雑感 Back number 9
目標 | |
あの人のようになりたい、と思うのはよい。 | |
あの人のようになろう、と努力するのもよい。 | |
たしかに近づくことはできる。 | |
しかし、 | |
近づくことはできても、あの人のようには所詮なれない。 | |
目標とする人物は、自分を高めるのには有効だが、 | |
自分を根底から変えることはできないのだから、 | |
それを承知で近づくことだ。 |
励まし | |
誰かが | |
ただ黙って見守ってくれていると思うだけで | |
勇気や元気が湧いてくることがある。 | |
直接耳にする言葉には世辞や打算が含まれるが、 | |
その人の存在は揺るがない真実だと思えるからだ。 | |
それゆえに、互いに信じあえる関係では | |
「がんばれ」などという言葉はなくても | |
励ますことはできる。 |
決断 | |
肝心なところで決断できなかったという記憶が、 | |
時折、今必要な決断を鈍らせる。 | |
一見矛盾しているが、たしかにそんなことがある。 | |
決断は、不退転の決意・・・・・ | |
怖いと思うほうが正常なので、気にすることはない。 | |
ただ、決めずに先延ばししても、事態が好転しないと思えるなら | |
「当たって砕ける」覚悟を持つことも | |
人生、一度や二度は必ず誰にもある・・・・・ |
習性 | |
どんな人にも「裏と表」がある、ということを | |
あまりにたくさん見てきてしまうと、、 | |
外見では判断せず、裏にある正体をさぐろうという習性ができてしまう。 | |
防衛本能とも言えるこの習性のおかげで助かることもあるが、 | |
目をつぶって飛び込む勇気を失うこともある。 | |
正体はたしかにあるが、 | |
それがいつも「裏」にあるとはかぎらない。 |
始末 | |
たとえどうなろうと、自分で選び、決めたことなら | |
自分が始末をつけねばならない。 | |
誰かのせいにするのは簡単だが、それは卑怯というもの・・・・・ | |
どう始末をつけるか、お手並み拝見・・・・・ | |
そう思いながら見守っている人が | |
必ず近くにいる。 |
味 | |
若いころは、まだ遠い先の話だと思っていたことが、 | |
年を重ねると、一つずつ現実のことになって現れてくる。 | |
いずれいつかはやってくると薄々感じてはいても、 | |
いざ目の前に・・・となれば誰しもうろたえる。 | |
だが、考えてみれば | |
それも人生が熟成段階に入ったという証し・・・・ | |
ここを切り抜ければ、極上の味わいが生まれるのだ、と | |
自分に言い聞かせるのも生きる知恵・・・・・ | |
厄介で、手ごわい話であればあるだけ、 | |
味も深くなるはずである。 |
橋 | |
冬、橋の上は凍結しやすいと多くの人が知っている。 | |
人と人の心を結ぶ「かけ橋」にも同じことが言えるだろう。 | |
どちらか一方の心が冷えて行き来が止まると、まっ先に凍ってしまう。 | |
再び往来が始まればゆっくりと融けだすのだが、 | |
それには | |
思いのほか時間がかかるものだと承知しておくほうがよい。 | |
橋を渡した対岸へ早く行こうと思うなら、 | |
ふだんからの行き来を怠らないことだ。 | |
橋は踏まれることで役に立つ。 |
法則 | |
楽しいことは長続きしない、何ごとにも終わりがある・・・・・ | |
どちらの教えも人の世では誰もが経験し、納得できる法則だが、 | |
これらは先人たちが編み出した衝撃緩和装置である。 | |
そう思うことで、大きな痛手が少し和らぐではないか。 | |
この法則は自分だけに当てはまるのではなく、 | |
広く、誰にでもあてはまると思えるから、 | |
さびしさや悲しさを乗り切る意思が生まれる。 | |
こんな気持ちになるのは自分だけではない・・・・ | |
自分だけに降りかかかる身の不運に、人はそう耐えられるものではない。 |
居心地 | |
なかなかむずかしいことですが、 | |
必要に迫られてライフスタイルを変えなければならないなら、 | |
大胆に開き直って捨てることですね。 | |
長年慣れ親しんできたものは、それなりに居心地がよいものです。 | |
それを変えるのですから、半端な覚悟では挫折が目に見えています。 | |
多くの人がうまくいかないのは、きっと | |
居心地のよいものをなるだけ守りながらの変化を求めるからでしょう。 | |
トンボやセミが殻を脱いで新天地に飛び立つように、 | |
居心地のよかったものを一度脱ぎすてないと | |
一歩は踏み出せません。 |
リモコン | |
テレビの「リモコン」は、使う者には便利だが、 | |
番組を制作する側の人たちには、きっと厄介な代物だ。 | |
特にCMを作っている人たちには | |
「悪魔のボタン」かもしれない。 | |
だが、考えてみれば | |
本来主人公であるはずの視聴者が、このボタンを持つことで | |
ようやく主導権を手に入れることができ始めたということ・・・・・・ | |
何を見るか、何を見ないか・・・・・ | |
それは作る側が決めることではない。 | |
そのことを双方が思い知らされている。 |
ゴール | |
スタートしたばかりの駅伝ランナーには、 | |
ゴールし、たすきを渡す自分の姿はまだ想像できない。 | |
だが、ゴールが見えてくると、 | |
たすきを渡す自分と受け取る相手の姿がはっきりと浮かんでくる。 | |
ゴール・・・・・ | |
そこは終点ではあるが、同時に起点でもある。 | |
ゴールが見えたからといって、 | |
走るスピードを落とすランナーはいない。 |
宣言 | |
「年ですねぇ・・・」と自嘲気味に笑いながら言うときは、 | |
社交辞令でもありながら、実は半分は本当に思い当っているときです。 | |
認めたくはないけど、 | |
体や心のどこかに「老い」を感じ始めているときです。 | |
老いをしっかりと身につけた本物の老人はそんなことは言いません。 | |
かつての若さが失われつつあることを | |
こんな言葉で周囲に宣言しながら | |
人はゆっくり老いていくのです。 | |
心配はいりません。 | |
だれもが通る道です。 |
先見 | |
10年後の自分を想像できるか? | |
どこで何をしながら1日を過ごしているだろうか・・・・・ | |
わざわざ考えなくてもそんな事態は必ずやってくるが、 | |
なりゆき任せでは生きている甲斐がない。 | |
年とともに、過去を振り返ることには巧みになったが、 | |
足りないのは、 | |
少し先の自分の姿を描くこと・・・ | |
描いた通りにはいかなくても持っていることに意味がある。 | |
設計図のない作業はどこかで行き詰るということ・・・・・ |
希望 | |
高望みはするなと言われるが、 | |
希望や目標はより高く、大きいほうがいい。 | |
求めていくうちに、さまざまな問題が現れて、 | |
どんどん目減りしていくものだから・・・・・ | |
10年、20年前に心に抱いた希望や目標が | |
今いったいどれだけ実現し、手元に残っているか、考えてみるとよいだろう。 | |
どうせだめだろうけど・・・などと思わず、 | |
思いきり突き抜けた希望を持てれば、 | |
今日や明日を生きる意味がはっきりする。 |
すれ違い | |
遠い日 | |
立ち止まって目を合わせ、もっと話をするはずだった人と、 | |
心ならずもすれ違ってしまった・・・・ | |
なぜ呼び止めなかったのかと悔やむこともあるが、 | |
同じ方向をむいて歩く人とはすれ違うことはないのだから、 | |
おそらく歩く方向が違っていたのだ、と今になってみるとわかる。 | |
さびしいことだが | |
すれ違ってしまった人は、 | |
自分が一歩歩くたびに遠ざかっていく。 |
ことば | |
ヒートアップにクールダウン・・・・・・ | |
そんなに格好をつけて言わなくても | |
のぼせる、頭を冷やす、で十分だ。 | |
日本語で言うと、低級で安っぽくなるからカタカナで、というのだろうが、 | |
どんなに安っぽく聞こえようと、やっていることは同じ・・・・ | |
ほかに適当な言葉がなければ仕方がないが、 | |
言い方を変えて高級感を演出しようとする手法は、 | |
詐欺師の初歩的な技術である。 |
目 | |
恋愛中は両目をあけて、結婚したら片目をつぶれ・・・・・・ | |
結婚してからも両目をあけたままだから、 | |
長続きしない関係になる。 | |
もとは赤の他人、少しぐらい | |
見えない、見ないところがあるのがちょうどよい。 |
愛 | |
両親、祖父母、恩師、伴侶、恋人・・・・相手はだれでもいい。 | |
思い出せば切なくなるほど、誰かに心から愛してもらった・・・・・・ | |
そんな遠い日の思い出がある人は幸せだ。 | |
それが「愛」として記憶できたのは、 | |
きっと、言葉にならない「魂の会話」を幾度も経験したからだろう。 | |
自分を大切に思い、限りない愛情を注いでくれたその人が、 | |
さりげなく残してくれた温かく、柔らかい魂の会話のおかげで、 | |
