 | 
| ”駅”に人生の縮図を重ねてみるのは的はずれではない。 | 
| 終着駅や始発駅という響きに何となく胸が熱くなったり、 | 
| 雑踏の中で聞くアナウンスにどこか郷愁を覚えたり・・・・・ | 
| 出会いや別れ、旅立ちや帰郷に立ち合ってくれた“駅”が、 | 
| 人生の節目を演出する舞台だったのだ、ということは、 | 
| 駅を使わなくなったころから、ゆっくりとわかってくる。 | 
| 望み | 
| 「失望」は「絶望」ではない。 | 
| 「がっかりする」と「打ちのめされる」は違うと言い換えれば納得できる。 | 
| 「絶望」は人生そうめったにあるものではない。 | 
| 一目ぼれ | 
| 相手がヒトであろうとモノであろうと、 | 
| ”一目ぼれ”は何も特別なことではない。 | 
| さがし求めていたものに出会ったのだと思ってしまう。 | 
| 説明のしようのない高ぶりと喜びは至福のものだが、 | 
| 多くの場合、”一目”見ただけのものは「錯覚」である。 | 
| それでもいい、と誰もが思うからおもしろい。 | 
| 自分 | 
| 今の自分をお金の金種に例えると | 
| 「何円」になるのだろう。 | 
| 一円、五円、十円、五十円、百円、五百円、千円、五千円、一万円・・・・・・・ | 
| 問題は「貨幣価値」ではなく、「使われ方」である。 | 
| ゆえに「一円」だとて恥じることはなく、 | 
| 「一万円」だとて威張ることはない。 | 
| 待つ | 
| 熟成を待て。 | 
| ほどよい加減になるには時間がかかるものだ。 | 
| 本来いっしょにあるはずのないものを混ぜ込んだのだから | 
| なじむまで少し待ってやるのが道理というもの・・・・・ | 
| 仕事にも人間関係にも | 
| 熟する”とき”がある。 | 
| 後悔 | 
| もう二度と取り返しがつかないとわかったときに、 | 
| 人ははじめて、何と愚かなことをしたものか、と思うのです。 | 
| 今日の失敗が明日取り返せると思っているうちは、 | 
| 似たような気持にはなっても、本当の後悔ではありません。 | 
| サイン | 
| 眠いのは、 | 
| 体やこころがそれを欲しているからです。 | 
| そんな正直なサインを無視する生活は | 
| きっとどこかでしっぺ返しを受けるでしょう。 | 
| 眠くなればどこでも眠る幼子をみているとそう思います。 | 
| 使命 | 
| 秋に紅葉する木の葉たちは、冬を迎える木の枝や幹に | 
| 自分の中にある養分をすべて移してから散っていくといいます。 | 
| 枯れていくのはしかたがないのですが、 | 
| ”託す”という使命だけは忘れたくないものです。 | 
| 教 | 
| 2,3歳の子どものころから、 | 
| 親が真剣に我が子に教えないといけないことがある。 | 
| すべてのものには「命」がある・・・・と。 | 
| おもちゃにも、石ころにも、小さな虫にも、今日食べた野菜にも、 | 
| かけがえのない、たいせつな「いのち」が宿っているのだと・・・・・ | 
| 「いのち」は目に見えないが、 | 
| まちがいなくあなたの中にもあるのだと・・・・・・ | 
| 孤独 | 
| 一生が始まるときも終わるときも、 | 
| 人は”ひとり”である。 | 
| そのことを忘れさえしなければ、 | 
| 今ひとりでいても孤独ではない。 | 
| 師 | 
| 人はみな生涯に幾人かの「師」にめぐり会う。 | 
| 師といえども人間だが、 | 
| 普通の他人には持たない、なつかしさや感謝をなぜか感じるだろう。 | 
| 教えてもらった「こと」はもはや定かではないが、 | 
| 教えてもらった「もの」は今も鮮明に残っているからだ。 | 
| ”先生”と呼ばれる人たちにはぜひ | 
| 「こと」ではなく「もの」を残してやれる人であってほしい。 | 
| ほめて | 
| 幼子を見ていて思う・・・・ | 
| 昨日まではできなかったことが、できるようになったら、 | 
| どんな親も我が子を力いっぱいほめてやるではないか。 | 
| いつからだろう。 | 
| そんな、あたりまえにやっていた子育ての原則を忘れていくのは・・・・・ | 
| まだ間に合う。 | 
| 教え | 
| かつて釣りの師匠に教わった。 | 
| 釣れない時には原因がある。それを探れ。 | 
| 魚の気配はあるか、餌は適切か、仕掛けは正常か、潮は動いているか、 | 
| それらをすべて確かめて、それでもだめなら | 
| 今日はあきらめろ・・・・・と。 | 
| 難局に対峙するさいに大いに役立った教えであった。 | 
| 誤解 | 
| いずれわかるときがくるのですから、 | 
| 今はそっとしておきましょう。 | 
| もしもわかってくれなかったら、 | 
| 相手はその程度の人間だった、ということです。 | 
| 顔 | 
| かつてその美貌で名をはせた女優さんがテレビに登場する。 | 
| ”ふつうの”おばさんやおばあちゃんの顔になっている。 | 
| 安心する。 | 
| 達人 | 
| どうしようもない自分が歩いている 山頭火 | 
| そんな自分が見えているのだからまぎれもなく達人です。 | 
| 凡人は、 | 
| どうしようもない「他人」が歩くのはよく見えますが、 | 
| 自分のそれはなかなか見えません。 | 
| 別れ | 
| 今度はいつ会えるだろう、 | 
| ひょっとするともう会えないかもしれない・・・・・・ | 
| そう思うから名残惜しいと思います。 | 
| 物理的には双方の距離が離れるだけなのに | 
| そこに”無限の意味”を見いだせるから | 
| わたしたちは”別れ”を大事なものだと思うのです。 | 
| かつて経験した「名残惜しい別れ」のおかげで、 | 
| 自分も成長できたのだと、このごろわかってきました。 | 
| 問い | 
| 命とともに授かった能力や特性を | 
| 存分に生かして生きていますか。 | 
| それはまぎれもなく、 | 
| あなたにしかできない、あなただけの大切なしごとです。 | 
| 予感 | 
| いつかこういうことになるんじゃないか、と思っていた事態になったら、 | 
| 潔く観念しよう。 | 
| そして、 | 
| ていねいに、誠実にその事態に対応して、 | 
| もうこんなことは起こらない、という予感を育てよう。 | 
| 次はそれが現実になる。 | 
| 強がり | 
| さびしくないはずはないのに、「さびしくなんかない。」と | 
