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| 畑 | 
| 畑・・・去年トマトを栽培したところから、今年も何本か小さなトマトの芽が出てきた。 | 
| 熟して落下した実のタネであったのだろう。 | 
| 懸命にいのちをつなごうとする健気な営みに胸が熱くなる。 | 
| 放っておけば「邪魔だから」と引き抜かれる運命は目に見えている。 | 
| 掘り起こしてそっと別のトマト畑に植えかえてやった・・・・ | 
| 40センチ以上に伸びた仲間たちの隅で、 | 
| わずか3センチの幼子が力いっぱいトマトであろうと頑張っている。 | 
| 仲間 | 
| 我が家の老猫リンはいたって元気である。 | 
| 捨て猫だったのを拾って、もう14年・・・ | 
| 「福岡猫」から思いがけずに今は「信州猫」になってしまったが、 | 
| 雪や寒さにも負けず、せっせとネズミ狩りに勤しんでいる。 | 
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| 何度か近所の猫たちやハクビシンとバトルをやって、背中に名誉の傷あとを持っている。 | 
| 猫でありながら魚は食わない。海苔とかつお節が大好物・・・・・・ | 
| 芸はないが、唯一できるのは名前を呼ぶとちゃんと返事をすること。 | 
| 家の主以上に我が家の隅々(床下や屋根裏)まで知り尽くしており、 | 
| 今家の中でどこが一番暖かいかを熟知してあちこち移動をしながら寝そべっている。 | 
| 窓辺で日向ぼっこをしながら外を眺めているが、 | 
| 小谷はいいところだな、と思っているのだろうか。 | 
| 共に老いていく仲間がいる。 | 
| 住んでいる | 
| フォッサマグナ・・・・ | 
| 日本列島を東西に分断する「大地溝帯」である。 | 
| その深さは6000mから9000m、幅100キロのU字型のくぼみ・・・・・・ | 
| 太古の昔、日本列島は二つの島に分かれ、その間には | 
| 日本海と太平洋をつなぐ幅100キロ近い海があった。 | 
| やがて「プレート」の移動により二つの島は圧縮されて合体、海は消え、 | 
| 代わりに3000m級のアルプスの山々と多くの火山が誕生した。 | 
| 富士山や箱根山、八ヶ岳、白根山、妙高山、蓼科山などはこのころに誕生した火山である。 | 
| 糸魚川・静岡構造線は、二つの島が合体した一番西のはしの境界にあたる。 | 
| 現在、この構造線を境に、「西日本・東日本」が分かれ、電気の周波数(メガヘルツ)、 | 
| JR西日本とJR東日本、などが境界をなしている。 | 
| 小谷村、白馬村の温泉が塩辛いのはかつての海水だからであり、 | 
| 北アルプス白馬岳山頂近くで貝の化石も見つかる。 | 
| 先の地震もこの境界線(断層)が動いた結果である。 | 
| 自然豊かな風景に囲まれ、ふだんは考えもしないが、 | 
| 考えてみれば大変なところに住んでいるということだ。 | 
| 春 | 
| この時期、我が家の近くで雪どけとともにまっ先に芽を出し、花を咲かせる植物がある。 | 
| カタクリ、アズマイチゲ、フクジュソウ、オウレン・・・・・ | 
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| どれも小さくて可憐な花たちだ。 | 
| 受粉を手助けしてくれるハチや昆虫たちが少ないのに、開花するのは、 | 
| うかうかしていると、あっという間に大きく育つ他の植物たちに追い越されて、 | 
| 日陰の中で生きなければならないからだ。 | 
| 生き残り、子孫を増やすには、他の植物たちが芽を出す前に開花しなければならない。 | 
| 人間の目を楽しませてくれる彼らだが、 | 
| そこには、弱きものたちが懸命に生き残る智恵がある。 | 
| 彼らにとって春は、浮かれ騒ぐ季節ではなく、 | 
| 生存を賭けた、熾烈な戦いの季節なのである。 | 
| 村 | 
| 村の中に三つのスキー場がある。 | 
| 十か所以上の温泉があり、姫川という清冽な流れを持つ川がある。 | 
| 二つの国立公園の中に位置していて、北アルプスの絶景が楽しめる。 | 
| 日本の原風景といえる家屋や里山がいたるところにある。 | 
| 日本屈指の豪雪地域である。 | 
| 小谷村・・・・・・・ | 
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| 何もない村だと言う人もいるらしいが、私にとっては | 
| 豊かな自然に恵まれ、心やさしい人々が住む村である。 | 
| 雪 | 
| 厄介だと思える雪ですが、 | 
| 山里に住んでみると、これも「自然の恵み」だと思えるのです。 | 
