雑感Back-Number12
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| 当事者 |
| A氏:「あなたは当事者でないからそんな無責任なことが言えるんだ!」 |
| B氏:「あなたは当事者だからそんなつまらないことで悩んでいるんでしょ?」 |
| 当事者には、見えていそうで実は見えていないことが必ずある・・・・・ |
| 賢者 |
| 他人の痛みをわかろうとしない者が、社会の不公平を説く。 |
| 名もなく市井に生きる人たちの、ささやかな幸せなど見向きもしない者が、 |
| 幸福に暮らす秘訣を説く。 |
| 子どもや青年の、やり場のないうっぷんに耳を貸そうとしない者が |
| 道徳教育の強化を説く・・・・・・ |
| 真の賢者は、無口である。 |
| つべこべと不要なことを語らないが、 |
| 大事なことはしっかり見ている。 |
| ただの人 |
| ”新年度”と呼ばれる1年が始まった。それに合わせて、 |
| 肩書のある生活から、無印の、ただの”人”に戻る生活を迎える人もいる。 |
| たとえ何十年と心血を注いで取り組んだ仕事であっても、 |
| どんな功績をあげ、社会的地位を得たとしても、 |
| 離れれば「ただの人」になるのだと心得なければならない。 |
| ただの人になるのが不安だからと、次の肩書を探したり、 |
| 消えて幻になった、かつての肩書を後生大事に持ち歩く姿は、 |
| ほんとうに、かぎりなく見苦しい。 |
| 立派な、まっとうな「ただの人」になれるかどうかも |
| その人間の能力や資質が問われる大事な試練である。 |
| 忘れもの |
| 遠い昔、やりたかったのにできなかった・・・ということはないだろうか。 |
| 時の流れの中に置いてきてしまった”忘れもの”だ。 |
| 行方不明になったものもあるだろうが、 |
| 所在がわかるのなら、今からでも遅くない。 |
| 少しくたびれた体と心にムチ打って、 |
| 探しにいってみてはどうか。 |
| 忘れ物をしたまま過ごす日々では、何だか落ち着かないだろう。 |
| 忘れ物を置いてきてしまった時代を |
| 多くの人が”青春時代”と呼んでいる。 |
| 痛さはあとで・・ |
| ”アメ”と”ムチ”は人を手なづけたり、服従させたりするときに使う常套手段、 |
| アメの甘さで、ムチの痛さを忘れさせようと目論むものだ。 |
| 「そんなものでごまかされたりはしない!」と言う人もいるが、 |
| 多くの人は”アメ”を食べているときには、 |
| ”ムチ”の痛さを忘れている。 |
| あれは”アメ”だったのか、とわかるのはムチが飛んできたときだ。 |
| 役割 |
| ”私”に割り当てられて、この世に生きて果たすことが求められた |
| 「役割」とは何だったのか・・・・ |
| 大したことはやっていないし、思い当たることもさして浮かばない。 |
| 各人に必ず一つはある・・・と言われるとますます不安になってくるが、 |
| こうして生きているところをみると、 |
| まだ為し終えていない「何か」があるのだろう。 |
| しっかり生きて見届けろ・・・・ということかも知れない。 |
| 正しく・・・ |
| 人は、日々目にするいろんな場面に、 |
| 自分の通ってきた”人生”の情景を重ねて見ています。 |
| そういえばあんなこともあったなあ・・・・・ |
| 本を読んだり、映画やドラマを見たりして心が動くのも |
| そういうわけだからでしょう。 |
| 喜びや感動、悲しみや驚き・・・・・ |
| 重ねる場面をたくさん持っているということはすばらしいことだ、と思えるなら |
| “正しく”年を重ねてきたという証しです。 |
| 青二才 |
| 六十年生きたとて、 |
| そのうちの二十年は寝ていた。 |
| 生産性の全くない二十年という年月を含めての六十年・・・・ |
| それを除いて、動いて活動したのはわずか四十年、 |
| まだまだ”青二才”ではないか。 |
| 残りの人生は・・・ |
| 力いっぱい意地や見栄をを張って生きてきました。 |
| あんなに無理をしなくてもよかったのに、と今なら思うのですが、 |
| そのときはそれが精いっぱいだった・・・・・ |
| いまさら言っても仕方がありません。 |
| それはそれでいいのでしょう。 |
| せめて意地や見栄とは無縁の日々で |
| 残りの人生を埋めていきたいものです。 |
| 別離 |
| いつどんな時でも、別れの切なさは胸をしめつける。 |
| 大切な人だと思えば思うほど、離れることが切なくなるのは、 |
| いっしょにいたい思いを断ち切られることへの、魂の悲鳴なのかも知れない。 |
| またいつか会える・・・・ |
| もう二度と会えないかもしれない・・・・・ |
| 遠ざかる人の後姿に寄せる思いはさまざまだろう。 |
| だが、いくら考えても |
| ぽっかり空いた空洞を埋めていくのは自分しかいないのだ。 |
| 人には頼れないのだから、 |
