雑感 Back-Number10
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| ありふれた・・・ |
| 気がかりだったことを一つ片づけた。 |
| やれやれ・・・・さて、次は・・・・・・ |
| そうやって今日を終わり、明日を迎える。 |
| ありふれた日常は、 |
| そんなありふれた出来事で埋められていくもの・・・・・・ |
| ありふれてはいても、 |
| それが”わたし”の生きるという営み。 |
| 教え |
| 教えを乞う・・・というのは、 |
| 言い換えると”相手に敬意をはらう”ということ・・・・・ |
| 代価としてお金を払うこともあるが、 |
| それとは別のところで”敬意”を失ってはならない。 |
| 自力でその知識や技術を手に入れる大変さを思えば、 |
| 教えてもらえることがどれほどありがたいことか・・・・・ |
| その道で”先に生きている”人を |
| 敬意をもって「先生」と呼ぶ。 |
| 転換 |
| こんなはずではなかった・・・と思いながら日々を送るのは、 |
| どう考えても精神衛生上よくありません。 |
| 予測できなかったのだから仕方がない、と思い直して |
| 今の環境に早く慣れることですね。 |
| だれかのせいにして愚痴をこぼしても事態は変わらないでしょう。 |
| どんな”はず”を思い描いていたのか、の見直しも忘れずに・・・・・・ |
| 期限 |
| ”熟年”というのはいい表現ですね。 |
| 年を重ねて一体何が熟したのか、自分ではよくわかりませんが・・・・・・ |
| たしかに”賞味期限”は切れてしまったようですが、 |
| ”消費期限”にはまだ余裕がありますよね。 |
| 新鮮さはなくなっても、味はまだ大丈夫です。 |
| 学ぶ |
| ”教える”という行為は、学びたい者がいるから成り立つ。 |
| そうでない場合は、 |
| 教えているつもりでも、どこかに押しつけている部分がある。 |
| 教える側に何よりも求められるのは、 |
| 学ぶ者が”学びたい”という状況を作ること・・・・・ |
| ”教える”という意味の中には、そのことも含まれている。 |
| 歌 |
| 出会いの歌より別れの歌が多いのはなぜだろうって? |
| そりゃ決まってるだろう、 |
| 出会いの嬉しさや喜びは人それぞれで違うけど、 |
| 別れの切なさはみんな同じなんだよ。 |
| だから |
| その気持ちを歌った歌は、だれの心にも同じように届くのさ。 |
| みんな似たような体験を持っているってことだろうね。 |
| 過去 |
| 「引く」と「引きずる」の違い・・・・・・・ |
| 動かないもの、動きたくないものを |
| 無理に引くから「引きずる」になります。 |
| だから”過去を引きずる”というのは、 |
| 本来動かしてはならないものを力任せに引っ張っていること・・・・・ |
| あまりよくない意味として使われるのも、もっともな話です。 |
| ”過去”はそっとしておくもので、引きずるものではありません。 |
| 生きている |
| ジャガイモの種イモを植えた。 |
| 小さくて、使い物にならないと思ったイモを畑のすみに捨てておいた。 |
| そんなこともすっかり忘れてしまったころ、 |
| 生い茂った草の中で、彼らが芽を出しているのを見つけた。 |
| 胸を打たれた・・・・・ |
| 思いきり叱られた思いだった。 |
| 見つけてもらおうと、細い茎を精一杯伸ばして |
| ”生きている”ことを主張した彼らに謝りながら、 |
| あらためて畑に植え直してやった・・・・ |
| 曲がりくねって不格好な茎だが、 |
| 先に植えた仲間の横で今、元気に育っている。 |
| 鉄棒 |
| 遠い日、初めて鉄棒で逆上がりができたときの感動を忘れない。 |
| 今思うと、あれはきっと、 |
| 自分の持つ能力への驚きと、 |
| 何かにぶら下がって生きる自分と訣別できた喜びだ。 |
| 一本の鉄の棒を境に、その上と下には違う世界がある、と |
| 初めて知った瞬間でもあった。 |
| 感性 |
| ”きれい”と”うつくしい”はちがうものの見方だ。 |
| ”きれい”と見えるものには客観性があるが、 |
| ”うつくしい”はかなり主観的な評価だ。 |
| だから、きれいであっても美しいとは感じない、妙な現象が現れる。 |
| 対象が物であれ人であれ、 |
| この二つをちゃんと使い分けられる感性を磨きたい。 |
| 指針 |
| 年を重ねることで上達するのは、自分を納得させる術だ。 |
| そんなに無理をしなくても、 |
| 可能性のないことには案外早くあきらめがつく。 |
| 反対に下手になることもある。 |
| 自分を奮い立たせる術だ。 |
| あきらめが早すぎて、叶うかもしれない可能性を自ら断ち切ってしまう。 |
| 人は”あきらめ”と”挑戦”の間を揺れ動きながら葛藤するものだが、 |
| 指針の振れる向きを、ときには確かめたほうがよさそうだ。 |
| 資質 |
| トップに立つ者に要求される資質はただ一つ、 |
| すべてを見渡し、 |
| 必要な一点を凝視する能力・・・・・・・ |
| ゼロ |
| 反比例する関係をグラフに表すと、 |
| その両端は限りなく”ゼロ”に近づく。 |
| が、”ゼロ”には決してならない。 |
| 永遠に続くゼロへの接近・・・・・・美しい世界だ。 |
| 返信 |
| そうか・・・うまくいったんだね。 |
| 親鳥が卵を抱くように |
| 君が懸命に抱いて温めてきたからできたこと・・・・・ |
| 決して偶然なんかじゃない。 |
| しっかり抱いて温めてやれば、 |
| 人だって結構いろんなものを生み出せるんだな。 |
| 告げる |
| 別れを告げられた場面は、 |
| 人生一度や二度ではすまないだろう。 |
| それに比べて、別れを告げる場面はうんと少なかった・・・・・・ |
| 自分の過去をふりかえってそう思える人は幸せだったのかも知れない。 |
| 告げる回数に合わせて |
| 傷つけた人も少なかったはずだから・・・・・・・・ |
| 過保護 |
| 野菜を育てる畑で思う・・・・・・ |
| 過保護に育てられた植物は、根が広がらない。 |
| 根を深く掘り下げ、広げる努力をしなくても |
| 水や養分がもらえるから・・・・・・ |
| だから、強風や大雨であっけなく倒れる。 |
| もともと内包する生存能力を生かしてやらないと、 |
| 植物も人間もダメになる。 |
| ”かわいそうだ”と思えても、ときには水を断つ気迫が |
| 彼らを強くする。 |
| 群れ |
| ヒトはその進化の歴史をみれば、 |
| ”群れ”を作る動物であることはまちがいない。 |
| 他の動物たちとちがうのは、 |
| 一人がいくつかの”群れ”にかけもちで所属していること・・・・・ |
| 自分の属する社会を”群れ”とはけしからん、などと言うなかれ。 |
| 「職場だ、学校だ、サークルだ・・・」などと洒落た名前で呼んでいるが、 |
| リーダーがいて、掟があり、互いに協力する集団は |
| 紛れもない”群れ”である。 |
| それぞれの”群れ”の掟に合わせて生きているだけのこと・・・・・・ |
| その中にいると落ち着くし、「一人では生きられない」とよく言うのも |
| そういうわけだ。 |
| はみ出る |
| はみ出ているから目立つ・・・・・ |
| 目立ちたいからはみ出る・・・・・・ |
| 両者は似ているようだが、明らかにちがう。 |
| だれかが決めた”規格”にあてはまらないことを「はみ出る」というが、 |
| もともとそんな”規格”に沿って生きようとは思わない人と、 |
| どっぷり”規格”の中で生きているのに、「規格はイヤだ」とごねている人と・・・・・ |
| ”はみ出ている”と思える人に出会ったら、 |
| そのどちらなのかを見極めるといい。 |
| 人を見る目はまちがいなく鍛えられる。 |
| 人生訓 |
| ”人生訓”なるものが役に立つのは、 |
| 背中を押してほしいときだ。 |
| 言われなくてもやらなければならないことは分かっている、 |
| だが、最後のふんぎりがつかない・・・・・・ |
| そんなときに目にする”人生訓”・・・・誰の言葉かは知らないが、 |
| 「そうか、そうだ。それしかない。」とヒントをもらい決断できるなら |
| やや鼻につく、わざとらしい“教訓”もいいだろう。 |
| それで救われるなら、 |
| だまって耳を傾ければよい。 |
| 炭と灰 |
| 長い間、自分以外の人のために一生懸命汗を流して働いてきたのですね。 |
| もういいでしょう。十分がんばりましたよ。 |
| 残り少なくなった自分の人生、そろそろ今度は自分のために |
| 楽しく、心豊かに生きてみてはどうですか。 |
| そのために何をするか、がまだ見つかっていないのなら |
| 今から全力で探すべきですね。 |
| 炭ならまだ間に合いますが、燃え尽きて灰になってしまうと、 |
| もう二度と火はつきません。 |
| 求める |
| 自分の価値観や美意識、理想と等質のものを相手に求めると、 |
| たいていの場合、うまくいかない。 |
| 夫婦や恋人同士なら差し詰め”性格の不一致”ということになるだろう。 |
| 元々他人なのだから、当たり前なのだが、 |
| 気付かないうちにそれを求めてしまうことがある。 |
| そして、わかってもらえない、同調してくれないと腹を立てる・・・・・・ |
| そんな”わがまま”にうまく話を合わせてくれる相手がいればよいが、 |
| それはむずかしい話だ。 |
| 最近だれかにそんなものを求めてはいないだろうか? |
| 迷い |
| 迷悟一如(めいごいちにょ)・・・・・・・ |
| 迷いと悟りは本来同じものだ、という仏教の教え。 |
| そう言われても、持て余すほどある迷いが |
| 悟りに変わるとは到底思えないのだが・・・・・・ |
