雑感 2014
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| 謝・2014 | 
| 生きてみるに値する人生であることを | 
| 今年も多くの出来事や、多くの人たちとの出会いや触れ合いを通して | 
| 確かめることができました。 | 
| 疾風知勁草(疾風に勁草を知る)・・・ | 
| 本当に強いものは嵐が過ぎ去ったあとにわかる、と言った人がいます。 | 
| 本当に強いものでありたいと思います。 | 
| 皆さんのご多幸を念じつつ・・・・ | 
| どうぞよいお年をお迎えください。 | 
| つながり | 
| 年賀状の宛先に名前を書いた人は、 | 
| この広い世間であなたとつながっている人です。 | 
| あなたからの年賀状を読んで、 | 
| まちがいなくあなたの顔を思い浮かべてくれる人です。 | 
| どのようにしてできた”つながり”であろうと、 | 
| 何かを共有し、何かを分け合った人たちなんですね。 | 
| そんな人があなたにはいる、ということです。 | 
| 底力 | 
| それは、ふだんは気づかないが、自分の一番奥に秘められた最も強靭な力で、 | 
| 多くの場合、もはやこれまでかという、ギリギリまで追い込まれた時に姿を現す・・・ | 
| その存在に出会って、我ながら驚いたという人もいるだろう。 | 
| どこからあんな力が出たのだろう、と後から思えば不思議で仕方がない。 | 
| 人間はそう易々と倒れたり、崩れたりする生き物ではないのだと思い知らされる。 | 
| ただ残念ながら、そんな自分の経験を他人に当てはめることができない。 | 
| そのときになってみなければ、自分でその力の存在には気づけないということ。 | 
| 安心したまえ。まちがいなく、君にも在る。 | 
| 手ブラ | 
| 手ブラでこの世に来たのだから、 | 
| 帰るときも手ブラでなくちゃ・・・ | 
| 何をそんなにたくさん持ってるんですか? | 
| 嵐 | 
| どうしてこうも次から次へと厄介なことが続くのか・・・・ | 
| あるんじゃなぁ・・・そんな時が。 | 
| そんな時はつべこべ言っても始まらん。 | 
| 一つひとつを片付けていくか、ただじっと耐えるしかないんじゃ。 | 
| なあに・・どんな嵐もいずれは去るもの、 | 
| 辛いじゃろうが、もう少し辛抱してみることじゃ。 | 
| 選択肢 | 
| 結婚は人生にとって一大事である、という理由の一つは、 | 
| それが他の選択肢を目をつぶって捨てる決断であることだ。 | 
| 冷静なときにそんなことを考えると、恐ろしくて、もったいなくて、迷ってしまって、 | 
| とても決断なんてできるものではない。 | 
| だが、人生では、ほんの一瞬とも言える時期だけ、 | 
| 他の選択肢があるということを忘れさせる作用が働く。 | 
| だから、これしかないと思いこむことができる。 | 
| 他の選択肢もあったということは、 | 
| その一瞬が過ぎてから気づく。 | 
| 償い(つぐない) | 
| あやまちは誰にだってあるさ。 | 
| だから、あやまちの数だけ償いの数もある。 | 
| 問題は、それが本当に償いになっているかどうか、なんだけど、 | 
| 多くの場合、償いだと思ってやったことは、 | 
| とりあえずの誠意だったということだけは、 | 
| 覚えておいた方がいいと思うよ。 | 
| 会話 | 
| 心を通わせるためには、会話が欠かせません。 | 
| 互いに相手を思いやる温かい気持ちで交わす言葉が、 | 
| 距離を縮めるのです。 | 
| 夫婦だから、親子だから、恋人同士だから、という関係は、 | 
| 絶え間ない会話が支えてくれているとは思いませんか。 | 
| 会話が少なくなるにつれて、関係が冷めていくというのも | 
| それを物語っています。 | 
| 違い | 
| 「私には夢があります。」・・・・・そうですか、結構ですね。 | 
| どんな夢かを聞く前にお尋ねします。 | 
| それはだれかに犠牲を強いることで成り立つものではありませんか? | 
| もしそうなら、 | 
| 「私には・・・」ではなく、ほんとうは「私たちには・・・」と言うべきでしょう。 | 
| 得意になって夢を語る人間にはなぜか「私には・・」と言う人が多いんですよね。 | 
| 言葉ではわずかな違いですが、 | 
| 「私」と「私たち」にはとても大きな違いがあることをお忘れなく。 | 
| 答え | 
| あれこれ目に入るもの、耳に入るものを遮断して、 | 
| 今、自分はどうしたいのかを一番に考えてごらんなさい。 | 
| そうすれば、きっと答えは見つかるでしょう。 | 
| 想う | 
| 人と人が、互いを想いながら生きている・・・・ | 
| 直接相手にぶつける想いもあれば、遠くから届けと祈る想いもあるだろう。 | 
| かたちはどうであれ、人を想う気持ちが自分という人間をつくっている。 | 
| 必要 | 
| 自分が必要とされている・・・・ | 
| その反対を考えてみたまえ。だれからも必要とされない存在・・・・ | 
| 疎外感や孤独感はすべてそこから生まれるものだろう。 | 
| 役に立つかどうかが問題なのではない。 | 
| 必要だと思ってくれる人がいるかどうか、それこそが問題なのだ。 | 
| 君が必要だ、という一言がどれほど勇気を与え、 | 
| 何よりも生きている実感になることだろう。 | 
| 暮らし | 
| 連日の大雪である。 | 
| 一晩で60センチ、80センチの積雪が何日も続いている。 | 
| 屋根の上にはあっという間に2メートル近い雪が乗って、 | 
| 毎日、除雪をしなければ家から一歩も外には出られない・・・・・ | 
| えらいことだとは思うが、大騒ぎすることもなく人々は至って平静である。 | 
| そのための備えや機器、暮らし方のノウハウがちゃんとあって、 | 
| 別にあわてることもない。 | 
| 時期になればこれくらいの雪は降るもの・・・・・・ | 
| ここはそういうところなのだと思えば済む。 | 
| 老化 | 
| 厳密に言えば、 | 
| 生まれ落ちたときから”老化”は始まっている。 | 
| 老化と言わず、成長と呼んでいるだけだ。 | 
| 長い時間をかけてゆっくり進行するこの現象を、 | 
| なにゆえ、50,60歳からの専属用語にするのか・・・ | 
| 最近になって、ようやくわかってきた。 | 
| 巷で言う”老化”とは、「役目を終えた」ことの別称だったのである。 | 
| 役目を終えない者には、まだ使用禁止の言葉である、と・・・・ | 
| 言葉 | 
| わが子と言えども、彼らには彼らの人生があり、 | 
| 親が干渉できることは限られる。 | 
| やりたいこと、進みたい道があるというなら、 | 
| 多少の口出しはあっても、応援してやることだ。 | 
| そして、もしも思うようにいかない結果になったら、 | 
| 疲れた体や痛んだ羽を癒し、再び飛び立てる力がつくまで、 | 
| ゆっくり休める場所を用意してやることだ。 | 
| いつでも帰ってこい・・・・ | 
| わが子に伝える言葉はそれだけでよい。 | 
| 実行 | 
| やってみたいことがあるなら、 | 
| あれこれ迷わずにやっておくことです。 | 
| そのうちに・・と思っていると結局できなかったということになります。 | 
| 思い立ったが吉日、決断即実行! | 
| たとえ思い通りにならなくとも、 | 
| 断念したあとに訪れる後悔よりもうんとすっきりするはずです。 | 
| 時 | 
| しみじみ思うことがあるんですよ。 | 
| なつかしくて、いとおしくて、胸の奥が熱くなるような気持ちが | 
| ふと、どこからともなく湧いてきて | 
| 「そうか、そんな日もあったんだなあ」と心の中でつぶやいてみる・・・・ | 
| そんなときは、 | 
| 私に分け与えてもらった時間を存分にしっかり生きたんだなあと、 | 
| あらためて思うことにしています。 | 
| 頼み | 
| 気軽に頼める相手だからといって、 | 
| 自分が頼まれたらイヤだなと思うようなことを頼んではならない。 | 
| 頼みは聞いてくれるかもしれないが、 | 
| 以後口はきいてくれなくなる。 | 
| 何年もかけて積み上げてきた得難い関係も、 | 
| こわすのには一分とかからないだろう。 | 
| 親しき仲だからこそ、頼んではならないことがある。 | 
| 手に入れる | 
| それはね、きっと、 | 
| 簡単に手に入ったから、 | 
| 簡単に色あせてしまったんだよ。 | 
| 手に入れる、というのは、 | 
| 簡単じゃだめなんだ。 | 
| いいえ | 
| 一般的に「いいえ」は言わずと知れた否定の言葉である。 | 
| しかし、時に強く自分の意志を表す意味を持って”拒否”の言葉になる。 | 
| 否定と拒否・・・ | 
| 似たような語感だが、そこには大きな違いがある。 | 
| 拒否の「いいえ」は、 | 
| その後に訪れるさまざまな苦境をすべて覚悟して、受け入れる強い意思の表れ・・・・ | 
| 拒否の「いいえ」を発する相手は、例外なく手ごわい。 | 
| なるように | 
| なるようにしかならない・・・と腹をくくるというのは、 | 
| きわめて優れた処世術だとは思いませんか。 | 
| そうなんです。どうなるかわからないことを、 | 
| あれこれ、くよくよ考えるのは疲れますね。 | 
| 死ねと言われているわけではないのですから、 | 
| 結果を受けとめて、精一杯やるしかないでしょう。 | 
| 要するに、 | 
| すべてはなるようにしかならないのです。 | 
| 里破れて山河在り | 
| この静けさと美しさは何なのだろう。 | 
| つい先ごろの激震など関知しないかのごとく、 | 
| 周囲の山々はこの時期の雪化粧をして、何一つ変わらず荘厳である。 | 
| 里は破れ、人間の営みが大変なことになっても | 
| 山河は変わらず美しい。 | 
| この、信じられない対比に胸をうたれる。 | 
| 自然の営みに比べて、人間の営みの何と小さいことか・・・・・ | 
| きれいに見える | 
| どんなにきれいなものでも、 | 
| 間近で見れば「何でこんなものに惹かれたのだろう」と思うものです。 | 
| 遠くにあるからきれいに見える・・・ということもあります。 | 
| 遠くからしか見られないと嘆くことはないと思いますよ。 | 
| 一番きれいな姿を見ているのかも知れません。 | 
| 自覚 | 
| 自分には何かが欠けている・・・・と自覚できた人間は、 | 
| それが何なのかを無意識に探そうとします。 | 
| そして、いろんな経験を積む中で、少しずつ分かってきます。 | 
| そうか、そいうことなんだ・・・ | 
| 少なくともそれが自覚できていれば、 | 
| 隣にいる人に、無用の嫉妬をしたり無理難題を押しつけたりはしないでしょう。 | 
| 警鐘 | 
| 人間たちよ、 | 
| おまえたちが暮らす大地に、もっと謙虚であれ。 | 
| どんな文明を築こうと、どんなに科学を進歩させようと、 | 
| どんな歴史や人生のドラマを描こうと、 | 
| 所詮、おまえたちはこの大地を借りて生きる”旅人”だ。 | 
| オレたちが地上の主だ、などと | 
| ゆめゆめ思い上がってはならんぞ。 | 
| 美しい | 
| 美しい景色は、 | 
| 美しくありたいと思ってそこにあるのではないだろう。 | 
| 平素の、あたりまえの営みを、それを見る人間が美しいと感じるわけだ。 | 
| 美しいというものには、景色であれ、人であれ、 | 
| すべてこのきまりがあてはまる気がする。 | 
| 掟 | 
| 田舎で生産された米や野菜や肉をたらふく食っておきながら | 
| ”あいつは田舎者だ”などと地方出身者を見下す言葉をつかう輩は、 | 
| 田舎に一歩たりとも足を踏み入れてはなりません。 | 
| 一生コンクリートや、けばけばしいネオンや騒音、まずい水や汚れた空気の中で暮らしなさい。 | 
| それが掟です。 | 
| 歩く | 
| スタートラインは同じで、進む方向も同じだったのに、 | 
| あなたはずいぶん先に進んで、距離が開いてしまいましたね。 | 
| きっと二人の歩幅が違っていたのだと思います。 | 
| 気にしないであなたのペースで進んでください。 | 
| 私はあなたの見落としたものを拾いながら、 | 
| ゆっくり歩いていきます。 | 
| 考えただけで | 
| どうしてもやらなければならないことは、 | 
| その成就がどれほど困難でもやらなくてはならない。 | 
| 逃げる方法もあるが、ここで逃げると | 
| おそらく一生後悔することになる・・・・・・・ | 
| 人生にはそんな自問自答をする難題が、何度となく訪れる。 | 
| あの時も、この時も意を決して立ち向かったから、 | 
| 今日という日を迎えることができたのかもしれないとは思わないか。 | 
| もし一度でも逃げていたら・・・・・ | 
| 考えただけで怖ろしくなる。 | 
| 寂しさ | 
| 情熱だけで立ち向かうには齢をとりすぎた。 | 
| 技で乗り切るには力量不足・・・・ | 
| ”限界”を感じる時である。 | 
| 他人には言えないが、そう感じる時がそう遠からずやって来るだろう。 | 
| どんな仕事であれ、引き際にはだれもが同じ景色を見るものだ。 | 
| 安心するがいい。 | 
| 自分一人だけが見る景色ではない。 | 
| もちろん、自分一人だけが味わう寂しさではない。 | 
| やさしく | 
| やさしくなりたいなら | 
| 冷たい風にばかり当たっていてもだめです。 | 
| 暖かい陽だまりのような、いい人に出会いなさい。 | 
| ああ、この人に出会えてよかった、と思えるような人に出会うことです。 | 
| そして、人が人を想う気持ちを育てなさい。 | 
| やさしくなれる方法は、それ以外にはありません。 | 
| 言葉 | 
| 「何十年もかかってやってきたことが、みんなダメになった・・・・」 | 
| 近所の師匠が肩を落としてそう語る。家は「危険」のレッドカード。 | 
| 80近い働き者のおじいちゃんだ。 | 
| 春にはおいしいはちみつを作って分けてくれる。 | 
| 我が家の裏の畑も貸してもらっている。 | 
| シイタケやナメコの育て方も丁寧におしえてもらった。 | 
| 「オラの入る墓だ」と、つい先日自分の墓も作ったばかり・・・・・・ | 
| 息子さんたちの誘いもあって、この冬は松本市で暮らすと聞いた。 | 
| ときどき屋根雪おろしには来るで・・・そう言う師匠にかける言葉がない。 | 
| 春になったらまた元気で戻ってきてください・・・ | 
| それが精いっぱいである。 | 
| 水 | 
| 水は蛇口をひねれば出る・・・・ | 
| そんな”あたりまえ”の暮らしを失ってみると、 | 
| 水の大切さが身にしみる。 | 
| 断水して一週間、多くの人たちの懸命な作業で昨日ようやく通水した。 | 
| 水が自由に使えない暮らし・・・・ | 
| 給水車で運んでもらったポリタンクの水を、 | 
| 一滴も無駄にしてはならないという気持ちが自然にわいてくる。 | 
| 茶碗も洗剤で洗うとすすぎに余計な水がいるので、水洗いだけ、 | 
| その水も洗い終わったらトイレのタンクに・・・・ | 
| この経験を忘れてはならないと肝に銘じている。 | 
| もし、自宅で蛇口をひねっても水が出ないとしたら・・・ | 
| それが一週間続くとしたら・・・・ | 
| 感謝 | 
| 災害ボランティア、救援物資、災害義援金・・・・ | 
| これまでも各地の災害でその様子はテレビなどで見ていたが、 | 
| 実際に身近なところで接すると、ほんとうに涙が出そうになる。 | 
| 一円の儲けもないのに、無償で提供される物資やお金や労働力、 | 
| 人はなぜこんなことができるのか、とほんとうに胸が熱くなる。 | 
| 救援物資として届いたペットボトルの水をいただいた。 | 
| のどにしみわたる、美味しい水であった。 | 
| そんなものや人に励まされ、もう一度頑張ってみようと、勇気をもらった人は多い。 | 
| 親族 | 
| 父母2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人、高祖父母になると16人・・・・ | 
| 幕末から明治以降だけでも16人の血のつながった親族がいる。 | 
| 高祖父母や曽祖父母たちから見れば、こんな私のような子孫がこんな暮らしをしているなどとは | 
| 夢にも思わなかっただろう。 | 
| 血縁であるということは、彼らから何かを受け継いでいるということ・・・・・ | 
| どんな人だったのだろうと、思いをはせてみるのも悪くない。 | 
| 地震その後 | 
| 地震発生から5日目・・・ | 
| 避難所で一夜を明かしたその後です。 | 
| 小谷村(おたりむら)では、姫川東岸に位置する山間の集落に被害が集中していて、 | 
| 我が集落もその一つ。 | 
| 避難所から帰ってきて、一面に散乱した家財道具や小物類の片付けを始めましたが、 | 
| どこから手を付けて良いのか、呆然とするありさま・・・・ | 
| その間も、絶え間なく感じられる余震、その度に心臓がドキッとして思わず身構えてしまいます。 | 
| 電気は来ていますが、水道が断水、トイレの水は家の横を流れる沢の水をバケツに汲んで使用、 | 
| 飲料水は役場までポリタンクをもっていきました。 | 
| 昼過ぎ、県の建築士の方々が消防団と一緒に集落の一軒一軒をまわり、 | 
| 家屋の危険度を調べて緑(安全)、黄(要注意)、赤(危険)の紙を貼っていきました。 | 
