雑感バックナンバー11
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| 主役 |
| 他ならぬ自分の人生だから、 |
| 最後までその「主役」であり続けたい。 |
| 主役を演ずるに足る力を忘れずに磨きながら・・・・ |
| 支えてくれる多くの脇役たちに感謝しながら・・・・ |
| 輝き |
| 生きるために必要だから、おもしろくはないがする仕事・・・それもある。 |
| だが、 |
| 他人にはわからなくても、その仕事にしかない醍醐味を |
| 味わって続けられる仕事なら、これほど幸せなことはない。 |
| 何十年も続ける仕事には、そんな小さな”輝き”があるものだ。 |
| 「これがあるからやめられない」・・・そう言えるものをきっと持っている。 |
| 批判力 |
| ・・・・・・学校で身につける能力は知識を以って「批判する力」、 |
| 少なくとも「創造する力」ではない。 |
| 何かを創造する仕事をするとき、 |
| 積み上げたその批判力で自分の作品を批評すれば |
| おそらく酷評となり、耐えられないだろう。 |
| 創造したいなら、一度身につけたおのれの「批判力」をゼロにしなさい・・・・・ |
| 黒澤監督と数々の名作を残した脚本家「橋本忍」氏が |
| 脚本家志望の若者たちに語った言葉である。 |
| お守り |
| 寺社へ参ると”お守り”を求め、それを持ち歩こうとする心理は、 |
| 「自分の命運は何者かに握られている」と思いたい心から生まれる。 |
| その効果など実は誰も信じないのに、 |
| 「だれかに守られている」という安堵感が欲しいからだろう。 |
| 先行きが不安で、落ち着かなくなると |
| 人は命運を握る「何者か」の存在を |
| 自分の中ではなく、他所に探そうとするものらしい。 |
| 年輪 |
| 歩幅はちがっても、長年連れ添った夫婦の足取りは不思議と揃う。 |
| 互いの歩む速さを知っているからだ。 |
| 若いカップルが歩くと、 |
| かならずどちらかが小走りになるか、大股になる。 |
| 相手の歩く速さがわからないからだ。 |
| いっしょに歩く、ということにも年輪がある。 |
| たまご |
| 卵が食べたいときに食べられることの幸せ・・・・・ |
| 若い者たちには信じられない話だろうが、 |
| おじさんたちはそれを忘れてはいないのだ。 |
| 卵焼きを食べると何だか幸せな気持ちになれる最後の世代かもしれない。 |
| 一個の卵の向こうに、幼い日の遠足の弁当がかすんで見えてくる・・・・ |
| 道 |
| はじめは”習字”でも、そこに奥深さを見つけると「書道」になる。 |
| 簡単に思えたことの中に“手ごわさ”を見出せば |
| すでに「道」を歩き始めている。 |
| 「これは道なのだ」とわかるまで歩き続ければ、 |
| 身についた力は相当なものになっている。 |
| 続き |
| 「新しい人生を歩む」と言いますが、 |
| “新しい人生”など、生まれ変わらない限りありゃしません。 |
| これまでの人生の”続き”を、ほんの少し歩幅をかえて歩くだけなんですが、 |
| 歩幅を変えると、見えてくる景色も変わるので、 |
| 今までの続きだと気がつかず、新しい道だと思えてくるのでしょう。 |
| 要するに「錯覚」です。 |
| だが、この錯覚、けっこう役に立っているとは思いませんか? |
| 経年 |
| 孔子は言います。 |
| ・・・・・・五十歳で天から与えられた使命を知り、 |
| 六十歳でどんな意見にも耳を傾けることができ、 |
| 七十歳で無理をしなくても周囲とうまくやっていけるようになった・・・・と。 |
| 孔子といえども、その年を経たから言える言葉でしょう。 |
| 人間には、 |
| その年になってはじめて言えること、わかることがあるようです。 |
| 年不相応に大言壮語をしても、 |
| だれも耳を貸してはくれません。 |
| あっという間 |
| 過ぎ去った過去を振り返ると、 |
| 長いと思われた五年や十年もあっという間だった、とだれもが感じるだろう。 |
| 大変な事態をかかえてなんとか乗り切らなければならない「今日」も、 |
| 先になればその「あっという間」の中に入っている。 |
| 心配しないで存分に「今日」と戦うがいい。 |
| 心 |
| 他人の幸せを願う気持ちが自然にわいてくるなら、 |
| あなたの心はきっと何か温かいもので満たされています。 |
| 冷え切った心では他人を思いやる気持ちなど生まれませんから・・・ |
| 満たしてくれているものが、かけがえのないあなたの財産です。 |
| 先祖 |
| 自分から10代さかのぼると512人、20代前だと524288人、 |
| 25代前にさかのぼると何と「1670万人」・・・・・・ |
| ”私”と血縁でつながる先祖たちの人数だ。 |
| 名前も顔も知らないこれだけの先祖たちから脈々と受け継いできたものが、 |
| 今の”私”を形作っている。 |
| つべこべ言っている場合ではない。 |
| しっかり生きなければ・・・・・・・ |
| 自分で |
| できれば笑って今日を終わりたい。 |
| 笑えなくても、まずまずの1日だった・・・と思って終わりたい。 |
| そうするためには |
| 仕組まれた日常の中で暮らしていても |
| 今日はこれをやった!と言えるものを自分の手でつかむしかない。 |
| これから・・・ |
| だれかの顔色をうかがって暮らす生活はごめんです。 |
| 気の合わない連中と無理やり愛想笑いを交わしながら暮らすのもお断りです。 |
| さすがに「世捨て人」になってはいけませんが、 |
| できるだけそんなものとは縁のない暮らしがしたいと思います。 |
| やろうと思えば何とかできそうです。 |
| 伸縮 |
| どんなに強いゴムでも |
| 伸びきったままではいつかは切れる。 |
| 若いから、まだ頑張れるから・・・と |
| 心と体のゴムを伸ばし切ったままにしておくと |
| 劣化は思いのほか早く進む。 |
| ゴムは伸びたり縮んだりするから、役に立つものだ。 |
| 本質的に・・・ |
| 問題を受け止め、乗り越える基本的な「構え」や「方法」は、 |
| 幼い頃に生活の中で体験したことに基づいている。 |
| 年を重ねて多少知恵はついただろうが、 |
| 本質的にはあの頃と少しも変わらない方法で |
| 今、目の前の問題と向き合ってはいないか。 |
| さりげなく・・・ |
| 大きなことを成し遂げたり、みんなが驚く成果をあげたりしたときに、 |
| まっ先に駆け寄ってきて「おめでとう!」と言ってくれる人はいい人です。 |
| 次々にねぎらいの言葉をかけてくれる人たちも悪い人ではありません。 |
| みんなの祝福や興奮のひとときが終わったあと、 |
| さりげなく、小さな声で「ごくろうさん・・・」と言ってくれる人は |
| たとえ地味で目立たない人であっても、 |
| あなたが最も大切にしなければならない人です。 |
| 目盛り |
| 自分の”ものさし”で計れない考えや生き方を持つ人を見ると、 |
| 計れないことを隠すために批判めいた評価をする。 |
| 「あの人は普通じゃない・・・・」 |
| 我が方のものさしの目盛りを少し変えれば、 |
| 彼も”普通の人”になるのだが・・・ |
| すれ違い |
| 住みやすさを求めて山里から街へ移り住む人がいる |
| .住みやすさを捨てて街から山里へ移り住む人がいる。 |
| 求めるものと捨てるものは何一つ変わらないのに |
| ただすれ違うだけで両者が交わることはない。 |
| 何ゆえに「捨てるのか」・・・何ゆえに「求めるのか」・・・・ |
| 打開策 |
| 小さいことをきっちりとやることですね。 |
| 何の意味があるのかと疑いたくなるその中に、 |
| 次につながる何かがあるものです。 |
| どうなる |
| この先どうなるのだろう、という不安は、 |
| それが具体的なものであれ、漠然としたものであれ、 |
| この先こうしてみようと決めるまで消えることはない。 |
| 「どうなるか」はどんなときも「どうするか」の向こうにある。 |
| 言い訳 |
| 「人間らしく生きるにはここが一等地だ。」・・・・・・・ |
| 今住んでいる場所がそう言える場所なら最高だ。 |
| 余力のある若いころならいいが、 |
| そうもいかなくなったら、できるだけ早くそんな場所を決めることだ。 |
| ”仕方がない”・・・”そう簡単にはいかない”という事情はあるだろう。 |
| それが自分を納得させる「言い訳」になっていなければいいのだが・・・・ |
| 絆 |
| 去っていく者の後姿を見送るさびしさは、 |
| その人がどれだけ自分にとってかけがえのない大切な人か、を |
| 存分に思い知らせてくれる。 |
| 去っていく者と見送る者・・・・・・ |
| どちらの側になっても、結ばれている「絆」の太さを、 |
| 別れの辛さと引き換えに確かめている。 |
| 亀裂 |
| いくら家族や恋人同士でも、 |
| 照れくさくてなかなか口に出せない言葉がある。 |
| 愛・・・幸せ・・・絆・・・信頼・・・ |
| そんな言葉を使わずともすむ関係や日常があるのなら、 |
| それがほんとうの「しあわせ」なのかも知れない。 |
| ことさらそんな言葉を持ち出して説明や意味付けをしなくてはならないなら、 |
