雑感バックNo.8
![]()
| お礼 | |
| やさしく、謙虚に生きてください。 | |
| 我を張ったり、他を見下したり、自分を卑下したりしても、 | |
| あなたの値打ちはちっとも上がりません。 | |
| それよりも、ほんの少しでいいから、 | |
| 人を認め、自分を褒め、 | |
| いろんなものに「ありがとう」と、そっとつぶやける人になってください。 | |
| そして、無理な背伸びをしないで、 | |
| ささやかでも、あなたしかできない芽吹きをすればいいんだと思います。 | |
| あなたの歩く道が、私も好きな回り道だといいですね。 | |
| もしもすてきな唄が聴こえてきたら、また教えてください。 | |
| 私の回り道にもどうやら卒業の時が来たようです。 | |
| また会える日まで、どうぞお元気で・・・・・・・・ | |
| ・・・・あるがまま 雑草として芽をふく・・・・ | |
| 山頭火 | 
| 回り道 | |
| 主要な道の近くに、回り道として作った「バイパス」と呼ばれる道が、 | |
| いつの間にか主要道となり、これまでの主役だった旧道が回り道となる・・・・・・ | |
| 身近なところでよく見かける光景だ。 | |
| より早く、より快適に目的地へ向かうために、 | |
| 人々が考え出した、選手交代のドラマである。 | |
| ゆっくり、のんびりと目的地を目指したいなら、 | |
| たとえ快適でも、そのバイパスを降りるしかない。 | |
| 回り道はたいてい、今歩いている道の、そう遠くないところにある。 | 
| タテと横 | |
| タテに伸びる竹は、割れるときもあっけなくタテに割れる。 | |
| 横に広がる竹の根は、 | |
| たとえ大地が裂けても、容易に切れることはないという。 | |
| より高みを求めて、ひたすらタテに伸びることばかりを考えていると、 | |
| わずかな揺れにも悲鳴をあげることになる。 | |
| 地味だが、横へ広がりながら根を張る生き方が、 | |
| いざというときに我が身を救ってくれるということ・・・・・・・・ | 
| 軍師 | |
| すぐれた軍師とは、 | |
| 主はどんな人間か、を誰よりも理解し、 | |
| 主の能力が最も発揮される道を誰よりも早く、正確に見出せる人物である。 | |
| そんな人間や部下を「軍師」とは呼ばない現代でも、 | |
| 組織を率いるリーダーは、 | |
| これぞと見込む人物を、「三顧の礼」を以ってでも手に入れるべきだ。 | |
| 自分の考えを押し付ける軍師を持った将は、やがて自分を見失い、倒れる。 | |
| 有効な作戦を立てられない軍師を持った将は、迷いの中で墓穴を掘る。 | 
| 夢 | |
| 人間とは妙なもので、 | |
| とっくに結論は自分でもわかっているのに、 | |
| 何か起こらないか、何か方法はないかと考える生き物です。 | |
| いくら考えても徒労だとわかっているのに、 | |
| あきらめきれない、どうにも困った生き物です。 | |
| でも、 | |
| その執念深さのおかげで、 | |
| 100年前は夢物語だったものを現実にしてきました。 | |
| 夢のような話だけど、こんなことができたらいいなあ・・・・ | |
| そう思うことは、まんざら夢とは言えないかも知れません。 | |
| 思い続け、考え続けているうちに、 | |
| 実は実現に一歩ずつ近づいていることだってあるのです。 | 
| 計測器 | |
| 「知性」の有無は、 | |
| 対極にある「感性」と共に、 | |
| その人の値打ちや輝きを計る、最も優れた計測器となる。 | |
| では、 | |
| 知性・・・とは何か。 | |
| 知識でもなく、知恵でもない。 | |
| もちろん、学校の成績や学歴から生まれるものでもない。 | |
| ものを知り、覚え、使いこなせるようになっても、 | |
| 知性がある・・・とは言わないだろう。 | |
| 自分がいったいどれほどの人間か、は、 | |
| この問いに答えてみれば、ほぼ分かる。 | 
| 勝負 | |
| 「北風と太陽」は寓話としてはおもしろいが、 | |
| 厳密に言うと、旅人の外套を脱がすという勝負を選んだ北風のミスであった。 | |
| 旅人に外套を着せるという勝負であれば、北風は確実に勝っていただろう。 | |
| 桜の花芽は、北風が運ぶ寒気で目を覚まし、 | |
| 開花の準備を始めるという。 | |
| 今年、北風のあまり吹かなかった南国では、寝ぼけた桜が | |
| 開花の時期を間違えて、遅れるとのこと・・・・・・・ | |
| 太陽の暖かさだけで、桜を咲かせることはできない。 | |
| 自分にしかない個性や特徴、役割を忘れて、 | |
| 相手の土俵で相撲をとれば、勝てる勝負も逃げていく。 | 
| 自問 | |
| 満たされていますか。 | |
| 心が温かいものでやんわりと包まれていますか。 | |
| すべての命あるものがいとおしく思えますか。 | |
| 誰にも干渉されない「私」を生きていますか。 | |
| 夢はしぼんでいませんか。 | |
| これから進む道は見えていますか。 | |
| はるか遠くまで飛んでいく体力と気力は整いましたか。 | |
| やるだけのことはやったと言えますか・・・・・・・ | |
| そろそろ、旅立ちのときですね。 | 
| 残り | |
| 自分の一生が8cmのろうそくならば、 | |
| 残りの2cmは、 | |
| 自分のために燃えたい。 | 
| 教訓 | |
| 落ち込んだときこそ、 | |
| 夢や希望を持たなければならないと、誰もが知っているが、 | |
| これは、思ったよりむずかしいこと・・・・・ | |
| 体や心に受けたダメージは、口で言うほど生易しいものではない。 | |
| だが、 | |
| それでも沈んでいてはだめだ、と思うなら、 | |
| 何とか気をとりなおして、立ち上がるしかない。 | |
| 頼みになるものなら、何だっていい、 | |
| それに寄りかかってでも、とにかく立ち上がれ。 | |
| そして、息苦しくても「今日」を精一杯生きろ。 | |
| 今日が生きぬけたら、 | |
| 明日はもう少し楽になる・・・・ | 
| 癒し | |
| 癒される・・・というのは、 | |
| 何かで紛らわせて、嫌なことを忘れてしまうということではありません。 | |
| 真正面から向き合うことのなかった自分と、 | |
| 静かに話ができるということです・・・・・・ | |
| こんな自分が今ここにいると気づき、自分を限りなく、いとおしく思い、 | |
| 私とつながった多くの人やものとの縁を思い起こし、 | |
| すべての流れを止めて、静かに、じっくりと、 | |
| 自分に話しかける時間を言います。 | |
| だから、癒しの深さは、 | |
| 自分を見つめ、自分と語り合った時間の深さに比例します。 | |
| 癒されていたと分かるのは、 | |
| そんな自分との会話が終わったあとです。 | 
| ハードル | |
| 人生というレースには、 | |
| 跳び越してもよいハードルと、跳び越してはならないハードルがある。 | |
| 前者は跳び越さないとその先の走路が見えない。 | |
| 後者を跳び越すと周囲に多大の迷惑をかけ、自分も傷つく。 | |
| そんな理屈が分かっていても困るのは、 | |
| 目の前のハードルがどちらなのか、ということ・・・・・ | |
| 経験や洞察で、多くの場合見当がつくのだが、 | |
| 長い人生、一度や二度の見間違えはあるものだ。 | |
| 後悔や悔悟という名のペナルティーを覚悟さえしておけば、 | |
| とにかく跳んでみること。 | |
| ゴールにたどり着き、レースを振り返ったときに、 | |
| 跳んでもよかったのか、どうかは自ずとわかる。 | 
| 関係 | |
| 私にとっては大事なことも、 | |
| あなたにとっては、べつにどうでもいいことです。 | |
| その関係を「他人」と言います。 | |
| 私にとって大事なことが、 | |
| あなたにとっても大事なことになると、 | |
| その関係を何と呼ぶのでしょう。 | |
| どうでもいいことが多すぎる世の中で、 | |
| そんなことが気になりだしたら、ちょっと考えてみてもらえませんか。 | |
| 大事なことを共有しようとする関係は、 | |
| そんなに多くはないはずですから・・・・・・ | 
| 巣立ち | |
| 昨日まで、そこにあたりまえにあったものが、 | |
| ふいに姿を消してしまう。 | |
| もう二度と、これまでのような形には戻らない・・・・・ | |
| そう思うと、 | |
| 手元にあったときのいろんな思い出が、次々に浮かんできて、 | |
| 思わず目頭が熱くなる・・・・・ | |
| さびしくなるというのは、こんなことを言うんだなと、 | |
| いい年をして、あらためて思い知らされている。 | |
| 愛する人と結ばれて、 | |
| 娘が昨日、巣立っていった。 | 
| 卒業 | |
| 卒業し、巣立っていくのは子どもだけではない。 | |
| かかわって共に生きてきた周りの大人も、いっしょに卒業を迎える。 | |
| 卒業証書などはないが、 | |
| 何かが一つ、確実に終わったという深い充実感がその証し・・・・・・ | |
| 巣立つ子どもの後姿を見送る時間が、 | |
| そんな大人たちの、静かな「卒業式」になる。 | 
| 期待 | |
| そんなはずはない、そんなことは起こりえない・・・と思いながらも、 | |
| 人は何かをするときに、これをすればあることが起こるかもしれないという、 | |
| 密かな期待や空想を持つことがある。 | |
| 多くの場合、自分にとって都合のいい結果を考えるのだが、 | |
| 世の中そう具合よくはいかないもの・・・・・ | |
| 文字通り「期待はずれ」となることがほとんどだ。 | |
| だが、 | |
| 万に一つ、期待が現実のものになることがある。 | |
| その驚きと喜びがあるから、 | |
| 人はまた同じように期待を持って事を起こす。 | |
| 案外、本人は気づいていないが、 | |
| 人が本能に基づくこと以外で行動を起こす、大きな原動力は、 | |
| この確率の極めて低い、期待の実現なのかも知れない。 | 
| 嫁ぐ娘へ | |
| 父は今考えている。 | |
| おまえのためにしてやれたことは何だったのか、と・・・・・ | |
| おまえを育むゆりかごが、心地よく、温かいものになるように | |
| 心を砕いてきたつもりだが、果たしてどうだったのだろう。 | |
| 巣立っていく我が子を見送るのはつらいが、 | |
| これも親の定め、いつかはこんな日が来ると覚悟はできている。 | |
| 私たちのことは心配せず、 | |
| おまえ自身の幸せだけを考えなさい。 | |
| それが一番の親孝行なのだから・・・・・・ | |
| 式では涙は見せないつもりだが、自信はない。 | |
| 私たちの子として生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう・・・・・・ | |
| 結婚、おめでとう。幸せになれよ・・・・・・ | |
| 父より | 
| 子ども | |
| 子どもは、とにかく笑って育っていくもの・・・・・ | |
| 笑い、はしゃぎ、ふざけ回りながら、 | |
| 周囲の大人たちの温かい視線を、「これが愛情なのだ」と覚えながら | |
| 育っていく。 | |
| 笑えない子どもは哀しい。 | |
| 笑って一日を終え、満ち足りて眠りにつけない子どもは哀しい。 | |
| そんな子どもたちにしたくないから、 | |
| 親たちは、せっせと明るく笑える環境を作ることに汗を流す。 | |
| そして、そのかわりに | |
| 力いっぱい笑いながら育つ我が子に、 | |
| 明日を生きる元気をわけてもらっている。 | 
| 旅 | |
| 絵を描くときに、素人なりに心がけている。 | |
| 一体何が描きたいのか、それが見える絵であるように・・・・・ | |
| 花一本、道一本を描いても、 | |
| その中に何を見つけたのかが見えるように・・・・・・ | |
| 老年を生きていこうとする今、素人なりに心がけている。 | |
| 一体「私」とは何者だったのか、その答えを見つけられるように・・・・・ | |
| 出会った人、別れた人、今自分を取り巻いている人たちは、 | |
| 「わたし」に何を残し、「わたし」は彼らに何を与えたのか、 | |
| その答えを見つけられるように・・・・・・ | |
| もう余分なものはとうてい背負いきれないので、 | |
| それだけを見つける旅にできたら、と思う。 | 
| 贈り物 | |
| 劇的な出会いがあったのではありません。 | |
| もちろん、計算や打算があったわけでもありません。 | |
| 彼が貴方に惹かれたのは、 | |
| 貴方が見せてくれた、あのときの小さな笑顔だったのです。 | |
| その微笑みでどれだけ肩の荷が軽くなり、 | |
| どれだけ明日を生きようという元気をもらえたことか・・・・・ | |
| 貴方はもうとっくに忘れているでしょうが、 | |
| そんなささやかな贈り物でも、人は幸せな気持ちになれるのです。 | |
| 彼は | |
| そんな笑顔の奥に、貴方の温かさを見たのです。. | 
| 軌跡 | |
| どんな人の人生にも光がある。 | |
| ささやかで、つつましい日々であったかも知れないが、 | |
| 幾多の障壁を乗り越えて何とか生きてきた・・・という事実は、 | |
| 誰はばかることなく、賞賛に値する。 | |
| 自分の人生を振り返るにはまだ若すぎる人たちも、 | |
| そろそろ人生の後片付けを始めた人たちも、 | |
| 等しく光っている自分の生きた軌跡を、見失うことがあってはならない。 | |
| 1年、5年、10年・・・・・・を生きてきたというのは、 | |
| ほんとうにすごいことなのだ。 | |
| だれもそんな自分を褒めないが、 | |
| 我ながらよくやった・・・と、せめて一言つぶやいてもいい。 | 
| 回り道 | |
| あの時もっと要領よく立ち回っていたら・・・・・ | |
| 私には関係ない、と厄介な誘いや仕事を断ることができていたなら・・・・・ | |
| 人のことなど気にせず、自分を押し通すことができる勇気があったなら・・・・・ | |
| 自分の人生はきっと思いもかけない方向へ進んでいたのだろう。 | |
| そんなことを平然とこなす人を横目で見ながら、 | |
| それらができずにずいぶん回り道をしてきた。 | |