| 我が家は、かべの一部が剥離しているというので「黄色(要注意)」、 | 
| 建物自体に問題はないので、居住は大丈夫とのこと、一安心です。 | 
| しかし、同じ集落の中に「赤(危険)」判定の家が何軒かありました。 | 
| 危険と判定されると、そのままでは居住できません。みなさん、今も避難所です。 | 
| 今日、県から派遣された給水車が水を持ってきてくれました。 | 
| 避難所にもペットボトルの水があるので持って行くように、と言われました。助かります。 | 
| 村の放送で、毎日村内の温泉施設を無料開放するときいたので、 | 
| 夕方は温泉に・・・温まって疲れがとれます。 | 
| 小谷村はニュースで報道されることはあまりありませんが、 | 
| 半壊家屋が何十軒もあると聞きました。半壊というのは、住めないということです。 | 
| そんな人たちの心中を思うと胸が痛みます。 | 
| 三日かかって家の中も8割がた片付きました。あとは水ですが、 | 
| 山の上の方にある水源近くで、導水管の破損個所が見つかり、 | 
| 自衛隊のヘリで資材を運び、修理したのですが、 | 
| 破損個所が次々に見つかり、全面復旧には2,3日かかるだろうとのこと、 | 
| もうしばらくの辛抱です。 | 
| いつもお世話になっている業者の方が早速様子を見に来てくださり、 | 
| 我が家の水道管の破損個所の修理をお願いしました。 | 
| 風呂場や壁の修理も専門の業者さんに依頼しました。 | 
| 余震は相変わらず続いていますが、少しずつ間隔が長くなっているようです。 | 
| くよくよしていても始まりません。 | 
| 元気を出して乗り切っていくつもりです。 | 
| 家族 | 
| いっしょに住んでいるから家族なのではありません。 | 
| いっしょに生きようと努力しているから家族なんです。 | 
| 共有するものの大切さを | 
| 他のだれよりも深く重く、温かく感じ合っているから | 
| いっしょに生きていけるのです。 | 
| 家族であろうと努力しなければ、 | 
| ただの同居人です。 | 
| 笑う | 
| 笑う必要のない出来事が、知らん顔をして通り過ぎていきます。 | 
| 冗談を言い合って笑える仲間や友だちは、想像以上に大切なものだと感じます。 | 
| いろんな理由をつけて人が集うのは、笑いたいからかも知れませんね。 | 
| 地震 | 
| 22日午後10時8分、突然大きな揺れに見舞われました。 | 
| 今までに体験したことのない揺れでした。 | 
| 立っていることもできないくらい、10秒か、20秒ほどの激しい横揺れ、 | 
| おさまって家の中を見ると、足の踏み場もないほど散乱した家財道具、余震がくると思い、 | 
| 急いで外へ・・・ | 
| 集落の人たちもみんな出てきていました。互いに無事を確認して、 | 
| 消防団の指示もあって、その夜は避難場所に直行。 | 
| 眠れぬ一夜を明かして、今朝我が家に帰ってきました。 | 
| 我が家の被害は風呂場のタイル壁に大きな亀裂、 | 
| 二階の土壁が一部はがれて落下・・・ | 
| 柱が傾いてもう住めない言う話も聞いていただけに、最小限の被害に胸をなでおろしました。 | 
| その後かなり大きな余震を2,30回感じましたが、今のところ大丈夫です。 | 
| 電気、ガスはOKですが、断水しています。 | 
| 村内や白馬村の国道も土砂崩れで寸断され、通行禁止。 | 
| 多くの方から大丈夫かという連絡をいただきました。 | 
| 本当にありがとうございました。。 | 
| 完全復旧までにはしばらく時間がかかるでしょうが、 | 
| 何とか元気に頑張ります。 | 
| 才能 | 
| すぐれた才能を発揮する人間は、 | 
| それ以外の場面では目立たないものだよ。 | 
| あっちでもこっちでも目立ちたいと思わないほうがいいんじゃないかな。 | 
| すぐれた才能はありませんと、あえて公言することはない。 | 
| 納得 | 
| 一粒の種として生まれ、育ち、葉をつけ、つぼみを持ち、 | 
| やがて花を咲かせ、伝える種子も残した。 | 
| “一粒の種”としての役目は十分果たした、と納得し、 | 
| 風の中でひっそりと静かに枯れていく・・・・・ | 
| 名俳優 | 
| 昭和の名俳優がまた一人逝った。 | 
| 高倉健さん・・・・ | 
| 不器用ですから・・・この一言に代表されるその存在感は、 | 
| まさに「男が惚れる男」、 | 
| ぺちゃくちゃしゃべるのが男ではない、ということを | 
| 作品を通して幾度となく教えてもらった・・・・・ | 
| ご冥福を祈る。 | 
| 階段 | 
| 若いころ、 | 
| 階段は2段飛びで駆け上がっていた。 | 
| やがて、ふつうに1段ずつ上がるようになり、 | 
| 最近は、「何でこんなものを作ったんだ」と恨めしく思いながら、息を整えてゆっくり上がる。 | 
| 足腰が弱ったのではない、と思っている。 | 
| 上下に移動する必要のない暮らしに馴染んできたからだ。 | 
| 階段には、 | 
| それを必要とする世代や時代がある。 | 
| 一粒 | 
| 一粒の麦、 | 
| 落ちて死なずば、麦にならず。 | 
| 死してはじめて残せるもの在り。 | 
| 一粒と言えども、やがて万生の源となる。 | 
| しっかり | 
| 解散・総選挙が近いらしい。 | 
| えっ、何で?・・・というのが正直な庶民感覚、 | 
| どうして今選挙なのか、説明をしっかり聞いておこう。 | 
| だれが、何のためにやろうとしているのか・・・・・・ | 
| ぜいたく | 
| わが子や孫たちには、いい思い出をうんと作ってやりなさい。 | 
| 小遣いを与えたり、おもちゃを買い与えたりするのもいいですが、 | 
| 自然の中で、自然とあそぶ体験をたっぷりと与えてやりなさい。 | 
| おもちゃのことなど、半年もすれば忘れてしまうけど、 | 
| 自然の中であそんだ記憶は生涯残るものです。 | 
| 物があふれる現代で最高の”ぜいたく”は | 
| 自然に遊んでもらうことだと思います。 | 
| プロ | 
| プロフェッショナルとは何でしょう?と聞かれて | 
| 「それが好きで好きでしかたがないという人でしょう」と答えた一人の漁師がいる。 | 
| 何年もカツオの水揚げ日本一になった、凄腕の漁師である。 | 
| 足りる | 
| いただいて足りてひとりの箸を置く 山頭火 | 
| 未熟な私にはまだまだ遠い境地である。 | 
| いくらいただいても、まだ足りないと思ってしまう欲の深さ、 | 
| 「ひとりの箸」を置いて感謝する澄み切った境地になれないのは、修行不足の表れ・・・・・ | 
| きょう一日を懸命に生きる、という単純明快な目的は同じはずなのだが・・・ | 
| いつかたどり着きたいと思う境地である。 | 
| 結婚 | 
| 結婚して夫婦になるということは、 | 
| 否応なく至近距離から互いに相手を見るということ・・・・ | 
| 遠くから見ていたときには見えなかったものが | 
| すばらしいものもイヤなものもひっくるめて、容赦なく目に入ってきます。 | 
| 結婚式は、 | 
| それも覚悟の上です、と宣言する儀式なのです。 | 
| 財産 | 
| この夏帰省した孫たちは、 | 
| 小躍りしてカブトムシを2、30匹持って帰った。 | 
| その気になればいくらでも見つかるカブトムシだが、 | 
| 一匹でも貴重なのに、20匹も30匹も手に入れた感動を | 
| 孫たちはきっと心に刻んだに違いない。 | 
| こころが踊った記憶は、 | 
| 生涯消失することのない、かけがえのない財産であると思う。。 | 
| 魅力 | 
| 自分に”魅力”はあるのか?・・・・・ | 
| それが気になり、外見や容姿でそれを問う時期がある。 | 
| 人間であれば、それも悪いことではない。 | 
| 問題は、 | 
| 外見や容姿で問えなくなった時だ。 | 
| 代わりを探そうとするが、それは容易なことではない。 | 
| 魅力とは人を魅了して惹きつける力・・・・・ | 
| 自分にあるとすれば、それは何なのか・・・・難問である。 | 
| 季節 | 
| 小春日和の陽だまりにすわってぼんやりしていると思うんです。 | 
| ずいぶんいろんなことがあったんだなぁ・・・ | 
| あんなことも、こんなことも、みんな私の人生に刻まれたできごと・・・・ | 
| 一つひとつのできごとにつながって浮かんでくる思い出にも、 | 
| 何だかとてもなつかしい匂いがするんです。 | 
| 人はこうやって齢をとっていくのか、とあらためて考えさせられています。 | 
| どんな人の人生にも、その長短を問わず季節があると言った人がいます。 | 
| そうか・・・あれはみんな私の季節だったんだ・・・・ | 
| そう思いながら眺める山々の紅葉が、 | 
| やけに目にしみます。 | 
| せっかく | 
| せっかく生まれてきたんだから、 | 
| 泣いたり、笑ったり、だれかを好きになったりしなくちゃいけないね。 | 
| おもしろくない、つまらないものだと見切りをつけるのはまだ早いと思うよ。 | 
| 人生には思いのほか楽しいことがいっぱいあるんだからね。 | 
| せっかく生まれてきたんだから・・・・ | 
| この齢になるとほんとにそう思うんだ。 | 
| 支え | 
| 支えてくれた人のありがたさは、 | 
| その人の支えを必要としなくなったときにわかる。 | 
| 温かいのは | 
| 自分の前に立ちはだかって、 | 
| 冷たい北風を防いでくれる人がいるのではありませんか。 | 
| 身も心も凍らずに冷たい冬が乗り切れるとしたら、 | 
| その人のおかげです。 | 
| そうだと気がついたときに、そっとありがとうの気持ちを | 
| 伝えておきませんか。 | 
| あきらめる | 
| 未練はある。 | 
| まだあきらめたわけではない・・・・・ | 
| そう言い聞かせながら、 | 
| 人は徐々にあきらめていく。 | 
| けんか | 
| 口げんかでは負けたくない、と女は思う。 | 
| 男は、口げんかで勝とうとは思わない。 | 
| 「けんか」に対する考え方の違いである。 | 
| 知っておいて損はない。 | 
| 活路 | 
| 「いまさらもう・・・・」と思い、とうていできないと思いこんでいる事の中に、 | 
| 新しい活路を拓くヒントがあることが多いんです。 | 
| 「いまさら・・・」と思っていることはありませんか。 | 
| 意味 | 
| 子どもは大きくなり、やがて独り立ちして巣立っていく。 | 
| それは古今東西世の習い・・・ | 
| 残される親は、うれしくもあり、淋しくもあり・・・・ | 
| 自分は何のためにこの世に生まれてきたのか、は | 
| 巣立っていく子どもの後ろ姿が教えてくれる。 | 
| 子育てが終わりに近づくと、 | 
| 人はようやく自分の一生の輪郭と意味がわかってくる。 | 
| 後戻り | 
| もう後戻りはできない・・・と感じる時があるでしょう。 | 
| 若いころなら、意を決して決断した時であり、 | 
| 齢を重ねると、人生をふり返り今の自分を思う時・・・・ | 
| 後戻りができない、という厳粛で恐るべき事実にぶち当たると、 | 
| 人間、顔つきが変わります。 | 
| いつでもやり直せると考えていた自分の甘さや愚かさに | 
| 青ざめます。 | 
| 心残り | 
| 10年前、どこで何をしていただろうね。 | 
| 20年前は?・・・・・ | 
| そうやって考えてみると、 | 
| 自分の人生の軌跡がはっきりと見えてくるじゃないか。 | 
| そう・・・あれからもう10年、20年生きてきたんだよ。 | 
| これからもそうやって年月が過ぎていくんだろう。 | 
| 何はともあれ、 | 
| 心残りだけは、なくしておきたいものだね。 | 
| 値打ち | 
| 自分という人間の”値打ち”は、 | 
| 自分が一番よく知っている。 | 
| だが、 | 
| その値打ちを人の目に見えるようにするのは、自分ではない。 | 
| それはだれかほかの人間の役割だ。 | 
| それを自分だと勘違いをすると、 | 
| まちがいなく「いやな奴だ」と言われる。 | 
| ドラマ | 
| テレビ番組で「時代劇」の人気が高いらしいね。 | 
| 現実味のない、作り物のドラマが横行しているからじゃないかと思うんだ。 | 
| 子どもや若者だけをねらった内容を考え直して真面目にやらないと、 | 
| リモコンの選局ボタンで簡単に飛ばされてしまうだろう。 | 
| 骨があり、見ごたえのあるドラマを待っているおじさんたちは多いと思うよ。 | 
| ・・・・・・・・ | 
| 夜7時か8時ころまで仕事をして、風呂に入って一杯飲んだお父さんたちが | 
| 楽しみにしてテレビの前で見てくれるだろうか・・・・ | 
| それが私の作品づくりの原点です。 | 
| 倉本聡 「北の国から」原作者 | 
| 経験 | 
| 誰だって初めからうまくはいかないもんだ。 | 
| 経験を積んで慣れることも大事なこと・・・ | 
| その間の失敗は、 | 
| 心配しなくても大目に見てもらえる。 | 
| むろん、許されない失敗もあるだろうが、 | 
| みんなそれをくぐって一人前になってきたんだ。 | 
| 君ならできる。がんばれよ。 | 
| 親不孝 | 
| 父親から伝えてもらったことは何ですか。 | 
| 母親から伝えてもらったことは何ですか。 | 
| その答えを求めず、探そうともしないとしたら、 | 
| それが最大の親不孝です。 | 
| 伝えてもらったもので、あなたも私も生きてきたのですから・・・・ | 
| いい人 | 
| いい人だった・・・・ | 
| おそらくもう会うことはないが、そう思う人がいる。 | 
| 君がそう思うなら、その人も君のことを | 
| きっとそう思っている。 | 
| 大仕事 | 
| 平凡な人生とは、 | 
| あなたの一生に一度の大仕事は何?と聞かれて、 | 
| 何も思い当たらない人生である。 | 
| 豊かに | 
| 豊かに生きたいと思います。 | 
| 世評を気にしないで、自分の思い通りに生きたいと思います。 | 
| 懸命に積み上げてきた過去ですが、それに振り回される生き方はごめんです。 | 
| 豊かに、ひたすら心豊かに・・・・・ | 
| 責任は自分でとります。 | 
| 男 | 
| 男は会話を楽しむ生き物ではない。 | 
| 待つ | 
| 明日届く手紙は、明日にならなければ読めない。 | 
| 待つのはイヤだ、とメールを使えば瞬時に便りは届く・・・・・・ | 
| 待つことが欠点になる世の中では、 | 
| 人はみんな生き急いでいるように思えてしかたがない。 | 
| だから、待つことが当たり前であった時代の人たちよりも | 
| 早く齢をとっている。 | 
| 別れ | 
| 人生は出会いと別れ・・・・ | 
| いい出会いは誰にも訪れる。 | 
| だが、 | 
| いい別れはめったにない。 | 
| 誠意 | 
| 思い通りになったら、 | 
| そのために切り捨てたものに手を合わせなさい。 | 
| それが誠意です。 | 
| 涙 | 
| 人一倍涙もろい人間だと承知している人は多いだろう。 | 
| 若いころ、それは恥ずかしいことであったはずだ。 | 
| しかし、 | 
| いまはそう思わない。 | 
| 魂の振幅が衰えていない証拠であり、 | 
| 最も自分らしい自分を感じることが出来ると思うからだ。 | 
| 涙とともにこみ上げてくるものには、 | 
| さまざまな自分の歴史がとけこんでいる。 | 
| 親 | 
| 親指は、いつも小指たちの方を向いている。 | 
| しかし、小指たちは親指の方を向いてはいない。 | 
| 親・・・ | 
| 子育ての苦労を思えばさびしいが、そういうことだ。 | 
| 平穏 | 
| やれることは十分にやった・・・ | 
| 明日からの平穏は、 | 
| そう思うこと以外には訪れない。 | 
| 想 | 
| 思い出すと切なくなるが、 | 
| 幸せに暮らしているのならそれでいい・・・・・ | 
| そう思える人の数だけ、 | 
| 君の人生にも弾んだときがあった。 | 
| 景色 | 
| 道の長短を問わず、いっしょに歩いた人は、 | 
| 同じ景色を見てきた・・・・・ | 
| 共有しているその景色を通じて、 | 
| つながっていられる。 | 
| 答え | 
| 手の届かないところにあるりんごを見ている・・・ | 
| 触ることも食べることもできないが、 | 
| きっとおいしいんだろうな・・・と想像することはできる。 | 
| 腹は満たないが、心は満たせる・・・・・ | 
| 君の相談への答えだ。 | 
| 力 | 
| 朝、床から起き上がる力は、 | 
| 少なくとも、絶望していないから湧いてくる。 | 
| どんなにささやかでも、今日を生きる目標があるから、 | 
| 布団や毛布をはねのけられる。 | 
| 人生 | 
| いい人生だった、と思いたい。 | 
| だから、 | 
| 今日を最良の日にしておきたい・・・・・・ | 
| それを繰り返していくだけだ。 | 
| 会話 | 
| 最近、だれかと心温まる会話をしましたか。 | 
| こころが何となく冷えていくと感じるのは、 | 
| そんな会話がないからかも知れません。 | 
| かつて温まる会話を交わした人が恋しくなる季節・・・・ | 
| 秋。 | 
| 若い君たちへ | 
| やりたいことを、やりたいように思い切りやって | 
| うんと恥をかきなさい。 | 
| 一途に惚れこんだものを失って、 | 
| うんと傷つきなさい。 | 
| おのれの力のなさ、内面の醜さ、未熟さを存分に味わいなさい。 | 