| 少し時間がかかっても、自分で埋めていくしかない。 |
| ・・・・また逢わんための別れや 雪解道(ゆきげみち)・・・・ |
| 折笠 美秋 |
| 誇るもの |
| 胸をはって誇れることを一つだけ挙げろ、と言われたら |
| 自分はいったい何を挙げるだろう・・・・・ |
| 聞かれなければ、おそらく生涯そんなことは考えもしないかも知れない。 |
| うそ偽りなく、過大評価も過小評価もなく、 |
| 天地神明に誓ってこれだけは”誇れる”というもの・・・・ |
| 自分が「何者か」という厄介な問いも、 |
| これに答えればほぼ間違いなくカタがつく。 |
| 評価 |
| 自分はいったいどれほどの人間か・・・・ |
| 気にはなるし、できれば知りたいが、 |
| 残念ながらそれは自分で知ることはかなわない。 |
| オレはこれほどの人間だ、と自慢げに言う者にかぎって、 |
| その半分の値打ちも感じられないもの・・・・ |
| 重ねて言う。 |
| どんな人間か、は自己評価できても |
| どれほどの人間か、すなわち人としての”値打ち”は、 |
| ”おのれ”以外の人によって決められる。 |
| ゆめゆめ”おのれ”で決めることなかれ・・・・・・ |
| 夢 |
| 夢をかなえる・・・・というのはやさしいことではない。 |
| 実現を阻むものが現実には多すぎる。 |
| それでも”夢を・・・・”と言うのは、 |
| 夢に向かって生きる人やその人生が素敵だと思うからだ。 |
| 大それた夢でなくてもいいではないか、 |
| 何年かかってもいいではないか。 |
| 人生を豊かに生きるには、 |
| 目標などと固いことは言わず、それを”夢”と呼ぶロマンが必要だ。 |
| ほんの少し現実に目をつぶり、小心な”おのれ”を焚きつけて |
| 大いなるロマンチストで在れ。 |
| プロ |
| 経験を積んだ店のレジ係は、最初に客の顔を見ない。 |
| 清算を終えてレシートやお釣りを渡すときに客を見る。 |
| レシートやお釣りをもらった客は必ず財布やかごを見るので下を向く。 |
| そのときなら客を見ても失礼にはならないから・・・・ |
| 簡単な仕事に思えるレジだが、素人かプロかは、そこで分かる。 |
| どんな仕事にも、”プロ”と呼べる技があるものだ。 |
| 学校 |
| 「人間は信じてもいいものだ」ということを前提にして、 |
| 赤の他人とどうやって人間関係をつくり、育てるか、 |
| 赤の他人同士がどうやって集団や社会をつくるか、 |
| ということの基礎を教えるのが学校の大きな役目の一つである。 |
| 他人はうかつに信用するものではない、という社会の現実が |
| 容赦なく学校の中にも押し寄せているが、 |
| 子どもたちには、 |
| 互いに信じ合わなければ実現できない”事実”を一つでも多く体験してほしい。 |
| 寒々とした世相のなかで、 |
| 「人は互いに信じあうものだ」と謳える最後の”砦”が学校なのだから・・・・・ |
| 甘え |
| なぜわかってくれないのか!と腹を立てる前に、 |
| なぜわかってほしいのか、を整理することですね。 |
| わかってほしい理由の中に、もしも相手に対する「甘え」があるなら、 |
| 腹を立てるのはやめておくべきです。 |
| 甘えて怒るのでは、まるで子どもではありませんか。 |
| 熱 |
| どんなに燃え盛る情熱も |
| それが”熱”である以上、わずかな「余熱」を残しながらやがて冷める。 |
| 冷めてみれば誰でも「そうだったのか」とわかることだが、 |
| だからと言って軽んじてはならない。 |
| その”熱”のおかげで |
| 人生の大切な”節目”でずいぶん多くの喜怒哀楽を味わうことができたはずだ。 |
| 残された「余熱」で温められて消えずにある記憶を、 |
| 人は”思い出”と呼ぶ。 |
| 迷い |
| 心細さで泣きたくなるような迷いが襲ってきたら、 |
| あの時そっと背中を押してくれた人を想え。 |
| 「心配いらない、きっとやれる」と伝えてくれた人を想え。 |
| いつも笑顔で待っていてくれた人を想え。 |
| ぬかるみの中を共に歩いてくれた人を想え。 |
| 誰よりも私を愛してくれた人を想え・・・・・・ |
| 迷いと闘うには、 |
| そんな人たちの面影が何よりの力になる。 |
| そして |
| 今日まで倒れずに生きてきた”おのれ”の健気さを想え・・・・・ |
| それでいい。 |
| 動機 |
| アンチエイジング・・・・ |
| “若返り”という意味だそうだ。 |
| 気持ちはわかるし、そんなうまい話があるならできればあやかりたい。 |
| だが、 |
| 何のために?・・・・ |
| 不純な動機で行うことに、あまりいいことはない。 |
| 向き合う |
| ”向き合う”というのはやさしいことではない。 |
| 冷静に相手と自分を見つめ、相手の求めるものが何であるか、 |
| 相手の正体は何であるのかを全身全霊で見つけようとする営み・・・・ |
| 目をそらしたほうが負けになる。 |
| だから |