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| 何メートルも積もる雪のおかげで、おいしい山菜が育ちます。 | 
| 適度な水分と低温で、おいしい漬け物もできます。 | 
| 田畑を潤す水も、うまい水道水も枯れることがありません。 | 
| 高山でしか見られないような植物があちこちに芽を出します。 | 
| 厳しいことばかりではありません。 | 
| 大量の雪が豊かな自然を支えているのです。 | 
| 雪の重みで | 
| 突然電話機がまったく反応しなくなった。 | 
| 屋外の電話線をみると、隣の家の滑り落ちた屋根雪が乗っかって、 | 
| 電話線が切れて垂れ下がっている・・・・・ | 
| 話には聞いていたが、こんなことはもちろん初めてである。 | 
| 電話会社に連絡すると、すぐに作業員の人が来てくれた。 | 
| 切れた線をつなぎ、保安器とやらをあれこれ調べて、 | 
| やっと開通した。 | 
| 「重い雪なもんで、よく切れるんですよ」と作業員の人が言う。 | 
| 雪の重みで電線が切れる、という体験も | 
| 雪国に住んでいればあることなのである。 | 
| 雪 | 
| この冬6回目の屋根雪おろしをしました。 | 
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| 新記録です。 | 
| 除雪をしない北側では、おろした雪がついに大屋根と同じ高さになり、次はもうおろせません。 | 
| もちろん一階は完全に雪に埋もれ、窓から光は入りませんし、 | 
| 2階も窓の外は雪で景色が見えません。 | 
| よくぞここまで降ったものだと感心させられます。 | 
| 降り始めの12月からずっと白一色の世界・・・・ | 
| どこを見ても白なので、目の奥まで白くなってしまいそうです。 | 
| 全国のアメダス観測で、小谷村の積雪深は堂々の15位だとか・・・・・ | 
| http://weather.yahoo.co.jp/weather/amedas/ranking/?rank=snow | 
| さあ、これからこの雪を融かしてもらうのですが、 | 
| ほんとうに全部融けるのだろうかと不安になります。 | 
| 地面が顔を出し、草花や木々たちの目覚めが見られるまで、 | 
| もう少しの辛抱です。 | 
| あたりまえ | 
| 東北や北陸、新潟、長野の山間地で、 | 
| 今も3メートルを超える積雪の中で暮らしている人々が大勢いるということを、 | 
| 積雪には縁のない人々が想うとき、 | 
| 「大変だろうな・・・」という感想になる。 | 
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| しかし地元では、 | 
| たしかに大変ではあるが、縁のない人々が想うほど大変だとは感じていない。 | 
| その時期になればそれがあたりまえ、なのである。 | 
| その事態が”あたりまえ”になれば、 | 
| 人間、たいていの所で生きていけるものである。 | 
| 天気図 | 
| この時期、雪国では、「天気図」がとても役に立ちます。 | 
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| 曇りや雪の予報は観測所のある場所での予報なので、 | 
| 山里の実際の天気とはズレることが多いのです。 | 
| その点、天気図は | 
| 西高東低の気圧配置が実に正確に見事に降雪を的中させてくれます。 | 
| 等圧線の向きや混み具合をみればどのくらい雪が降るかが分かるようになりました。 | 
| 昔、学校で習った知識がほんとうに役に立っています。 | 
| 身についた知識は、すぐに役に立たなくても、 | 
| いつかどこかで役に立つものです。 | 
| 勉強はしておくものですね。 | 
| 雪かき | 
| 雪の少ない地方では「雪かき」と言う。 | 
| 小谷村では「雪堀り」と言う。 | 
| 「かいてちゃ間に合わねぇ」・・・・・ | 
| 実感である。その通り、雪かきという程度の上品な雪の量ではないのだ。 | 
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| スコップで掘らなければ山のように積もった雪には立ち向かえない。 | 
| 各家庭には、大型の除雪機、スコップ、スノーダンプが必需品、 | 
| 屋根から落とした雪は圧雪となってカチカチになり、 | 
| スコップも歯が立たない時がある。 | 
| 集落の中にも、先の地震で被害を受け、雪の重みでついに倒壊した家が出た。 | 
| 雪は「かく」ものではなく、「掘る」ものになるのが雪国である。 | 
| 教訓 | 
| 長野県北部を襲った地震から1か月半、 | 
| ようやく余震も収まりつつあります。 | 
| 日本最大の断層の上にある小谷村なので、 | 
