バックナンバー No.4
色は重ねる数が増えれば |
それだけ灰色に近づき やがて黒となる。 |
それは 単一の色が他色との融合を強いられることへの |
無言の抵抗である。 |
色を混ぜても 澄んだ味わいを生み出せるのは |
せいぜい二、三色までだ。 |
多くの人間と無理に溶け合うことを強いられていると |
やがて人間も灰色になってしまう。 |
人の心に残る歌には |
その歌に重なる人生の大切な記憶が溶け込んでいる。 |
その歌とともに息づいていた |
かけがえのない日々が間違いなくあったのだと |
時々思い起こさせてくれるから |
人は自分の来た道を振り返りたくなると |
そのとき聴こえていた歌を探している。 |
歌は長い道のりに立つ道標であったと |
気付くのもそんなときだ。 |
手の届かないところに実る果実は |
いくらおいしそうに見えても口にははいらない。 |
ただ その味を思い描いて見るだけだ。 |
本当に口に入れたければ |
思い切って木を切り倒せばよい。 |
切ったあとの始末をきちんとする勇気があるのなら |
それも一つの方法だろう。 |
手の届かないところにあるものを手に入れるには |
眺めていないで 斧を取れ。 |
人の心は いつも何かで満たされているもの |
空白はない |
何かが失われ 空白ができたら |
黙っていても 埋めようとする力が働く |
寂しいときに ある人を想うのは |
心が 空白を埋めようと動いている証拠だ |
ほんとうに美しいと思うものは |
自分がそう感じた瞬間から |
美しくなるための成長を始めていた。 |
忘れられない1冊の絵本がある。「花さき山」・・・・・斉藤隆介さんの |
作品である。民話調の語り口と滝平二郎さんの味わいのある切り絵 |
が相和して、何とも言えない爽やかな感動を与えてくれる。 |
何か一ついいことをすると、花さき山に一つ花が咲く・・・・・斉藤さん |
の言う「いいこと」は、大げさなことではない。お祭りに着る新しい服 |
が欲しかったが、弟のためにじっと我慢をした女の子、その目に浮 |
かんだ涙のしずくがきれいな花になる・・・・・ |
生きることの「哀しさ」は美しいものだという作者のメッセージが伝 |
わってくる。何かに耐えて我慢をするするわが子に、「よくがんばった |
ね。今花さき山にあなたの花が一つ咲いたのよ。」と話してやれる親 |
がいたら、その子はどんなに幸せだろう。お金や物で代償をもらう |
のではなく、こんなすてきな言葉でその労をねぎらってもらえたら・・・ |
自分の花は咲いているのかなあ・・・・・いい年をして時々そう思うこ |
とがある。 |
先日所用でタクシーを利用したときの話・・・・・・・・・・ |
「・・・・・30年会社に勤めましたが、転勤の連続で、北海道から鹿児 |
島、韓国やシンガポールまでいきましたよ。そろそろ地元に落ち着こ |
うと思った矢先に、出向の話が出たんですよ。今さら出向するくらい |
ならと思い切って会社を辞めました。二種免許をとってタクシーに乗 |
ることにしました。わずらわしい人間関係とは無縁で、最高ですね。 |
患っていた胃潰瘍もきれいに治りました。・・・・」 |
溌剌とした様子がまぶしいくらいの運転手さんであった。現役の頃 |
はおそらくバリバリ仕事をこなす、企業マンであったのだろう。 |
家族の反対はなかったのですかとお聞きすると、「いや、子どもた |
ちも独立しましたから、やりたいようにやりなさいということです。」 |
ちなみにこの運転手さん、私と同年だとか・・・・子どものころの思い |
出話で大いに盛り上がった。同じ時間を共有して生きてきたなつかし |
い仲間に会ったような気がして、爽やかな車中での一時であった。 |
「山小舎の灯」・・・・・・・1947年に発表された歌である。近江俊郎 |
さんという名前を聞いて、その姿が浮かんでくるという人はほぼ化石 |
に近いと心得るべきであろう。 |
自分が生まれる前の歌なのに、なぜかいつも唇に浮かぶ歌であっ |
た。山に登ることが若者のステータスであった、古き良き時代を彷彿 |
させるこの歌を、苦しい上り坂でよく口ずさんだ。登ってもこの歌に |
あるようなロマンチックな山小屋などない山でも、イメージの世界では |
ランプの灯りが灯る素敵な山小屋がそこに待っているような気がした |
ものだ。戦後の混乱期に、こんなすてきな歌を聴きながら山への憧 |
れを育んでいたとは・・・・先輩方もなかなかやるもんです。 |
筆記用具の代表格といえば、今やシャープペンシルとボールペン、 |
鉛筆や万年筆はどうも陰が薄い。 |
面白い現象がある。小学校の1年生に入学してくる子どもたちの筆 |
箱をみると、シャープペンシルではなく、鉛筆が主役の座を占めてい |
る。親たちは何ゆえわが子に利便性の高いシャープペンシルではな |
く、鉛筆を与えるのだろうか。削る必要もなく、芯が折れる心配もない |
シャープペンシルは、確かに便利ではあるが何か大切なものを持ち |
合わせていないと感じているからではないのか。 |
大切なもの・・・・・・それは木の温もりとどんな筆圧にも耐える芯の |
強さ、削るという作業の中に感じられる新鮮な感動、初めて文字を学 |
ぶわが子にはそんな道具を与えたいと思う親心なのかも知れない。 |
便利なことだけが道具の命ではない・・・多くの親たちが経験の中で |
感じていることが、小さな筆箱の中に生きている。 |
鉛筆にはそんなささやかな願いを育む力がある。 |
ニコンのカメラと言えば写真を少しでもかじった者なら喉から手が |
出る代物である。しかも一眼レフとなるともう高嶺の花・・・・・・・ |
プライドをかけてこれまで作らなかった(と思われる)デジタルカメラ |
の市場に参入したのは本の少し前、垂涎の的である一眼レフデジカ |
メは高性能をうたうだけあって何しろ高い。しかし・・・・・・・・・・ |
手ごろな値段の新機種が出たのをチャンスとばかり、ついに憧れ |
のニコンの一眼レフデジカメを手に入れた。 |