| 「不器用にしか生きられない」というのは、 | |
| ドラマや映画の中のセリフだと意にも介さなかったが、 | |
| 気がついてみると、何の事はない、まさに自分そのもの・・・・・・ | |
| 確かに要領よく、最短距離を駆け足で一気に登る生き方はできなかったが、 | |
| そんな回り道を歩んでも、何とかここまで来れたのだから、 | |
| もうしばらくこの道を行ってみてもいいのだろう。 | |
| 回り道は、見てくれは悪いが | |
| 不器用で平凡な人間の足にはやさしい道である。 | 
| 点火 | |
| 「団塊の世代」という呼称をその著書で世に広めた | |
| 作家・評論家の堺屋太一氏が言う。 | |
| ・・・・・団塊の世代にリーダーはいない。 | |
| 優れた個人の力で世の中を引っ張ってきたのではなく、 | |
| 数の力で引っ張ってきた。だから、 | |
| 団塊の世代はパイロットではなく、強力なエンジンであった。・・・・・・・・ | |
| いくら優秀で強力なエンジンでも、 | |
| 誰かがスイッチを入れ、点火しないと動かない。 | |
| そんな誰かや組織から離れる時期が近づいているが、 | |
| さて、 | |
| 自分のエンジンに今度は自分で点火できるか・・・・・・ | |
| 燃料はまだ十分に残っている。心配ない。 | 
| 決断 | |
| 決断を迫られた場面を思い出してみるとよい。 | |
| 意を決して判断をしたと思い込んでいるが、 | |
| 実は | |
| 勇気で補えたのは2割ほど・・・・・ | |
| 残りは、逃げ出したい不安や、先の見えない怖れであったはず・・・・・ | |
| ならば、どうしてそれでも決断ができたのか・・・ | |
| たとえどうなろうと、 | |
| その道を選ぶしか事態の解決はないと考え至ったからであろう。 | |
| 胸の苦しくなるような不安や怖れ、圧力があっても | |
| 人には、それらをはねのけて前へ進む駆動装置が備わっている。 | |
| 逃げ出さず、誠実に向き合うしかないという覚悟が生まれると、 | |
| この駆動装置は、それに連動して静かに動き始める。 | 
| 断ち切る | |
| 柵・・・・「さく」とも読むが、「しがらみ」とも読む。 | |
| 川の流れに杭を打ち、竹や柴をからみかけた柵には、 | |
| 流れに乗っていろんなものがからみつく。 | |
| 人生の激流から自分や大切な家族を守るために、 | |
| 気付かないうちに何本も打ち込まれた柵に囲まれて、 | |
| 今の生活がある。 | |
| その一つひとつにからみつくものは、 | |
| いわばこれまで自分の築いてきたものが確かに守られたという証し・・・・・ | |
| 「しがらみ」を断ち切るとは、 | |
| 安全のために作られた柵を取り払い、 | |
| 無防備となることを意味する。 | |
| それをよしとする覚悟がなければ、使える言葉ではない。 | 
| 伝える | |
| 転んで泣く子どもに、決して手を貸さない。 | |
| 泣けば誰かが助けてくれるという甘えを覚えさせないために・・・・・ | |
| 傷つき、悲しみに沈む人に、手を差し伸べる。 | |
| 泣きたければ泣いてもいい、 | |
| きっと誰かが助けてくれるという甘えも許されることを伝えるために・・・・ | |
| 転んでも、傷ついても、最後に立ち上がるのは自分だが、 | |
| 立とうという意思を育ててくれるのは、手段はいろいろでも、 | |
| 「あなたは私にとって大切な人です」と、メッセージを届けてくれる人・・・・・ | 
| 一つ | |
| うれしいことが一つあると、 | |
| やさしい言葉を一つ、周りの人にかけてやれる。 | |
| 自分では決して気付かないが、 | |
| まちがいなく、そんな言葉が自分の中で一つ生まれている。 | |
| だから | |
| うれしい、楽しいと感じる心には、 | |
| 人を結びつける力がある。 | 
| 一目惚れ | |
| 一目ぼれ・・・・・・とは、 | |
| 相手の中にある、自分と共通するものを | |
| 瞬時に感じ取る心の働きです。 | |
| だから、 | |
| 実はよく見てもいないのに、 | |
| 何だかすべてが分かったような気持ちになるのです。 | 
| 歌 | |
| かつて おじさんたちが若い頃、口ずさんできた歌には、 | |
| 明日を夢みる、底抜けの明るさがどこかに漂っていた。 | |
| 失恋の歌でさえ、落ち込むよりも前を見て歩け、という響きが感じられたものだ。 | |
| 世の中すべてが右肩あがりに成長し続ける世相から生まれる歌は、 | |
| 若者の心にも「今日より明日を・・・・」というメッセージを届け続けたし、 | |
| 今は貧しくても、頑張っただけ豊かになれるという神話が、 | |
| 日々の鬱屈した気分を吹き払っていたように思う。 | |
| そんな空気の中で生きてきたおじさんたちが、 | |
| 明日を夢見て生きることが難しくなった今の若者に | |
| 伝えてやれることは少ない。 | |
| せめて彼らが口ずさむ歌の中に、 | |
| 明日を否定しない、明るい響きのあることを祈る。 | 
| 評価 | |
| その人のすべてを十分に知りもしないのに、 | |
| 多くの場合、見聞きした言動をもとにその人を評価する。 | |
| そして、一旦下したその評価は、なかなか変わることはない。 | |
| 自分がそうであれば、他人が自分を見る目も同じこと・・・・・ | |
| いいではないか、だれがどう思おうと「私」は「私」、 | |
| いまさらごまかしたり、取り繕ったりしても、 | |
| 過去の出来事で「私」の評価はすでに決まっている。 | 
| まず | |
| けつまずいた石ころに腹を立てて蹴飛ばすことはあっても、 | |
| 石ころを避けられなかった自分の足に文句を言う人はいません。 | |
| 身勝手な人だと言われないための唯一の方法は、 | |
| 物事がうまくいかなかったときに、 | |
| その原因をまず自分に求めることでしょう。 | |
| 最近誰かを叱った覚えのある人は、 | |
| 考えてみるべきですね。 | 
| 言葉 | |
| ・・・・・さびしくありませんか。この仕事やめたいと思ったことはありませんか・・・・ | |
| 山田洋次監督の映画「遥かなる山の呼び声」の中で、 | |
| 主演の高倉健さんが、思いを寄せる女性に語る言葉だ。 | |
| 何でもないこの一言やその場面が、なぜか心に残っている。 | |
| ある人のことを好きだという気持ちが芽生えると、 | |
| 相手の気持ちを推し量ろうとする心の動きが自然に現れる。 | |
| しかし、多くの場合、 | |
| いろんな条件や制約があって、簡単に相手に自分の気持ちは伝えられない。 | |
| 大抵の場合、そんな時に相手に伝えようとする言葉には、 | |
| 「好きです」「愛しています」という、完成された表現を遥かに超える輝きがある。 | |
| それが人の心を打つ。 | |
| そして、それが人を好きになるということ・・・・・・・・ | 
| 遊び | |
| 遊びの本質は、自分の才覚で何かを作り出し、何かを手に入れること・・・・・ | |
| 時には自分の能力を超えた冒険もしながら・・・・・・ | |
| 生きるために必要なものを、すべて自らの手で作った祖先の生き方を復習し、 | |
| その財産をきちんと確かめる行為として、子どもたちは遊ぶ。 | |
| 無心に泥を丸めて泥だんごを作る幼子を見ていると、 | |
| そのことがよくわかる。 | |
| だから、たとえ何時間も夢中になって一つのことに熱中していても、 | |
| それが、何かを作り出し、生み出すことをせず、ただ消費するだけの中身なら、 | |
| それは「遊んでいる」とは言わない。 | |
| 遊園地の遊具に、お金を払って何百回乗るよりも、 | |
| そこらへんに立っている木に、己の全能力を傾けて登る1回の木登り体験の方が、 | |
| はるかに充実感を与えてくれるのもそういうわけだ。 | |
| 趣味と呼ばれる、大人の遊びにもあてはまるこの法則を、 | |
| 最近忘れてはいないか・・・・・ | 
| いらないもの | |
| 目の前にいる人が差し出す親切や善意と見えるものを、 | |
| 素直に受け取れないことがある。 | |
| 特に自分が痛み、傷ついているときには・・・・・・・ | |
| せっかくの善意なのかもしれないが、心配されればされるほど | |
| 自分に対する同情や哀れみに思えるから、 | |
| 余計につらくなる。 | |
| そんなふうに疲れたときに本当に欲しいのは、 | |
| 他人の善意や親切ではなく、 | |
| 自分を取り戻すために必要な、静かな時間・・・・・・・ | |
| そんな心情がわからず、 | |
| せっかくふさがりかけた傷口に、塩を塗るような善意の押し売りを | |
| 「おせっかい」と呼ぶ。 | 
| 命 | 
| 美しさに惹かれて切花を求める人は多い。 | 
| しかし、 | 
| 切花のその美しさは、その花が自らの命を削りながら、 | 
| 枯れていく運命に必死で抗っている最期の輝きだということを、 | 
| 見ようとする人は少ない。 | 
| 虫や風を誘い、種を作るという、自分に与えられた使命を、 | 
| 途中であきらめなければならない無念さが、 | 
| 可憐で、きれいな花の向こうに見える。 | 
| 答え | 
| 知識を蓄えるにはどうすればよいか・・・・ | 
| 本を読めばいい。 | 
| 知恵を蓄えるにはどうすればよいか・・・・・ | 
| 本を捨てて、経験を重ねればよい。 | 
| 人を好きになるにはどうすればよいか・・・・・ | 
| 相手をじっと見つめればよい。 | 
| 人に好かれるにはどうすればよいか・・・・・ | 
| その答えを探し続ければよい。 | 
| 時間 | 
| 人生も半分を過ぎたあたりから、 | 
| 今まではあまりその姿や存在を気にもかけなかった、 | 
| 「時間」というものの正体が次第に気になってくる。 | 
| 地表にあるものを支配する掟の中で、これほど容赦のないものはないだろう。 | 
| 人間の都合など知ったことか、と言わんばかりの厳格さで、 | 
| 至上の幸せだと思う出来事も、あっという間に | 
| 「過去」という名の倉庫に押し込んでしまい、そこへ戻ることを許さない。 | 
| 人が昔の出来事に思いを馳せ、「思い出」という言葉に酔うのは、 | 
| 押し流されるだけではいやだという、ささやかな抵抗なのかもしれない。 | 
| 所詮敵わぬ相手ではあるが、 | 
| 何をしようとしている相手なのか、だけは知っておくべきだろう。 | 
| 顔 | 
| 人は多かれ少なかれ、いくつかの顔を使いわけて生きている。 | 
| どれが本当の君か、と問われても答えるのはむずかしい。 | 
| どの顔も間違いなく「私」であり、複数の顔を持つことにさほど違和感もない。 | 
| ただ一つ、言えるのは、 | 
| どの顔を「私」と見るかは、見る側が決めること・・・・・・ | 
| 私ではない。 | 
| 教育 | 
| 日本の教育をめぐる論議が行われています。 | 
| 学力低下を回復するために授業時間を増やす、 | 
| 教員の免許を更新制にする、 | 
| 今は都道府県にある人事権を、市町村の教育委員会に持たせる、 | 
| 校長や教頭を補佐する「主幹」や教員を指導する「指導教員」を設置する・・・・ | 
| なるほど・・・・・しかし、 | 
| 報道されているものの中を懸命に探しましたが、 | 
| 現場の先生たちが一番実施してほしいと思っている内容は、 | 
| 残念ながらどこを探してもありません。 | 
| 教育を再生、活性化するというのなら、 | 
| 最優先で実施すべきことは、 | 
| 1学級の定員を今の40人から30人以下に減らすことだと思うのですが・・・・・ | 
| 深い外堀に水がまだあって、城の中に入れないのに、 | 
| 天守閣をどう攻めるか、という話に聞こえてきます。 | 
| 自然 | 
| 今 世の親たちがたとえ高価な代償を払ってでも、 | 
| 我が子のためにしてやらなければならないことがある。 | 
| 自然と遊ぶ楽しさ、自然の中にいる心地よさを教えてやることだ。 | 
| 花や草、木、土や石、水、火や空気、雨や雪、風・・・・・ | 
| それらがいかに私たちの五感をみずみずしいものにしてくれるか、を | 
| 体や感覚を通して体験させてやることだ。 | 
| 高原や草原、山岳地や森、海や砂漠で暮らす子どもたちは、 | 
| ぜんまいで動くおもちゃ一つ持たないが、 | 
| その瞳の何ときれいに澄んでいることか・・・・・・ | 
| 有り余る物に囲まれても、 | 
| 人間の感性は決して豊かにはならない。 | 
| 伴侶 | 
| 山道にさしかかると、1本の棒が何よりの頼りとなる。 | 
| 膝の負担を和らげ、バランスの手助けとなり、 | 
| 何よりも、握っていることでなぜか気持ちが強くなる・・・・・・ | 
| ごつごつしていた棒の表面も、時間と共に手になじんできて、 | 
| 不思議な愛着がわいてきた経験が誰しもあるだろう。 | 
| そこにあればただの棒や木の枝だが、 | 
| その手に持ったときから、形状の如何を問わず「杖」と呼ぶ。 | 
| 伴侶とは、 | 
| 人生と言う山道で、くしくも手にした「杖」のことを言う。 | 
| 上り坂はもちろん、頂きを極めて無事にふもとに下りてくるまで | 
| その手から離れることはない。 | 
| 跳躍 | 
| さて、何から始めますか。 | 
| そろそろ腰をあげてもいいころでしょう。 | 
| 知人、友人に相談するも良し、 | 
| 己の気の向くまま、思いつくことからやってみるも良し・・・・・ | 
| 跳躍は、着地の地点を見定めて | 
| 思い切ってやってみるものです。 | 
| 助走はもう十分できているはずですから・・・・・・・ | 
| 君へ | 
| 抑えきれない、熱き情熱はまだ残っているか。 | 
| 消しがたい追憶の面影を持つ誰かが、今でも心の中にいるか。 | 
| 過ぎ去った日々を彩る歌は、今でも胸の中で静かに鳴っているか。 | 
| 二度と会うことのない、大切な人の手の温もりはまだ余韻を持っているか。 | 
| 与えられた仕事は、滞りなく果たしたか。 | 
| 今、生きることを急いでいないか。 | 
| まだ見ぬ君へ・・・・ | 
| 同志として問う。 | 
| 恵み | 
| 目線を下げ、現実と向き合わなければならない日々の暮らしは、 | 
| いつの間にか、頭上に広がる天空の静かな営みの恩恵を忘れさせる。 | 
| 茜色に染まる夕暮れや、吸い込まれるような青、鉛色の雪雲でさえ | 