| きっとその「関係」にはどこかに亀裂がある。 |
| 真 |
| 「やさしさ」とは、相手を思いやる心の表われだ。 |
| 受け入れてもらえるかどうかにいつも迷うもの・・・・ |
| だから、 |
| たどたどしく、ぎこちなく、不器用な言葉やしぐさになる。 |
| 何度経験しても、馴れて上手になることなどあり得ないので、 |
| スマートで、カッコよく差し出される”それらしきもの”に |
| 惑わされるな。 |
| 都合 |
| 中学、高校時代は校則によって強制的に”丸刈り”であった。 |
| 長髪が許された同世代に、ひどく劣等感を抱いた記憶がある。 |
| ゆえに思う。 |
| 一律に丸刈りを強要する”思想”は |
| それが都合がよい、と思う一部の者たちによってつくられる。 |
| 周囲に”一律に”強要されているものがあれば |
| だれが、何の目的で・・・を疑ってみることだ。 |
| きっと何かが見えてくる。 |
| 残量 |
| 無為に過ごした一日は、明日の英気を養うための休息だと思えばいいし、 |
| 無為に過ごした一年も、先の人生を乗り切る充電期間だと思えばいいのです。。 |
| しかし、 |
| それらの無為に費やした時間も、 |
| 元は自分の生涯に割り当てられた時間の中にあったもの・・・・ |
| だから、残量が少なくなったと気付いたとき、 |
| 間違っても「なぜこんなに少ないんだ!」と口にしてはいけません。 |
| 返り討ち |
| 今に見ていろ、と奮起するのはよいが、 |
| それが、だれかに”仕返し”するためのものなら、 |
| やめておいたほうがよい。 |
| 奮起に要したエネルギーが無駄になるだけでなく、 |
| 仕返しのつもりが、返り討ちにあって一層みじめになる。 |
| 奮起は自分のためにするものだ。 |
| 鈍感 |
| 差し出されると断りにくいものなのに平気で差し出し、 |
| 押しつけているとは感じない鈍感な人ほど迷惑することはない。 |
| 見る目 |
| 目の前の他人を見て、 |
| 何を考えて生きている人か、など簡単にわかるものではない。 |
| だが、 |
| 何を大切にして生きている人なのか、なら少し見ていればわかる。 |
| ”人を見る目”の焦点はその一点に合わせることだ。 |
| 幸せ |
| 人間はみな誰かに出会うために生まれてきました。 |
| もうその人に出会えているなら、 |
| それは「幸せ」と呼ぶべきです。 |
| 生きる営みの最大の目的を達したのですから・・・・ |
| 密度 |
| 50年生きようと、60年生きようと、 |
| 人生のゴールへの階段に足をのせていることに変わりはない。 |
| だが、 |
| その間の”10年”は想像を超える密度を持った歳月であると、 |
| 先に生きた先輩は感じている。 |
| 雑音 |
| 大きな「転機」が近づいているな、と感じるとき、 |
| 今までのわが身を取り巻く喧騒がウソのように収まり、 |
| 不思議な静寂が訪れるものです。 |
| 雑音のない静寂の中で、迷わずおのれをしっかり見つめろ、 |
| という天啓なのかも知れません。 |
| 雑音が多く、騒々しいなら、まだ”そのとき”ではありません。 |
| あのとき |
| ああ、そうだったのか・・・・と、 |
| 何年もたった今になってその真意や事実がわかることがある。 |
| あのときわかっていればきっと・・・・ |
| 千回考えても”あのとき”には戻れないが、 |
| もしも戻れたら・・・と考えると、 |
| 自分が何を失ったのかがはっきりと見えてくる。 |
| 役に立つ |
| 岐路に立って途方に暮れる人に、「この道を行け」とは言えないが、 |
| 人生、誰しも何度かは岐路に立たされるものだ、と言ってやることはできる。 |
| 年を重ねると人の役に立つ機会は少なくなるが、、 |
| それが唯一役に立てる場面かも知れない。 |
| そして唯一励ましてやれる”行動”があるとすれば、 |
| 行く道を決めた彼の背中を黙ってそっと押してやることだ。 |
| それ以上のことは、ただの”おせっかい”になる。 |
| 財産 |
| 相手もそう思っているかどうかはわからないが |
| いい人に巡り合えた、と思える相手がいる。 |
| 出会えた事実は何にもまして大きな財産だったと |
| その人が見えなくなってからわかる。 |
| 苦楽 |
| 人生には |
| 楽しむ前に、苦しみがあるという。 |
| 苦しみばかりで楽しみなんて・・・と思うなら、 |
| ほんとうの楽しみはもっと後に控えている。 |
| 後姿 |
| 自分の「後姿」を見ることはできない。 |
| だから一番無防備で、隠しようがない場所になる。 |
| 前面を取り繕うとその分、正体はいやでも背面に現れてしまうので、 |
| 自分のほんとうの姿は、後姿を見る他人の目にはしっかり見えている。 |
| 不運 |
| 機械は原因があって故障する。 |
| 天変地異は理由があって起こる。 |
| 偶然のように思われる人生の変事も、 |
| よくよくたどれば、ちゃんとわけがあるものだ。 |
| うすうす感づいてはいても、そう思いたくないので、 |
| 人はそれらを”不運”のせいにし、”災難”として受け入れようとする。 |
| 気力 |
| 気力が湧かないときには無理に動かない・・・・ |
| それが”老い”と仲良くなる秘訣です。 |
| 自分の”器”にあわせて |
| やがて満ちてくる気力を待つことですね。 |
| 失敗 |
| 「子曰、人之過也、各於其党、観過斯知仁矣」・・・・ |
| だれでもその人らしい失敗をする、だからその失敗をみれば |
| どれほどの人物かはわかる・・・・・・という孔子の教えです。 |
| ”その人らしい失敗”・・・言われてみるとたしかにありそうです。 |
| なるほど、そうかもしれませんね、ひょっとすると |
| ”失敗”のなかにほんとうの「自分らしさ」が表れているのかも知れません。 |
| 謙虚 |
| いつも青空ばかり見せていると、人間はすぐにつけ上がるので、 |
| 神様は気まぐれに”鉛色の空”を天空に配する。 |
| 仕方がないので、人間はしぶしぶ背中を丸めて |
| じっと重い雲の通り過ぎるのを待つ・・・・・・ |
| ”謙虚”に生きなさいと教えても人間はなかなか素直に聞かないので、 |
| こんなやり方で思い上がりを諫めている。 |
| 迷い |
| 一歩踏み出そうが半歩踏み出そうが、 |
| 歩きだしたのなら大した問題ではありません。 |
| 一歩にするか半歩にするかを迷った時間があったから |
| 少なくとも後ずさりだけはしなくて済んだのでしょう。 |
| 決断は、”迷い”が育ててくれるものです。 |
| 経験 |
| 本をいくら読んで知識を持っても、最新鋭の高価な道具をそろえても |
| 目の前の大木は切り倒せない。 |
| 行動を起こすに、知識の応援は必要だが、 |
| 最後に役に立つのは”経験”だ。 |
| 見よう見まねでも一度切り倒せば、次からは知識が生きてくる。 |
| 事実 |
| 花が人間を癒しているのではありません。 |
| 癒されたいと思う人間が花を見ているのです。 |
| 決心 |
| 行きたいところへ行くためには、 |
| 行きたくないところへは決して行かないと心に決めることですね。 |
| ほんもの |
| ほとんどの機能は年齢とともに衰えますが、 |
| 研ぎ澄まされていく機能もあることをご存じですか? |
| その一つが、 |
| ”ほんもの”を見抜く眼力です。 |
| その証拠に、 |
| 最近”にせもの”には近づかなくなっていませんか? |
| ”ほんもの”が見え始めているからです。 |
| 一生 |
| 春や夏にきれいな花をつけた植物だからといって |
| 枯れていく姿もきれいだとは限らない。 |
| 役目を終えた花や葉たちは、水分や養分の補給を断たれ、 |
| やせ細り、枯れ、まるで骸骨のようになりながら朽ちていく。 |
| それが彼らの”一生”なのに、 |
| 「みごとな一生だった。」と最期まで見看ってやる人間は少ない。 |
| 終わり |
| 「今日で終わりにしよう」と決めた決意は、 |
| 多くの場合明日には裏切られる。 |
| 今日で終わりになる話ではなかったからだ。 |
| 苦労 |
| 便利で楽なものを手に入れた瞬間から |
| 今までのことが「苦労」になる。 |
| あたりまえだと思ってやっている間は |
| 「苦労」と呼ぶものは存在しない。 |
| そのとき |
| 後ろで手をふる人が見えているあいだは、 |
| こちらも何度も振り返り、応える。 |
| その姿が見えなくなったときが”別れ”の完結であり、 |
| 同時にしっかり前を向いて歩き始める“出発”となる。 |
| そういう一点が必ずある。 |
| 宿題 |
| 本当に心の通う人間を五人持てれば |
| 人生の”宿題”は終わる。 |
| 追憶 |
| いっしょに歩くことはついにできなかったが、 |
| 歩けたらいいな、と思った事実が”わたし”といっしょに歩いてくれる。 |
| 秘訣 |
| ”待ったなし”でやってくるものを受け止める秘訣が一つある。 |
| ”壁”や”塀”を作るのではなく、 |
| ”通り道”を作ってやることだ。 |
| 押し寄せてくるものは、そこを通って逃げていく。 |
| 拾う |
| 邪魔だからと一度は捨てたものが、ゴミ箱の中にまだあると、 |
| もったいない気がしてきて、もう一度拾う・・・・・ |
| そんな経験がある人は、 |