| 君たちの時期に満身創痍にならなきゃ、 | 
| 一人前の大人にはなれません。 | 
| 教え | 
| 糟糠(そうこう)の妻は堂より下(くだ)さず | 
| お金もなく、つつましい暮らしをしていたころからともに苦労をしてきた妻を、 | 
| 豊かになった今も大切にしなさい、という教え・・・・・ | 
| 実践していますか。 | 
| 初恋 | 
| 遠い昔の初恋のあの人は、 | 
| いまごろ、どこでどうしているのでしょうね。 | 
| 人生ではじめて異性を意識させてくれた人ですから、 | 
| たとえ向こうは覚えてくれていなくても、こちらが忘れることはありません。 | 
| どうか幸せに暮らしていてほしいと思います。 | 
| 齢 | 
| いつの間にかこんな齢になってしまった・・・・ | 
| そう感じるのは人生も真ん中あたりをすぎたころからだ。 | 
| どこへ向かっているのかわからなかった自分の行き先が、 | 
| 見え始めてきたころでもある。 | 
| 後戻りはもうできないのだ、という予感が | 
| 齢の重みをより鮮明に感じさせる。 | 
| 仕事 | 
| 最高の仕事とは何ですか? | 
| 自分はこれをするために生まれてきた、と思える仕事でしょう。 | 
| 最善の仕事とは何ですか? | 
| 生きていくために汗を流し、手を汚す仕事です。 | 
| 最良の仕事とは何ですか? | 
| その仕事から退いた時に、「我ながらよくやった」と思える仕事です。 | 
| 一つだけ | 
| 神様は、他のすべては与えても、一つだけ与えずに人間を作ったのではないだろうか。 | 
| 一つだけ、どうしても足りないのだ。 | 
| だから生涯それを追い求める人生になるだろう。 | 
| 足りないものが何か、によってその人間の人格や個性の土台が決まっていく気がする。 | 
| 奇跡 | 
| 君とぼくがこうしてつながっていられるのは、 | 
| 奇跡に近いことだと思います。 | 
| 齢をとって思い出す人々の、最初の何人かの中に君がいるからです。 | 
| かつて関わりのできた数えきれない人たちの中で、 | 
| はじめに君のことが思い出せる幸せを感じています。 | 
| 惚れる | 
| 突然出会って、ハッとして、見とれて、やがて虜(とりこ)になる・・・・ | 
| 人であれ物であれ、 | 
| 何かに”惚れた”人間は、必ずこの道を通る。 | 
| 挫折 | 
| 一度も挫折した経験がない、なんて自慢するもんじゃないよ。 | 
| ”私はまだ若造です”と公言するようなもんだ。 | 
| へし折られ、ぺしゃんこになった苦い経験をした者にはね、 | 
| 信じられないほど強靭な「根」が生えるんだ。 | 
| そうでなきゃ、今こうして立ってなんかいないだろう。 | 
| 一度はつぶれたが起き上がり、立ち上がったんだよ。 | 
| しかも自力でね・・・・・・ | 
| 健気 | 
| どういうわけか、健気(けなげ)なものにはめっぽう弱いんだなあ。 | 
| 弱いのに、小さいのに、苦しいのに、悲しいのに、寂しいのに、 | 
| それをじっと耐えて懸命に何かに向かっていく姿を見ると、 | 
| 胸がつまって、もうだめだ。 | 
| 人間のいちばん美しい姿だと思ってしまう。 | 
| まちがってはいないと思うんだが・・・・・ | 
| 理不尽 | 
| 人間というやつはなぁ、 | 
| わけもなく、ふいに寂しくなる時があるもんだ。 | 
| 満たされていると思っていても・・・だ。 | 
| なぜだかわからず、結局ただ黙って耐えるしかない・・・・ | 
| 理不尽だが、生きてりゃそういう時もある。 | 
| ・・・・悲しみを経験し、自分の中に刻みこむことで | 
| 人間は深くなり、成長し、包容力を持つようになります。・・・・・ | 
| (宗教学者 島薗 進) | 
| もう一歩 | 
| あのとき、 | 
| もう一歩踏み込んでいれば、もっとちがった展開になっていた・・・・ | 
| その通りだが、そうはしなかった。 | 
| それもまた自分の人生。 | 
| 自覚 | 
| 横に生きようとする人か、それとも縦に生きようとする人か・・・ | 
| 自分を知ると言うなら、まずそれを自覚することだ。 | 
| 一日 | 
| いい一日を過ごしたければ | 
| だれかの悪口を言わないことです。 | 
| 最良の一日にしたければ、 | 
| 自分ほど恵まれた者はいない、と感謝することです。 | 
| よくない一日は、 | 
| 黙っていても、むこうから気まぐれにやってきます。 | 
| 負けたくない | 
| それが励みになり、目標となるなら、 | 
| 「あいつにだけは負けたくない」と思うのは悪いことではありません。 | 
| いつか肩を並べる日も来るでしょう。 | 
| 「負けたくない」はそこまでです。 | 
| そこから先に生まれる感情は、 | 
| どんな理屈をつけようが、醜いものになっていくだけです。 | 
| 失敗談 | 
| 人は、自分の失敗談をいろいろと語るが、 | 
| 最も痛い話は誰にも話さない。 | 
| 瞑想 | 
| ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」・・・・ | 
| こころがざわめく時、ぜひ聴いてごらんなさい。 | 
| 解決 | 
| 渡れそうもない河でも、足を踏み出さなければならないときがある。 | 
| 登れそうにない山でも、頂をめざす覚悟をしなければならないときがある。 | 
| そうしなければ解決はない、と思えたら、 | 
| 人は深呼吸をして、歩きはじめるものだ。 | 
| 祭り | 
| どんなににぎやかに盛り上がっても、 | 
| どんなに心満たされても、 | 
| 祭りはいつか終わる。 | 
| そう、あれはたしかに祭りであった・・・・・ | 
| 喜び | 
| かつては、もらうことが喜びであった人も、 | 
| やがて分け与えることが喜びになる・・・・ | 
| どうやらそれが齢をとることだとわかってきた。 | 
| 風のように | 
| 風のようにやってきて、 | 
| 風のように去って行った・・・ | 
| 心から消えない人って、 | 
| みんなそうなんだよなぁ・・・・・ | 
| 友 | 
| なぜ君が友なのか・・・・ | 
| かつて君と共有したものが、 | 
| 今も僕を支えてくれているからです。 | 
| かつて君と分け合ったものが、 | 
| 今も僕の手の中にあるからです。 | 
| 友 | 
| 相手のことなら何でも知っている、というのが友ではない。 | 
| ただ一点、 | 
| どんな人間なのか、その本質を知っているだけである。 | 
| 此岸(しがん) | 
| もうすぐお彼岸・・・ | 
| 彼岸とは、仏教では欲や煩悩から解放された世界のこと、仏たちの住む世界である。 | 
| その一方で、欲や煩悩に満ち溢れた現世を「此岸」という。 | 
| サンスクリッド語で「サハー」と言い、中国語で「娑婆」と書く。 | 
| 日本語の「シャバ」の語源である。 | 
| 此岸も彼岸も関係ないバチ当たりなおじさんだが、 | 
| シャバのおいしい空気だけは存分に吸っている。 | 
| お彼岸には、せめて近くのお墓のまわりの草刈りに汗を流すとしよう。 | 
| あのときのまま | 
| 記憶の中で生き続ける人って、 | 
| いつまでも齢をとらないんですね。 | 
| あのときのまま・・・・・ | 
| 自分や毎日見ている人たちはどんどん齢をとっていくのに、 | 
| その人のことを想うときには、 | 
| いつまでたっても”あのときのまま”・・・・・ | 
| 思い出が美しい理由の一つです。 | 
| 充実 | 
| 充実した日々は、 | 
| 小さな夢をもつことから始まる・・・・と言ってもよい。 | 
| 小さな夢・・・あこがれや予定や計画も含まれる。 | 
| 一つが叶えば、また次の一つを・・・・というように | 
| 絶え間なく小さな夢をもつことができるから、 | 
| 人はそう簡単には倒れない。 | 
| 願い | 
| 遠くで暮らす子どもたちに、 | 
| 親としてしてやれることは限られます。 | 
| ただ一つ、心掛けていることは、 | 
| 両親がそろって仲よく元気で暮らしているという事実をつくってやること・・・・ | 
| あたりまえのことのようですが、 | 
| 子どもにとっては | 
| それが何よりの支えになることがあると学んだからです。 | 
| 恙(つつが)なく暮らせと祈る親心に負けないくらい、 | 
| 子どもたちも心からそう願っています。 | 
| すごい | 
| すごいなあ・・・と思わせる人がいる。 | 
| 才能や生き方に、とうていマネのできないものがあると感じた時だ。 | 
| すごいのだから、素直に感動しておけばよい。 | 
| 何か欠点があるはずだ、などとアラ探しをするのは、 | 
| 「みっともない」が倍になって返ってくる。 | 
| 花咲き山 | 
| その山には、いいことをすると人知れず一つ花が咲く・・・・・ | 
| 斉藤隆介さんの童話「花咲き山」だ。 | 
| ほめられるようないいことはあまりしていないが、それでもたまにはある。 | 
| オレの花は咲いただろうか、どんな花だろう・・・・ | 
| 咲いた花を想像しながら暮らすというのも、 | 
| いいもんだと思う。 | 
| 父母 | ||||
| どんなときも、 | ||||
| 必ずお前たちの後ろに立って見守っている・・・・・ということを | ||||
| 子どもたちに伝えるために、 | ||||
| 父は存在している。 | ||||
        
  | 
      
| 日本語 | 
| 梅雨(つゆ)と露(つゆ)・・・ | 
| 橋(はし)と箸(はし)・・・ | 
| 柿(かき)と牡蠣(かき)・・・・・ | 
| 発音してごらん。 | 
| 甘える | 
| 甘えてくる子は誰からも可愛いがられるが、 | 
| 甘えたいのにうまく甘えられない子がいる。 | 
| 甘える相手に恵まれない子もいる。 | 
| 甘えてはだめだとしつけられた子もいるだろう。 | 
| みんな甘えたい気持ちがあるのに、それを我慢している・・・・、 | 
| そんな子どもは、甘える子の何倍もの力で抱きしめてやりなさい。 | 
| 甘えていいんだよ、と教えてやりなさい。 | 
| それがきっとその子の生きる力になる。 | 
| かならず | 
| この広い世の中に、 | 
| 今、君のことを思い浮かべている人がいる。 | 
| かならずいる。 | 
| こころが寒くならないのは、 | 
| そのおかげだよ。 | 
| 夢 | 
| ほんとうに小さな、他人には何でもないようなことが | 
| ”夢”になるんだよ。 | 
| そのためにあれこれ思いを巡らせ、段取りを考え、実現したあとを想像する・・・・ | 
| 大望を抱けなどとは言わないから、 | 
| 手を伸ばせば届く小さな”夢”をまず持ってみることだね。 | 
| そしてその実現のために全力を出してごらんなさい。 | 
| それを何度も何度も繰り返しているうちに、 | 
| しあわせになっていくんだ。 | 
| 後悔 | 
| せめて・・・・したかった | 
| 後悔を表すのにこれ以上の言葉はない。 | 
| 自分の中にある”後悔”を思い起こしてみるがいい。 | 
| あの時、せめて、何をしたかったのか・・・・ | 
| それがはっきりすれば、 | 
| 少し楽になる。 | 
| もう一つ | 
| もう一つ・・・が欲しくなるときは、 | 
| 最初の一つを忘れかけている。 | 
| ない | 
| いっぱいあるように見えるときには、 | 
| ほんとうは一つもないんだなぁ・・・・ | 
| できない | 
| ほんとうは・・・・したかった、という話はよく聞くけどね、 | 
| もしその場にもう一度いても、 | 
| きっとできないことだと思うよ。 | 
| 答え | 
| レストランで、みんな別々の注文をするだろう? | 
| どういうわけか、隣の人の食べているものがおいしく見えるもんだ。 | 
| なぜそうなるのか、考えてみたまえ。 | 
| その答えを持っていることが、 | 
| 人生では結構役に立つんだ。 | 
| 夢見る | 
| 思いをよせる・・・・ | 
| いい表現である。 | 
| 届かないとわかっていても、届けと祈り、 | 
| 叶うはずのないことを夢見る・・・・ | 
| そんな夢を見ている時は、 | 
| たましいは束縛から解き放たれて、自由にとび回っている。 | 
| やがて現実にもどり、つかの間の自由は消え去るが、 | 
| 気にすることはない。また夢をみればよいのだから・・・・・ | 
| 虚しいことだと笑う者には笑わせておけばよい。 | 
| 涙 | 
| うれしくて、悲しくて、切なくて、 | 
| 涙を拭いた回数だけ、 | 
| にじむ涙を呑み込んだ回数だけ、 | 
| 君は人知れずやさしくなっていった・・・・ | 
| 何度も何度もやさしくなって、 | 
| そうして、今の君がいる。 | 
| 齢 | 
| 齢をとるというのは寂しいもんじゃ。 | 
| いっしょに齢をとってくれる者がいるんなら、 | 
| そりゃあ、幸せというもんじゃろう。 | 
| だれもみんな齢をとるんじゃが、 | 
| できればだれかといっしょに齢はとりたいもんじゃ・・・・・・ | 
| 罪と罰 | 
| 誰かを悲しませた、誰かを傷つけたことが”罪”だとすれば、 | 
| 多くの人は少なからず、罪を犯して生きてきたと言ってもいいだろう。 | 
| 罪を犯せば、当然”罰”がある。 | 
| 罰はすでに実行されているはずであるが、 | 
| よくよく思い出してみると、当てはまる心当たりはあるものだ。 | 
| 「そうか、あの罪の罰はそういうことだったのか・・・」と思う。 | 
| 出会う | 
| いつかあなたに出会える日を心待ちにしながら、、 | 
| あなたと同じ時間をどこかで生きている人がいる。 | 
| 生 | 
| 若いころ、世の中は大きく揺れ動いていた。 | 
| 夢や希望や幸せは、フワフワと空中に漂っていて、 | 
| 手を伸ばしてつかむものだとだれもが思っていた。 | 
| しかし、齢を重ねるにつれて、幸せとはそんなあやふやなものではなく、 | 
| 大地にしっかり根を張り、平凡でも日々を懸命に生きていくことなのだと気づいていく・・・・・ | 
| すべての人が、とは言わないが、 | 
| 多くの人がそのことに気づいて、今を生きている、という気がする。 | 
| 流れ | 
| 川は、 | 
| 黙っていても流れるべき方に流れていく。 | 
| 見守っていれば、 | 
| いずれ海にたどり着く。 | 
| 手出し、口出し無用・・・ということもある。 | 
| 尺度 | 
| 人はそれぞれの事情を背負って生きている・・・ということが理解できないから、 | 
| 自分の尺度だけで他人を測ろうとするんだなあ。 | 
| そしてその尺度で測れない相手には、悪口が出る。 | 
| 何十年生きてきたって、自分の尺度なんて貧弱なもんだ。 | 
| 相手を深く知ることもなく勝手に測ろうとするな。 | 
| 相手には相手の尺度がある。 | 
| ここまで | 
| ここまで育ててくれて、ありがとう。 | 
| ここまで見守ってくれて、ありがとう。 | 
| ここまで忘れずにいてくれて、ありがとう。 | 
| ここまで支えてくれて、ありがとう・・・・・ | 
| 自分には「ここまで・・・・してくれて、ありがとう」と言える相手がいることを | 
| 忘れてはなりません。 | 
| 気になる | 
| 最初、理由はわからないが、何かが気になった・・・・ | 
| 何かがひっかかったのだ。 | 
| 一度気になりだすともう止まらない。 | 
| どんどん大きくふくらんで、美化され、やがて支配され、すべてだと思いこむ・・・・・ | 
| 恋。 | 
| わるくない。 | 
| 美 | 
| 美しい風景を形作っているものは | 
| その風景の中にあるから美しい。 | 
| 取り出したとたん、色あせていく。 | 
| 願望 | 
| 素直で気立てがいい、といえば好感度の高い女性の決まり文句だ。 | 
| 女性には失礼だが、そうめったにお目にかかれるものではない。 | 
| 多くの場合そんな人がいたらいいな、という願望である。 | 
| よくできたもので、恋に落ちた男性の目には、 | 
| 相手はまちがいなく「素直で気立てがいい」女性に見えている。 | 
| 思い出 | 
| 心が燃えた記憶を”思い出”と言う。 | 
| 長い時間をかけてゆっくり燃えたものもあれば、 | 
| 一瞬にして燃え尽きたものもある。 | 
| いずれにせよ、燃えて熱く熱を発したのだ。 | 
| その熱が冷え切っていないので、燃えた時が思い出せる。 | 
| 叱る | 
| 叱るというのは、 | 
| 怒りを相手に伝える行為だ。 | 
| だから、相手になぜ自分が怒っているのか、 | 
| 何が許せないのか、が伝わらなければ意味がない。 | 
| ただ声の大きさや、表情だけでは伝わったように見えても、実際は | 
| 叱る”演技”をしているだけだといってもよい。 | 
| 怒りを伝えるときに、怒りを形として前面に出しては失敗する。 | 
| 静かに語る言葉に怒りを込めよ。 | 
| 孫たちへ | 
| 人の痛みがわかる人間、 | 
| わからなくとも、わかろうとする人間になりなさい。 | 
| おじいちゃんが伝えておきたいのは、 | 
| それだけです。 | 
| 流れ | 
| 流れに乗るのは楽でいい。 | 
| 流れに逆らうのは骨が折れる。 | 
| そもそも”流れ”とは | 
| 大多数の人間がその方向に同様の価値を見ている状態・・・ | 
