バックナンバー No.2
それを表に出すと自分を支えきれない・・・・・・脳がそう判断すると |
その事実や思考回路は意識下、つまり無意識の世界に閉じ込めら |
れる。しかし、影響力が失われたわけではなく、自分の言動のいたる |
ところでその内容や方向を左右する・・・・・・・・・ |
ある科学雑誌で読んだ内容である。そうか、そんなこともあるんだな |
あとあまり気にもしていなかったが、最近その無意識の世界からの |
メッセージに思い至ることが多くなった。自分は今、なぜこんなところ |
でこんなことをしているのか、きちんと説明できないもどかしさの裏に |
は、おそらく表に出すまいと押し込めた意識が働いているのだと・・・・ |
何十年も前に封印をしたはずの記憶は、「わたし」がどう表面をとり |
繕っても薄っぺらな表皮を突き破って顔をのぞかせる。 |
面倒でも付き合うしかない・・・・それが最近たどりついた結論であ |
る。わがままで、気ままで、少々手ごわい相手ではあるが・・・・・・ |
友情は双方向の絆である。彼は私にとってかけがえのない存在で |
あるということは、彼にとって私も実は同じ存在なのである。 |
自分のことはよく分かるのだが、相手にとっての自分の位置という |
のは見えにくいものだ。離れていてもなお、心の中になつかしさや勇 |
気が湧いてくるのは、どこかで同じ大切なものを共有してきたという、 |
連帯感があるからであろう。それが何十年も前のことであっても・・・・ |
友情とは、人は一人で生きているのではないことを思い知らせてく |
れる魂の潤滑剤である。彼にとって共有に値する私でありたい。 |
象の足元で1匹のアリが考えた。「世界で一番大きな動物に会って |
みたい。」・・・・象が考えた。「世界で一番小さな動物に会ってみたい |
ものだ。」こうしてお互いに相手の存在に気付かないまま、時が流れ |
ていった・・・・・・・・・・ |
昔何かで読んだ寓話の一節である。まだ見ぬ未知の物に対するあ |
こがれとは、案外こんな状態なのかも知れない。身近なところにある |
のに、その存在に気付かない・・・・・人生何十年も生きてきて、まだ |
出会いたいものがあるとしたら、それはそんなに遠いところにあるの |
ではなく、足元や自分の頭の上の、手を伸ばせば届くところにあるの |
だと知っていれば、うろたえて右往左往することもないだろう。 |
所詮、自分の世界の中でしか、自分の欲しいものは見つからない。 |
紅葉の真っ盛り・・・・・各地の名所は多くの人出でにぎわっている。 |
口を尖らせて言うほどのことではないが、木々にとって紅葉とは、1年 |
間わが身を育て、守ってくれた葉との訣別の儀式である。落ちていっ |
た葉が二度とわが身を飾ることはない。厳しい冬に備えるために養 |
分補給を断ち、その役目に終止符を打つ。潔い決断である。 |
そんな真似は到底できない人間は、自らの引き際を心得て枯れて |
いく木々の葉を見て、その色の美しさに心を奪われる。 |
同じ自然界に生きる生物として、どこかでその終焉の迎え方に無 |
意識に共鳴するものがあるからだろう。 |
晩節を汚さず、最後の存在証明を鮮やかな色で演出することがで |
きたら、人間もようやく本物になる。 |
心して紅葉をながめるとしよう。 |
闘将と呼ばれた名監督がユニフォームを脱ぐ・・・・・・・阪神の星野 |
監督である。先日の日本シリーズ、その采配振りを楽しみに見せても |
らった。結果は阪神にとっては残念なものだったが、これまで最下位 |
に甘んじてきた弱小チームが地元で3連勝、意地を見せてくれた。 |
聞けば監督は満身創痍、自らの体力の限界との戦いであったとか |
そんな状況の中でよくぞここまで戦ってくれた・・・・・・阪神ファンなら |
ずとも心から拍手を贈りたい。 |
道筋はつけたと話す表情から、一つの大きな仕事をやり遂げた男 |
のさわやかな生き様が伝わってくる。 |
体調を整えての再会を期待したい。また一つ何かが終わった。 |
松茸を食したことがないという奥方のために、スーパーで袋入りの |
松茸を買って来た。とはいっても生ではなく、すでに加工された「松茸 |
ごはん」用のもの・・・・・湯豆腐の中にいれてみた。 |