| 時として、形容しがたい感動を与えてくれるのに、 | 
| 人はなかなか顔を上げようとしない。 | 
| 何気なくふと見上げた空の色に、思わず息を呑むことがあったら、 | 
| たとえ、つかの間であっても、謙虚にその恵みに感謝できる人でありたい。 | 
| 体や心を休め、英気を養おうとするとき、 | 
| だれもが無意識にとる姿勢は「仰向け」だが、 | 
| この姿勢が天空に向き合う形だということに気付く人は少ない。 | 
| 反省 | 
| 熟年離婚が増えるだろうって?しかも妻から宣言されて? | 
| 夫の年金が離婚した妻にも分与されるからですか? | 
| そうですね、離婚が増えるとしても | 
| それだけが原因ではないでしょうね。 | 
| 脅かすわけではありませんが、 | 
| こんな言葉はどうですか。 | 
| ・・・・復讐と恋愛においては、女は男より野蛮である。(ニーチェ)・・・・ | 
| つまり、そういうことです。 | 
| 顔 | 
| 化粧された顔の美しさは、 | 
| 誰かの視線を意識している間だけ有効である。 | 
| だから | 
| そんなものを意識しない幼子に | 
| どんなに上手に化粧をしても | 
| だれも美しいなどとは思わない。 | 
| 感謝 | 
| 小さな幸せや、ささやかな感動を積み重ねながら | 
| なんでもない日々の暮らしが成り立っているんだなと思います。 | 
| 日記帳に一言、「今日はいい日だった。」と記せる、ありふれた充足感は、 | 
| 自分では気付かなかったけれど、おそらく | 
| ともすれば細切れになりそうな私の人生をつないでくれたんだと思えるのです。 | 
| 「ありがとう」・・・・ | 
| 誰に向かって言えばよいのかはわかりませんが、 | 
| そんな言葉が素直に出てくる、今日この頃です。 | 
| ドラマ | 
| 人生は筋書きのないドラマだと言うが、 | 
| 筋書きがなければ、ドラマはおもしろくない。 | 
| ただ、 | 
| 自分で書くことはほぼ不可能に近いというだけ・・・・・ | 
| 起こりそうな出来事はいくつかありそうだが、 | 
| その行間を埋める日々の小さな出来事や、 | 
| 今年1年の登場人物さえ定かではない。 | 
| しかし、多くの人は、 | 
| 自分では書けない、自分のドラマの展開をなぜか心待ちにして | 
| 年の初めを迎えている。 | 
| もう一つの事実 | 
| 人間の世界では「正月」と呼ぶ年の始まりだが、 | 
| 引力と慣性の法則によって、地球が太陽の周りを1回まわっただけ・・・・ | 
| 初日の出に感激して手を合わせるが、 | 
| 地球が昨日と変わらず、1回自転をして元に戻っただけ・・・・ | 
| 無粋なことを言うつもりはないが、 | 
| そんなもう一つの事実を心のどこかに置いておくと、 | 
| 私たちの日々の営みの意味がより鮮明になる。 | 
| 忠告 | 
| いやぁ、渦中にいたあの頃は見えなかったんですが、 | 
| 今にして思えば何と愚かなことをしてしまったのかと | 
| 悔やまれることばかりです。 | 
| ああしとけばよかった、あんなにしなければよかった・・・・などと、 | 
| 愚痴の一つもいいたくなります。 | 
| そうですね、自分だけじゃなく、そうやってみんな生きているんですよね。 | 
| 失敗や後悔から学ぶ力がまだ健在のうちは、 | 
| こんな生き方をしていてもいいんですね。 | 
| それを聞いて、肩の荷が少し軽くなりました。 | 
| 不器用なもんで、なかなか自分を変えられないんですが、 | 
| ほんの少し元気をだして、これでいいんだと自分に教えてやれば、 | 
| こんな私でも歩いていけそうです。 | 
| 比較 | 
| 世の中に自分ほど不幸せな者はいない、と思ったことがある。 | 
| 世の中に自分より幸せな者はいない、と思ったときもあった。 | 
| 残念だが、いつの間にか | 
| 自分の幸・不幸は、「世の中」という、不確かな誰かを想定しなければ、 | 
| その量や置かれている位置を確かめられなくなっている。 | 
| 比べる相手を下に見れば優越感、上に見れば劣等感が生まれる。 | 
| それが「世の中」の正体なのだと、 | 
| そろそろ気付いてもいいころだ。 | 
| 「私」は見知らぬ誰かのために、こうして生きているわけではない。 | 
| 間 | 
| その昔、 | 
| 喫茶店でコーヒーを注文しても、しばらく待たないと出てこなかった。 | 
| 思いを寄せる相手に気持ちを伝える手段は手紙・・・・・ | 
| 何度も書き直し、封筒に入れ、切手を貼ってポストまで持っていった。 | 
| 水を張り、焚き付けに火をつけ、焚き口にじっと座って風呂の沸くのを待った・・・・ | 
| いい、悪いではない。時間がゆっくり流れる、そんな時代であった。 | 
| 今思えば、生活の中のいろんなところに適度な「間」というものがあり、 | 
| そのことに不平や不満を言うこともなかった。 | 
| すぐに答えが返ってこないもどかしさはあったが、 | 
| その「間」の中でいろんなことを考えることができた。 | 
| だれもそうは思わないのだろうが、 | 
| 今、確かにみんな急ぎすぎている。 | 
| そして、 | 
| 急いだ分だけ、早く年をとっている。 | 
| 答案用紙 | 
| 眠れない夜を幾度もくぐり、 | 
| 気の重い朝を幾度も迎え、 | 
| 打つ手が見つからず、大海に漂う木の葉のような心細さと、 | 
| 湿ったマッチを擦るような空虚を味わった遠い日があった・・・・・ | 
| もはやこれまで、と何度も覚悟を決めた窮地の中で多くのことを学んだ。 | 
| 人は滅多なことで倒れたりはしない・・・・・ | 
| 明日に希望をつなげば、時間はかかっても必ず何とかなる・・・・ | 
| 何の役にも立たぬと思えても、誠実に向き合うことだけは | 
| 歯をくいしばってでも続けること・・・・・・ | 
| そして何よりも、支え、励ましてくれる大切な人が必ず現れること・・・・ | 
| 教訓と呼ぶにはあまりに重いものだったが、 | 
| 人生の意味を問う大事な答案用紙であったのだと、 | 
| 書き終わった今ならわかる。 | 
| 居間 | 
| 大工の道を選んだ教え子が挨拶にやってきた。 | 
| 彼に伝えたことがある。 | 
| ・・・・・床の間のある座敷は大工の腕の見せ所かもしれないが、 | 
| 君にはぜひ、家族がみんなで憩う居間に最高の力を注いでほしい。・・・・・・ | 
| なぜ?とでも聞きたそうな顔をしている彼に、 | 
| 「君の作ったその居間で、そこの家族の歴史が作られるからだ。」・・・・・・ | 
| ベニヤ板1枚、釘1本にも彼なりの思い入れを込めて欲しいと思う。 | 
| 家庭の事情で、温かい家族の団欒を味わえなかった彼だからこそ、 | 
| 自分の手がけた部屋で、温もりのある家族の営みが持たれることを | 
| 誇りと励みにしてほしい。 | 
| 幸せな結婚をして、子どもにも恵まれ、大工として一人立ちした彼は、 | 
| きっと今もどこかの現場で、居間作りに汗を流している。 | 
| 男 | 
| 分かっているつもりで、案外分かっていないのが自分のことだが、 | 
| なるほど、と思える文章に出会った。 | 
| ・・・・・どんな男の中にも、詩人が一人ひそんでいる。それが女を苦しめる。・・・・・ | 
| 谷川俊太郎 | 
| 紛れもなく、名言である。 | 
| 問い | 
| 見知らぬ他国の、聖なる信仰の対象であるクリスマス・・・・・ | 
| その日を心待ちにする君は、 | 
| 一体何者だ。 | 
| 守る | 
| かつて将棋の師匠の老人から教わったこと・・・・・ | 
| 完敗したあと、敗因を尋ねると、 | 
| 「守るべきときには、なりふり構わず徹底して守らなければいけない。」・・・・・ | 
| 自陣に危機が迫っているのに、私は守らずに攻めたのだが、 | 
| 足元に火がついていたことは、攻められてみて始めてわかった。 | 
| 守りに入ると、持っている駒を惜しげもなく投入して、師匠は守った。 | 
| そして攻める相手の息切れを待つ・・・・ | 
| これが守り、受けの極意だと言う。 | 
| 今は攻めるときか、守るときかを見間違えると、 | 
| とんでもないしっぺ返しが返ってくる。 | 
| 海 | 
| 日本海に面する海岸、瀬戸内海に面する海岸・・・・・・ | 
| 旅をしていると、どちらも美しいと思うが、 | 
| 、どちらが好きか、となると意見は分かれる。 | 
| おそらくそれは、 | 
| 海、いやもっと言えば「自然」に対する感じ方の違いに起因する。 | 
| 人を寄せ付けぬ厳しさや荒々しさが見える海、 | 
| 人を包み込む優しさや陽だまりの温もりが見える海・・・・・・ | 
| ずっと見ていても、見飽きないのはどちらの海か・・・・・ | 
| 自分の中に根付いている自然観を確かめるには、 | 
| この問いに答えるのが間違いない。 | 
| 美醜 | 
| 美しいものを「うつくしい」と言うことに、ためらいはない。 | 
| だが、醜いものを「みにくい」と言うには勇気がいる。 | 
| 美しいという感覚は普遍だが、 | 
| 醜いと感じる感性は、おそらく極めて主観的だからであろう。 | 
| 美醜の評価を下す自分に自信が持てないときは、 | 
| そう評価されるものに対しての申し訳なさが | 
| 心のどこかにひっかかっている。・・・・・・ | 
| 水 | 
| 一度は川底が見えないほど濁った川の水も、 | 
| 流れながら、やがて澄んだきれいな水になる。 | 
| 道標 | 
| 邂逅(めぐりあい)は、その結末がどうであれ、 | 
| 「私」が「私」らしく成長しながら歩くための道標であったのだと、 | 
| 別れがきたときに思い知らされる。 | 
| あなたや、君や、おまえ・・・・・・そう呼ばせてもらった多くの人が、 | 
| 今は目の前にいなくても、自分の生きる目標や糧になっている。 | 
| 「さようなら」と告げた記憶の深さに比例して、 | 
| 見えなくなった人の影も大きくなっていくが、 | 
| また会えると思うから、切ない別れも耐えられるし、 | 
| もう二度と会えないと思うから、めぐり会えたことに感謝しようと思える・・・・・・ | 
| めぐり会いが道標であったというのは、そういうことだ。 | 
| 座る | 
| 大声を出して騒いでも、 | 
| 浴びるほど酒を飲んでも、 | 
| そこらにあるものを手当たり次第投げつけてみても、 | 
| 問題の解決には程遠く、 | 
| それはただ、制御不能となった自分の感情を思い知るだけ・・・・・ | 
| 何とかしたいなら、そんなバカなことはやめて、 | 
| 問題の中心に腹を据えてどっかりと腰を下ろすことだ。 | 
| 四面楚歌の向こうに、かすかでも新しい声が聞こえるまで | 
| 飛んでくる矢をすべて我が身に受け止め、 | 
| 矢を射掛けてくる相手を見据えることだ。 | 
| 矢を受けた苦痛と失血は、ぼんやりしていた頭をすっきりさせ、 | 
| 曇っていた目を晴らしてくれる。 | 
| 大丈夫、その程度で人間は倒れたりはしないものだ。 | 
| 誠意 | 
| 思い出すのがつらいことは誰にでもあります。 | 
| もしもそうなら、 | 
| あえて思い出さなくてもいいのだと思います。 | 
| ただ、忘れないでおけばいいのです。 | 
| いつまでも覚えておくということが、 | 
| 今の自分にできる、精一杯の誠意なのですから・・・・・・・ | 
| 和 | 
| 禾(のぎへん)は、稲や穀物が実る様子を表す。 | 
| 収穫した米や穀物を家族のみんなでいっしょに食べたから、 | 
| 話が弾み、楽しい雰囲気が生まれたのだろう。 | 
| 「和」と言う字は米を口に入れると書く。 | 
| そして「和やか」(なごやか)と読む。 | 
| 決意 | 
| 手痛い失敗から学んで | 
| 「もう二度としない。」、「今度は必ずやる。」と決意したはずなのに、 | 
| 気がつけば同じことを性懲りもなく繰り返している・・・・・ | 
| あまりの意思の弱さに、自分がいやになりそうになったら、 | 
| 思い切ってその「決意」を捨てることです。 | 
| 敵城を攻めるのに、いきなり本丸を狙っていたのかもしれません。 | 
| 手始めにやってみることは、意外に些細で、易しいことだと気付けば、 | 
| 小さな目標くらいは見つかるでしょう。 | 
| 義務として、いやでもやらなくてはならない場合もありますが、 | 
| 興味や関心のないものを寛容に受け入れる心の器は、 | 
| 思ったより小さいのだと心得ることです。 | 
| 歩く | 
| 歩き始めた幼子を見ていて気付くことがある。 | 
| 何度転んでも立ち上がり、 | 
| 前へ、前へと歩く。 | 
| 頼りない足の運びだが、前へ進んでいることを全身で喜び、 | 
| 決して後ろに下がることをしない。 | 
| ああ、歩くとはこういうことだったのだと、教えられている。 | 
| 後ずさりは、生きていく過程でおびえや逃避を覚えたときから始まる。 | 
| 成熟の掟 | 
| 人生には、人間として次の成熟の段階に進むために、 | 
| 他のことは考えず、ありったけの力ををそのことだけに費やし、 | 
| 精一杯生きなければならない時期がいくつもある | 
| 歩き始めた幼児は、這うことを忘れるまで歩く。 | 
| 子どもは、我を忘れて遊びながら、 | 
| 「社会」という人間関係の広がりや、そこで生きるための知恵やきまりを覚える。 | 
| 青年は、悩み、傷つき、打ちのめされ、よろけながら | 
| 夢や人生という、得体の知れない大きな相手に挑む意思と力を蓄える。 | 
| そうやって身につけた基礎体力を使って、 | 
| 手本となる大人を探しながら、やがて彼らは次の階段に足を乗せていく。 | 
| 階段を用意してやるのは、大人の役目、 | 
| 足の運びを教え、見守ってやるのは老人の役目・・・・・・・ | 
| みんながそれぞれの仕事を成し終えたら、 | 
| 素直に手をとって喜び合えばいい。 | 
| それが、人が人として成熟していくということだ。 | 
| 言葉 | 
| 「思いやり」という言葉を包む皮をむいていくと、 | 
| 最後に見えてくるのは「想像力」です。 | 
| 相手の様子や言動から、相手の気持ちや状態が推し量れるのは、 | 
| この想像力のおかげなのですが、 | 
| いつも鍛えてやらないとすぐにさび付いてしまう、少し厄介な能力です。 | 
| 石ころ | 
| 日々の暮らしや仕事の中で、 | 
| 何だか自信がない、疲れていると感じたら、 | 