| きっと人生でも似たようなことをしている。 |
| 礼儀 |
| どんな会合や宴席でも、 |
| おエライ方の挨拶ほど退屈なものはない。 |
| それがないと事が始まらないのだろうが、 |
| ならば |
| つべこべ講釈をたれず、さっさと短く終わるべきだ。 |
| “肩書”に見合う時間しゃべるのが礼儀だと |
| 思い違いをしている人が多い。 |
| 踏ん切り |
| 熱はとっくに冷めているのに、そこから離れられないのは |
| あなたの意思が弱いからではありません。 |
| 見届けておきたい気がかりなものがあるからでしょう。 |
| それを見届けたら、きっと踏ん切りがつきます。 |
| ぜいたく |
| 雪化粧をした北アルプスの山並みを見ている・・・・・ |
| 形容する言葉もないくらい神々しく美しいと思う。 |
| 1円のお金も使わずにこんな景色が見られて、 |
| 心が洗われる思いができるのだから |
| きっとほんとうの”ぜいたく”を味わっている。 |
| 階段 |
| 階段は二本足で歩く人間が編み出した。 |
| 四本足で歩く動物にはかえって邪魔になる。 |
| 自分にとって都合のいいものが、 |
| 他者にとっても都合がいいとは限らない。 |
| 階段を作ってはならない場所に勝手に階段を作ると、 |
| そんなものを必要としない多くの人が迷惑する。 |
| 違い |
| したたかに、図太く生きたいとだれもが願うが、 |
| 敢えて”しなやかに”生きたいと思う。 |
| したたかに・・・・しなやかに・・・・・ |
| 違いはただ一つ、 |
| 逆らう意思と力を表に出すか否か・・・・・ |
| 雪解けとともに、無残に枝をへし折られた大木の横で、 |
| 一本の枝を折ることもなく、一番に伸びあがる木が |
| そう教えてくれる。 |
| 見返り |
| 何かを”してやった”と思うから、 |
| 見返りが欲しくなる。 |
| 謎 |
| 男と女・・・・・・・・ |
| 互いに理解しようとすることはできるが、結局理解できない存在。 |
| わかってしまっては興味もわかないし、きっと飽きてしまうだろう。 |
| それは困る、と神様は、相手には決して解けない”謎”をちりばめて |
| それぞれの“性”を作ったのかもしれない。 |
| 何千年もかけてみんながその”謎”に挑んでいるが、 |
| いまだに解けないでいる。 |
| 自分だけが・・・ |
| 自分だけが何でこんな目に会うのか!・・・と腹立たしくなるのは、 |
| かつて身近なだれかの”災難”を同情と憐みの目でみた経験があるからだ。 |
| 「かわいそうに・・・・」という気持ちに隠された優越感が |
| 同じ目にあった自分を許せないでいる。 |
| 終 |
| 何かが終わった・・・と感じるとき、 |
| まちがいなく、”何か”は終わっている。 |
| 終わらせたのは自分なので |
| その手ごたえに狂いはない。 |
| 愛 |
| 一人でもいい、 |
| 自分のことを愛してくれる人がいれば、 |
| 人は生きていける。 |
| 友 |
| 若いうちにやっておかなくてはならないことの第一番は |
| 生涯付き合える「友」を持つ、ということだ。 |
| 年を重ねてくると、 |
| たとえ頻繁に会うことができなくても、遠くに離れていても、 |
| その存在が人生のいろんな場面で自分を助けてくれる、ということがわかってくる。 |
| 「あいつは今頃どうしているだろう。」と思い浮かべるだけで |
| 不思議に元気がわいてくる。 |
| “知人”が“友”に熟成するには時間がかかるので、 |
| これは若いうちの仕事になる。 |
| 束縛 |
| ”規制”は仕方がないと思うが、”束縛”はごめんだ。 |
| 違いは「選択の余地」の有無だろう。 |
| 規制がいやならそこを避ければよい。束縛に選択肢はない。 |
| 傍目にはがんじがらめに”束縛”されているのに、 |
| こんなもんだろうと平気を装う人がいる。 |
| 相当に窮屈であるはずなのに、気付かないふりをするのは、 |
| 自分の意志で「選ぶ」ことが面倒になっているからだ。 |
| ”束縛”は常に選ぶことの放棄を要求する。 |
| 優越感 |
| 優越感を持つことを否定はしない。 |
| だれかと比べて自分の方が勝っているという心地よさは確かにあるから・・・ |
| だがそれは、裏返すと |
| だれかに負けていると落ち着かない気持ちに結びつく。 |
| 劣等感は優越感の味を知っているから生まれるもので、 |
| 忘れてしまえば「人は人、自分は自分」でカタがつく。 |
| 親 |
| 君の誕生を誰よりも喜んでくれた人がいる。 |
| 君の成長を誰よりも温かく見守ってくれた人がいる。 |
| どんなに仕事が忙しくても、君と過ごす時間を大切にしてくれた人がいる。 |
| 君が巣立っていく後姿を誰よりも後押ししてくれた人がいる。 |
| 君が選んだ生涯の伴侶を誰よりも”いいやつだ”と言ってくれた人がいる。 |
| そして、 |
| 君の幸せをこの世の誰よりも願い、応援してくれる人がいる・・・・・ |
| やがて君もそんな人になる。 |
| 手 |
| 危なっかしくて見ていられなくても、 |
| 子どもが何かに挑戦するときは沈黙を守る。 |
| 手を差し伸べることは簡単だが、 |
| 差し出した瞬間に、”彼”の探究心、好奇心、自立心は |
| 跡形もなく消え去る。 |
| 一度差し出してしまうと、 |
| 次は最初から”手”を欲しがる子どもになる。 |
| 姿 |
| 枯れざまの美しい草花は少ない。 |
| 枯れざまの美しい人間も少ない。 |
| 盛りがどんなに艶やかでも、 |
| 枯れて朽ちるまでが一生である。 |
| 見栄 |
| ”見栄”で何かをすると、後味が悪いことは百も承知なのに |
| 懲りもせず、見栄をはって自分を大きく見せようとするのはなぜか? |
| 答えは簡単だ。 |
| 要するに「小さい」のだ。自分という人間が・・・・・・ |
| 一人芝居 |
| 後継者を育てることをせず、自分一人の頑張りを元にその場で“輝く”ことを |
| 「スタンドプレー」と呼ぶ。 |
| スタンドプレーはそのときはもてはやされても、 |
| プレーヤーがいなくなれば、やがて跡形もなく消えていく。 |
| 米 |
| 稲刈りを手伝っていて思う・・・・ |
| ”米づくり”はその字の通り「八十八」の手間暇がかかる、という。 |
| どの作業一つとっても、体を使い、汗をかき、 |
| 機械に助けられてはいるが、かなりの重労働だ。 |
| “新米”の時期になって、食卓にならぶ白米を、 |
| 何人の人が感謝しながら食べているのだろう。 |
| いったいどれだけの人が |
| ふっくらと炊きあがったまっ白い米粒の輝きの向こうに |
| 痛い腰をさすりながら汗を流した人の姿を見ているのだろう。 |
| あたりまえのように手に入るものには、 |
| あたりまえでない苦労が隠されている。 |
| 速さ |
| 大粒の汗を額に浮かべ、真黒になりながら、 |
| 炎天下、懸命に自転車をこぐ旅の若者をよく見かける。 |
| 車で行けば楽なのに、あえて自転車を選んだその姿に |
| 妙に心を動かされるのはなぜだろう。 |
| それはきっと、 |
| まわりがみんな車であっという間に走り抜ける道を、 |
| 自分は自分の速さでいい、と決めた覚悟の潔さにどこか憧れるからだろう。 |
| 「速い」だけが価値あるものと言い聞かされて生きていると、 |
| 自分の速さを大切にして生きている人の姿がまぶしく見える。 |
| 自分の速さ・・・・きっとそうだと思う。 |
| 最近急ぎすぎてはいないか。 |
| ときめき |
| 「今日から出発だ。」と覚悟をきめて迎えた朝の、あのときめきを、 |
| 残念だが、人はまもなく忘れていく。 |
| ”初心を忘れるな”とカッコよく言うが、そりゃ無理というもの・・・・ |
| 目の前に次々に表れる事態に目まぐるしく対応する日々を送っていると、 |
| ”あの時”のあの”ときめき”など出る幕はない。 |
| だが |
| あの出発の朝があったから、今のうれしい忙しさがある。 |
| あのとき”ときめいた”から、今の充実がある・・・・ |
| それだけは覚えておこう。 |
| 存在 |
| 他人にしてみれば |
| 「私」が過去に何をし、どんなことがあったか、はどうでもいいこと・・・・ |
| 今何をして、どう生きようとしているか、だけが見えている。 |
| だとすれば、 |
| これが”自分らしさ”だと思えるものを懐に入れて |
| 今の自分を創ることに熱中せよ。 |
| だれかが、やがて「私」の存在に気付いてくれる。 |
| 一人 |
| 泣くことは一人でもできるが、 |
| 一人では笑えない。 |
| 荷 |
| 何も好き好んで背負っているわけではないが、 |
| 人はみな、何かを背負って生きている。 |
| その背負っているものが、 |
| 間違いなく「自分らしさ」を作っている。 |
| 重いか、軽いかは問題ではない。 |
| 肩の荷が重ければそれだけ |
| 「自分らしさ」が鮮明になるだけだ。 |
| 背負っている荷は他人には見えないが、 |
| その「証し」となる”自分らしさ”は存分に人の目に届いている。 |
| 再会 |
| またどこかで会いましょう、と言って別れた人にもう会うことはない。 |
| もう会えないかも知れない、と思って別れた人とは、 |