食した奥方曰く、「こりこりしているけど、ぜんぜん匂いがないね。」 |
当たり前である。まともに買えば1本が何千円もする代物、300円で |
食べられるものではないことは承知の上。 |
子どもの頃、近くの山に入って何本も手に入れて食べた記憶が甦 |
る。(今思えば誰かの持ち山だったのだが・・・・・)確かに珍しいもの |
ではあったが、そんなに高価なものではなかった。贅沢にも1本丸ご |
と七輪で焼いて食べたものだ。 |
今やこれを目当てにツアーが組まれるほどの超高級食材、もう一 |
度腹いっぱい食べてみたいものである。 |
奥方の「これならエリンギの方がおいしいね。」・・・・よし、いつか本 |
物を何としてでも食べさせてやる! 香りのない、1片の松茸の切れ |
っ端を口に入れたとき、おじさんは密かに決意したのです。 |
若いからできることがある。若いからどう頑張ってもできないことが |
ある。この両者の境目は渦中にいると見えないものらしい。 |
充実した体力や気力に物を言わせて、がむしゃらに突き進めば手 |
に入れられるものに得意になっていた時期がある。自信や情熱は黙 |
っていても後からついてきた。ただ一つ、今思えばそのころできなか |
ったのは、複数のものさしを持つということ・・・・・・・・・・ |
人それぞれ、ものやこともそれぞれ、自分の知らない多様な価値 |
観や生き方があり、そんなものが入り混じって世の中がある・・・・・・ |
唯一おのれの持つものさしだけが正しい、と思い込んでいると、そ |
んなことはわかるはずもない。 |
自分のものさしにも狂いがあると気がつき始めたころから、ようやく |
ほんの少し、自分が何者であるかが見えてきたような気がする。 |
経験や洞察力の不足からとる一人相撲を「若気の至り」という。 |
煩悩、執着、未練・・・・・たやすく断ち切ることのできないものだから |
人は修行という過酷な試練をわが身に課した。その苦しさに耐えぬく |
ことで、おのれの平常心を保つことができると考えるからである。 |
千日回峰という密教の荒修行に挑む僧の話を聞いたことがある。 |
・・・「わたしは弱い人間です。それを思い知るために山を歩きます。」 |
一番認めたくない欠点ゆえに、人はそれとは反対の自分を演じよう |
とする。本当の自分を思い知るということは、逃げ隠れできないとこ |
ろにわが身を追い込んだときに初めて見えてくるものらしい。 |
煩悩、執着、未練・・・・どれも人に負けぬほど背負って生きている |
のだが、未だ自分を思い知る境地にはほど遠いところにいる。 |
修行がたりない。 |
セイタカアワダチソウ・・・・・・言わずと知れた秋の野山に君臨する |
帰化植物の帝王である。明治の初めには日本にはいっていたらしい |
が、戦後爆発的に広がり、今や押しも押されぬ代表選手となった。 |
先日、植物の専門家の人といっしょに校庭の野草を採集する活動 |
をしたのだが、目に触れる植物の3割から4割が帰化植物だという。 |
日本固有の花だと思っていた彼岸花も、縄文時代、稲作の輸入と |
ともにやってきた帰化植物だそうだ。 |
見知らぬ異国の土のなかで、根を張り、芽吹くたくましさには脱帽 |
である。あと4,50年もすれば、セイタカアワダチソウも日本の風土 |
に溶けこみ、だれもが自然に「日本の花だ。」と見ることになるのだろ |
うと思うと、家の近くで今を盛りに咲いている彼が、何だか頼もしく思 |
えてくる。もはや「名もない野草」ではない。 |
「あなたは今 しあわせですか?」・・・・・・・新聞の中にあった宣伝 |
用の一文である。幸せですか?・・・・ウーンとうなってしまう。 |
まあ、さしたる心配事もないし、子どもたちも元気でやっているし、 |
一応幸せなんだろうな、と言い聞かせてみた。 |
幸せかどうかの結論を出すのに難しい方程式はいらない。人間に |
は今自分が満たされた状態であるかどうかを感じるセンサーが備わ |
っているからだ。その性能はかなり高度なものである。 |
幸せがほしい、幸せを手に入れる・・・・・抽象的なものだとは知りな |
がら人間はそんな表現を使って自分をより居心地のよい状態に置く |
ことを考えるものらしい。 |