| 強がりを言う・・・・・・・ | 
| 手痛い失敗でひどく落ち込んでいるのに、 | 
| 「大したことはない。」と強がりを言う・・・・・・・ | 
| ”強がり”は、 | 
| だれかに本当の気持ちをわかってほしいと思うから | 
| 言えるのです。 | 
| 変革 | 
| 自分を変えたい? | 
| そうですか、それで変えたいのはあなたの「何」ですか。 | 
| それが決まったらまた話しましょう。 | 
| 欲張らないで一つくらいならできると思いますよ。 | 
| 楽しみ | 
| 楽しみはあとにとっておく、ということはやめて、 | 
| 早々に新鮮なうちに味わっておくべきです。 | 
| 下手に保存しておくと、かびが生えるか、変質して | 
| 楽しむどころの騒ぎではなくなります。 | 
| 若いころなら、楽しみも次々に現れてきますが、 | 
| この年までくるとやってくる楽しみの数には限りがあるようですから、 | 
| 味わえるうちに賞味しておくことですね。 | 
| 信 | 
| やっと終わった・・・・と思うときがいずれ来る。 | 
| きっと来る。 | 
| それだけはまちがいない。 | 
| 若い | 
| 高齢の人に「お若いですね。」と言うのは社交辞令である。 | 
| 若い者に「若いね。」と言うのは自嘲である。 | 
| 誰彼かまわず「若いね。」というのは傲慢である。 | 
| 想う | 
| いくら心の底から想ったとて、 | 
| その想いが届くとはかぎりません。 | 
| いや、届かないのがふつうなのでしょう。 | 
| それでも想うのは、 | 
| 生きている実感を手ごたえとしてつかんでいたいからです。 | 
| だれかや、何かを想うときは、 | 
| こころがふくらんだり、痛んだりするではありませんか。 | 
| 冷たく凍ってしまわないように、懸命に心が動いている証しです。 | 
| 連鎖 | 
| 愛してもらったから、誰かを愛せる・・・・・ | 
| 親子でも男女でも、 | 
| 「愛」と言う名で語られる関係には、 | 
| そんな原則が存在します。 | 
| 「愛情の連鎖」とも言えるこの原則を | 
| 多くの人は気づかずに実践しています。 | 
| 発見 | 
| 畑を作ってみると、雨のありがたさがよくわかる。 | 
| 種をまいてみると、極小の一粒の信じられない生命力に驚く。 | 
| あたりまえだと思って見てきたものや、 | 
| 見向きもしなかったものが、 | 
| ちょっと目線を変えると、こんなにもすばらしいものだったかと思える・・・・・ | 
| 人はずいぶんと遠回りをして、 | 
| そんな身の回りで輝き続けていたものに気がつくものだ。 | 
| 見極め | 
| たった一人になってもやらなければならないことがある。 | 
| 多くの人がやっていてもやってはならないことがある。 | 
| 問題は人数ではない。何をするか、何はしないか・・・その見極めだ。 | 
| それを間違えると、 | 
| やる気と善意と労力を無駄にするばかりか、 | 
| かつて”仲間”と呼んだ人たちが | 
| 背中を見せて去っていく。 | 
| 一回 | 
| 人生は一回きり・・・・なんてわかっているつもりでも、 | 
| ほとんどの人は普段そんなことを考えて生きてはいません。 | 
| 気がついたときには、すでに残り少なくなっている時間に唖然とし、 | 
| そうだったのか、とあらためて思い知らされるだけです。 | 
| 一回きり・・・ほんとうにそうなのです。 | 
| それに気付けば、始めなければならないこと、 | 
| 終わりにすべきことが見えてきませんか。 | 
| 優劣 | 
| 師に尋ねる。「この世で一番大切なものは何でしょう?」 | 
| 師は答える。「そんなものはない。」 | 
| 重ねて師に尋ねる。「何ゆえに?」 | 
| 師曰く・・・・・ | 
| 「一番などというから、そんなものはないと言ったまで。 | 
| 大切だと思うものは、みんな大切なもの、なぜ優劣をつけたがる・・・・・・」 | 
| しあわせ | 
| ”小さなしあわせ”と言い表すのは、 | 
| ”大きなしあわせ”というものがあると思うからだ。 | 
| ”大きなしあわせ”には、めったにお目にかかれないし、 | 
| そんなものを望めば何だかしっぺ返しが来そうな気がするので、 | 
| みんな身近で味わえる”小さなしあわせ”を求めている。 | 
| 小さくても、立派に”しあわせの味”はする、とだれもが知っている。 | 
| 接着剤 | 
| ささいなことで「すぐにキレる」と言われる人がいる。 | 
| 正確に言うと少しまちがっている。 | 
| すぐにキレるのではなく、 | 
| もともと細切れで、つながっていなかった人、なのだろう。 | 
| 堪忍、辛抱、許容という接着剤を持ち合わせなかった人である。 | 
| 年寄りの心得 | 
| @電車やバスの中で席を譲られたら、素直に善意を受け取ること。 | 
| (たとえムッときても他人からはそんな年に見えている) | 
| A買い物で代金を支払うときには、1円や5円、10円を十分に使い、 | 
| なるべくお釣りをもらわないように心掛けること。 | 
| (小銭を軽く見て大切にしない風潮を正すために) | 
| Bテレビでバラエティなどと言ってゲラゲラ笑うだけのものは見ないこと。 | 
| (そんな番組の視聴率を上げてはならない) | 
| C若者の髪型や服装がだらしないと腹を立てないこと。 | 
| (かつて長髪が象徴であった自分たちの時代を思い出せばよい) | 
| D活字を読む目は弱っても、人間を見抜く眼力や物事の裏表を | 
| 見抜く眼力は常に鍛えておくこと。 | 
| (年寄りの値打ちはそれで決まる) | 
| 以上。 | 
| いまさら | 
| 「いまさら・・・」には、もう手遅れだという意味のほかに、 | 
| 自嘲めいた未練が含まれる。 | 
| ほんとうは欲しいのに手に入らない悔しさを | 
| そう言って呑みこんでいる。 | 
| 不便 | 
| 都会で騒ぐ”流行”にははるか縁遠い暮らし、 | 
| 話題になっている映画も2時間かけて行かないと見られない暮らし、 | 
| 回転寿司を食べようと思えば1時間以上車を走らせる暮らし、 | 
| 街ならすぐ手に入る物がなかなか手に入らない暮らし、 | 
| 厳しい自然の中でじっと息をひそめて耐える暮らし・・・・・・ | 
| そんな不便な暮らしは耐えられないと言うのなら | 