| 価値を共有し、「そうだ、そうだ」と言っておれば大した問題は起こらない。 | 
| それはいやだと、違う価値を求めようとすれば相当な圧力に晒される。 | 
| 乗るのか、逆らうのか、どちらを選んでも | 
| ずいぶん先になってその選択の通信簿は返ってくる。 | 
| 天才と凡人 | 
| たった一人の天才が、 | 
| 不可能だと思われていたことに可能性の道をあけてくれる。 | 
| 天才の役目とはそういうことだ。 | 
| ならば、我ら凡人の役目とは? | 
| 天才が見つけてくれた道を、踏みならしてだれもが通れる道にすること。 | 
| それは天才一人ではできないこと・・・・ | 
| 天才もすばらしいが、 | 
| 凡人もそれに劣らず、すばらしいじゃないか。 | 
| なのに、多くの人が天才のようになりたいと悪戦苦闘する。 | 
| となり | 
| 多くの人が近寄ってきて、やがて去って行った。 | 
| 今、君のとなりに誰がいる? | 
| 齢を重ねて今日まで、いろいろあったのに | 
| 離れず君のとなりにいてくれた人は、 | 
| この世で君がめぐり会うべき人だった・・・・ | 
| 他の人ではだめだったのだ。 | 
| 大切にしなくちゃ・・・・ | 
| 刻む | 
| ”めぐり会う”というのは、 | 
| その後や、結果には関係なく、 | 
| ”深く心に刻まれる”ということであろう。 | 
| 刻まれているので、雨風や風化に耐えて残り続ける・・・・ | 
| そのしくみを考えれば | 
| 生涯にそう多くは望めない。 | 
| 邂逅なくして、人生に彩りなし・・・・ | 
| あきらめる | 
| 縁がなかったのだからあきらめろ、と言われて | 
| それもそうだとあっさりあきらめる人はまずいないだろう。 | 
| あっさりあきらめられたというなら、 | 
| それこそ確かに縁がなかった話である。 | 
| 未練はそんなにヤワなものではない。 | 
| 縁がなかったのではない、 | 
| 縁はあったが、固く結べなかった・・・・・ | 
| そう思うのが未練である。 | 
| 日常茶飯事 | 
| ついさっきまで覚えていたことが思い出せない。 | 
| 顔はわかるが名前が出てこない。 | 
| 毎日見ているはずなのに、とっさにその名前が浮かんでこない・・・・・ | 
| 驚くことはない。日常茶飯事である。 | 
| 巷ではこの現象を”老い”と言うが、 | 
| 当事者に言わせれば、覚えておく必要のない事柄だから出てこないだけ。 | 
| 限られた記憶量なので、自動的に取捨選択されたということである。 | 
| 安全装置が働いたのだと思えばよい。 | 
| 残す | 
| そこを去るにあたって、 | 
| 残しておかなければならないものが一つだけある・・・・ | 
| 仕事、住み慣れた場所然り、 | 
| 人生もまた然り。 | 
| 分かれ目 | 
| 男と女、始まりは恋・・・・・ | 
| 熱病である。 | 
| 手の施しようのない熱病だが、いつまでもは続かない。 | 
| 熱が一旦治まったときに見えたものが、 | 
| その後の運命を決める。 | 
| 役目 | 
| 枯れるという現象の前には、 | 
| 必ず役目を終えたという事実がなくてはならない。 | 
| そろそろ、その時期を迎えるが、 | 
| さて、役目とは何だったのだろう・・・・・と思う。 | 
| 残り | 
| 残りが少なくなってきたときに、 | 
| 人は、 | 
| はじめてその価値や重みに気がつく。 | 
| 同時に、別れが切なくなる。 | 
| 男 | 
| その方が楽だとわかっていても、 | 
| それがだれかの情けに頼ることであれば、 | 
| それを退け、あえて別の道をさがす・・・・ | 
| 女性にはなかなか理解してもらえないこの心情が、 | 
| 難局であればあるほど男の行動を左右する。 | 
| 男とは、 | 
| どうにもこうにも厄介な生き物である。 | 
| 違い | 
| 結婚記念日を何よりも大切な日として忘れない女と、 | 
| 数ある記念日の一つにすぎないと思う男・・・・ | 
| 男と女の根源的な違いなのだから、 | 
| 不満はあるだろうが、心配しなくてもよい。 | 
| 責任 | 
| きれいに澄んでいたのに、濁らせてしまったのがあなたなら、 | 
| その責任をとらなくてはなりません。 | 
| どうとるかって? | 
| 時間はかかっても、元どおりの澄んだ水になるまで見守ることでしょう。 | 
| 口出しや手出しは一切無用です。 | 
| 思い出 | 
| 小さな、ほんとうに小さなできごとが一つ、 | 
| 心の中で埋火のように消えずに熱を放っている。 | 
| その熱のおかげで時おり冷えそうになるこころが温まる・・・・・ | 
| 思い出とともに生きるというのは、 | 
| そういうことだ。 | 
| 妻 | 
| 手帳の予定欄に小さく「結婚記念日」と書き込む女性・・・・ | 
| 妻にするなら、そんな人がいい。 | 
| 幸せ | 
| 人は、 | 
| 過ぎ去ったあとで | 
| 幸せであったことに気づく。 | 
| 衣装 | 
| 女性が美しく着飾ろうとするのは、 | 
| 男性の目をひくということよりも、同じ女性の目を意識するからだ、と言った人がいる。 | 
| 動物界では、派手な色彩の衣装をまとうのは決まってオスの方であることを考えると、 | 
| なるほど、そうかも知れない。 | 
| 男性は衣装で女性を見てはいない。 | 
| 愛 | 
| 愛があれば生きていける、というのは | 
| ちょっと違うんだなぁ。 | 
| その愛を阻もうとするものに | 
| 二人で力を合わせて立ち向かうから生きていけるんだと思うよ。 | 
| 嫉妬 | 
| いやがらせは、 | 
| いつも嫉妬の裏返しです。 | 
| 秘める | 
| 心の奥に秘めたことは、 | 
| だれにも知られてはなりません。 | 
| だれにも・・・・・です。 | 
| 勝負 | 
| 軽蔑する相手と勝負することはない。 | 
| もしも仕掛けられたら、 | 
| 負けたふりをしておけばよい。 | 
| 勝負は、 | 
| 相手にとって不足のない者とやるものだ。 | 
| 運命 | 
| 人は時に、 | 
| 避けようとした運命に出会うことがある。 | 
| 軽い言葉 | 
| イケメン・・・・ | 
| まあ、何という軽い言葉でしょうね。 | 
| しかし、女性を見て美人だ、美女だと騒ぐ男どもに対する、 | 
| 女性からのささやかな抵抗だと思えば、納得です。 | 
| まちがっても、男がつかう言葉ではありませんね。 | 
| トランペット | 
| 学生時代、ダンスパーティーのバックバンドとして、 | 
| 延々2時間、ステージの上で吹き続け、危うく失神しそうになった・・・・ | 
| アルバイトで博多のキャバレーのバンド演奏にも行った・・・・ | 
| 九州交響楽団の団員にならないかと誘われたこともあった・・・・ | 
| 青春時代に埋め込まれた、なつかしい思い出である。 | 
| 音楽の楽しさ、面白さに出会えたのも、この楽器のおかげであったかもしれない。 | 
| あれから40年・・・・・ | 
| 少しメッキが剥げ、錆びの見えるところもある愛用のトランペットは、 | 
| 今は押入れの奥で疲れを癒しながら眠っている。 | 
| 反省 | 
| あれほど反省したはずなのに、まったく懲りない人ですね。 | 
| でもね、 | 
| そんなあなたが、なぜか好きです。 | 
| 世間では | 
| 図々しいのは困る。 | 
| 厚かましいのには閉口する・・・・・ | 
| そう思う人は、 | 
| 少なくとも世間では、そんな人間だとは思われていない人である。 | 
| 経験 | 
| 一度も失敗や挫折をしてこなかった人間よりも | 
| いやというほど経験した人間の方が扱いにくいことは確かだが、 | 
| そんな人間の方が | 
| 計り知れない力を発揮することがあるもんだ。 | 
| 倒れて起き上がった経験の中で、彼や彼女は | 
| 必ず何かをつかんでいる。 | 
| 自然 | 
| 自然界の動物たちは、決して自然を痛めつけない。 | 
| 食べる草がなくなれば次の場所へ移動するだけ・・・ | 
| 人間は、草がなくなれば土を掘って植える。 | 
| それは、規模は小さくても自然を痛めながら生きているということ。 | 
| 痛めつけられると自然はそれに反発する、すると人間は | 
| それを押さえこもうとしてさらに痛めつけることをする・・・・・ | 
| 同じ自然界に生きているのに、なぜ人間だけがそれを許されるのか・・・・・・ | 
| ある高名な動物行動学者の話だ。 | 
| なるほど・・・・納得である。 | 
| 思い出 | 
| 思い出には、 | 
| ”できる思い出”と”つくる思い出”がある。 | 
| 後者は、圧倒的に熟年者の専門分野になる。 | 
| 人と会う、旅をする、何かに打ち込む、何かを残そうとする・・・・・・ | 
| いずれも「今のうちに・・・・」という気持ちがそうさせる。 | 
| 若い者たちは、真似をしなくてもよい。 | 
| 答える | 
| 4,5歳の幼子が聞く。 | 
| 「お空はどうして青いの?」・・・・ | 
| さて、そう聞かれたあなたならどう答えるか、 | 
| 簡単そうで意外にむずかしいこの問いにどう答えるかが、 | 
| あなたという人間の品格を物語る。 | 
| 犬 | 
| 熊に襲われた主人を助けた犬のニュースを見た。 | 
| 一つは、日ごろから臆病な犬だと思っていた飼い犬が、 | 
| 主人に襲いかかった熊に猛然と吠えかかり、熊を追い払ったという話、 | 
| もう一つは、5歳の子どもに熊が襲いかかったが、 | 
| 悲鳴を聞いた祖父が犬を放ったところ、 | 
| 命懸けで熊を追い払い、子どもの命を守ったという話・・・・ | 
| なにゆえ彼らは命懸けで人間を守ろうとするのか、 | 
| 何ごともなかったかのように、健気に暮らす彼らのこころや日常を思うと | 
| 涙が出そうになる。 | 
| 一人 | 
| 世界中にたった一人だけ、 | 
| 自分のことを誰よりも大切に思ってくれる人がいると言います。 | 
| つれあいや子どもや恋人とは限りません。 | 
| あなたから見えないところにいる人かも知れません。 | 
| たった一人だけ・・・・だそうです。 | 
| ちがい | 
| 男と女のちがいはいろいろありますが、 | 
| さあ、ここぞというときに、 | 
| 前を見るのは男、よこを見るのは女・・・という気がします。 | 
| そう思う理由は・・・・? | 
| ありません。 | 
| 対比 | 
| 若者は恋をしたいと思う。 | 
| 老人は恋をする若者を見ていたいと思う。 | 
| 若者は結婚を夢見る。 | 
| 老人は自分の結婚とは何だったのかを夢に見る。 | 
| 若者は着飾り、自分を美しく大きく見せたいと願う。 | 
| 老人は大きく見せすぎた自分の後始末に手を焼く。 | 
| 若者は老人にはなりたくないと思う。 | 
| 老人はそんな若者を苦笑いをしながら受け入れる。 | 
| 見返り | 
| 毎日のお仕事、お疲れ様です。 | 
| あなたのおかげで、 | 
| 今日もきっとだれかが笑顔になれたことでしょう。 | 
| 見返りは、すぐには手元に届きませんが、 | 
| だれかが喜んでくれたことをお土産にしてください。 | 
| 変わり映えのしない一日であっても、 | 
| あなたのおかげで”いい一日だった”と思う人が必ずいると思います。 | 
| 頼りになる人 | 
| たくさんの忠告や助言をくれる人とは限りません。 | 
| そんなものは一言も言わず、 | 
| しかし自分から決して離れることなく、 | 
| どんなときもそばに立ってくれる人であることもあります。 | 
| 見守ってくれることが、 | 
| 何よりの力になる・・・・ | 
| そんなことが確かにあります。 | 
| さざ波 | 
| 平凡だが恵まれた日々だと思っていた・・・ | 
| ある日突然、小石が投げ込まれ、さざ波が起こり、 | 
| やがてそれは大きな波となる予感を感じさせ、心を揺さぶり始める。 | 
| だが、大波になる前にさざ波は静かに去っていき、 | 
| また平凡な日々が戻ってくる・・・・・ | 
| 以前話題になった「マディソン郡の橋」という映画を見た。 | 
| この作品が多くの人に支持されたのは、大波にならなかった点にあると思える。 | 
| つまり、似たような体験をみんな持っていて、同じことを感じているということだ。 | 
| 大波になっていたら、自分の乗る船は、 | 
| まちがいなく転覆していただろう・・・・・・と。 | 
| さざ波は、思い出にして生きていけばよいと納得しながら。 | 
| 与える | 
| そんなに与えなくてもよかったのに、 | 
| あり余るほど与えてしまったんだね。 | 
| そりゃ誰だって「これはチャンスだ」と思うだろう。 | 
| こんなチャンスはもう二度とないと思うから、 | 
| 今のうちに、とやりたい放題をするわけだ。 | 
| そうなった責任の半分は、 | 
| あり余るほど与えた側にもあるんだと思うよ。 | 
| だれか | 
| だれかのために汗を流し、だれかのために心から祈る・・・・ | 
| そんな”だれか”がいる幸せを、 | 
| 忘れかけてはいませんか。 | 
| 軌跡 | 
| 都会の雑踏の中に立ってまわりを見回してみたまえ。 | 
| これほどたくさんの人間がいるのに、言葉を交わせる人間は一人もいない。 | 
| 下手に挨拶でもしようものなら、たちまち怪しい奴だという冷たい視線が返ってくるし、 | 
| ましてや”接触”などしたらすぐに警察に行くハメになるだろう。 | 
| 互いに交差したり追い越したり、追い抜かれたりはするが、 | 
| 決して接触して交わることのない軌跡を描きながら人が行き交っている。 | 
| 何と美しく、みごとで、さびしい風景であることか。 | 
| 男 | 
| 男は、想像や妄想をたくましくする生き物です。 | 
| 現実には起こりえないとわかっていても、 | 
| 想像することで満たされる生き物です。 | 
| では女は?・・・・ | 
| よくわかりません。 | 
| 不安 | 
| A:何だか怪しい雰囲気になってきたなあ。 | 
| B:何のことだい? | 
| A:自衛隊が海外で戦闘に巻き込まれ、もし犠牲者が出るような事態になったら、 | 
| もうだれも自衛隊に入らなくなるだろう。 | 
| B:そりゃそうだろうね。誰だってそんな危険な仕事には就きたくないさ。 | 
| A:少子化もあるし、自衛隊を維持しなくてはならないとしたらどうする? | 
| B:どうするんだ? | 
| A:次に出てくるのは徴兵制だろう。 | 
| B:まさか、そこまではないだろう。 | 
| A:そうだといいんだが・・・・・・ | 
| 叱る | 
| 子どもを叱る・・・・ | 
| 善悪や正誤や常識を教えるためだ。 | 
| ここまでなら、多くの親たちがやるだろう。 | 
| だが、 | 
| ”美醜”を教えるために叱る親がどれほどいるだろう。 | 
| それは美しくない、人間として醜いことだ、と諭す親を持った子どもは、 | 
| 成育環境がどうであれ、幸せな子どもである。 | 
| 瞬間 | 
| ハッとした瞬間、 | 
| ドキッとした瞬間、 | 
| 身についた不用の”うろこ”がパラパラと落ちていく。 | 
| 非日常の瞬間が見えたときに、 | 
| 人は一瞬本身の自分にもどる。 | 
| 忘 | 
| 明日になったら忘れてしまうことを、今やっています。 | 
| 明日になっても忘れないことは、 | 
| これからやろうとしていることの中にあります。 | 
| 学ぶということ | 
| 戦後の混乱や家庭の事情で中学校に行けなかった人たちが通う、 | 
| 通信制の中学校のドキュメンタリーを見た。 | 
| 70歳前後のお年寄りたちが英語や理科、数学などの勉強に立ち向かいながら、 | 
| 失われていた”学ぶよろこび”を獲得していく・・・・ | 
| 「知れば知るほど、世の中が明るく見えるんです・・・」と語るおじいちゃんから、 | 
| 人間は何のために学ぶのかを教えられる。 | 
| 学ぶことの意味や価値は、 | 
| 学べる環境が整って、その中であたりまえに過ごしている者には | 
| なかなかわからない。 | 
| 向き合う | 
| あしたもきっと難題や判断に苦しむ事態が待っていることでしょうね。 | 
| あなたのことだから、手抜きなんかしないで全力で立ち向かうのでしょう。 | 
| 誠実に向き合って解決できない問題なんて、 | 
| この世にはないのですから、 | 
| あしたに備えて、今夜はゆっくりおやすみなさい。 | 
| 庶民感覚 | 
| 某議会での”ヤジ”が問題になっている。 | 
| 人の話をだまって聞けないことも情けないが、 | 
| その内容が自分の品位を落とすことだと気づかない鈍感さも情けない。 | 
| ヤジも全面的に悪いわけではない、と言う者もいるそうだが、庶民感覚とは程遠い話だ。 | 
| 正々堂々と論陣を張れない者が大勢の中にかくれてヤジを飛ばす、というのが、 | 
| ごく普通の庶民感覚である。 | 
| 問う | 
| 子どものころは親が問うてくれる。 | 
| 学校では先生が問うてくれる。 | 
| 社会に出れば上司や同僚が問うてくれる。 | 
| だが、齢とともに自分に問うてくれる人は少なくなる・・・・ | 
| 問われることがなければ答えることもない。 | 
| 答えることがなくなれば、眠くなるだけだ。 | 
| 問われるというのは、思った以上に大事なことである。 | 
| 何か | 