| ただ”向き合って座る”ことではない。 |
| 教訓 |
| 健康が一番だという教訓が、病気をしたときにわかるように、 |
| 誠実に生きることが何より大切だということは |
| だれかの生き方の中に”醜さ”を見たときにわかる。 |
| 活路 |
| 四方を敵に囲まれ、退路を断たれたら、どこへ逃げても無駄です。 |
| 腹を据えて正面を向くしかありません。 |
| その覚悟ができれば、必ず活路は開ける・・・・・ |
| あとはあなたが信じるかどうかの問題です。 |
| 花 |
| 花屋さんが成り立つのは、 |
| 花を売っているからではない。 |
| 花に囲まれた時間が生み出す”ぬくもり”を売っているからだ。 |
| 空間にぬくもりを演出する最適の素材が |
| 色鮮やかな花々に乗せて売られている。 |
| これを家のあそこに活けたらきっとステキだろうな・・・・・ |
| 客は、花を買ったつもりだが、 |
| 実はその花が生み出してくれる「豊かな時間」を買っている。 |
| そんなものを求めようとしない者には、花屋さんは縁のないお店だ。 |
| 店先で足が止まる人でありたい。 |
| 受け継ぐ |
| あなたが”受け継いだ”ものは何ですか? |
| 誰かに”受け継いでほしい”と思っているものは何でしょう? |
| そのために何をしますか?何をしていますか? |
| 受けとったものは一人占めしないで |
| いずれ次の誰かに渡さなくてはいけませんね。 |
| そんな時期が近づいているようです。 |
| 弱くとも・・・ |
| 人間は弱いものだと思う。 |
| しっかり気丈に生きていると自負していても、 |
| たった一つの小さな出来事であっけなく自信をなくし、 |
| 生きる方向を見失うこともある・・・・・ |
| だから、 |
| 自分は強い、などと思い上がらず、謙虚に、素直に、 |
| 平素から自分の弱さを見据えておくことだ。 |
| ”弱い”ことは決して恥ではない。 |
| 弱いと知っていればこそ用心深くなり、 |
| 身を守る術や生きる知恵もでてくるのだから・・・・・ |
| 教訓 |
| どんなに誠実に取り組んでも、結果が出ないことがある。 |
| かなりにいい加減に取り組んでも、結果が出ることもある。 |
| どちらを「教訓」として持ちながら生きる人間か・・・・ |
| だれも見ていないようでも、だれかがしっかり見ている。 |
| 何を考えているのかは分からなくても、 |
| そんなことは案外よく見えるものだ、と他人を見ていて気がつくから・・・・・ |
| のれん |
| 大衆食堂の店先にかかる”のれん”・・・・ |
| 客の手垢で汚れても洗わないのだと、むかし知り合いの店主から聞いた。 |
| ”こんな薄汚れた店はいやだと言う奴は他の店に行けばいい、 |
| うちは泥まみれになって働く人が飯を食う店だ。 |
| のれんが汚れるのは商売繁盛の証拠だ” と・・・・・ |
| いい話だと思った。 |
| 覚悟 |
| 強敵と互角に渡り合う極意は、 |
| “相討ち”を覚悟することだと古の兵法書は言う。 |
| 生き延びようなどと思わなければ、無尽の勇気が手に入る・・・・ |
| そう簡単な話ではないがなるほど、確かに一理ある。 |
| 相手と刺し違える覚悟で臨む決意は |
| 長い人生、何度かは腹に置かなくてはならないものだろう。 |
| 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ・・・・ということ。 |
| つきあう |
| 人は「こうありたい」自分と、「こうある」自分との間を行き来して生きている。 |
| 「こうありたい」が強すぎると、「こうある」自分がひどくみすぼらしく思えてくるし、 |
| 「こうある」ことに固執すると「こうありたい」がかすんでしまう。 |
| この”二重人格的”な性質のおかげで、 |
| 劇的なドラマや手痛い失敗を経験できるわけだが、 |
| 厄介でも行き来しながらうまく付き合うしかない。 |
| 店じまい |
| 現役を引退し、複雑だった人間関係を整理し、 |
| 残すべきものと捨てるべきものを見極めて片づけ、 |
| 見ておきたい景色を眺め、使い込んだ体に合った歩みで歩き、 |
| 自分がこの世に生きた意味を静かに問い直す・・・・・・ |
| 日暮れも近いので、 |
| 少し時間をかけてゆっくりと人生の店じまいを始めています。 |
| 別の・・・ |
| ”ヒト”として見れば似てはいても |
| ”動物”として見れば、「男」と「女」はまったく別の生き物である。 |
| そのことを考えず、不用意に近づくと思わぬ痛い目にあう。 |
| 落ちこぼれ |
| どうひいき目に見ても欠点だらけの中途半端な人間です。 |
| 理想的な人間像があるなら間違いなく”落ちこぼれ”でしょう。 |
| 失敗やヘマやドジを道連れにこれまで何とか生きてきたのですから、 |
| 今さらどうしようもありません。 |
| せめて |
| 落ちこぼれにもある”意地”と”見栄”を秘かな誇りにして |