| しかし、 |
| 迷いに迷ったからその後で手に入ったものが輝いた、 |
| ということも確かにある。 |
| それを”悟り”と言うのならうなづける話である。 |
| 「迷う」のは人間の本性で、決して不徳ではない、と |
| 勝手に解釈しているが、 |
| 多くの先人たちが”迷い”とは何か、を探り続けてたどり着いた結論なのだろうから |
| 拝聴しておいて損はない。 |
| 特性 |
| ほめてもらうとうれしい。 |
| けなされると腹が立つ。 |
| 人間は、自分自身には何一つ変化はないのに、 |
| 他人が自分をどう見ているのかが、ヤケに気になる動物である。 |
| だから、 |
| 何とかして相手と人間関係を作りたいなら、 |
| たとえお世辞でもほめられるといい気分になる、という特性を |
| 十分に承知して接することだ。 |
| 教え |
| 野生の動物の親たちが我が子に教えることはただ一つ、 |
| ”生きる術”である。 |
| 時には過酷とさえ思える厳しさでそれを実行する。 |
| 顧みて人間はというと・・・・・ |
| 自分が我が子たちに教えたことは何だったのか・・・・・・ |
| 子どもに聞くわけにはいかないその答えをあれこれ思案するのも、 |
| 巣立ちを終わらせたあとの親の務め。 |
| ”生きる術”は間違いなくちゃんと伝えたか? |
| 教養 |
| 調子がいいとヤケに上機嫌だが、 |
| 虫の居所が悪いと寄り付けなくなる人がいる。 |
| そんな人が職場の上司なら最悪だ。 |
| 所詮、人の上に立つ器でない者がそこへ立つと、 |
| 四方がひどく迷惑する、ということは、 |
| 本人以外ならみんな知っている。 |
| 己の器の大きさを知るのも”教養”である。 |
| 時計 |
| 男が腕時計にこだわる心理は二つある。 |
| 一つは、“時”という闘うべき手ごわい相手を常に意識して暮らしている習性から、 |
| もう一つは、 |
| 小さな容器に詰め込まれたメカニックのすごさを価値として認めているから・・・・ |
| だから、 |
| 何カラットものダイヤを埋め込んだからと言って欲しいとは思わない。 |
| ”機能美”ともいえる美しさを持つ時計が欲しくなる。 |
| 出会って一目ぼれ・・・・・ |
| 多くの場合、それが購入の動機となる |
| 酒 |
| ヤケ酒を呑んでも、問題は一向に解決しない。 |
| 二日酔いという代償を払って、しばし忘れることができるだけだ。 |
| だが、 |
| たとえ寸時でも、この”忘れる”という作用のおかげで、 |
| 何とか次の日に起き上がる力が生まれることはよくあること・・・・ |
| わけもなく、無茶苦茶に呑みたくなったら、呑めばよい。 |
| 二日酔いの苦しみはあるだろうが、 |
| 心の二日酔いは少し軽くなる。 |
| ・・・・・酒は忘憂の徳あり・・・・・ |
| (曽我物語より) |
| 看板 |
| 人間も一人ひとり自分の”看板”を背負って生きている、と言います。 |
| それはたぶん本当でしょうね。 |
| 他人はその看板を見て中身を判断するので、 |
| 自分の看板の”ブランド力”を高める努力をみんなやっているわけですが、 |
| ウソやごまかしで表面を塗ってしまうと |
| やがて看板の信用は地に墜ちる・・・ということは |
| 最近の某店の閉店のニュースが証明しています。 |
| 自分の背負っている看板には何が書かれているのか、 |
| 一度見ておいたほうがよさそうです。 |
| ふだんは背中にあるので見えないのですが・・・・・・・ |
| 夢 |
| 夢は実現するためにあるのではない。 |
| 実現に向かって努力するためにある。 |
| そのちがいをはきちがえると、 |
| ”所詮夢だった・・・”などと情けないセリフを吐かなくてはならなくなる。 |
| 「夢を持て」と言うのは、 |
| 努力する目標を持て、ということ・・・・ |
| ろくに努力もしないで、結果としての実現を求める怠惰を |
| 戒める言葉である。 |
| 先生 |
| まわりの人すべてが”先生”で、 |
| こちらが教えることは全くなく、ただひたすら教えてもらう・・・・・ |
| 新人や新任者なら誰もがそれを経験する。 |
| 今までどんな肩書や経験を持っていたとしても、 |
| 何の役にも立たない、どころか返って邪魔になる。 |
| 山里に暮らしはじめて、 |
| まわりがみんな”先生”で、ひたすら聞いて教えを乞う、という |
| かつて味わったことのない爽快感と心地よさを味わっている。 |
| 食料を手に入れ、厳しい自然と向き合い、生きていくということに関しては、 |
| 自分は全くの”素人”だと思い知らされるから・・・・・・・ |
| 今日と明日 |
| いろんなことはあったが、 |
| とにかく”今日”という日は終わった・・・・・・ |
| そう思える時間を、あなたはだれと迎えているのだろうか。 |
| 家族や恋人と・・・それもいいだろう。 |
| 一人で・・・・・それも味がある。 |
| 今日を”今日”として終わらせておかないと |
| 明日は今日のしっぽをまた引きずることになる。 |
| ”今日が終わった”と区切りがつけられるから |
| また新しく明日が迎えられる。 |
| 反省 |
| 何百、何千という過ちを犯しながら、人は成長するものです。 |
| ”反省し学ぶ”という、人間らしい能力のおかげです。 |
| だから |
| 失敗や過ちやヘマは、成長を手に入れる代わりに払う”税金”だと思えば |
| そう落ち込むこともないでしょう。 |
| ただし、”反省”できなければ、 |
| ただの落ちこぼれになってしまいますが・・・・・・・ |
| 電球 |
| 白熱電球は電気を喰うので、蛍光灯に代えよう・・・と叫ぶ者がいる。 |
| バカなことを言うものではない。 |
| たった一つの白熱電球の下でおじさんたち世代の歴史が創られた・・・ |
| そんな記憶まで消してしまおうと言うのか。 |
| 家族のささやかな団欒も、受験勉強も、冠婚葬祭も、 |
| 日々の暮らしはみんなあの電球の元で行われたのだ。 |
| あの電球の下で見る家族や友人や恋人の顔は、ほのかに赤みがさしていて、 |
| 温かいぬくもりが感じられたものだ。 |
| 蛍光灯の青白い、冷たい光ではそうはいかないだろう。 |
| 環境対策の意味は理解できるが、 |
| 少なくともおじさんたち世代が生きている限り、白熱電球はなくしてはならない。 |
| 教え |
| わけは聞かなかったが、 |
| 「夜、爪を切ってはいけない。」と、幼い頃、祖母から教わった。 |
| 「歯が抜けると、上の歯は床下に、下の歯は天井裏に置け」ということも、 |
| 「秋の蚊は”哀れ蚊”だから殺してはいけない」とも教わった。 |
| 科学的には何の根拠もない話なのだろうが、迷信だなどとは思わず |
| ”へぇ、そうなのか”と素直に信じた幼少時代があった。 |
| あのころ、疑いもせず、先人の教えを素直に受け入れた経験が |
| 人間として何か大切なものを育んでくれた・・・・と、 |
| 夜、伸びた爪を切りながら思う。 |
| 上げ底 |
| 分量を少しでも多く見せようと容器を“上げ底”にする・・・・・ |
| そうだとわかると、信じて求めたのに何だか裏切られた気持ちになる。 |
| 我々人間とて同じこと・・・・ |
| 度量や見てくれを飾って、自分を大きく見せようとするのは、 |
| 人間としての器を”上げ底”にしているようなもの・・・・・ |
| ”上げ底”はどう外見を偽装しようが |
| ふたを開ければいずれ見破られる。 |
| 何も飾らず、あるがままの自分でいいではないか。 |
| 誇り |
| 誰しも自分の仕事に愛着はあるだろうが、 |
| 「誇りはあるか?」と問われるとどうだろう。 |
| 誇りをもって仕事をしているのか、 |
| それとも“仕事だから・・・”と割り切ってやっているのか、 |
| 両者を分けるものは、 |
| 本務ではないと思えることに労をいとわず、見返りも求めず、汗を流せるかどうか、 |
| ただその一点のみ・・・・・ |
| 問 |
| 綺麗かどうかは、目が決める。 |
| 美しいかどうかは、感性(心)が決める。 |
| そう言われてみると思い当たりませんか・・・・・・ |
| におい |
| 草むらに寝ころがると、草のにおいがする。 |
| 春にはやわらかい春草の、夏にはむせ返る夏草の、 |
| 秋には枯れた秋草のにおいがある。 |
| 言葉ではなかなか表わしにくいのだが・・・・・・・ |
| 幼いころにあのにおいを体験したか、どうかは、 |
| やがて自分の身の置き所を決めるときに |
| 大きな影響を持つような気がしてならない。 |
| 意思 |
| 晴れたり、曇ったり、雨が降ったり・・・・ |
| 天気は気まぐれに刻々と変わっているように見えるが、 |
| 実は、必ず西から東へと変化していく法則を守っている。 |
| 変化しながらも、一本貫く意思を持っていれば、 |
| 表面にどんな形で現れようと、”自分”は描ける。 |
| 貫く意思があるのか、ないのか、 |
| 目先の変化に翻弄されているなら、自分に問うことだ。 |
| あるのなら、黙っていてもやがて雲が消え、晴れてくる。 |
| 足し算 |
| 1+1=2となるのは若いうちで、 |
| 年とともに1+1=1に近くなる。 |
| 夫婦二人でようやく一人前・・・・・ |
| 二つのことを片づけてやっと一つの事が成る・・・・・ |
| ずいぶん無駄なことのようだが、 |
| その分、1(ひとつ)に対する思い入れは強くなる。 |
| 足し算の答えが狂い出したな、と感じるようになったら |
| 心得ておくべきだ。 |
| 一つだけあれば十分なのだ、と・・・・・・・・ |
| 予報 |
| ”こりゃあ雨になる風だで・・・・・” |
| 長年土とともに生きてきたおばあちゃんが言う。 |