どれほど人を信じ、愛する力を育ててもらったことか・・・・・・ | |
愛されるという経験はだれにでもある、と思いがちだが、 | |
しかし、 | |
一生ほんとうの「愛」に巡り合わないで終わるという人は多い。 |
ちがい | |
自分では「急いでいる」つもりなのに、 | |
周囲からは「あわてている」と見えることは多い。 | |
目的をはっきりさせ、手際よく無駄なことをしないで | |
段取りをこなしていくのが「急ぐ」・・・・・・ | |
そんなものもなしに、ただ「何とかしなくては・・・」と | |
動き回るのが「あわてる」・・・・・ | |
対処の仕方にちがいがあると知っておくことは | |
いざというときに無駄ではない。 | |
「あわてず、急がず」というのは、 | |
いざというときにはありえない。 |
柔軟剤 | |
「おつかれさま」・・・・・・・・ | |
思いやりもあり、柔らかくて、ほんのりと温かく、 | |
そう言ってもらうとほっとできる、とても美しい言葉だ。 | |
外国にはない、日本人が独特の感性で産み出した言葉だと言える。 | |
相手がだれであろうと、 | |
その労をねぎらい、共同体として生きている仲間だということを | |
この言葉で確かめ合う・・・・・・ | |
乱発したからといって、決して損にはならないこんな言葉を、 | |
もっともっと使うべきだ。 | |
心地よい言葉には、 | |
人と人を結びつけ、魂をやわらかくする柔軟剤がある。 |
ツケ | |
コンビニの弁当・・・・・・ | |
その中にある鮭は、遠く北欧の養殖場から運ばれるという。 | |
いんげん豆はアフリカの専用農場、 | |
レタスはアメリカ、鶏肉はブラジルから空路で日本へ・・・・・ | |
そうして作った弁当も売れ残れば惜しげもなく捨てるのだとか、 | |
そんな話を聞けば誰しも眉をひそめるが、 | |
弁当を求めるときには、 | |
品揃えの少ない店には行こうとしない。 | |
「売れ残って捨てるのは覚悟で、商品の数をふやしています。」という店主の話に、 | |
このツケは必ずいつか回ってくる、と思うのは | |
私だけだろうか。 |
おもしろい | |
生きがい・・・・・・ | |
趣味や仕事や家族など、対象は人それぞれでも、 | |
それが生きがいとなる仕組みは同じ、 | |
つまり、おもしろいのである。 | |
人が何と言おうと、おもしろいから情熱がわく。 | |
生きがいと呼べるものがなくても生きてはいけるが、 | |
もしほしいと思うなら、 | |
おもしろいと感じるものを探すしかない。 | |
そのために、人には何十年という長い人生の時間が用意されている。 |
想像力 | |
がんばろうと決めたことが長続きしないのは、 | |
自分が怠けているからだけではない。 | |
計画が失敗に終わったときの後味の悪さを | |
始めるまえにうんと想像しなかったからだ。 | |
怠ける気持ちは、 | |
想像力の乏しい人ほど、早く表れる。 |
1と0 | |
1と0だけを使い、正確無比に物事を処理するデジタル技術・・・・・ | |
意識しなくても、日々の生活の多くはそれに依存している。 | |
最大の弱点は、 | |
想定外の事態にはまったく対応できないこと・・・・・ | |
人には、 | |
未知の事態、未経験の課題に直面しても | |
知識や知恵、経験を駆使し、どうすればよいかと考える力があるのに、 | |
それを使わないでおくと、 | |
やがてその力の存在さえも忘れてしまう。 | |
自分の中に眠っている「生きる力」を | |
そろそろ呼び覚ましてもよい時期がきている。 |
直感 | |
動物は、人間も含めて、 | |
より免疫力の強い子孫を残すために、 | |
免疫力の型がちがうタイプの異性を本能的に選んでいる。 | |
動物は「匂い」でそれを実行し、 | |
人間は「直感」で実行する。 |
起点 | |
2008年・・・・ | |
何から数えて2008番目の年なのかを知る人は少ないが、 | |
そんなことはどうでもよい。 | |
とにかく新しい区切りが始まった。 | |
何かを始めるもよし、何かを終わらせるもよし、 | |
ここを起点に行動を起こす・・・・・・ | |
小さな決心が一つ、生まれているか? |
消える | |
いつかは消えてなくなるものだとわかっているから、 | |
束の間の今の輝きを愛でたくなる・・・・ | |
そんなものが身の回りに案外たくさんある、と気づきはじめたら、 | |
心の充電もそろそろ終わりが近い。 | |
消えゆくものが美しいのではなく、 | |
消えていくこと、そのしくみが美しい。 |
誠意 | |
誠意とは、自己弁護の方便ではない。 | |
自分の心のありのままを伝えたいと願う、 | |
祈りに似た気持ちである。 | |
差し出したからといって、何かの見返りを期待してはならない。 | |
伝わればよい・・・ただそう思うもの。 |
飽きる | |
いくらおいしい料理だからといって、 | |
毎日食べていては飽きてしまう。 | |
たまには、お茶漬けであっさりと・・・などと思うのだが、 | |
対象が物であれ、人であれ、 | |
「飽きる」というのは、 | |
他にちがう選択肢があることを知っている人間だけの、 | |
特異な感覚である。 | |
そんなものがある、と知らなければ、 | |
飽きることはない。 |
一里塚 | |
大勢で賑やかに迎える年の瀬もある。 | |
一人でしみじみかみしめるという人もいるだろう。 | |
出会った人、別れた人、お世話になった人、大切な人・・・・・ | |
縁あってかかわりを持った多くの人たちが、 | |
いろんな出来事を通して残していったものを一つずつ整理する時期が、 | |
今年もやってきた。 | |
捨ててもよいもの、残しておきたいもの、 | |
その選択をしながら、あらためて自分を見つめなおす・・・・・ | |
浮かれ騒ぐのもいいが、 | |
そんな静かな、自分との対話時間をぜひ作りたい。 | |
否応なくやってくる「年を重ねる」という現実を | |
自分らしく成長する一里塚とするために・・・・・ |
足跡 | |
雪の上を歩くとよくわかることがある。 | |
どんなに歩こうと足跡が残り、消すことはできない。 | |
ふりかえると、自分がどこを、どう歩いてきたのかが | |
一目瞭然、手に取るようにわかる。 | |
なるほど・・・・・ | |
目に見えないだけで、実は日々を生きてきたという足跡は、 | |
このようにちゃんとついているのだ・・・・ | |
雪の上なら跡をたどり、戻ることもできるが、 | |
ふだんの生活では、見えないのでそれができない。 | |
人生という道につける足跡は、 | |
戻るための足跡ではなく、前へ進む次の一歩のためにあるのだ・・・・ | |
融ければ跡形もなくなる雪に | |
そう教えられている。 |
伝言 | |
存命であろうとなかろうと、 | |
人はみな自分の親からの伝言を受け取って生きている。 | |
家族を愛し、いつくしみ、思いやる心を持て・・・・と。 | |
育つ過程で親たちが、せっせとそれを実行してくれたから、 | |
自分もまた同じことをしなくては・・・と思える。 | |
それが人だ。 | |
その美しい連鎖を阻害するものがあれば、 | |
全力で立ち向かい、取り除こうとする・・・・ | |
それもまた人だ。 | |
伝言の連鎖を断ち切らないために、 | |
人はわが子にまた次の伝言を託していく・・・・ | |
それがこの世で最も美しい、親子の姿だ。 |
想定外 | |
ほかに適当な呼び方がないので「恋愛」と言うのでしょうが、 | |
異性に惹かれ、その人といつもいっしょにいたいという感情は、 | |
呼び方はどうであれ、実によくできた、みごとなものです。 | |
学校の教科書では一度も習わないのに、 | |
だれもみんな、間違えることなくその感情を持つことができるのですから・・・・ | |
ただ、人を好きになることはできても | |
その関係を終わらせる術はだれも教えてくれないから、 | |
困る人もでてきます。 | |
自然界では愛し合ったものが別れるという事態は | |
きっと想定外のことなのでしょう。 |
手荷物 | |
年を重ねてふと思い出すのは、 | |
幼いころ、無邪気に野山をかけまわったこと・・・・・ | |
ややこしい世の習いやしがらみなどに振り回されることもなく、 | |
ただひたすら遊んだこと・・・・・ | |
そんな思い出は、他人にわけてやることができないものだから、 | |
こぼすことなく拾い集めて | |
精いっぱい自分で持って歩くしかない。 | |
遠い日の中から拾い集めた人生の手荷物は、 | |
今はじゃまでも、いずれ愛おしくなるときがきっとやってくる。 |
雪景色 | |
雪がないときには、それぞれが勝手に自己主張をする景色だが、 | |
雪はそんなわがままを許さず、容赦なく一様に白に染めていく。 | |
情状を酌量するなどという細工を雪は知らない。 | |
その圧倒的な公平さと潔さに感動する。 | |
雪景色が美しいのは、 | |
つべこべとぬかす輩を一瞬のうちに黙らせる、 | |
切れ味のよさにしびれてしまうからだ。 | |