| もう少しがんばってみたらどうでしょう。 |
| 去る者 |
| ”退職”という名前で |
| 見送る側だった者が、「去る者」になる季節がやってきた。 |
| 「去る者」になったら自らに問いかけよ。 |
| 自分の夢や命を燃やして力いっぱい駆け抜けてきたか・・・・ |
| 感動や挫折を味わい、人知れず涙を浮かべたことはあったか・・・・・ |
| 出会えた人や支えてくれた人たちの姿はしっかり焼きついているか・・・・ |
| かけがえのない大切な時間だったと思えるか・・・・ |
| そして何よりも人間として大きく成長することができたと言えるか・・・・・ |
| 答えが出ているなら、もう多くを語らなくてもいいだろう。 |
| あとに続く者たちのために静かに舞台を下りればよい。 |
| 法則 |
| 若い日の、どこにぶつけたらいいか分からないエネルギーは |
| すでにもう消えた・・・・・ |
| 代わりに、燃え盛る炎が消えた後の静寂を想起できる |
| 少しさめた眼力が手元にある。 |
| 人が生きて年を重ねる時間の中に仕組まれた「法則」が |
| 自分にも平等に適用されている。 |
| 間違ってはいなかった・・・ということだ。 |
| 理由 |
| 何年も学校で英語を学びながら話せないのは、 |
| 使う必要がない生活をしているからです。 |
| 何年も「人間」をやっているのに未だに人間がよくわからないのは、 |
| 自分も「人間」だからです。 |
| 時間をかけてあれこれ試してみてもだめなときは、 |
| きっと考えていたものとは何かちがう理由があるのです。 |
| 原風景 |
| 多感な子どものときに、親にどんな景色や風景を見せてもらったか・・・ |
| どんな体験をさせてもらったか・・・・・ |
| 成長の過程で、その大半の記憶は消えていくが、 |
| 大きくなったある日、 |
| なぜ自分はこんな景色に感動するのだろう、 |
| なぜこんな体験に胸が熱くなるのか、に気づくときがくる。 |
| そして |
| 子どものころに体の奥深いところに刷り込んでもらった”原風景”が |
| この感動の源なのだと、やがてわかるときがくる。 |
| 評価 |
| 何をしたか、で人を評価するが、 |
| ”何をしなかったか”も評価してみるとよい。 |
| その人間がきっと「立体」として浮かび上がってくる。 |
| 問い |
| 生まれてきてよかった・・・・・・ |
| そんな一言を、最近君は考えたことがあるか? |
| 誠実 |
| たとえ思い通りには行かなくても、 |
| やれるだけのことはやった、と最後には思いたい・・・ |
| ものごとの初めに、そう心に決めて全力で向き合うなら |
| たいていの問題は何とかなるものだ。 |
| 手抜きはしない、と決めるとなぜだか意外なところに |
| 道があることに気付くからだ。 |
| 背景 |
| 人生を一枚の”絵”だと考えると、 |
| キャンバスに「背景」を描き込むのは親の大切な仕事だ。 |
| 描いてほしい絵を想像しながら、色彩や明暗を工夫し、 |
| 精一杯背景を描き込んでやる・・・・ |
| そうしておけば |
| ことさら何も言わなくても、子どもは |
| その背景に合う”絵”を自分で描いていく。 |
| 理由 |
| 特別な能力を持った人間ではないのだから |
| どう考えても無理なことはできなくて当然です。 |
| だが、それが無理なことかどうかを決めるのも自分なので、 |
| できなかった理由を見つけるのには困りません。 |
| 自分に甘くてもいいのは、 |
| 傷つき、疲れたときだけです。 |
| いい加減 |
| もういい加減に終わりにしたいと思うことを、 |
| いい加減に考えてもたもたしていると、 |
| いい加減な結末を迎え、「いい加減にしろ!」と言う始末になる。 |
| 証し |
| 都合が悪くなるとまっ先に切り離して手放されるものは、 |
| かつて欲しくて欲しくてたまらないから手に入れたもの・・・・ |
| そんなはずはない、と言いたいのなら、 |
| 切り離したものの切り口を見てみるとよい。 |
| 自分とつながった証しがきっと見える。 |
| 遺伝子 |
| 何でも手当たりしだいに口に持っていく幼子を見ていて思う・・・・ |
| 食えるものか、食えないものかを見極めないと生きてはいけない、ということを |
| 彼らは親から教えられなくてもちゃんと知っている。 |
| 原始の昔から食べるための格闘を続けてきた人類の歴史の、 |
| きっと復習をしているのだ。 |
| 目先の小さなことでそんなにうろたえていると |
| あどけない幼子に笑われる。 |
| 恐るべき「遺伝子」の威力・・・・・・ |
| 雪 |
| 雪が美しいのは、晴れ上がった白銀の景色だけではない。 |
| ちらちらと、まるで天からの落葉のように舞い落ちてくる「降り出しの雪」も、 |
| 音もなく、しんしんと降り続くぼたん雪やこな雪も、 |
| 鉛色の空一面から吹き付けて襲いかかる吹雪も、 |
| そして、陽光に身を焼かれて融け出す雪も、 |