毎度のことながら、これでもかと言わんばかりの機能の多さに参っ |
ているが、写した写真の精密度には感動である。 |
ポケットに入れて持ち歩くというわけにはいかないが、これぞと思う |
被写体を探して旅をする楽しみができた。 |
デジカメ、薄型テレビ、DVD録画再生機の3つを世間では「新三種 |
の神器」と呼ぶそうだが、かつては冷蔵庫、白黒テレビ、洗濯機をそ |
う呼んだ時期もあった。おじさんたちの遠い記憶である。 |
「おじさんたちも若者に遅れをとってはならないんだ」・・・・・と奥方を |
説得する理由にできるところをみると、「神様」の力もまんざらではな |
い。 |
昨年手作りで完成させた「ビオトープ(自然観察池)」周辺に生息す |
る植物や昆虫の標本作成を、専門家にお願いしていたのだが、先日 |
届いた。さすがプロの仕事、立派な標本箱に採集した昆虫たちが整 |
然と並んでいる。驚くのは体長1ミリほどの蚊のような虫まで標本に |
なっていたということ。しかもちゃんと名前までついている。似たような |
隣の虫とどこがちがうのか、素人には全く判別できない。 |
見覚えのある虫でも、これまでてっきりこの名前だと思っていたの |
に、まるで違う名前がついていて、個体識別の技の奥深さに感嘆の |
声である。どんな小さな虫にもちゃんと名前があるということは、誰か |
先人が研究した証し、こんな学問の世界もあるんだとあらためて感 |
動であった。まだまだ見えないところに達人がいる。 |
山奥で畑仕事に精を出すおばあちゃんが言う。「心配せんでも明日 |
もお日様はちゃんと昇る、この野菜がそうゆうとる。」・・・・・・・・ |
野菜は話しかけながら育てなくてはいけないというおばあちゃんは |
くよくよしていたら野菜に叱られるから、と大きな声で笑った。 |
難局を乗り切る方法は人それぞれだろうが、まちがいなく言えるの |
は、考えてもどうにもならないことは、いくら考えても事態を好転させ |
ることはない、ということであろう。 |
今日の幸せが明日も続くとは限らないが、そう信じないと明日を生 |
きる勇気は湧いてこない。 |
苦しい場面でそう割り切るのは簡単ではないが、それが地表の掟 |
だ。明日もきっといいことがある・・・・・・そう思うことにしよう。 |
藍斗へ |
藍は野草でありながら 深い味わいを放ち |
白布を自在に染めぬく力を持つ |
斗は南天に輝き すべての生を司る星 |
お前の前途に悠久の祈りをこめて |
父と母は お前に藍斗と名付けた |
藍のように 人の心に染み込む味わいを磨け |
斗星のように天高く輝き 高邁な志を抱く男子となれ |
それが お前の誕生を心から待ちわびた者への |
最高の贈り物だ |
いかりや長介さんが逝った。一世を風靡したテレビ番組に釘付け |
だった息子の幼いころを思い出す。高い視聴率を維持しなくてはな |
らない苦労があったと聞くが、当時はさほど見たいと思うことはなか |
った。しかし、俳優としてテレビに登場し始めたいかりやさんは、渋い |
演技で存在感があった。エリートコースを歩んできた二枚目スターに |
は決して出せない味をさりげなく見せてくれた。 |
人を笑わせるというのは骨の折れる仕事である。緻密な計算と時 |
代を先取りする鋭い感性が要求され、人が笑うのはなぜか、どんな |
時かを常に追求する姿勢がなくては務まらない。 |
喜劇俳優としてスタートした藤田まことさんも然り、人を笑わせるた |
めに苦労した人には、人を感動させる人間味が育つ。 |
天才騎手武豊さんの一言・・・・「できればもう一度乗ってみたいで |
す。」そう言わせたのは、目下105連敗中の競走馬「ハルウララ」。 |
昨日のレースも残念ながら勝利できず、106連敗と記録を更新し |
た。競馬のことには全くの門外漢であるが、このレースを一目見よう |
と集まったのは3000人、連敗している馬を見るためにこれだけの |
人が集まるのは異様なことだという。 |
多くのファンは、おそらく連敗しても懸命に走るこの馬に、人生とい |
うレースを走るわが身を重ねて見ているのだろう。トップを走ることが |
叶わなくても、敗者とは見ない美学を確かめたいと思っている。 |
負けてなお名を残す・・・・・・・痛快である。 |
別れと出会いの季節がやってきた。職場や学校でさまざまなドラマ |
がこれから見られることだろう。 |
別れに伴う寂寥感は拒みようがないが、今はまだ小さな存在でも |
やがて忘れ得ぬ人になると思える人に巡り会えたら、そこで過ごした |
年月は十分値打ちのあるものだったと言えるだろう。 |
長い人生だとは言っても、記憶のページに残る人は生涯そう多くは |
ないのだから・・・・・・・潤いを失いかけた心に爽やかな風を送りこん |
でくれ、憧れやときめきを鼓動として刻み込んでくれた人がもしいた |
のなら、それだけで十分だったと思えばいい。 |
別れの季節にはいつもそう思う。 |
野生の動物の世界では決してありえない現象が、人間であるがゆ |
えに起きている・・・・・という話。 |
精神科医 浅川雅春氏の言・・・・・・「長い子育てが一段落し、自由 |
になれる、とも考えられていますが、子どもが離れていくさみしさをう |
まく解決できないこともあります。一生懸命であったがゆえに心の緊 |
張が一気に緩みます。それに代わる何かをもってこないと心のバラ |
ンスが崩れてしまいます。・・・・」 |
最近 結婚などで親元を離れていく子どもとの「子離れ」がうまく行 |
かず、心を病む人が増えているのだという。 |
子どもを持つ親なら誰もが同じような感情を持った経験があり、そ |
れなりに苦しい思いを乗りこえて「子離れ」を終えた思い出がある。 |
ぽっかり空いた心の穴をうまく埋められない人がいても不思議では |
ないという実感がある。本来備わっているはずの、子どもの巣立ちを |
見送るという本能が、長い社会生活の中で薄められているのであろ |
う。人間は経験があることについては何とか処理できるが、初めて |