| 具体的には何一つ支援などしていないのに、 | 
| 「あなたのおかげでがんばれました」と言われたことはないか。 | 
| いろいろと心配したのは事実だが、何かをしたという心当たりはない。 | 
| それでも感謝されるのは何故か?・・・・・ | 
| それは、きっと、 | 
| あなたの存在そのものであったのだろう。 | 
| 自分では気づかないだろうが、あなたにはきっと何かがあるのだ。 | 
| 鏡 | 
| 鏡を見る・・・ | 
| いちばん正直な”履歴書”である。 | 
| 若いころと違うのは、 | 
| 顔全体をまじまじと見なくなったこと・・・ | 
| 正視するには勇気がいる。 | 
| いまは全体は避けて必要な部分だけを見る道具になっている。 | 
| 色 | 
| だれだって望んだけれども手に入らなかったものがあります。 | 
| 一つや二つではないでしょう。 | 
| その中でもっとも惜しまれるもの、忘れられないものが、 | 
| あなたの人生に”色”をつけています。 | 
| その色を日々感じながら、あなたも私も生きています。 | 
| 等量 | 
| 私とあなたがこうしてつながっていられるのは、 | 
| 互いに与えたものと与えられたものが等量だからです。 | 
| どちらかに片寄っていたなら、 | 
| きっとこんな関係ではいられなかったでしょう。 | 
| 私はいったい何をあなたに与えたのでしょうね。 | 
| 不要 | 
| まっ先に捨てなければならない不要なものは、 | 
| だれかの悪口が出る自分の”口”です。 | 
| 悪口が生まれる自分のこころの貧しさです。 | 
| 器 | 
| 一人になったときに考えてみるといい。 | 
| 今突然訪ねても、迷惑がらずにむかえてくれる人間がどれほどいるか・・・・ | 
| それが”わたし”という人間の「器(うつわ)」である。 | 
| 一点 | 
| 逃げたくなる時はある。 | 
| つらくて、こわくて、せつなくて、情けなくて・・・・ | 
| そこで踏みとどまれるかどうかは、 | 
| その人間の中の、いちばん奥底に潜む小さな一点で決まる。 | 
| 名前はないが、そんな一点がたしかにある。 | 
| 共に | 
| この世で最もかけがえのないものは、 | 
| うれしいことを共に喜んでくれる人がいる、ということです。 | 
| もてなし | 
| もてなしの心得は、 | 
| 自分だったらどういうもてなしをされると心地よいかを想像してみることだ。 | 
| 自分の心地よさとは合わない人もいるだろうが、 | 
| それは仕方がない。 | 
| ”もてなし”とは、 | 
| つまるところ、想像力である。 | 
| 人生 | 
| 別に社会的に成功したわけではない。 | 
| 大きな仕事を成し遂げたわけでもない。 | 
| 平凡と言われればその通りだろう。 | 
| だが、外目からはどう見られようと、 | 
| その中で悪戦苦闘し、さまざまな喜怒哀楽を味わい、豊かに生きるために | 
| 汗を流してきたことはまちがいない。 | 
| 後世に名を残すこととは程遠い人生でも、 | 
| 燦然と輝く、立派な人生である・・・と思う。 | 
| 話 | 
| いい話・・・ | 
| 自慢できるあなた自身のいい話を | 
| 何か一つくらい、持っていますか。 | 
| 本能 | 
| 恋をすることは本能だとは通常言わない。 | 
| それは | 
| 本能だから恋をするんだ、などと不届きな輩に言わせないためであり、 | 
| 恋は神様の贈り物だ、と思う謙虚な人間が増えるようにするためである。 | 
| 本能であることはまちがいないが、 | 
| 見破られないようにうまく偽装されている。 | 
| 起点 | 
| コンプレックス(劣等意識)・・・・・ | 
| 当初はひどく落ち込むが、やがてそこから | 
| 負けるものか、きっと見返してやる、という強い思いが生まれることがある。 | 
| 誰しもその思いをバネにして何かを頑張ったという記憶があるだろう。 | 
| コンプレックスを持たない人間はいない。 | 
| 同時に、 | 
| そこを起点にして奮起しない人間もいない・・・はずである。 | 
| 男 | 
| 片手に何かを握っていても、もう一方の手にも何かを握りたいと思う生き物です。 | 
| 一つのものを両手で握ろうとはしない生き物だと言ってもいいかもしれません。 | 
| 理由はわかりませんが、そう思うことがあります。 | 
| 男とは何か、を理解するときに役に立ちませんか。 | 
| おかえりなさい | 
| よく頑張ったね。おかえりなさい。・・・・・ | 
| 久しぶりに足を踏み入れると、見慣れた故郷の山々が、そう語りかけてくれる。 | 
| 故郷を離れていた年月と、望郷の思いの深度によって | 
| 心の中でつぶやく返答は変わっていく。 | 
| 故郷・・・・自分を離れた者と故あって捨てた者とを、 | 
| 故郷の山々はわけへだてをしない。 | 
| 残してきたもの | 
| 何を残してきたのか・・・ | 
| 人生をふり返るなら、 | 
| その一点を問え。 | 
| それ以外が気になるなら、まだふり返る時期ではない。 | 
| 身勝手 | 
| どいつもこいつも身勝手な奴ばかりだ、とこぼす君は、 | 
| 愚痴を言いながらも、そいつらの面倒を一生懸命みている。 | 
| そんな身勝手な連中が、いつか君のために力の限り走り回ってくれる日が、 | 
| きっと来る。 | 
| 相棒 | 
| もう一度挑むと決めた君を | 
| 何も言わず全力で支えてくれた人を、 | 
| 粗末にしてはなりません。 | 
| きっと言いたいことは山ほどあったでしょうに、 | 
| 何も言わずにそっと背中を押してくれた・・・・ | 
| この世でもう二度とめぐり会うことはないかも知れない、最高の相棒じゃありませんか。 | 
| 大切な人 | 
| ほう・・・どうやら何かいいことがあったようですね。 | 
| うれしそうにしているあなたを見ればわかります。 | 
| うれしそうにしているあなたを見て、 | 
| 自分もうれしくなる人がきっとあなたの近くにいます。 | 
| 大切な人なんじゃないでしょうか。 | 
| 関係 | 
| おまえとおれ、あなたとわたし・・・・・ | 
| この関係を全力でつくり出すこと、 | 
| それが生きるということ。 | 
| それがしあわせになるということ。 | 
| 人間 | 
| 切り離せば身軽になれる。 | 
| 消し去ればスッキリする。 | 
| わかっていてもそれができず、明日は何とかしようと考える。 | 
| そのうちに | 
| どうにもならないことが少しずつたまっていって | 
| やがて「人生はこんなものだろう」と思うようになる・・・・・ | 
| それが人間。 | 
| 相手 | 
| ぼく、わたし、おれ・・・ | 
| どれを使う相手がいちばん多いかで | 
| 自分の今の立ち位置が決まる。 | 
| 反対 | 
| あなたは「わかりやすい人」ですか? | 
| それとも「わかりにくい人」ですか? | 
| 自己評価をして、そのどちらなのかを見極めたら、 | 
| 自分とは反対だと思う人とつきあってごらんなさい。 | 
| きっと何かが学べます。 | 
| 説明 | 
| 説明しようとするからうまくいかない。 | 
| 説明しようとするのでなく、自分の感じたことや気持ちを | 
| 自分の言葉で素直に語ればよい。 | 
| 伝わる人には、 | 
| それだけで十分伝わるものだ。 | 
| ていねいな説明は一見親切のようだが、 | 
| 時におせっかいになる。 | 
| 想うこと | 
| 晴れた日に想うことは人それぞれだが、 | 
| 雨の日に想うことは似通っている。 | 
| 雪の日に想うことになると、それはもう一つしかない。 | 
| 風の便り | 
| 風の便りで | 
| 気になっていた人や昔かかわりのあった人の消息を聞くことがある。 | 
| 良くも悪くも、多くの場合、驚く。 | 
| だれから聞いたのかはすぐに忘れてしまうが、 | 
| たしかに”風”が運んでくれたと言える知らせだ。 | 
| わたしに届く知らせがそうであるように、 | 
| わたしのことも、”風”はちゃんとだれかに届けてくれていることだろう。 | 
| 自然 | 
| すばらしい自然に囲まれたところで暮らす人たちは、 | 
| 雄大で豊かで心洗われる自然がそこらにいっぱいあるのに | 
| 決まって「何にもないところです」と口にする。 | 
| うらやましいほど豊かな自然があるのに、どうして「何もないところ」なのか・・・・・・ | 
| 旅人にはそれが不思議でしかたがない。 | 
| 答えは簡単だ。 | 
| それはあなたが住人ではなく、旅人であるからだ。 | 
| 見えている | 
| やってしまったこと、起きてしまったことをあれこれ議論しても仕方がない、と | 
| だれもが承知しているが、なかなかそれはむずかしい。 | 
| だが、そんなとき、 | 
| 「それで、これからどうする?」と投げかけることのできる人間がその場にいたら | 
| 迷わずその人についていきなさい。 | 
| 少なくとも、その問題については「見えている」人だ。 | 
| わかること | 
| つらい時や苦しい時に人は鍛えられる。 | 
| つらさや苦しさは、ただ人を希望の持てない暗闇に放り込むだけではない。 | 
| かわりに、人として大切なものをしっかりと注ぎ込んでもくれる。 | 
| 何とか乗り越えることができたあとに、 | 
| そのことが少しずつわかってくる。 | 
| 平穏な日々をまちがえることなく過ごせるのは | 
| きっとそのおかげだ。 | 
| 雨 | 
| 瓦をたたく雨音はさほど気にはならないが、 | 
| 瓦を用いない雪国の屋根をたたく雨音はやけに大きく響く。 | 
| いつの時代も、屋根をたたく雨音の大小は、 | 
| 自然環境や生活環境の厳しさを反映する。 | 
| 一日 | 
| 一日に何か一つ、 | 
| 日記に残せることがあればいいんです。 | 
| 書き切れないほどいろんなことがあったと言うのなら、 | 
| それだけで十分充実した一日だったのだと思います。 | 
| 書き残すことが何もなかった一日を経験すると、 | 
| ほんとうにそう思います。 | 
| 想定 | 
| おやおや、思いがけない結果になりましたね。 | 
| まあ、それもいいじゃありませんか。 | 
| この結果は、 | 
| 「さあ、お前ならどうする?」と聞かれているわけですから、 | 
| それはそれで、受けとめて向き合うしかないでしょう。 | 
| 「オレならこうする」という答えを示してやってごらんなさい。 | 
| 「恐れ入りました」と言わせてやりなさい。 | 
| 根拠 | 
| 10年生きれば10年分の、50年生きれば50年分の経験や知恵が、 | 
| その人の中に蓄積されていて、 | 
| ふだんは気がつかないが、 | 
| それがものごとの判断の根拠になっている。 | 
| ゆえに、誤った判断で後悔したくなければ、 | 
| 日ごろから「しまった!」という思いを減らすことに心がける・・・ | 
| 失敗も大切な経験の一つだが、 | 
| 好んで重ねるものではない。 | 
| 対立 | 
| 当事者は「部外者に何がわかる!」と言い、 | 
| 部外者は「オレたちの言い分も聞け」と言う。 | 
| 双方が対立すればするほど、 | 
| 問題の核心からは遠ざかる。 | 
| 当事者も部外者も「何とかしたい」という思いでは一致しているのに・・・・・・ | 
| 子育て | 
| 子育てに「秘訣」はない。 | 
| 自分がかつて愛されたように | 
| とにかくありったけの愛情を注いでやるだけだ。 | 
| そんなことは誰でも知っているのに、なかなかうまくいかないこともある。 | 
| それはきっと、よその誰かや、巷の”マニュアル”と比べてしまうからだ。 | 
| 愛情の注ぎ方は、親の数だけあって当然で、 | 
| おまえたちを愛していると伝えるのに、 | 
| 他人の助けやお説教は必要ない。 | 
| 好きになる | 
| 人が人を好きになるというのは、 | 
| 人をきらいになるより容易い。 | 
| きらいになるのには理由がいるが | 
| 好きになるのに理由はいらないからだ。 | 
| その分、きらいになるより、 | 
| 数が限られる。 | 
| 子離れ・親離れ | 
| 子どもの自転車の練習を思い浮かべてみるとよい。 | 
| 補助輪をはずして、初めて自力で走る練習だ。 | 
| 親は倒れてけがをしないように、自転車の後ろを支えて走る。 | 
| 親が走り疲れて手を放したとたん、子どもはよろよろしながらも自分の力で走り始める・・・・・ | 
| そう、手を放したその時が、 | 
| 子離れ、親離れの決定的な瞬間なのだ。 | 
| 危ないからといつまでも手を離さない親の子どもは、 | 
| いつまでたっても自分一人で自転車には乗れない。 | 
| 望郷 | 
| 多くの動物たちに「帰巣本能」があるように、 | 
| 人間にも似たような”本能”があるようだ。 | 
| いわば「望郷本能」、つまり故郷を想う心・・・・ | 
| もう帰ることはないとわかっていても | 
| 思い出せば懐かしさで胸がいっぱいになるのは、 | 
| そこに大切な”時間”を埋めてきているからである。 | 
| もう掘り出すこともないと思っていたそれらの”時間”が | 
| 時おり顔を出して自分の存在を訴える・・・・・・ | 
| 望郷の気持ちとは、 | 
| 埋めてきた時間と会話を交わすことである。 | 
| 責任 | 
| たいていのことは忘れてもいい。 | 
| ただ、 | 
| いやな思いをさせた人や、心に傷を与えたのではないかと思える人のことは | 
| 生涯決して忘れてはならない。 | 
| たとえもう謝る術や機会はなくとも、 | 
| 「すまなかった」という気持ちだけは持ち続けるべきだ。 | 
| それが他人の心の中に入り込んだ責任の取り方である。 | 
| 度胸 | 
| もし君に度胸があるなら、 | 
| みんながヨロイを脱いで、ホラ話に興じようとしているときに、 | 
| 一人ヨロイを着たままその場に座ってみたまえ。 | 
| 浴びせられる冷たい視線に最後まで耐えきれるなら、 | 
| 君の度胸はホンモノだ。 | 
| 望むこと | 
| 人の痛みや哀しさがわかる人間になりなさい。 | 
| わからなくても、想像はできる人間になりなさい。 | 
| それがどれほど大切なことか、 | 
| 理解できる人間になりなさい。 | 
| 打たれる | 
| 打たれ強い人間なんていません。 | 
| 少し打たれただけでオロオロし、びくびくし、息が詰まりそうになる・・・・ | 
| それが普通の人間でしょう。 | 
| 打たれ強いという人がもしもいるとすれば、 | 
| よほど肝っ玉の据わった人か、単に図々しいだけの人です。 | 
| 落ち込む必要はありません。 | 
| 打たれれば誰だって痛いのです。 | 
| 広がりと深さ | 
| かつて若さゆえのまちがいがあった。 | 
| これから先は、老いたがゆえのあやまちがあるかもしれない。 | 
| あやまちには変わりはないのだけれど、 | 
| 後悔の広がりは若さゆえのそれが大きく、 | 
| 後悔の深さは、 | 
| 老いたがゆえのそれが大きい。 | 
| 言いたいこと | 
| 言いたいことは山ほどあっても、 | 
| あえて一切語らない。 | 
| 捨てゼリフや負け惜しみほど醜いものはない、と感じる心があれば、 | 
| 何も語らなくても心の平静は保てるだろう。 | 
| 言いたいことが山ほどあるときこそ、 | 
| 口は固く閉ざす。 | 
| 指 | 
| 「おまえの責任だ!」と相手を指させば、 | 
| 三本の指は、 | 
| 自分を指している。 | 
| 場面 | 
| 遠くにいる友人や知人や大切な人を考えてみるとよいでしょう。 | 
| 親しさや思い入れの度合いが増すにつれて | 
| なぜかその人の顔を思い出そうとしても輪郭がはっきりしなくなることはありませんか。 | 
| 他の人間より格段に顔は見てきているはずなのに、 | 
| ぼやけてしまって、輪郭が定まらないのです。 | 
| あるんですね、そんなときが・・・・・・そんなときどうするか、 | 
| ”場面”を思い出すことです。 | 
| その人といっしょに何かをした”場面”を思い出してごらんなさい。 | 
| 輪郭ははっきりしなくても、 | 
| まちがいなくその人は見えています。 | 
| 心 | 
| 人間の心だって、凍ることがある・・・・ | 
| うなづける人は、かつてその経験のある人だろう。 | 
| そしてそこからまちがいなく掴んだことがある。 | 
| 終わらない冬はないように、凍った心もいつか融ける日が来る、ということを・・・・・ | 
| 大切な経験と教訓である。 | 
| 笑顔 | 
| 生後3,4か月の赤子も、 | 
| 母親の笑顔としかめっ面を見分けるというではありませんか。 | 
| 笑顔には、警戒心を解き、 | 
| 人と人を結びつける力があるということです。。 | 
| 笑顔は他人に見せるものであり、 | 
| 一人のときの笑顔はただ気持ちが悪いだけですね。 | 
| 感動 | 
| 人間について思う時、いつも感動するのは、 | 
| 新しい生命が誕生するということ、、 | 
| 人が人を好きになるということ、 | 
| 美しいものに心が動くということ・・・・ | 
| この三つがあるかぎり、 | 
| この世もまんざら捨てたものではない。 | 
| 起きる | 
| 転んだら起きる・・・ということは、 | 
| 歩き始めた幼いころに学んだ。 | 
| まさかもう忘れたわけではないないだろう。 | 