何となく幸せなんだろうなあと思えるなら、それが結論である。 |
「林道に行きませんか。」・・・・・・・バイク仲間からの誘いである。 |
そういえば林道ツーリングは1年ぶり、季節もいいし、行ってみるか |
ということで誘いにのって林道へGO! |
しかし、これが悪夢の始まりであったとは・・・・・・・・ |
女性1人を含む3人が目指したのは、大分県の山中、距離は短い |
のだが、荒れていてとても「林道」と呼べる代物ではない。まるで石こ |
ろだらけの登山道、人間の頭ほどの石がごろごろしていて、おまけに |
赤土でつるつる。いくら林道走破用のバイクだとはいっても、これは |
無理だとあきらめたくなるような悪路・・・・・・・しかし、リーダーの「行 |
ってみますか。」の一言で悪夢に突入。 |
途中何度も転倒の危機に見舞われ、危うく崖から転落しそうにもな |
った。自分では気がついていないが、必死でバイクを操作する間、全 |
身の筋肉は鋼鉄状態、体中のあらゆる器官を総動員しての格闘で |
ある。とても50を過ぎたおじさんのやることではない。 |
その証拠が今朝の立ち上がれないほどの筋肉痛・・・・・・・参った。 |
しかし、体のどこかに信じられないほどのさわやかな風がふいてい |
る。もうこんな無茶は止めようと思いつつ、こんな褒美がついてくるな |
ら、また行ってもいいか・・・・・・全く懲りないおじさんである。 |
永遠に壊れないものなんてない、壊れたら作り直して、それでも壊 |
れたらまた作り直す・・・・・・・人が生きていくというのもそんなことなん |
だろうね・・・・・・・・・あるドラマの中のセリフである。 |
何気なしに聞いていて、ふと心に留まったことばであった。 |
若い頃、胸にたぎる情熱や青雲の志は永遠に続くものだと信じて |
疑わなかった。挫折や蹉跌がわが身に降りかかることなど、夢にも思 |
わなかった。しかし、年を重ねていくと、そんなことも全部含めての人 |
生だったんだとあらためて気付かされる。 |
生生流転・・・永遠に続くものなどない、という教えが素直に受け入 |
れられるようになったら、もう一踏ん張りして新しい夢を作り直してみ |
る・・・・・また壊れるかもしれないが、それでいいんじゃないのかな。 |
自慢して人に言うことではないが、だれしも逆境を乗り越えて今日 |
まで生きてきたという、密かな思いがある。もう二度と立ち上がれな |
いと腹をくくったこともあっただろう。己の不運を嘆き、その結果をも |
たらした周囲に敵意をもったこともあっただろう。 |
しかし、こうやって今日まで生きてこられたのは何故か?・・・・・・ |
思い起こしてみると、そのとき自分の傍に窮地を救ってくれた誰か |
が必ずいたのではないか。その人の一言、その人の存在があった |
から這い上がることができた・・・・・・・・・・そんな人が。 |
一人でもいい、自分のことを愛してくれる人がいれば、人は生きて |
いける。誰かのために、私もそんな「一人」でありたいと思う。 |
「なぜ木を植えるかって?・・・どうもすべてが急ぎすぎていると思う |
からです。この苗木はあと30年したら実をつけます。私の世代では |
実を見ることはできませんが、子どもや孫たちが見てくれるでしょう。 |
いやでも30年待たなければならないのです。急いでも仕方がない |
と、この木が教えてくれます。・・・・」 |
豊かな森の再生運動にかかわる人の話である。 |
ともすれば一日や二日で結果を求めたくなる、気ぜわしい毎日だ |
が、こんな自然と向き合う人には20年、30年が一つの区切りなの |
である。「急いでも仕方がない」と思う人に、「とにかく急がなければ」 |
と考える我々が町の便利さや快適さを武器に立ち向かおうとする。 |
その物差しが役に立たないのだから、どう転んでも勝ち目はない。 |
達観とは、あきらめた結果に生まれるものではない。 |
古の思想家が言った。・・・・「人は可能なことのみ空想する。」・・・・ |
なるほど、その言によれば空想している時点で、もうすでに事は進行 |
しているということ、そう言われてみれば全く実現しそうもないことなど |
考えもしないことに気付く。 |