雪をかぶると、なぜかみんなおとなしくなる。 |
遠回り | |
道をまちがえたと思ったら、 | |
引き返せばよい。 | |
むずかしいことではない。 | |
ほんの少し遠回りはするが、 | |
目的地に無事につけば、そんなことはもう忘れている。 |
幻 | |
友人にもいろいろあるんですね・・・・・ | |
毎日会って話をする相手もいれば、 | |
10年、20年一度も会わなくても音信が続く相手もいます。 | |
何かのきっかけで知り合った者同士が、互いに「友」と呼べる間柄になるためには、 | |
ただ気が合い、同じ時間を過ごしたという事実だけではだめで、 | |
ともに何かを乗り越えた記憶や、感動を分かち合った事実や、 | |
何よりもその人のおかげで自分が成長できた、という手ごたえが必要です。 | |
そんなものもないのに、「あいつは友だちだ」と勝手に思う関係は、 | |
叶わぬ初恋のようにいつか「幻」になる関係です。 |
豊か | |
我々おじさん世代は、 | |
何もなかったのに、有り余るほどモノが手に入るようになっていった | |
世の中の過程をしっかり見てきました。 | |
いろんなモノに囲まれて幸せな気分になったこともありました。 | |
だけど、 | |
モノがたくさんあるから豊かだ、とはもう思わないのです。 | |
「豊かだ」というのは、 | |
お金とは無縁の、何か純粋な輝きを放つものに囲まれたとき・・・・・ | |
心がやんわりと、モノとは別の温かいもので満たされているとき・・・・・ | |
いまはそう思うのです。 | |
「今を豊かに生きているか」と自分に問うことは、 | |
若い人たちには難しくても、 | |
我々おじさんたちにはわりと容易にできることなのです。 |
磨く | |
体力や気力の衰えは、加齢にともなう現象で仕方がない。 | |
しかし、感覚や感受性の低下は自分の責任である。 | |
磨かなければ錆つく鉄製品のように、日頃の手入れを怠ると、 | |
その機能が半減する。 | |
感じ、考え、思う機能を磨く対象は、 | |
若いころより多く自分の周囲にある、と気付いていれば、 | |
心配はない。 |
足 | |
自分の体の中で | |
一番酷使しておきながら、一番顧みないのは 足ですね。 | |
風呂で洗うなら、顔や手ではなく、まず足からていねいに磨かねば | |
愚痴ひとつ言わず、自分を支え、行きたいところへ運んでくれた彼に | |
申し訳がありません。 | |
年をとると最初に弱るのが足だという事実は、 | |
いつくしんでこなかったツケが回ってきた、ということです。 |
法則 | |
きのう降った雨が今日、もう一度降ることはない。 |
見識 | |
人間として成長したのか・・・・ | |
一つの難事を乗り越えたあとで思ってみる。 | |
自己評価だから甘くなる傾向は仕方がないが、 | |
学んだもの、手に入れたものをあらためて見直してみると、 | |
葛藤や苦悩の軌跡がそこらに見えて感慨深い。 | |
そうか、こうやって人間はかしこくなっていくんだな・・・・・ | |
つらい日々を乗り越えようと頑張った代償に、 | |
わずかだが手にすることができる見識である。 |
熱 | |
遠くからその幸いを祈るしかなくなった関係が、 | |
思いのほか自分の中にたくさんある、と思いませんか。 | |
しかたがありません。 | |
生々流転・・・・・何ごとも一所にとどまらないのが世の掟、 | |
ならばせめて我が手中や眼前にあるうちに、 | |
熱い思いをこめて愛しむことですね。 | |
どんなに長い間、どんなに遠くに離れても、その熱が冷めないように・・・・ |
重さ | |
年賀状をつくる時期になりました。 | |
文面と宛名を書きあげて、束にした賀状を持って思います。 | |
これが私とこの世でかかわりを持つ人のすべてか、と・・・・・・・ | |
こんなにもいるのか、とも思えるし、わずかこれだけかとも思えるのですが・・・・ | |
毎年、大変な労力を払って賀状をしたためるのは、 | |
自分とつながる人を総量として確かめておきたいからではないでしょうか。 | |
持ったときに手に感じるその重みが、 | |
「私」の生きてきた証しの重さでもあるのです。 | |
・・・・・焼き捨てて 日記の灰のこれだけか・・・・・ | |
山頭火 |
教訓 | |
生きる上で大切なものは、大げさなものではなく、 | |
実はとてもシンプルです。 | |
数多くの失敗の中から、そんなものが | |
少しでも見えてきたら、 | |
自分も成長したんだな、と思うことにしています。 | |
・・・・この宇宙を支配している法則は、複雑そうに見えてもシンプルである・・・・ | |
アインシュタイン |
逃げ足 | |
「逃げ足の速いやつだ。」という言葉があります。 | |
あまりいい意味ではないようですが、 | |
逃げ足は速くなくてはいけません。 | |
逃げると決めたのなら、ぐずぐずせず、一目散に走り去る・・・・ | |
これが身を守る極意です。 | |
逃げ足が遅く、渦中に巻き込まれた者が、 | |
くやしまぎれにそう言うのですから・・・ |
輝き | |
冬を前に、すべての葉を落とし、骨だけのようになってたたずむ一本の木の | |
凛とした姿はすがすがしく、美しい。 | |
あれほど若葉や紅葉の鮮やかさを誇ったのに、 | |
今は眼前の「生」だけのためになりふり構わず、そこに在る。 | |
見た目の美しさは、どんなに手を尽くしてもやがて色あせる。 | |
その道理をわきまえておけば、 | |
色あせたのちも輝ける道を探ることはできる。 |
かわりに・・・ | |
純粋に、余計なことを考えずに仕事に打ち込めた・・・・・ | |
若いころの自分を誰もがそう言う。 | |
そういえば、夢や希望はいつも手の届くところにあったし、 | |
3年後、5年後のことなど思い浮かぶこともなかった。 | |
たしかに「純粋」ではなくなった今、 | |
それを失ったかわりに手に入れたものは何だったのか・・・・・ | |
若いころを懐かしむのもよいが、 | |
経験を積んできたという誇りを磨くためにも、 | |
はっきりさせておくほうがよい。 |
画竜点睛 | |
締めくくりのだらしないものは、途中がいくら輝いても | |
その値打ちが半分になる。 | |
終点であると同時に、新たな起点になるためには、 | |
すべて締めくくりに気を配ることだ。 | |
画竜点睛とは、 | |
最後に書き入れる一筆が、作品に命を吹き込むという意味だが、 | |
今日一日を生きてきた最後の締めくくりに、何を思うか・・・・・ | |
人生という、長い絵巻物の最後に何を描くか・・・・・ | |
それを真剣に考えろ、という意味でもある。 |
思いやり | |
思いやりとは、想像力である。 | |
相手がいま、どんな状況の中で、どんな気持ちでいるか・・・・・ | |
それをありったけの想像力で思い描いてみて、 | |
だったら何を言うべきか、何をすべきかを考えていくことである。 | |
想像力の乏しい人でも思いやりはできる。 | |
だが、一般的には通用しても、 | |
想像を超える窮地に立つ人には焦点が合わず、通用しない。 | |
自明のことだが、それでも相手のために、と押しつける「思いやり」、は | |
ただのおせっかいを過ぎて迷惑となる。 |
勝負 | |
いい条件ばかりが続くとは限らない。 | |
予想もしなかった悪条件の中で勝負をしなければならないときもある。 | |
不運だと嘆くまえにしておくことがあるだろう。 | |
自分の都合だけを考えなかったか・・・・ | |
相手の立場や都合を斟酌の中に入れたか・・・・ | |
こうなることが本当に予想できなかったのか・・・・・ | |
この問いに答えられなければ、 | |
勝負は土俵の外ですでについていたということ。 |
読み | |
あのときの、あの人の言動は、 | |
きっとこんな思いからだったのだと、相手の気持ちを読んでみる・・・・・・ | |
だが、さらにもう一歩深く読んでいくと、 | |
いや、そうではなくて、その反対だったのかも知れない、と思えることがある。 | |
相手の気持ちを理解しようとするのは容易くないが、 | |
裏の裏まで読み、 | |
決めつけずに真意をさぐろうとしている間は、 | |
その読みの深さに比例して | |
「わたし」にとって相手は大切な人であり続ける。 |
言い訳 | |
たとえウソでもいいから言ってほしい言葉がある。 | |
たとえ真実でも聞きたくない言葉もある。 | |
だれに、いつ、どんな時に、何を言うか・・・・・・ | |
苦い思いや手痛い思いをした経験を思い出すと、 | |
これを間違えずに使えるようになるためには、 | |
相手との間合いをはかり、様子や状況を正確につかみ、 | |
相当な覚悟と細心の注意が必要なはずなのだ。 | |
「口がすべった」というのは言い訳で、 | |
自分の未熟さが露呈しただけのこと・・・・・・ |
最悪 | |
平静なときに最悪のときを考えておこう。 | |
最悪のときには、悠長な善後策など思い浮かぶことはないのだから・・・ | |