| どこでもいい、道ばたに転がっている石ころを一つ拾ってごらんなさい。 | 
| そして、手のひらに載せてしばらくじっと見つめてごらんなさい。 | 
| 物言わぬその石ころは、あなたや私が生まれる、遥か昔から | 
| 「石」という名の生を、愚痴一つこぼさず生きてきています。 | 
| 水にもまれ、土に埋まり、炎天や極寒の季節を生き延び、 | 
| 手のひらに乗る大きさに割られ、削られ、丸められ、 | 
| それでも「石」と言う名の個性を捨てることなく、生きています。 | 
| そんな悠久の石ころの人生に比べたら、 | 
| 自分など、まだまだ若造だな、ときっと思えるはずです。 | 
| だから、だまされたと思って、石ころを一つ | 
| ぜひ拾ってごらんなさい。 | 
| 評論 | 
| 的を射た評論を否定はしない。 | 
| その評論が何かのヒントになったり、方向を示してくれたりすることも事実だ。 | 
| しかし、 | 
| 最前線の現場で、日々生の難しい事態と向き合い、 | 
| 何とか解決を、と汗を流す人たちの労苦を本当に分かって話す人は少ない。 | 
| だから、したり顔で、もっともらしいことを言う評論家の話は、 | 
| 時に腹が立つ。 | 
| そんなに正論で解決できるほど、事態は生易しくないと言うことは、 | 
| 2,3日現場でいっしょに行動してみればすぐに分かる。 | 
| 「それがおまえの選んだ仕事だろう?」と言われれば、 | 
| 黙るしかないのだが・・・・・・・・・ | 
| 求めるもの | 
| 求めるものが大きいと、手に入らなかったときの落胆も大きい。 | 
| 求めるものが小さすぎると、手に入ったときの満足感が足りない。 | 
| 求めるものの大きさを見誤らない秘訣は、 | 
| 手に入れたときの充実感と、手に入らなかったときの喪失感を、 | 
| 行動を起こす前にしっかり想像してみること・・・・・・ | 
| 利害損得の勘定は、その次にある。 | 
| 選ぶ | 
| 人はみな、幾度も人生の岐路に立たされ、道の選択を迫られる。 | 
| だから仕方なく悩み、迷い、やっとの思いで決断を下すことになる。 | 
| 選んだ道を歩き始めてしばらくすると、未練や後悔も味わうことだろう。 | 
| しかし、やがて通りすぎてみると、確かにわかってくることがある。 | 
| 本当に大事なのは、 | 
| どの道を選ぶかではなく、 | 
| 選んだ道を自分らしくどう歩くかということ・・・・・・・ | 
| 多くの人がそんな思いを密かに自分に言い聞かせ、 | 
| あの時選んだ、この道を歩いている自分をいとおしく感じながら | 
| 今日を生きている。 | 
| わけ | 
| わけもなく、ふいに目頭が熱くなるのは、 | 
| 自分が人生の中で、人知れず大切にしてきた秘密めいたものがあるからだ。 | 
| だから | 
| わけもなく出る涙には | 
| ちゃんとわけがある。 | 
| 掟 | 
| いかなる理由があろうと、 | 
| 高校を卒業したら家を出て一人暮らしをする・・・・・・ | 
| これが我が家の「家訓」。 | 
| 3人の息子や娘たちも、みなこの掟に従って家を出て一人暮らしを体験した。 | 
| 友人に「なぜ?」とよく聞かれるが、答えはただ一つ。 | 
| ・・・・一人で飯を食うさびしさを体験させるため・・・・・ | 
| 生きることの基本である食事は、元来、狩りで獲ってきた獲物を | 
| 家族のみんなで分けながら食べ、肉親の絆を深める営みだった。 | 
| だから、いくら高価なご馳走でも一人で食べてうまいはずがない。 | 
| しかたがないと分かっていても、 | 
| 人が一番さびしくなるのは、一人で食べる夕食のとき・・・・・・ | 
| 話す相手もなく、黙って一人で食べる、その時間は、 | 
| 人が愛するものといっしょに暮らすことの意味を、いやでも思い知らせてくれる。 | 
| 見切り | 
| 本当はやってみたかったのに、できなかったことがある・・・・ | 
| できることなら一言言いたかったのに、言えなかったことがある・・・・ | 
| もはや叶わないが、できればもう一度会ってみたい人がいる・・・・ | 
| 誰しも振り返れば、そんな人生の空白のページがあちこちにあるだろう。 | 
| もしも情熱や希望、意欲や体力があのころのようにあふれていたら・・・・と、 | 
| 空白を埋める作業になかなか取り掛からない言い訳を探し、 | 
| 「どうやら、この辺が潮時だ。」とこっそり我が身に言い聞かせている自分に気付く。 | 
| 人生、こんなもんだろうと、見切りをつけるのは容易いが、 | 
| 自分に見切りをつけたときから、まちがいなく老いが始まる。 | 
| 風景 | 
| 長い年月をかけて、二人だけの歴史を書き上げてきた老夫婦が | 
| 並んで座っている。 | 
| 会話もなく、ただ黙って同じ風景を見ている。 | 
| 横を通る、若い二人がいくら腕を組んで談笑し、愛の強さを誇示しても、 | 
| 決して割り込むことのできない、凛とした空間の中で、ただ黙って座っている・・・・ | 
| 寄り添って生きてきた事実は誰も評価してくれないが、 | 
| 二人の沈黙の時間の中に十分溶け込んでいる。 | 
| 絵になる「風景」である。 | 
| 傷 | 
| 深いと思われた傷がやがて癒えていくのは、体も心も同じ、 | 
| わが身に備わった治癒力は決して自分を裏切ることはない。 | 
| 生命の維持を脅かす怪我や病気も、 | 
| 息をすることさえつらい心の悩みも、 | 
| 体は平等に「危機」と受け止めてくれる。 | 
| 心配はいらない。 | 
| 回復など到底おぼつかないと思われる今日かも知れないが、 | 
| 明日になればほんの少し、何かが変わっていくはず・・・・・・ | 
| だから 何としても今日を生きよ。 | 
| 明日を信じて・・・・・ | 
| 傷は今もゆっくり癒されている。 | 
| 喜劇 | 
| チャップリンの「街の灯」を観た。 | 
| 何度観ても胸が熱くなるのはなぜだろう。 | 
| 人の心が通い合うことの素晴らしさ、 | 
| 見てくれの幸せではなく、人間が本当に手に入れたい幸せとは何か、 | 
| 生きることの哀しみ、喜び・・・・・・・ | 
| 一言のセリフもないが、そんなものを私たちの心の奥にしっかりと届けてくれる。 | 
| 人を笑わせるものだと思っていた「喜劇」だが、 | 
| 実は人を泣かせるものであることを教えられている。 | 
| 時折、テレビで見かけるお笑いのドタバタ劇を「喜劇」と呼んでは、 | 
| あのチャップリンに申し訳がないだろう。 | 
| ・・・・・・生きていくために必要なものは、 | 
| 夢と勇気とほんの少しのお金・・・・・ | 
| チャップリン | 
| 湯たんぽ | 
| 人は誰も、心の中に湯たんぽを持っている。 | 
| 体温を作り出し、維持するのは体の生理的な機能のおかげだが、 | 
| 程よい温もりで心を温めてくれるのはこの湯たんぽだ。 | 
| つらい出来事や悲しい別れで傷ついた心がやがて癒えるのも、 | 
| 人を愛したり、信じたり、慈しんだりできるのも、 | 
| 美しいものに心が震え、かわいいものに表情が緩むのも、 | 
| みんなこの湯たんぽの温もりのおかげ・・・・・・・ | 
| 冷めてしまえば役に立たないが、そうならないように | 
| 人は心の湯たんぽにお湯を入れ続けている。 | 
| 心が温かくなった、と感じたら | 
| 今湯たんぽにお湯が入っている、と思うことにしている。 | 
| 時間 | 
| なつかしい歌に耳を傾けながら、 | 
| 知らぬ間にそっとリズムをとっている私がいます。 | 
| 他の人なら涙を浮かべるような場面でもないところで、 | 
| 思わず目頭が熱くなる私がいます。 | 
| 数日前から軒先に巣をはったクモに、 | 
| 「ご馳走は手に入ったかい?」と聞いている私がいます。 | 
| 慣れぬ手つきでレジを打つ店員の胸に見えた「研修生」というカードに、 | 
| わけもなく「がんばって。」と心の中でつぶやいている私がいます。 | 
| 花屋の店先で、「値引き 半額」と書かれ、バケツに入れられた切花を見て、 | 
| 枯れゆく運命に必死で抗った、彼の数日間を想う私がいます。 | 
| どこにいても優しくなれる・・・・・・ | 
| そう教えてくれる時間に包まれています。 | 
| 惚れる | 
| 「惚れる」という言葉の中には、 | 
| 自分が最初に見つけたあの輝きは、いつまでも自分のものだ、という、 | 
| 少し強引でわがままな思いがひそかに込められている。 | 
| だから、他人がその輝きを共有しようとすると、 | 
| 不愉快な気分になる。 | 
| 輝き | 
| 大切だと思う人には、いつも輝いていてほしい・・・・・・・ | 
| 相手が男であれ、女であれ、そう思う。 | 
| 「輝く」とは、外見の華やかさを指すのではない。 | 
| その人に憧れた、「その人らしさ」を失わずにいてほしいということ・・・・・ | 
| 私の中でいつもまぶしく輝いているあなたが、好きです。 | 
| 伝言 | 
| ・・・・・・必要なものはすべてお渡ししました。 | 
| あとはあなたたちの才覚で、活用してください。 | 
| 私たちが若かったころとは社会の状況もずいぶん変わり、 | 
| やりにくくなったと感じることも多いのですが、 | 
| 今を元気に生きるあなたたちのことだから、 | 
| きっと新しいアイディアやしなやかな創造力を生かして | 
| あなたたちの時代が築けると信じています・・・・・・・・・ | 
| 近いうちに現役をリタイアする同年代の多くの仲間たちは、 | 
| こんな伝言を胸に秘め、残された日々を心静かに暮らせたら・・・と思っています。 | 
| また一つ、大切なものが終わりを迎え、 | 
| バトンを渡し終えた走者は、すべての役目を無事に果たし、 | 
| ただ黙ってグランドを去ります。 | 
| そんな日も間もなくです。 | 
| かけがえ | 
| 私がのんびり空を眺めている、今も | 
| 1秒を争う危機を乗り切ろうと、もがいている人がいる。 | 
| 私が夕食を食べながら家族と楽しく語らい、笑っている、今も | 
| 歯をくいしばって何かに耐え、必死で涙をこらえている人がいる。 | 
| 私やあなたが小さな幸せに包まれ、「今日はいい日だった。」と思う、今も | 
| 倒れそうになる自分を励まし、かろうじて今日を生きた人がいる。 | 
| 平凡で退屈だと思える日々の暮らしの中で、 | 
| それが普通で、当たり前のこと、だから別に気にもしないことは多い。 | 
| もう一度確かめなくてはならない。 | 
| のんびりした時間、家族の団欒、今日の満足、小さな幸せ、 | 
| それら私が今持っているものの、かけがえのない重さと輝きを・・・・・・・・ | 
| 「かけがえがない」とは、、 | 
| 一度なくしたら、もう二度と手に入らないことを言う。 | 
| 脇役 | 
| 「脇役」という仕事がある。 | 
| 主役を目立たせ、その存在をより確かなものにする役目を負う。 | 
| 最高の演技をしても、評価や賛辞は目立たせてやった主役が黙って持っていく。 | 
| 悔しくないはずはない。 | 
| 脚光を浴びる主役に憧れてその道を選んだはずだから・・・・・・・ | 
| 名脇役と呼ばれる人たちは、きっと人生のどこかでその壁にぶつかり、 | 
| もがき、あがいた末に、乗り越えたにちがいない。 | 
| しかし、誰もそんなことを語ろうとしない・・・・・・・ | 
| もしも自分が表舞台に立っていると感じるときは、 | 
| 自分の陰で自分の存在や仕事を支えてくれ、 | 
| 自分をこの舞台に立たせてくれた誰かがいるはず・・・・・・ | 
| その誰かを探し、そっと頭を下げられる人間でありたい。 | 
| わがまま | 
| 誰かに愛されていたいという思いは、 | 
| 誰かを愛していたいという思いより強い。 | 
| 愛し合う若い二人は、献身的に相手に尽くすことを誓うが、 | 
| 愛情という感情にはそんな「わがまま」も潜んでいることを忘れてはならない。 | 
| 人は自分で思うほど強いものではないという証しでもある。 | 
| 感謝 | 
| バラエティーと称する、芸能人のお笑い番組や、 | 
| 殺人事件を扱う刑事ものの番組が多い中で、 | 
| 誠実に生きるとは・・・・を正面から問いかける番組が始まった。 | 
| 「ドクター・コトー診療所」・・・・・・・ | 
| 離島の診療所に赴任した青年医師と島の人々との交流を描いている。 | 
| 全編を貫くテーマは「誠実に生きるとは・・・・」 | 
| 最近見たいテレビ番組がなくなった、と嘆いていたが | 
| このドラマだけは放映日を指折り数えながら、楽しみに待っている。 | 
| 製作関係者のみなさん、いいドラマを本当にありがとう。 | 
| 感謝の気持ちをこめて、主題歌を「歌声広場」に入れさせてもらいました。 | 
| 見栄 | 
| ・・・・・男には「みえ」ちゅうもんがある・・・・・・・ | 
| ドラマ「北の国から」の中で、五郎がつぶやくセリフ。 | 
| 女性にはわかりにくいと思うが、 | 
| 男には「見栄」(みえ)で生きている部分がある。 | 
| 馬鹿げているが、男にとっては細胞に刷り込まれた美学なのである。 | 
| どんなに苦しくとも、泣きついたり、弱音を吐いたりしない、 | 
| それなりの立場や肩書き、存在感をいつも誇示し、自分を大きく見せたい、 | 
| 自分には能力や才能がある、と認めてもらいたい、 | 
| 職場や社会の中で、簡単に権威に尻尾は振らない・・・・・ | 
| 男なら誰もがうなづけるこの特有の傾向は、太古の昔、 | 
| 群れや家族を守るために外敵と戦ったオスの習性からくるものと思われるが、 | 
| 頼りになる反面、厄介な事態をもたらすこともある。 | 
| いくら見栄をはって自分を大きく見せても、 | 
| 本質は変わらないという、致命的な欠陥を持つからだ。 | 
| このことに気付かず、虚勢を張り続けると、 | 
| 間違いなく「頑固者」という評価が下される。 | 
| 自分 | 
| 自分のことは自分が一番よく知っている・・・・なんて言うが、 | 
| ありゃウソだね。 | 
| 知っているつもりで振舞うからそう見えるが、 | 
| 一番分かっていないのは案外自分かも知れないね。 | 
| 自分の意外な行動に自分でも驚くことはざらで、 | 
| 人から言われてハッとすることもよくあること・・・・・・・ | 
| その場のひらめきや思いつきで起こした言動を、 | 
| あとで意味付けて、整理して収める責任が自分にあるために | 
| 自分が一番よく分かっている・・・と思うだけだろう。 | 