とりとめもなく、あれこれと空想している中身は、実は実現に向けて |
の助走なのかもしれない。 |
「どうせ・・・」と決め込む前に、「確かに実現に向かっている。」と心 |
得るほうが精神衛生上からも得策である。 |
空想は単なる絵空事ではないと、肝に銘じておこう。 |
ずいぶん昔に出会ったのに 今も心に生き続けている・・・・・・・ |
そんな人はいませんか |
異性であれば それは淡い恋心 |
同性なら 今でも自分をシャンとさせてくれる人 |
我を見失うような荒波の中で その人の差し伸べる手をつかみ |
這い上がることができた日があった・・・・・・ |
消えることのない刻印のように 鮮明に刻まれたその人の姿が |
自分史の1ページにひっそりと残っています |
めったに開くことのなかった 古いアルバムを開いて |
過ぎていった時の流れを 指でたどっています |
場数を踏むと、これから起こりうる事態をあらかじめ予測すること |
ができる。数多くの失敗を経験した者の特権である。 |
若い人たちを見ていると、そんなことをしたらまずいぞ、と思える場 |
面に出くわす。忠告するのは簡単だが、2つの理由で忠告をためらう |
ことが多い。1つは、価値観や生き方の違いで真剣に耳を傾けてもら |
えそうもないと思えるから・・・・もう一つは先輩の話が切実な忠告で |
あったと気付くのは、現実に痛い目にあったときだという経験則があ |
るからである。大きなお世話だと一蹴されるのはかなわない。 |
三顧の礼を尽くして教えを乞う・・・・・謙虚に生きたいと思えばそん |
な人に必ず出会うことがある。わが身も然り・・・・・・・・・ |
場数を踏んだ人の話には素直に耳を傾けようと思う。 |
置き忘れてきた荷物を |
一つ一つ確かめながら その在り場所に思いを馳せる・・・・・・ |
取り戻すことはもはや 叶わないが |
せめてその姿かたちを しっかりと記憶に留めておきたい |
今日まで生きてきたという事実が いとおしく感じられ始めたら |
ぜひ そうしようと思う |
それが「わたし」という人間の 居場所を決める車庫証明になる。 |
突然の激痛に飛び起きた。左足の太ももである。何かに食いつか |
れた感触だった。一瞬「ムカデだ。」と分かった。あたりを捜したが、 |
姿は見えない。やられた・・・・・・・・ |
すぐに粗塩をすり込み、氷で冷やし始めたが、次第に鈍痛が大きく |
なり、2個の噛み跡がくっきりと見え出してきた。 |
以前から家の中で何匹かのムカデは目にしていたのだが、よもや |
布団の中にまで進入してくるとは・・・・・・・ |
毒はあるが死ぬようなことはない、と聞いてはいた。しかし、この鈍 |
痛はかつてオコゼに刺されたとき以来である。たまらない。 |
痛さに耐えること、数時間、昼過ぎにようやく痛みが引きはじめた。 |
にっくきムカデめ、今度見つけたらただではおかんぞ、と心に誓った |
が、これも田舎に住む者には宿命のようなもの、半分はあきらめて |
いる。それにしても布団にまで入ってくるか・・・・・・・ |
サンマのおいしい季節・・・・・普通に焼いたのではつまらない。物置 |
の奥からパーベキューセットを引っ張り出し、炭火で焼くことにした。 |
箱入りの炭を並べ、着火剤で火をおこす。しばらくするとパチパチ |
音を立てて炭が赤くなり、火加減も上々。 |
新鮮なサンマを焼きながら、ふと炭の入った箱に目がいった。よく |
見ると、箱の表に「フィリピン産」という文字がある。「えっ、待てよ。炭 |
は日本のものじゃないのか。」と不思議になり、説明を読んでみた。 |
原木はフィリピンのマングローブ、当局の許可を得て炭にしている |
とある。何だって?マングローブ?あの水辺に生えているマングロー |
ブの炭なのか?炭といえば樫やくぬぎなどの広葉樹が材料だとばか |
り思い込んでいた。こんな所にも国際化の波が押し寄せている。日本 |
産の炭が売れなくなるはずだ。マングローブの炭で焼いたサンマは |
ほんの少し熱帯の味がした。何だかへんな気分・・・・・・・・・・ |
ドボルザーク作曲の「新世界」・・・・・・手放せない名曲の一つであ |
る。この曲との出会いは高校生のとき。吹奏楽部に所属してトランペ |