| 過去にも大きな地震があったのではないかと思い、調べてみました。 | 
| 江戸時代の中期、正徳4年(1714年)に小谷、白馬地方を大きな地震が襲ったと | 
| 記録に残っているそうです。当時、地元の村から奉行所に出された文書には、 | 
| 「明けて十六日昼四つ時まで、三十三度震い申し候。四か条村、小谷まで皆々震い崩れ候い | 
| て、何と五十四人死に申し候。家数三百五十軒つぶれ申し候・・・・・」とあります。 | 
| この地震で姫川が土砂崩れでせき止められ、その後決壊して下流の集落に | 
| 大きな被害がでたと記してあります。(小谷村広報誌より) | 
| 今から300年前のことです。 | 
| 今回の地震は「逆断層型」で、東側から押され続けてきた地層のひずみが溜まって | 
| 西側の地層に乗り上げる形で開放されたことによる、と報じられました。 | 
| ひずみは今も少しずつ溜まっているということなので、 | 
| また何百年か先には地震が起こることを示唆しています。 | 
| あらためて全国の地震情報を見てみると、 | 
| 日々全国のあちこちで地震が起こっていることが分かります。 | 
| (http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/) | 
| 日本は地震大国、われわれは揺れる大地の上に住んでいるのだと、 | 
| あらためて思い知らされました。 | 
| 名人 | 
| 今年もいただいた。 | 
| 高級なクロモジの「つまようじ」である。 | 
| 集落の師匠の一人が毎年届けてくれる。 | 
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| 春は山菜、秋は天然のキノコをたくさん持ってきてくれる人で、集落でも名人と言われる人・・・・ | 
| 「クロモジの枝はあるで、来年は自分でやってみるだ」と言われるが、 | 
| 何度教えてもらっても、山で未だにクロモジの木が見分けられない。 | 
| 情けない話で、名人芸には遠く及ばないだろう。 | 
| 「こんないいものができるんだから、道の駅で販売したらどうですか?」と言ってみるが、 | 
| その気はないらしい。 | 
| 山里には、驚くような技を持つ、かくれた名人がいる。 | 
| 豪雪 | 
| 腰まで埋まる純白の積雪の中を歩いていると思う。 | 
| これが全部砂糖だったら、今頃は大金持ちだなぁ・・・・・ | 
| そんな他愛もないバカなことを考えながら、除雪に汗を流す。 | 
| 年賀状や宅配便を配達してくれる人のためにも、 | 
| 玄関までの道はあけておかなくてはならない。 | 
| 家の周囲の除雪を一通り終わるまでに1時間半はかかる。 | 
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| 「えれぇ雪だ。こんなに降る雪はめったにねぇだ。」と地元の師匠たちを驚かせる正月の降雪・・・・ | 
| 雪がやめば、各家でいっせいに屋根雪おろしがはじまるだろう。 | 
| ボランティアの雪おろし隊を頼みたい気持ちにもなる。 | 
| 昨日のニュースで全国の積雪量堂々の第二位に輝いた小谷村、 | 
| ここは日本屈指の豪雪地域、そこに住むと決めた以上、 | 
| つべこべ言わずに除雪機のエンジンをかけるしかない。 | 
| 大雪 2015年元旦 | 
| 2015年は、元旦から80cmの大雪で幕を開けた。この冬最高の積雪量である。 | 
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| 何度も経験しているので驚くことはないが、想像してみてほしい。朝起きてみると家の周りに80cmの積雪・・・ | 
| 腰まで埋まる積雪だ。もちろん道路も同じなので、除雪をしなければ車は全く動けない。 | 
| 温暖化の影響で日本海の海水温が年々上昇しているそうだ。そうすると、蒸発する水蒸気の量も増えて、 | 
| 雪雲が発生しやすくなり、大雪になることが増えるという。暖冬だというのは、このあたりの雪の量とは相反する | 
| 現象だということになる。屋根の雪も半端ではないが、降ってすぐはまだ軽いので急いでおろすことはないが、 | 
| 近日中にやらなければならないだろう。のんびりおせちや雑煮を食べているヒマはなさそうだ。 | 
| 震災の爪あともこの雪で今は見えない。気持ちのいいくらいの積雪に囲まれて新しい年がはじまった。 | 
| 今年はいいことがいっぱいあることを願って、新年最初の雪かきに汗を流すとしよう。 | 
| 表示 | 
| 買い物にいってみるとよくわかる。 | 
| 消費税が上がってから、 | 
| 商品の価格が税抜(本体価格)で表示されている・・・・・ | 
| 税込価格は、見えにくい小さな数字で下に表示されていることが多い。 | 