そんなことを考えても、いざとなれば何の役にも立たないだろうと思われるが、 | |
そんなことはない。 | |
行き先の見えない暗闇の中で、 | |
その経験が一筋の光明となって出口へ導いてくれることがある。 | |
そう信じて | |
心静かなときに、心狂う自分を想像しておこう。 |
しくみ | |
朝、目覚めたとき、 | |
今日という一日を生きる力は、どこからともなく湧いてくるのではありません。 | |
気がついていないだけで、 | |
実は自分だけの起爆装置を使っているのです。 | |
火種を用意し、一日分の燃料を整え、 | |
点火するしくみを無意識のうちに作動させています。 | |
「何となく元気がでない」というのは、 | |
その仕組みに何かトラブルが起きているということ・・・・・ | |
朝起きて「今日も頑張ろう。」という元気を、 | |
あなたはどこから得ていますか。 |
証し | |
年を重ねてくると、 | |
人はだれも、自分がこの世に生きた証しがほしくなる。 | |
そして | |
生きる値打ちのあった人生だと、納得できる証拠を探そうとする。 | |
それもいいだろう。 | |
そんなものもなしに、ただ消えていくのはさびしいことだと | |
気づくときがそのうちきっとくるのだから・・・ | |
意味のない人生ではなかったと確かめたいなら、 | |
欲張らず、見栄をはらず、謙虚に、 | |
残せるものを探せばよい。 |
人工美 | |
都会の巷では、クリスマスや年末を控えてあちこちに | |
巨大なイルミネーションが飾られているという。 | |
きれいだと思い、それで癒される人もいるだろう。 | |
そんなものとは無縁の山里の夜・・・・・・・ | |
青霞のような淡い月明かりの中で、木々の枝に積もった雪が | |
月光に反射してキラキラ光り、冴えわたる静寂を飾っている。 | |
そんな幻想的な空間の中に立っていると、 | |
大金をつぎ込んで作った電飾など無用なものだと | |
負け惜しみなどではなく、素直に思える。 | |
人工的な美しさに慣れてしまうと、 | |
人は夜空を飾る星でさえ、見ようとはしなくなる。 |
峠 | |
満たされている、と思うなら | |
何も心配しないで、明日も元気に生きればよい。 | |
だが、 | |
むなしさや寂しさがある、と思うなら、 | |
覚悟を決めて、何日かかろうとそれと向き合うしかない。 | |
納得できる、心の落ち着き先が見つかるまで・・・・・・・ | |
つらいし、苦しいのは自明のこと、 | |
そんなことでくたばるほど、お前はヤワではないはずだと、 | |
元気の出ないもう一人の自分の背中を押してやれ。 | |
眺望のきかないヤブの上り道を上るつらさは、 | |
峠につけば跡形もなく消えるものだ。 |
荷物 | |
いつの間にこんなに・・・・と自分でもあきれるほどの重荷を背負って | |
日々の暮らしがある。 | |
とっくに捨てなくてはならなかったものを捨てきれず、 | |
厄介な人間関係や仕事の重責、煩わしい利害にしばられて、 | |
肩に食い込む荷物の重さも増え続け、 | |
もう限界だ、と思える状況は年とともに切迫してくる。 | |
肩の荷を全部おろして、楽になりたいと感じるなら、 | |
そろそろ立ち止まり、一息いれる時期がきているということ・・・・・ | |
背負っているときにはわからなかったが、 | |
捨ててもよい荷物は、下してみるとわかる。 | |
・・・・捨てきれぬ荷物の重さ まえうしろ・・・・・・・ | |
山頭火 |
大人の役目 | |
気にくわないヤツはいる、 | |
ムシャクシャしてだれかに当たりたいときもある・・・・・・ | |
しかし、だからといってだれかにそんな気持ちをぶつけたら | |
その瞬間からおまえは | |
取り返しのつかないひきょう者になるのだと | |
大人が必死で教えてやらないと | |
若者や子どもは「人」になれない。 | |
「いじめ」と呼ばれる、幼稚で情けない行為をなくすには | |
未熟な彼らを「人」にする熱意と決意が | |
大人に求められる。 |
スパイス | |
人生はスープをつくる作業だと言った作家がいる。 | |
何ごともなく、平穏な人生を誰もが望むが、 | |
そんな人のスープは味がうすく、水っぽいものになる。 | |
病気、別れ、失恋、死別、挫折など、 | |
誰も好んで望まないものが、人生というスープにはスパイスとなるのだと・・・・・ | |
残念ながら、このスパイス、自分で選ぶことはできないが、 | |
おいしいスープづくりには不可欠のもの・・・・ | |
そんな甘い話ではないと思いたくもなるが、 | |
そう考えて生きるのも知恵の一つである。 |
話芸 | |
人を心から笑わせる、というのはたやすいことではない。 | |
昨今のテレビにあふれる「バラエティ」と称するドタバタに | |
眉をひそめる人も多かろう。 | |
笑うというのは、心を解放することである。 | |
固く構える人の心に自然に入り込み、 | |
人情の機微を巧みな話芸で表現して解きほぐす技は、 | |
一朝一夕に身につくものではない。 | |
「笑え!」と強いられるものは本であれ、テレビであれ、 | |
きっぱりとお断りするのがいい。 |
羨望 | |
くやしいがはっきり負けている・・・・そう感じさせる人がいる。 | |
そんな人を見ると、うらやましいを通り越して、 | |
尊敬と同時に少しのねたみややっかみの気持ちが交るのもしかたがない。 | |
自分にも同じような能力はあるはずなのに、 | |
どういうわけか、勝てないと思い知らされる。 | |
だから、羨望はあまりにかけ離れたところにいる者にではなく、 | |
ごく近いところにいる者に対して湧く、現実的な感情である。 | |
・・・・・友がみな われより偉く見ゆる日よ 花を買いきて妻と親しむ・・・・ | |
石川啄木 |
領域 | |
失礼なやつだ、と言われる人は、 | |
相手が大切にしている領域に土足でずかずかと入ってくる人・・・・・ | |
その非礼さに気付かないのは、 | |
鈍感だとか非常識だ、という問題ではなく、 | |
自分の中に大切にしている領域を持たない、さびしい人である。 |
喜び | |
一人ですべてを成し遂げた喜びも大きいが、 | |
一つの目標を仲間と共に成し遂げた喜びには、 | |
味わったことのない者にはわからない爽快感がある。 | |
喜びを分かち合えるということは、 | |
幸せなことだ。 | |
人が人として豊かになっていくためには、 | |
分かち合える喜びと仲間を持つ努力が必要なのかもしれない。 |
野生 | |
人間も地球の片隅に住まわせてもらっている野生動物です・・・・・・ | |
ある動物写真家の話。 | |
自分も野生に生きる動物だということをすっかり忘れてしまったから | |
それを思い出すために自然の中にわが身を置きたくなる。 | |
花を植えて楽しんだり、温泉に行きたくなったり、 | |
紅葉を見たくなったりするのも、そういうわけだ。 | |
自分も野生動物なのだと知りたければ、 | |
手っ取り早いのは | |
1ヶ月天気予報を聞かないで暮らしてみることだ。 | |
明日の天気や気象を五感で予想できる能力が | |
わずかだが、まだ私たちには残っている。 |
ため息 | |
ため息をつくと幸せが逃げていく・・・・・ | |
そんな話を聞いたことがあります。 | |
人前でのマナーを教えたものでしょう。 | |
しかし、 | |
ため息が出るのは、自分との会話がまだ続いている証拠、 | |
八方ふさがりのようでも、まだ残された道がどこかにあるということ・・・・・ | |
あきらめてはいない「私」が、 | |
思案し、迷いながらもまだ頑張ろうとしているサインです。 |
ウソ | |
保身のために心ならずもウソをつく・・・・・・ | |
何とも後味の悪いこんな経験は、誰もが一度や二度は持っている。 | |
子どもは叱られるのがいやで、 | |
大人は地位や肩書、プライドを守るために・・・・ | |
ウソだったとわかる前に正直に明かす勇気を持たないと、 | |
大きな禍根を残すということは、最近のニュースでよくわかる。 | |
ウソをついてはいけないと、なぜ子どもたちに教えるのか、 | |
その根拠をしっかり持っておかないと、 | |
子どもにウソをつくことになる。 |
一息 | |
そうですよね、今日まで脇目もふらずに突っ走って生きてきたんですよね。 | |
だれが何と言おうと、それだけは本当のことです。 | |
よくがんばってきたじゃありませんか。 | |
あなたのあとをずっとついてきた私が言うのだから | |
間違いありません。 |
道 | |
先日、塩の道を案内していただいた先生から聞いた話である。 | |
・・・・・同行した人に、こんな険しい山道のどこがいいのか、と聞いたら | |
「曲がりくねったところです。」という答えが一番多かった・・・・・・ | |
土木工学の発達した現代ならともかく、昔は、 | |
危険な場所や急な登り坂を避け、なるべく楽に歩くために道は曲がりくねっていた。 | |
それが「道」であった。 | |
今、新しい道を作るとすれば、 | |