| 当然のことながら、私にそんな予知能力はない。 |
| その言葉どおり、夜から雨になった・・・・・ |
| なぜわかるのか、などと野暮なことは聞くまい。 |
| それが”土とともに生きる”ということ・・・・ |
| 畑や田んぼを作る人たちが、天気予報などない時代から長い間に |
| 研ぎ澄ましてきた感覚なのだから、 |
| 素人の出る幕はない。 |
| 鶏口牛後 |
| むしろ鶏口と為るも、牛後と為る勿れ・・・・・・・ |
| 大きな組織のなかで軽んじられるよりも、 |
| たとえ小さくてもそのトップに立って思う存分活躍しなさい、という教え。 |
| 失敗のリスクはあるが、自分らしさを失いたくなければ、 |
| いつも心の中に置いておきたい言葉だ。 |
| 気持ち |
| ”負けたくない”という気持ちは、 |
| 似てはいるが”勝ちたい”という気持ちとはちがう。 |
| 一人置いてけぼりになるのはイヤだ・・・・・ |
| そう思うとき、人は何かを目標にして追いつこうとする。 |
| 負けているわけではないのに、そう思う。 |
| 抵抗 |
| 一度は逆らってみてもいいだろう。 |
| 逆らいながら、相手の言うことのなかに、 |
| 自分が見落としていたものはなかったか、とよく考えてみることだ。 |
| 思い当たることが見つかれば、 |
| 次はもっと仲良くやれる。 |
| 損 |
| 何も飾らず、ありのままが一番美しい・・・・・ |
| 本気でそう思っている人は結構いるのに、 |
| なぜか、耳を貸さない人がいる。 |
| ずいぶん損をしていると思うんだが・・・・・・・ |
| 徒労 |
| 掘っても掘っても何も出てこないのは、 |
| 掘り方が悪いということも稀にあるが、ほとんどの場合、 |
| そこには何もなかったからである。 |
| 腹を立てるまえに、そう考えればよい。 |
| ありがとう |
| ・・・・・・ |
| 君は手をふりながら、 |
| いつも笑っていた・・・・ |
| 1枚の絵のように、遠い日の記憶に残る人がいる。 |
| 自省 |
| ・・・・・・・ |
| 巧みにことばをあやつり、故意であろうとなかろうと、 |
| ”にせもの”を”本物”だと説いたことはなかったか? |
| 道筋 |
| ふらふらして足腰が定まらなければ、 |
| どこへ行ったって落ち着くことはあるまい。 |
| ”ここだ”と決めて腹をくくって、そこへ根を張る覚悟を持つと、 |
| 根が伸びていくのに合わせて、日々の生活が |
| その場所の空気や水になじんでいく・・・・・・・ |
| ”他所者”が”在所者”になる道すじだ。 |
| 絵 |
| 優れた画家の絵を見ていて気付くことがある。 |
| 言葉で伝えるメッセージは、歩留まりはあっても読めば誰のところへも届く。 |
| だが、画家が伝えたいメッセージは、 |
| それを受け止める”感光紙”を持たない人には、ただのきれいな絵でしかない。 |
| 美術評論家といわれる人の説明で初めて作者の意図がわかるのだが、 |
| それでも画家は絵を描き続け、それを求める人が絶えないのは、 |
| きっと”絵”は人類が初めて手に入れた表現手段だからだろう。 |
| 太古の洞窟の壁画をみても分かるが、 |
| まだしゃべれない幼子が無心に描く”絵”から |
| 親は何とか子どもの意図を探ろうとするではないか。 |
| 上手い、下手は問題ではなく、 |
| 描くことが大切なのだ・・・・・・ |
| 趣味の日曜画家も自信を持ってよい、と思う。 |
| 汽車 |
| 汽車に乗っていく・・・・・・ |
| 電車とは言わず、そう言うのがしっくりくる最後の世代だろう。 |
| ”SL”などというシャレた呼び方は、電車で育った者たちのセリフで、 |
| おじさんたちには”汽車”なのである。 |
| 煙とススで、決して快適ではなかったが、 |
| 「乗せてもらっている」と感じさせる重厚な存在感があった。 |
| 今、観光路線を遠慮がちに薄い煙を吐きながら走る彼らを見ていると、 |
| ”見世物”になってしまった淋しさが見えてしまう。 |
| 速さと快適さでは電車に勝てないが、 |
| 旅にはやはり”汽車”が似合うのだ・・・・・ |
| 野草 |
| 山里に咲く野草・・・・・・ |
| 何の迷いもなく、だれを当てにするでもなく、 |
| ただ黙って静かに咲いている。 |
| 持ちきれない迷いを抱え、うろたえ、わめき叫ぶ人間の営みを、 |
| 君たちはどう見ているのだろう。 |
| 人知れず咲く野草に向き合うと |
| なぜかこんなことを考えてしまう。 |
| 君たちにはとうてい勝てないなぁ・・・・・・・・・ |
| ・・・・・・・・ |
| あるがまま雑草として芽をふく |
| ひっそりと咲いて散ります |
| 山頭火 |
| 問い |
| 人は年を重ねると、2種類の人間に分けられるようだ。 |
| 感動する心にますます磨きがかかる人と、 |
| 感動するということから遠ざかっていく人と・・・・・・ |
| 前者は言う・・・どんなものにもすべて命があるんですね・・・・・・・・ |
| 後者は言う・・・よほどのことでないと驚かなくなりましたよ・・・・・・ |
| ”老いる”とは、いったい何なのだろう。 |
| 資質 |
| 逃げ出してしまえばよかったのです。 |
| そしてきれいさっぱり忘れてしまえばよかったのです。 |
| なのに、どうしてそうしなかったのですか? |
| そうですか・・・・卑怯だと思ったのですね。 |
| 逃げ出したくなる事態に遭遇したとき、 |
| 自分のことをそう思えるかどうかが、 |
| 人としての“資質”を決める分かれ目のような気がします。 |
| 荷物 |
| いつの間にそんなに貯め込んだのですか? |
| さぞ重かったことでしょう。 |
| 人の好いあなたのことだから、きっと断れずに |
| みんな一人で背負い込んだのでしょうね。 |
| でも、 |
| もうそろそろ、その荷物も下ろしてもいいんじゃありませんか。 |
| その荷の重さに耐え、もう十分守ってきたじゃありませんか。 |
| これから背負うものは他人のためのものではなく、 |
| あなた自身のためのものになさるべきです。 |
| 肩に食い込んでいる、その荷物がそう教えてくれています。 |
| 自分のために・・・・・そうしたからと言って、 |
| だれもあなたを責める者などいません。 |
| 小人 |
| ヒマを持て余すとロクなことはない、と言うが、 |
| 持て余すからであって、ヒマは余るほどあったほうがいい。 |
| どう使うか、その使い方で”教養”は試されるが・・・・・・ |
| 「暇(ひま)」とは、 |
| 義務や仕事に縛られない自由な時間だと普通は思うが、 |
| 何かをするのに必要な時間、という意味もある。 |
| 手間暇をかける・・・・本を読む暇もない・・・・・ |
| 小人閑居為不善(小人閑居して不善を為す)・・・・・・・・ |
| 耳の痛い人はまだまだ自分は”小人”だと心得たほうがよい。 |
| 深追い |
| 離れていくものは、いくら呼びとめても止まらない。 |
| ふり向くことはあっても・・・・・・・ |
| 残念だが、それが現実だ。 |
| かつて未練で深追いした苦い経験がそう教えてくれる。 |
| 去っていくものの足音は、 |
| だまって静かに聞くしかない。 |
| 教え |
| 何百年も生きてきたといわれる巨木を見るがいい。 |
| ゴツゴツしたこぶだらけの木肌、不規則に曲がった根元、 |
| 風雨に折られた枝、朽ちてムロになった幹・・・・・・・ |
| その木本来の整った姿とは程遠い、不格好な姿だ。 |
| だが、満身創痍の、その不格好な姿こそ、 |
| 物言わぬ彼らが風雪に耐え、生きてきたという証しだ。 |
| 生きるということに関して、その姿に教えられることがある。 |
| かくもぶざまに、しかし、したたかに大地に根を広げる営みを |
| 彼らは一度もわれわれに強要などしないのだが・・・・・・・・ |
| 賞賛 |
| 思いつきやひらめきに優れた能力を発揮する人がいる。 |
| そんなものはないが、誰かが発案したことの実行に |
| 優れた実務の能力を見せる人がいる。 |
| どちらが欠けても、大きな仕事はできない。 |
| それなのに、どういうわけか事が成ったときに賞賛されるのは |
| 決まってアイディアを出した人になる。 |
| それを許している組織は |
| やがてその不公平な評価のしっぺ返しを味わうことになる。 |
| 平凡 |
| 眠れない夜は誰にもあるもの・・・・・ |
| だから安眠できることは幸せだと感じる。 |
| トラブルに巻き込まれた経験は誰にもあるもの・・・・・ |
| だから平穏な日々のありがたみが身にしみる。 |
| ほんとうの価値は、 |
| それを失ったときにはじめてわかるということ。 |
| 気づいたときにはすでに手遅れということにならないためにも、 |
| 今自分が持っている”平凡さ”を愛おしむことだ。 |
| 波風のない平凡さは、わくわく、ドキドキする刺激や期待とはほど遠いが、 |
| そのかわり |
| 少々の風雨では倒れない根の強さを秘めている。 |
| 空隙 |
| ここまで来たらもう安心だ・・・というところで何かが起きる・・・・ |
| これがドラマの手法で、展開をおもしろくする常套手段だが、 |
| 平穏な日常の日々が突然の出来事で乱されるのはよくあること、 |
| 乱れてうろたえた経験はだれにもある。 |
| ドラマと日常生活がちがうのは、日常生活では、 |
| 突然襲ってくる変事を予測できないということ・・・・・ |
| だから、 |
| いつどんな事態になっても対応できるように、 |
| 人の心には”あそび”と呼ばれる空隙スペースが用意されている。 |
| そこにまで何かを埋め込むような、過密な生活をしていると |
| いざというときに、首が回らなくなる。 |
| 達人 |