ットを吹いていたが、3年の夏、コンクールに出場するための課題曲 |
として楽譜が配られた。もちろん今まで聴いたことなどない。第4楽章 |
だけであったが、出だしの荘厳な音の響きに一辺に参ってしまった。 |
以来猛特訓が続き、みごとコンクールで銀賞をとることができた、 |
記念すべき一曲である。あれからすでに三十数年経った。今でも |
自分のパートのメロディーが浮かんでくる。愛用のトランペットは埃を |
かぶって押入れの奥で眠っているが、一度暗記したメロディーはそう |
簡単には消えないようだ。新天地アメリカをめざして移住する人々が |
モチーフとなった曲だが、希望の彼方に新世界が広がる・・・・・という |
主張だけはしっかりとこの曲からもらったような気がする。 |
秋の夜長には、名曲が似合う。 |
肩書が一つ増えるということは、その肩書を構成している組織に否 |
応なしに組み込まれるということである。その組織を維持していくた |
めに作られたさまざまな掟や慣習に従うということでもある。 |
そのために味わう不自由さの代償に、社会的地位や名誉が与えら |
れる仕組みになっている。 |
それを目標として生きるか、まっぴらご免だと思って生きるか、分岐 |
はそこしかない。たくさんの分岐点を通過した記憶があっても、もとを |
たどればその一点だったのではないか・・・・・・ |
これから歩む道はすでにその分岐を過ぎていることだけは、間違 |
いない。 |
言い訳をする心理はおもしろい。自分の非を認めたくないというの |
は誰しも同じこと、その非を認めれば己のプライドが大きく傷つくとな |
れば防衛態勢に入るのは仕方がない。問題はその言い訳で通用す |
るかどうかということ・・・・・・・・・ |
ほとんどの場合、釈明が言い訳に聞こえるときにはしゃべればしゃ |
べるほど、その人間の評価が下がっていくもの。どう見ても間違った |
のはお前だろう、見苦しいぞ、と誰もが感じるからだ。 |
潔く己の非は非として認める・・・・・簡単なことではないが、人として |
生きていく上で身につけておくべき掟のひとつである。 |
・・・・・我 事において後悔せず・・・・剣豪宮本武蔵の言葉である。 |
主要な道路には、必ず迂回路と呼ばれる回り道があります。 |
要のその道路が寸断されたり、通行できなくなったとき、 |
避難経路として使うためです。 |
山道には、険しい直登ルートとは別に |
もう一つ「巻き道」とよばれる回り道があります。 |
時間はかかりますが、直登ルートにはない安心感があります。 |
回り道・・・・・・・・それは |
用意されているだけでほっとする家庭の常備薬のように |
いつもは通らなくても 心の隅に覚えておけばいい道なのです。 |
この道をたどっても ゴールには着けるということも・・・・・ |
阪神ファンというより、「星野」ファンの一人である。先日の優勝、宙 |
に舞う監督の姿の裏に、隠されたエピソードがたくさんあったことを知 |
った。開幕以来、快進撃を続けながらも、勝てば勝つほど毎日試合 |
前には胃がキリキリと痛んだという。「ここからひっくり返されてみい。 |
日本にはおられんようになる・・・・・・」医者にそう話した。 |
これだと見込んだ選手は、どんなに成績が下がろうと使い続け、ま |
めに声かけをした。「反骨心」を持って欲しい・・・・・低迷を続け、自信 |
と覇気を失いかけていた選手たちにそう呼びかけ続けた。優勝の2 |
日前、実母がなくなったが葬儀には試合を理由に参列しなかった。し |
かもそのことは、選手たちには知らせていなかった。 |
監督就任の初日、初めて甲子園球場に立ったとき、「おれの死に |
場所だ」と語り、不退転の決意を表した。そんな監督の心意気に選手 |
たちが心を動かされないはずがない。 |
「苦しい時代を乗り越えて、夢に日付を書くことができた・・・・・・」 |
ファンにそう語る闘将星野監督、勝軍の将として兵を語ってくれた。 |
夢に日付を書く・・・・・・忘れられない言葉である。 |
何十年も生きてきた老木は、強い風に耐え切れないと判断すると、 |
自ら何本かの枝を切り離すという。そうして他の枝を守り、風倒から |
わが身を避難させると聞いた。決して風に逆らい、力尽きて折れたの |