| 店頭で税抜き価格をみて瞬時に8%の税込み価格を暗算できる人はいないだろう。 | 
| 聞けば、5%のときは税込価格を表示するよう決まっていたそうだが、 | 
| 今回は店に任せるということらしい。 | 
| 売る側の気持ちもわからないわけではないが、 | 
| 消費者はどうせ愚昧だから、という魂胆ならその経営感覚を疑う。 | 
| 何とかならないものか・・・・と思っている人は多いと思う。 | 
| 支払いの時に「えっ?」と驚くのは、 | 
| 何だかだまされているようで、甚だ気分が悪い。 | 
| あとかくしの雪 | 
| 雪の季節になり、連日の積雪を見ていると、むかし読んだある話が思い出される。 | 
| 木下順二さんの「あとかくしの雪」である。漫画や童話でも紹介される地方の伝承話を脚色したものだ。 | 
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| ・・・一人の旅人が疲れ果ててある一軒の農家に一夜の宿を乞う。心優しい百姓は貧乏で旅人をもてなす | 
| ものがない。それで仕方なく、隣の大きな家の大根を囲ってあるところから大根を一本とってきて、 | 
| 大根焼きをして旅人に食わせてやった。旅人はうまいうまいと本当にうまそうにその大根焼きを食べた。 | 
| その晩雪は降ってきて、百姓が大根をとってきた足跡がまるで歩む後からのように消えた。 | 
| この地方ではこの日に雪がふると今でも赤飯をたいて食べる・・・・・という話である。 | 
| 百姓の行為は、旅人のためとは言え、盗みであり、翌朝には発覚して罰せられることになるのだろう。 | 
| しかし、夜の間に雪が足跡を消していた、という。まるで雪に「意志」があるかのようだ。なぜ今でもこの日に | 
| 雪がふると赤飯をたいて祝うのか?伝承によれば旅人は弘法大師であったそうだ。 | 
| 盗みは盗みで悪いことだが、百姓の純粋な気持ちは理解できるし、雪が貧しい百姓を救ってくれたという | 
| 話は、「いい話」として語り継がれてきたのだろう。ものごとの価値判断には、善悪だけではなく、美醜という | 
| ものがあると教えられる。 | 
| 雪の上に残る自分の足跡をみると、なぜかこの話がなつかしく思い出される。 | 
| 知名度 | 
| 11月22日の長野県神城断層地震で、図らずも小谷村の名前が一躍全国に報道された。小谷村・・・これを | 
| 「おたりむら」と読むことも合わせて報道してもらったので、ずいぶん知れ渡っただろう。 | 
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| 降雪の時期を迎えたが、今村では家屋や道路などの補修工事が急ピッチで進んでいる。特に被災した | 
| 家屋は、雪の重みで倒壊しないよう応急の補修工事が行われている。本格的な修復は雪がとける春を | 
| 待たねばならないが、この冬を乗り切ることが先決・・・・ | 
| 急峻な山岳の中に位置する小谷村なので、隣の白馬村よりも農地や道路の破損個所は格段に多い。 | 
| 国の「激甚災害」に指定されたそうなので、復旧費用はずいぶん助かることだろう。村の主要な産業でもある | 
| スキー場も先日オープンした。だが、風評被害とでもいえるのだろう、中学や高校の修学旅行のキャンセル | 
| が相次いでいると聞く。一校、生徒数200人前後のキャンセルで、ホテルや旅館の損失は2000万円にもなる | 
| そうだ。スキー場や関連施設は断層の反対側に位置しているので、ほとんど無傷、せっかく小谷村の知名度を | 
| 上げてもらったので、ぜひ多くの人に訪れてもらいたいものだ。 | 
| 知名度が上がるのは大歓迎だが、次はもっと明るい話題で報道されることを望みたい。 | 
| 学習 | 
| 集落総出の草刈り作業でのこと・・・・ | 
| 草刈り機で一本道の草を刈っていく。 | 
| 道端に一メートル四方、刈り残した草がある。先に行った人が刈り忘れたのだろうと、 | 
| それを全部きれいに刈っておいた。 | 
| さて、作業が終わってみんなが戻ってきた時のこと・・・・ | 
| 「誰だい?刈らずに残しておいたヨシナを刈ったのは?」 | 
| えっ?もしかしてあの草? | 
| 「あのう・・私です。草だろうと思って刈りました」 | 
| 大爆笑になった。聞けば昨年も全く同じことをやったのが私・・・ | 
| ヨシナ(ミズナ)というのは、高級な山菜で、とてもおいしいんだそうだ。 | 
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| その後の慰労会でも、再びそれが話題になり、みんな大笑い・・・・ | 
| 2年も続けて同じ失敗を繰り返すとは・・・学習能力がない。 | 
| 来年こそは、刈らずに残しておくぞ。 | 
| 勝てない | 