| あなたたちの今の暮らしは何と呼ぶのでしょうか。 | 
| そんな”不便な暮らし”を求めてなぜ、 | 
| 休日になるとやってくるのですか。 | 
| 石文 | 
| 文字を持たなかった、いにしえの人々は、 | 
| いろんな形の石にその時の自分の気持ちを重ねて相手に渡したという。 | 
| 「いしぶみ」(石文)と言うそうだ。 | 
| 幸せな気持ちは丸い、きれいな石、 | 
| 怒った気持ちはごつごつした角ばった石・・・・・ | 
| いにしえ人は渡す側も受け取る側も | 
| 文字を持つ今の我々の何倍も豊かな、卓越した感性を持った、 | 
| 達人であったようだ。 | 
| 社交辞令 | 
| 「おかげさまで」・・・は社交辞令である。 | 
| そのやわらかい響きは相手との関係に角を立てない。 | 
| 活用すべき言葉だが、乱発してはいけない。 | 
| 使いすぎると、だれのおかげなのかが曖昧になり、 | 
| 気をよくしていた相手も「なんだ、お世辞か。」と冷めてくる。 | 
| ホンモノ | 
| 部屋に飾り、何度見ていても飽きない絵・・・・ | 
| きっとそれは”名画”であるように、 | 
| 長い間見ていても飽きないものが | 
| ”ホンモノ”でしょう。 | 
| ”自分にとって”という但し書きはつきますが・・・・・・・ | 
| 法則 | 
| 三角形の三つの角を合わせると180度になるという法則を知っていても | 
| 日常の暮らしでそれが大いに役立ったということはまずありません。 | 
| なのになぜ学校で学ぶのかと言えば、 | 
| 信じられないほど純粋で美しい法則が | 
| 私たちの身の回りにあるということを知るためです。 | 
| それを知ったことが、かならず”わたし”の生き方の中で | 
| 考えたり感じたりする力に役立っています。 | 
| 敵 | 
| 今は楽しく思える日々もそのうち退屈になる。 | 
| 問題は、 | 
| 退屈をもたらした原因と戦えるかどうか・・・・・・ | 
| こればかりは、「戦わずして勝つ」ことはできない。 | 
| マンネリ化という”敵”の姿が見え始めたら、 | 
| 用意するのは「あきらめ」ではなく、戦支度である。 | 
| 上げたいもの | 
| 昇進したからといって、人としての値打ちが上がるわけではない。 | 
| 上がるのは給料と若干の社会的地位だけ・・・ | 
| 望んで悪いわけではないが、 | 
| 本当に「上げたいもの」は何かを見失わないことだ。 | 
| それを見失うと、 | 
| 飛び立ちたくても飛べないほど重い”おもり”が羽にぶら下がる。 | 
| 子ども | 
| 子どもはいいもんだ、と思うのは | 
| かわいいしぐさや、幼い言葉を見聞きするときではない。 | 
| まだ見ぬ大人の世界に足をふみいれようと | 
| けなげに、まっすぐ立ち向かおうとするときである。 | 
| ああ、こうやって人は人間になっていくんだ、と | 
| 教えられるときである。 | 
| 返事 | 
| 人の言いなりになって被る損失は、 | 
| 人に逆らって被る痛手よりはるかに傷が深い。 | 
| 逆らえば「いやだ」と反撃もできるが、 | 
| 言いなりでは「はい」の返事しか許されない。 | 
| 試合 | 
| もうずいぶん長くリングの上にいるので、 | 
| 今が何ラウンドなのか、わからなくなりましたが、 | 
| 終了のゴングはまだ鳴らないし、どこからかパンチやジャブが飛んできます。 | 
| 試合はどうやらまだ終わってはいないようですね。 | 
| 息切れはするし、足もフラフラですが、 | 
| 何とかまだ倒れずに立っています。 | 
| 好きで、自ら求めて上がったリングなので、 | 
| 倒れるなら、ここで倒れたいと思います。 | 
| 二者択一 | 
| YESかNOか?・・・白か黒か?・・・・ | 
| 二者択一のみを選択肢として要求するのは潔くてすっきりするが、 | 
| そんな決断など簡単に出来るはずがない。 | 
| それなのに「出せ!」と求めるのなら、 | 
| そこで出された答えには相手の苦汁の決断が織り込まれていることを | 
| 決して忘れてはならない。 | 
| 傲慢に陥ると、まっ先に見えなくなるものだからおそろしい。 | 
| 道づれ | 
| なぜ自分だけがこんな目にあうのか・・・・ | 
| いいときには思わないが、悪いときにはそう思う。 | 
| 自分だけ貧乏クジを引かされる事態に | 
| 人間、そう平然と耐えられるものではないから・・・・ | 
| 「道づれ」がほしくなるのはそんなときだ。 | 
| 悲しいが、そんなときに出会った道づれの多くは、 | 
| やがて進む道をめぐってケンカ別れをする。 | 
| 系 | 
| 紛れもなく”雑食系”なのに、 | 
| ”草食系”だの”肉食系”だのと言うから、 | 
| 「自分はどっちだろう」などと要らぬ心配がうまれる。 | 
| 心配しなくても | 
| 用心深さと獰猛さは、どちらもちゃんと備わっているのだから | 
| 雑食系には雑食系の生き方があると信じて | 
| 米も肉も食べていればよい。 | 
| 裸踊り | 
| ある人の、横柄で、横着な態度は | 
| 謙虚さで身をつつんだ人には | 
| ただの裸踊りにしか見えない。 | 
| 服を着ていないので | 
| その動きは手に取るようによく見える。 | 
| いつまでもそうやって一人で踊っていなさい。 | 
| 少年 | 
| いつまでも少年のような気持ちで暮らせたらいい・・・・・ | 
| たくさんの解答書を手に入れ、大きなまちがいもしなくなった今、 | 
| そんなものなど手にすることのできなかった少年時代の、 | 
| あの、無知で、好奇心や憧れのかたまりであったころの | 
| 無鉄砲な自分にもどってみたい。 | 
| 後悔と失望と希望が次々にやってきて | 
| いったいオレは何者だ、と迷いに沈んだあのころの | 
| けなげな、愛すべき自分にもどってみたい。 | 
| 自慢 | 
| こんなことやあんなことができる・・・・という自慢を聞かされると気分が悪い。 | 
| こんなことができた、という事実を誇る自慢ならそうでもない。 | 
| なにゆえ? | 
| 「できる」にはあっても「できた」にウソはないからだ。 | 
| ウソはみんないい加減聞き飽きてうんざりしているので、 | 
| 自慢するなら | 
| 「できた」ことにしておこう。 | 
| 振り返る | 