| そう、転んだら、起きるのだ。 | 
| 動物 | 
| ケンカや争いはなぜ起こるのか・・・ | 
| 答えは動物たちの生態をみればわかる。 | 
| 捕食という関係を除けば、彼らの争いの原因は二つ、 | 
| 「なわばりを守る」、「群れの順位を上げる」・・・・・ | 
| 人間はそんな理由でケンカや争いはしないと思いそうだが、 | 
| 身近なところでの経験を思い浮かべてみたまえ。 | 
| このいずれかに該当すると思わないか。 | 
| 人間も動物、例外ではないということだ。 | 
| 凧(たこ) | 
| 糸の切れた凧のような・・・・ | 
| 人物や暮らしぶりが | 
| どこへ飛んでいくかわからない、気まぐれの状態を表す。 | 
| 糸の切れない凧は、誰かの握る糸に操られ、動きを制御され、 | 
| どんなに地上から離れても自由はない・・・・・ | 
| そうだとすると、 | 
| たとえ風にもまれようと、糸を切ってみたい。 | 
| そして自分の意志で大空を漂ってみたい・・・・ | 
| そう思う凧があってもいい。 | 
| 春 | 
| ようやく雪の消えた地面から、 | 
| 待ってましたとばかりに、草花たちが一斉に芽吹き始めました。 | 
| 桜や梅、桃、あんず、コブシ、レンギョウたちも用意ドンで花を咲かせています。 | 
| みんな共に長い冬を乗り切った同志たちです。 | 
| 互いの健闘を讃え合うかのように、 | 
| ほがらかに、やさしく、あたたかく、誇らしげに陽光の中で調和しながら微笑んでいます。 | 
| 人間はそんな彼らからほんの少しおすそ分けをいただいて、 | 
| 元気になります。 | 
| こんな山深い雪国にも忘れずに春がやってきてくれました。 | 
| 景色 | 
| もう再び見ることのない景色かも知れない・・・・・ | 
| 旅の途中で、そう思いながら眺めるというのが、 | 
| 最近の景色を楽しむ方法になりました。 | 
| 今はカメラを向けるよりしっかり見て目に焼き付けておこうという気持ちの方が勝ります。 | 
| 景色の眺め方にも人生が重なるのでしょうか。 | 
| ・・・ また見ることのない山が遠ざかる 山頭火・・・ | 
| 郷里の先輩の気持ちが、何となくわかるようになりました。 | 
| 笑う | 
| 山が笑っている。 | 
| だから木やその下に生きる草花たちや虫たちも 笑っている。 | 
| 信じられないかもしれないが、そう感じる時が確かにあるんだ。 | 
| 山が笑っている日は、心が潤う。 | 
| 一輪 | 
| 人は美しい花を一輪咲かせるために生きている・・・と言った人がいます。 | 
| そうですか・・・一輪でいいんですね。 | 
| 何とかなりそうです。 | 
| 人生と飛行機 | 
| 人生は、はじめて飛行機に乗った体験だと思えばいいのでしょう。 | 
| 10代から20代は、いわば離陸して上昇を続ける飛行、 | 
| 30,40代は安定した水平飛行、 | 
| 50代から降下しながら着陸態勢に入る飛行・・・・ | 
| 時々刻々、未知との遭遇ですよ。 | 
| 次にどんなことが起こるか、予測もできないんですからね。 | 
| そのときになって初めて | 
| へぇ、こういうことになるのか、と知らされるわけです。 | 
| 景色 | 
| 列車の最後尾に乗って、そこから見える鉄路の景色を見ていると想像してみたまえ。 | 
| 単調なレール音を響かせながら、流れるように景色が遠ざかっていく・・・・・ | 
| レールと沿線の景色の彼方に自分の始発駅があった。 | 
| 前の車両に乗っていると決して見えないこの景色こそが、 | 
| 実はまぎれもない自分の”人生”の姿・・・ | 
| むろん、路線や列車の速度は人それぞれに違っているが、 | 
| 見える景色は似ている。 | 
| 忘却 | 
| 忘れていいのは昨日の失敗、 | 
| 忘れてはいけないのは昨日の失敗の原因。 | 
| 10年前にひいた風邪のことなどだれも覚えていないが、 | 
| どんなときに風邪をひいたか、は今でも忘れない。 | 
| 別れ | 
| 「さようなら」・・・・ | 
| 声に出して言うこともあれば、 | 
| 心の中でそっとつぶやくこともある言葉・・・・ | 
| もう二度と会えないだろうと思える相手の後ろ姿に、 | 
| これまで何度心の中でそうつぶやいたでしょうか。 | 
| いつか人生を振り返る時がきたら、 | 
| 声に出して言った「さようなら」よりも、 | 
| 声にならなかった「さようなら」の方が | 
| どれほど深く刻まれていたのかに気づくことでしょう。 | 
| 声にならなかった「さようなら」には、 | 
| これまでいろいろありがとう、お元気で、ご多幸を祈っています・・・という切ない願いが | 
| 例外なく付属しています。 | 
| かなしみ | 
| どんな人の心の奥底にも普遍的に存在するものは | 
| ”かなしみ”である。 | 
| 何かに遮られ、何かに奪われ、何かに切り捨てられ、何かに拒まれ、何かに怯え、 | 
| 何かを失い、何かを手放し、何かを忘却できない・・・・ | 
| ”かなしみ”の対極にあるように思われる”よろこび”だが、 | 
| ”かなしみ”が時々表にあふれ出て”よろこび”になるだけで、 | 
| 人を支配しているのは、喜びでも、楽しみでも、勇気でもなく、”かなしみ”である・・・・・・ | 
| なぜだかそう感じる。 | 
| 味わい深い | 
| いいことも悪いことも含めて | 
| それが味わい深いものだとわかりかけてきたら | 
| 向き合っているものとようやく対等になれたということだ。 | 
| 味わうことは容易でも、奥深いと感じることは、 | 
| おそらく20年前の自分にはできなかっただろう。 | 
| 無駄に生きてはこなかったということじゃないのかな。 | 
| 先輩 | 
| 残念ながら一度もお会いしたことはないが、 | 
| 作家の「高樹のぶ子」氏は、中学校、高校の先輩である。 | 
| 随想や作品の中に、なつかしい学び舎や顔見知りの先生たちの話が登場する。 | 
| 同じ空気を吸い、同じものを見ながら同じ時代を過ごした先輩が、 | 
| 活躍されているとはうれしい限りである。 | 
| ・・・・・・・ | 
| どうやって人間は、 | 
| 自分の本当の底力を | 
| 確認できるかと言えば、 | 
| 死ぬほど傷ついて | 
| 立ち直ったという経験が | 
| 一番有効なんです。 | 
| 高樹のぶ子 | 
| 片づけ | 
| かつての職場の同僚に「片づけ名人」がいた。 | 
| 彼が言うには、 | 
| 「半年以上動かさずにそこにあるものは全部不要品です。捨てましょう。」 | 
| そう言って気持ちがいいくらい、思い切ってどんどん捨てていく。 | 
| 先になって「捨てなければよかった」と思う物が仮にあっても、 | 
| その数は微々たるもので、捨てられずに片付かないことに比べたら、 | 
| 大したことではない、とも言う。 | 
| なるほど、と感心したものだ。 | 
| 問題はそのとおりになかなかやれないということ・・・・・ | 
| 片づけをしているといつもあの”名人”を思い出す。 | 
| 種 | 
| そうだったのか、こういうことになるものだったのか・・・・・ | 
| 何十年も前に蒔いた種の生長した姿を見ている。 | 
| あのころは、こんな花が咲き、こんな実がなるとは夢にも思わなかった。 | 
| いや、種を蒔いたのだということすら忘れかけていた。 | 
| その「種」の肥料は悩みであり、苦労であり、心配であったが | 
| 立派に育った姿をみると、 | 
| 無駄な肥料ではなかったのだと教えられる。 | 
| 今なら | 
| 自分にとっては一大事というできごとも、 | 
| 世間ではどこにでも転がっている、ありふれた話の一つであった。 | 
| そんなバカな・・・と思うなら、 | 
| 何か一つ、過去の出来事を思い出してみるとよい。 | 
| なるほど・・・・・ | 
| 今なら、そう思わないか。 | 
| 仕事 | 
| オレには到底そんな仕事はできない、と思う仕事がある。 | 
| オレと同じように、できないと思う人間は大勢いるはずだ・・・・と思いこんでいる。 | 
| だが、世の中には | 
| それがごく当たり前にできる人間がいる。 | 
| 別に無理をしなくても、我慢なんかしなくても、普通にできる人間がいる。 | 
| そんな人に出会ったら、「大したもんだ」と | 
| すなおに敬意をあらわすことにしている。 | 
| 記憶 | 
| たいていの記憶は時間とともに、ボクから遠ざかっていく。 | 
| しかし、中にはなかなか遠ざかろうとしない記憶がある。 | 
| よほどボクが気に入ったと見える。 | 
| 少々厄介でも、もうしばらくつき合ってくれと言っている。 | 
| 中には迷惑なやつもいるが、 | 
| ボクがつき合ってやらなければ、そいつの行き場所がない。 | 
| 絵ごころ | 
| 絵を描く幼児には驚くべき能力がある、と自身が絵を描いてみるとよくわかる。 | 
| スケッチなどという技法も知らず、写真を見て描くなどということもしないが、 | 
| 記憶だけで実にみごとにその状況や特徴を再現してしまう。 | 
| しかも余分な飾りなど一切なく、描きたいものだけをドーンと描く・・・・・ | 
| そんな能力はかつて自分にもあったのだろうが、今は見る影もない。 | 
| 素人目には何が描かれているのかさっぱりわからない絵を描く画家は、 | 
| きっとあのころの絵ごころを失わずに持ち続けている人だ、と、 | 
| すなおに思えるようになった。 | 
| 誠意 | 
| 伝わるのに時間がかかる”誠意”は確かにもどかしい。 | 
| だが、それだけ純化され、温かいものになっていく。 | 
| 時間がかかることを恐れてはならない。 | 
| 伝えたい気持ちの劣化を恐れよ。 | 
| 誠意とはそういうものだろう。 | 
| 窓 | 
| 窓をあける目的は二つ・・・ | 
| 外の空気を取り入れること、中の空気を外に出すこと。 | 
| 目的がそのどちらであっても、 | 
| 窓をあければ効果は両方表れる。 | 
| 何かを変えたければ | 
| そろそろ施錠をはずして、 | 
| 窓をあけるときではないのか。 | 
| 春 | 
| なごり雪・・・・・ | 
| 都会ではちらちら舞う雪なのだろうが、 | 
| ここらでは10センチの積雪になった。 | 
| おそらくこれがこの冬最後の雪になるはず。 | 
| 何だかさびしいような、名残惜しいような・・・・・ | 
| 雪・・・・・ | 
| 4ヶ月間、いつも目にしてきた”馴染の客”であった。 | 
| 汗をかかせてもらったし、感動もさせてもらった。 | 
| いまその役目を終えて | 
| あとを陽光に任せて、静かに去って行く。 | 
| 春 | 
| また一つ終わって・・・・春。 | 
| 何が終わって、何が始まるのか、 | 
| 春はそれを考える季節である。 | 
| 手段 | 
| 携帯電話も、パソコンのメールもなく、 | 
| 普通の電話だって持っている家の方が珍しかった・・・ | 
| 路上で男女が会話でもしようものなら、たちまち「不良」と言われた時代に、 | 
| 私たちは青春を過ごしました。 | 
| それでも、ちゃんと恋はしたし、気持ちを伝える手段をあれこれ考えたものです。 | 
| 今は便利な手段がたくさんあるのだから、何もしないなんてもったいないと思います。 | 
| その気になれば、何だってやれるはずですよ。 | 
| 惜別 | 
| 出会いは演出できない。 | 
| だが、別れは演出ができる。 | 
| 名残惜しさ、旅立つ者への感謝、がんばれよという気持ちは、 | 
| 堅苦しい儀式などでなくても、 | 
| ささやかな演出で十分に伝えることができる。 | 
| 惜別の気持ちを伝えようとするとき、 | 
| 人はみな、ロマンチストになる。 | 
| 春 | 
| 笑っていますか。 | 
| 感動していますか。 | 
| うれしいことはありましたか。 | 
| 夢はしぼんでいませんか。 | 
| 空を見上げていますか。 | 
| ・・・・・・・・・・・ | 
| またお会いできるといいですね。 | 
| あすはわが身 | 
| あすはわが身だと思えるから、手を差し伸べたくなる。 | 
| あすはわが身だと思わない若者たちの傍若無人ぶりに腹が立つ。 | 
| あすはわが身・・・・・ | 
| これほど人を謙虚にさせてくれる言葉はないのに、 | 
| ついつい「他人事」と思い込んでしまう。そう言う自分もかつてその一人であった・・・・・ | 
| いま笑って見聞きしているその姿が、 | 
| いずれわが身に重なるということだけは間違いないのだから、 | 
| 他人事だなんて、とんでもない話である。 | 
| あすはわが身・・・・ | 
| 多くの年寄りたちによってすでに十分に検証済みである。 | 
| 傷跡 | 
| さびしさとは | 
| つながっていたものが引きちぎられる痛みだ。 | 
| だから | 
| 傷跡が残る。 | 
| 時とともに癒えていく傷跡ではあるが、 | 
| かつてそこにつながっていたものの記憶だけはどうしても消えない。 | 
| その記憶とその時味わった痛みが、 | 
| さびしさの正体である。 | 
| そのとき吹いていた風とよく似た風が傷跡にふれると | 
| なぜかつながっていたものを思い出す。 | 
| 始める | 
| 完成された設計図があって、用意ドンでみんなが一斉に始められたらいいが、 | 
| 現実のほとんどはそうはいかない。 | 
| 設計図なんて何もない状態で、 | 
| たいてい何人かの人たちが手探りで始めて、それがやがて大きな輪になっていく・・・・・ | 
| その”何人か”の中に入って事を始めた経験を持つことは、 | 
| 人として生きる醍醐味を存分に味わえる、貴重なものだろう。 | 
| きれいに均した道ならだれでも歩ける。 | 
| 得意なのは | 
| いくら剛腕でも直球しか投げられない投手は、いずれ打たれる。 | 
| 誰をもうならせる直球は投げられなくても、 | 
| 変化球が投げられる投手は、簡単には崩れない。 | 
| 直球の命はスピード、変化球の命は状況に応じた多彩な変化、 | 
| 直球と変化球・・・・・ | 
| 人間の行動様式に当てはめると、さて、 | 
| あなたの持ち味はどちらであろうか。 | 
| 足元 | 
| だれにも負けたくないと思って精進する。 | 
| しかし、結局自分を追い越していく人間がいる。 | 
| 言いようのない挫折感におそわれる・・・・・ | 
| たしかに、そんなこともあるんだよね。 | 
| だけど、今そうしてそこに君は倒れずに立っている。 | 
| 君の精いっぱいの精進は、 | 
| 今立っている足元の場所を手に入れるためのものだったのかも知れない。 | 
| まわりを見回してみたまえ。 | 
| 足元があやふやで、ヨロヨロしている人間の何と多いことか・・・・・ | 
| 負けたわけじゃないんだ。きっとそうだよ。 | 
| 嘆くばかりだと | 
| 身の不運を嘆いてばかりいると、 | 
| 挽回するためにすぐ近くまでやってきている幸運が | 
| 居座る場所を見つけられずに去っていく。 | 
| 子孫 | 
| 100年後、200年後に生きる子孫たちのことを想像してみたまえ。 | 
| どんな顔をしているのだろう、どんな仕事をしているのだろう・・・・・ | 
| 想像するだけでなかなか愉快ではないか。 | 
| 彼らのために残してやれるものは持たないが、 | 
| お金のかからない遺伝子だけならふんだんに残してやれる。 | 
| そんなものはいらない、と迷惑がられるだけかもしれないが、それは我慢してほしい。 | 
| 先祖に、こんな仙人みたいなおじいさんがいた、と | 
| 時々思い出してもらえれば、これほどうれしいことはない。 | 
| 言い訳 | 
| 釈明の大半が”言い訳”・・・・つまり自己保身なんだ。 | 
| 悪いのは自分ではない、知らなかった、想定外だ、責任は自分以外にある・・・・・ | 
| 内容はさまざまでも、何とか痛い目やいやな目に遭わないように | 
| 取り繕おうとする”悪あがき”だね。 | 
| 気持ちはわかるし、私だって経験がある。 | 
| だけどね、 | 
| 言い訳をして解決した問題など、一つもなかったよ。 | 
| それどころか、後味の悪い、消化不良のモヤモヤがいつまでも残って、 | 
| たまらなかった・・・・・ | 
| どんなにうまく言い逃れても、自分だけはごまかせないものだと知ったね。 | 
| だから、謝らなきゃならないのなら思い切って頭を下げて、 | 
| 言い訳するのはやめておいたほうがいいと思うよ。 | 
| 生き残る | 
| 強くなりたいだって? | 
| そうか、悪いことじゃないだろうが、 | 
| こんなことを言っている人もいる。 | 
| ・・・・・「強いものが生き残るのではない。 | 
| 環境に適応したものだけが生き残る」・・・・・ | 
| きっとそういうこともあるんだと思うよ。 | 
| 若者たち | 
| 遠い昔、受験で泊まった宿である先輩と知り合いになった。 | 
| 齢は私より10歳くらい上に見えた。 | 
| 聞けば、幼いころに読んだ伝記「シュバイツァー」に感銘を受けて医者になろうと決意したという。 | 
| 以来、医学部を受験して7度目・・・つまり6年の浪人。 | 
| その先輩が風呂の中で声高らかに歌って聞かせてくれた歌が「若者たち」であった。 | 
| 立ち上る湯気の中で、心にしみる、いい歌であった。 | 
| 明日の健闘を誓い合って別れたが、その後のことはわからない。 | 