| やりたいことを先送りしているヒマはない。 |
| 残された時間や体力、気力の残量を考えれば・・・・・・・ |
| 今やっておかなければ、きっと後悔する、そう思わせる衝動があるなら、 |
| 迷わず決断をすべきだ。 |
| いろいろ不安はあるだろうが、行動を起こせば |
| なあに、必ず何とかなる。 |
| やりたいことはみんなやった・・・満ち足りた顔でそう言える老人になりたい。 |
| 人生の達人とは、そういう人のことを言うのだろう。 |
| 上を向いて |
| 人はどういうわけか、寂しくなると上を向く・・・・・というのは本当です。 |
| 空を見上げたり、夜空の星を見たり・・・・・何か大きなものを見上げたくなるのです。 |
| それはきっと、 |
| 下を向いて見えるものでは心のすき間が埋まらないからでしょう。 |
| もっと大きな、広いものでないと、 |
| ”こころ”というキャンバスにできた空白をうめることはできません。 |
| ”上を向いて歩こう”という歌が人々の心から消えないのは、 |
| きっとそんな理由からだと思います。 |
| 一人のために |
| 万人のために・・・・などというのは、どうもウソくさい。 |
| 他者のために、と言うのなら、 |
| 人間は常にたった一人の誰かのために生きている。 |
| その一人が、時や場合によって変わるだけだ。 |
| 1分であったり、1年であったり、一生であったりと、時間の長短はあるだろうが・・・・・・ |
| その証拠に、 |
| 同時に二人以上の人間のことを心配したり、愛したりすることはできないだろう。 |
| だから、心おきなく |
| 今自分の目の前にいる人のことだけを考えて動けばよい。 |
| 景色 |
| 若いころは考えたこともなかったが、 |
| この年になって、旅に出ると思うことがある。 |
| よほどのことがない限り、再びこの地を訪れることはもうないだろう、ということ・・・・・ |
| すると、今見ているこの景色は、 |
| これが見納めになり、もう二度と見ることはない、と思えてくる。 |
| 単なる感傷だと笑えばすむ話だが、 |
| しかし、そう思って見ていると、 |
| どんなありふれた景色でも、いとおしくなるものだ。 |
| 残された時間に比例して、 |
| 見ておかなくてはならないものが少なくはなるが、 |
| 風景や景色に向き合うときにも |
| ”一期一会”はある、と心得たい。 |
| ・・・・・・・・ |
| また見ることのない山が遠ざかる |
| 山頭火 |
| おもちゃ |
| できればずっと大事に使ってほしいが、 |
| 買い与えた”おもちゃ”は、どんなに高額な物でも、欲しかった物でも、 |
| 1か月もすれば見向きもされなくなる。 |
| ”おもちゃ”とはそういうものだ。 |
| 子どもや孫におもちゃを買ってやったり、小遣いを与えたりするのは、 |
| それを手にした時の「ときめき」という、大切な喜びを教えてやるためだ。 |
| 間違っても、 |
| 「物を大事にしろ!」などという大人の理屈を |
| はなから押しつけてはならない。 |
| 考察 |
| きつねうどんの食べ方には3通りある。 |
| 決め手は「あぶらあげ」をいつ食べるか・・・・・・ |
| 最初に食べる人、うどんと並行して食べる人、最後に食べる人。 |
| バカな話だが、これでその人のおよその性格がわかる。 |
| そもそも、なぜうどんの中に味付けをしたあぶらあげが入っているのか、 |
| それを考えてみると3様の食べ方のちがいが意味付けできる。 |
| たかがうどんだ、と軽んじてはならない。 |
| きつねうどんの食べ方にはまちがいなく”哲学”がある。 |
| 問答 |
| この先どうなるんでしょうねぇ・・・・・ |
| それはわかりませんが、行くしかありませんね。 |
| まあ、ここまでは何とか来たんですから、 |
| これからも何とかなるでしょうよ。 |
| 明日はあしたの風が吹く・・・・ |
| あまりくよくよしないで、ひとつ背伸びでもして、 |
| またがんばりましょう。 |
| そのうちきっといいこともありますよ・・・・・・・ |
| 定理 |
| 自分が十分に満たされ、幸せだと感じるときに、 |
| 他人の幸せを羨むことはない。 |
| もちろん他人の不幸を望むこともない。 |
| だが、 |
| 自分の器に穴があき、満たされていたものが漏れ始めると |
| とたんに誰かのせいにしたくなる。 |
| 穴のない器を持つ者の笑顔に腹が立ってくる。 |
| 人間は表面をどう取り繕っても、究極のところ |
| どうしようもない自己中心的な生き物なのである。 |
| この定理を身をもって知ったときから、 |
| 人はようやく一人前の”人間”になれる。 |
| どう使うかによって”品格”はちがってくるが・・・・・・・・ |
| 感謝 |
| 生まれてきてくれてありがとう・・・・・・ |
| そう言える親は幸せだ。 |
| 生んでくれてありがとう・・・・・・ |
| そう言える子どもも幸せだ。 |
| どんなときにそう思うのか、を考えると、 |
| ふだんしておかなければならないことがわかる。 |
| ”感謝する”という言葉の、最も深い意味が |
| そこにある。 |
| 誕生(生まれた孫へ) |
| 生まれてはじめて君がその眼で見たものを、覚えているか。 |
| 紅葉のようなその小さな手で、しっかり握りしめていたものを |
| 覚えているか・・・・・・・ |
| 君の誕生にこめられた熱い願いや祈りに応えるためにも |
| 君がはじめて見たものを決して忘れるな。 |
| はじめてその手で握った母の手のぬくもりを忘れるな。 |
| あどけない君の顔をのぞきこむ父や母に |
| そのささやかで小さな意志が伝わるように |
| しっかり覚えておけ。 |
| それが生まれてきた君の、この世で最初の仕事だ。 |
| 春 |
| 今、君が足で踏んでいるその小さな花を見てごらん。 |
| 長い冬を乗り切って、ようやく春になって、 |
| つい先ほどまで、”さあ、これから伸びるぞ”と張り切っていた花だ。 |
| 君に踏まれては伸びかけた芽もきっと折れたことだろう。 |
| 名前も知らない花だが、彼の今年の春は一瞬で終わった・・・・・、 |
| そう・・・・そういうことだ。 |
| 浮かれて野山に繰り出すのはいいが、 |
| 自分の足が多くの小さな命や彼らの夢を踏みつぶしている、ということを |
| 忘れないでおこう。 |
| めったに弱音を吐かない、たくましい彼らだが、 |
| きっと何か言いたいことがある。 |
| 仕事 |
| やりたくもない仕事を任されることがある。 |
| 部下や同僚の冷たい視線を浴びるだろう・・・・・ |
| 完璧にこなしてもだれも「よくやった」とは言わない・・・・ |
| 何のためにそんなことを?と、その目的が信じられない・・・・・ |
| いやだ、できないと断れば、あちこちで気まずい思いを強いられる・・・・・・ |
| 長い間仕事をしていれば、そんなことにもぶち当たる。 |
| そんなときどうするか、の判断はむずかしいが、 |
| ただ一つ言えることがある。 |
| 自分が断れば他のだれかにこの仕事が回っていく。 |
| それを良しとするかどうか・・・・・ |
| ライバル |
| いつ如何なる場合も例外なく、闘うべきライバルは |
| 他のだれでもない、自分自身である。 |
| 近づき、乗り越える目標としての人物がいたとしても |
| 優越感や劣等感をあやつりながら生き方を決めるのは”彼”ではない・・・・・・ |
| 弱い自分がもう一人の強い自分を目標にして |
| 全力を尽くして挑む・・・・・・ |
| 胸に手を置けば誰しも経験のあることだ。 |
| 勝ち負けは、一見”ライバル”に見えるその人物が決めてくれる。 |
| 自分が最大のライバルだ、という意味はそういうこと。 |
| 役目 |
| どう考えても”聖人君子”ではありません。 |
| 両手に抱えきれないほどの煩悩を背負い、 |
| ヘマや失敗は日常茶飯事、周囲に心配や迷惑をかけ、 |
| これといった特技もなく、わがままで、頑固で、世間知らず・・・・・・・ |
| こんな私でも生きているということは、 |
| きっと何か特別な役目が用意されているのでしょうね。 |
| 誰も教えてくれないのですが、 |
| こんな私でも何かの役に立つ場面がきっとあるのでしょう。 |
| こんなことだったのか、と気付くまで |
| がんばって生きてみます。 |
| 子育て |
| 子育ては大変だ、というのは、それを周囲で見ている者たちのセリフである。 |
| 当人たちはそんな言葉で感じることは決してない。 |
| 日々成長していくわが子を見守り、世話をすることが何で”苦労”になるものか・・・ |
| その証拠に、無事に子育てを終わったあと、 |
| そのころのてんてこ舞いの忙しさの記憶など、きれいさっぱり消えてしまっている。 |
| 人には誰にも、わが子を育てる際の忙しさや心配や疲れを |
| ”苦労”とは感じない感覚回路が備わっている、ということを |
| 忘れないでおこう。 |
| 子どもを育てる営みはそういう仕組みになっている。 |
| 鉄則 |
| いくら自己中心的だといわれてもいいから、 |
| 自分のことだけを必死で考えなければならないときがある。 |
| そのために、周囲の人に迷惑をかけることもあるだろう。 |
| だが、そんなことは後で誠意をもって謝れば済む。 |
| まっ先にやらねばならない肝心なことは |
| 自分をどう立て直すか、 |
| 生きる拠り所となるものをどうやって手に入れるか、 |
| 思い切って捨ててしまわなければならないものは何か、 |
| どんなことがあっても手放してはならないものは何か・・・・・・ |
| これらの問いにきちんと答えを出すことだ。 |
| そうすることが |
| こんな自分でほんとうにいいのか・・・・と、己を見失いかけたときの鉄則である。 |