| 一度振り返ればもう一度振り返りたくなる。 | 
| そこに見えるものがつらさをよみがえらせるものだとしても、 | 
| 一度振り返るなら、しかと目の奥に焼きつけておこう。 | 
| そして、 | 
| もう二度と振り返らない。 | 
| 温める | 
| 温められた空気は軽くなり、上昇する。 | 
| 温められた心も軽くなり、体の上部に集まってくる。 | 
| 笑う、しゃべる、目を細める、ほほ笑む・・・・・ | 
| 顔や口の様子をみれば心の温度は測れる。 | 
| どう頑張っても足で笑うことはできない。 | 
| 先 | 
| この先どうなるか、は | 
| この先どうするか、を決めない限り見えてこない。 | 
| この先どうするか、は | 
| この先どうしたいか、を練っているうちに見えてくる。 | 
| この先どうしたいか、を練るためには、 | 
| 捨てるわけにはいかないと思い込んでいるものを | 
| 思い切って捨てるしかない。 | 
| 助走 | 
| 家族がバラバラに散って遠くに離れていくのは、 | 
| いざというときに戻るための | 
| 助走距離を長くとるためである。 | 
| 切ない | 
| 泣きたくなる切なさは、 | 
| あすは笑って生きようという気持ちの源になる。 | 
| なぜなら、 | 
| 切ないという感情には、 | 
| どこか温かいものが流れているからだ。 | 
| その”温かさ”がやがて傷を癒してくれる。 | 
| ”にがい”は不快だが、 | 
| ”ほろ苦い”は必ずしも不快ではない。 | 
| 暮らし | 
| 今の暮らしに満足していますか?・・・・・ | 
| あるテレビ番組で、山奥で一人で暮らす老人に尋ねていた。 | 
| バカなことを聞くもんじゃない。 | 
| いったいどこのだれが”満足して”暮らしているというのか、 | 
| 不満があり、希望や期待があり、あきらめがあり、はがゆさがある・・・・・ | 
| それが暮らすということだろう。 | 
| 好きでやっているように見えても、 | 
| そういう暮らしをしている”わけ”がだれにもあるということだ。 | 
| わたし | 
| 私ならこうする場面なのに、まったく別のことをする人がいる。 | 
| 私には我慢できない場面なのに、割と平気な人がいる。 | 
| 驚いたり、腹が立ったりするが、 | 
| 「わたし」がどういう人間か、がとてもよくわかる瞬間だ。 | 
| 憤るまえに、それを自分の役に立てたらどうだろう。 | 
| 想像 | 
| 想像していたものが実物をみると違っていた・・・・・ | 
| よくあることです。 | 
| 想像には無意識に自分にとって好都合な添加物が含まれるようです。 | 
| なるべく無添加で想像するには、 | 
| 美化することを自分の意志で排除するしかありません。 | 
| 美化は過度な期待の副産物です。 | 
| におい | 
| 加齢臭? | 
| だれだ、そんなバカなことを言いだす奴は! | 
| だれだ、そんな言葉に踊らされる奴は! | 
| 人間、自分固有の匂いがあって当然、 | 
| 清潔にしていれば何の問題もない。 | 
| 孫は抱いてもらったおじいちゃんの匂いを忘れない。 | 
| 落ち | 
| 「落ち」のない話は落語にならない。 | 
| 「落ち」とは・・・・・? | 
| 「なるほど、そういうことか」とだれもを納得させる仕掛けである。 | 
| 「落ち」を意識した話ができる人には、 | 
| みんなが耳を傾ける。 | 
| 家族 | 
| 深夜の高速道のサービスエリア・・・・ | 
| 屋外の薄暗いテーブルに五人の家族連れがすわって | 
| 買い求めたおにぎりをみんなで食べている。 | 
| 連休の渋滞の合間にやっと取れた遅い夕食であろう。 | 
| おにぎりと漬け物だけの質素な夕食だが、 | 
| 家族がみんなで食べれば立派な食事になる。 | 
| 父親が中から紙コップに入ったお茶を運んできて、 | 
| 小さな女の子が「熱いね」と言いながら飲んでいる。 | 
| 家族・・・・・ | 
| 夜風の冷気のなかで、そこだけはやわらかい温もりに満ちていた。 | 
| 志 | 
| 「志(こころざし)」がなくても生きていけるが、 | 
| あれば”よりよく”生きられる・・・・ | 
| 言ってみればそれだけの違いだが、 | 
| その差はあまりに大きい。 | 
| そのことに気づけば、知らぬ間に身の回りが変わっていく。 | 
| 2番 | 
| 「なぜ2番ではいけないのですか?」と発言して話題になった人がいる。 | 
| バカなことを・・・と冷ややかな視線が浴びせられたが、 | 
| だれもその問いにまともに答えていない。 | 
| なにゆえ2番ではいけないのか・・・・ | 
| 見逃してはいけない、きわめて大事な問いである。 | 
| いいわけ | 
| 本気にならなくても、ある程度のことならやれるだろう。 | 
| だが、本気でやろうと思わないと、 | 
| うまくいかないときに、すぐに誰かのせいにしたくなる。 | 
| オレはべつにやりたかったわけではないのに・・・・と。 | 
| 本気になると、”いいわけ”は姿を見せなくなる。 | 
| 喜び | 
| 厄介だと思うものの中に、 | 
| 真の喜びがあるというのはウソではないだろう。 | 
| 思い込みはやめて、とにかくやってみることだ。 | 
| 厄介だと思いながらやっていると、 | 
| 気がつけば立派な道になっているということもある。 | 
| 束縛 | 
| 仕事や社会の束縛から一旦離れてみると、 | 
| 自分を縛っていた縄や鎖がよく見えて | 
| もう二度とあんなもので束縛されるのはごめんだ、と思います。 | 
| 年寄りには許される、そんなわがままを、 | 
| あなたたちはまだ味わってはいけません。 | 
| それは引退してからの楽しみにとっておきなさい。 | 
| 束縛は、生きていくために払う税金のようなものですから | 
| いやでも払わなければならない時期があります。 | 
| 燃える | 
| はげしく燃えればそれだけ“燃え残り”も多くなる。 | 
| 何かが終わった時、 | 
| 燃え残ったものを見れば、 | 
| どれだけ燃焼したのか、その激しさと深さがわかる。 | 
| 追い求める | 
| 自分では気づかないが、人には | 
| 長い間あきらめずに追い求めているものが必ず一つある、と | 
| 聞いたことがあります。 | 
| ”追い求めているもの”・・・・・・・ | 