| 自分の行動が予期できないから、 | 
| 人は占いに頼ったりするんだな。 | 
| 一人でいるときに何をしているか・・・・・・・ | 
| それを教養といいます。 | 
| 別離 | 
| めぐり会えた喜びが大きいから | 
| 別離がさびしいのではありません。 | 
| 別れは元々さびしいものだから | 
| 人は次の出会いを求めるのです。 | 
| 味 | 
| 美しく年を重ねたい・・・・・ | 
| 誰もが思うことですが、これは結構難問です。 | 
| 美しく・・・・とは | 
| 外見の見映えですか? | 
| 否定はできませんが、それだけではありませんね。 | 
| おそらく多くの人が望む「美しく」は、 | 
| 年相応の「品格」のようなものを指しているのでしょう。 | 
| 十分に経験を重ね、幾多の障壁を乗り越え、 | 
| 多くの人と交わり、我を失う窮地を這い上がってきた・・・・・・・ | 
| そんな中から染み出てくる、人間としての「味」や「品格」が | 
| 「美しく」の中身でなくてはなりません。 | 
| 若いころの美貌や剛健な体力は、もはや色あせ、さび付き始め、 | 
| 回復を望むことはできません。 | 
| せめて、しわの増えた顔の中に | 
| その人が生きてきた足跡がしっかりと見えるように、 | 
| 年をとりたいものです。 | 
| おとな | 
| 人は大人になるにつれ、 | 
| 心の中で温め続けてきた夢に、ふたをしなくてはならないときがくる。 | 
| 育てた夢が大きければそれだけふたも大きくなる。 | 
| 寂しいが、それが現実だ。 | 
| 時折、そのふたを閉め忘れた同世代の仲間たちを見ることがある。 | 
| 童心に返ったように無邪気に振舞う彼らを見ていると、 | 
| あらためて、かぶせてしまったふたの大きさを思わずにはいられない。 | 
| もっとたくさんの可能性があったはず・・・・ | 
| いくつもの夢を同時に育てていたはず・・・・ | 
| 一つくらい、閉め忘れたふたが残っているのではないか・・・・ | 
| そんな思いに駆られることがあったら、 | 
| ちょっと悔しいが、自分に言い聞かせることにしよう。 | 
| 大人になるとは、そういうことだったのだ、と・・・・・・・・・ | 
| ツボ | 
| なぜこんなところに・・・・・・と不思議に思うのが足の裏にあるツボ。 | 
| 体を維持するために大切な臓器とつながる多くのツボが | 
| 体の一番目立たない、手入れをすることさえ思いつかない足の裏にあるという・・・・ | 
| 考えてみれば当然のことなのかも知れない。 | 
| 遠い昔の祖先たちの暮らしは大地を裸足で駆け回るもの、 | 
| 裸足で歩けば、大地の凹凸や地表の温度、湿り気や柔らかさが | 
| 否応なしに直に体に伝わってくる。 | 
| 彼らは生きるために必要な情報を足の裏から得ていた。 | 
| 裸足を捨てた人間に | 
| おまえたちが生きているのはこの大地の上なんだよ、と | 
| あらためて教えてくれているのだろう。 | 
| プレゼント | 
| よくぞ耐え抜いた、そしてよくぞ我を見失わずに乗り越えた・・・・・・ | 
| 突然の災難や不幸に襲われ、心に傷を負った人は | 
| 例外なく、以前の自分よりやさしく、そして強くなっている。 | 
| 叩きのめされ、満身創痍になったおかげで、 | 
| 人として生きていく上で必要のない余分なものが、きれいに削ぎ落とされたからだ。 | 
| 痛い思いをした代償に与えられる、この目に見えない褒美は、 | 
| 自分も気付かないところで、再生を支えてくれる大きな力になっている。 | 
| そのことを自分で評価することはできないだろうが、 | 
| 身近な誰かがきっと見てくれているはず・・・・・・ | 
| 刻印のように自分の一部分となって消えることはない、この褒美は | 
| 神様からのプレゼントだと思って、素直に受け取っておいてよい。 | 
| ときめき | 
| 同じ芝を植えているはずなのに、隣の家の芝がきれいに見えるのは、 | 
| 何でも他人と比較して、いつも自分の優位を確かめたいという願望の裏返し・・・・ | 
| 「負けている」という思いが先に出てしまい、 | 
| 手入れを怠った自分の怠慢は、しばらくしてから思い当たる。 | 
| 他人の持ち物が輝いて見え出したら、 | 
| 十分輝いているはずの、自分の持ち物をもう一度よく見て、 | 
| それを手に入れた時のときめきを思い出すことだ。 | 
| 他人と比べて自分のものがみすぼらしいと感じる心は、 | 
| そのときめきを忘れたころに、静かに顔をだす。 | 
| 最後の世代 | 
| 団塊の世代の去就が最近よく言われる。 | 
| ある人は、 | 
| 「国の在り方や政治を熱っぽく語った最後の世代だ。」と言う。 | 
| またある人は、 | 
| 「お金や物がなくても生けていけると思う最後の世代だ。」と言う。 | 
| さらに、 | 
| 自分たちが中心となり、汗水流して作り上げてきた世の中が | 
| どんな世の中になったのか・・・・・・ | 
| 功罪を含めて、それを見届ける責任を負う最後の世代でもある。 | 
| おまけにもう一つ、最後の世代だと言うのならこうも言えるだろう。 | 
| 「こんなにその存在が騒がれる、最後の世代だ。」と・・・・・・・・ | 
| 陣痛 | 
| 淋しさは、何かで紛らわすものではありません。 | 
| 向き合うものです。 | 
| とことん一人で向き合うものです。 | 
| 紛らわすことで一時的に忘れられたとしても、 | 
| 何の解決にもなっていないということは、自分が一番よく知っています。 | 
| もしも、向き合うことが苦しくなったら、 | 
| この砂をかむような空しさは、 | 
| まもなく現れる、新しいものを生み出す陣痛が始まっているのだと、 | 
| ほんの少し、誰かの力を借りて自分に教えてやればいいのです。 | 
| 伝言 | 
| 「どうせなら、おもしろおかしく生きたい」というあなたへ・・・・ | 
| そう生きられたらいいとみんなが思っているのです。 | 
| ありったけのお金も時間も、そのことにつぎ込めたらいいと思っています。 | 
| だけど、それができないのは、 | 
| あなたにはない、守るべきものがみんなにはあるからです。 | 
| あなたから見れば、何の価値もない、つまらない日々の営みでしょうが、 | 
| 泣き、笑い、怒り、励ましあう、ささやかな家族とのふれあいを作るために | 
| つらい仕事や面白くない人間関係の中で、 | 
| 時には叫び出したくなる衝動を抑えながら、働いています。 | 
| 1度しかない人生だから、おもしろおかしく生きたいというあなたへ・・・ | 
| 1度しかない人生だからこそ、 | 
| 守るべきもののために汗を流したいと思います。 | 
| 旅 | 
| 人生を「旅」にたとえることは多い。 | 
| それは | 
| どちらにも共通したことがあるから・・・ | 
| ともに長い道のりであること、 | 
| 乗り越えねばならない雨の日や風の日、暑い日や寒い日が必ずあること、 | 
| 予期せぬアクシデントや思わぬ素敵な出会いにめぐり合えること、 | 
| 漠然としたゴールはあっても、なかなか思った通りには行かないこと、 | 
| 道連れがあったほうが楽しいこと、 | 
| 見るもの、聞くもの、出会うものから様々なことが学べること、 | 
| 他人に頼らず、自分で判断して行動しなくてはならないこと、 | 
| 後戻りなど考えず、足跡を残しながら先へ進むものであること。 | 
| そして何よりも、いつか終わりがくるものであること・・・・・・・ | 
| 無印 | 
| 望んだからといって簡単に手に入るわけではないが、 | 
| 地位や肩書き、名声が欲しければ、それなりの生き方があるだろう。 | 
| そんなものとは無縁の日々を送っていると、「なぜ?」と聞かれることがある。 | 
| ぶら下げるものがこれ以上増えてはかなわないし、 | 
| そんな生き方は性に合わないと思っただけのこと、大したことではない。 | 
| 十把一からげにされるのはお断りだが、 | 
| 生涯無印と決めてつつましく生きる暮らしがあってもいい。 | 
| 足を止めなければ誰の目にもとまらない路傍で、 | 
| 自分に何と言う名前がついているのかも知らずに | 
| 今も可憐な花を咲かせている野草たちがいる。 | 
| 立派な植木鉢で彩り鮮やかに花をつける栽培種よりも、 | 
| そんな花たちの生き方に憧れる・・・・・ただそれだけのこと。 | 
| ・・・・・ひっそりと咲いて 散ります・・・・・・・ | 
| 山頭火 | 
| 捨てる | 
| 夫婦には、ともに生きてきた年の数だけ | 
| 協力して創りだしたものと捨ててきたものがある。 | 
| 創り、生み出したものはすぐに思いだせるが、 | 
| 協力して互いに捨てたものとは何だったのだろう。 | 
| いっしょになる前には見えなかった相手の欠点や個性、波長の違い・・・・・ | 
| そんなものを「しまった、こんなはずではなかった」と思い込むわがままを | 
| 長い年月かけて、二人で捨て続けてきた。 | 
| 捨て続けてきたものの重さがようやくわかり始めたころに、 | 
| 人は老いを迎える。 | 
| ・・・・・・・・二人が睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。 | 
| 立派すぎないほうがいい。 | 
| 立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうがいい。・・・・・・・ | 
| 吉野 弘「贈るうた」 | 
| 記憶 | 
| 優しくされたことより、痛めつけられたことの方が記憶に残るというのは、 | 
| 動物本来の自己防衛本能だと思える。 | 
| 痛さを忘れると、また同じ危険に遭遇するので、 | 
| 安全装置が働いて、その痛さをしっかりと記憶するしくみが備わった。 | 
| もはや野生を忘れてしまった人間にも | 
| かつてのなごりとして、その機能が生きているということ・・・・・・ | 
| 痛い目にあった記憶がなかなか消えないのはつらいが、 | 
| これからを無事に生きていくためのシステムが | 
| 正常に動いているという証しかもしれない。 | 
| 思いやり | 
| 人のためにと思って何かをするときに | 
| 心しておくことがある。 | 
| その人が欲しいと思っているものが何であるかを | 
| 最低限 見誤らないことだ。 | 
| とりあえずの思いやりを、と思って差し出したつもりが | 
| 相手を深く傷つけてしまうことはよくあること・・・・ | 
| そっとしておいて、見ぬふりをするのも、立派な思いやりなのに | 
| 何かをしてやらなければ・・と考えるのは | 
| パンを欲しがる者に石を与えることになる。 | 
| 成長 | 
| 孫のいる人ならわかることだが、 | 
| 幼い子どもの1年間の成長は驚愕に値する。 | 
| 去年は到底できなかったことも、1年後の今は何事もなくやってのける。 | 
| 体はもちろん、感情や理性や自制心、言語能力の進化も留まることを知らない。 | 
| だが、そんな無邪気な子どもの姿にニヤニヤしている場合ではない。 | 
| 人間は年齢にかかわらず、こうして成長を続けていく生き物だとすると、 | 
| 老いとどう向き合おうかと思案に明け暮れる自分も | 
| 驚くべき密度と速さで今も進化・成長が続いていることになるのだ。 | 
| そんな馬鹿な・・・と疑いたくなるが、 | 
| 年とともに成長は止まるというのは、体の細胞や脳の働きに限ることで、 | 
| 人間として、息絶えるその日までどう生きるかを自らに問う営みは、 | 
| 日々進化し続けなくてはならないもの。 | 
| 1年前の自分より成長しているか・・・・幼子を見ながら自分に問いかけている。 | 
| 約束 | 
| 奪い続けるもの・・・・それが恋。 | 
| 与え続けるもの・・・・それが愛。 | 
| 奪い、与える関係のほかにもう一つ、 | 
| 求め続ける、という関係がある。 | 
| 男と女の間にしか成り立たない「恋愛」は、 | 
| この3つの約束で成り立つ。 | 
| どれが優先するかで、その関係の品格と質が決まる。 | 
| 固く結ばれていたはずなのに、いとも簡単に壊れてしまう関係には、 | 
| この優先順位に錯覚があったのだろう。 | 
| 多くの人は、この優先順位をうまく修正し、 | 
| 3つの約束を「絆」という関係に変えながら生きている。 | 
| 子育て | 
| どんなにつらくても、どんなにくじけそうになっても | 
| 歯をくいしばって耐えようとする力はどこから生まれるのか・・・・・ | 
| 答えは簡単である。 | 
| 遠い日の、誰かに「大切にされ、愛されていた」という記憶である。 | 
| 父や母、祖父母、近所のおじさんやおばさん、学校の先生・・・・ | 
| 誰かが何の見返りも求めず、自分を心から愛してくれた、 | 
| そんな幼い日の記憶があるから | 
| 人は大抵の窮地に置かれても乗り切ろうという意思が持てる。 | 
| その証拠に、大人になった今でも | 
| 誰かに必要とされ、愛されているという手ごたえがあるから、 | 
| 今日も生きてみようという力がわいてきているではないか。 | 
| 心の中にそんな記憶の入る部屋を用意してやり、 | 
| そこに入れる中身を精一杯作ってやる営みを「子育て」という。 | 
| 団塊の世代 | 
| 何億円つぎ込んで作ったテーマパークや | 
| 便利さや豪華さを競う都会の繁華街よりも | 
| 稲穂が垂れ、風の音が聞こえる近くの田んぼを見るほうが | 
| 不思議に心が落ち着く世代・・・・・・ | 
| 世間の目という見えない規範が | 
| いつも自分を取り囲んでいると感じる世代・・・・ | 
| ものがあふれ、躊躇なく使い捨て、飽食に何の違和感も覚えない世相を | 
| 何かおかしいと本能的に感じている世代・・・・・・ | 
| 自分を際立たせるファッションやおしゃれという術を知らない世代・・・・ | 
| 人を愛すること、気持ちを伝えることが照れくさく、 | 
| それを知りながらも不器用な自分を変えられない世代・・・・・ | 
| どんなに痛めつけられても、決して「時代が悪い」とは言わないが | 
| 理不尽なことには我を忘れて激怒する世代・・・・・・ | 
| 集団なら安心できるが、一人で行動することが苦手で、 | 
| 図太さの中にもひ弱さが見え隠れする世代・・・・・・・・ | 
| 誰が評価してくれるのかは知らないが、 | 