経験することにはめっぽう弱い動物・・・・人事ではない、年頃の子ど |
もがいるわが身、ゆめゆめ子離れの寂しさで我を見失うことだけは |
しないぞ、と戒めている。それにしても人間とは実に厄介な生き物で |
ある。 |
川喜田二郎さん・・・・・情報処理法として有名なKJ法の発案者であ |
る。初めてKJ法なるものに触れたのは、今を去ること35年前、教育 |
実習先として配属された小学校であった。くしくもかの武田鉄矢君と |
いっしょに6年生の担当になったのだが、その学級の担任が糸井清 |
先生・・・・この先生の社会科の授業はKJ法を駆使したユニークなも |
ので、今までに見たことのない、躍動感あふれる授業であった。 |
鉄矢君と二人して、茫然自失・・・・・あまりの面白さ、凄さにすっかり |
参ってしまった。以来熱にうなされたようにKJ法の勉強にはまってし |
まった。自分の学級を持つことになって、早速実践したのはいうまで |
もない。膨大で、バラバラだと思えた情報が見る見る間に整理されて |
いき、やがて全体像が浮かびあがってくる面白さに、子どもたちにも |
人気の学習であった。川喜田さんの著書「発想法」は私の座右の書 |
になっている。 |
膨大な情報処理の主役はコンピューターになったが、五感を使って |
手作業で進めるKJ法は、さしずめ「アナログ思考」を武器に、難題に |
挑む冒険者の気分を与えてくれる。爽快な達成感を付録として・・・・ |
スピードと規格が求められる時代に、手間隙かける思考があっても |
いい。武田君、あの糸井先生のKJ法、覚えていますか。 |
教員免許を取得するためには音楽の単位でピアノ演奏の実技が |
ある。今から30年も前の学生時代の話・・・・・・・・ |
およそピアノなどというものは、毎晩肉を食べている家にしかないも |
のだと思って育った者にとって、あの得体の知れない黒い物体は近 |
づくことさえ恐怖を覚える代物であった。それがいきなり目の前に・・・ |
たった10本しかない指で、どうしてあんな華麗な音が出せるのか、 |
幼い頃からピアノを習っていたという女子学生の演奏を聴きながら、 |
どうしても理解できなかった。これは庶民の楽器ではない。 |
恐る恐る鍵盤を叩いてみるが、片手では何とかなってもあの「ピア |
ノ譜」と呼ばれる2つに分かれた楽譜を見たとたんに、「どうして違う |
メロディーを同時に弾けるんだ?」・・・・・諦めを通り越して怒りさえ湧 |
いてくる。単位を取るための猛練習のおかげでなんとか無事に済ん |
だものの、以来ピアノ譜をみると寒気がしてくるようになった。 |
体は拒否反応を示しながら、しかし、頭の奥のほうでピアノがもっと |
上手になりたいという、潜在願望が増殖していたようで、腕前は一向 |
に上達しないが、それなりに好きな楽器の一つになった。 |
しかし、未だにピアノ譜は嫌いである。 |
もしもピアノがひけたなら・・・・・・・・西田敏行さん、全く同感です。 |
かつてあれほど情熱を傾けたことなのに、今ではすっかり熱が冷 |
めてしまった・・・・・ということはないだろうか。 |
惚れるのも早いが、飽きるのも早いというのはよくある話。わが身 |
のそんな軽薄さを反省すると、「この道一筋○十年」と紹介される人 |
には驚きを通り越して尊敬の念が湧いてくる。 |
それが仕事であれ、趣味であれ、一つのことにこだわり追求し続け |
る熱意はどうすれば生まれるのか・・・・・・・・・・ |
明快な答えがあれば苦労はないのだが、そう簡単な話ではないと |
予想がつく。ヒントになるものがあるとしたら、長く続けている達人が |
その秘訣を問われて話した「好きだからでしょう。」の一言・・・・・・ |
そうか、本当に好きなことに出会えればいいんだ、と教えられる。 |
惚れたり、飽きたりを繰り返しているところを見ると、どうやらまだ |
本当に好きなことに巡り会えていないんだと、一人で納得している。 |
「抗菌○○」と銘打った商品が出回っている。抗菌とは何か? |
雑菌の繁殖を抑えることだそうだが、抗菌=殺菌というイメージが消 |
費者の中に生まれることを期待しているような気がする。 |
先日「抗菌効果のあるまな板」という説明のついたまな板を見たが |
その使い方から考えても、まな板に雑菌が付くのを防ぐ手段はない。 |
熱湯消毒か殺菌薬を使わないかぎり、無菌の状態をまな板に作る |
のは不可能だろう。殺菌ではなく、抗菌なので許されるという筋書き |
だ。衛生管理が進み、より清潔な暮らしを望むという風潮は歓迎だ |
が、行き過ぎて目に見えない雑菌の存在におびえるというのは、いた |
だけない。何万年も昔から人類と同居してきた雑菌類である。人体も |
彼らの扱いには慣れているはず。 |
抗菌作用を過信してはならない。 |
閉口音・・・口をすぼめて発音する音である。「ゆ」「す」「も」などの |
閉口音はその響きから幽玄を演出する効果がある、と高校時代に |
習った覚えがある。相手に謝る言葉は弱弱しく聞こえなければならな |
い。だから「すみません。」や「もうしわけありません。」になったと聞 |
いた。「ゆうれい」と「おばけ」の違いになればその効果はあきらか。 |
自分の名前は開口音の「さ」「か」「あ」が何と4つもあるという、お |
そろしく威勢のいい名前なので、生まれた子どもには絶対閉口音の |
名前をつけるぞ、と決めていた。娘二人には「ゆ」で始まる名前をつ |
けた。物静かで、慎ましい子になるようにという願いであった。 |
さて、この日本語の妙・・・・・的を得ていたかどうか |
非を咎めるのは簡単だ。非を諭すのはちと骨が折れる。非から次 |
のエネルギーを引き出すのが最善だが、それは至難に近い。 |
およそ対人関係の中でもっともむずかしいのが、相手の「非」、つま |
り「君はまちがっている。」ということを伝える場面であろう。選択する |
言葉一つで気まずい溝ができるし、下手をすればそれまでの関係が |