| ひょっとすると再会できる。 |
| もう会えないかも知れないが、”また会いたい”という思いが |
| 偶然の糸を手繰り寄せることもある。 |
| 思ってみることだ。 |
| 何で・・ |
| 窮地に追い込まれても、決して口にしてはならないのは、 |
| ”何で自分だけが・・・・・”と言う言葉。 |
| そう言った瞬間から、 |
| 乗り越える力の半分が逃げていく。 |
| 記号 |
| ♂と♀の記号がある。 |
| ♂は戦いの神マルスを表し、手に持つ「矢」をシンボル化したもの、 |
| ♀は美の女神ヴィーナスの「手鏡」を表したもの・・・・ |
| 「矢」と「手鏡」、男とは何か、女とは何か・・・ |
| 複雑怪奇な両性の特徴をこれ以上単純明快には表記できないと思える。 |
| この表記が表すものをじっくりと考えてみるとよい。 |
| きっと何かが見えてくる。 |
| 上流 |
| 豊かな水は、上流にある豊かな森が作るように、 |
| すべて価値あるものは、たとえ米粒一つでも |
| その”上流”で誰かが汗を流し、丹精込めたから存在する。 |
| 下流でそれを享受する者は、 |
| 上流の”だれか”を思い描け。 |
| 注文 |
| よかれと思って与えても、 |
| 水が欲しい相手にパンを与えてもだれも喜ばない。 |
| せっかく持ってきたのに・・・・と腹が立つときは |
| きっと注文を聞き間違えている。 |
| ただもの |
| 「ただものではない」・・・・そう思わせる人がいる。 |
| 外見や風貌、言葉の端端でそう感じとれるなら、 |
| あなたも相当なもので、”ただもの”ではない。 |
| ”修行”を積むと相手の力量は黙っていても見えてくる。 |
| 今度は・・ |
| そうですか、うまくいきませんでしたか・・・・ |
| そりゃ落ち込むのも当然ですね。 |
| ”だれにでもあることさ”という言葉も、今は聞きたくないでしょうが、 |
| 横で見ているとそう思えます。 |
| 「こんなときに他人事のように言うな。」と言いたくなるのでしょう? |
| でも、 |
| たとえ気休めでも、そう言ってくれる人を大事にしてください。 |
| あなたのことを心配してくれる人は、そう多くはないはずですよ。 |
| 立場が変わったら、今度はあなたがそう言う番ですから・・・・・ |
| 信用 |
| 口の軽い人間は、想像力が乏しい人間だ。 |
| この知り得た”秘密”を口外すると |
| だれが迷惑し、だれが信用を失うことになるか、 |
| 自分に話してくれた相手の立場はどうなるのか・・・・・ |
| そんな初歩的なことさえ想像できない人間だから、 |
| しまいにはだれからも信用されなくなる。 |
| 回顧 |
| 若い者たちに「昔はよかった・・・」とうかつに言えないので、 |
| 同世代の人間と話してみたくなる。 |
| ”よかった”と思う大部分が共有できるからだ。 |
| 何十年たっても同窓会がなくならないのは、 |
| 「昔はよかった・・・」を共感し合い、 |
| そこにはかつて自分の“居場所”があったことを確かめたいからだ。 |
| 助言 |
| 往来を腕を組んだり、手をつないだりして歩くカップルがいる。 |
| 「古い!」と言われそうだが、おじさんたちは思う。 |
| そうしていないと不安なのかい? |
| それとも二人の絆の強さを誇示したいのかい? |
| いつも触れていたい気持ちはわかるし、 |
| 「あんたには関係ねぇだろう!」と言うのもわかるが、 |
| 見せつけられてあまりいい気持ちにならない人もいるということを |
| 二人きりのときによく話してみてごらん。 |
| 問い |
| セピア色になった古い写真が問いかけてくるものがある。 |
| ”お前のこれまでの日々は何だったのか・・・・” |
| 重い問いである。 |
| 答えるのに苦労するので、 |
| 人はあまり古い写真を見たがらない。 |
| 童心 |
| いくつになっても”遊び心”を忘れない大人になりたい。 |
| 遊び心・・・・童心と言い換えてもよい。 |
| お金儲けにはまったく役に立たないが、 |
| ”豊かに”生きるにはどうしてもこれが必要だ。 |
| 「まるで子どもみたいだね。」・・・・・それがいい。 |
| 遊び心は、子どものころにうんと遊んでおかないと |
| 育たない。 |
| 理由 |
| きのう握手した人間が今日は敵にまわる・・・・・ |
| 握手する相手をまちがえたからだ。 |
| 心温 |
| 人の体に”体温”があるように、 |
| 心には”心温”がある。 |
| ”心温”の温かさを生み出す源は、日々の暮らしの中で見つける幸せだ。 |
| 一日で消えてしまう幸せもあれば、 |
| 何日もその温かさを保ってくれる幸せもあるだろう。 |
| きのうと変わらない平凡な今日であっても、 |
| 小さな”幸せ”をいくつか見つけて一日を終わりたい。 |
| 完熟 |
| 熟さないうちにもぎとった実は、見かけはよくても |
| まずくて食べられない。 |
| ほんのもう少し、待ってやればよいのだ。 |
| あせらなくても完熟した実は、自分で落ちてくる。 |
| 白紙 |
| 白紙に戻す・・・という。 |
| 何もなかったことにして、再起動するという意味。 |
| さっぱりして気持ちはよいが、 |
| それまで積み上げた思慮や苦労や成果を消し去る無念さが残る。 |
| 多くの場合、 |
| 白紙に戻したつもりでも、前にあったものがうすく消えずに残ってしまう。 |
| だから、 |
| 完全な”白紙”にはもどせない。 |
| それを承知して使うことだ。 |
| 自慢 |
| 自慢はしてもいい、するものだ。 |
| しかし、鼻にかけてはいけない。 |
| ”鼻にかける”とは自慢しながら他を見下すこと・・・・ |
| 自分の技量を鼻にかける職人に、弟子は集まらない。 |
| 異端 |
| 甘さを引き立たせるのは少量の”塩”だ。 |
| 塩梅(あんばい)と呼ばれる塩加減一つで |
| 甘さを生かすことも殺すこともできる。 |
| 甘さには絶対に馴染まないと思われそうな”塩”が |
| 甘さの行方を左右している・・・・・・・ |
| そんな”塩”のような人が、 |
| まわりを見回すと見えないか? |
| 異端を排除すると甘さは止められない。 |
| 錯覚 |
| 忘れたくないことなのに忘れようとすると、 |
| 消し去ろうとする記憶を特定するために、 |
| ぼんやりしていた”輪郭線”をもう一度はっきりさせる作用が働く。 |
| そのため、多くの人は「やはり忘れられないのだ。」と錯覚してしまう。 |
| そんな錯覚のおかげで苦悩を抱え込むこともあるが、 |
| 人生に彩りを添えることも多い。 |
| いずれにしても |
| しくみがわかれば、打つ手はある。 |
| 誇り |
| 新聞の投稿欄の職業に |
| ”元○○”とかつての自分の仕事を書く人がいる。 |
| ”元”とは何だ? |
| 年齢をみれば現役を引退していることはわかる。 |
| ならば今は”無職”ではないか。 |
| 無職なら"無職”とそう書けばよい。 |
| かつての仕事にそれほど誇りを持っているなら |
| 胸を張って今の”無職”も同様に誇れ。 |
| 家族 |
| 家族は放っておいてできるものではない。 |
| 家族のみんなが |
| ”家族”として生きよう、”家族”になろうと絶えず努力するから |
| 家族になれる。 |
| 夫婦や親子の関係なんて、きわどい綱の上を歩いているようなもの、 |
| 油断をするとあっという間に落っこちてけがをする。 |
| 今ある家族が”家族だ”と思えるのなら、 |
| きっと気付かないうちにみんなが努力をしている。 |
| 好機 |
| あれは一度きりしかない絶好のチャンスだったのだ、と |
| 今になって思えることがある。 |
| そのころは、”こんなチャンスなどいくらでもやってくる”と思われた。 |
| ”次こそは・・・”と待っていたが、その後はやってこない。 |
| 巷ではそんな失敗を「あとの祭り」と呼ぶ。 |
| 残念だが、人生をナメてかかるとそんなしっぺ返しを食らうらしい。 |
| 千載一遇の好機というのは |
| もしかすると今目の前にあるものなのかも知れない。 |
| こころ残り |
| 立ち止まって振り向いてほしかった人は、 |
| さわやかさを風に乗せて振り向くこともなく去って行った。 |
| 呼びとめるべきだったのか・・・・ |
| その人の足を止めてでも、伝えるべきだったのか・・・・ |
| そう、あの時何かがそれを許さなかった。 |
| わが手にある追憶の便箋には、 |
| 時の流れのなかで、薄く消えかけてはいるが |
| ”こころ残り”という文字がまだ読める。 |
| もう会うことも叶わないが、 |
| どうか健やかに・・・・・・・・ |
| 伝言 |
| 長い人生、一度や二度は |
| 死に物狂いで戦わなければならない局面がある。 |
| 神頼み、仏頼み、占い、まじない・・・・・・ |
| それで少しでも肩が軽くなるなら何でもやってみればよい。 |
| 枝葉の問題は他力本願でも払い落せる。 |
| だが、 |
| 中心に居座る”核心”からは逃げても無駄だ。 |
| 援軍など期待せず、腹を据えて対峙するしかない。 |
| ありったけの武器を持って相討ち覚悟で立ち向かえば、 |
| 勝つことはできなくても、 |
| 生き延びることはできる・・・・ |
| 多くは語らないが、そんな経験をおじさんたちはみんなくぐってきた。 |