| 否応なしにこれが私たち、団塊の世代の生きてきた時代。 | 
| 激動の時の流れの中で | 
| 我ながらよくやったと、そろそろ自分を褒めてやってもいい時が | 
| 近づいている。 | 
| 熊 | 
| 信州・小谷村は長野県の北部、山一つ越えれば新潟県という位置にある。先日地元 | 
| の中学生が熊に襲われたと報道のあった村だ。私も旅でよくお世話になる村だが、熊 | 
| の話はよく耳にする。夏に小谷村の山奥で養蜂業を営むおじさんと酒を飲む機会があ | 
| った。このおじさん、名古屋の人だが、4月から11月までこの小谷村で「とちみつ」、つ | 
| まり栃の木の蜜を集める仕事をしているという。禁猟のため、地元でもめったに手には | 
| いらないという熊の肉をいただきながら、熊の話を聞いた。 | 
| ・・・・山の中で2度ほど熊に出会いましたよ。いきなり目の前に現れて、腰がぬけるほ | 
| ど驚きましたが、逃げたらおしまいだと思って、両手を広げて「ガオー」と吼えてやりま | 
| した。3メートルくらいだったけど、熊のやつ逃げていきました。いあやー、そのあとで | 
| 膝がガクガク震えて止まりませんでしたよ。・・・・・・・・・ | 
| いまでも近くに何頭も生息しているという。おじさん曰く、「あっちの方が先住民だか | 
| らね、済まんけど蜜を採らせてくださいという気持ちで山に入っているよ。」 | 
| 山菜やきのこがおいしい山里の暮らしだが、先住民とどう折り合いをつけるかが問 | 
| 題だ。ちなみに土産に頂いた栃蜜は「こりゃ熊も放ってはおかないだろう」と思える | 
| ほどおいしい味であった。 | 
| 別れ | 
| いずれ別れなくてはならない人なら、 | 
| 寂しいという気持ちはわかりますが、その別れは早い方がいいと思います。 | 
| 別れを引き伸ばせば、その時間の重さだけ | 
| 背負う荷物が増えるからです。 | 
| それでもいいと言われれば仕方がありません。 | 
| せめて 別れたあとに襲ってくる寂しさを少しでも軽くできるよう、 | 
| 心の準備だけはしておくべきでしょう。 | 
| 出会ったときのあの喜びには、 | 
| 実はこうしてやってくる別れの寂しさが付属してぶらさがっていたのです。 | 
| 出会いの時には誰も気付かない、いや気付いていても見ぬふりをする、 | 
| 切ない付録のようなものですね。 | 
| 老い | 
| いくら美化し、理屈をつけても | 
| 年を重ね、相応に老いていくことは楽しいことではありません。 | 
| 老いるのも捨てたもんじゃない、などと強がってみても | 
| 街で見かける若者のみずみずしさがまぶしく映りだすと | 
| どこかへ飛んでいく心細さを感じます。 | 
| ともにこの時期を迎えている多くの同年代の仲間たちは | 
| いったいどうやってこの寂寥感を乗り切っているのでしょう。 | 
| 先日 テレビで | 
| 「若いやつに絶対に負けないことが一つだけある。」という人がいました。 | 
| 「・・・30年前、40年前の思い出を俺たちは持っている。彼らにはそれはない。」 | 
| なるほど、そうですね。 | 
| そんな思い出が人生でどれほどの力になるものか、自信はありませんが | 
| その心意気があるか、ないかは案外大きいのかも知れません。 | 
| 秋 | 
| 秋の夜はなぜだか人恋しくなる、というのは本当のようです。 | 
| 満たされているはずなのに | 
| 心のどこかにぽっかり穴があいているような寂しさがぬぐえません。 | 
| 人の一生を四季にたとえるなら | 
| 秋はちょうど人生の折り返し地点から後半にさしかかるころ・・・・・・ | 
| 神様はきっと | 
| もう一度 自分の生きてきた道と足取りを静かに振り返り、 | 
| はるか彼方に置き忘れた荷物を確かめろと、 | 
| 感傷に浸れる時間を用意してくれたのでしょう。 | 
| いいんじゃないですか、 | 
| 長い人生、置き忘れてきた荷物の一つや二つ 誰にだってあるものです。 | 
| もはや取りに戻ることはできなくても | 
| かつてわが手にあったときの温もりや匂いを | 
| 懐かしみ、いとおしく指でなぞってみれば、それでいいのでしょう。 | 
| 抑えきれない情熱に胸を焦がした遠い日々・・・・ | 
| 盛りこぼれるほどの夢を抱えて駆け抜けた青春という名の時間・・・・・ | 
| 家族や大切な人を守るために がむしゃらに立ち向かってきた時の流れ・・・・ | 
| そして もう手の届かないところへ行ってしまった大切な人・・・・ | 
| 秋の夜長は そんな思い出と向き合いながら | 
| 他の誰にも悟られないように そっと静かに | 
| これまで頑張ってきた自分を誉めてやることにします。 | 
| ツクツクボウシ | 
| にぎやかだった近くの林のツクツクボウシの鳴き声が | 
| 日に日に少なくなって 秋の訪れを告げ始めた。 | 
| わずか1週間という、この夏の地表での人生を | 
| 彼らはどう生きたのだろう。 | 
| 我が家の庭木で鳴いている一匹のツクツクボウシがいる。 | 
| 今懸命に鳴いている彼は 他のみんなより少し遅れて | 
| この世に生まれてきたのだろう。 | 
| 私たちの耳には心地よく響く鳴き声も | 
| 命を削りながら伴侶を探し求めるラブコールなのだと思いながら聞くと | 
| 同じ地表で生きる仲間として思わず応援したくなる。 | 
| 遅れてきた彼にもどうか素敵で幸せな出会いがありますように・・・・・・ | 
| 真実 | 
| 「真実は一つ」と言いますが、 | 
| 厳密に言うとちょっと違うようです。 | 
| 一つなのは「真実」ではなくて「事実」でしょう。 | 
| 中心となる「事実」は一つでも | 
| それを巡って 百人いれば百通りの「真実」があります。、 | 
| あなたの真実と私のそれが いつも同じとは限りません。 | 
| ややこしい話ですが、 | 
| 世の中をわかりやすく理解するには 必要なことかも知れません。 | 
| 馬 | 
| モンゴルの草原では | 
| 馬たちは | 
| 自分のえさになる草を踏み潰さないように | 
| 道をつくってその上を歩くといいます。 | 
| 私たちが忘れかけているあたり前の法則を | 
| 彼らはごく自然に守って生きています。 | 
| 大人 | 
| いやなことを「いや」とはっきり言うのはいいが、 | 
| それぞれが勝手に「いや」を言い出すと | 
| 何事もまとまるはずがない。 | 
| 一つの目的に向かって動く集団には | 
| 和を保ちながらまとまるということが何よりも大切なこと・・・・・・ | 
| かつては それなりの集団の秩序が暗黙のうちに守られていたが | 
| 最近は自分を押し通そうとするわがままが目に付く。 | 
| 受け入れるのは まっぴらごめんだが、 | 
| 全体のために 自分を抑えてその場は我慢するということも | 
| 大人であることの証拠である。 | 
| 信頼 | 
| あなたのことを信じています・・・・・ | 
| などと、そんなに簡単に言うもんじゃありません。 | 
| 信じるというからには、究極の裏切りを見せられても | 
| 動じない覚悟が要るのですが、大丈夫ですか? | 
| そんな覚悟が なかなかできないから | 
| 信じるという行為が崇高なものになるのです。 | 
| それでも敢えて、とおっしゃるのならもう止めません。 | 
| 信じるという決意なのか、信じたいという願いなのかは | 
| あなたが動きだせば 自ずと見えてくるはずです。 | 
| 信じると決めて一歩を踏み出すあなたの誠実さを 信じましょう。 | 
| 魚屋 | 
| 鮮魚コーナーの良し悪しで、そのスーパーの値打ちが決まる・・・・ | 
| 夕食を作り始めて5年、その間にあちこちのスーパーを見て体得したことである。 | 
| 夕方5時、仕事帰りのお母さんたちが夕食の食材を求めて来店するころ | 
| A店では陳列台の向こうの調理室は戸が閉まり、誰もいない。 | 
| きれいに盛り付けられている刺身のパックも心なしか生気がない。 | 
| B店ではその時間帯、威勢のよい店員の呼び込みの声が店中に響く。 | 
| ガラス越しに見える調理室の中で、忙しそうに包丁が動く。 | 
| 鮮魚は生きの良さが命、 | 
| 生きの良さとは、魚介類の鮮度だけでなく、それを売る人の生きの良さでもある。 | 
| A店がそれでも成り立つのは、大手のチェーン店だからなのだが、 | 
| 経営の責任者は夕方一度でいいから自分の店に来てみることだ。 | 
| 魚屋は昔から「粋(いき)」を売る商売だと相場が決まっている。 | 
| 選択 | 
| 「定食」と「バイキング」・・・・・ | 
| 一昔前と現在の世相をこんな言葉で表した文章に目が留まった。 | 
| 決まったものを横並びでみんなが求めた「定食」の時代から | 
| 情報やモノが有り余るほどあふれ、 | 
| 自分の好みで選ぶ「バイキング」に重心が移ってきた今・・・・・ | 
| なるほど、と頷ける表現だが、変わったものの本質は | 
| ひょっとすると、切り捨てることへのこだわりの変化かも知れないと思う。 | 
| バイキング料理を目の前にすると、全部を食べられない「もったいなさ」に | 
| 何か損をした思いに襲われるおじさんたちは、 | 
| 好きなものをさっさと選んでいく人たちの潔さに世代の違いを感じてしまう。 | 
| 選ぶこと、捨てることの苦手なおじさんたちは | 
| そんな心配のいらない「定食」が一番落ち着くのである。 | 
| わたし | 
| 難しい局面の中にいると | 
| 同じ事態を平然と乗り切る人を見て うらやましく思う。 | 
| そして わが身の臆病さがひどくみすぼらしく見えてくる。 | 
| だが その難局を「臆病だ」と思えるほど | 
| 深刻に受け止め、考え、悩むのが「わたし」の個性なのであり、 | 
| 他の人とはちがう「わたし」の存在価値がそこにある。 | 
| 平気な顔をしてそんな事態を乗り切ることはできないが、 | 
| 「わたし」には「わたし」なりの用心深い対処方法があるはず・・・・・ | 
| 時間がかかっても、倍の労力を費やしても | 
| それでやればよい。 | 
| 誠実に取り組んだという手ごたえは | 
| わたしの中の「わたし」が一番よくわかってくれる。 | 
| 負荷 | 
| 深い悩みは深い思慮を生み出す。 | 
| 重い荷物は 簡単には捨てられない中身の大切さを思い知らせてくれる。 | 
| 空しい喪失感は やがて充填されるであろう、 | 
| 次のものを受け入れるために器を広げる痛みでもある。 | 
| 冷たい北風は やがてくる春の匂いを孕んでいる・・・・・・ | 
| 今目の前にある事態が重く、苦しいものであるなら | 
| それは 忘れかけているもう一つの大切なものを | 
| 難局を乗り切る糧にせよという暗示でもある。 | 
| 負荷がかかれば 必ずそれに反発する力が生ずるという、自然界の掟は | 
| 間違いなく人間の営みにも当てはまる。 | 
| 負荷を取り除こうとする力は | 
| 黙っていても 私たちの体の奥底にしっかりと蓄えられている。 | 
| 波 | 
| 浜辺に打ち寄せる波や 岩にあたって砕け散る白い波を見ていると | 
| 普通の人は癒されます。 | 
| しかし、あの波たちも | 
| 実は海の中で、員数外のものとしてはじき出された波たちなのだと | 
| 見た詩人がいました。 | 
| 詩人の耳に聞こえる波の音は | 
| 彼らの悲痛な叫び声に聞こえたのかも知れません。 | 
| しかし | 
| 一旦は はじき出された波も、再び温かく受け入れて仲間にしていく | 
| 心の広さが海にはあります。 | 
| 波を見ていて心が癒されるのは | 
| きっとそんな優しさが私たちの心に届いているからなのでしょうね。 | 
| あこがれ | 
| 太陽のように自ら輝く人がいる。 | 
| 太陽がないと輝けない月のような人がいる。 | 
| 自分は月だと、もしも思いあたるなら | 
| 太陽にあこがれるのでなく | 
| 太陽には決して真似のできない、あの幽玄の輝きを誇るがいい。 | 
| 太陽や月がそうであるように | 
| 自分を誇張したり 他を見下したりしないで | 
| 自分は自分であると 思い切り主張すればよい。 | 
| どちらが欠けても 宇宙という絵は描けないのだから・・・・・・・ | 
| 願い | 
| 日本語は世界一美しい言葉だと教えられて育ったおじさんたちには | 
| どうしてもなじめない最近の若者用語・・・・・・・ | 
| 「きもい」「うざい」「イケメン」・・・ | 
| なんだ、それは と思わず目じりにしわができます。 | 
| 言葉は社会の変化とともに変わっていくものだと承知はしていますが、 | 
| それにしても意味不明の難解用語ばかり。 | 
| そんな言葉を互いに共有することで、 | 
| 若者たちは簡単に意思疎通ができるのでしょうが、 | 
| はっきり言ってそれは間違っていると思います。 | 
| 薄っぺらな言葉で育んだ関係は、 | 
| その言葉と同じくらいの薄さにしか育たないものです。 | 
| 言葉の持つ重さ、響き、余韻、そして温かさを | 
| どうか大切に思える大人になってくださいね。 | 
| 美 | 
| 美しいものにふれていたいという願望は | 
| ほとんど本能的なものだろう。 | 
| 特別な能力や努力を必要とする、他の願望とちがい、 | 
| 平素からごく自然に己を支配していると思えるからだ。 | 
| 感情移入という、優れた心理作用のおかげで | 
| ありふれた路傍の石ころや見慣れた風景の中に | 
| 私たちは「美」を感じることができる。 | 
| 生まれたときにはなかったはずの美意識が今自分の中にあるのは | 
| 成長の過程で何度も学習した成果だが、 | 
| だれもそんなことを覚えていない。 | 
| だから | 
| 美しいと感じる心は、畏れる心に通じることも忘れてしまっている。 | 
| 迷い | 
| いくら考えても 他の選択肢が見えてこないときは | 
| おそらく 今 目の前にある道を進むのが最善の方法なのでしょう。 | 
| 思い切ってその道を選んだらどうでしょう。 | 
| なあに、もしも迷ったり、道が違うと気付いたら | 
| さっさと戻ってくればすむ事です。 | 
| 多少遠回りにはなるのでしょうが、 | 
| 目的地へ向かう別の道の存在がわかっただけでも | 
| 徒労にはならないはずです。 | 
| ただし | 
| あなたが探しているものが現実からの「逃げ道」であるなら | 
| 迷うことはありませんね。 | 
| どんな場合でも | 