| 光と水と二酸化炭素さえあれば、どんな過酷な環境でも生きていく・・・ | 
| 植物である。 | 
| お金と地位と名声、ご馳走や豪邸があり余るほどあっても、生きていけない時がある・・・・ | 
| 人間である。 | 
| 自分たちの都合で愛でたり、邪魔者あつかいをしたりする植物に、 | 
| 人間はとうてい勝てない。 | 
| 植物に囲まれた山里に住んでみると、 | 
| そのことが本当によくわかる。 | 
| 冠雪(2014.10.0.7) | 
| 今朝、北アルプスの白馬岳が初冠雪・・・・ | 
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| 昨夜からの雨が雪になり、10センチ積もったそうだ。 | 
| 人間たちよ、これからはお前たちが容易に足を踏み入れる山ではないぞ、と言わんばかりに | 
| 誇らしげに白く輝く。息をのむほど荘厳な景観だ。 | 
| 山には雪が良く似合う。 | 
| 会話 | 
| 弟子:今年も新米が出回る時期ですが、コメが余っていると言います。 | 
| 仙人:そうらしいのう。今に未曾有の食糧難がやってきて、食料の輸入 | 
| が止まり、日本中が大パニックになるときが来るじゃろうのう。 | 
| 弟子:そうなると、どうなりますか? | 
| 仙人:あわてて米や農産物の増産を図るんじゃろうが、そう簡単には | 
| いかんじゃろう。みんなが食いものがない恐怖を味わうことになる。 | 
| 農家や田んぼ、畑を粗末に扱ってきたことを後悔するじゃろう。 | 
| 弟子:われわれは大丈夫でしょうか? | 
| 仙人:心配いらん。われわれは霞(かすみ)を食っておればよいからのう・・・・・ | 
| 利点 | 
| 見知らぬ土地に住む利点は、 | 
| 自然や環境、文化が目新しく、新鮮であるということもあるが、 | 
| 何よりも、 | 
| 自分の氏素性や生い立ち、過去の経歴などを誰も知らない、ということだ。 | 
| どこへ行っても、名前を呼んで自分に声をかけてくる人はいない。 | 
| この何とも言えない爽快感・・・・・ | 
| 自分の意志で、ゼロから新しい人間関係を作っていく心地よさ・・・・ | 
| なかなかわかってもらえないだろうが、 | 
| 田舎に住むとはそういうことなんじゃないかな。 | 
| コメ | 
| 長野県で、2014年産の米の仮払い金(農協が農家にとりあえず支払う米の代金)が15%値下がりした | 
| と報じられた。60キロで8812円だと言う。(銘柄:あきたこまち)昨年より1976円の値下がり・・・ | 
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| 最終的には売れ行きによっていくらか上乗せされるかもしれないが、多くの農家が「これではやっていけない」 | 
| と話す場面がテレビで報道されている。消費者にはピンとこない金額だろうが、60キロ1万円でも苦しいのが | 
| 現実・・・肥料代、農薬代、機械代、人件費などを考えればこの金額では赤字になりかねないそうだ。 | 
| 原因は「コメ余り」、昨年の在庫がまださばき切れていないのだ。おまけに今年は米の豊作で、コメ余りに | 
| さらに拍車がかかりそうだという。米の生産調整(減反)は2018年で終了するので、そうなればコメはさらに | 
| 供給過剰になることが予想される。 | 
| 今年も稲刈りの手伝いをしているが、山里の田んぼでも耕作放棄された田が増えている。農家の高齢化 | 
| で維持することが難しくなっているからだ。新米が出回る時期になったが、おいしさの裏にはこんな問題が | 
| あることを考えてほしいものだ。日本人よ、もっと米を食べなさい! | 
| 別れ | 
| 九州からいっしょに連れてきた愛車・・・・といってもバイクなのだが、別れの時が来た。 | 
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| オフロード走行専用のバイクである。山里に住めばきっと必要になると思って、手放さずにいたが、 | 
| さすがにこの齢で乗り回すバイクではない。名残惜しいが手放すことにした。 | 
| 福岡にいるころは、休日になると熊本や宮崎の山中の林道を走り回った。夏には四国の剣山林道 | 
| や四国を縦断する国道439号(通称よさく国道:過酷な国道で知られる)も走破した。 | 
| テントを積んで山中の河原でキャンプをしたり、道なき道を転倒の恐怖に耐えながら走ったり、バイク | 
| に乗る楽しさを存分に教えてくれた、愛すべき”相棒”であった。 | 
| 引き取られていく後ろ姿を見送りながら、「いい人に可愛がってもらえよ。長い間ありがとう・・・・」と | 
| 心の中でつぶやいた。たかがバイクではあるが、別れはやはり切ない。 | 