| 少し照れくさいが、 |
| 耳を傾けてくれる者がいれば話してもいいと思っている。 |
| 美 |
| ”きれい”になるためにはお金がかかる。 |
| ”うつくしく”なるにはお金はいらない。 |
| ”きれい”なものは誰にも見える。 |
| ”うつくしい”ものは眼力を鍛えないと見えない。 |
| ”きれい”と”うつくしい”をあてはめる対象を |
| 見誤ってはならない。 |
| 願い |
| 一生懸命に生きる人が”美しい”と思える人間になる。 |
| だれかが一生懸命に作ったものを”素敵だ”と思える人間になる。 |
| 自分とは違う道でも”けなげに”歩く人がまぶしく見える人間になる・・・・ |
| そういう人間になるためにこそ、 |
| 今おのれをとりまく問題に立ち向かえ。 |
| 畑だって新しい種をまくときには耕すではないか。 |
| 今自分は心を耕しているのだ、と言い聞かせて |
| 目の前の課題に立ち向かえ。 |
| やわらかくなった心にまかれた種はいつか必ず芽を出してくれる。 |
| ウソ |
| ”ウソつきは泥棒の始まり”と幼い頃聞かされた。 |
| ウソをついてはいけない、と子どもに教えるが、 |
| ”なぜ?”と聞かれると困る。 |
| 信じている他人をだますことだから?・・・ |
| だれからも信用されなくなるから?・・・・・ |
| もっともらしい理由はつけられるが、 |
| ほんとうは |
| だれもがみんな一度や二度はウソをついたことがあるからだ。 |
| そのときの後味の悪さを忘れていないからだ。 |
| 体裁よくもっともらしい理由をつけて |
| 子どもに”ウソ”をついてはいけない。 |
| 処世術 |
| 「ばあちゃん、腹減ったよ。」 |
| 「心配いらん。気のせいだ。」 |
| あるお笑い芸人の自伝のなかに登場するおばあちゃんの話・・・・・・ |
| ”笑える”話だ。 |
| 言い方が面白いのではなく、おばあちゃんの人柄が楽しい。 |
| 厳しく苦しい状況でも笑い飛ばして生きるたくましさが |
| われわれに一番欠落している資質・・・・ |
| おばあちゃんを見習って、大いに使ってみてはどうか。 |
| ・・・・心配いらん。そりゃ気のせいだ。・・・・・・ |
| きっと会話が楽しくなる。 |
| 勇気 |
| 濁流にかかる1本の丸木橋・・・・・ |
| 恐怖から渡れずに立ち尽くす者に |
| 「しっかりしろ!勇気を出せ!」と言うだけでは足は前に出ない。 |
| 最初の一歩をどこに置いて、次の足をどうやって出すか、 |
| 両手はどうするか、目はどこを見るか・・・・ |
| そんな具体的な助言が不可能と思える”勇気”を導く。 |
| 解決不可能と思える難事で落ち込む者に助言をするなら、 |
| まず明日何をすればよいか、それができたら次は・・・と |
| せめて2,3日分の到達可能な見通しと、 |
| そのためにまず何から始めるかという、足の運び方を伝えることだ。 |
| 勇気は叱咤激励だけでは生まれない。 |
| 子育て |
| どんなに慈しんで手塩にかけても、子どもはやがてあっけなく巣立っていく。 |
| 気が遠くなるほど長いと思われた子育ての期間も |
| 終わってみれば束の間の出来事のように思えるもの。 |
| 巣立っていく我が子たちの健勝と多幸を祈りつつ、 |
| 十分とは言えなくても |
| 伝えるべきことは伝えた、持たせるべきものは持たせた・・・・ |
| そう言って”子育て”を終わりたい。 |
| 老人と子ども |
| 古来より「老人と子ども」の交流を取り上げた小説や映画は数知れない。 |
| 何ゆえ「老人と子ども」なのか?・・・・・・・ |
| 老人には長い時間をかけて濾過された”経験と知恵”がある。 |
| おのれの一生をかけて会得した”生き方の奥義”がある。 |
| 子どもはそんな老人の話を疑うことなく、目を輝かせて受け入れていく。 |
| そこにあるのは |
| 伝え、受け入れる両者の”夢”を語り合う姿・・・・ |
| そして受け継がれていく”命”・・・・ |
| 老人と子どもの語らいは |
| 消えていくものと育っていくものの交代の儀式でもある。 |
| 子どもに伝えるものを十分に持たない、 |
| 未熟な老人にはなりたくない。 |
| 恩 |
| 借りたものは必ず返す・・・・ |
| それが人の世のきまりだ。 |
| 金品なら誰もが忘れないが、受けた温情や好意も“借りたもの” |
| これは案外返し忘れることが多い。 |
| やさしくしてもらったり、親切にしてもらったりしたことを |
| ”借りたもの”と考えない人を、むかしから「恩知らず」と呼ぶ。 |
| 恩知らずを何度も繰り返すと |
| やがて「恥知らず」になる。 |
| 足跡 |
| やがて消え去っていく者は、足あとを残すものではない。 |
| 足あとは、 |
| 何を踏みつけ、何を蹴飛ばしたか、 |
| どれほど重い荷を背負ったか、どこで立ち止まったか、 |
| どこから来て、どこへ向かったか、を容赦なく物語る。 |
| これ見よがしに踏み荒らした足あとを |
| 後に残る者たちに片づけさせるのでは、まるで子どもの”落書き”・・・・・ |
| そこを歩いたという痕跡は、 |
| かかわりのあった人間の記憶の中に残されれば、それでよい。 |
| だまって静かに去っていく・・・ただそれだけ。 |
| 二人 |
| たとえやせ我慢でも、耐えなければならないことがある。 |
| 耐える苦しさに負けそうになったら、 |
| もう一人の自分に語りかけてみることだ。 |
| ”おまえもよくやるなぁ・・・・” |
| どんな難局でも、愚痴一つ言わず常に自分と行動を共にしてくれる、 |
| ”もう一人の自分”・・・・ |
| 分身と呼んでもいいそんな”自分”を見つけて存分に会話をする。 |
| 「ひとり言」というが、あれは実は |
| 自分がもう一人の”自分”に話しかけている姿・・・・ |
| 一人ではとうてい持ちこたえられないものでも |
| ”二人”で支えるから、耐えられる。 |
| 天才 |
| ベートーヴェン作曲の「交響曲第五番”運命”」を思い出すとよい。 |
| 出始めのわずか八つの音だけで全曲のすべてが表現されている、と言ってもよい。 |
| そのすごさは、音楽に造詣のない者にも理解できる。 |
| 天才の為せる技だ。 |
| だが、君はもっと上をいく天才だ。 |
| 生まれたばかりの赤子だった君は、だれからも教わらないのに |
| わずか四つの音のうぶ声でおのれに課せられた”運命”を見事に宣言した。 |
| そんなすご腕だったむかしの自分をほんの少し思い出せば、 |
| 負けそうな相手がいても何も心配することはないだろう。 |
| 言いたいこと |
| 遠目にはそれらしく見えていても |
| 近くでよく見れば誰かのまねをし、何かに似せていることがわかる。 |
| どんなに精巧に仕上げてあっても、命の輝きだけは見いだせない・・・・・ |
| それが”造花”の宿命だ。 |
| となりに雑草の一本でも並ぶと、花としてはもう勝てない。 |
| 「何だ、造花か・・・」とみんなに冷たく言われるのだが、 |
| “花だ”と思って見た自分の目の不確かさは棚にあげて |
| ”だまされた”という思いをみんな彼のせいにしているだけだ。 |
| ”花”として見なければ、彼だって立派な手作りの工芸品である。 |
| 彼だって、きっと何か言いたいことがある。 |
| 情熱 |
| 燃え盛る火を消すには水をかける、という方法なら知っているのに、 |
| 熱く燃える情熱の炎を静める手だてを我々は知らない。 |
| 下手に知らなくてよかった、と思う。 |
| ”情熱”という名の、魂が燃える“熱”のおかげで |
| ずいぶん彩のある人生を歩ませてもらったから・・・・・ |
| 簡単には静められなかったから、人生がおもしろくなった。 |
| 伝言 |
| ぼんやりして過ごす時期があってもいいでしょう。 |
| 倒れてしばらくは立ち上がれないことがあってもいいのです。 |
| 無駄な時間を費やしていると思えることがあってもいいと思います。 |
| 大切なのは、どんなことがあっても |
| 自分の人生をさぼらないで生きていく、ということ・・・・・・ |
| そんな気持ちがあれば大丈夫、かならず何とかなりますよ。 |
| 他のだれも真似のできない、あなただけの人生なのですから。 |
| 労働 |
| かつて、ある中学校に行ったときのこと、昼の掃除時間であった。 |
| 玄関を掃除していた数人の男子生徒が、2,3人の他の生徒を取り囲んだ。 |
| 「人の労働を無にするのか!」と険しい顔で叫んでいる。 |
| せっかくきれいに水を流し、泥や砂を掃きとったところに、 |
| 2,3人が泥足で歩いたので、足跡がそっくり残っていた。 |
| 玄関だからいずれはまた汚れるのは仕方がないのだろうが、 |
| ただ、彼らは今しがた懸命にきれいにしたところを |
| 無神経に泥足で汚していったことに立腹していたようだ。 |
| 彼らの怒りが正当なものか、どうかの問題はあるが、 |
| “掃除”ではなく“労働”・・・・・ |
| その言葉の意味を彼らは彼らなりにつかんでいたように思う。 |
| 忘れられない光景である。 |
| 集団 |
| 一見ばらばらに見えていても、 |
| 根気よく、一つひとつ関係をつないでいけば、やがて全体が見えてくる・・・・ |
| 一見固い結束を保っているように見えても、 |