| みんな等しく美しい。 |
| だれにもまねのできない、多面の無心の表情を持ち合わせると |
| 思いがけない”輝き”が生まれる・・・・ |
| 人間もきっと同じなんだと、雪を見ていてそう思う。 |
| 決断 |
| 水の深さは飛び込んでみなければわからないとわかっていても、 |
| 落差に目がくらみ、足が震える・・・・・ |
| 多くの場合、それが「決断」を躊躇させる要因だ。 |
| “当たって砕けろ”と思いきれるかどうか、は |
| ”何とかなる!”と思いきれるかどうかにかかっている。 |
| 落ちても下は水だ。死ぬことはない。 |
| 助言 |
| お人よしだと言われるんですか? |
| もっと自信を持て!と叱られるんですね? |
| そんな人には言ってやりなさい。 |
| 「大きなお世話だ!」と・・・・・落ち込むことではありません。 |
| そしてその後で、言われたことの中に思い当たることがないかどうかを |
| 一人でよく考えてみることですね。 |
| まんざら「的はずれ」ではない、ヒントがあるかもしれません。 |
| 愛嬌 |
| 人当たりのやわらかい、いい人だと思われたいから |
| 少し無理をしても笑顔をつくる・・・・・ |
| 別に悪いことではないでしょうが、ひどく疲れませんか? |
| ほんとうに笑顔で接したい人だけに見せればいいので、 |
| 無駄遣いはせず、大切な”愛嬌”はとっておきなさい。 |
| だれかれ構わず愛嬌をふりまけるのは、 |
| お笑い芸人か、人見知りをしない赤子だけです。 |
| にぎやかに |
| 「信州の山奥?ずいぶんとさびしい所にお住いですね。」・・・・・・・ |
| 旅の途中で知り合った人がそう言う。・・・・ |
| さびしくなんかありませんよ。 |
| あなたのお住まいの東京とちがって、たしかに人は少ないですが、 |
| みんないい人たちばかりだし、有り余る自然のなかで |
| ”にぎやかに”暮らしています。 |
| たとえ会話を交わす相手が少なくても、 |
| 集落の人たち、野草や木々、たくさんの動物たち、お地蔵さんや神様・・・ |
| 見守ってくれているものに囲まれて暮らせることは |
| ちっともさびしいことではありません。 |
| 余 |
| 余しても使い道がないのだから |
| すべてを使い切って終わりたい。 |
| お金も夢も人生も・・・・・・・・ |
| 誤解 |
| 「誤解を与えたのなら申し訳ない」・・・・ |
| 釈明の際の決まり文句である。 |
| ”誤解などしていない”という事実を誤解しているのは、 |
| いつも釈明をする本人である。 |
| ないもの |
| 自分にはないものを持っている相手だから惹かれるのです。 |
| 同じものが自分にもあれば、心は動きません。 |
| 男女が求め合うのも、絵画や音楽に魅せられるのも、 |
| アイドルやスターにあこがれるのも、敬意を払いたくなる人が現れるのも、 |
| みんな相手の中に、自分には「ない」ものを見ているからです。 |
| 魅力を感じる人やものに出会ったら、 |
| そう思ってみるといいですね。 |
| 星 |
| 今夜は星がとってもきれいです。 |
| 夜空にはいつもこんなにたくさんの星たちがいたのですね・・・・ |
| 満天の星たちは、 |
| 私たちがどんな思いで見上げようと、下から見上げる者を拒みません。 |
| でも、 |
| 心が曇っているときには、人は夜空を見上げたりはしないし、 |
| まして星を眺める余裕もないでしょう。 |
| だから、きっと |
| 星がきれいに見えるときは、あなたの心も澄んでいます。 |
| 決断 |
| 迷いがあるのは凡人なのでしかたがありません。 |
| 問題は、”迷い”から次の”決断”に移る速さです。 |
| ぐずぐずしていると迷いは”不安”になり、やがて”頭痛のタネ”に増殖するでしょう。 |
| そうなる前に、”迷い”の時点で早めに解決しておくことです。 |
| 正体を見極め、これを取り込めばどうなるか、排除すればどうなるかを |
| 持てる限りの想像力を駆使して考えてみることですね。 |
| そして「こうする」と決まれば、未練を残さず実行する・・・・・ |
| それが凡人にできる最良の解決策です。 |
| 問答 |
| ”何を楽しみに生きているのですか?” |
| 「そんなことを聞く君たちのような人間を見て暮らすことです。」・・・・ |
| 全体像 |
| ここまで長く生きてくると、 |
| 混沌としていた自分の人生の「全体像」が見えてくる。 |
| かつては部分、断片であった出来事や暮らしの営みなどが次第につながり、 |
| ”なるほど、私の人生はこんな姿だったのか・・・”とわかるようになる。 |
| 未知の部分ももう少し残ってはいるが、 |
| おそらく大きく変わることはないだろう。 |
| やがてくる”終わりの時”に、「いい人生だった。」と言うためにも、 |
| 全体像が見えているあいだに手直しができるところがあれば |
| やっておくべきだろう。 |