| 知恵 |
| 互いに逃げ場のない濃密な人間関係は |
| 時に窮屈で息苦しい。 |
| 学校、職場、地域・・・・そんな関係が生じる場はいくらでもある。 |
| だれもがそう思いながら生きているのだから、 |
| 不要な摩擦を避けたり、円満に付き合う術を身につけたりする知恵は、 |
| 必ずある。 |
| ”社会”と無関係に生きるなど、とうてい不可能なことだとわかれば、 |
| そういう知恵を積み上げていくしかないだろう。 |
| 考え、学ぶという行為は、そこから始まる。 |
| 私 |
| 逃げ出そうと思えばできたのに、そうしなかったために苦労した・・・・・ |
| あのとき、後ろ向きになろうとした足を止めたものは何だったのか、 |
| それを突き詰めると”私”が見えてくる。 |
| 若いころは混沌として全容の見えなかった自分という人間の |
| 本質に近いものがそこにあるからだ。 |
| 逃げ出したくなる気持ちと向き合ったときに |
| ほんとうの”自分らしさ”が現れる。 |
| 答え |
| 苦しい時、思わず”悲鳴”をあげたくなる。それはわかる。 |
| しかし、悲鳴をあげてもスッキリはしないし、問題はちっとも解決しない。 |
| 理不尽な仕打ちや冷たい視線があるのなら |
| 迷わず戦え! |
| 力の限り戦え! |
| 矢傷や手傷を負うことは先刻承知・・・・ |
| それでも”悲鳴”だけはあげてはならない。 |
| 叫び出したくなる辛さがあるのなら、 |
| それで相手と戦う刃を研げ! |
| 大きな相手は悲鳴では動かない。 |
| ちがい |
| ”わびしい”と”さびしい”は似てはいるがちがう。 |
| さびしいからわびしいとは限らないが、 |
| わびしいときは、ほぼまちがいなくさびしい。 |
| ちがいは何か? |
| 自分の腑甲斐なさを責め、情けないと思うときが”わびしい”・・・・・・ |
| だから |
| 人は”さびしさ”には耐えられるが、 |
| ”わびしさ”にはそう長くは耐えられない。 |
| さすが・・・・ |
| さすがだ、百戦錬磨とはこういうことか・・・・と |
| うならせる人がいる。 |
| そんな人を見ていて気付くのは、 |
| ここぞというときの決断の速さと正確さだ。 |
| 一朝一夕にそうなったのではないとわかっていても、 |
| 迷いやためらいに翻弄されるわが身の未熟を顧みれば潔く脱帽である。 |
| そんな達人に近づきたいなら、 |
| つべこべぬかさず、黙って教えを乞うことだ。 |
| 手取り足取り教えてもらえなくても、 |
| 後ろについて行くだけで学べることはある。 |
| 花 |
| 日陰に植えた花は |
| 何日かすると身の不運をなげくこともなく、 |
| ちゃんと日の差す方を向いて花をつける。 |
| けなげに日光を求めるその風景に心を打たれる。 |
| ”生きる”とはそういうことだ。 |
| 人生 |
| 「思い出」・・・・・いい言葉だ。 |
| 「思い出す」ということは、一度は忘れてしまったということ。 |
| 忘れたはずなのによみがえってくる・・・・・・ |
| そのことに感動するから、特別な記憶として「思い出」と呼んでいる。 |
| そんなものをいくら貯め込んでも生活の糧にはならないが、 |
| 人生に彩りを与えてくれ、豊かな気持ちにしてくれる。 |
| 望んで手に入るものではない。ましてお金で買えるものでもない。 |
| だれかと共有することはあっても、 |
| 決して人に譲り渡すことのない、自分だけのもの・・・・・ |
| ・・・・・・・・・・ |
| ”思い出”をつなぎ合わせていく営みを”人生”という。 |
| にぎる |
| 愛する者のために”おにぎり”を握ったことのある人ならわかることです。 |
| あれは単に米を握っているのではありませんね。 |
| あなたは大切な人だというメッセージも込めて握っているのです。 |
| だから、おにぎりを食べていると、 |
| 握ってくれた人と心の会話ができて、幸せな気持ちになれるのです。 |
| 理屈抜きに「おいしい」と感じ、 |
| 思わず「ありがとう」と言いたくなるものを”おにぎり”と呼びます。 |
| そうでないものは、形や味が似ていても |
| それはただの携帯に便利で食べやすい飯にすぎません。 |
| 見返り |
| 親は見返りを求めて子育てをするのではない。 |
| 無償の行為が子育てだ。 |
| 期待もしていなかった見返りは、 |
| 育てた子どもが大きくなって、何年か先に思いがけず届く。 |
| 大変な子育ても無意味なことではなかったと、 |
| その時になって気が付く・・・・・・・・ |
| 成長した子どもが贈ってくれる見返りは、 |
| 苦労した時間や悩んだ時間に見合うものに |
| ちゃんとなっている。 |
| ものさし |
| 新人がベテランと呼ばれる人から学ばなければならないのは、 |
| 物事や人物を計る”ものさし”だ。 |
| 持ち合わせている一つの”ものさし”ですべてを見ようとすると、 |
| 必ず計れないものが現れ、混乱してしまう。 |
| ベテランは、多様な”ものさし”を局面に合わせて用意するのだが、 |
| そのことにいち早く気づいた新人だけが、 |
| ベテランと呼ばれる先輩の後をついていける。 |
| 夫婦 |
| 結婚とは、 |
| 一緒に何かをする必要を少しも感じないのに、 |
| なぜか一緒にいるということ・・・・・・・ |
| ふだんは考えることもないが、 |
| そのことに気づいたときにどうするかで、 |
| 二人の関係の先行きが決まる。 |
| こんなもんだろう、と考えるか、 |
| これはおかしい、と考えるか・・・・・・ |
| 処方箋 |
| 「さようなら」は通常相手を見ながら言うものだが、 |
| 後ろを向いて小声で言う「さようなら」もある。 |
| 相手には届かない、そんな別れの言葉を口にした経験は、 |
| 人として豊かになるために心を耕す処方箋となる。 |
| それはさびしさと切なさを十分味わったかわりに |
| まちがいなく誰にも等しく付与される。 |
| 逆立ち |
| 逆立ちしても勝てない・・・というが、 |
| 逆立ちをするから勝てない。 |
| 勝ちたければ、奇を衒わず、堂々と向き合うべきだ。 |
| そうすれば仮に勝てなくても、負けることはない。 |
| 相手と正対しないで、相手の急所は見えない。 |
| 渦 |
| 渦中にまきこまれているとわかりませんが、 |
| 一度渦の外に出てみると、 |
| その渦の規模や動きが手に取るようにわかるものです。 |
| 渦中からの脱出はむずかしいかもしれませんが、 |
| なぜこんなにもみくちゃになるのか、と思うなら |
| 一度出てみるしかありませんね。 |
| 輝くこと |
| 使い古しのエンジンでも |
| 新鮮な酸素と燃料を十分に補給してやればまだ元気に動く。 |
| 使い込んで少しくたびれた人間も |
| 新しい夢と気力を補ってやればまだまだその人らしい活躍はできる・・・・・ |
| そう自分に言い聞かせて |
| これから生きようとしている人たちがいる。 |
| そんな決意を負け惜しみにしないためにも |
| ぜひ輝いてみせてやりたいものだ。 |
| 誰かのためでなく、自分のために・・・・・ |
| 役目 |
| 目に入れても痛くない、と言われる孫のために、 |
| 祖父母がぜひともしてやらなければならない役目がある。 |
| 孫たちの記憶の中にしっかりと生きてやることだ。 |
| そのために何をするか・・・・それはさまざまあってもいい。 |
| だが、肝心なのは |
| 祖父母と共に過ごした時間が、その後の孫たちの人生に |
| 一幅の風景画として残っていくようにしてやること・・・・・ |
| 彼らは時折それを見ながら、受け継がれてきた”命”の絆を思い起こす。 |
| じいちゃん、ばあちゃんの役目はただその一点のみ。 |
| 合図 |
| 何かがまた一つ終わった・・・・・・・・ |
| そう思わせる季節がやってきましたね。 |
| 心地よい安堵感があるなら、 |
| 身や心を削って傷ついた部分が修復を始めた合図です。 |
| 目の前にまた新たな道が見え始めているなら、 |
| 靴のひもを締めなおして、大きく深呼吸をして、 |
| また元気よく一歩を踏み出しなさい、という合図です。 |
| 人生にいくつもある峠の一つの頂が、 |
| 今あなたの足もとにあります。 |
| ぜいたく |
| この世で最高のぜいたくとは何でしょう? |
| 気が付きにくいのですが、それは |
| ばい煙や排気ガスに汚染されていない、新鮮な空気があることと、 |
| 殺菌や消毒とは無縁のきれいでおいしい水が飲めることです。 |
| 都会に住む人が何億円お金を積んでも手に入らないものが |
| ごくあたりまえに、ふんだんにあるところを”田舎”といいます。 |
| そんな場所で暮らす”田舎暮らし”とは、 |
| 空気や水を幸福を示す座標にして生活することです。 |
| 都会にあふれる物や流行とは縁のない、やや不便な暮らしですが、 |
| わかっていても誰もができないから”ぜいたく”なのです。 |
| 友 |
| 今は遠くにはなれているが、 |
| かつていっしょに思い出を刻んできた人たちがいる。 |
| 彼らの心のなかに自分がどんな形で住んでいるのか、知る由もないが、 |
| こちらが思い出すのと等質の解像度できっと時々思い出してくれている・・・・・ |
| そう思えるからその人が記憶から消えることはない。 |
| 人生は思い出だけでは生きていけないが、 |
| それがないと、きっとコンクリートで固められた護岸のように |
| 花も咲かない、味気ないものになるのだろう。 |
| ありがたいものだ、と離れてみるとわかる。 |
| やさしさ |
| ”やさしい”の第一義は温かいことである。 |
| 見てくれではない。 |