| だが、今頃きっとどこかの小さな診療所で、「若者たち」を歌いながら | 
| 患者さんたちを励ましているにちがいない、という気がする。 | 
| 先輩、一期一会の出会いでしたが、 | 
| あの日のことは今でもはっきりと覚えています。 | 
| やるべきこと | 
| 毎日があっという間に過ぎていく・・・・と感じるのであれば、 | 
| それは充実している証拠で、申し分ありません。 | 
| 平凡な出来事の繰り返しでも、胸がときめくような出来事がなくても、 | 
| 時間を忘れるほどの”やるべきこと”があったのでしょう。 | 
| そのおかげで、少なくとも退屈はしなかった・・・・・・・ | 
| 齢をとると | 
| ”やるべきこと”を見つけるのが大変なのです。 | 
| 雨傘 | 
| 二人用の雨傘なんて聞いたことも見たこともないだろう。 | 
| 雨傘は一人で持つものだと決まっている。 | 
| だが、そこへ二人が入ることがある。 | 
| ほぼ例外なく、その二人は緊密な関係にあるんじゃないか。 | 
| 傘からはみ出た肩や腕は濡れても、 | 
| その関係ゆえに耐えられる・・・・・ | 
| そうだねぇ・・・・結婚というのは、 | 
| 一つの傘に二人が入って歩いていくことかな。 | 
| ラグビー | 
| かつて高校の体育で少しだけ”ラグビー”なる球技を経験したことがある。 | 
| ボールを前へパスしてはいけない、というたった一つのルールで | 
| これほどまでに複雑怪奇、混乱の極致を思い知らされることはなかった。 | 
| ボールは前へ返すのが当たり前で、後へパスをする球技など、前代未聞である。 | 
| 何じゃ、これは!・・・と友だちとブツブツ文句を言いながらやっていたが、 | 
| あるとき、先生がこう話してくれた。 | 
| ・・・・後ろでボールを受け取ってくれる仲間がいなければタックルでつぶされるだろう。 | 
| スクラムも、仲間を信じて自分の役割を果たさなければ押し戻される。 | 
| ラグビーは仲間を信じるスポーツだ。進学しても社会に出ても、 | 
| きっとこの経験が役に立つ・・・・・・・ | 
| 仲間を信じて自分の役割を果たす・・・・なるほど、 | 
| それからあと、そんな場面が確かに幾度となくあった。 | 
| 以来、ラグビー固有のあのルールはわけのわからないものではない、と確信している。 | 
| 原型 | 
| 200年前、500年前の先祖たちがどこで何をしていたか、なんて | 
| 知りようもない。 | 
| だが、問題に直面したときに、 | 
| きっと今の自分と同じように考え、同じように悩んだにちがいない・・・・・・ | 
| 受け継いだものは、いのちだけでなく、 | 
| ものごとの見方・考え方の原型もあったはずだ、と思う。 | 
| 100年後に子孫が生きていれば、 | 
| きっと自分と同じような問題で同じように悩むのだろう。 | 
| 何とか解決策を教えてやりたいが、そうもいかない。 | 
| 反面教師 | 
| あのようにはなりたくない、あんなふうになりたい・・・その存在がそう感じさせる。 | 
| 父親の役目は、 | 
| 反面教師となるか、真っ当な教師となるか、そのどちらかである。 | 
| 母親の役目は、 | 
| 父親がどちらの教師であっても、必要な教材をそろえてやることである。 | 
| 鉄棒 | 
| 体育の先生が「やれ」と言ったわけではない。 | 
| 今思えばおそらく東京オリンピックの影響だったのだろう・・・・ | 
| 中学時代、校庭の鉄棒で男子は競って「大車輪」の技に挑んだ。 | 
| 握力の弱さは柔道着の帯を輪にして鉄棒にかけ、その中に手を入れて離れない工夫で補った。 | 
| 練習の甲斐あってクラスの男子の半数ができるようになっていた。 | 
| 今なら顔色を変えて飛んでくるのだろうが、当時の先生たちは何も言わなかった。 | 
| 鉄棒の上で逆立ち状態・・・そこからくるりと一回転する爽快感に酔いしれた。 | 
| あれから50年・・・・・ | 
| 今はただ情なくぶら下がるだけで、まるで魚屋の軒先に吊るされた干物状態・・・・・ | 
| いい時代であった。 | 
| オアシス | 
| 日々流れゆく時間の中で、今いる場所が | 
| 砂漠のように味気なく、乾ききった場所だと思うことがあっても、 | 
| 時おり目にする”緑”や”水”がすり減ったこころを癒してくれる。 | 
| ここは緑も水もないところだ、と決めてしまうのはまだ早い。 | 
| オアシスは、あきらめかけていたときに現れるから | 
| ありがたみが湧く。 | 
| いのち | 
| いずれは終わるのだと気づき、終わりの予感を感じ始めたとき、 | 
| 人は生まれてはじめて「いのち」というものが見えてくる。 | 
| どのような形容詞も必要のない、真のいのちの姿だ。 | 
| そうなれば | 
| 無邪気な赤子の顔に真底感動できる。 | 
| 失われたいのちがどれほど大きいものか、も理解できる。 | 
| 何よりも、 | 
| 自分にいのちをつないでくれた人、これからいのちをつないでくれる者たちへの | 
| 無尽の感謝の気持ちが生まれ、 | 
| 謙虚・・・その言葉の意味がほんとうにわかってくる。 | 
| 居場所 | 
| 君はなぜそんなところにいる? | 
| そんなところで一体何をしているのだ? | 
| そこはほんとうに君の居場所なのか? | 
| そうならいいのだが・・・・・ | 
| ともに | 
| 自分といっしょに齢を重ねてくれるものがあるだろう。 | 
| こんな自分からも離れずに、ともに星霜を数え、風雪をくぐり、 | 
| 老いていくものがある・・・・・・ | 
| 人間として熟す、というのは | 
| そんなものがしっかり見えるようになることだ。 | 
| いとおしく思え。 | 
| かけがえのないものだと思え。 | 
| そして、心から感謝せよ。 | 
| 顔 | 
| 若者の顔がいちばん美しいと思うのは、 | 
| 何かに向かって飛び立とうとする瞬間です。 | 
| 老人の顔がいちばん美しいと感じるのは、 | 
| 見定めた場所にむかって静かに降り立とうとする瞬間です。 | 
| 降り立つ場所をまちがえて、あわてふためく姿は | 
| ただ見苦しいだけです。 | 
| 美 | 
| 美しいものは、哀しい。 | 
| 哀しいものは、みな美しい。 | 
| 絶対値 | 
| 人の一生は「獲得」と「喪失」の繰り返しだという。 | 
| 何かを失い、何かを手に入れる・・・・ | 
| 一見正反対に見える二つの出来事も、 | 
| 生涯をふり返れば、きっと | 
| 原点からの距離は等しく、 | 
| 両者の”絶対値”は同じである。 | 
| 互角 | 
| 腕前も能力もさまざまな技も格段に自分の方が上だと思うのに、 | 
| 「あいつとは互角だな」と思うのは、 | 
| どこか一つ、勝てないと思うところがあるときだ。 | 
| やれることを | 
| むかし君がどんなことをしていたのか、何ができた人なのかは知らないが、 | 
| いまはもう同じことをやれと言われても無理だろう。 | 
| だから、無理なんかせずに、 | 
| いまやれることをやればいいんだと思うよ。 | 
| 過去の栄光は、 | 
| 額にでも入れて飾っておきなさい。 | 
| 価値 | 
| 何のために生きているのか、と問われると即答はむずかしい。 | 
| だれのために生きているのか、と問われても同じであろう。 | 
| しかし、 | 
| 生きていることは楽しいか、と問われれば、答えられる。 | 
| 生きているという事実の価値は、 | 
| 心弾むものを持っているということであり、 | 
| 今日はなくても明日、明後日にはそうなると思えるから崩れない。 | 
| いずれははっきりさせたいが、 | 
| 何のために、だれのために、の答えはそんなに急がなくてもよいだろう。 | 
| 相談 | 
| うちの子、好き嫌いがひどくて困っています・・・・・ | 
| そうですか・・・どうせきらいなものは食べないからと、 | 
| 初めからきらいなものは食卓に上がらないんじゃありませんか? | 
| それをやめて、食べなければ他に食べるものがない状況にしてごらんなさい。 | 
| そして、それを | 
| 何日、いや何か月かかっても貫いてごらんなさい。 | 
| ガミガミ小言を言う必要はありません。 | 
| 人間、空腹になれば大抵のものは食べられるものです。 | 
| 相性 | 
| どちらかと言えば大ざっぱな性格の人と、 | 
| 細かいことまで気になる性格の人がいます。 | 
| どちらも度を越すと付きあいにくい人になりますが、 | 
| ほどほどであれば、互いによい刺激を与え合う関係となります。 | 
| 不思議なことですが、 | 
| 似通った性格どうしよりも、まるで正反対の性格どうしの方が、 | 
| どうもうまくいくようです。 | 
| 巷ではそんな関係を”相性がいい”と言うそうです。 | 
| 今だからできること、今しかできないこと | 
| 今だからできること、今しかできないこと・・・・・と言われると、 | 
| 何だか気があせって落ち着かない。 | 
| 残された時間が確実に少なくなっていく実感がそう思わせるのか。 | 
| ”今だからできること、今しかできないこと”は | 
| 言われてみれば、たしかに在りそうだ。 | 
| すでに見つかっている人はよいが、 | 
| まだの人は少し急いだほうがいいかもしれない。 | 
| 一年後、三年後、五年後にはまたきっと違ったものが | 
| ”今だからできること、今しかできないこと”になるだろうから。 | 
| 人生 | 
| 人生とは、 | 
| 生きてみるに値する、すばらしいものである・・・・・ | 
| それをだれかに、とりわけ大切な人に伝えるために | 
| 人は生きている。 | 
| 前から | 
| 一度見ただけで心奪われた、という経験があるだろう。 | 
| 景色であれ、人であれ、芸術作品であれ、 | 
| 偶然のように見えても、実はずっと前から探していたものだったのだ。 | 
| 出会える日をひそかにずっと待っていた・・・・・ | 
| そういうものにやっと出会えたというわけだが、 | 
| 探していたと自分で気づかなかっただけ・・・・・ | 
| 断る | 
| 断りきれなくて、つい引き受けたがために、大変な目にあった・・・ | 
| 頼んだ相手に愚痴の一つも言いたくなるわけだが、 | 
| 「引き受ける」とはそういうリスクもいっしょに背負うことだ。 | 
| 腹を立てるなら、相手ではなく、 | 
| 断れなかった自分に腹を立てなさい。 | 
| そして次からは、 | 
| できないと思えばきっぱりと断ることだ。 | 
| そんなことくらいで気まずくなる人間関係なら | 
| なくてもよいと腹をくくればすむ。 | 
| 経験則 | 
| 降り出した雪を見れば、 | 
| 積もる雪かそうではない雪かを見分けることができるようになった。 | 
| 別に大したことではないが、経験から学んだ知識である。 | 
| 自分の持っている知識の中に”経験則”が占める割合は、 | 
| 地面や自然に近い仕事や暮らしをしている者ほど高いように思える。 | 
| その知識が、日々の暮らしや時には命に係わる事態と結びついているからだ。 | 
| 胸に手を置いて考えてみたまえ。 | 
| これは自分の経験則だ、と呼べるものがすぐに思いつくだろうか。 | 
| 経験則は、残念ながら本では学べない。 | 
| まき餌 | 
| まき餌につられて近づくと、隠れた本物の針が待っている。 | 
| 本来あるはずのないものが現れ、それがおいしいものに見えたら、 | 
| ”まき餌だ”と思ってほぼ間違いない。 | 
| 探す苦労もなしで、楽に手に入りそうなものが現れたら、 | 
| まき餌だと思って、その奥に隠れる針に十分気をつけなさい。 | 
| 祭り | 
| 日本人になじみの深い「祭り」の文化は、 | 
| 損得抜きで、みんなで一つの目標に向かって力を出すという精神構造を育んできた。 | 
| 「駅伝」という競技が日本で生まれたというのもうなずける話だ。 | 
| 職場や学校、地域でもごく自然にこの精神構造を基にした取り組みが見られる。 | 
| だが、だれもそれが、祭りの文化を受け継いだものだとは思わない。 | 
| 自分のまわりで行われていることの中に | 
| 祭りを感じることはないか。 | 
| 井の中 | 
| 井の中の蛙・・・・ | 
| 自分がどんな井戸の中にいたのかは、 | 
| 井戸を出てみると実によくわかる。 | 
| 決断 | 
| 人生も残りの方が少なくなったころに、 | 
| 住み慣れた九州をはなれて、信州の山奥に居を構える決断をした。 | 
| 思い切った大きな決断であった。 | 
| 中途半端な田舎ではなく、”究極の田舎”といえるところ、しかも | 
| 文化や気候や自然環境もまるでちがう場所に身を置いてみたかった。 | 
| 「本気か?」と友人たちは一様に驚いたように言った。 | 
| 「何でこんな山奥に来ただ?」と集落の師匠たちに聞かれた。 | 
| 「本気か?」「何で?」と言われるような尋常ではない決断をしたのだ、と、 | 
| あらためて自分の下した決断の大きさをかみしめている。 | 
| 一途に(いちずに) | 
| 一途に打ち込める仕事を持つことは、人生の幸福の一つであろう。 | 
| 一途に愛した人と結ばれることも然り・・・・ | 
| 「一途」であったがゆえに、迷いや誘惑に負けることもなく貫くことができた。 | 
| 「わき目も振らずに」という意味で、 | 
| 一途は誠実の証しである。 | 
| 目立つ | 
| 若いころは、わけもなく目立ちたいと思う。 | 
| 壮年期には、実力を付けて目立ちたいと思う。 | 
| 老年期になると、そんなに目立たなくてもよいと思うようになる・・・・・ | 
| 森の奥にひっそりと佇む老木は、 | 
| 近くで伸びていく若木と競うことはしない。 | 
| そんなことをしなくても、「老木」には老木の味わいがあると | 
| 知っているかのように・・・・ | 
| テスト | 
| 学校のテストなら、だれもが100点満点をのぞむ。 | 
| わが子が100点をとって帰ってくれば大喜びで褒めてやる・・・・ | 
| だが、70点や80点だと、どうだろう。 | 
| 親の教養の高低は、 | 
| その時の対応でわかる。 | 
| 締める | 
| 新しい人生の出発を考えている人もいるだろう。 | 
| 気をつけたいのは、 | 
| 弛緩した心身に躍動の輝きは届かないということ。 | 
| ゆるんでいると気づいたら、締めなおすしかない。 | 
| それなしに、第二、第三の人生の出発などおぼつかない。 | 
| 引き締まった心身で跳躍しなければ、 | 
| 飛び越したつもりの水たまりに落ちることになる。 | 
| 何のために | 
| たいせつなのは、 | 
| 何をしたか、ではなくて、 | 
| 何のためにしたか、です。 | 
| ・・・山本周五郎原作 映画「雨あがる」より・・・・・ | 
| 笑う | 
| 笑ってみろと言われても、そう簡単にできるものではない。 | 
| 笑うには、心の中に空洞が必要だ。 | 
| 何かがその中でコロコロと転げ回れる空隙がなければ | 
| 人は笑えない。 | 
| 何かでいっぱいになった心の状態でも笑えるとしたら | 
| それは苦笑いか、つくり笑いである。 | 
| やさしい人 | 
| たとえ表に出さなくても、 | 
| 人の喜びは容易に見抜ける。 | 
| だが、 | 
| ”悲しみ”はそうはいかない。 | 
| 涙を押さえて、胸の奥にしまいこまれた悲しみを見抜くには、 | 
| 相当の眼力と感性が必要だ。 | 
| ”やさしい人”と言えるのは、 | 
| その二つを自然に持ち合わせている人である。 | 
| 夢 | 
| 夢が叶うことはうれしいが、 | 
| 今度は叶った夢の続きが現実となって立ちはだかる。 | 
| 想像もしなかった新しい試練が生まれるのだ。 | 
| だからと言って、こんなはずではなかった、と思ってはならない。 | 
| それを乗り越えるところまで含めて、 | 
| ”夢”だったのである。 | 
| 悠々自適 | 
| のんびり、ゆったり暮らしていると、 | 
| 「季節の移り変わり」を感動や驚きとともに味わうことができる。 | 
| 野生動物や草花のように、五感で自然を感じながら暮らせるということだ。 | 
| 忙しい日々を送っていたころには決してできなかったことが、 | 
| ようやくできるようになったと思えるなら、 | 
| 「悠々自適」の暮らしをしていると言って差し支えない。 | 
| 悠々自適とは、 | 
| ただ単にあり余る時間を持っているということではない。 | 
| 人間 | 
| なるほど、小心で臆病な人間はだれもが驚くような大きな事はできないかもしれない。 | 
| だが、 | 
| 大胆で豪放な人間にはない、細かな”気遣い”や心配り”ができる。 | 
| 事に際してオロオロするのは、その気遣いや心配りのせいだとも言える。 | 
| 小心で臆病であっても、 | 
| それで卑屈になって生きていなければいいではないか。 | 
| わがまま | 
| コメを食いながらパンのほうがよかった、と思うのは、 | 
| 人として生きながら、ネコのほうがよかったと思うことに似ているね。 | 
| いまあるものに満足できない習慣を身につけると、 | 
| いらぬものに手を出し、ロクなことになりかねないよ。 | 
| ”ないものねだり”は | 
| 究極のワガママなんだけど、 | 
| そうとは気づかずにやってる人って、結構多いと思うよ・・・・ | 
| あの頃 | 
| あの頃のことを想えば、今はまるで夢のようだ・・・・・ | 