一瞬にして灰燼に帰すことになる。腰が引けるのも最もな話である。 |
それでも勇気を出して非を伝えなくてはならない相手なら、言葉を |
濁さずきちんと正面から立ち向かうべきだ。それがどんな結果をもた |
らそうと・・・・・そこまでやるべき相手ではないのなら、一切口を開くべ |
きではない。どうしたいのかが見えない非難は、ただの陰口だと心得 |
るべきである。多くの手痛い失敗から学んだ教訓である。 |
生きることは汚れていくことだと詠った 夭折の詩人がいました。 |
研ぎ澄まされた無垢な魂は 日々の暮らしが容赦なく大切にしたい |
と思うものを剥ぎ取っていく残酷さに耐えられなかったのでしょう。 |
そんな感性は はなから持ち合わせない凡人は |
日々の出来事に一喜一憂しながら 年を重ねていきます。 |
時折 生きることの切なさを感じることがあっても |
「世の中 こんなものさ。」と言い聞かせる口実を探しています。 |
身に着く汚れと引き換えに |
味わい深い小さな幸せもあるということを 知っているからでしょう。 |
凡人にとって 生きるということは |
押しのけることの叶わない汚れと折り合いをつけながら |
小さな幸せを蓄えていく営みなのです。 |
イラク問題やオウム裁判、鳥インフルエンザと、世間は騒々しいが |
先日新聞の片隅にあった小さな記事・・・・・・・ |
南極大陸で今まで見つかっていなかった新種の恐竜の化石が二つ |
発見されたという。肉食、草食の2体である。恐竜の化石の発見はさ |
ほど珍しいものでもないが、場所が「南極」というのがおもしろい。 |
何億年も前、今は氷と雪に包まれた大陸が当時は豊かな大地であ |
ったという証し・・・・・絶滅してしまった彼らの世界にも争いはあった |
のだろうが、同じ地球上で人類と呼ばれる種が今繁栄を極め、そし |
て争いの渦中にいる。時の流れに隔たりはあっても、どこか似ている |
気がしてならない。動と静の対比がおもしろい。 |
二人目の孫が生まれて早くも一ヶ月、「藍斗」(あいと)と名づけられ |
た孫息子は順調に成育を続け、男の子らしい顔になってきた。 |
一方の孫娘は退行現象を繰り返しながら、少しずつわが身の置か |
れた状況を理解しはじめている。 |
本人はすっかり忘れてしまっているが、母となった娘もかつては孫 |
娘と同じ状況の中で、自分を取り巻く環境の変化に必死で順応しよう |
とけなげな努力をしてきたものだ。 |
子どもは自分に注がれる周囲の愛情を、正確に感知する本能を備 |
えている。ほとんど動物的ともいえるその本能は、時間と共にその姿 |
を変えていくが、「自分は愛されている。」と信じられる手ごたえさえあ |
れば、だれの手助けがなくても自立していく力を持っている。 |
家族の愛情の絆は互いの信頼関係があれば、そうたやすく壊れる |
ものではない。娘よ、自信を持って子育てに挑め。 |
次の休みには孫息子のお宮参りで、宮崎まで車を走らせることに |
なっている。「おじいちゃん!」と飛びついてくる孫娘の姿を想像しなが |
ら、そのときを楽しみにしている。 |
αーオス・・・・・・サルの群れを率いる「ボス」という名称がそんな言 |
葉に変わるという。最近の研究の結果、餌や仲間の争い事に絶大な |
影響力を持つ「ボス」としての役割は果たしていないということが分か |
ったからだ。順位としての一位はあるものの、かつてイメージされた |
群れに君臨する「王者」としての威厳は、失われたと聞く。 |
餌付けされ、多くの観光客に囲まれ、本来の野生を薄められた彼 |
らの社会には、強大な力を持つボスの必要がなくなったということな |
のかも知れない。彼らの社会にも「飽食」の色が濃い。 |
ものが溢れ、見せ掛けの豊かさに包まれた中にいると、危機管理 |
に優れたリーダーの存在は陰が薄くなる。リーダー不在はそんなこと |
を教えてくれる。 |
振り返ると いくつかの選択肢があったのだと思います。 |
岐路に立ったときに 今いる道とは別に他にも進むべき道があった |
こと、そのときには見えなかったのですが・・・・・・・ |
こうして長い道を歩んでくると、あのとき左へ行かずに右に行って |
いたら、きっとちがう人生になっていただろうと考えさせられる分岐点 |
がありました。ほとんど空想の中での話ですが、そんな自分を思い描 |
いてみるのも無駄なことではないのかも知れません。。今ある自分が |
より鮮明に見えてくるからです。 |
「後悔」という二文字は背負わないと覚悟を決めて、そんな旅に出 |
てみるのもいいでしょう。 |
1本で5分30秒寿命が縮まります・・・・・・・市の広報誌の中にあっ |
た、煙草に関する記事である。煙草なしでは生きられない者にとって |
ちょっと気になるメッセージ、待てよ、としばし考えてみた。 |
1本で5分30秒、一箱で約2時間、1年で730時間・・・・・・30年間 |
吸い続けた自分に当てはめると、約3年寿命が短くなったという計算 |
になる。そう聞くと「何だ、3年か。」ということになるので、1本で5分 |
30秒という表現に訴えたものと見える。数字のマジックである。 |
健康によくないと十分承知しながらも、なかなか止められないお父 |
さんたちである。今さらこんな数字で脅されてもはい、そうですかと簡 |
単にはいかないのである。広報の係のみなさん、申し訳ありません。 |
3年の寿命と引き換えに紫煙をくゆらせてきたつけは、ちゃんと自 |
分で払います。ですからもう少し吸わせてください。 |
JRの改革で、列車の呼び方が変わるという。「上り」「下り」の呼び |
が「○○方面」になるそうだ。耳に馴染んできた「上り」や「下り」が消 |
えるのは寂しい気もするが、仕方がない。 |
「上り」といえば忘れられない思い出がある。郷里の山口で大学受 |
験をめざしていた頃、多くの友人は東京や大阪、京都の大学を候補 |
にしていたが、唯一私だけは福岡を選んだ。それを聞いた友人たち |
が私に言った。「なんだ、お前、都落ちか。」・・・・・・幕末の七卿落ち |