どんな山の中であろうと、ひたすらまっすぐな直線として計画される。 | |
必要ならトンネルを掘り、橋をかけ、邪魔な家は移転させ、 | |
何百年もその風景を見続けてきた古木を容赦なく切り倒す・・・・・・ | |
受難の日々をかろうじて生き延びた、いにしえの道が | |
今、人々の郷愁を誘う。 | |
多くの人々とともに生きてきた道は、曲がりくねっているものなのである。 | |
・・・・・まっすぐな道でさみしい・・・・・ | |
山頭火 |
壁 | |
あれほど夢中になっていたのに、急にやる気が失せる・・・・・ | |
あれほど順調だったのに、なぜか力が出ない・・・・・・・ | |
「壁」に突き当たったときである。 | |
己の力量や可能性、能力、才能に疑問が湧き、 | |
自分や自分の手がけているものがやけに安っぽく、偽物に見え、 | |
「ほんもの」の陰がちらちら目に映る・・・・・・ | |
そんなとき、戦意を喪失してそこでやめてしまうことも多いが、 | |
「壁」は次の段階への大事な熟成期間だと思うべきだ。 | |
意識はしなくても、自分の中で、 | |
何が足りないのか、どこから軌道修正をすればよいか、を | |
もう一人の自分が必死になって探している。 | |
やがて見つかるはずの突破口を求めて、 | |
いま、懸命に発酵作業が進んでいるということ・・・・・・ | |
そんなときを「壁」と呼ぶ。 |
封印 | |
決して幸せだったと言えない過去を背負って生きている人は多い。 | |
誰彼かまわず身の上話をしないだけで、 | |
ふだんは苦い記憶として、心の奥に封印をして暮らしている。 | |
だが、 | |
都合の悪いことに取り囲まれて窮地に陥ったり、 | |
思い通りにうまく物事が進まなかったりすると、 | |
ついつい封印をしたはずの過去のせいにしたくなることがある。 | |
代償行為として悪いことではないだろうが、 | |
それですっきりすることは、まずない。 | |
なぜなら、 | |
そうなった本当の原因は、自分が一番よくわかっているし、 | |
愚痴をこぼしているだけの自分に気がついているから・・・・・・・ |
修行 | |
多くの人間は、自ら欲したわけではないが、 | |
ものにこだわり、しがらみに縛られ、 | |
思い通りにいかない事態に翻弄され、 | |
「そんな絵空事で生きていけるか!」と言いたくなる日々の中にいる。 | |
だが、実は誰もが、できれば | |
流れゆく雲や清らかな流水のように、自由に奔放に生きてみたい、 | |
そんなひそかな、あこがれだけは | |
誰にも負けないほど持っているもの・・・・・・・ | |
行雲流水 一所不在 | |
修行僧を「雲水」というのはこの言葉から・・・・・ | |
雲や水のように、自由に動き、一つのものに固執するな、という禅宗の教え。 | |
意味はわかるが、なかなかそんなふうにいかないから | |
修行の目指す目標となる。 |
写真 | |
美しい景色に出会って写真を撮りました。 | |
あらためて写真をみると、 | |
たしかに美しいのですが、シャッターを押させた深い感動は見えません。 | |
それはきっと | |
カメラの性能や腕前の問題ではなく、 | |
その景色に出会ったときの、思わず叫びたくなったあの瞬間の | |
心のはじける音が写っていないからです。 | |
そんな音までいっしょに写せる人を | |
写真家と呼びます。 |
情熱 | |
黙っていても、騒いでも、過ぎ去っていくものは歴史になる。 | |
どんな中身として記録されるかは、 | |
注ぎ込んだ情熱の量で決まるのだから、 | |
記録に残したい場面に今いると思うなら、 | |
立ち向かう事態に躊躇せず、 | |
持てる限りの情熱を注ぎ込め。 | |
そうやって記録されたものは、やがて熟成されて「思い出」になる。 |
設計図 | |
乏しい、貧しいの反対は豊か・・・・・・ | |
今、自分の中で、有り余るほど豊かにあるものは何か、 | |
ほしくても手に入れられない、欠乏しているものは何か・・・・・ | |
自分の暮らしや人生の満足度を、 | |
いったいどんなものさしで計っているのだろう・・・・・ | |
そんなことを考えてみると、 | |
これから手をつけなくてはならないものが、少し見えてくるはず。 | |
もし見えたら、 | |
何度でも書き直すことができる人生の設計図を、 | |
少し手直しすればよい。 |
風媒花 | |
すべてが風頼み・・・・・ | |
匂いも色も蜜も必要ないので持たない。 | |
花は咲くが、虫や蝶や昆虫を相手にはしない。 | |
地味な風体で、人の目には厄介な雑草と映る・・・・・・・ | |
野山に生える草花の中には、 | |
そんな控え目な一生を送るものがたくさんある。 | |
頼みの綱は「風」・・・・・ | |
そんな、慎ましいが大地にしっかりと根を張って生きる彼らを | |
風媒花と呼ぶ。 | |
そんな人間になれたら、いい。 |
鏡 | |
鏡に自分の姿を映す回数は、年とともに減っていく。 | |
最低限の身だしなみは必要だが、 | |
見てくれを気にしなくても生きていける図太さが、 | |
どこかで育っているから・・・・・ | |
鏡に自分を映して見るという行為は、 | |
つまり、 | |
他人から自分がどう見えているかを確かめること。 | |
それを確かめておかないと、何となく不安になる心理が、 | |
左右が反対で、つかもうとしてもつかめない虚像なのに、 | |
これが私だ、と思いこませる。 |
過去 | |
過去に輝いた栄光は、 | |
その後を生きる力の足しにはなるが、 | |
今やこれからを生きる原動力とはなりえない。 | |
それなのに、 | |
まるで勲章のようにぶらさげて歩いているうちは、 | |
まちがっても新しい栄光は訪れないだろう。 | |
過去はいくら飾っても消えかけた灯・・・・・・・ | |
足元を照らすために | |
切り替えなければならないスイッチを見失うと、 | |
暗闇のなかで自分の足を踏んで痛い目にあう。 |
自慢 | |
謙遜や謙譲は美徳だと言われますが、 | |
そんなしかめつらをしないで、自慢話を聞かせてください。 | |
自分だけの、密かで小さな自慢話でいいのです。 | |
取り巻く状況が厳しければ厳しいほど、 | |
むずかしい話はやめて、自分のやっていることを | |
自慢し合いたい・・・・・ | |
信頼で結ばれた間柄なら、 | |
そんな話こそ話題にしてほしいのです。 |
わがまま | |
自分勝手でわがままな人と付き合うには、 | |
こちらもわがままになることだ。 | |
自分のわがままを思いきりぶつけて、 | |
「お前はわがままだ。」と言わせることだ。 | |
相手のおかしさが見えたとき、 | |
たいていの人は自分の言動の軌道修正をする。 |
熟成 | |
ふだんは思い出すこともないが、 | |
あるとき、ふいに脳裏に浮かぶ人がいる。 | |
いまごろどうしているだろう・・・・・・ | |
長い旅路の途中で出会い、ともに同じ時間を生き、 | |
消しがたい思い出を刻んできた、「友」と呼べる人生の同志・・・・・ | |
そんな出会いを得た幸せを鍵穴に差し込み | |
またしばらく心の奥の部屋に封印する。 | |
そうやって熟成させた記憶が、 | |
年とともに自分の生きる力になっている、ということに | |
このごろ気付きはじめている。 |
肉 | |
肉の質の良し悪しは、口に入れたときに瞬時にわかる。 | |
それは確かだが、 | |
食べたあとで、「この肉はあまりいい肉じゃないね。」ともらす者がいる。 | |
心得違いをしてはいけない。 | |
ほんの少し前まで、硬かろうが柔らかかろうが、 | |
肉を食べられることが最高のご馳走であった時代があったのだ。 | |
いつのまに、いい肉などと言う言い方を覚えてしまったのだろう。 | |
噛み切れないほどかたい肉に出会うと、 | |
これが当たり前の肉の味なのだ、とうれしくなるのは、 | |
私一人であろうか。 |
別離 | |
また行けると思うから、遠ざかっても振り返らない。 | |
また会えると思うから、別れの言葉は短く済ます・・・・ | |
そう心に決めて、これまで幾度となく別離を味わってきたが、 | |
今になってみると、 | |
行きたくても行けないところや、 | |
会いたくても会えない人の数だけ、後悔が残る。 | |
もっと何かできたはず、もっと何か伝える言葉があったはずだと・・・・ | |
誰もがそんな思いを飲み込んで、今を生きている。 | |
学ぶべきことがあるとすれば、ただ一つ・・・・・ | |
一期一会、出会いも別れも一度だけ。 |
甘え | |
転んで泣き叫ぶ幼子を見ていると、おもしろいことに気づく。 | |
近くに親がいると、大きな声になり、なかなか自分で起きようとしない。 | |
だが、近くにいないと、泣きべそはかきながらも自分で起き上がる。 | |
幼子だから、と笑うことはできない。 | |
似たようなことを大人の我々もやってはいないか。 | |
「甘える」とは、そういうことなのである。 |
活力 | |