| それが自分を動かし、生かし、先へ進ませてくれている、と聞くと | 
| 妙に納得できる「何か」が確かにありそうです。 | 
| 都合 | 
| なかなか思い通りにならないのは | 
| むりやり思い通りにしようと思うからではありませんか。 | 
| むこうにも都合というものがあります。 | 
| きっとむこうの都合が悪いのです。 | 
| 意味 | 
| 一期一会(いちごいちえ)・・・・・ | 
| 言葉の意味は知っていても、 | 
| その意味がほんとうに実感できるのは年をとってからだろう。 | 
| 出会いにうれしさ、別れに、悲しさ、せつなさは誰でもが感じる。 | 
| しかし、そのどちらにも | 
| ”いとおしさ”を加えることができるようになるまで | 
| この言葉は自分のものにはならない。 | 
| 出会いも別れもいとおしいものなのだと、いずれわかるときがくる。 | 
| 決まりごと | 
| ”決まりごと”で成り立つこの世の中で、 | 
| 一つくらい決まりごとに縛られないものを持つ努力は大切だ。 | 
| それがつくる心の「空き地」に、 | 
| ほんとうの自分らしさが育つ。 | 
| カタクリ | 
| 庭にカタクリの花が咲きました。 | 
| 昨年山でとってきて、植えておいたものです。 | 
| 私に出会わなければ、深い山の中で誰にも見られず | 
| ひっそりと咲いて、ひっそりと散っていくはずだった・・・・ | 
| 「はかない」などと思うのは人間の勝手で、 | 
| それがカタクリの「生」なのです。 | 
| 気高い、すがすがしさに胸をうたれています。 | 
| 失敗 | 
| 今度こそうまくやろう・・・・・ | 
| 失敗するたびにそう思う。 | 
| 馬鹿げてなどいない。それが大事なのだ。 | 
| 見守る | 
| そっとしておけば、ちゃんと自分で立ち上がり生長するのに、 | 
| いらぬ手を加えるからダメになる・・・・・ | 
| 植物だけでなく、人もきっと同じだ。 | 
| どんなに気になっても | 
| だまって見守るべきときがある。 | 
| 充実 | 
| 充実はしているが、こんなことしていていいのだろうか・・・・ | 
| そんなとりとめもない不安におそわれることがある。 | 
| 充実しているのなら、いいではないか。 | 
| 値打ちや意味づけはあとからいくらでもできる。 | 
| 今、充実しているかどうか、それを問題にすればよい。 | 
| ほんもの | 
| 何にでも優劣をつけたがる人は、 | 
| ”ほんもの”を見たことがない人だ。 | 
| ”にせもの”ばかり見ているから、 | 
| どれがほんものだろう、といつもさがしてしまう。 | 
| 巧み | 
| 拒むことに巧みな人にはなるまい。 | 
| 受け入れることに巧みな人になりたい。 | 
| そうすれば | 
| もっと自分が好きになる。 | 
| 別れ | 
| 「達者で暮らせ」、「元気でね」・・・・・・・ | 
| 短いが、別れのことばはそれだけでよい。 | 
| ペラペラとしゃべりたくなる別れは、 | 
| どうでもいい相手との、ただの別れだ。 | 
| 判断 | 
| 自分が「おじさん」なのか「おじいさん」なのか、を | 
| 一番的確に判断してくれるのは、 | 
| 近所の子どもたちだ。 | 
| 彼らが自分のことをどう呼んでくれるかを聞けば、 | 
| ほぼ間違いなく壮年か老年かは決まる。 | 
| それを聞いてから老けても遅くはないだろう。 | 
| 勝手にやれ | 
| 「純、蛍、おまえらは勝手にやれ・・・・」 | 
| 名作「北の国から」の最終回で語られる五郎さんの”遺言”である。 | 
| 勝手にやれ・・・自分の才覚で生きていけという、究極の親心である。 | 
| そのために必要なものは十分に伝えたと言う・・・・・ | 
| 子育ての極意、親とは何か、を | 
| これほど簡明に、わかりやすく教えてくれることはない。 | 
| くり返し | 
| くり返されるものにはちゃんと意味がある。 | 
| 音楽にも文章や詩にも、そして人生にも・・・・・ | 
| くり返されることで強調されるものが | 
| 一番いいたいこと、一番大切なことだという意味だ。 | 
| 漠然とくり返してはならない。 | 
| ごみ箱 | 
| 記憶の「ごみ箱」がいっぱいにならないうちに、 | 
| きれいに捨てておくことですね。 | 
| ”ごみ”にしたはずの古い記憶をもう一度さがして | 
| 広げてみなくてすむように・・・・・ | 
| できなかった | 
| やりたかったができなかった・・・・ | 
| そんなことを数えれば一つや二つでは済まないだろう。 | 
| その中から、今ならできる、ということをさがして | 
| 気が済むまでやってみればいい。 | 
| なぜあのときできなかったのかが、おのずとわかってくる。 | 
| 若気の至り | 
| 若気の至りは、若いからあり得ることだ。 | 
| 年をとってから同じようなことをすれば | 
| おそらく病院が待っている。 | 
| 若気の至りがなかったら、 | 
| そして、それを苦笑いしながら思いだすことがなかったら、 | 
| 人は自分が年をとったと気づかない。 | 
| 道 | 
| 信じた道を歩いていれば、迷うことはない。 | 
| 迷うのは、信じられなくなったときだ。 | 
| この道だと選んだのなら、 | 
| とことん信じ尽くせ。 | 
| そのうちいとおしくなる。 | 
| 定義 | 
| 写真は、 | 
| 瞬間を切り取り、”永遠”にするもの。 | 
| 絵画は、 | 
| 永遠を凝縮して”瞬間”を創るもの・・・・・・ | 
| 奥が深いのも当然である。 | 
| ごはんつぶ | 
| 「茶碗にごはんつぶを残してはいけない」と、幼いころ教えられた。 | 
| よほど体にしみこんでいるのか、外食をしてもその習慣が現れてしまう。 | 
| 米作りにかかわるようになって、 | 
| その教えがまちがっていなかったとしみじみ思う。 | 
| 一粒のごはんつぶも立派な教材になるものだ。 | 
| 目標 | 
| あの人のようになりたい、と | 
| 目標にできる人が近くにいれば幸運です。 | 
| その人の「何」を真似したいのか、さえ明確なら・・・・ | 
| 外見でも構わないのですが、できれば | 
| その”生き方”であってほしいと思うのです。 | 
| 感動 | 
| ただ自然がそこにあれば感動できる、と言うものではない。 | 