をもじったのだろう。長州人はみやこを目指す、というのが暗黙の掟 |
のような雰囲気があったことは事実だ。文字どおり「都落ち」をして福 |
岡に住むことになったが、時折その言葉を思い出す。 |
思えば私の「回り道」はあのときに始まったのかもしれない。「上り」 |
と聞くと思い起こされる、遠い日の記憶である。 |
正論というものがある。これを持ち出されるとだれも反論ができなく |
なる。正論に対する反論は、言い訳か、もしくは何かに妥協している |
結果と見えるからだ。いわば「伝家の宝刀」・・・・・・・・・ |
現実の中には正論では片付かない、厄介な事態が多いということ |
は、少し長く人間をやっていれば誰しも経験すること、おのおのがそ |
んな状況の中で、何とか折り合いをつけるために苦心している。 |
正論として提起されるように事が進めば、こんなに楽でうれしいこと |
はないが、そこに至るには数多くの障壁が立ちはだかる。 |
その障壁を乗り越える提案を伴わない正論は、ただ相手を黙らせ |
るだけだ。正論イコール正義だと考えるのは、あまりにも幼すぎる。 |
対話が実りあるものとして育たないのは、安易に正論を持ち出す |
ことによる場合が多い。心しておきたい。 |
今年もまた 梅の花が咲きました。 |
鉛色の空の威圧感を跳ね飛ばすかのように |
ぽっこり 一つ 咲きました。 |
まだ北風は頬を刺す この時期に |
まるで 時を駈ける先駆者のように誇らしげに |
咲いています。 |
時折差し込む日差しの中に |
春のかすかな足音を聞き分けているのでしょうか。 |
寒風や嵐にさらされても 一足早く咲いた |
おのれの決断を疑うこともなく 逍遥としてそこに佇む意思・・・・ |
後から開くであろう 仲間のつぼみの傍で |
たった一人で生きようとする その孤高の姿に |
今年もまた逢えました。 |
20代のころ、自分が40歳になるなどとは考えてもみなかった。30 |
代のころ、自分の50歳の姿を想像することは夢のような話であった。 |
50代の今、70歳のわが身を頭に思い描いてみる。遠からずやっ |
てくるその時代に、自分はどう生きているのか・・・・・・・・・ |
老いは重ねないと粋がっていても、おそらく体力の衰えは容赦がな |
いであろう。余計なものを詰め込む余力はほとんどなく、蓄えてきた |
ものを反芻しながら日々を送る生活であるにちがいない。 |
そう考えると暗い気分になってくるが、待てよ、私の知る人生の達 |
人たちの、あの笑顔やすがすがしさは一体何だろう。空意地を張っ |
ているわけでもない。至極自然体で、飄々としてその存在感を感じさ |
せる・・・・きっと何か秘訣はあるはずだ。朽木のようにただしぼんで |
いくだけではない、何か年を重ねる極意が。 |
先取りして手に入れることは不可能に近いのだろうが、そんな極意 |
があると信じて生きていくのも、ひょっとすると極意の一部なのかも |
知れない。 |
司令塔である頭から最も遠いところにいて、その司令塔を支えて |
いる足・・・・・靴や靴下の中にあってその姿が目に触れることは少な |
いが、足の故障は動けないという、人体にとって致命的な結果となっ |
て返ってくる。 |
職場の中で、最も目立たない仕事(多くの場合それは「雑用」と呼 |
ばれるが)に黙々と取り組む人がいる。組織を動かす中枢部とは対 |
極の位置にいる人である。しかし、その人の小さな仕事がなければ、 |
たちまち組織は動けなくなってしまう。 |
光り輝くものがあれば、それから最も遠く離れたところでその光を |
支えているものを見ておきたい。 |
この一撃にかける・・・・・剣道の世界選手権に出場した日本チーム |
の大将栄花(えいが)直輝選手を追ったドキュメンタリー番組を見た。 |
現在の日本剣道界の実力ナンバー1の選手である。かつて「勝つこ |
と」に執着してここぞという時に実力が出せなかった経験から、「無心 |
の技」に徹する修行を積んできた達人である。 |
剣道も勝敗のスポーツであれば、勝つことこそ求められるものであ |
ろう。しかし、かつて日本選手権で対戦した相手に、計算通り技を決 |
めたのに判定で負けてしまった。「なぜ負けたのか」を真剣に考えた |
という。結論は「勝とう」という意識と「無心」の差だと気がついた。 |
もう一度原点に立ち返り、「無心」の心を磨く修行に励んだのだとい |
う。作戦や計算ではなく、自然に現れる技・・・・試合でみごとにその |
技が披露された。外国の選手が「いい試合を見せてもらった。」と涙 |
ながらに感謝の気持ちを伝える場面に、年甲斐もなく目頭が熱くなっ |
てしまった。達人はその磨きぬかれた生き方で多くの人を感動させ |
る。天性の才能だけではなく、並々ならぬ努力を付加して到達した境 |
地だからこそ、余人の手の届かない高みになるのである。 |
剣の道は人の道に通ず・・・・・・・・・・・納得である。 |
短時間ででき、手軽に食べられるファースト・フードに対抗して、ゆ |
っくり時間をかけ、地元の食材を使い、食べる人の趣向に合わせた |
料理を作ることを「スロー・フード」と呼ぶらしい。 |
そこから転じてスロービジネス、スローツァー、スローラブなどという |
言葉が生まれているという。横文字で書くと何だか新鮮な感じがする |
のだが、言っていることはずいぶん以前から提唱されていたことだ。 |
ゆっくり、のんびりというキャッチフレーズはあちこちで目にしたり、 |
耳にした覚えがある。黙っていても年を重ねれば思考や行動はスロ |
ーテンポになるのだから、おじさんたちは今さらこんな言葉に踊らさ |
れることはないが、自分の時間の流れがどのくらいの速さなのかを |
振り返ってみるにはいい機会かもしれない。スローライフ・・・・・・・・ |
人間は一つのキャッチフレーズに想像力を働かせ、意味付けがで |
きる素晴らしい特技を持っているものだと、つくづく思う。 |
もったいない・・・・・死語となりつつある言葉だが、かつてはこの言 |