| 心構え |
| 余裕はあるが猶予がない・・・・ |
| それが老年を迎える者たちの宿命だ。 |
| 先延ばしが許されることには限りがあり、 |
| 実行すべきことの優先順位決定を急がなくてはならない。 |
| 有り余る時間は確かに「余裕」だが、「猶予」ではない。 |
| 笑えない |
| いつも「100パーセント」を求める人は、 |
| 99パーセントしか手に入らないと落ち着かない。 |
| 傍目にはそれだけあれば十分だろうと思えても、 |
| 残りの1パーセントを手に入れるために血相を変えて動き回る。 |
| その姿があまりに滑稽で真剣なので、笑えない。 |
| 完走 |
| 遅くてもたどり着ければいい・・・・・ |
| ”速さ”に情熱を燃やした日もあったが、もうそんな年でもないだろう。 |
| 上位でゴールできなくても、”完走”できればよいと素直に思う。 |
| そう・・・大切なのは”完走”すること。 |
| 完走することも立派な目標になるのだと、 |
| この年になって走りだしてみたらよくわかる。 |
| 熟成 |
| おいしい酒は冬に仕込む。 |
| 渋柿だって寒風にさらせば |
| 熟し柿や甘い干し柿になる。 |
| 何事も”熟成”を助けるのは、暖かさではなく、 |
| きびしい寒さだということを覚えておきなさい。 |
| 守り |
| 枯れて死に絶えたように見えても、木々や植物たちは、 |
| 来春の芽吹きにそなえて完璧な守りの態勢で |
| じっと息をひそめて厳しい冬を耐えている。 |
| 人間だってまわりの環境がきびしいときは、 |
| 殻を固くしてじっとしているのも必要なこと・・・・・ |
| ”臆病者”と言いたい奴には言わせておけばよい。 |
| 動いてはならない雪の中で、やたら動き回ってまっ先に倒れるのは |
| 決まってカラ元気を振り回す初心者である。 |
| やがて芽吹く意思があれば”守り”を固める時期があってもいい。 |
| 甘さ |
| 落ち込んだときに、甘い言葉で慰められたくない。 |
| 「何をやっているんだ!」と打たれる言葉がほしい。 |
| だらしなく、情けないのは自分だ、と誰よりもわかっているから、 |
| 「許す」と言われるより、「しっかりしろ!」と言われたい。 |
| 打ちのめされても立ち上がるためには、 |
| 同情は大きな「足かせ」になる。 |
| ”男”ならわかる話だ。 |
| 転換点 |
| 今までは何の疑問も抱かず、あたりまえだと思っていたことが、 |
| 突然手の届かないものになっていく・・・・・ |
| かつてあれほど豊富に身の回りにあふれていたものが、 |
| 突然姿を消していく・・・・ |
| 人生も「転換点(ターニングポイント)」と呼ばれる地点を過ぎると、 |
| そんな事態が容赦なく襲ってくる。 |
| 少々さびしいが、 |
| それが年を重ねる、ということ・・・・・ |
| 非力 |
| 何千ccの強力なエンジンも、 |
| 人一人をやっと乗せられる非力なエンジンも、 |
| エンジンに変わりはない。 |
| 問題は、それを動かす燃料と点火する仕組みが健在か、ということ・・・・ |
| 他人と比べて自分のエンジンが小さく非力だと感じても、 |
| 何一つひるむことはない。 |
| 小さくても、人を乗せ、荷物を運び、仕事をこなしてきたではないか。 |
| やたら燃料を喰う大きなヤツは、 |
| 暇を持て余して車庫で眠っている。 |
| 命 |
| 親が子どもに教えてやらなければならないことの中に |
| 「畏れる気持ち」がある。 |
| 成長の過程で、自分が最高の存在だ、などと思い違いをしないためにも、 |
| 人知を超えた、大きな力が存在するのだと、幼いころから伝えてやってほしい。 |
| 「畏れ」の対象は神や仏だけとは限らない。 |
| 野草一本、雨粒一個にも「命」が宿り、 |
| 信じられないほど多くの「命」の組み合わせの中で |
| 「これからおまえは生きて行くんだよ。」と |
| 伝えてやってほしい。 |
| 枯れざま |
| かつてあれほど「枯れていく」のはいやだと感じていたのに、 |
| それが素直に受け入れられるようになったら、 |
| やっと自分も”一人前”になったと思いなさい。 |
| 落ち着いて四方をよく見ると、 |
| ”枯れざま”の美しい人生を生きている人たちが |
| 結構たくさんいるものです。 |
| 自分に与えられた役目が終わったのですから、枯れてはいきますが |
| まだまだ朽ちてはいけません。 |
| 忘却 |
| 人並みに年をとってみるとわかるのですが、 |
| たくさんのものを手に入れ、たくさんのものを捨ててきたんだなぁ、と思います。 |
| そのほとんどがすでに忘却の彼方ですが、 |
| いくつかは今も私の背骨を支えてくれて、 |
| バカなことをするなと叱ってくれます。 |
| そうか・・・ |
| 私の人生に寄り添ってくれた、それらのものは |
| 今の私の「身代わり」だったのかも知れないと、このごろ思います。 |
| 診断 |
| このごろ、 |