| 「逃げ道」だけは有り余るほどたくさん用意されているものですから・・・・・ | 
| 幸せ | 
| 幸せだと言う手ごたえは | 
| よほど感覚を研ぎ澄まさないと見えないものらしい。 | 
| 災難や不幸は 闘うべき相手としてその姿が見えるが | 
| 満たされているという感覚は | 
| まるで空気のように自分を取り巻いているだけ・・・・・・ | 
| 人はわが身を襲う不幸の数は数えるが | 
| 幸せの数は数えようとしない。 | 
| 白と黒 | 
| 白と黒を混ぜ合わせると灰色になりますね。 | 
| 灰色の人生・・・などとあまりよいイメージではありませんが | 
| 白や黒にはない、ほどよい落ち着きがあって、好きな色です。 | 
| 白なのか黒なのか、はっきりしろと相手に迫るのは | 
| 多分相手の態度が「灰色」だからなのでしょう。 | 
| 灰色は | 
| 白や黒のどちらでもないが、そのどちらの良さも備えている・・・・・ | 
| 目くじらを立てて、白黒をはっきりさせなくても | 
| 世の中 ちょっとあたりを見回せば 灰色でうまく収まっていることばかりです。 | 
| 時計 | 
| 我が家に、ネジ巻き式の柱時計がある。 | 
| 近代装備を一切拒み、ぜんまいと歯車だけで動くという、 | 
| 恐ろしく人間的な時計だ。 | 
| 命の綱とも言うべきぜんまいが緩んでくると、 | 
| 時報の音が息絶え絶えに聞こえてくる。 | 
| その横で、水晶発振の最新鋭の架け時計が | 
| 旧式の同僚を横目で見ながら、涼しい顔をして正確な時を刻んでいる。 | 
| 秒単位の正確さで時報を鳴らす新型と違い、 | 
| ネジ巻き式では2,3分の誤差は許容範囲・・・・・・・ | 
| 何だか昔と今の自分を見ているようで、 | 
| 2つの時計の対比が面白い。 | 
| 乾電池1個で1年近くも動く若者も、 | 
| せいぜい20日で息切れのする老人も、 | 
| 名前を呼ぶときは「時計」である。 | 
| 馬鹿なこと | 
| この世の中には男と女しかいないので | 
| お互いを意識した文化が創りだされた、と思っている。 | 
| その最たるものが「おしゃれ」・・・・・・・ | 
| 化粧や服装のなかには | 
| もしも地上に単一の性しかいなければ、決してあり得ない意図が見える。 | 
| 「もしも地球に女しかいなくても、女性は化粧をするの?」 | 
| 奥方にそう聞くと、 | 
| 「何を馬鹿なこと考えているの。」と一喝された。 | 
| 権威や地位を誇示するために身を飾ることはあるだろうが、 | 
| もしもこの世に男しかいなかったら、 | 
| こんなことは絶対にしないんだろうな、と思いながら | 
| 洗面所でひげを剃った。 | 
| 馬鹿なことを考えるのも圧倒的に男だなと苦笑いしながら・・・・・ | 
| 青春時代 | 
| 街を行く君たち、若者を見て考えています。 | 
| 青春時代・・・・私たちにもそんな時代があったんですね。 | 
| このごろ あの歌の文句の意味がやっとわかりかけてきました。 | 
| ・・・・・青春時代が夢なんて あとから ほのぼの想うもの・・・・・ | 
| 君たちには「ダサイ」と見える、おじさんやおばさんたちにも | 
| 君たちと同じように輝きに包まれていた時代があったんですよ。 | 
| 古いものを壊し、既成の権威に反抗し、自分たちがこの時代を動かすんだ・・・・ | 
| そんな威勢のいいことを考えながら、 | 
| 恋を語り、文学や音楽を語り、そして人生を語った時があったんです。 | 
| みんな貧乏でしたが、君たちに負けないくらいの | 
| 大きな可能性を信じていた時代が・・・・・・ | 
| 君たちの持つ若さという特権を少しまぶしく感じながら | 
| おじさんたちは自分たちのあのころを | 
| ほのぼの想っています。 | 
| 絆 | 
| 対象となる相手の状況を変えたいと思うとき、 | 
| なかなか思うように行かないと、その原因を相手に求めたくなる。 | 
| しかし | 
| 原因の大半はこちら側にあるということを忘れてはならない。 | 
| 思い通りにならないのにはそれなりの理由があり、 | 
| 相手にも言い分があるのだが、多くの場合それを聞こうとしていない。 | 
| 悔しくて、腹が立っても、こちらの基軸を変えていかない限り | 
| 事態を変えていくのはむずかしい。 | 
| 小学校高学年のクラスで苦悩するある教師のドキュメンタリーを見て | 
| そのことが心に残った。 | 
| 何だかんだと理屈をつけても | 
| 教育とは所詮 人と人の絆を作っていく営み・・・・ | 
| 相手に応じてこちらも柔らかく変化していくこと、 | 
| それ以外に絆を生み出す術はない。 | 
| 子守唄 | 
| 最近「子守唄」を聞かなくなった。 | 
| 子守唄を知らない親が増えたことによるらしい。 | 
| そんなものであやさなくても | 
| もっと手軽で、便利なツールがあると言う。 | 
| 昔 母の背中で聞いたであろう、その唄は | 
| 母乳とともに血液に溶け込み、意識はしないが全身に染み込んでいる。 | 
| 顔と顔を見合わせ、笑顔で幼子に語りかけるこの唄には | 
| どんな偉大な音楽家もかなわない、魂の響きがある。 | 
| 記憶には残らなくても | 
| 体の中に溶け込んでいる唄がある。 | 
| 思い出 | 
| もう手の届かないところへ行ってしまった人は | 
| 意地悪です。 | 
| こんなにも熱い思い出だけを有り余るほど残して・・・・ | 
| これを全部私に背負って行けというのですね。 | 
| 投げ返してやりたいけど | 
| 受け止めてくれるはずのあなたはもういない・・・・・・・ | 
| 思い出を一つひとつ燃やしながら | 
| 今日を生きる糧にします。 | 
| いつか燃やすものがなくなったら | 
| あなたから卒業できたのだと自分に言い聞かせ、 | 
| もう後ろを振り返らずに歩いていくつもりです。 | 
| その日がくるまで | 
| もうしばらく思い出という、あなたからの贈り物を燃やさせてください。 | 
| 忘却 | 
| あきらめようと思ってもあきらめきれないときは | 
| 無理をしないで、想い続ければいいんだと思います。 | 
| それが人であれ、物であれ、 | 
| 自分の心を、たとえ短時間でも占有していたのですから | 
| 消しゴムで消すようにはいかないものです。 | 
| 本当に忘れなくてはいけないことだったら | 
| そのうち、渚の砂に書いた文字のように | 
| 「時」という波が静かに消してくれるはずです。 | 
| 確かにきっぱりとあきらめる方が楽になるのでしょうが | 
| 想い続けることで負う苦しみも 考えようによっては | 
| 私が今日を生きる力になっているのかも知れません。 | 
| 再起動 | 
| 再起動とは | 
| 過去の一切を消去して、新しくゼロから出直すこと・・・・ | 
| キーやボタン一つで簡単にこの操作ができるのは | 
| コンピューターの世界でのことなのに | 
| 人生にもあてはめようとする最近の風潮がある。 | 
| 過去と訣別し、気持ちを新たにして人生の一歩を踏み出すためには | 
| 並々ならぬ努力と不安と闘う勇気、そして何よりも | 
| そこに至るまでの気の遠くなるような時間が必要なのだ。 | 
| 悲しみや苦しみを乗り越えるために 手軽な手段を選択してはならない。 | 
| 痛みを伴わない脱皮は | 
| やがてその皮の重さに押しつぶされる。 | 
| 安全弁 | 
| 人生少し長く生きていると | 
| いくら考えても じたばたしてもどうにもならないと思えることに出会うことがある。 | 
| 強がりではなく、「なるようにしかならない。」という経験則が | 
| 楽観的とも言える判断を後押しするからだ。 | 
| その結果がすべて良しとはならないが | 
| 多くの場合 どんな結果になってもそれなりに受け入れることができる。 | 
| 正反対の生き方を突っ走っていた、若いころを苦笑いしながら思い出し、 | 
| 神様が与えてくれた安全弁に感謝しながら | 
| これからも心静かに暮らせたら・・・と思う。 | 
| 先生 | 
| 守秘義務というものがある。 | 
| 職務上知りえた秘密や内情を口外しないという掟・・・・ | 
| それが守られていると思うから 人は知られたくないことでも話す。 | 
| 昨年 新任の若い先生を1年間指導したが | 
| 最後に伝えたのは ただ一つ | 
| 「職員室で決して親の悪口を話題にしてはいけない。」ということだった。 | 
| 悪口が言えるほどその家庭や親のことを知っているわけではないし、 | 
| 憂さ晴らしに悪口を言う情けない先生にはなってほしくないから | 
| あえて厳しく申し渡した。 | 
| あれから4ヶ月・・・先生 ちゃんと守っていますか。 | 
| 参考書 | 
| その昔 初心な若者たちは恋心を抱いた相手に | 
| どう自分の気持ちを伝えればよいかを知らなかった。 | 
| 親や学校ではもちろん教えてくれないし、 | 
| 参考にしたのは テレビの青春ドラマや小説・・・・・・・ | 
| ああ、男と女はこんな風に付き合えばいいんだ、と | 
| 知らないうちにイメージが刷り込まれていたように思う。 | 
| この原則は 時代が変わっても変わるはずはないので、 | 
| 今を生きる若者たちもきっと同じ道を歩いている。 | 
| 願わくは 彼らが見聞きするテレビや本が | 
| どうかすてきな参考書でありますように・・・・・・ | 
| 叱責 | 
| 人生の中で 誰かに叱られた経験の量は | 
| その人間の豊かさ、人格の厚みに比例する。 | 
| わけもなく叱責されたのでなければ 多くの場合 | 
| そのときは腹も立つが やがて自分にも非があることに思い至るだろう。 | 
| 悔悟の念をどれだけ自分の中に蓄積させたかで | 
| 人としての厚みが決まる。 | 
| 面と向かって叱責され、完膚なきまでに叩きのめされた経験を | 
| 一つでも多く取り込もうとするには、それなりの勇気が必要だが、 | 
| 人生にはそんなことも大切なんだよと | 
| 教えてくれる人が少なくなった。 | 
| あるがまま | 
| 雨降りの間は鳴き声一つしなかったのに | 
| つかの間の雨あがりになると いっせいに蝉や虫たちが鳴き始めます。 | 
| どこからともなく、トンボもやってきて・・・・・・ | 
| 彼らの生き様を見ていると 人間にとって | 
| 「あるがままに生きる」というのは思ったよりむずかしいものなのかもしれません。 | 
| つい先を読もうとして要らぬ手を出してしまうことばかりです。 | 
| はっきり言って | 
| 「あるがまま」に関しては 彼らにはかないません。 | 
| じたばたしても仕方がないときには 動かずにじっとして | 
| あす終わるかも知れない命を精一杯生きる・・・・・ | 
| そんな風に生きられたらいいですね。 | 
| 残像 | 
| 心が震える夢のようなひと時があったとしても | 
| それは文字通り「夢のような」もの・・・・・・・ | 
| 現実の大半の時間の中にそんなものはない。 | 
| 気の遠くなるような時間の流れのなかでも | 
| 人が退屈せずに生きていけるのは | 
| 時折 流星のようにやってくる夢のようなひと時があるからなのだが、 | 
| 多くの場合 | 
| ゆっくり味わうにはあまりにも短く つかみ所がない。 | 
| しかし 間違いなく言えることは | 
| 人はそのつかの間の夢の残像を糧にして | 
| 今日を生きている。 | 
| りんご | 
| りんごはなぜ赤いのか・・・・・ | 
| 鳥や動物たちに早く自分を見つけてもらい | 
| おまけとなる果実に包んだ種をできるだけ遠くに運んでもらうため | 
| 光の中でも一番波長の長い赤を選んだ。 | 
| 一番遠くまで届く光だ。 | 
| 夕焼けが赤いのも、止まれの信号が赤いのもこの理由による。 | 
| 頭脳など どこにもありそうにないりんごだが | 
| 恐るべき深謀遠慮をめぐらせている。 | 
| 省みて 自分はなぜ今ここでこんなことをしているのか・・・・ | 
| その答えを用意しておかないと | 
| 誇らしげに赤く輝くりんごに笑われる。 | 
| 変化 | 
| 「学んだことの証しはただ一つ、何かが変わることだ。」 | 
| と言った人がいます。 | 
| なるほど、そうですね。 | 
| いくら学んだと言っても そのことで何も変化がないのなら | 
| 本当に「学んだ」とはいえないのでしょう。 | 
| 目に見える形にならなくても | 
| 心の持ちよう、物を見る視点の小さな変化だっていいはずです。 | 
| これまでたくさん学んだような気がするのですが | 
| もう一度吟味してみる必要がありそうです。 | 
| 懲りないおじさんは | 
| 何も学んでいないおじさんだと言われないためにも・・・・・・ | 
| 決断 | 
| 予期せぬ事態というものは | 
| 突然やってくるものですね。 | 
| 若いころのようにうろたえることは少なくなりましたが | 
| それでも受け止めるには相当の体力、気力を消耗します。 | 
| とにかく目の前の難問を1つずつ乗り越えるしかありません。 | 
| 年を重ねた強みは | 
| その事態が引き起こす利害損得を | 
| ある程度冷静に考えられるということ・・・・ | 
| そして | 
| ずうずうしいと思われても 開き直る度胸が | 
| ほんの少し身についてきたこと・・・・ | 
| 必ず何とかなるものです。 | 
| 輝き | 
| 苦労してやっと手にいれたとたんに | 
| あんなに輝いていた光が消えてしまった・・・・・ | 
| よくあることですね。 | 
| それはきっと | 
| まだ遠くにあった時の魅惑的な輝きを | 
| 私が見誤ったからでしょう。 | 
| 私のためだけに輝いていると・・・・・・・ | 
| そうではなかった、というだけのことです。 | 
| かなしい | 
| 「悲しい」と「哀しい」には | 
| 大きな違いがある。 | 
| どんなときに「悲しい」と書き、どんなときに「哀しい」と書くか、 | 
| 一度考えてみるといい。 | 
| 両者の違いが明確であればあるほど | 
| 自分がくぐりぬけてきた障壁から学んだものが生きている。 | 
| 「悲哀」などと一くくりにしがちな言葉だが、 | 
| 努々混同することなかれ。 | 
| 子育て | 
| 意識的であるかどうかは別にして かつて自分がそう育てられたように | 
| 親は子どもを育てようとする。 | 
| それ自体は悪いことではない。 | 