| 共有できる“筋”が通っていなければ、やがてばらばらになる・・・・ |
| このどちらも自分の身近な集団にあてはめると、うなずける話だ。 |
| 関係をつないだり、”筋”を作ったりすることを怠ける集団は、 |
| やがてただの「群れ」になる。 |
| ケンカ |
| 昨日は殴り合いのケンカをしても、 |
| きょうは握手しながらいっしょに遊ぶ・・・・・・ |
| これが子どものケンカである。 |
| それが、年とともにできなくなるのは、 |
| 意見の違いや相手から受けた仕打ちの他に |
| 相手の”人格”を原因に付け加えるからだろう。 |
| あいつはそんな人間だ!という人物評価が |
| 仲直りができたかもしれないケンカの解決を遠ざけている。 |
| いい顔 |
| あっちにもこっちにもいい顔をしたい・・・・ |
| できればいいが、そううまくはいかないもの、 |
| 必ず利害関係がからまり、どちらかの顔をつぶすことになる。 |
| 問題はその時だ。 |
| 見通しの甘さを後悔する前に、 |
| いい顔ができなかった相手に”誠意”をもって謝罪することだ。 |
| どんなにそれがつらいことでも・・・・ |
| 人と関係を持つというのは、 |
| そういう責任をもいっしょに背負うということ。 |
| 知る |
| 仲良くなりたい相手と話すなら、 |
| 自分のことを話す前に相手の話に耳を傾けることです。 |
| 相づちをうちながら、しっかり聞くことです。 |
| 毛細血管のように、相手の心の奥襞までもぐりこむことです。 |
| そうすることで相手の鼓動に自分の鼓動を重ねることができます。 |
| その日は何事もなく別れても、 |
| 鼓動の重なりは、次の日から相手にも不思議な衝撃となって伝わり、 |
| いつしか“気になる人”に変わっていくでしょう。 |
| 知ろうという気持ちがそうさせるのです。 |
| 遅れても・・・ |
| 7月のはじめ、山から採ってきたホタルブクロを10本ほど植えました。 |
| 他の苗の花はとっくに散って枯れてしまいましたが、 |
| 1本だけ、季節はずれに1個の小さな花をつけました。 |
| 無理やり環境を変えられ、水も十分貰えず、苦労したことでしょう。 |
| だけど、 |
| 遅ればせながら、花を咲かせることができました。 |
| そう、少しくらい遅れてもいいんだよね・・・・・ |
| 他人とはちがうテンポでも、自分らしさはこんな形で表せるのだと、 |
| 君に教えてもらいました。 |
| ありがとう・・・ |
| 精一杯、君の残り少ない夏を君らしく生きてください。 |
| 栄光 |
| 勝てば脚光を浴び、ヒーローやヒロインになれる。 |
| 何本ものマイクが取り囲み、カメラが回り、フラッシュが光る。 |
| その陰で、惜しくも涙をのみ、だれもヒーローなどと呼ばない多くの人が |
| ほんの一握りのヒーローたちに浴びせられるライトを支えている。 |
| そんな彼らの |
| 力の限り闘ったという誇りを伝えようとする報道が見たい。 |
| ”栄光”とは頂点に立つ者だけのものではないというメッセージを聞きたい。 |
| みんなが「勝者」にはなれない「人生」を生きる者の一人として・・・・・ |
| 親 |
| わがままに育った子どもがいるのは、 |
| わがままに育てた親がいるからだ。 |
| 子どもは幼い時から |
| 生きていくのに何が大切なことか、を真剣に教えてもらわないと、 |
| 好き勝手な価値観を身につけ、一人よがりの”ものさし”を手にしてしまう。 |
| そして目盛の狂った、そんな”ものさし”で計れないものに遭遇すると、 |
| どうしていいのかわからなくなり、途方にくれる・・・・・ |
| 子の親となった以上、 |
| わが子が幸せに生きていけるよう、死に物狂いで |
| 人がこの世に生きている意味を教えてやらなければならない。 |
| 知恵 |
| 強がっても、抗っても、腹を立てても、 |
| 所詮無力なのだと思い知らされることがある。。 |
| 無力だと思うなら |
| ”力”で立ち向かうのでなく、”知恵”を使えばよいのだが、 |
| ”知恵”を働かせる場面で”力”に頼ると、 |
| 徒労に終わるだけでなく、無力感は絶望感に変化する。 |
| このしくみを知っている者だけに可能な知恵を |
| 「発想の転換」という。 |
| 燃えながら・・・ |
| いくら「燃えながら暮らせ」と言っても、 |
| 溶鉱炉じゃあるまいし、そういつも燃えてばかりはいられない。 |
| 火種を消さないで暮らせ、という意味なのだろう。 |
| “火種を消さない”とは、 |
| 明日、1週間後、1ヶ月後、半年後、1年後、そして5年、10年後の |
| 目標や計画や夢を持つということ。 |
| やってみたいこと、行ってみたいところ、見てみたいものが |
| あしたの火種になって静かに燃え続ける力になる。 |
| 自分の心の中の”火種”を注意深く見守っていれば |
| 燃え尽きてしまうことはない。 |
| 豊かさ |
| 帰省だ、レジャーだとみんなが騒ぐこの時期、 |
| そんな彼らのために休みもなく汗を流して働く人がいる。 |
| 「それが仕事だろう?」というのは容易いが、 |
| その人たちにも家族があり、親があり、帰りを待ちわびる故郷がある。 |
| 多くの人は気付かないが、その気になってちょっと周りを見回せば |
| だれかの大切なものを犠牲にした”豊かさ”を享受しているということが |
| わかるはずだ。 |
| わかったからといってどうこうなるものでもないが、 |
| 心のすみにとどめておける人でありたい。 |
| 幕 |
| 祭りはどんなににぎやかでも、やがて終わる。 |
| 迎えたものはどんなに名残り惜しくとも、いずれ帰っていく。 |
| 盛り上がった余韻は残しながらも |
| 幕はいつか下りるものだということを覚えておこう。 |
| そうすることで、 |
| 次の幕あきが待ち遠しくなる。 |
| 問 |
| きれいな花をつけないから引き抜くのですか? |
| あなたが通るのにじゃまだから切るのですか? |
| 切り花にならない花だから刈り取られるのでしょうか? |
| “雑草”という名で呼ばれていることは承知しています。 |
| 花屋さんにならぶような、きれいな花は確かに持ちませんが、 |
| 子どもを育て、家族を増やし、ささやかな幸せを大切にして生きています。 |
| あなたにとっては”雑草”でも、 |
| これが”わたしの生きる営み”です。 |
| あなたの幸せのじゃまはしていないつもりなのですが・・・・・・ |
| ふるさと |
| ”ふるさと”・・・・・いい響きですね。 |
| 普段は気に留めなくても、あるときふいに |
| 熱い血流のように体をめぐる思い出・・・・・ |
| なつかしい友の顔や見慣れた小川や小道が織り込まれた衣を着て、 |
| 今の自分がここにいる、と気付かされるのです。 |
| そこで暮らしたという記憶が、 |
| まるで空から”降ってくる”ような場所なので”降る里”と呼ぶのでしょうか。 |
| あなたの”ふるさと”は今も元気ですか・・・・・ |
| 初心者 |
| 初めてスキーをはいた人が「こんなところで?」と思う場所で転ぶ・・・・・ |
| だが、 |
| 自分にもあんなときがあったなぁ、と懐古することはあっても |
| かつて自分も苦労して通った道なので、 |
| そんなぎこちない姿をみて笑う者はいない。 |
| スポーツ、芸術、車の運転、・・・ |
| すべて”技術”を身につけるときはみんな納得する事実である。 |
| 人生を生きるにも”初心者”はいるのだから |
| 人の生きざまにも当てはめていい。 |
| 敬意 |
| 好きだ、気に入らない、もう少しだ・・・・・などと、 |
| 批評ならだれにもできる。 |
| だが、 |
| 自分が実際に書いたり作ったりする立場に立つと、 |
| いかに無責任で勝手なことを言っていたかを思い知らされる。 |
| 誰かの知恵や能力で”創造されたもの”には |
| 少なからず敬意を払うべきだ。 |
| 消去法 |
| 好き勝手にやっていると、 |
| 一番やりたくない仕事が最後に残る。 |
| せっぱつまって仕方なしにやると、たいていろくな結果にならない。 |
| だから、 |
| 一番やりたくない仕事を最初にやるように心掛けている。 |
| それが片付けば、 |
| あとは”消去法”で片付いてくれる。 |
| そううまくはいかないことも多いのだが・・・・・・・・ |
| 考える |
| いろんな生き方があるものだ、と思う。 |
| 東を向いて走り出す人もいれば、 |
| 西を向いて後ずさりする人もいる。 |
| 自分の生き方も他人からみると、ずいぶん変わった生き方なのかもしれない。 |
| 何度かあった人生の岐路で、 |
| 今歩いている道を選んだのは紛れもなく自分だから、 |
| だれがどう見ようとこれでいいのだろう。 |
| 過去は過去として、これからをどう生きるか、なら |
| まだまだ選択の余地は残されている。 |
| 腕を組んでじっくり考えるときかも知れない。 |
| ・・・・・・・・・・ |
| ”精神の健康さとは、 |
| これしかないと信じこんでいる生き方の「別解」を考えることだ。” |
| (精神科医 春日武彦氏) |
| 感 |
| どれだけ”悲しさ”と”哀しさ”を体験し、どうやってそれを乗り越えたかは |
| その人の感性や人格の厚みに重なる。 |