| 人間として”温かい”というのは、 |
| 相手の気持ちを時と場に応じて推し量る能力があるということ・・・・ |
| そして、相手を気遣いながら自分の言動をコントロールできるということ・・・・ |
| このどちらかが欠けると、 |
| 見かけは「やさしそう」でも、 |
| ”やさしさ”として相手には伝わらない。 |
| 両者そろってはじめて「やさしい人」なのである。 |
| だから、むずかしい。 |
| 時計 |
| あなたとこうして長い間親交が保てるのは |
| 今でもあのころの大切な時間を共有していると思うからです。 |
| 小さな出会いを憧れに変え、憧れを夢に育て、 |
| 夢をともに追いかけた日々があったことを忘れていないからです。 |
| あのころあった出来事は忘れても、 |
| 時の流れを同じ時計ではかった記憶は消えません。 |
| 迷惑でなければ |
| どうかもう少しの間、あなたと同じ時間を刻む時計を持たせてください。 |
| おいくつですか・・・・ |
| 年を聞かれて恥ずかしそうに答える人がいる。 |
| 「失礼だ。」と立腹する人もいる。 |
| また、堂々と自慢げに答える老人もいる。 |
| 「もう30になりました。」「とうとう40の大台です。」・・・・などと |
| 照れ笑いに載せて自分の年を言うことが多いが、 |
| 幾多の難題を乗り越え、自分の力で生きてきた何十年かの人生は |
| 自慢こそすれ、ひやかしや笑いのタネにするものではない。 |
| 年の割にはまだまだ未熟です、という意味なら別だが、 |
| 胸を張って言えない年はとらないことだ。 |
| 忠告 |
| 必要以上に近くを見ようとすると、ぼやけて見えません。 |
| 巷では「老眼」と呼ぶそうですが、 |
| 見えなくなったものは無理をして見なくてもよい、ということかもしれません。 |
| 至近距離を見ながら暮らす生活はそろそろ終わりだよ、 |
| かわりにうんと遠くを見て暮せ、という知らせです。 |
| 偽装 |
| 「若く見せたい」という願望は、 |
| 老いることは醜いことだという心理が引き起こす。 |
| 年をとればそれ相応に見えて当たり前なのに |
| 実年齢よりも若く見てもらえることが心地よいのは、 |
| 若さが持つ可能性に未練があるからだ。 |
| 起こるはずはなくても、何かが起こるかもしれないという秘かな期待や、 |
| もうできるはずもないのに、まだやれると思いたい願望は、 |
| 加齢とともに次第に現実味を失っていく。 |
| だから若く見せたい・・・・・・少々厄介な心理だが、 |
| 悪意はないので許される偽装である。 |
| おすそ分け |
| そうですか。よかったじゃないですか! |
| 捨てる神もあれば、拾う神もある・・・・昔の人はうまいことをいうもんです。 |
| 人生、そう悪いことばかりじゃないということですね。 |
| どんな問題にも誠実に向き合ってきたあなたの姿を見ていて、 |
| いつかこんな日がくると信じていました。 |
| 小さなしあわせだけど、間違いなくあなたが自らの手でつかんだもの・・・・・ |
| どうぞこの幸せを大切にしてくださいね。 |
| これからの健闘を祈っています。 |
| しあわせのおすそ分けをありがとう! |
| 感度 |
| 勘違いしてはいけない。 |
| 優しい言葉をかけてくれたからといって、 |
| 自分に好意をもってくれていると思うのは、多くの場合単なる思い込みだ。 |
| 厳しい言葉で突き放されたからといって、 |
| 自分が好かれていないと思うのも同じこと・・・・・ |
| 人と人との関係は、そんなに単純ではない。 |
| 心底嫌いな相手にも社交辞令はあるだろうし、 |
| 本当に好きな相手に苦言を呈することもあるだろう。 |
| 相手の応対に一喜一憂する前に、 |
| うけとめるレーダーの感度を磨いておかないと、 |
| 敵味方の区別を誤ることになる。 |
| いい人 |
| 見て見ぬふりををすることはたやすい。 |
| 「どうしたのですか?大丈夫ですか?」と声をかけることもそうむずかしくはない。 |
| だが、手を差し出すとなると、ことは簡単ではない。 |
| 相手がその手に触れた瞬間から |
| 責任という文字が容赦なく襲ってきて、 |
| のっぴきならない関係が相手との間に生じるからだ。 |
| それがいやだから、人はなるだけ無関心を装う。 |
| しかし |
| そんな計算などしなくても、素直に手が差し出せる人も確かにいる。 |
| 「あの人はいい人だ。」という評価には、 |
| 羨望もこめてそんな意味が含まれている。 |
| 修練 |
| 思いつきや苦し紛れで言った一言が、思いがけない結果をもたらす。 |
| 本心ではなかったと、いくら言い訳をしようと |
| 結果を覆すことはもはやむずかしい・・・・ |
| 言葉はことがらや気持ちのほんの一部分を伝える道具なのであって、 |
| 一旦相手に渡すと自分の意志とは無関係に |
| 勝手に独り歩きを始める、ということを忘れると、こんな後味の悪いことになる。 |
| そうならないためには、 |
| 苦しいときや腹が立ったときに口から出そうになる一言を、 |
| だまって呑み込む修練を日頃から怠らないことだ。 |
| 言いたいことは、感情の高ぶりがおさまってから |
| ゆっくり言えばよい。 |
| 耐える |
| 春に雪を割って芽吹く花の芽は、 |
| のしかかる積雪の重圧の下で静かに準備を始めている。 |
| 雪はかならずとける・・・という強い信念が |
| 彼らの今の息苦しい毎日を支えている。 |
| 耐えるというのは、 |
| やがて間違いなく解き放たれるという思いがあるからできること・・・・・ |
| 何かの事情で今耐えなくてはならないなら、 |
| かならずやってくる雪解けを待て。 |
| 原則 |
| 原則がないものは、スポーツであれ、世の中であれ、 |
| 混乱が起こる。 |
| 原則が必要だと考えるのは、 |
| かつて原則のない事態を経験したからだ。 |
| とりあえずこうしておこう、とりあえずこれを守っていこう・・・・ |
| そんなルールを自分も持っていたと気づくのは、 |
| 手に負えそうもない難局に出会いながらも、何とかカタがついたときだ。 |
| 難事に立ち向かう自分固有の原則を持たなかったなら、 |
| とっくに混迷の渦の中に沈んでいただろう。 |
| 記憶 |
| 当たって砕けても、当たらずに引いても、波は波・・・・・・ |
| しかし、当たって砕けた波は、 |
| 相手の岩の大きさや硬さ、形状をその身で知ることができた・・・・・ |
| 遠い日 |
| 今思えばずいぶん無茶なことをしたもんだ、と思い当たることがあれば、 |
| そのとき自分は砕ける波になっていた。 |
| 当たって砕けたぶん、何か大切なものをつかんだのだが、 |
| やがて元の海原に引き戻されて、砕けたという記憶だけが残ってしまった・・・・ |
| だが、波にも一生があるなら |
| きっと誇りに思う記憶になっている。 |
| 若さ |
| これは錯覚や幻想ではなく、紛れもない真実だ・・・・・・ |
| そう思う必然のようなものに支配されて、 |
| 本当の姿とはちがうものを信じてしまった・・・ |
| だが、不思議に不快感や違和感はない・・・・・・ |
| そんな事実が身のまわりにないだろうか。 |
| 時間がたち、ようやく本当の姿が見えるようになったとき、 |
| 多くの人は「あのころは若かった・・・」と自分を自嘲する。 |
| 遠い日の判断の誤りを若さのせいにするのは |
| 人間だけに許される自己弁護である。 |
| 取り返しはきかないが、若さとは何か、を学んだのだから、 |
| それもいいのだろう。 |
| 戦意 |
| 人は寂しくても何とか生きてはいけるが、 |
| できることなら味わいたくはない。 |
| 「寂しい」は心の中にぽっかり穴のあいた、喪失感を感じる状態だが、 |
| 寂しいのはどんな理由をつけようと、要するに人が恋しいのである。 |
| 心の中にできた空白を埋めようとする、防御本能の一つで、 |
| 話し、心を通わせ、ふれ合える人を欲する自然な感情なのだ。 |
| ゆえに |
| 人との新しい出会いを求めれば寂しさは乗り切れる。 |
| 闘うべき相手の正体が見えれば戦意は黙っていてもついてくるということ・・・・ |
| 方程式 |
| E=mc2・・・・・・ |
| 世界一美しい方程式だそうだ。 |
| アインシュタインが見つけた、宇宙の根源をつかさどる掟である。 |
| エネルギー=物質の質量×光速の2乗というシンプルな計算で、 |
| 宇宙の誕生から時間、空間などあらゆることが導かれるのだそうだ。 |
| 物理学などとは縁のない多くの人間は、 |
| 一生、そんな掟のなかで自分が生きているなどとは夢にも思わない。 |
| わけのわからない、ややこしい問題に直面すると、 |
| 何かすっきり解決できる方法はないかと思案するが、 |
| いくら望んでも、すべての人間の生きざまを支配する |
| 便利で美しい方程式はないと心得たほうがよい。 |
| 方程式は曖昧なものを最も厳格に排除する。 |
| 受容 |
| 理解しようとするのではなく、 |
| 受け入れてみてはどうですか。 |
| むずかしい顔をしてわかろうと苦労するよりも、そういうものなのだ、と見る方が |
| 何倍も効率はよいのですが・・・・・・ |
| 失敗 |
| 力任せにネジを回しても、 |
| ドライバーがネジ山にきちんとはまっていなければ |
| 徒労に終わるだけでなく、ネジが使い物にならなくなります。 |
| がむしゃらに、無我夢中で取り組んだからといって |
| それに見合う成果があがるとは限りません。 |
| なぜだろうと、不思議そうな顔をする前に考えてみるべきです。 |
| 何かが足りなかったのです。何か大切なものが欠けていたのです。 |
| それに気付かない限り、同じ努力はまた同じ結果になるでしょう。 |