ではない。木自らの意思で風に任せたのだ。 |
折からの台風の余波で、窓から見える木々が大きく揺れている。そ |
んなことを思うと、1本1本の木々が風という相手と必死になって格闘 |
しているように見えてくる。物言わぬ彼らだが、力では適わぬ相手と |
向き合う術を、こんな形で指し示している。 |
人類よりはるかに永い時間生きてきた彼らに学ぶことは多い。 |
年を重ねると 好き嫌いが鮮明になる。 |
好きでも嫌いでもないという 中途半端な関係に疲れるからだ。 |
当然 他人からも同じ目でみられることになるが |
そんなことは知ったことではない。 |
無理をして 好きですという演技を続けるだけの |
余力が少なくなってきたと感じ始めたなら |
素直に演技を止める・・・・ |
ただそれだけのこと。おおげさなことではない。 |
ときめきは 魂の自己増殖活動の過程で生まれる。 |
憧れや夢を栄養源として成長する。 |
心の中で疼く何かを感じたら 静かに見守ろう。 |
やがて それはもっとも「わたし」らしい装いで |
目の前に現れるはずだから・・・・・・・・・ |
全力を尽くしても叶わない事態に追い込まれることがある。 |
そんなときにかけられる「頑張れ。」という言葉は |
ときに立ち上がろうとする気力すら奪う 鞭になることがある。 |
心せよ |
今この人は 頑張るときなのか それとも |
静かに傷を癒すときなのかを見まちがえないこと・・・・ |
空腹を満たす糧は 自分で手に入れなくてはならない。 |
心の隙間を埋める充填剤は 自ら求めて探すしかない。 |
待っていてもやってはこない相手なら |
こちらから足を運ぶ・・・・・・・ |
それだけのことだが 足の重さにうろたえている間に |
目先に現れる手軽な代用品に手が出てしまう。 |
本当にほしかったのは こんなものではないと思いつつ・・・・・・・ |
我が家の居候猫、「フーテンのリン」が1週間の入院から帰ってき |
た。1週間前、突然うずくまり、動けなくなった。あわてて病院に駆け |
込むと「急性腎不全です。」・・・・・・・・・・ |
どうやら深夜徘徊の途中で毒性のあるものを食べたようで、腎臓を |
やられ、毒が全身に回って危篤状態であった。医者に「だめかも知 |
れないので覚悟をしておいてください。」と宣言された。 |
血液検査や点滴が続き、2日目に峠を越えた。日に日に元気をとり |
戻していく彼女を見て、わが奥方は涙の連続。 |
さて帰宅したリン、長時間閉じ込められていた檻から解放されて、 |
とにかく外へ出たい。しかし、医者からは外出禁止令・・・・・・ |
外へ出してくれという催促の鳴き声を連発し、家の中をウロウロ。 |
別れを覚悟し、庭に穴を掘らなくてはならないと決めたあの主の思 |
いも知らず、放浪癖を発揮する。生死の境をさまよった彼女の回復 |
は、私たち夫婦の元気回復にもなっている。 |
自分の歩んできた道に |
どんな値打ちや意味があったのだろうと |
心細くなるときはありませんか。 |
やるだけのことは やってきたはずなのに |
なぜか確かな手ごたえがつかめない・・・・・・・ |
それはきっと |
あなたが「集めたもの」だけで見ようとしているからです。 |
あなたが「与えたもの」を物差しにしてごらんなさい。 |
わたしがわたしであったという 存在証明は |
与えてきたものの中に まちがいなくあるはずです。 |
パチンコへ行かなくなってもう30年、3度の飯よりも好きだという同 |
僚の話を聞いていると、とてもじゃないがついて行けないというのが |
その理由。コンピューター制御の射幸心を煽る機械では元手はいく |
らあっても足りない。どうやらそんな思いは私だけではなかったようで |
昔なつかしい「チューリップ」付きの古い台が復活するというニュース |
を聞いた。不況で以前ほど客が入らなくなった業界の作戦だという。 |
1000円で40分遊べる・・・・・・というのがキャッチフレーズだとか、 |
この作戦、さてオールドファンを引き戻すことができるかどうか。 |
アナログ世代には、派手な音楽やアニメーションは不要、ただ己と |
向き合うシンプルな構造があればそれでいい。 |