| 物忘れが多くなり、物覚えも悪くなった・・・・ |
| やたらと昔のことを思い出す・・・・ |
| おしゃれに興味が薄くなり、身を飾ることも減った・・・・ |
| 「年だなぁ」と感じることが多くなった・・・・ |
| 「命」について考えることがふえてきた・・・・ |
| なるほど、そうですか。 |
| 心配いりません。順調に成長しています。 |
| もし |
| 歴史に”if (もしも)”は禁句だという。 |
| ならば人生という人間の歴史にも当てはまる。 |
| 「あのとき・・・もし・・・」が聞き届けられ、もう一度やり直せたとしても |
| きっと困るだろう。 |
| なぜなら、「あのとき・・・もし・・・」は |
| やり直しの道を歩いてもきっとついてまわることだから・・・ |
| 助け |
| だれも助けてくれないと思うから、一人で耐える・・・・ |
| だれかが助けてくれると思うから、大勢の中に紛れ込む・・・・ |
| しかし・・・・・・ |
| さびしい人 |
| 「あの人はさびしい人だ。」・・・・・ |
| 自分の心情を表わす「さびしい」ならわかるが、 |
| これを他人に使うときには別の意味が付け加わる。 |
| 一見恵まれて幸せそうに見える人、 |
| 一見強そうでどんなことにもへこまないように見える人・・・・ |
| それなのにそんな人が「さびしい人だ」と見えるときは、 |
| 負け惜しみではなく、 |
| お金やモノや見せかけの豊かさではなく、人間にとって本当に”大切なもの”が |
| 少なくともあなたには見えている。 |
| 新旧 |
| 古いものが消えなければ、新しいものは芽吹かない。 |
| しばらくは混在することがあっても、 |
| やがてその順でカタがつく。それが道理だ。 |
| 下手に古いものを残したまま新しいものを取り入れようとするから、 |
| 無用な混乱が起きる。 |
| 後始末 |
| 一生を川に例えるなら、 |
| 子どものころはきれいな”清流”でした。 |
| 大人になって、社会の中で生きていくうちに”濁流”となりましたが、 |
| 老年を迎えようとしている今、 |
| あれほど濁っていた水が少しずつ澄んで、 |
| 子どもの頃に見た川底が、また見え始めています。 |
| 人は子どもに返りながら、人生の後始末をしていくのかも知れませんね。 |
| 変化 |
| 一見不動で、何も変化しないように見える山も、 |
| 毎年雨や雪に削られて膨大な量の岩や土砂を流しながら、姿を変えていく。 |
| それでも我々が気付かないのは、 |
| 山があまりに大きいからだ。 |
| 少々削られても不動の、大きな人間であれ。 |
| 方向 |
| 肩を並べていっしょに歩いていても |
| 目的地が同じとは限りません。 |
| 足は同じ方向を向いていても |
| 行きつく先が違うという関係だってあります。 |
| 並んで歩いている隣の人はどうですか? |
| 原点 |
| 誰にも迷惑をかけず、まっとうに生きている者を |
| 嘲笑い、見下し、踏みつけにする「何者か」があれば、 |
| 「理不尽だ!」と命をかけてでも闘う人がいます。 |
| 「理不尽」とは、 |
| 正当な理由もなく、生きる権利や人間としての尊厳を侵され、 |
| 誇りを踏みにじられることですが、 |
| 「もし自分なら闘えるだろうか・・」と考える前に、 |
| そんな人が教えてくれる「人間としての尊厳」に共感できるかどうかを、 |
| 自分に問うべきです。 |
| 響きあうものがあれば、きっと大丈夫です。 |
| 道 |
| “誰もが通る道”を歩いています。 |
| 数えきれないほどの先人達も歩いた道です。 |
| 手に持つ荷物や歩幅、連れの顔ぶれはそれぞれ違いますが、 |
| 行先はみんな同じ、間違うことはありません。 |
| そうですね・・・・ |
| 年をとるというのは、そういうことなのでしょうね。 |
| 近道をしても、回り道をしても |
| 結局最後にはみんな同じ道を歩いていきます。 |
| 場所 |
| 生活をするというのは、 |
| つまるところ「帰る場所」を作り、守る営みだ。 |
| 「帰る場所」は次の日、「出発する場所」でもある。 |
| 人生の大半の時間を使って |
| 労苦をいとわず、汗を流し、困難にも耐えながら |
| そこを居心地のよい場所にするためにみんなが努力をする・・・・・・ |
| 帰るところがあるからまた出発できる。 |
| 時代(若者たちへ) |
| ほんの少し前まで・・・・そう、おじさんたちが君たちの頃には、 |
| 携帯電話やパソコン、コンビニ、CD、カーナビなどの出現は |
| 予想さえできなかったのです。”あったらいいな”という「夢」でした。 |
| そんなものが簡単に手に入る今から見ると、 |
| まさに「時代」という言葉とともに生きてきた、という気がしてなりません。 |
| 「成人」と呼ばれるようになった君たちも |
| 何年か先にはきっと同じ思いで君たちの「時代」を見つめるのでしょうね。 |
| 能力 |