| 何度も繰り返した失敗から、 |
| そんなことが少し見えてきました。 |
| 普通に・・・ |
| 豊かな才能や特別な能力に恵まれていれば別ですが、 |
| そんなものもない凡人が日々の暮らしを立て、家族を養い、生きていくということは、 |
| 実は賞賛に値することです。 |
| だれも誉めてはくれませんが、大したことなのだ、と思います。 |
| 平凡に、普通に暮らす・・・・それがどれほど大変なことか・・・・ |
| 波乱に満ちた人生も面白そうですが、 |
| 嵐や激流の中で生き抜く自信もないので、到底縁のない話です。 |
| 多少の波風には襲われますが、 |
| 普通に、平凡に、穏やかに暮らせるのが一番だと |
| このごろよく思います。 |
| 肩の荷 |
| 履歴書の技能、資格欄に書くとしたら何を?・・・・・ |
| 今までの人生で、それなりに苦労して身につけたものや、 |
| それを使って社会や人のために役に立ったものと言えば?・・・・・ |
| いろんなことをして、経験も積み、ノウハウも持っているつもりでも、 |
| あらためてこう聞かれるとちょっと心細くなってきます。 |
| 人助けのために生きてきたわけではありませんが、 |
| 自分の仕事ややったことがどこかでだれかの役に立った、と思えれば、 |
| 残りの人生、少しは肩の荷が軽くなりそうです。 |
| 処世術 |
| 今がよければよい、という生き方は、 |
| 計画性がなく、場当たり的で、刹那的だと酷評されます。 |
| しかし、よく考えてみると、 |
| そうやって一瞬を充実して生きるというのは |
| 案外いいのかもしれませんね。 |
| 特に人生が後半にはいってくると・・・・・・・・ |
| 明日はどうジタバタしてもやってくるのだし、何が起こるか予測も立ちません。 |
| 来るものは来る、起こることは起こる・・・・・ |
| だとしたら、 |
| そんな未知の領域はほっといて、目の前の「今」を楽しく生きるというのは、 |
| すぐれた処世術かもしれません。 |
| カウンター |
| こうやって年をとっていくんだろうなぁ・・・・・と |
| しみじみ思うときがありますね。 |
| その通りです。 |
| 人はそうやって知らず知らずのうちに年を重ねていくものです。 |
| でも、 |
| 先のことなど考える余裕はない、と言える充実した毎日を送っているなら、 |
| どうぞ今のその時間を精一杯生きてください。 |
| 人生の日めくりカウンターは誤作動もなく、きちんと動いてくれていますから、 |
| 安心して存分に今を生きても大丈夫です。 |
| いずれ区切りのときが来れば、 |
| そっと教えてくれるはずですから・・・・・・ |
| 5年後や10年後、自分はどうなっているのだろう、などといつも考えていては、 |
| 身がもちません。 |
| 相談 |
| 原因や状況の分析などはどうでもよい。 |
| 相談者は答えを求めている。 |
| 具体的に動ける方法を知りたがっている。 |
| だから、 |
| 相談に乗るのなら、腹をすえて答えを出すべきだ。 |
| 自分を信用するに足る人間だと見込んでもちかけてくれたのだから、 |
| 自分ならこうする、という答えを示せ。 |
| 採用するかどうかは、相手の問題だ。 |
| それができないのなら、はなから相談は断るべきである。 |
| 乗り方 |
| 調子に乗りすぎると失敗して痛い目にあうことがあります。 |
| また、乗るべき時に調子に乗らなかったために |
| 後味の悪い思いをすることもあります。 |
| 臨機応変、その場の雰囲気を察知し、言動をコントロールすることは、 |
| かなり高度な社交技術です。 |
| 乗りすぎてもいけませんが、乗れなくても困る・・・・・・ |
| どの程度の乗り方にすればよいか、のピントが合わない人を、 |
| 巷では「空気の読めない人」と言うそうです。 |
| 先生 |
| 子どもたちにとって、 |
| 担任の先生は「ふつうの先生」でいいのです。 |
| ともに学び、叱られ、ほめられ、笑い、泣き、 |
| かけがえのない一度だけの貴重な時間を一緒に生きてくれる先生は、 |
| ふつうの先生でいいのです。 |
| 自分の担任をしてくれる先生がえらくなることを |
| 望む教え子はいません。 |
| Beauty on my mind |
| 人は、花は「きれいだ」と思ってながめています。 |
| 鳥や虫たちはきれいだと思って寄ってくるわけではありません。 |
| きれい、美しい・・・そう感じることのできる感覚をせっかく持ち合わせたのですから、 |
| 思う存分活用しなくては・・・・・・・ |
| 何でもいいではありませんか。 |
| これと決まったものでなくても、自分だけの極上の美だと思えれば、 |
| 路傍に生きる草花でも、河原に転がる小石でも・・・・・・・ |
| 大切な心がやせてしまわないように |
| 心がふるえ、思わず息をのみ、魂が洗われるような、 |
| そんな「美しいもの」をもっともっとたくさん見たいと思います。 |
| 時代 |
| みんな貧しかったけど、今よりもっと笑って暮らしていた時代がありました。 |
| スマートではなかったけど、今よりもっと人に優しい時代がありました。 |
| 便利なものはなかったけど、今よりもっと豊かに暮らしていた時代がありました。 |
| 厳しい日々の生活に追われても、今より夢にあふれていた時代がありました。 |
| 時代・・・・そう、そんな言い方になってしまいましたが、 |
| ほんの少し前、たしかにそんな時代がありました。 |
| 「昔はよかった・・・」などと言うつもりはありませんが、 |
| そんな時代の中で育ったことを誇りに思いながら生きている人たちがいます。 |
| 教訓 |
| ウソだとは言えないが、 |
| 「頑張れば報われる」というのは、かなりの思い込みだろう。 |
| 努力しなければ報われることはないので、 |
| そういう教訓が生まれたのだろうが、 |
| 報われるかどうかは、その頑張りの量ではなく |
| 質と方向だ。 |
| 的を得ない努力は、多少の見返りはあっても |
| 実ることは少ない。 |
| おから |
| 豆乳をしぼった残りを「おから」という。 |
| 人間をそんなものに例えては悪いが、 |
| 現役を引退すると、みんな「おから」になる。 |
| 新しい使い方がなければ役に立たないが、 |
| ひと工夫して味付けをすれば、けっこうおいしい惣菜になる。 |
| 「おから」になりかけている人も |
| 心得ておくほうがよい。 |
| 峠 |
| 山に囲まれた里の宿命は、 |
| ちがう土地へ行くには、必ず峠を越えなくてはならないこと・・・・・・ |
| すべて人や物や文化が行き来する道は峠へ通じている。 |
| 山もなく、コンクリートのビルに囲まれ、車や電車で移動していると |
| 都会にも峠があるなど誰も信じないが、峠はいたるところにあり、 |
| 毎日多くの人が峠を越えて行き来している。 |
| 山の峠と違うのは、いま峠を越えている、と気がつかないだけだ。 |
| 仕事や日々の暮らしで「疲れている」と感じるときは、 |
| 峠にさしかかった、と思えばよい。 |
| 峠道は、登りきれば楽な下りになる。 |
| 親孝行 |
| 我が子が元気で幸せに暮らしていることは、 |
| 親にとっても確かにうれしいが、それを親孝行とは言わない。 |
| 親孝行とは、 |
| 何も心配をかけないことではない。 |
| まして、お金や物を贈ることでもない。 |
| 「私はあなたの子どもです。」というメッセージを |
| 絶えることなく送り続けることだ。 |
| 親は、そのお金では買えない贈り物を受け取りながら、 |
| 自分がこの世に生きた証しを味わい、満たされる。 |
| 半年や1年も音沙汰なし、などもっての外・・・・・・ |
| 最悪の親不孝である。 |
| 神様 |
| 古くなった割りばしを捨てないで削って使う、というおばあちゃんがいる。 |
| 木で作ったはしには、木の神様が宿っているから・・・という。 |
| そんな神秘的な話をだれもしなくなった今、 |
| かつては身の回りでいっしょに暮らしていた |
| 木の神、火の神、水の神たちはどこへいったのだろう。 |
| そんな神々に見切りをつけた時期と重なって |
| 私たちの暮らしから自然への畏敬の念が消えていった。 |
| 木の神様が宿っている・・・・・・ |
| そんな魂の柔らかくなる美しい話も聞かれなくなった。 |
| 祈り (長野 善光寺にて) |
| 祭神や本尊がだれで、どんな謂れで祀ってあるのかを知らなくても、 |
| 多くの人は神社やお寺で手を合わせ、祈る。 |
| 路傍にある小さな社や石仏にも、そっと手を合わせることがある。 |
| 信仰心があるわけでもないのにそんなことをするのは、 |
| そこが「祈りの場」だと肌で感じるからだ。 |
| 先人や先祖たちが大切に守ってきた、 |
| 厳粛な空間が作り出す気迫に触れたからだ。 |
| 手を合わせているとき、神や仏ではなく |
| 私たちは先人たちや先祖たちに出会っている。 |
| 祈りとは、 |
| そんな彼らへの挨拶なのかも知れない。 |
| 汚れ |
| 無垢であった幼時を思えば、 |
| 生きていくことは汚れていくことだ、と言った人がいる。 |
| 確かに一理ある。 |
| しかし、 |
| 知恵がつき、欲が出て、妥協や計算を覚え、ウソもつくことが、 |
| 「汚れる」ことなのか・・・・・・ |
| 地表に生きるすべての人間が例外なくたどる道なのに・・・・・・ |
| ほんとうに汚れるのは、 |
| 自分は汚れていないとウソをつくときだ。 |
| 流れ |
| 周囲がどんどん変わっていく・・・・・ |
| その変化の流れに、自分は乗れなかったのではないか・・・・・ |
| そんな心境を味わったら、思い起こしてみるとよい。 |