自分を奮い立たせてくれる相手がいて | |
闘いを挑む勇気を与えてくれる相手がいる・・・・ | |
そんな相手がいることは幸せなのだと知るべきだ。 | |
相手は人間だけに限らない。 | |
事態であり目標であってもよい。 | |
わずらわしく、疲れることもあるが、 | |
全力を出して立ち向かう活力は | |
そんな相手がいなければ生まれない。 | |
年を重ねると、さびしいがそんな相手は少なくなる。 |
掟 | |
一本の木なら間違いなく倒れる。 | |
だが、何本もの木々が密生したら、容易には倒れない。 | |
互いに寄り添い、支えあって重圧に耐えることができるから・・・・ | |
それが雪深い山の森や林の中の掟・・・・・ | |
厳しい状況を生き抜く術は、山の木々が教えてくれる。 | |
一人で立っていることを、自慢するものではない。 |
捨てる | |
古くなったら捨てるしかない、そういうものもある。 | |
古くなったから、価値が出て大切にされる、そういうものもある。 | |
だれもが身のまわりに、このどちらも持っているのだが、 | |
用心しておかないと | |
捨てるしかないものを後生大事に抱え込み、 | |
二度と手に入らない貴重なものを惜しげもなく捨ててしまう・・・・・・ | |
「物」に恵まれすぎた世の中は、 | |
昔は誰も間違わなかった取捨選択の感覚を狂わせている。 |
知る | |
風をうけて走るヨットが、どうして風上に向かって走れるのか・・・・ | |
知らない時には本当に不思議だった。 | |
仕組みを知ると、一見不可能と思われることにも | |
それなりの工夫や知恵があることに気づく。 | |
「知る」ことの価値は、 | |
実利にはならなくても、世の中や身の回りの自然を支配している | |
仕組みや道理、原理などを手に入れ、理解できるということ・・・・ | |
不思議だ、知りたいと欲しない者に、 | |
知識は必要なく、また身につくこともない。 |
制御 | |
ブレーキが効く、ということは、 | |
動く速度や停止位置を自分で制御できるということ・・・・ | |
若さの特徴は、 | |
真新しいブレーキのため、効きが甘いということ。 | |
ゆえに時には暴走もある。 | |
老いた者のブレーキの特徴は、 | |
摩耗のために効きすぎて、思いがけないところで止まってしまうこと。 | |
ゆえに暴走はまちがっても起こらない。 | |
暴走してみたい憧れは消えないが、 | |
古くなったブレーキがそれを許さない。 |
生きざま | |
多くは語らない。 | |
咲くために風に散る・・・・・・・・ | |
それもいい。 | |
色づきはじめた山の木々に、教えられている。 |
別れ | |
楽しい時の後に否応なく訪れる別れ・・・・ | |
面と向かってはなかなか言えないが、 | |
相手の幸せや健勝を心から祈りたくなるときがある。 | |
多くの場合、それは別れたあと、一人になったときにふいに生まれる感情・・・・ | |
かけがえのない、大事な人なのだと気づくのもそんな時だ。 | |
一つでも多く、一回でも多く、そんな気持ちを | |
大切な子どもたちに味わわせるべきだろう。 | |
人が人として、見ず知らずの多くの人の中で暮らしていけるのは、 | |
そんな、相手を思いやる心が培われているからだ。 | |
別れは、再会への一歩だと、 | |
懸命に辛さを乗り越えようとする子どもへ、伝えてやれ。 | |
脇役 | |
花の脇に生える雑草がある。 | |
花がめでられようとすると、目ざわりで邪魔だからといって、 | |
決まって引き抜かれる定めを持つ。 | |
否応はない。 | |
だが、人が手を加えずに放っておけば、 | |
やがて仲良く、ともにそれぞれの花を咲かせるではないか。 | |
主役や脇役の区別など元々ありはしないのに、 | |
人間が勝手にそれをしたがる。 |
打たれ強さ | |
どんな場面にぶつかっても動じない心、 | |
屈しない自分のつくり方・・・・・・・ | |
新聞に掲載された著書の紹介文である。 | |
著者には悪いが、そんな便利なものはない、と心得たほうがよい。 | |
押し寄せる難題や解決不能と思われる難局の中で、 | |
そんな涼しい顔をして、平気でいられるわけがない。 | |
のたうち回り、心臓に五寸釘を打ち込まれるような苦しさの中でもがくのが、 | |
庶民の相場というもの・・・・・・・ | |
ただ一つ、覚えておいてよいのは、 | |
この事態もいずれ必ず「何とかなる」と信じて誠実に動くこと・・・・・ | |
それだけを拠り所に、限界だと思える今の状況を何としても乗り越えるしかない。 | |
今日が生きられたら、 | |
明日はもう少し楽になる。 |
親 | |
わが子の巣立ちの時期を迎えた親は、 | |
多少の不安があってもあえて背中を押して送り出すもの・・・・・ | |
そして、一旦巣立ちをした以上、あとはお前の才覚で生きていけ、 | |
そんなまなざしで、遠くから子どもを見守っていく。 | |
さびしくてもそれが親の務めだから・・・・・、 | |
しかし、 | |
もしも、疲れ、傷つき、汚れて倒れそうになったら | |
いつでも戻ってこい、 | |
だれよりも先に無条件でふところに引きいれ、 | |
温め、傷をいやし、抱きしめてやる・・・・・・ | |
それも親の務めだから。 | |
親思う 心に勝る親心 今日の訪れ 何と聞くらん | |
吉田 松陰 (辞世) |
物言わぬやさしさ | |
なぜそこまで身を守るのか、と言いたくもなるクリの実・・・・ | |
針の鎧をまとい、手を伸ばす者を寄せ付けない。 | |
だが、 | |
実が熟せば、あれほど堅固であった針のカラを自分で割って | |
静かに落ちてくる。 | |
物言わぬ栗の木にも「意志」がある、としか思えない。 | |
その意志を、森の動物たちがもらって冬の命をつなぐ準備をする。 | |
森に入ると癒されるのは、いい空気や緑があるから、だけではない。 | |
物言わぬやさしさがあちこちに充ち溢れ、 | |
命をつなぐ営みの温かさに触れることができるから・・・・・・ |
潮時 | |
ここらが潮時だ、と思うところで手を引いておかないと、 | |
ひどい目にあうことがある。 | |
手が引けないのは、未練と欲が邪魔をするからだが、 | |
わかっていてもなかなかうまくいかないのが凡人・・・・・・ | |
同じ経験をし、痛い目にあってきた先人の言葉や生き方を | |
我が身の処方箋にするのも一つの手、 | |
探せば必ずどこかにある、そんなものを求めて | |
見切りの間合いを見る目を養っておきたい。 | |
潮時とは、 | |
自分の能力の限界が近くなっているときでもある。 |
自然 | |
何となく疲れているな、と感じたら、 | |
どこでもいい、「自然」の中に身を置いてみることだ。 | |
その辺の川の土手でもいい、 | |
公園の木々の下でもいい。 | |
そして、地球という、大きなサイクルの中で立派に生きているものに | |
自分の手を触れてみることだ。 | |
即効性はないのかも知れないが、 | |
体や心のどこかに、今必要なものをきっと届けてくれる。 | |
「そんなことは百も承知」と言うなら、 | |
実行に移すしかないだろう。 | |
・・・・・風と往き来し、雲からエネルギーをとれ・・・・・・・ | |
宮沢賢治 | |
共生 | |
地上の葉は生きるために競い合っていても、 | |
根は、互いに必要なものを | |
分け合って生きている。 |
宿根草 | |
山や野に咲く草花は、そのほとんどが宿根草である。 | |
1年限りに美しい花を咲かせる園芸種の草花の華麗さには及ばないが、 | |
何年も同じ場所で、地味な花を咲かせ、株を太らせ、種を作り、 | |
他の草花とうまく共生しながら、与えられた時間を精一杯生きる。 | |
花が終わると、枯れて地上から生きた痕跡を一旦は消してしまうが、 | |
彼らの命は地中で来年のために、しぶとく育まれていく。 | |
自分をことさら愛でる人間など求めもせず、泰然自若、 | |
あるがままひっそりと咲いて、ひっそりと散っていく・・・・・・・ | |
この世に見習うべき手本があるとすれば、 | |
それは宿根草・・・・・たかが草花、されど草花。 |
演技 | |
尊敬されるとまではいかなくても、 | |
みんなに好かれる人でありたい、と誰もが思う。 | |
そのために、周囲の人にやさしい言葉をかけたり、相談に乗ってやったり、 | |
自分の「見てくれ」を磨こうとする。 | |
悪いことではない。 | |
努力していることが、ひょっとすると本物になることだってあり得るから・・・・・ | |
だが、 | |
打算や計算で動いているうちは、やがて化けの皮が剥がれる時が来る。 | |
なぜなら | |
肝心なとき、その人が最も手助けを必要とするときを | |
見逃してしまうからだ。 | |
多くの場合、そんなときのサインはよほどの注意をしておかないと | |
見えたりはしないものだ。 | |
演技の台本には、まず書かれてはいない。 |
明日 | |
今日という日をいつか振り返り、思いだす日がきっとくる・・・・・ | |