| 問題は 思い通りに育たなかった責任を | 
| 子どもに求めること・・・・・・・ | 
| おまえのためを思ってのことなのに なぜわからないと言う前に | 
| 同じセリフを自分の親から聞いたことがないかどうかを思い出すべきだろう。 | 
| 「おまえのため」・・・本当に自分のためになっていたかどうかは | 
| 今ごろになってようやくわかり始めているはずだから・・・・・・ | 
| まず | 
| 一人で騒いでも どうにもならないが | 
| まず一人が騒がないと 事は始まらない。 | 
| 茶 | 
| お茶を飲んでいる。 | 
| まろやかな味に舌つづみをうっている。 | 
| 茶木からこの葉を摘み取った人・・・・・ | 
| 何度も何度もこの葉をもんだ人・・・・・・ | 
| 乾燥させて袋につめた人・・・・・ | 
| そんな人たちの手の味がしている。 | 
| あなたがどんな人かはわかりませんが | 
| おいしくいただいています。 | 
| きずな | 
| 互いに傷ついたり 傷つけたりすることを恐れずに向き合ったから | 
| そのあとに深い愛が生まれた。 | 
| 互いに考えも立場も人格も違う相手に 裸でぶつかったから | 
| そのあとに深い信頼が生まれた。 | 
| 人と人が絆をつくるという営みは | 
| そんなにスマートに 格好よくはいかないもの・・・・・ | 
| 傷つくことを恐れ 分かり合うために不可欠な摩擦を避けてばかりいると | 
| 本当に深い信頼の絆は得られない。 | 
| 傷だらけになってはじめて 手に入るものもある。 | 
| 安曇野 | 
| 信州に「安曇野」と呼ばれる場所がある。今や一大観光地になっている。この「安曇」 | 
| という地名が、実はその昔福岡の志賀島(金印が発見されたところ)一帯に勢力を持っ | 
| ていた「安曇族」という海人族が移住してできたという話は有名だ。 | 
| 安曇野のほぼ中央に位置する「穂高神社」の祭りには、今でも大きな船が登場する。 | 
| 安曇族は政変により九州を追われ、各地に散らばったが、その豊富な農・工生産に | 
| 関する知識を広めたという。今でも「志賀」や「安曇」という地名が各地に存在すると | 
| いう。今回の旅の途中で、滋賀県の琵琶湖を訪れたが、なんと西岸に「安曇川」「志賀」 | 
| という地名を見つけた。前者は「あどがわ」と読むらしいが、驚きであった。 | 
| 安曇族は日本海を北上しながら、新潟県糸魚川に注ぐ姫川を遡上し、小谷、白馬、 | 
| 大町を経由して今の安曇野にたどり着いた、という説が有力らしい。 | 
| 小谷村の一部には、今も福岡近辺でよく食べられる「おきゅーと」とよばれる、ところ | 
| てんによく似た海草を食べる習慣があると聞く。 | 
| 1週間の気ままな旅は、この安曇族の北上をたどる旅でもあった。 | 
| 安曇族の末裔かもしれない多くの人たちに出会いながら、しばしロマンを楽しませて | 
| もらった。 | 
| 理想の相手 | 
| やさしい人がいい・・・・・・とよく聞きますね。 | 
| 「やさしい人」ってどんな人ですか? | 
| 漠然としたイメージはあっても | 
| 「これだ」と言えるものがありますか。 | 
| 目的や魂胆があって 相手を気遣うことなら | 
| ちょっと演技をすれば たいていの人にできます。 | 
| 「やさしさ」とは それ自体が固有に存在するのではなく | 
| その人の言動のなかに | 
| その人が大切にしながら生きているものを見抜く | 
| 「わたし」の感性や眼力の別称なのです。 | 
| わがまま | 
| 多くの知人や友人に囲まれていても | 
| 自分は一人ぽっちだと感じることがある。 | 
| 一人きりでいても 十分温かいものに包まれていると感じることがある。 | 
| 要は心の持ちようだ、などと気休めを言うつもりはないが | 
| 「幸せ」という感覚に関しては | 
| 人間は相当わがままにできているらしい。 | 
| そのわがままのおかげで | 
| 現実に起こる様々な出来事の受け止め方に | 
| かなりの幅ができている。 | 
| だから | 
| 圧倒的に多いはずのストレスや不満、寂寥感の中にいても | 
| 人は生きていける。 | 
| 名所 | 
| 名所でも何でもない場所で ふと目にした風景に心を動かされ | 
| 「美しい」と感じることがある。 | 
| 正確に言うと 「美しい」と感じているのではなく | 
| 自分の中に蓄積されている過去の体験の一コマを探し出し | 
| その場面と重ねる作業を瞬時のうちに行っている。 | 
| その証拠に 一人でその景色を見ているときに | 
| 「きれいだ。」とか「美しい。」などと言う人はいないし、 | 
| 重ねる体験を持たない人には ただの風景でしかない。 | 
| 多くの人に共通した体験を想起させる場所を | 
| 「名所」と呼ぶ。 | 
| 言葉 | 
| 言葉には力がある・・・とかねがね思っています。 | 
| 素敵なメロディーにちりばめられた歌詞に心が震えるのも | 
| 落ち込んだときにかけてもらった一言で心が癒されるのも | 
| みんな言葉の力なんですね。 | 
| 美辞麗句を身につけるのでなく | 
| 時と場と相手に応じた平易な言葉を使う術を磨きたいと思います。 | 
| 場合によっては 相手の生殺与奪をも左右しかねない一言でも | 
| 的確に 素直に そして私という人間を丸ごと載せて | 
| 相手に渡せたらいいと思います。 | 
| 相手の心の一番奥深いところまで届くように・・・・・・・ | 
| はじめに | 
| 初恋のほろ苦さを覚えているから | 
| 人を好きになることが怖くない。 | 
| 生まれたばかりの我が子の顔を覚えているから | 
| 惜しみない無償の愛情が注げる。 | 
| 人生の師と呼べる人に会えたことを覚えているから | 
| どんなにつらくてもがんばって生きてみようと思える・・・・・・・ | 
| 出会いは偶然だったのかもしれないが | 
| 一番初めにその人に届けてもらったおかげで | 
| 今の私を支えているというものがある。 | 
| コーヒーでも飲みながら | 
| そんな人を思い出してみるのもいい。 | 
| 言葉 | 
| 「ごめんなさい」が言えずに何度苦い思いをしただろうか。 | 
| 「ありがとう」の一言が口から出ずに何度悲しい思いをしただろうか。 | 
| 「ごめんなさい」も「ありがとう」も その使い方は十分知っていたはずなのに | 
| なぜか恥ずかしくて口に出せなかった・・・・・・・ | 
| もうそんな思いをしなくてすむように | 
| この言葉だけは いつもポケットのなかに忍ばせておきたいと思う。 | 
| 人と人が 互いに相手を大切な人だと思うとき | 
| さりげなく そっと相手の心のなかに残しておく言葉・・・・・・ | 
| 「ごめんなさい」も「ありがとう」も 決して一人歩きはしないのだから・・・・・ | 
| 店じまい | 
| 昭和20年代の前半に生まれた者たちは | 
| 貧乏と繁栄とその崩壊を目の当たりにしながら生きてきました。 | 
| みんな貧しかった子どものころ | 
| つぎはぎだらけのズボンをはいていても ちっとも恥ずかしくなかった・・・・・ | 
| やがて お金で何でも欲しいものが手に入るようになって | 
| 家の中には収納しきれないほどの物があふれだした・・・・・・ | 
| そして 自分とはまったく関係のないところで | 
| 世の中が急に不景気になって 大騒ぎ・・・・・・・ | 
| 中にはお金や物に執着する人もいるのでしょうが | 
| 基本的にそのころ生まれた多くの同年代の人たちは | 
| お金や物がなくてもそれなりに生きていけると思っています。 | 
| なぜなら 人生の出発点で貧しくてもみんな豊かに生きていたという | 
| かけがえのない記憶を共有しているからです。 | 
| そんな人たちが そろそろ人生の店じまいを始めるころになりました。 | 
| さびしくなりますねえ・・・・・・・ | 
| 後悔 | 
| 幾度か訪れる人生の分岐点に立ったとき | 
| 一片の後悔もなく進むべき道を選べることは稀であろう。 | 
| どんなに深謀遠慮をめぐらせて決断しても | 
| 大なり小なりの後悔はついてくる。 | 
| 問題はその後悔とどこで訣別するかということ・・・・・・ | 
| その時期を誤ると | 
| 今歩いている道がひどくみすぼらしく思えてくる。 | 
| 後悔とは | 
| 多くの場合 あり得たかもしれない別の可能性に対する | 
| 未練である。 | 
| タンゴ | 
| ホールでの生演奏を聴くのは何年ぶりだろう。 アルフレッド・ハウゼ楽団の演奏会 | 
| に行った。アルフレッド・ハウゼ楽団・・・・・・・言わずと知れたタンゴ楽団の大御所で | 
| ある。60年代の後半に青春時代を過ごした者なら、この楽団の奏でる流麗なストリ | 
| ングスの調べと、歯切れのよいリズムに酔いしれた人も多いはず・・・・・・・・ | 
| 別にダンスを踊れなくても、耳に響く甘く、切ないメロディーはその時折の出来事 | 
| と重なりながら、記憶の中に封じ込められていた。 | 
| 今時タンゴなど聴く人がいるのだろうかと思っていたが、会場は満員・・・しかも | 
| 8割が50代、60代のおじさんやおばさんたち・・・・ | 
| 「ラ・クンパルシータ」「碧空」「真珠とりのタンゴ」・・・・どれもその昔胸を熱くして | 
| 聴いた曲である。周りを見渡すと目に涙をためてリズムをとっている人も多かった。 | 
| 2時間の演奏が終わったとき、心の中にたまっていたものが一気に流れていった | 
| ような気がした。素敵な演奏を聴かせてくれた楽団員に感謝しながら、会場を後に | 
| した。「碧空」に重なる好きだった人の面影をかみしめながら・・・・・・・・・・・・ | 
| やまなし | 
| 宮沢賢治の作品に「やまなし」という短編がある。長い間小学校の国語の教科書 | 
| に取り上げられていた。水中で暮らすカニの親子の会話を中心に、平和な暮らしと | 
| 生命の尊さを謳いあげた名作である。 | 
| 突然襲ってくる外敵の恐怖におののく子ガニ、やさしく平和に生きることの大切さ | 
| を教える親ガニ、やまなしの実が水面を静かに流れていくところで話は終わる。 | 
| この話で「何を教えるか?」でずいぶんたくさんの実践や討論が行われてきた。 | 
| あまりのむずかしさにお手上げの教師が多いと聞く。難解だというので、とうとう教 | 
| 科書から姿を消してしまった。 | 
| 時折、山の渓流を見ていると、この水底であのカニの親子が今でも話をしている | 
| のではないかという錯覚に襲われる。「やまなし」に象徴される芳醇な香りを放つ | 
| 日々の平和が見えにくくなっている今、改めて読んでみたい作品である。 | 
| 宮沢賢治・・・・・・・不思議な人である。 | 
| 礼儀 | 
| 陰口の飛び交う職場はいやなので | 
| 年配者は若者に遠慮してできるだけ自己主張をしない。 | 
| もめごとやゴタゴタはいやなので | 
| 本来なら叱り飛ばしてもいいことなのに 厄介な話を受け入れる。 | 
| 人を束ねる立場に立つ者や年配者ならだれもが同じ経験をもつ。 | 
| 職場の和は大切だが | 
| それが誰かの犠牲の上に成り立っているということを | 
| 察知できる若者は少ない。 | 
| 居心地がよいと感じるときには | 
| どこかに そんな場を演出している人がいるのではないかと | 
| 見回してみる・・・・・・ | 
| それが共に働く仲間としての最低限の礼儀である。 | 
| 残していくべきもの | 
| 相手がだれであれ、指導する立場にたつときに心しておかなければならないことが | 
| ある。「伝えるべきもの」と「残していくべきもの」をきちんと区別することだ。 | 
| 仕事や勉強を進めていく上で、より効率よく、失敗や過ちを犯さないようにその場 | 
| その場で注意したり、叱ったり、説教していく中身は「伝えるべきもの」・・・・・・・ | 
| 一方、具体的な言動はなくても、大切にしてほしいもの、守ってほしいものをさりげ | 
| なく相手に示していく中身を「残していくべきもの」という。 | 
| この両者の使い方を誤るか、一方だけを求めると間違いなく信頼を失する。 | 
| ある人を想い、何ゆえその人が自分の記憶からいつまでも消えないのかを考える | 
| と、このことはすぐにわかる。その人が「残してくれたもの」が自分の中で息づいてい | 
| て、折に触れ自分を支えてくれている、そんな思いになれるから、その人を忘れな | 
| い。人を束ねる立場に立つ者は、「残すべきもの」を彼らに与えているか、振り返っ | 
| てみるといい。 | 
| 名人 | 
| 信州の山奥で、「杜氏(とうじ)」と呼ばれる酒作りの名人と一緒に酒を飲んだ。この | 
| 人の名は「鷲沢捨男」、小谷村奉納の人で、木曽で「木曽路」という銘柄の酒を作っ | 
| ておられる。(http://www.sake-kisoji.com/sakezukuri.html) | 
| 自分の作った酒を勧められ、一口飲んでみると、今までに味わったことのない、風 | 
| 格のあるおいしい酒であった。子どものころの村の様子やマタギの猟師として山に | 
| 入って獲物を追いかけた武勇伝、村に何人もいた小谷杜氏たちの活躍、そして今酒 | 
| づくりにかける情熱など、まるで昔話に聞き入る幼児のような体験をさせてもらった。 | 
| 「酒作りの秘密はやはり米と水ですか?」と聞くと、「みんなそう言うが、違うな。杜 | 
| 氏の腕、これが決め手ということです。」と笑いながらおっしゃる。失礼しました。その | 
| 通り、いい米や水なら全国にたくさんある。それを極上の酒に変えていく杜氏の腕こ | 
| そ酒作りの極意であった。「またいっしょにやりましょう。」・・・・・・さわやかな名人に | 
| そういってもらって、もうすっかりその気になっている私である。 | 
| 空想 | 
| 人には 現実には在りえない、起こりえないことを想像する力がある。 | 
| 神様の特別なプレゼントだとしか思われないこの力のおかげで | 
| 人類は かつてない繁栄を手に入れた。 | 
| 空想力の源は 旺盛な好奇心である。 | 
| 興味や関心がなくなれば 空想など遠い話だと言う事実は | 
| 経験の中で誰もが知っている。 | 
| ただ一つ 空想には破ってはならない掟がある。 | 
| 空想は必ずHappy Endにしておくこと・・・・・・・ | 
| これを誤ると空想は「妄想」になる。 | 
![]()