| 便利になる、というのは |
| かつて五感や体、知恵などを使ってやっていたことが |
| 必要ないものになる、ということでもある。 |
| 何も考えずに「使いこなしている」と思いがちだが、 |
| かつては自分にも備わっていた、いくつかの能力を |
| 代償として確実に捨ててしまった、ということも忘れてはならない。 |
| 勝敗 |
| 誰も口に出しては言わないが、「勝った!」と内心ひそかに思ったとき、 |
| それまであれほど見えていたのに、 |
| 「負けた」者の姿は視野から消えている。 |
| 誰かと争うというのはそういうことだ。 |
| 指針 |
| 文章構成の基本だと言われる「起承転結」・・・ |
| 人生にも当てはめてみる。 |
| 八十年の生涯だと考えると、それぞれの節が二十年、 |
| すると今の自分はどの節にいるのか・・・ |
| ならば何を目標とすべきか・・・・・ |
| 単純だが、すぐれた指針だと思う。 |
| 問題 |
| できれば避けて通りたい問題がある。 |
| そんなときに限って、かかわりができて、いやでも対応を迫られる。 |
| 「ついてないなぁ・・・・」と自嘲しながら、仕方なしに動く・・・・ |
| ”避けて通りたい問題”も実は自分と深くつながった問題であっただけで、 |
| 運がいいとか悪いとかではない。 |
| 避けたいと思った瞬間から、 |
| 気になってずっと横目で見続けていた問題だったはずなのだ。 |
| 誠意 |
| 謙遜したつもりなのに、「自信がないのだ」と思われて損をする・・・・ |
| 助言したつもりなのに、「思いあがっている」と思われて嫌な思いをする・・・・ |
| 誠意はなかなか伝わらないものだ。 |
| 信頼関係のない相手に「誠意」を伝える極意は、 |
| 自分の「出番」が来るまでは沈黙を守ること・・・・ |
| その誠意が本物なら、出番は必ずやってくる。 |
| 重荷 |
| 得体の知れない重いものがのしかかっている、と感じたら |
| 闇雲に振り払うのではなく、 |
| その”正体”を見極めるのです。 |
| 偽装された衣を少しずつ外していくと、やがて”正体”が見えてくるはずです。 |
| 「正体はおまえだったのか!」と見極めがつけば |
| それを相手に存分に戦うことができます。 |
| そうしないと、 |
| 似たような重荷を近い将来、また背負うことになりますね。 |
| 世代 |
| 若者がしなくてはならないことは |
| 自分たちを取り巻く壁や柵を突き破って外に出ること・・・ |
| 老人がしなくてはならないことは |
| 若者が突き破った壁や柵の穴を通りやすくしてやること・・・・ |
| 勢いよく破られた穴を見ながら、かつての自分を思い出し、 |
| 若者と老人にはそれぞれの役割があるものだ、と気付くときが |
| 近いうちにやってくる。 |
| 使い道 |
| かつて本当に苦労したことがある人かどうかは、 |
| 今、何にお金を使っているかを見ればわかる。 |
| お金の値打ちの裏表をしっかり見てきているから、 |
| 自分を生かす使い道に迷いはない。 |
| もちろん、ぜいたくをせず、質素に暮らすこともその一つ。 |
| 中途半端な苦労をすると、 |
| とんでもない使い方をしていても疑問もわかない。 |
| 他人 |
| どこで何をしようが、どう生きようが、 |
| 他人は「私」のことなど気にしてはいない。 |
| それなのに「他人の目」が気になるのは、 |
| 他人に見せたいものを持とうとするからだ。 |
| ”見せたい”ものがどんなにあろうと、 |
| 「人は人、自分は自分」でいいではないか。 |
| 単純だが、それを指針として生きるのが一番わかりやすい。 |
| 牛歩 |
| 牛の歩みを見るがいい。 |
| 大地を踏みしめ、草を食みながら実にのんびりと歩く。 |
| しかし、いったん走り出せばだれにも止められない底力も秘めている。 |
| だからと言って、その猛進する力を、むやみやたらに使うことはない。 |
| 牛歩のように歩きたい・・・・そう思う。 |
| 始め |
| 始まりがあれば終わりがある。 |
| 始まりがどんなに華やかで、賑やかなものでも |
| また、その間にどんなことがちりばめられようと、 |
| 終わりは容赦なく必ずやってくる。 |
| 「諸行無常」・・・ |
| 永遠に続くと思われることにもやがて終りが来る、という教えである。 |
| 一年の初めに、一年の終わりを、 |
| ものごとの初めに、その終わりを想起せよ。 |
| 歩く |
| 決して平坦ではなかったこれまでの道を振り返って思い起こしてみてください。 |
| もはやこれまで、と腹をくくったこともあったでしょう。 |
| 一歩も進めなくなってうずくまってしまったこともあったはずです。 |
| しかし、 |
| とにかくここまではその足で歩いてきたではありませんか。 |
| これから先のことなどだれにもわかりません。 |
| だけど、心配いりません。 |
| これまで通り今年もきっと歩いて行けます・・・・ |