| 遠い日を思い出してうなずける人も多いだろう。 | 
| そんな”あの頃”は、 | 
| 一体どこへいってしまったのだろうね。 | 
| ずいぶん遠い昔のようにも思われるし、 | 
| ついこの前のことのようにも思われる。 | 
| そんな”あの頃”が、なつかしく思い出されるまでに | 
| 何とか生きてきたんだね。 | 
| 加担 | 
| それが愚かなことに見えたら | 
| だまってその場をはなれることですね。 | 
| 愚かさを指摘しても、おそらく聞く耳は持たないでしょうから・・・・・ | 
| 愚かなことだとわかっていてそれに加担するのは、 | 
| 生涯に一度か二度くらいにしておくべきです。 | 
| 上司 | 
| ”上司”と呼ばれる立場にいる者が | 
| いつも心に置いておかなければならないことがある。 | 
| 職務上の肩書や権限の軽重は | 
| 一体だれのためのものか、を忘れないことだ。 | 
| そうすれば、やむを得ず下す命令にも、血が通う。 | 
| 大雪 | 
| 都会では3センチの積雪は”大雪”である。 | 
| 雪国の”大雪”は、一晩に50,60センチ以上の積雪を言う。 | 
| ”大雪”とは、 | 
| 暮らしの中のものさしの”目盛り”の別称である。 | 
| ミリまで刻んだ精密な目盛りか、10センチ単位で刻まれた目盛りか・・・・・ | 
| どんな目盛りが刻まれたものさしを使って暮らしているのかが違うだけだ。 | 
| 雪国では、計測に必要のない目盛りは邪魔になるだけで、 | 
| 何の役にも立たない。 | 
| 幸せ | 
| 幸せは他人が探したり、与えてくれたりするものではない。 | 
| 自分で探さなければならないものだ。 | 
| それなのに、 | 
| どうすれば幸せになれるのかを、他人に頼ろうとすることがある・・・・・ | 
| 他人からヒントはもらえても、答えは自分で探すもの、それが | 
| 幸せを探すと言うなら、唯一の道筋だ。 | 
| 頂点 | 
| 人生には、頂点と呼べる時がある。 | 
| あの時が、これまでの自分の人生の頂点であった・・・・・ | 
| その頂点に立ったからこそ、 | 
| いくつもの丘や谷を無事に渡ってこれたのだとわかる。 | 
| 頂点に立った記憶は、今も健在であるだろうか。 | 
| 道を拓く | 
| 誰かの敷いたレールの上を歩く人生も悪くない。 | 
| だが、知らないところを手探りで歩く人生もまた、いいではないか。 | 
| ずいぶん回り道になるのかもしれないが、 | 
| いつか、歩いてきた道をふり返るときがきたら、 | 
| 自分で拓いた道なんだと、胸を張れるだろう。 | 
| 人間として生まれてきて、この世でそんなすてきな人生を過ごせるなら | 
| 十分にしあわせなことだという気がする。 | 
| 鉄則 | 
| 行動しなければ何も変わらない・・・・・ | 
| 変えたければ、行動する・・・ | 
| 単純なことだが、すべてに通じる”鉄則”である。 | 
| 豆 | 
| 節分にまく豆は、 | 
| 「魔滅」を意味するという。 | 
| チョコレートや菓子ではだめだということを、はしゃぎまわる子どもたちに | 
| 教えてやりなさい。 | 
| 悟り | 
| 苦難を伴う厳しい修行の果てにようやく到達できる境地を「悟り」と言うなら、 | 
| とても我ら凡人の及ぶところではない。 | 
| しかし、そんな修行などしなくても凡人が悟りを開くことはできる。 | 
| それは、 | 
| じたばたしても仕方がない・・・という人生観を持つことだ、と言った人がいる。。 | 
| 頭ではわかっていても、いざこれを実践するとなると簡単ではない。 | 
| 悩んだり、苦しんだりするのもつまりは「じたばたしている」のだ。 | 
| あるがままを受け入れる、という生き方ができれば | 
| たしかにもう立派な悟りである。 | 
| 秘密基地 | 
| 男は、年齢を問わず | 
| ”秘密基地”や”隠れ家”というものにあこがれを持つ生き物です。 | 
| なぜかって? | 
| 外敵に襲われないで、安心して暮らせる住居を見つけたり作ったりすることが | 
| 大切なしごとであった太古の先人たちのなごりですよ。 | 
| なじみの居酒屋を探したり、狭くても書斎を持ちたいと思ったりするのも | 
| そこにいると、なぜだかホッとするからなんですよね。 | 
| 動物たちの中には、 | 
| 立派な巣をせっせとつくってメスを誘うものがいますが | 
| 一生懸命作っても、メスに見向きもされないこともあるようですね。 | 
| 何だか他人とは思えないときがあるんです。 | 
| 問題 | 
| おだやかすぎることが、いやになることがある。 | 
| 刺激や変動がもたらす魅力や誘惑を抑えきれないからだ。 | 
| 刺激や変化を求める気持ちが、世の中を進歩させることもあるのだから | 
| それはいい。特に若者はそうでなくてはならない。 | 
| しかし、 | 
| そのうち、刺激や変化に振り回される暮らしに気付くときもくるだろう。 | 
| 心静かに、おだやかに暮らすことの価値にもう一度向き合ったときに、 | 
| 何を考え、どんな行動をとるのか・・・・・ | 
| それが問題だ。 | 
| 仕事 | 
| 今やっている仕事は、何の役に立っているんですか、と聞かれたら | 
| どう答えるのでしょう。 | 
| 即座に答えられる仕事もあるでしょう。 | 
| でも、すぐには答えが見つからない仕事もあります。 | 
| 今すぐだれかの役には立たなくても、 | 
| 孫の、その孫・・・子孫たちのためにやっている仕事だってあります。 | 
| 自分のやっている仕事、やってきた仕事は、 | 
| 一体何の役に立っているのか、一度考えてみたいものです。 | 
| 孤独 | 
| 孤独は山の中で生まれるものではなく、 | 
| 街で生まれるものだ、と言った哲学者がいるそうです。 | 
| 人と人が結びつく方程式が解けない状態を孤独というなら、 | 
| うなずける話です。 | 
| 山の中では、むずかしい方程式など使わなくても | 
| 人と人はちゃんと結びついています。 | 
| かたまり | 
| 最近よく目にする言葉がある。 | 
| 「団塊の世代のための〇〇」・・・・・・・ | 
| 生き方や趣味など、その内容は多岐にわたる。 | 
| こんな本やテレビ番組をわざわざ作ってもらえることを喜ぶべきか・・・ | 
| それとも「大きなお世話だ」と憤るべきか・・・・・ | 
| 「団塊」とはつまり「かたまり」のこと、 | 
| 一つのかたまりとなって、数の力で世の中を動かしてきたことを物語っている。 | 
| 「かたまり」はいくつになっても「かたまり」のままか? | 
| 喜ぶのか、憤るのか、 | 
| 答えはどうやらそのあたりにありそうである。 | 
| 祈り | 
| だれか他人の幸せを心から祈ったことがありますか。 | 
| なぜそんなことを祈るのか、と問われても | 
| 確たる答えはありません。 | 
| でも、 | 
| 幸せであってほしいのです。 | 
| そんな祈りを届ける人がいてくれることが | 
| 自分の幸せでもあるのです。 | 
| 人間万事塞翁が馬 | 
| 人間(じんかん)とは世の中、世間と言う意味、 | 
| 塞翁が馬(さいおうがうま)とは、 | 
| 塞という老人の馬が思いがけない福や災いを持ってきたということ、 | 
| つまり、 | 
| 世間の幸福や災いは予測できないものであるという意味・・・・・ | 
| 今年は「午年(うまどし)」とのこと、 | 
| 馬を見たらこのことわざを思い出すことにしよう。 | 
| 明日吹く風は、明日になってみないとわからない。 | 
| 決断 | 
| 実行を伴わない”決断”などありえない。 | 
| 決断したことは、すかさず実行するものだ。 | 
| 決断と実行のあいだにさまざまな人やものや時間が入る分だけ、 | 
| 決断したと思っていたものは、 | 
| 実は単なる”迷いの延長”であった。 | 
| 感謝 | 
| もの心がついたころから | 
| 親が我が子に教えなくてはならないことがある。 | 
| 「感謝する」ということ・・・・ | 
| 「ありがとう」という言葉は多くの親が教えるだろうが、 | 
| なぜ「ありがとう」と言うのか、その意味を教える親は少ない。 | 
| 言ってもわからない、と思うなかれ。 | 
| 幼い子どもなりに、 | 
| 自分のためにだれかが汗を流してくれたということは理解できる。 | 
| 会う | 
| 会いたい人だが、会うと後悔するかもしれない、と思う人がいるだろう。 | 
| 会ってどうしたいのか、何が言いたいのかが自分でもはっきりしないからだ。 | 
| 会うのはやめておいたほうがよい。 | 
| その人に会わなくてはならない理由はすでに消えているのだ。 | 
| 追憶の窓から見るだけにしておきなさい。 | 
| 秘密 | 
| 人生には、嵐も闇もあるのだから、 | 
| だれにも言えない”秘密”の一つや二つはどんな人にもあるだろう。 | 
| だれにも明かしたくない秘密なら、 | 
| 死ぬまで自分の胸の中におさめておけばいい。 | 
| だれかと共有している秘密なら、 | 
| 守秘義務は倍増するが、 | 
| 気持ちは少し軽くなる。 | 
| 生活 | 
| 生活するというのは、 | 
| 生きて、活きることである。 | 
| ”生きる”とは、生命体として存在すること、 | 
| ”活きる”とは、意志を持って力をみなぎらせること・・・・・・ | 
| 両者が一つにならなければ「生活」にはならない。 | 
| 日々の営みは、 | 
| 「生活」と呼ぶに値するものだろうか。 | 
| 向き合う | 
| 最初に「いやだなぁ」とか「気が進まないなぁ」と思うと、 | 
| そのあとのすべてがおもしろくなくなる、という経験があるでしょう。 | 
| どうせやらなければならないことなら、 | 
| せめて「仕方がない、一つやってみるか!」と前向きに向き合いたいものです。 | 
| 気持ちの持ちよう一つで、 | 
| 踏み出す一歩に力がみなぎることがあります。 | 
| 成人式 | 
| 成人式は一度限りではない。 | 
| 二度目、三度目、あるいは四度目の成人式だってあり得るだろう。 | 
| 人間としての成長を進めているなら | 
| それぞれの”成人式”を祝う意味はある。 | 
| 二度目以降には派手な式典はないが、 | 
| 一人でしみじみと祝杯をあげることはできる。 | 
| 文化 | 
| 今、白馬村はスキーにやってきた外国人であふれかえっています。 | 
| 先日、久しぶりに行った温泉でのこと・・・・・ | 
| 浴室には10人ほどのお客さんがいましたが、日本人は私を入れて二人だけ、 | 
| 日本人なら普通にやる、タオルを頭にのせてお湯につかっていると、 | 
| それを見た8人の外国人たち、何やら意味の分からないことをしゃべっていましたが、 | 
| そのうち、全員がタオルを頭の上にのせていました。 | 
| 何だかおかしくなって、思わず笑ってしまいました。 | 
| 日本の温泉では、みんなタオルを頭にのせて入るんだ、と | 
| きっと自国に帰った時のみやげ話になるのでしょう。 | 
| ほんの少し文化交流の役に立てた、愉快な時間でした。 | 
| いま | 
| きのう雪を降らせた雲は、いまはもう頭上にはない。 | 
| あすまた雪を運んでくるかもしれない雲は、まだ見えない。 | 
| そうだとすると | 
| いま頭上にある雲や空が、私たちを支配しているということ・・・・ | 
| いま見えている空の下で懸命に力の限り生きなければ | 
| どしゃぶりの雨の中で、布団を干すことを考える人になる。 | 
| 愛 | 
| 人が人を大切に思う気持ちを「愛」と呼ぶなら、 | 
| そのかたちは、千変万化、実に多様なもの・・・・・ | 
| 共通してその真ん中をつらぬくものは「離れたくない」という思いただ一つ、 | 
| 愛するという気持ちは、つまるところ「いっしょにいたい」と思う気持ちのことである。 | 
| それに当てはまらないのなら、 | 
| たとえどんなにそれらしく体裁を整えたとしても | 
| それは「愛」と呼ぶべきものではないだろう。 | 
| 神 | 
| 神話に登場する神々は、どうも私とは縁遠い気がするのだが、 | 
| そこへいくと、地元の神でもある「道祖神」や「水神」には親しみがわく。 | 
| 身近なところにいて、見守ってくれているという気がするからだ。 | 
| 大きな神殿や社殿、神主などはなくても | 
| すなおに手を合わせたくなる神々・・・・ | 
| 素朴な祈りができる神々は、 | 
| 素朴な暮らしをしなければ近寄っては来ない。 | 
| 一度では | 
| だれもが一度は経験することって、結構あるんもんだ。 | 
| 一度で済むことと済まないことがあるんだが、 | 
| それが面倒で、おっくうであればあるほど、 | 
| どうも一度では済まないようになっているらしい。 | 
| それはきっと、一度ではすべてが学べないからじゃないだろうか。 | 
| 何度か経験して全部をつかめ、ということなんだろう。 | 
| 「またか・・・」と思える事態に出会ったら、 | 
| そう思うことにしている。 | 
| 滑稽 | 
| どんなに馬鹿げていると思えることも、 | 
| 大のおとなたちが生真面目にやっていると、真実味が生まれる。 | 
| 滑稽は、 | 
| いい加減にやるから、そうなる。 | 
| 肩の力 | 
| 肩の力をぬいてみろ、と言われるのは、 | 
| 必要のない、余分な力が入っていると見えるからです。 | 
| どうしたらいいかって? | 
| 深く考えると怖ろしくなりますが、 | 
| 思い切って目をつぶって「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせてごらんなさい。 | 
| 手抜きをせず、全力投球はするのですが、 | 
| そう唱えることで、余分な力が抜けることもあります。 | 
| 子育て | 
| 子育てが一段落したころ、 | 
| ホッとする気持ちと、 | 
| 何だかさびしい気持ちが同居するものです。 | 
| そろそろ新しい生きがいを見つける準備をしなさいという、 | 
| 合図にちがいありません。 | 
| 君だって | 
| これまでの人生、決して順風ばかりではなかっただろう。 | 
| もうだめかもしれないと思うような嵐にも出会ったにちがいない。 | 
| だが、それでも倒れなかった・・・・ | 
| なぜだかわかるか? | 
| そう、何かが倒れそうになる君を支えてくれたんだ。 | 
| その「何か」がもう分かっているなら、 | 
| 次の嵐は、君をさけて通り過ぎるだろう。 | 
| 満足 | 
| どこで何をしてもいい、 | 
| 大切なのは、それでほんとうに満足できるかどうかということ・・・・・ | 
| 満足できれば、いろんな夢もみることができる。 | 
| 少し長く生きてきて、 | 
| わかりかけてきたことは | 
| そういうことだ。 | 
| 一番 | 
| 一番になることはむろんすばらしいことだ。 | 
| だから目指すのは一番でいい。 | 
| だが、 | 
| 結果として一番になれなかったとしても、それはそれでいいと、 | 
| 結果を見る前に思うことだ。 | 
| 考えてみたまえ。 | 
| 一番のポストはいつも一つだけなのだから、みんなが立てるわけではない。 | 
| 最善を尽くしたのであれば、二番、三番も結構じゃないか。 | 
| 遠い先の人生のゴールに”一番”はないんだよ。 | 
| 激流 | 
| 川に落ちた雪はすぐに水になって流れに溶け込みます。 | 
| 川に散り落ちて激流にもまれる木の葉は、流れに逆らうことはできませんが、 | 
| しかし、どんなにもまれても、 | 
| 自分が木の葉であることは崩しません。 | 
| たとえ仕方なく流されることはあっても、 | 
| そんなふうでありたいものです。 | 
| 雪 | 
| 自宅の近くにカエデと椿の木があります。 | 
| 毎年冬になると、2メートル近い雪に押しつぶされてぺしゃんこになります。 | 
| でも春になって雪がとけると、 | 
| 小枝一本も折ることなく、みごとに立ち上がります。 | 
| このしなやかさ、したたかさに、毎年感動しています。 | 
| 「おめぇさんも、これくれぇの雪に負けちゃいけねえぞ」と | 
| 励まされているようです。 | 
| 根付くとはこういうことだと教えられます。 | 
| あるがまま | 
| 散っていく葉は、 | 
| 風に恨みごとは言わない。 | 
| 枯れ始めたころから、 | 
| 自分の散り落ちる場所を見定めている。 | 
| 自分を知る | 
| 一流は孤独を愛し、 | 
| 二流は群れを愛す・・・・・ | 
| 愛するものが孤独か、群れか、 | 
| それが自分を知る手段の一つ。 | 
| ちなみに、三流は愛すべきものをもたない。 | 
| ちがい | 
| 勝ってこいと激励されるから、 | 
| 「負けるかもしれない」という怯え(おびえ)が生まれる。 | 
| 力いっぱい戦って負けてこい、と言われると、 | 
| 不思議に勝てることがある。 | 
| 成熟 | 
| 成長することばかり考える時代は、そろそろ終わりにしないか。 | 
| これからは、成熟することを願う時代だよ。 | 
| 果実だって、大きくなるばかりで熟さないものは | 
| 食べたっておいしくないだろう。 | 
| 熟していくことを大切にしようよ。 | 
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