| ともに傷つくことにかわりはないが、 |
| ”その人らしさ”を形作るのは |
| 間違いなく体験し、乗り越えてきた”哀しみ”の方である。 |
| ”悲しみ”は時とともにやがて癒えるが、 |
| 心の最深部に根付く”哀しみ”はおそらく癒えることはない。 |
| 彼方 |
| 仙人の条件・・・・・・・ |
| もの言わぬものたちの言いたいことが聞こえること、 |
| 手放してしまったものへの未練を断つこと、 |
| 風と遊ぶことができること、 |
| わらべの声に頬がゆるむこと、 |
| 握手をする相手を間違えないこと、 |
| 大地に足をつけること・・・・・・・ |
| 道未だ遠し。 |
| 関係 |
| 「いつまで生きられるでしょうか?」・・・・と患者。 |
| 「大丈夫、一生生きられますよ。」・・・・と医師。 |
| 仮にあす死んでもウソではない。 |
| 医者の役目は患者に安心をあたえること・・・・・・ |
| 日本で初めて心臓のバイパス手術を成功させた瀬在幸安氏の言葉、 |
| おちょくっているわけではないだろうし、それで腹を立てる患者もいないはず・・・ |
| 信頼関係で結ばれると、こんな会話が成り立つ。 |
| いい話だ。 |
| 欲求不満 |
| 毎日忙しい仕事や家事に追われていると、 |
| ゆっくり自然と親しむ余裕などないのがあたりまえです。 |
| それはそれでいいのでしょう。無理をしなくても・・・・・ |
| やがて有り余る時間が手に入るときがきたら、 |
| 存分に楽しめばよいのですから。 |
| ただ、今のうちにしておいた方がよいことが一つあります。 |
| 時々は自然に触れて、「もう少しふれていたいな。」という |
| ”欲求不満”状態を作っておくことですね。 |
| そんな欲求が元々ない人間は、いくら高原のお花畑の中に立っても |
| 花は何も語ってくれません。 |
| 会話 |
| 我が国の食料自給率が39%だって? |
| 生きていくのに必要なカロリーの4割しか生産できないの? |
| じゃぁ、もし海外からの輸入がなくなると、 |
| 10人のうち4人しか生きられないということ? |
| ・・・そうだよ。4人分の食料を10人で分けなくてはならなくなる。 |
| スーパーに行っても商品はないだろうね。 |
| そもそもスーパー自体がなくなるだろうな。・・・・ |
| じゃあ、おじいちゃんが言っていた終戦後の日本みたいになるの? |
| ・・・・・そうだね。あの時のように食べ物を奪い合う時代になるんだろうね。 |
| みんなすっかり忘れているけど・・・・・・・ |
| 何だか少し |
| 人間としてかしこくなるためだったら |
| どんなヘマや失敗も許される・・・・・・ |
| 温かくて豊かな心を育てるために |
| どんな夢を持ってもだれも笑ったりしない・・・・・ |
| 人は信用してもいいんだよ、と教えるために |
| 汗を流し、誠実に向き合おうとする大人たちがいる・・・・・ |
| 友や仲間と笑い、泣き、けんかをし、世の中の仕組みや決まりを覚えながら |
| ゆっくり大人になる準備を始める・・・・・・・・・ |
| ほかではありえない、損得勘定など無縁のそんな場所を |
| むかしは”学校”と呼んだ。 |
| 今は何だか少し 違うような・・・・・・・・・ |
| 体罰 |
| 45年以上も前の忘れられない思い出・・・・・・・ |
| 小学生の頃、音楽の授業は担任ではない女の先生が受け持っていた。 |
| 授業中、友達とふざけてその先生を怒らせてしまった。 |
| その日の帰り、担任の男の先生に前に出てくるように言われて、 |
| われわれは先生から激しいビンタをもらった。 |
| そして最後に、「なんで俺の授業のときにやらんのか!」・・・・・・ |
| めったに手を上げないやさしい先生だった。 |
| 今ならよくわかる。あの時の担任の先生の怒りと情けなさが・・・・・・ |
| 子どもだから、と許してはならない掟が世の中にはあることを教えてもらった。。 |
| 子ども心にもズシンと響く、”体罰”であった。 |
| 生々流転 |
| いまある姿は永遠には続かない、ということは承知しています。 |
| いつまでもこのまま変わらずにいてほしい・・・という願いや |
| このまま時間が止まってくれるといい・・・という期待は、 |
| ”知ったことではない”とばかり、 |
| 容赦なく掻き消されていくものだということも・・・・・ |
| それならば、 |
| そんな願いや期待をいっそのこと持たなければ・・・と思ってしまいますが、 |
| 哀しいかな、人間は持ってしまう生き物です。 |
| だから、激しい愛が生まれ、別れのドラマが生まれ、 |
| 喜怒哀楽という、人生の醍醐味も味わえるのでしょう。 |
| だれかに言われなくても |
| 実はみんなわかっていることなのです。 |
| 縛り |
| 何事も計算でしか動かない人間は、 |
| 計算した答え以上のものは受け取れない。 |
| 損得を越えて動くことができなければ、 |
| 思いがけない出会いもやってこない。 |
| 何かに縛られているとは感じない鈍感さを当然のように持ち歩く人間は、 |
| 手を伸ばせばすぐ届くところにあっても |
| 目の前の”ごちそう”をただ黙って |
| 見送ることになる。 |
| 先駆者 |
| 真の゛先駆者”というのは |
| 自分が先端を歩いているなどとは思わない。 |
| 先頭に立って道を開く労苦を知っている者が |
| 後になってそう名付ける。 |
| 感謝と尊敬の気持ちををこめて・・・・・・・・ |
| 楽しみながら・・・・ |
| 熟年と言われようが、中高年と言われようが、 |
| 自分らしさを大切にして生きようという意欲さえあれば、 |
| そこらの若い者たちに負けることはない。 |
| 衰えたものがある分、みずみずしさが増したものもあるのだから、 |
| 引け目を感じることもない。 |
| ゆっくり、楽しみながら年をとっていけばよい。 |
| 「若いころは・・・・」などと後ろを振り返っても、 |
| 今日の一歩を踏み出す靴のひもは結べない。 |
| 幸 |
| 「お帰り・・・・」 |
| そう言ってくれる人と、迎えてくれる場所があることの幸せ・・・・・ |
| 季節 |
| 夏の匂いがあふれている。 |
| 音も負けずに満ちている。 |
| むせ返る夏草の甘酸っぱい匂い、蝉しぐれ、雷鳴、虫の声・・・・・・ |
| 照りつける日差しにさえ”ジリジリ”という音が聞こえそうだ。 |
| こんなに豊かな、激しい季節は他にない。 |
| 間もなくやってくる”静寂の季節”の到来を前に、 |
| おのれのありったけを出して存在を主張しているように見える。 |
| 人には過酷な環境でも、 |
| 彼ら自然の主たちにはごくあたり前の営み・・・・・・ |
| つくずく”支配”しているのは人間ではない、と思い知らされる。 |
| こちらから近づいていかなくても |
| 向こうから勝手にやってくる。 |
| なんとかなりませんか |
| 各政党の国会議員が討論をするテレビ番組がある。 |
| 聞き苦しいこと、この上なし・・・・ |
| 相手がまだ話しているのに、途中から割って入って持論を話し出し、 |
| 何人もが同じようにするので、まるで子どものケンカ状態になる。 |
| 国会での“ヤジ”合戦・・・・ |
| 見苦しいこと、この上なし・・・・ |
| あんなことをもし会議でやったら明日の職場での自分の椅子はない。 |
| 話し合いのルールの第一原則は |
| 相手の言い分をしっかり聞かなくてはならない、ということを |
| どうやら学んでこなかった人たちばかりらしい。 |
| 国のルールをつくる人たちがこれでは |
| 先が思いやられる。 |
| 絵になる・・・ |
| ”絵になる風景”と呼ばれる場所がある。 |
| とすれば”絵にはならない風景”もそのすぐ隣にあるはず・・・・・・ |
| 多くの人は、ほんとうは両方見えているのに、 |
| 気付かないうちに”絵になる風景”だけを必死で見ようとしている。 |
| いつも脚光をあびる風景だけが単独であるのではない。 |
| 絵にはならなくても、ごく普通の風景がそれに連なっている。 |
| ”風景”を”人”に置き換えると |
| 何だかわかってくることがある。 |
| 筋 |
| 大なり小なり誰もが”打たれて、踏まれて強くなった”という経験を持つ。 |
| 打たれて、踏まれて、なぜ強くなれたのか・・・・・・ |
| 倒れたままではなく、懸命に立ち上がったからだ。 |
| 二度と同じようには倒れないぞ、と学ぶものがあったからだ。 |
| 痛さを味わったかわりに、一本の筋を取り込んだと思えばよい。 |
| そんな何本もの筋が今の自分をまっすぐに立たせてくれている。 |
| 目移り |
| 選択肢は多い方がよい、というのは間違いかもしれない。 |
| あまりにたくさんあって、 |
| どれにしようかと迷っているうちに、結局何も決められなかった・・・・ |
| そんな経験はないだろうか。 |
| 巷ではそんな現象を”目移り”という。 |
| それが”買い物”くらいで済んでいればよいが、 |
| 人生の節目で目移りしたとなると、事は重大だ。 |
| あの時ちゃんと選んで決めておけば・・・・と悔やんでも後の祭り、 |
| 目移りして”泣き”を見ないためにも |
| 選択肢は極力しぼって必要な決断をしておけ、ということ。 |