| バイク好きのおじさんとしては、何も乗るものがないのは寂しい。次は原付のスクーターを手に入れよう | 
| と思っている。畑への”通勤”用としてはそれくらいがちょうどいいだろう。 | 
| 近くの国道を、休日になると多くのバイクが走っている。横目で見ながら、血が騒ぐ懲りないおじさんである。 | 
| キハダ | 
| キハダ・・・・小谷に住むまで、こんな名前は聞いたことがなかった。キハダとは、山に自生する樹木 | 
| の名称である。この木の皮は古来から漢方薬の原料として知られ、胃腸薬として今でも使われている。 | 
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| 集落の師匠たちの話では、つい最近まで山でこの木の皮をとってきて売っていたという。けっこう | 
| よい収入なったのだそうだ。手に入れて煎じて飲んでみた。これがまた、えらく苦いのだ。いかにも体に | 
| 効くという感じである。たしか「キハダあめ」という名前のあめがあったような・・・・ | 
| 「酒を飲みすぎて胃の調子が悪い時、この木の皮をちょっとなめるだ。すぐによくなるだよ。どこの家 | 
| にも常備薬として置いてあるだ。」・・・なるほど、納得である。 | 
| その気になって家の周囲を探してみると、あちこちにこの木が自生している。 | 
| キハダの別名は「黄檗(おうばく)」という。禅宗の一つ、黄檗宗ではむかしこの木の皮に経文を書いた | 
| そうだ。唐の僧、黄檗希運の名前に由来するそうだが、ちなみに我が家の宗派も黄檗宗である。 | 
| 無縁ではないこのキハダ、これからも時おり使わせてもらうことにする。それにしても苦い! | 
| 目配り | 
| 新潟県の糸魚川市・・・・我が家から車で40分、 | 
| そこに行きつけの回転寿司屋がある。 | 
| 店は狭いが、回転するレーンの中で店員さんが直接握って出してくれる店だ。 | 
| 多くの客が好みの注文を出しているが、一度に3人、4人からの注文を聞き、 | 
| それを間違えずに握る店員の記憶力には舌をまく。 | 
| 満席の店の中でそんなことに感心しながら食べていると、 | 
| 「お客さん、何か注文はありませんか?」と声をかけられた。 | 
| 大勢の客がいる中で、何も注文していない私に目配りをしていてくれたことに | 
| うれしくなった。 | 
| そんなことはサービスとして当然のことだ、と言うのは容易い。 | 
| だが、客にはそれがうれしいのだ。 | 
| 満腹であったが、うれしさでついもう一皿食べてしまった・・・・・・ | 
| ごちそうさまでした。 | 
| ブランド力 | 
| ズワイガニ・・・・ | 
| 山陰では「松葉ガニ」、北陸では「越前ガニ」と呼ばれる高価なカニである。 | 
| 大きいもので一ぱい4000円から一万円もする。 | 
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| 遠くに住む子どもたちや孫たちに食べさせてやろうと、 | 
| 毎年時期になると、糸魚川まで行って地元産のカニを送ってやっている。 | 
| 同じカニなのに、新潟県沖で獲れるカニの呼称は普通の「ズワイガニ」・・・・ | 
| 「〇〇ガニ」という、地元ブランドのネーミングはないのかと聞くと、 | 
| それがないから損をしている、と言う。 | 
| 以前よく似た話を福岡の漁師さんから聞いたことがある。 | 
| 大分では「関アジ・関サバ」というブランドのおかげで高い値がつくが | 
| 玄界灘でとれるアジやサバは、味は何も変わらないのに関アジほどの値がつかない。 | 
| ブランドの力は大きいが、一人ではどうしようもない・・・・・・と。 | 
| なるほど、ブランドの力、 | 
| たかが呼称なのだが、あなどれない。 | 
| 流通 | 
| アサリ貝が食べたくなってスーパーへ行った。 | 
| 鮮魚コーナーに行くと、パックに入ったアサリ貝が並ぶ。 | 
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| 生産地の表示を見て驚いた。 | 
| 「熊本産」と書いてある。 | 
| 何と隣の養殖ブリの刺身には「鹿児島産」とあるではないか。 | 
| 貝もブリも生もので、そんなに日持ちするものではない。 | 
| 熊本や鹿児島からどうやって運んできたのだろう、とつい思ってしまう。 | 
| 信州にいて九州の魚や貝が食べられるとは、まさに驚きだ。 | 
| 日本の流通の力を見せてもらった気がする。 | 
| 熊本産のアサリは、ほんのり九州の味がした。 | 
| 今季3回目の屋根雪おろし | 
| 先日の一日で90センチの積雪で、屋根雪が一気に増えた。これはもう屋根に上がるしかない。この冬3回目 | 
| になる。軽く1メートルは越える積雪、各地で積雪の重さで倒壊する建物があるというのもうなずける話だ。 | 