| 感動を引き起こすのは、そこに感じられる”意思”だ。 | 
| 何かを訴えている、と感じた時にだけ人はその風景に心が揺れる。 | 
| 赤く紅葉した木の葉でも、茅葺き屋根の古い民家でも、 | 
| 訴えるものを感じないなら、ただのありふれた景色にすぎない。 | 
| 訴えるものの核心は”命の営み”だと最近気がつくことが多くなった。 | 
| 風景を見て感動したなら、 | 
| ほぼ間違いなく、そこに”命の営み”を見出している。 | 
| 鍵 | 
| 幼いころに遊んだ川や海や山が、 | 
| そこへ行けばそのまま残っている・・・という人は幸せです。 | 
| それがどれだけかけがえのないものだったか、いずれわかるときがくるのですから、 | 
| もし残せるなら | 
| その日まで思い出を”鍵”にかえて、しっかり守りなさい。 | 
| ゆめゆめ、もう縁が切れたなどと思わないことです。 | 
| 解決 | 
| ”時間が解決してくれる”と言うのは | 
| 同情や慰めの場合もあるが | 
| ほかに有効な解決方法がないときだ。 | 
| たしかにそう言うのが一番ぴったりすることはある。 | 
| ”うそも方便”ではない。 | 
| 未練 | 
| いろんな事情で叶わなかったが、本当は進みたかった道があります。 | 
| もうどんなに望んでもそこを歩くことはできませんが、 | 
| もしその道を歩けたらきっとこんなものが見えたはず、と | 
| 思い描いてみることだけは許されます。 | 
| そんな”未練”も時と場合によっては | 
| 明日を生きる活力になるでしょう。 | 
| 言 | 
| 自分にはない素質をさりげなく持ち合わせる人をみると | 
| つい何か一言言いたくなる。 | 
| つまり、うらやましさの裏返しだ。 | 
| 楽しみ | 
| 若いころ、「年をとったら何を楽しみにして生きるのだろう。」などと、 | 
| 今思えばバカなことを考えた。 | 
| そんな年になってみて想う・・・・ | 
| お金や流行や街の明かりや喧騒の中にだけ楽しみがあるのではない、 | 
| 楽しいと思える時間を作る意志さえあれば、 | 
| 草や石や土と暮らしていても | 
| 十分に楽しめる。 | 
| 席 | 
| 貸していただいた「席」をお返しします。 | 
| 長い間使わせていただいて、ほんとうにありがとうございました・・・・・ | 
| 終わりにそう言える人生でありたい。 | 
| 否応 | 
| どうやら年をとるということは、 | 
| 何かを失うことであるらしい。 | 
| 大事だと思っていた人やもの、大事にしてきたものが、 | 
| ある日ふと気がつくと姿が見えなくなっている・・・・・ | 
| ああ、こうやってみんな消えていくのか、と | 
| しみじみ思い知らされる・・・・・・・ | 
| 否応はない。 | 
| 直 | 
| まっすぐに生きていない人間には、 | 
| まっすぐに生きる人の”まっすぐさ”が | 
| ほんとうによく見える。 | 
| 済んだこと | 
| 済んだことはしかたがない、と思えるのは、 | 
| 済んでしまったのにもう一度何とかならないかと、 | 
| かつてもがいたことがあった人である。 | 
| これから | 
| 50年以上も生きてくると、 | 
| 世の中のたいていのことは目にしたはずです。 | 
| でも、 | 
| 「目にしたこと」と「体験したこと」はちがうので、 | 
| まだまだこれからがおもしろいのです。 | 
| 声 | 
| ぼくと君の関係が切れないで続いているのはなぜか・・・・ | 
| 利害があるわけでもない。 | 
| 互いに大きな恩があるわけでもない。 | 
| だとすれば、 | 
| 心の奥の方で聞こえる「離れてはいけない」という声を | 
| きっとふたりとも聞いているからなのだろう。 | 
| なぜだかよくわからないが、 | 
| たしかにそんな声がしている。 | 
| 真似 | 
| あなたという人間の特徴はとてもよくわかるのですが、 | 
| 到底、私にあなたの真似はできません。 | 
| 落ち込む前に、 | 
| 「自分の真似ができない人がいる。」ということを | 
| 考えてみてください。 | 
| あなたのように生きられるのは | 
| 世界中さがしても、あなただけなのです。 | 
| 朗報 | 
| うれしい知らせが届いたら | 
| 素直に喜ぶことです。 | 
| 私が「よかった!」と思う以上に | 
| そのことを心から喜んでいる人がいるのですから、 | 
| それも合わせて「よかった」のです。 | 
| 楽園 | 
| 人生の楽園・・・・ | 
| そんな名前の番組がある。 | 
| 入園のためのハードルの高さが少し気になるが、 | 
| 人それぞれに“楽園”を築き、そこで暮らせたらいいのだろう。 | 
| 問題は、そんな楽園が初めからあるのではないということ。。 | 
| あったはずの、“楽園”にするための努力は | 
| 番組ではなかなか見せてくれない。 | 
| 会話 | 
| やってみないとわからないことは確かに多いが、 | 
| 続けてやっているとわかってくることはもっと多い。 | 
| やめてもいいのに続けようとするとき、 | 
| 紛れもなく自分と真剣な会話をしている。 | 
| 続けてみることだ。 | 
| 忘我 | 
| 我をわすれ、損得を離れ、無心になれる時間をどれだけ持っているか・・・・ | 
| 一度考えてみるべきです。 | 
| 円熟 | 
| こうやって人間は円熟していく・・・・ | 
| その証明を怠りなくちゃんとやっているか。 | 
| 一蓮托生 | 
| いやでも”共倒れ”にならなければならないときがある。 | 
| 正確には、「共倒れになってもよい覚悟」というべきか・・・・ | 
| 一蓮托生という濃密な関係は、 | 
| ときに厄介だが、そんな関係など持てない者たちからみると | 
| 実にうらやましく、まぶしい関係である。 | 
| 清算 | 
| やり残した仕事?・・・・・ | 
| あるとすればそれは、 | 
| 省みることのなかった”自分”がいったい何者か、という | 
| 疑問に答えることだ。 | 
| ちゃんと見なければならなかったのに、それを怠ってきたツケを | 
| きちんと清算することだ。 | 
| 夢 | 
| 実現不可能な”夢”を、人は見ない。 | 
| ”夢”になるのは、 | 
| その気になり、準備をして、決断さえすれば達成可能なことに限られる。 | 