30年ぶりにちょっと行ってみるかな・・・おじさんの心が揺れている。 |
連続した時間を便宜上切って |
今日と明日という日を決めている。 |
だから、今日がなければ明日もないというのは |
人間が作り出した最も古典的な人生訓であろう。 |
たとえ何が待ち受けていようと |
明日という日のその正体を見るためには |
今日を乗り切らねばならない。 |
わたしにも あなたにも共通した 地表の掟である。 |
調味料や少量の酒は料理の味の奥行きを生み出す。「かくし味」と |
言う。決して表に出てはならない。 |
映画や舞台を引き立てるのは主役ではない。脇役と呼ばれる人た |
ちだ。生涯主役は回ってこないかも知れない彼らの、自分の役に徹 |
した演技のおかげで主役の存在が浮き上がる。 |
最近のスポーツニュースで、犠打の世界記録を達成したという野球 |
選手が紹介されていた。華々しいホームランや目の覚めるようなヒッ |
トとは無縁の、地味な「縁の下」の仕事である。 |
飄々として打席に立つその選手の顔に迷いは見えない。「犠打の飛 |
距離はむずかしいが、方向ならほぼ自分の思ったところへ転がすこ |
とができます。」・・・・・・・かくし味にはかくし味の誇りがある。 |
脇役に徹する人生があってもいい。 |
私が手に入れたいと思うもの・・・・・・・ |
それは対象との距離を目測できる正確な目です |
あらゆる人やもの、ことと自分との間の距離を正しく計ることは |
私が 私らしく在るための方向舵でもあるのです |
目測を誤ると 予想もしない方向へ流され |
気が付けば 「こんなはずではなかった」・・・・・・・ |
残念ながら そんな目をもつことは簡単なことではありません |
しがらみや常識、納得できない慣習という不純物が障害となり |
目測を誤る事態はこれからも起こりそうです |
間合いを正しく計り 緩急自在の構えで備えるという目標は |
当分 あるいは生涯の課題かも知れません |
正しい目測ができる眼を 心眼といいます |
手に入れたその日から 輝き始める想いがある |
こんなはずではなかったと 首をかしげる前に |
思い起こすべきことがある |
あの頃 抱いていた夢は 本当に「わたし」のものであったのか |
枯渇した魂に 真に潤沢な潤いを満たすものであったのかと・・・・・・ |
気まぐれに思いついたことは 気まぐれに消えていく |
何度も経験しているはずの この原則を |
もう一度 わが身に引き寄せてみることだ |
ほんものは 手中に収めたその日から |
自分の一部となり 生きる目標となる |
輝きや値打ちは 黙っていてもあとからついてくる |
一流とは 他の追随を許さぬ輝きを持つこと |
一流の人間とは 他の者にはない |
その人だけの薫り高い物語を持つこと・・・・・ |
自分だけの物語を創る努力は 続いているか |
その道の あまりの遠さにあきらめかけてはいないか |
派手なストーリーや 面白おかしい装飾はなくとも |
これだと決めた終局に向けての 絶えざる練磨と奮起は今もあるか |
夢と言う美名を免罪符にして しばし手を休めてはいないか・・・・・・ |
結末まで付き合ってくれる「わたし」という読者がいるかぎり |
その読者をうならせる物語を 創り上げようじゃないか |
完成記念の褒美は 「我ながらよくやった」の一言でいい |
自分だけの物語を創る営みは 今も続いているか・・・・・・・・ |
この夏の旅で、数多くの高山植物に触れる機会があった。標高2千 |
メートルを越えると、平地ではまずお目にかかれない、可憐な花々に |
出会うことができる。人工で植栽されたものでなく、自然に自生してい |
るところがまたいい。珍しい花を見つけると、足を止めてガイドブック |
を引っ張り出し、あれこれとつき合わせてみる。お目当ての花がみつ |
かると、こんな名前がついていたのかと、改めて親近感が湧く。 |
氷河期の生き残りの花々である。平地の雑踏の中では生きられな |
という、その凛とした存在感が心を捉えて離さない。 |
高山の短い夏を謳歌するように咲きほこる花々にまた逢いたい・・・ |
ここ数年、旅の目的の一つになってしまった。 |
回り道をしなければ逢えない、孤高の輝きである。 |