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| 1立方メートルの積雪で約250キログラムの重さになるというので、我が家の屋根にはざっと50トン近い | 
| 雪が載っている。夜中に家のあちこちでミシミシと不気味な音がするのも無理はない。 | 
| 慣れてきたとはいえ、何度やっても雪おろしは重労働である。スノーダンプという便利な道具はあるが、鉄製 | 
| で重い。これを振り回すわけだから腕や肩が悲鳴をあげる。さらに常に滑落の恐怖、特にひさしに近い先端部 | 
| には気を遣う。この冬、屋根から滑落して命を落としたり、大けがをしたりした人があとを絶たない。そうならない | 
| ように、足元の雪をしっかり踏み固めながら足場を作り、慎重に作業を進める。 | 
| 上部の雪が一気に滑り落ちてくれれば楽でよいが、必ず途中でとまってしまう。それを再度下まで落とす。 | 
| この二度手間を解消するのが「波板トタン」である。ホームセンターで買い求め、先端にL字型の金具を取り付け | 
| て雪に差し込む。これを2枚つないで上部の雪を乗せると、滑り台のように雪が滑って落ちていく。 | 
| なかなかの優れものだが、集落の師匠たちでこれを使っている人はいない。以前、その理由を聞いたことが | 
| ある。師匠たち曰く・・・「面倒くさい・・・」 そんなものを使わなくても落とせる技が何かあるのだろうが、こちらは | 
| 素人、当分は波板のお世話になるしかない。片側で2時間、一日のしごとはこれが限度、残りは次の日になる。 | 
| 屋根雪を下した日は近くの温泉に行って、ゆっくり体をいたわってやる・・・これが最近の雪おろしの慣習に | 
| なった。これがこの冬最後の屋根雪おろしになることを願う。 | 
| 薬 | 
| 村の診療所に行くと、 | 
| 多くのお年寄りでごった返している。 | 
| 車に乗れない高齢者が多く、村営バスを利用してやってくるので、 | 
| 同じ時間帯に重なり、待合室はいつも大混雑・・・・ | 
| 診察まで1時間も待ってようやく・・・という状況だ。 | 
| 中には、買い物袋いっぱいになるほどの薬をもらって帰る人もいる。 | 
| 驚くほどの薬の量は、それだけ体のあちこちに不安があることを物語っているのだ。 | 
| 長年、体を酷使してきたであろうお年寄りたちは、 | 
| 手元に薬があることでの安心感を処方してもらって家に帰る。 | 
| 春まで | 
| 雪の中、多くの野鳥たちに出会う。 | 
| わざわざこんな雪の多いところに来なくてもいいのに、と思う。 | 
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| 秋、収穫しなかった柿の実やさまざまな木の実が彼らの主な食糧だ。 | 
| 降りしきる雪の中で「えさはちゃんと見つかったかい?」・・・・ | 
| 何とか頑張って春まで生き抜けよ・・・・・ | 
| 思わずそう声をかけてやりたくなる。 | 
| 先日、除雪機を格納している車庫に行くと、車庫の中で一羽のヤマガラに出会った。 | 
| しばらく顔を見合わせていたが、やがて飛んで行った。 | 
| もしかすると、春に我が家の巣箱で生まれたヤマガラかもしれない。 | 
| 雪の中でともに春を待つ仲間として、彼らの無事を願わずにはいられない。 | 
| 大雪警報 | 
| どんな基準があるのかは知らないが、 | 
| 小谷村に「大雪警報」なるものが2,3回発令された。 | 
| たしかに、その日は30センチを超える雪が降っている。 | 
| 南国にいると聞くこともない「大雪警報」・・・・ | 
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| ここはそんな警報が必要な場所なのだと知らされる。 | 
| 暮らすには厄介な雪だが、美しいと感じるときもある。 | 
| 道路が一面真っ白になり、白いじゅうたんの上を走っている感覚は | 
| 大雪警報を必要とする場所に来なければ味わえない。 | 
| 標高 | 
| 我が家は、標高750メートルの山の中にある。 | 
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| 理論上、標高が100メートル上がるにつれて気温は0.6度下がるというので、 | 
| 我が家は年間平均して平地より4.5度低いということになる。 | 
| 小谷村の中心地の標高が約500メートルだから、 | 
| 我が家は麓よりもさらに1.5度低くなる。 | 
| この1.5度の差が大きいのだ。 | 
| 麓では降っていなくても、我が家の近くにくると雪・・・・ | 
| 積雪も麓の2,3割増しということになる。 | 