| 失敗 | 
| ふり返れば、あれは大失敗だった、ということがある。 | 
| 何であんなことをしたのだろう、と今もし思えるなら、 | 
| あれはきっと人間として成長するためのテストだったんだ。 | 
| 失敗したからこそ、正答が今自分の手にあるだろう。 | 
| 失敗して痛い目にあわなければ | 
| 決して手に入らないものだったのだ。 | 
| 長靴 | 
| 穴のあいた長靴は、長靴としては役に立たない。 | 
| 防水機能こそが彼の生存理由だからだ。 | 
| しかし、履物として役に立たなくなったわけではない。 | 
| 畑仕事くらいなら立派に使える。 | 
| 第二の人生・・・も、そういうものだと思えばよい。 | 
| 予行練習 | 
| 去っていくもの、消えていくものに切なさや愛着を感じるのは | 
| どんな命もやがて終わるときがくることへの、 | 
| 備えである。 | 
| 日ごろから予行練習をしておかなければ、 | 
| とうてい耐えられる試練ではない。 | 
| 捨てる | 
| いらないから、と捨てることばかりやっていると | 
| そのうち目の色を変えて拾い集めなくてはならなくなる。 | 
| 捨てるものはほどほどにしておくことだ。 | 
| ”捨”から「十」を捨てれば”拾”になる。 | 
| 会話 | 
| なかなか思うようにいかない? | 
| そんなもんだろう。別に君のせいじゃないさ。 | 
| みんなが思うように世の中が動いたら、きっと収拾がつかなくなる。 | 
| 思うようにいかないもんだとわかっていれば | 
| ”思う”ことの中身も変わっていくんじゃないのかな? | 
| そんなことの繰り返しだと思うんだが・・・・・・ | 
| 残り時間 | 
| 夢を失うことがさびしいのではない。 | 
| 夢を見なくなることがさびしい・・・・ | 
| 憧れを夢に育てる営みは | 
| 年をとってもできないことはないが、 | 
| 残り時間の多い、人生の前半でうんとしておくことです。 | 
| 進歩 | 
| どうしようもない自分だが、 | 
| それを他人に言われたくはない。 | 
| だから、どうしようもなくても、どうにかしなければならないと考える・・・・ | 
| そこに”変化”や”進歩”がうまれる。 | 
| 人が生きるということは | 
| そんなことの繰り返しなんだろう。 | 
| 不安 | 
| この先どうなるのだろう、という不安が | 
| 明日も生きてみようという気持ちを支えている。 | 
| そう考えてみてはどうですか。 | 
| 流されるなら | 
| 行雲流水・・・ | 
| 生きることは流れていくことだとしても | 
| ただ漠然と流されるのではなく、 | 
| そこに大きな”ちから”を感じながら流されたい。 | 
| 流れていくのだと言い聞かせて流されたい。 | 
| 強さ | 
| 本当に強い人間は、 | 
| 自分の”弱さ”を知り尽くしている。 | 
| 自分は弱い人間だと思うから、 | 
| その弱さに頼らない。 | 
| それが真に強いということだ。 | 
| 準備 | 
| 落ち込んでいるときに楽しいことを考えろ、というのは無理な話だ。 | 
| 落ち込んだときには、しばらく素直に落ち込めばいい。 | 
| ”何とかしたい”という気持ちさえあれば、心配いらない。 | 
| 体や心のどこかで、傷ついた部分や崩れた姿勢を立て直す準備は始まっている。 | 
| 何十年も懸命に生きてきた”わたし”は | 
| そんなに「ヤワ」ではない、と自分に言い聞かせてやれ。 | 
| 課題 | 
| 今日やらなければならない課題は、 | 
| どんなに気が重くても今日やるしかない。 | 
| 明日にのばしても状況が変わることがないのなら、 | 
| 渾身の力をこめて立ち向かおう・・・・・・ | 
| 大丈夫、君ならやれる。 | 
| 豊かに | 
| 便利なものや手軽に手に入るもの、おしゃれなものに囲まれて暮らしていると、 | 
| 知らないうちに”豊かに生きている”と勘違いをしてしまいます。 | 
| 豊かさは、便利なものをうまく使って自分で創り出すものでしょう。 | 
| 豊かに生きているかどうかは、あくまでも自分の問題です。 | 
| 理屈 | 
| 理屈など必要ない場面なのに、理屈をさがしているときは | 
| だれかの目には、必死で取り繕っている”わたし”の姿が見えている。 | 
| 小 | 
| 一匹のアリは踏みつぶされるが、 | 
| 何万匹になれば相手を喰うことができる。 | 
| 一つの決意では何も変わらないが、 | 
| くり返し固めていった決意の重層は | 
| やがて岩を割り、木を倒す。 | 
| 小さいものを侮るな。 | 
| ささやかな芽吹きこそ大事にせよ。 | 
| 変わる | 
| 「これがあたりまえ」と思って別に気にもしないことがある。 | 
| ”なぜだ?”と疑えば疑えるが、 | 
| 気が重いし、そんなことをして何の得があるのか、と思うからである。 | 
| それでもあえて”なぜだ?”と疑問をもったときに | 
| 生活や人生が変わり始める。 | 
| 変わるとは、それまでの何かを疑い、否定することである。 | 
| お礼 | 
| お世話になりながら、お礼も言えず、居場所もわからず、 | 
| 音信不通になっている人がいる。 | 
| 故人となって、手の届かないところへ行った人もいる。 | 
| 「あのときはほんとうにありがとうございました。」・・・・・ | 
| 年とともに | 
| 会って心からそう言いたい人が増えていく。 | 
| 鎖 | 
| いつか来るとわかっているから、 | 
| 寒風のバス停でバスが待てる。 | 
| いつか来るとわかっているから、 | 
| 深い雪の中で春が待てる。 | 
| 辛抱と忍耐は | 
| 我が身をしばる鎖の重さを知っているからうまれる。 | 
| 今 | 
| 何も言わず、ただそこにいてくれるもの・・・・ | 
| いつも離れずにそばにいてくれるもの・・・・ | 
| そのありがたさを忘れまい。 | 
| そのかけがえのなさを忘れまい。 | 
| 覚悟 | 
| 覚悟を決めてやり始めたことなら、 | 
| 覚悟の”輪郭”がボヤけることを最大の恥と思いなさい。 | 
| 覚悟の健在ぶりだけはいつも高々と掲げておくことです。 | 
| たとえ結果がなかなか思い通りにならなくても | 
| 覚悟の輪郭をなぞれば、また元気がわいてくるものです。 | 