葉で貴重なものを大切にせよと教わってきた。使わなくなったからと |
いって簡単に捨てることは一種の「悪」でもあった。捨てる前には「何 |
かに使えないか?」と必ず問う習性が身につき、実際に他の用途に |
使っていた時代がつい最近まであったのだ。 |
おそらくゴミの量も現在とは比較にならないほど少なかったに違い |
ない。いつの間にか、片付けることは捨てること・・・・・・という不文律 |
が生まれ、「もったいない」もそれといっしょに消えかかっている。 |
正義を築くのには気の遠くなるような時間と忍耐力がいる。 |
しかし、正義を壊し、つぶすにはさほどの時間や手間はかからない |
ことを身をもって学んできた。今さらそんなことを言っても手遅れなの |
だが、豊かになるというのは持ちきれないほどの物に囲まれて暮ら |
すことではないということを、思い返しておきたい。 |
年を重ねるということは |
今まで正義だと思い込んでいたことの中に |
計算や妥協が見え始めること・・・・ |
許せないと思う他人の言動の背景に |
その人なりの必然があったことに気付くこと・・・・ |
夢は見るためのものでなく |
生きるために不可欠な道標なのだと思い知らされること・・・・ |
見せ掛けの美しさとは別に |
何の飾りも持たない裸の美しさがあることに気付き、息を呑むこと |
折り合いをつけるために |
我を抑えて引くことが無理なくできるようになること・・・ |
踏みつぶしそうになった小さな虫を |
そっと横に置いてやれるようになること・・・・ |
過ぎ去った年月の分だけ |
自分が豊かになれたと 心から思えるようになること・・・・ |
自分を取り巻く人との距離が |
ほぼ 間違えずに測れるようになること・・・ |
愛しいものとの別れを じっと耐えることができるようになること・・ |
愛や恋に憧れる若者が |
いとおしく思えるようになること・・・・・ |
なりふり構わず 一生懸命生きている人が |
素敵だと思えるようになること・・・・・ |
老いは否定しながらも どこかに受け入れる場所を |
作り始めている自分に気がつくこと・・・・・・ |
年を重ねるということは |
人としてやわらかくなっていくことなのかも知れない |
先に生まれたものは、いつか独占してきた親の愛情を手放さなけ |
ればならないときが来る・・・・・幼子たちに与えられる人生初めての |
試練を、孫娘は今懸命に乗り越えようとしている。 |
弟が生まれた日から、自分に向くはずだった父や母の視線がちが |
うところに向けられている、わずが2歳9ヶ月の幼い感性にもそのこ |
とは確実に伝わっているようだ。親の目をもう一度自分に向けさせる |
ための抵抗が始まっている。だだをこねる、わがままを言ってみる、 |
連発される「いや!」の中にそんな心理が読み取れる。 |
けなげな抵抗をどう処理するか、親もその力量を確かめられる試 |
練のときである。心配はいらない。事態を理解し、与えられた環境を |
受け入れるのに少し時間はかかるが、子どもはみんなそうやって足 |
腰を鍛えられていくものだ。 |
別れ際に手を振る孫娘を見ながら、「負けるなよ。頑張れ。」とエー |
ルを送るおじいちゃんであった。 |
牛肉、鶏肉が大ピンチだとか、国内でもその影響が心配されるとい |
う報道がしきり・・・・・店頭から「牛丼」が姿を消すなどということは、 |
過去だれも予想できなかった事態である。食べ盛りの子どもや青年 |
には悪いが、この事態はあらためて身の回りの食について考える好 |
機だと言う気がする。すき焼きや焼肉で牛肉が固いからまずい、とい |
う話をよく聞く。何と言うバチ当りなことを・・・・とおじさんたちは思う。 |
いくら固くても牛肉は牛肉だと幼い頃から叩き込まれてきた世代は |
極上の霜降り肉などなくてもノー・プロブレム。 |
鶏肉は卵を産まなくなった老鶏をさばいて食するもので、固いのは |
当たり前、食べられるだけで幸せだった時代がつい最近まで日本に |
もあったのだ。店に行けばあるのが当然であったものがなくなる・・・・ |
大騒ぎするのではなく、いかに我々の食生活が海外からの輸入に頼 |
っているのかということを学ぶべきではないのか。 |
毎日夕食の材料を求めて歩くスーパーのなかで、「アメリカ産」と表 |
示された牛肉を見ながら、おじさんは考えるのである。 |
北斗七星は死をつかさどり、南斗六星は生をつかさどる。この両 |
者が相談して新しい命の寿命が決まる・・・・・・・ものの本にはそう書 |
いてある。南斗六星という聞きなれない星は南の空にある「いて座」 |
の中に見えるひしゃく形をした6個の星のこと、その中央にある星を |
「斗」と呼ぶらしい。古来、中国では太陽ではなく月の動きを元にして |
天文学を考えたという話は聞いている。現在では太陽暦主流のため |
か、あまり使われることのない天文学である。 |
教科書にはまず登場しない話であるが、かの有名な高松塚古墳の |
中にはこの天文学に基づいた天体図が描かれているそうだ。夢のあ |
る話である。 |
娘夫婦の第2子の名前に「斗」という字を使いたいという知らせを聞 |
いて、急遽仕入れた知識である。ついでに、「斗」という星には土を掘 |
る、店を開く、ものを作るに吉・・・・という占いがついていた。 |
さて、わが孫息子はいかに。 |
学歴問題が報道されている。「学歴詐称」とは言わず、「学歴問題」 |
という言葉を使っているが、常識的に考えてもこれは「詐称」に近い。 |
学歴偏重はよくないという風潮が広がりつつあるが、世間では依然 |
としてどんな学歴を持つかということがステータスの一つになっている |
のは事実だろう。長い間生きていると、そんなもので人間の値打ちは |
決まらないと分かってくるのだが、社会的に人物評価をする尺度とし |
ての学歴はまだしばらく続きそうだ。 |
卒業したか、しなかったかということがこれほど大きな問題になる |
のは、庶民のそうした感情を利用したという気持ちがあるからで、ど |