| あのとき、自分は自分らしい選択をしたはずなのだ、と。 |
| 周囲がどう騒いで、流れを変えても |
| 自分はこの流れを守る、とひそかに決めたはずではなかったか。 |
| そう、あれでよかったのだ。 |
| 押し流されることもなく、今日までやってきた自分を |
| やさしくいたわってやれ。 |
| 地図 |
| 地図は、位置関係や距離は教えてくれるが、 |
| そこに待つ景色や人々の暮らしまでは教えてくれない。 |
| それが知りたければ、地図を頼りにそこへ行くしかない。 |
| 地図とはそういうものだが、 |
| この道理は日々の人々の暮らしにも言えること・・・・・・・ |
| 豊かに生きるための「地図」は身の回りにたくさんあるのに、 |
| それを持って一歩を踏み出さないから、 |
| 知りたい、近づきたいという願いは遠くなる。 |
| 地図は指針ではあるが、動力にはならない。 |
| たくさん地図を持っていても、出会いの感動はやってこない。 |
| 決断 |
| 人間は、中途半端に突き放されると、 |
| あれこれ、いらぬことまで考えてしまう生き物です。 |
| だから |
| その人のためにと思って突き放すなら、 |
| ひっくり返って尻もちをつくまでとことんやるべきです。 |
| 生風 |
| 作家や芸術家は作風、芸人は芸風、将棋では棋風・・・・・ |
| その人らしい特徴を「風」という字を使って表す。 |
| おそらく風のように、 |
| 目には見えないが確かにその存在を感じることができるからだろう。 |
| 人の生きざまにも同じものがあるはずで、 |
| 他の人とはちがう”私らしさ”を「生風」とでも呼ぼうか。 |
| 日々いろんな事を乗り越えて頑張っているのは、 |
| 自分の「生風」に磨きをかけているのかもしれない。 |
| 術 |
| かつてなら、決してこんな妥協などしなかった・・・と思えることを、 |
| 「世の中、こんなものだろう。」と、わりと簡単に、抵抗なく受け入れている。 |
| 妥協をやめ、抵抗することで失われるものが |
| 思いのほか大きいとわかってくると、余力を残すために、 |
| 人はそうやって自分を丸めこもうとするからだろう。 |
| 少しくやしいが、 |
| 自分を納得させる術は、年を重ねるたびに |
| うまくなっていくものらしい。 |
| それでいいのかもしれない・・・ |
| 試す |
| 楽天家ではなくとも、 |
| 「今日は何かいいことがありそうだ。」と思って朝を迎えるのがよい。 |
| 昨日までの続きで、今日も大変な一日になるかも知れないが、 |
| せめて朝目覚めたときに、自分にそう言い聞かせてやれば、 |
| 少々のことではめげない勇気が生まれるはずだ。 |
| 「そんなバカな・・・」と言う前に、 |
| 試してみる価値はある。 |
| 方策 |
| この状況をどうしたいのか・・・それは決まっている。 |
| しかし、そのための手だてが見つからない・・・・ |
| もしも状況の好転が簡単には望めないなら、 |
| 何かを思い切って捨てるしかないだろう。 |
| それを大事に抱え込んでいるから、こうなった・・・という何かがあるはず。 |
| 捨てきれない未練はわかるが、 |
| 局面を打開したいなら、それしかない。 |
| 「お前に何がわかる!」と言われればそれまでだが、 |
| 他人だから見えることもある。 |
| 指標 |
| 意味づけをしなければ、 |
| あかね色に染まる夕焼けも単なる太陽の発光現象である。 |
| その中に意味を見つけ、価値を付加するから、 |
| あらゆる自然現象が人の生きる指標となる。 |
| 日々の暮らしも同じこと・・・・・・・ |
| 変化の少ない、単調な毎日でも、 |
| 昨日を生きた意味、今日を生きる意味、明日を迎える意味を |
| 自分に言い聞かせてやるとよい。 |
| 毎日そうやっていると、 |
| 何の意味もない日などない、と言うことに気がつく。 |
| 役目 |
| 人はそれぞれ何かの役目を背負ってこの世に生まれてきた・・・・ |
| 自分の役目が何であったのかは、なかなかわからないものだが、 |
| こういうことかも知れない、ともし思うことがあるなら、 |
| 今は精いっぱいそのことに打ち込めばよい。 |
| 心配しなくても報告書は必ず届く。 |
| その役目が果たせたのかどうかは、 |
| 黙っていてもいずれわかるときが来るということ・・・・・・ |
| 人間 |
| 口もききたくないと思う人間がいる。 |
| 互いに手を取り合って何かをするなど、思いも及ばない人間がいる。 |
| そんな場合、大抵は |
| 相手も自分のことをそう思っているのだが、 |
| いいではないか、「みんな仲良く」とはなかなかいかないものだ。 |
| だからこそ、宗教は慈悲や博愛の心が必要だと説く。 |
| 波長が合わない、走っているレールがちがう・・・・・ |
| そんな人間も確かにいる。 |
| 習性 |
| おじさんたちに共通しているのは、 |
| 若者にはあたりまえの”軽いノリで・・・・”という対処方法が苦手なことだ。 |
| どんな些細なことでも、全身で受け止めてしまうという、悲しい習性がある。 |
| できたら軽いノリで、あっさりと受け流したいが、 |
| 軽薄な人間だと見られるような気がしてできない。 |
| それはきっと |
| 真剣に立ち向かわなければ、すぐにつぶされてしまう相手と、 |
| ずいぶん長い間向き合って生きてきたからだろう。 |
| 軽いノリで・・・・・・ |
| うらやましいとは思うが、とてもできない相談だ。 |
| なりゆき |
| 運命といえば響きが重いが、 |
| 要するに「なりゆき」だ。 |
| 自分の力ではどうすることもできない、自身や環境の変化のこと・・・・・ |
| 自分で切り開き、方向を決めるなりゆきもあるだろうが、 |
| それはかなりしんどいものになる。 |
| 大抵は黙っていても向こうからやってくるので、 |
| それに乗って生きるのも一つの手だ。 |
| 一見楽そうに見えるが、 |
| 何が来るかがわからない不安がついて回るこんな生き方を、 |
| 昔から「なりゆき任せ」という。 |
| 肩の力をぬいて、さあ、いつでもどんとこい、と構えるこの生き方は、 |
| 響きは軽いが、決して軽い生き方ではない。 |
| 運 |
| 自分には運がなかった・・・・・ |
| そう言い聞かせて事をおさめたことはなかったか? |
| チャンスはあった、ただ決断にためらいがあった。 |
| その決断を鈍らせたものの正体を、だれよりもよく知っているから、 |
| 運が悪かった・・・と言い訳をしながら自分に言い聞かせている。 |
| 問い |
| 若い頃ならいざ知らず、 |
| いい年になって「夢は何ですか?」と問われると困ってしまう。 |
| ほとんど使い尽くしてしまった体力と気力の残りを、 |
| かろうじて細々と小出しにしながらの毎日・・・・ |
| いまさら「夢」という言葉は面映ゆい。 |
| だが、 |
| 夢などとは無縁の人だと見られ、 |
| だれも面と向かってそんなことを聞いてくれなくなったらおしまいだ。 |
| そんなさびしいことにならないためにも |
| 心の中の火種だけは消さないで残しておきたい。 |
| あなたの夢は何ですか?・・・・・・・・ |
| 急所 |
| いざという時にまっ先に守らなければならないところを急所という。 |
| 体に急所があるなら、 |
| 心にも急所がある。 |
| 滅多なことでは壊れないが、 |
| 「こんなことで・・・」と思えるような些細なことで |
| あっけなく壊れる・・・・ |
| 急所を襲われたからだ。 |
| 自分の心の急所はどこにあるのか、とふだんから探しておくことは |
| 守るべきところをまちがえないためにも必要なこと・・・・・ |
| 体の急所はみんなが知ろうとするが、 |
| 心の急所はその存在さえ知ろうとしない。 |
| 出会い |
| 本当はたまたま偶然のきっかけであったのに、 |
| それは必然だったと思い込むのが「出会う」ということ・・・・・ |
| 悪気のないこの錯覚が |
| 人生に大きなドラマを引き起こす。 |
| それが錯覚だったとは気付かずに過ごせたら幸せだが、 |
| 運悪く気づいてしまうと、 |
| 出会いが作ってくれた関係が急に色あせて見えてくる・・・・・ |
| お互いに気づかないまま、だまされ続ける幸せもある。 |
| 若者へ |
| おじさんだ、おばさんだ、とバカにするもんじゃない。 |
| 確かに君たちが目の色を変える流行にはついていけないが、 |
| そのかわり |
| 君たちがまだ見たこともない美しいものや輝くものを |
| 私たちはたくさん見てきた。 |
| 君たちの味わったことのない苦悩や挫折を |
| 私たちは何度も経験し、何とか乗り越えてきた。 |
| だから、別に威張るわけではないが、 |
| 人生とはこんなものだと言える中身を、 |
| 君たちよりはたくさん手に入れている。 |
| 年はとったがまだ君たちには負けない、と胸をはるのは |
| 強がりではなく、君たちには決して手に入らない |
| そんな財産がおじさんたちにはあるからだ。 |
| 人生を長く生きてきたというのは |
| そういうことだと見てほしい。 |
| 目標 | |
| あの人のようになりたい、と思うのはよい。 | |
| あの人のようになろう、と努力するのもよい。 | |
| たしかに近づくことはできる。 | |
| しかし、 | |
| 近づくことはできても、あの人のようには所詮なれない。 | |
| 目標とする人物は、自分を高めるのには有効だが、 | |
| 自分を根底から変えることはできないのだから、 | |
| それを承知で近づくことだ。 |
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