| もしも元気がわいてこないのなら、 | 
| それは覚悟ではなかったのでしょう。 | 
| 根幹には | 
| 誰かに何かを言い続けてきたのか、それとも、 | 
| 誰かの言うことをだまって聞き続けてきたのか?・・・・ | 
| おのれの人生の根幹にあるものは | 
| このいずれであったかを問わないまま迎える老後は、 | 
| 陽だまりに惰眠をむさぼる猫に等しい。 | 
| 苦痛もないが、進化もない。 | 
| 勝負 | 
| この世で一番公平なものは二つ、 | 
| どんな人間も同じように年をとり、老いていくこと、 | 
| どんな人間も自分の人生を二度とやり直すことができないこと・・・・・ | 
| うれしいではないか。 | 
| それさえ胸に刻んでおけば | 
| 誰とでも勝負ができる。 | 
| 劣化 | 
| 生身の人間であれば、経年劣化は避けられない。 | 
| 容姿、健康、体力・・・・他人に自慢したくなるものから | 
| 劣化は始まる。 | 
| 自己嫌悪 | 
| ”自己嫌悪”は若者だけの特権である。 | 
| 若いうちに、うんと自分を情けないと思い、 | 
| うんと、どうしようもない奴だ、と叱りつけておきなさい。 | 
| いずれそんな自分でも許せるようになる。 | 
| 年寄りは自己嫌悪がないから生きていられる。 | 
| 努力 | 
| 報われない努力はないと思うよ。 | 
| 結果が見えるのが、明日か一年後かのちがいだけだろう。 | 
| 汗を流し、何かを犠牲にしてがんばったのなら | 
| それに見合う成果は忘れずにやってくるはずだ。 | 
| そうでなきゃ、今頃みんな疲れ果てて倒れている。 | 
| すき間 | 
| 護岸工事に使う「消波ブロック」の発想はおもしろい。 | 
| 頑丈なコンクリートの壁で守るのでなく、 | 
| すき間を使って押し寄せる波の力を分散させる仕組みだ。 | 
| 難攻不落の名城には、堅固な城壁のどこかに | 
| あえて作られた”弱い”ところがあるという。 | 
| 押し寄せる敵をそこへおびき寄せる「隙」だという。 | 
| 押し寄せてくるものが強力なら、「すき間」で守るのも一つの手だ。 | 
| ”すき間で守る”とは、 | 
| 完璧な阻止ではなく、一部はあえて受け入れるということ・・・・ | 
| すき間に入ったものくらいで、本体は崩れたりはしない。 | 
| 余力 | 
| 年を重ねてくると、否応なしにいろんな意味で冷めてくる。 | 
| 物事や人間の裏おもてが見え、打算や欲が見え、 | 
| こんな出発をするとこんな結末になるだろう、とおよその予測も立つ。 | 
| 熱狂の演出の裏には誰かの計算があることもチラチラ見えて、 | 
| とてもいっしょに騒ぐことはできない。 | 
| 仕方なしに奔走することはあっても | 
| じたばたする見苦しさはいつも頭にある・・・・・・ | 
| だから、 | 
| ”死に物狂い”は、余力のある若いうちにやっておくことだ。 | 
| 大切な人 | 
| 頭を下げるべき相手をまちがえると、 | 
| 後ろにいる大切な人に尻を向けることになる。 | 
| 若くても、老いても、 | 
| 決して尻を向けてはならない人がいる。 | 
| 何とかなる | 
| どんな豪雪地域に住む人たちも、 | 
| このすさまじい雪もいずれとける、と思うから耐えられる。 | 
| 身に降りかかるどんな難事も、いずれカタがつくと思えるから、 | 
| 何とか乗り切ろうと頑張れる・・・・・ | 
| 必ず”何とかなる”と思わなければ | 
| 風邪をひいただけで人生をあきらめなくてはならなくなるだろう。 | 
| 聞き間違い | 
| ほんとうにこれでいいのか、と自分に問う。 | 
| これでいいのだ、という返事が返ってくるあいだは、 | 
| もう少し先まで行ってみればよい。 | 
| もしも | 
| これじゃダメだ、と聞こえたら、 | 
| なりふり構わず新しい道をさがすしかない。 | 
| 他人はごまかせても、自分を欺くことは至難の業なのだから | 
| 自分の声だけは聞き間違えないことだ。 | 
| 夢 | 
| いい夢を見させてもらった・・・・ | 
| そんなできごとに、最近出会いましたか? | 
| 所詮“夢”で終わるとわかっていても | 
| 見てみたい夢はあるものです。 | 
| 居心地 | 
| 居心地がいいかどうかを決めるのは、 | 
| 自分の外側にある環境だけではない。 | 
| 自分の内側の、「ここで頑張る!」という覚悟が | 
| 居心地を育てる。 | 
| ”住めば都”というのは、 | 
| ここを都にする覚悟を持て、という教えだ。 | 
| 聖域 | 
| まれに他の理由もあるが、 | 
| ケンカの理由の大半は「美意識」の違いである。 | 
| 美意識・・・それは、失ったり、汚されたりしたくない自分だけの聖域のこと、 | 
| ふだん気付くことはないが、 | 
| ケンカをしてみると見えなかった自分の”聖域”が | 
| 不思議に見えてくる。 | 
| 親 | 
| 我が子の生まれたばかりのころの寝顔やしぐさを | 
| 親は決して忘れない。 | 
| 這い出し、歩き始め、言葉を覚えていったころの愛らしさを | 
| 親は心に刻んでいる。 | 
| 命のあるかぎり、我が子を心配し、見守ろうとするのは | 
| そんなかけがえのない記憶のおかげだ。 | 
| 自分の親はそんな親ではない、などというたわけ者も | 
| 親になってみればすぐにわかる。 | 
| 人 | 
| その人のことをもっと知ってわかろうとするから、 | 
| ”大切な人”になるんです。 | 
| つまずく | 
| 石は、わが身につまずいて、 | 
| ぶざまによろめいた人間を笑わない。 | 
| つまずいた人間が腹を立ててその石を蹴飛ばす・・・・ | 
| 何かにつまずくときには | 
| その原因はたいてい我が身にあるというのに、 | 
| 腹を立てても仕方のない相手にやつ当たりするのは | 
| きまって愚かな人間の方だ。 | 
| ワラ | 
| ワラをもつかみたい・・・そのワラを差し出せる余力があれば | 
| 頼りにならないと思っても差し出してごらんなさい。 | 
| たとえ助けることはできなくても、 | 
| 助けようとしてくれた、という事実は相手の心の中に残り、 | 
| 復活の一助となる。 | 
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