う釈明されても払拭するのはむずかしいだろう。 |
おじさんたちもかつて、ひしめくライバルたちを掻き分けて狭き門に |
挑んできた。「卒業」という肩書を手に入れるために苦労してきたとい |
う思いがある。自分の歩んできた道をごまかしてはいけない。 |
子どもたちの理数科に関する学力が低下している・・・・・・先日全国 |
規模で行われた高校生の学力調査の結果が公表された。落ち込み |
が予想以上だったと報じられたが、こうなることは予想の範囲内のこ |
とであった。物理、化学、数学などの学習は先人が見つけ、体系立 |
てた法則や原理、公式を暗記する学習となっている。意味も理解で |
きない公式をいくら覚えても、生きて働く力にはならないことはだれに |
でも分かること。身近な自然に触れ、その中で見つけた素朴な疑問 |
を解決するために調べ、試し、聞く・・・・そんな小さな体験が科学の |
土俵となっているのに、その土俵に上がったこともない子どもたちが |
増えている。偉大な科学者にはならなくとも、科学は面白いと感じる |
子どもは工夫次第では育てられる、と思うのだが・・・・・・・・・ |
高校時代の物理の先生が言った。「テストの点数は気にするな。自 |
然現象を見ておもしろいと感じる心を育てろ。」その言葉を信じて成 |
績はいつも墜落寸前だったが、未知のものに興味を持つおもしろさ |
だけは教えてもらった気がする。公式などはすべて忘却の彼方では |
あるが・・・・・・・ |
「今産まれました。」・・・・遠く宮崎の地から娘夫婦に待望の二人目 |
の赤ちゃんが誕生したという知らせが入った。安産で、母子共に健康 |
だという。そうか、とうとう産まれたか・・・・・・この日を待ち望んでいた |
のは、双方のおじいちゃん、おばあちゃんたちも同じだ。 |
表現しがたい感動が湧いてくる。新たな命がふえるというドラマは、 |
おそらくどんなものを持ってしても太刀打ちできることではない。 |
多くの人に祝福され、人生の一歩を踏み出した二人目の孫に幸多 |
かれと祈る。どんなことをしてやろうかと思案する、気の早いおじいち |
ゃんである。大役を果たした娘へ・・・・よくやった。お疲れ様。次の |
休みには顔を見に行きます。 |
戦略と戦術・・・・・・何かを始めようとするときに必ず必要になる、作 |
戦の骨格である。戦略とは基本構想、戦術は具体的な段取りや手順 |
を指す。企業や国家の場合はそれぞれの専門家がいて、いわば分 |
業で行うが、個人の場合はこの両方を一人でこなさなければならな |
い。むずかしいのはこのどちらか一方でも不十分だと、事は成就しな |
いということだ。しかもこの2つは質の異なる能力を必要とする。 |
最近始めたこと、やり遂げたこと、または途中で挫折してしまった |
ことを思い出してみるといい。うまくいっていると思える場合には、両 |
者がきちんと連携し合っている。個人的な判断だが、人間にはこの |
全く異質な2つの領域を同じように作り上げる能力は備わっていない |
のではないか・・・・得意な分野、不得意な分野があるような気がして |
いる。自分はどちらが得意なのか、それを知っておかないと料理一 |
つ作る場合でも苦労する。 |
何の気まぐれか、第1級の寒気団が九州を直撃・・・・・ここらでは |
珍しい雪景色の中にいる。もう雪は降らないだろうと勝手に判断して |
正月の間につけていたスタッドレスタイヤを外して、ノーマルタイヤに |
付け替えていたのだが、この大雪で再び装着するはめになった。 |
スタンドか修理工場にもっていけば楽なのだが、1本1000円、4 |
本で4000円の出費は痛い。そこで自前で交換となったが、ジャッキ |
で1本ずつ取り替えていく作業は骨が折れる。 |
結局1時間かけて4本とも装着完了。通勤路はツルツルのアイスバ |
ーン状態、しかし、頼もしいスタッドレスのおかげでズリッとも滑らない |
路上では、ノーマルタイヤだけで走っている「つわもの」がいて、お |
尻を振りながらあえいでいる。力尽きて路肩にストップした車を横目で |
見ながら、快適な雪道走行であった。 |
教訓その1・・・・雪が降ったら迷わずスタッドレス |
別れが人を強くする・・・・というのはうそではない。愛する者、愛し |
い者との別離には「それでも生きていけ。」という、無言のメッセージ |
が込められているし、胸の中にぽっかりあいた穴を自らの力で埋め |
ていく作業が組み込まれているからだ。 |
簡単には乗り越えられない壁だが、重い足を一歩ずつでも運べば |
やがてその頂に立てる。想い出のなかに沈み込む時期があってもい |
い、空を眺めてため息をつく時間があってもいい、それが新たな一歩 |
をふみだす準備だとすれば・・・・・・・・ |
出会いが人を強くするのと同等に、別れも間違いなく人間としての |
足腰を鍛えてくれる。そうだったと気付くには少し時間がかかるが・・・ |
信州の山奥で出会った達人の話・・・・・・・ |
「へびのことならこの人に聞きなさい。」といって紹介されたのは、す |
ぐ下の集落で屋根屋さんを営むおじさん、酒を酌み交わしながらそ |
の武勇談を聞かせてもらった。 |
「ここらのマムシは品がいいから、すぐ友達になれるんですよ。マ |
ムシは驚かすとびっくりして飛び掛ってくる。だから、こちらは顔をしっ |
かり見せて、心臓のあたりをそっとなでてやるとおとなしくなる・・・・・」 |
冗談でしょう?噛み付いたりしないのですか?「大丈夫。指の間に |
挟んで首を切って、生き血をもらいます。これがうまいんだな。1週間 |
くらい体がほてって、たまりません。」・・・・・・・・・ |
もし噛まれたら、どうすればいいんですか?「アッハハ、そりぁあ、も |
う病院にいくしかないでしょう。」 へびとは大の仲良しだという、この |
おじさん、4匹のへびを指の間に挟んで持ってきたこともあるという。 |
「こんな山奥じゃ、大事な栄養源ですよ。」・・・・・いやはや、このお |