毎日をそう思いながら生きていくと、 | |
今日のページに忘れずに記しておかなければならないものは何か、が | |
だんだんわかってくる。 | |
若いころ、「明日」は黙っていても向こうからやってきた。 | |
だが年を重ねてくると、 | |
今日を実りあるものとして生きないと | |
記憶に残せる明日は来ない。 |
寂しさ | |
「寂しさ」の本質は、「人恋しさ」です。 | |
どんな理屈を並べて弁明しようとも、 | |
その中には出てこない、誰かの温もりを密かに欲する気持ちです。 | |
そんな気持ちを「弱さ」と感じ、意地でも認めたくないと思うときに、 | |
人は寂しくなるのです。 |
感謝 | |
日々の小さな幸せに感謝できる心があれば、 | |
時折やってくる災難も浅い傷ですむ。 | |
宗教家が説く「信心」の本質は、 | |
勝手に自分の意志で生きていると思う日々の営みを、 | |
「生かされている」と、違う視点で見つめ直せ、ということ・・・・・ | |
神や仏に頼らなくても | |
何か大きな力によって「生かされている」と感じることはできる。 | |
「今日はいい一日だった・・・」と寝る前に思いあたれば、 | |
何かに感謝したい気持ちが素直に自分をとりまいている。 | |
そう思うだけでいい。 |
子どもの心 | |
みんなが落ち込んでいるときに、その人がいてくれると、 | |
何となく元気がでる・・・・そんな人がいる。 | |
そんな人をよく見ていると、 | |
どこかに「子どもの心」を持っている人だということに気がつく。 | |
誰にもわけへだてなく接し、 | |
無邪気によく笑い、 | |
むずかしい理屈は言わない・・・・・・・ | |
誰にも真似のできないそんな天性の明るさは、 | |
人の世もまんざら捨てたものでもない、と思わせてくれる。 | |
教養や知識や肩書とは無縁のところで、 | |
太陽のように温かい人生を生きている人が確かにいる。 |
こころ | |
いつも忘れずに持ち歩きたいものですか?・・・そうですね・・・ | |
「感動する心」でしょうか。 | |
何をしても、何を見ても、 | |
いつもやわらかく動く「こころ」ですね。 | |
それは、 | |
ああ、彼も私も生きている・・・と感じさせてくれる力です。 |
目標 | |
あれもしたい、こんなこともしてみたいと思うのはいいのですが、 | |
なかなか実行に移せないのが我々凡人です。 | |
そうやって楽しいことをあれこれと夢見るのも幸せかもしれません。 | |
しかし、 | |
これだと決めたことに一途に向き合い、少しずつ実行に移していく幸せもあります。 | |
その対象がたとえ些少なことでも、実行できたときには | |
他人にはわからない充実感で満たされるという事実も知っておくべきですね。 | |
計画倒れでは困りますが、 | |
人知れず、こっそりと計画を立て、 | |
何か一つ、渾身の力を注いでやってみる・・・・・・ | |
そんな目標を持ってみてもいいのではありませんか。 |
負 | |
こんな自分はきらいだ、こんなことを考える自分はいやだ・・・・ | |
自分に対して、負のイメージを蓄積するのはたやすい。 | |
やがてそれが自信の喪失となり、 | |
信じることのできないおのれへの自己嫌悪になっていく。 | |
解決策はただひとつ・・・・・・ | |
いいところを一つでいいから見つけ、自分で認めてやること。 | |
負だと思い込んでいるものの中に、必ずある。 | |
自分で見つけることができなければ、 | |
誰かの手助けを得るのもよいだろう。 | |
いつも一緒に生きてきた「私」が、「私」を好きになってやらなくて、 | |
いったい誰が「私」を好きになってくれるというのか・・・・・ | |
山のように積み上げられた負のイメージも、 | |
そのこと一つで、あっというまに消えてなくなる。 |
座右 | |
勇気がほしい時にストンと胸に落ちる1つの言葉・・・・ | |
心が何となく寒いときに聴きたくなる一つの曲・・・・・ | |
何かにつまづき、自分を見失いそうなときに読む1冊の本・・・・ | |
ほっとしたときに何気なく見る1枚の絵・・・・・ | |
忘れかけていたものがよみがえったときにふと目に入る1枚の写真・・・・ | |
だれにも教えたくないお気に入りの風景・・・・・・・ | |
そんな自分だけの座右の宝物は、 | |
何をさておいても手に入れるべきだ。 | |
時の流れの中を溺れずに生きていくために身につける、 | |
救命胴衣だと心得て・・・・・・ |
器用 | |
「器用」であるというのは、 | |
人間に本来備わった能力ではない。 | |
そう呼ばれる人は、人一倍「好奇心」が旺盛なだけだ。 | |
それに、もうひとつ | |
自分の持つ可能性をあきれるほど信じる楽天家でもある。 | |
自分は「器用」ではないと思うなら、 | |
一度胸に手を置いてこのことを問うてみるとよい。 |
願い | |
ひたすら一つのことに打ち込み、長年追い求め続けることは | |
誰にでもできることではない。 | |
だが、 | |
そうありたいと願うことなら、 | |
凡人の自分にもできそうな気がする。 | |
そう思う気持ちが、 | |
いま自分の手がけていることに小さな輝きを吹き込むということは、 | |
あり得ることだ。 | |
努力や精進はもちろん必要だが、 | |
それだけではない、何かが、 | |
心の持ちようにかかっている。 |
私有財産 | |
・・・・・・目の前の世界とちがう世界を想像できなければ、 | |
自分の未来など、考え、思い描くことはできない・・・・・・・・ | |
かつてはだれもが豊かに持っていた想像力だが、 | |
今を生きる子どもや親たちにも同じようにあるのだろうか。 | |
幼いころに目を輝かせ、胸を躍らせ聞き入った昔話や | |
未知なる世界を描く本に親しみ、想像や夢をふくらませた、あの営みが | |
今の子どもや親たちにもあるものと思いたい。 | |
そうやって培った想像力を駆使し、支えにして、多くの人が | |
自分の人生を切り拓いて生きてきた。 | |
未来を夢見る想像力という力は、 | |
誰もが、両手に持ちきれないほど手にすることが許される、 | |
数少ない私有財産なのだから・・・・・・・ |
平穏 | |
万事うまくいっているのに、漠然とした不安にかられることがある。 | |
思い当たる、いくつかの不安要素は、 | |
できるならそっとしておいたほうがよいだろう。 | |
気になるからといってむやみに掘り起こすと、 | |
その処理に悩むことになる。 | |
それよりも、 | |
「来るときにはだまっていても向こうからやって来る。」と腹をくくり、 | |
今の平穏を享受するほうが精神衛生上、何倍もよい。 | |
人は不安やストレスのない生活を望むものだが、 | |
そんなものが全くない生活などあり得ないし、 | |
そんな状態で暮らしたら、きっと退屈してしまう。 | |
今の平穏は、それなりに努力をして得たものなのだから、 | |
味わえるときに、しっかり味わっておこう。 |
子ども | |
子どもだからそんな気持ちにはならないだろう・・・・ | |
と、大人が勝手に思い込むのは間違っている。 | |
ものごころがつけば、 | |
大人が感じるものはほとんど本質的に同等に感じていると思うべきだ。 | |
生まれたばかりの野生の動物の子どもが、 | |
すぐに立って歩こうとするのと同じで、 | |
人の子どもも、生きるために周囲の雰囲気を感じ取る感覚が | |
自然に備わっている。 | |
大人とちがうのは、 | |
感じたものごとを、うまく整理して表現できないだけだ、ということは | |
自分の幼いころを思い出してみればすぐにわかる。 |
勝敗 | |
弱いから負けた・・・・ | |
確かにそうだろう。 | |
勝ち負けの結果だけをみれば当然そうなる。 | |
だが、 | |
敗北という結果を受け入れなければならない局面で、 | |
ただ打ちのめされるのではなく、 | |
つらいが、その中から次に手を打つ道筋を探すことができれば、 | |
「負けた」とは見ない美学が世の中にはある。 | |
どう見られようと、何と言われようと、がむしゃらにその道筋を探す・・・・・ | |
それが潔い負けというものだ。 | |
敗戦処理を誤ると | |
次には勝てる勝負も逃げていく。 |
切符 | |
往復切符を求める旅は、 | |
必ず元の出発地点にもどることを考えたもの・・・・・ | |
片道切符の旅は、 | |
終着駅から先はまだ決まっていない。 | |
人生を「旅」にたとえるなら、 | |
今私の持っている切符はどちらなのか、 | |
考えておいたほうがよいだろう。 | |
安心を優先するか、不安はあってもときめきを優先するか・・・・・・ | |
それは、自分らしさの、もっとも顕著な表現方法だと思うから。 |
履歴書 | |
失恋は 誰もが経験する人生の回り道の一つである。 | |
人生の中で一人の人を真剣に好きになることができたという、 | |
自分だけのひそかな履歴書・・・・・・・・ | |