| 美学 |
| 好んで他人に話すことではないが、 |
| 人はだれでも自分の”美学”を大切に守って生きている。 |
| 自分の中に潜んでいる”美学”がどんなものか、が知りたければ、 |
| 自分とは波長が合わない、生き方がどこか自分とは違う、 |
| と思う人を思い出してみるとよい。 |
| 「あんなものの考え方や生き方はしたくない。」・・・・・・・・ |
| そう思う中身の”裏返し”が実は自分の美学。 |
| ふだんはそんな言葉では呼ばないが、 |
| 安っぽい言葉で呼ぶには惜しい、すぐれた感覚である。 |
| 始点 |
| 始まりは何であったか・・・・・ |
| 記憶を手繰り寄せ、整理しておきたいならこの一点を想起する。 |
| そこから派生してのちにどんな大事になったとしても、 |
| それは |
| 最初の小さな事実の上に積み上げられた積み木のようなもの・・・・・ |
| 始点はどこであったのか、 |
| それだけは正確につかんでおきたい。 |
| 消えた道 |
| 現役でいる時は、ストレスやアクシデントはあっても |
| とにかく日々歩く道は用意されている。 |
| その道を歩きながら”喜怒哀楽”を味わっていればよい。 |
| しかし、 |
| 引退すると、歩きなれた道が突然なくなってしまう・・・・・ |
| そこからほんとうの”実力”が試される。 |
| 新たな道をつくる知恵と気力がないと |
| 「かつてはここに道があったのに・・・・・」と、消えた道を見ながら |
| 呆然と立ち尽くすことになる。 |
| 差異 |
| 見えるものしか見ない人と、 |
| 見えないものを見ようと努力する人がいる。 |
| 一日や二日では差異は現れないが、 |
| やがて人間としての”品格”の重厚さの違いとなって明らかになる。 |
| 見ているものは同じでも、 |
| どう見ようとしているかは全く別の問題だ。 |
| 能力 |
| 畑づくりの醍醐味は、 |
| 一粒の種が生長していく様子に感動できることです。 |
| 発芽して間もない、頼りなく思われた新芽の驚くべき生命力をみていると、 |
| 何だか生きる元気がもらえているようで、愛おしくなります。 |
| 子育ても今思えば、きっと同じようなことだったんでしょうね。 |
| 人間は |
| 小さな命を育むことに喜びを持てる生き物なのです。 |
| こんなすてきな能力を持ち合わせていることを |
| 最近忘れていませんか・・・・・・ |
| 知己 |
| さすがにそれはできないだろう、と思うことを |
| 平気でやってしまう人がいる。 |
| その無神経さにあきれたり、度胸のよさに驚いたりするが、 |
| 学べることもある。 |
| なぜ自分ならやらないのか、なぜ自分にはできないのか・・・・・・ |
| ”それはできないだろう”と思う根拠をはっきりさせることは、 |
| 自分を知る有効な手段になる。 |
| 決意 |
| 一歩も引かない・・・・不退転の決意と言えば聞こえは良いが、 |
| 堅苦しい、形相を変えた決意の表明は、多くの場合、 |
| 自分だけ浮き上がって周囲の共感は得られにくいもの。 |
| 共感が得られるのは、 |
| 「ここは退いてはいけない場面だ。」とみんなが感じる時だろう。 |
| だとすると、 |
| 先頭に立ってそんな決意を示さなければならないなら、 |
| ”逃げ場はない”という状況を分からせる努力を先にすることだ。 |
| 宝物 |
| ほんとうに大切にしなければならない”宝物”は、 |
| 戸棚や押し入れや金庫の中にしまいこまれているものではない。 |
| 日々の暮らしの中で、 |
| 手あかに汚れ、汗に湿り、傷だらけになってもなお |
| 自分のために役立ってくれているもの・・・・・・・ |
| きっとあるはずの、そんなものを粗末にしていると、 |
| うわべだけ輝く”偽物”に心を奪われる。 |
| 権力 |
| 報じられている大分県の教育界の不祥事・・・・・ |
| 持たせてはならない者に権力を持たせるとこうなる、というお手本。 |
| 自分の人徳からではないのに立場上の”権力”を手にすると、 |
| その切れ味の良さに我を見失い、 |
| 初めは息苦しいと感じていても、やがて泥水の中を平気で泳ぐようになる者がいる。 |
| 手にした権力が強大であればあるほど |
| 泥水も底なし沼のように濁ってくる。 |
| 大なり小なり”権力”を背負う者は、他山の石として心得るべし。 |
| 誠意 |
| 某電気メーカーが自社の石油ストーブの回収広告を繰り返し出していた。 |
| 不具合があり、大きな事故になったからだ。 |
| これだけ誠意をもって対応している、という企業としての計算はもちろんあるだろう。 |
| だが、 |
| 通り一片の謝罪広告ならだれもがするが、 |
| 膨大な費用を使ってここまで繰り返してやれば、 |
| ”誠意”として受け止める人もいるだろう。 |
| 失われた信頼を回復することの難しさを、少なくとも |
| この企業は知ったと思うから・・・・・・・・ |
| ”誠意”は行動で表さなければ伝わらない。 |
| 問 |
| ”見事だ”というのは、見るべき事があり、見る価値があるということ、 |
| そして、どこかに輝くものがあるということ。 |
| 人に見てもらえる仕事はできているか・・・・・ |
| 法則 |
| ほんとうは、手を伸ばせば届くところにあるのに、 |
| それをしないから |
| 欲しいものが手に入らない。 |
| 望みはない、とあきらめた後でいつも気がつく。 |
| わかっているようで、案外わかっていない法則・・・・・ |
| 違い |
| 「また会いましたね。」・・・・・ |
| 「また会えましたね。」・・・・・ |
| 子どもに聞いてもわかるこの違いが、人と人のつながりを左右する。 |
| どちらを使いたい相手なのかを |
| 見誤るな。 |
| 掟 |
| こんな私にだれがした・・・・ |
| 昔、そんな歌があった。 |
| だれがしたのでもない、「こんな私にした」のは紛れもなく”わたし”自身。 |
| 身の不運をだれかのせいにしたくなるのはわかるが、 |
| それは少々身勝手というもの・・・・・ |
| どんな関わりがあったにせよ、 |
| 最後に責任をとるのは自分だと、昔から相場は決まっている。 |
| 悟 |
| 大切なものはしっかりつかんでおかないと |
| すぐに逃げていく・・・・・・ |
| そのことを身をもって知ったときから、 |
| まちがいなく |
| 人は人生の最も深いところを歩いている。 |
| 覚悟 |
| うまくいかないかも知れないことを承知で |
| 頑張ってみるのもいいだろう。 |
| 報われない努力も自分のためだと思えれば腹も立つまい。 |
| いけないのは、 |
| こんなに一生懸命やったのに誰も認めてくれない、と |
| 周囲に不満を抱くこと・・・・・ |
| そうすると |
| 本来味方になってくれる人までも冷たい”敵”に見えてくる。 |
| 伝えるもの |
| 去っていく先輩が後輩に伝えたい、残しておきたいことは山ほどあるだろう。 |
| だが、欲張ってはいけない。 |
| 伝えることは一つでよい。 |
| 何十年もかけて積み上げてきたものを、 |
| そんな短期間で伝えられるわけがないのだから、 |
| 自分をこの仕事に駆り立て、何十年も支えてくれた”思い”を |
| 一つだけ伝えればよい。 |
| 心ある後輩ならば、 |
| それだけで十分やっていけるはずだ。 |
| カレンダー |
| お疲れさまでした。 |
| 今日はどんな一日でした? |
| 思いがけない出会いがあった、まさかと思う失敗があった・・・・ |
| 何事もなく、平穏に過ぎた・・・・・そうですか・・・ |
| いずれにせよ、日々の生活や人生は”日めくりカレンダー”、 |
| 計画を立てるには少し不便ですが、 |
| たとえどんなことがあろうと、今日を頑張って終わらないと |
| 一枚めくって明日にすることができません。 |
| 人生の”日めくりカレンダー”は |
| めくらないと役に立たないし、めくり過ぎても役に立たないもの・・・・ |
| 月ごとのカレンダーばかり見て、 |
| ”一枚めくる”という、大切な作業を忘れてはいけません。 |
| ほどほど |
| 有り余るほどあっても困るもの・・・・・・ |
| お金と才能。 |
| 全部使い切れないうちに、 |
| きっとくたばってしまう。 |
| だから、”ほどほど”がよい、という、持たない者の負け惜しみが |
| 通用する。 |
| 呪縛 |
| かつて背負っていた栄光が大きければそれだけ |
| その呪縛から我が身を解き放つことがむずかしくなる。 |
| もはや誰も、かつて輝いていた人間だとは見てはいないのに、 |
| それでも”栄光”という背景の前に立ちたがる人は、 |
| 背景を持たない“ただの人”になる自分が怖くて仕方がない。 |
| どんな肩書きも |
| その土俵の上だけで役に立つものと心得たい。 |
| 断 |
| 友だちになりたくない人・・・・・・ |
| 花よりだんごと言う人、 |
| ウソはついたことがないというウソつき、 |
| ”教養”を”学歴”と思いこんでいる人、 |
| 立場で仕方なく従っているのに、自分の力だと勘違いする人、 |
| ラブレターを一度も書いたことがない人、 |
| 身を飾りながら、どんどん汚れていく人、 |
| 回り道はしないと言う人・・・・・・ |