じさん、人は飛びぬけていいのだが、お友達にはちょっと・・・・・ |
どうしようかと迷うとき、結論を先に決めて「背水の陣」を敷く・・・・・ |
もう後戻りできない状況にわが身を置けば、自ら下した結論に正面 |
から立ち向かう勇気が湧いてくる。 |
人は一生のうちに何度かそんな場面にぶつかるもの、仮に後悔す |
る結果になっても納得はできる。 |
夢を現実のものに変えていく道筋もこれに似ている。決断するタイミ |
ングを逃すと、夢は夢のままで終わってしまう。 |
離陸すると決めたら、飛び立つしかない。 |
それはふいに押し寄せる波のように、突然前ぶれもなく体の奥から |
湧き上がってくる。多くの場合、目頭に熱いものを伴って・・・・・・ |
感動の源をさぐってみるがいい。なぜ自分はこんなことに心を動か |
されているのか・・・・・・・胸の奥からこみあげてくる熱いものの正体 |
は、あるいは最も自分らしい、むき出しの裸の魂なのかも知れない。 |
そんな柔らかい、過敏なものを裸で持ち歩くわけにいかないから、 |
人はそれに厚いよろいを着せ、降り注ぐ外の世界の刺激から守って |
きたのではないか。そんな自分を無防備にさせるものに出会うと、厚 |
いよろいも役に立たない。人間にはそんな仕組みが備わっているよう |
だ。涙を科学的に分析したのでは味気ない。 |
裸になった魂の振幅を人は感動と呼ぶ。 |
庭の梅の枝に、この春咲く花の花芽が膨らみ始めた。どんなに寒く |
ても手を抜くことはない。 |
見ていて気がつくことがある。昨年、勢いよく伸びて4,50センチに |
なった枝には一つも花芽はつかない。その陰で申し訳なさそうに伸び |
た4,5センチの小枝にびっしりと花芽がついている。大きな枝の陰 |
でおそらく十分な日光を浴びるのは困難であっただろう。 |
よく頑張ったご褒美に、伸びすぎた枝には与えられない花芽が与え |
られた・・・・・・そう見える。 |
1本の木の中にも、まちがいなく「意思」が動いている。 |
人の心の中には、そこにやさしく触れられると必死でこらえていた |
涙がでてしまう、だから人に気付かれないように自分の中だけでそっ |
と守ってきた、という場所がある。 |
決して悟られてはいけないと自分に言い聞かせてきたその場所に |
たどり着き、「お前も大変だったな。よく頑張った・・・・」と心から共感 |
して言う人がもし現れたら、おそらくその人の存在は忘れられないも |
のになるだろう。 |
口で言うほど易しいことではないその営みに、寝食を忘れて取り組 |
んだ先輩教師を知っている。ほとんどの教師たちがあきらめてサジを |
投げかけたその子に、必死で食いついた。「ツッパリ」という肩書だけ |
をよりどころに生きてきたその子の顔から、すさんだ目つきが消えて |
いくドラマを目の当たりにした。 |
・・・ひとりでもいい、自分のことを愛してくれる人がいれば人は生きて |
いける・・・・・胸に刻んだ言葉である。 |
その気になればどんな野草でも食べられる・・・・・そんなことを教え |
てくれるのが「七草がゆ」、何でも正月7日に食べるのが習わしだと |
か、我が家の食卓にも並んだ。「へえっ、これが七草?」と小さく刻ま |
れた葉っぱの断片を箸でつまみながら、しばし鑑賞。 |
七草と呼ばれる野草の名前を思い出しながら、どれがどの葉っぱ |
なのか考えたが、残念ながら分からない。自分で探して取ってきたの |
ではなく、スーパーで裁断された状態の袋詰めを求めたからだ。 |
もし庭に生えていれば雑草として間違いなく引き抜かれるだろう、こ |
れらの野草が、1年に一度だけ日の目を見る。遠い昔から畑で作る |
野菜と同列に食してきた野草を忘れるなという、先人の遺訓なのか |
も知れない。舗装された道から一歩回り道へ踏み出せば、いたるとこ |
で目に付く七草、ちょっと探しに行ってみますか・・・・・・・・ |
クリスマスを祝い、初詣に行き、仏事には違和感なく参列する・・・・ |
外国人には理解できないと言われるこの精神構造の源は、遠い祖 |
先が残してくれた自然崇拝だろうと思っている。 |
神も仏も、さらに異国の神までも取り入れられるのは、信ずる対象 |
を一つにしてこなかった先祖の知恵の証しなのかもしれない。 |
元旦や山登りの頂上では「ご来光」と称して登り来る太陽に手を合 |
わせる。その気持ちの中には何宗もない。人知を超えた偉大な力に |
心が動くだけである。雨に祈り、路傍の石に供え物をし、何百年を生 |
き抜いてきた老木に手を合わせる・・・・・・・・ |
だれもが受け継いで持っている原始的な魂の原型であろう。 |
降り積もる雪の中に、一人凛として立ちすくむ欅の老木を見た。 |
すべての葉を落とし、迫り来る積雪圧に耐え、天に向かって威風を |
示すその老木の根元をふと見ると、小さな手製の社が置いてあり、 |
心尽くしの供え物があった。祈りはこうして生まれるのだと思った。 |
別に見たくもないのだが、この年になると物事の裏側が嫌でも見え |
てしまうことがある。素直に喜怒哀楽を甘受すればいいものを、つい |
そこに仕組まれた意図や演出の匂いを嗅ぎ取ろうとするからだ。 |
単純に喜びや哀しみを受け入れて、これまで何度も痛い目にあっ |
てきた経験がそうさせている。表の華やかな笑いの裏には、必ず暗 |
い部分があり、流れる涙の裏にはしたたかな計算が隠されている・・ |
年を重ねるということは、ある意味で「ひねくれていく」ことではない |
だろうか。哀しい習性とはいえるが、そうやって社会が成り立ってい |
るということを体で学んできたのだから仕方がない。 |
だからこそ、何ものにも支配されない笑いや感動や涙が欲しくなる。 |
作り物ではない、本物の喜怒哀楽を手に入れたくなる。そんなものは |
ないと割り切れるほどの強さを持ち合わせないおじさんたちは、ひね |
くれていることは百も承知の上で、仕事や社会にかかわり続けてい |
る。いつか、必ず本物に巡り会えることを信じて・・・・・・・・ |