痛手を乗り切り、その履歴書に大切な出来事として書き込まれたときに、 | |
それがかけがえのない回り道であったことに気づく。 |
重圧 | |
冬 降り積もる雪の重みに耐える木々の生き方には二通りある。 | |
太い幹の頑強さを頼りに、じっと雪の重さを支えて耐える木・・・・ | |
重さに逆らわず、雪には埋もれるが、しなやかなバネのように | |
雪解けとともに雪をはねのけて立ち上がる木・・・・・ | |
前者は重みに耐えきれずに折れる危険を持ち、 | |
後者は重みで変形させられ、思い通りの樹形になれない不自由さを持つ。 | |
しかし、 | |
両者に共通するのは、 | |
のしかかる重圧に屈しない、生存への意思である。 | |
自分もかくありたいと望むなら、 | |
剛柔のいずれが自分の持ち味なのかを | |
重圧がのしかかる前に知っておくことだ。 |
追憶 | |
いったん心に焼き付けられた、良きものとしての思い出や大切な人の面影は、 | |
なかなか簡単には消えないものです。 | |
長い年月の経過で色あせることはあっても、 | |
手を伸ばせばすぐに当時のいろんな場面がよみがえってきます。 | |
楽しかった思い出や出会った人の面影がふっとほしくなる、 | |
そんな、心の回帰運動を「追憶」といいます。 | |
人がそんな思いに駆られるのは、 | |
たいてい、心のどこかにほんの少し空白ができ、すきま風が吹いているとき・・・・・ | |
心配はいりません。 | |
大げさなことではなく、誰にもよくあることです。 | |
追憶によって呼び戻されたなつかしい記憶のおかげで、 | |
空白を埋める作業が終われば、 | |
心はまた平静な、普段の状態にもどるはずですから・・・・・・・ |
心意気 | |
年をとると、もの忘れが強くなる。 | |
生理学的にはちゃんと説明がついているのだが、 | |
そんな理屈を受け入れるのはまっぴらご免だ。 | |
これからの人生を生きる上で、 | |
もっと大切なものを忘れないために、必要の薄い記憶や知識を選別し | |
さりげなく消している・・・・・ | |
そう考えるのが心意気というもの。 | |
強がりだ、などと言う輩には言わせておくがいい。 | |
人生の後半は心意気で暮らせばよい。 |
同じ時間 | |
夫婦のきずなが強くなるのは、 | |
他の誰も共有しない、同じ時間を積み重ねることができるから・・・・ | |
積み重ねたものはレンガのように目に見えることはないが、 | |
人間の奥深いところで連帯感という、 | |
人と人を結びつける最高の溶剤となる。 | |
たとえ同じ時間を持っても、 | |
積み重ねることができない関係は、 | |
少しの風や揺れで危うくなる。 | |
大切なのは | |
「持つこと」ではなく、「積み重ねる」こと・・・・・・・・ |
感性 | |
きれいな花を見たければ、花屋へ行けばよいが、 | |
ふと足をとめて、路傍に咲く名もない野草に見とれる感性は、 | |
花屋の花をいくら見ていても、磨かれない。 | |
感性を磨く砥石の良し悪しは、 | |
そのものごとの中に「命の営み」を見いだせるか・・・・ | |
この一点で決まる。 |
戦友 | |
どんなときでも | |
愚痴や弱音を吐かず、 | |
たとえ不利になるとわかっていても | |
決して甘い言葉は使わない奴だけが | |
修羅場で戦友になれる。 |
夢 | |
夢を語り、夢に向かって進むときは、 | |
みんないっしょになれる。 | |
だが、 | |
夢が形になったときには、 | |
いっしょにやってきた者同士が背を向けあうこともある。 | |
夢が実現したあとのことは、 | |
取りかかる前には誰も考えないから・・・・・ | |
そのことだけは心得ておこう。 |
巣穴 | |
今いる場所の、居心地のよさは、 | |
その場を離れることになったときに思い知る。 | |
おもしろくない、退屈だ、などという不満を感じたら、 | |
思い切ってその場を離れてみるのもいいかも知れない。 | |
遠くから自分の巣穴をあらためてながめてみると、 | |
それまで苦労しながら作ってきた巣穴の値打ちが、 | |
それまでとは違って見える、ということもあるだろう。 |
道具 | |
ほしいものがすぐに手に入らない山里の暮らしは、 | |
知恵と工夫で、それに近い機能を持つ物を自分で作り出す術を生み出した。 | |
不恰好で、洗練されたデザインなどとは無縁の代物だが、 | |
贅沢を言わなければ、十分に役に立つ。 | |
お金をかけずに作ったそんな道具を見て、 | |
誰一人 笑う人はいない。 | |
山奥の村では、誰もがさりげなく、卓越した職人の技を持っている。 | |
たまには・・・・ | |
大切な人と一緒に暮らせる日々の価値は、 | |
時折立ち止まり、足をとめてそのぬくもりを確かめておかないと、 | |
雑多な日常のわずらわしさにまぎれて | |
気付かないうちにどこへ行ったのか、分からなくなる。 | |
自分のそばに当たり前のようにいてくれる人の横顔を | |
たまにはそっと見つめて、 | |
この人といっしょに生きているという事実を | |
心に刻み直しておこう。 |
準備 | |
目的地は決まっても、 | |
いきなりそこへ飛んでいくことは出来ませんね。 | |
燃料を満たし、ルートを確かめ、天候や風の情報を手に入れたとしても、 | |
何よりも | |
飛び立つための滑走路がなくては・・・・・ | |
そんなものを用意しないで、 | |
いきなり飛び立とうとする人が多すぎるようです。 | |
地味で、苦労と忍耐がいりますが、 | |
夢や希望がそこにあるのなら、避けてはいけません。 | |
離陸に必要な滑走路を作る作業は | |
進んでいますか。 |
初心者 | |
心配はいらない。 | |
昨日までどんな肩書きや経歴や地位を持っていた人も | |
「きょう」という日を生きることに関しては、 | |
あなたや私と同じ初心者なのだから・・・・ | |
そんな人たちと、「今日」を対等に生きることができれば、 | |
勝負はできる。 | |
蛙 | |
井の中の蛙はたしかに大海を知らない。 | |
しかし | |
井の深さは誰よりもよく知っている。 | |
井の中の蛙といわれても | |
何一つ恥じることはない。 |
半分 | |
つらい仕事に取り組んで半分あたりまで片付いたとき、 | |
「もう半分まで来たか、もう少しだ。」 | |
「あれだけやってまだ半分か・・・・」 | |
誰しもこの二つの思いを経験している。 | |
仕事の総量は変わらないのに、この違いが出るのは | |
その仕事に対する自分の意味付けに違いがあるから・・・・・・ | |
どんな仕事でも、 | |
半分あたりに来た時に、 | |
その仕事が「私」にとってどんな意味があるのかが、 | |
次第に分かってくる。 |
綱引き | |
年配の人なら覚えているだろう。 | |
昔の綱引きという競技には、 | |
はじめに引く側と、はじめは腰を落として我慢する側が決められていた。 | |
開始の合図とともに、片方は引き、片方は引かれないように耐える・・・・ | |
今見る綱引きは、 | |
合図とともに一斉に力任せに引きあうというもの・・・・・・ | |
いつからそんなルールに変わったのだろう。 | |
効率や成果を至上のものと考え始め、 | |
力任せに相手を引き倒すことが勝つことだと | |
人々が思い始めた時期に重なるような気がしてならない。 | |
常に相手を上回る力を出せ、という命題は、 | |
時として、みんなで腕を組んで倒れないように耐えるという、 | |
共生の良識を駆逐していく。 |
助け | |
困ったときには誰かに助けを求める・・・・ | |
というのはあたりまえだと言うが、 | |
これは結構むずかしいこと。 | |
他人の助けには、「情け」がついていると感じるからだ。 | |
憐憫や同情、そんな「情け」をかけられるのはたまらない、と思うから | |
多くの場合、素直に助けが求められない。 | |
よく考えてみるとそれは、実は | |
自分が誰かを助けるときに | |
そう思ってしまうという経験が下敷きになっている。 |
歴史 | |
今日と昨日の一番の違いは、 | |
昨日はもう取り戻せないということだけではありません。 | |
忘れてならないのは、 | |
「昨日」はまぎれもなく | |
私の「歴史」になったということです。 | |
何があったにせよ、雲をつかむような「今日」とちがって、 | |
昨日という一日を、たしかに「私」は生きた、という証しが刻まれました。 | |
それでいい・・・と一言 | |
つぶやいてみればどうですか。 |
出発 | |
まったく不安のない船出など ありえない。 | |
行くと決めてはみたものの、 | |
揺るぎない自信など、そうたやすく手に入るものではないのだから・・・ | |
それでも進むことを選ぶのは、 | |
不安を上回る希望や夢があるからだろう。 | |
そんなものがないと思うなら、 | |
今は出発のときではないと心得るほうがよい。 | |
出発した後で後悔すれば、 | |
船の舵は動かなくなる。 |