| おいしい水や空気をふんだんに使わせてもらっているので、 | 
| そのくらいは許容範囲だと思っている。 | 
| 電池交換不要 | 
| 十数年前に買い求めた「ソーラー式腕時計」が、 | 
| いくら充電してもすぐ動かなくなりました。 | 
| 街の時計屋さんに持ち込むと、内蔵の二次電池の消耗で、 | 
| 「これはメーカー送りですね。普通にやっても1万円以上はかかりますよ」とのこと・・・・ | 
| えっ?1万円?そっりゃあないだろう、電池交換不要だと聞いていたのに、と | 
| 我が耳を疑いました。 | 
| そこでハタと気付くのです。 | 
| そうか、メーカーだって商売だ。買い換えてもらわないと商売が成り立たないわけだ・・・・ | 
| それにしても「電池交換不要」は看板に偽りあり、でしょう。 | 
| 調べてみると、同じようなクレームが結構あるようで、 | 
| 最近のメーカーの宣伝には、「定期的な電池交換不要」とありました。 | 
| 半永久的に使えるものではない、くらいは表示してもいいと思うのですが・・・ | 
| 消費者の方がもっとかしこくならなければいけないようです。 | 
| 意志疎通 | 
| この時期、白馬村や小谷村には外国人があふれます。 | 
| スキーやスノーボードをするためにやってきた人たちです。 | 
| スーパーやホームセンターで長期滞在のための買い物をする人も多く、 | 
| 店員さんとのやり取りもよく見かけます。 | 
| 先日、ホームセンターで灯油の給油ポンプが欲しいと片言の日本語で | 
| 懸命に説明している人を見ました。 | 
| なかなかうまく伝わらず、悪戦苦闘していましたが、 | 
| 最後の決め手は「身振り、手振り」でした。 | 
| 人間の意志疎通は、言葉に頼らなくても結構できるもんだ、と | 
| 感心したものです。 | 
| 外国のホームセンターにいって、同じことをやってみろ、と言われたら | 
| 間違いなく腰が引けて冷や汗がでることはまちがいありません。 | 
| 雪 | 
| 今のところ、長野県内で積雪量が最も多いのは小谷村だと報じている。 | 
| 大雪と言うほどまだ降っていないが、それにしても県内一位というのは | 
| 果たして喜ぶべきか・・・・ | 
      ![]()  | 
      
| 一晩に80センチの降雪が3日も4日も続いた年もあった。 | 
| その年は除雪が追いつかず、毎日くたくたに疲れて、いい加減にしてくれと | 
| 悲鳴をあげそうになったことを覚えている。 | 
| 昨日、この冬2回目の屋根雪おろしをしたが、 | 
| この冬、少ない雪のままで終わるとは思えない。 | 
| ”嵐の前の静けさ”でなければいいのだが・・・・・・・ | 
| 新年会(2014.1.4) | 
| 集落で、元旦に毎年恒例の新年会が開かれる。決まって話題になるのが我が家の屋根雪おろし・・・・・・ | 
| 「おめぇさんの屋根なら、まあ、半日だな」・・・・2日がかりで、しかも夫婦二人でやっている姿を見ている師匠たち | 
| から、冷やかし半分の話が決まって出る。 | 
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| 確かに集落の師匠たちの屋根雪おろしを見ていると、動きにムダがなく、半日で両面の屋根がみごとに | 
| きれいになっていく。我が家はというと、不安定な足元に気をとられ、動きがぎこちなく、すぐに息が切れる。 | 
| 1,2メートル進んだら休憩、これでは2日もかかるのは当然だとわかっている。しかし、師匠たちが言うよう | 
| にはなかなかいかないのだ。小型の除雪機を屋根の上に置いておけ、とか、屋根を改修して勝手に滑り落ちる | 
| 屋根にしたら、とか、いろんなアイディアでひとしきり話が盛り上がるのだが、毎年最後の結論は、「しかたが | 
| ねぇよ。おらたちは子どものころからやってるで、なんともねぇが、なれねぇ人に同じようにやれと言ったって、 | 
| そりゃあ無理だわ。まあ、慣れるしかねぇな・・・」で落ち着くのだ。おっしゃる通りである。 | 
| 7年もやっているので、最初のころと比べればずいぶん要領もよくなっているはずだが、何十年のキャリア | 
| を持つ師匠たちにはとうてい及ばないこと、雪下ろしも間違いなく技術であり、文化であることを教えられる。 | 
| いつまでやれるかわからない屋根雪おろしだが、雪国に住むと決めた以上、つべこべ言わずやるしかない。 | 
| それにしても師匠たち、酒の肴にするだけでなく、一度我が家の屋根でお手本を見せてもらえませんか。 | 
| 大雪の予感 | 
| この冬は例年になく寒い冬になり、日本海側の山沿い地方は大雪に注意が必要・・・・という予報である。 | 
| 予報通り、クリスマス前から連日の降雪、あっという間に屋根には1メートルの積雪。集落の師匠たちの動きを | 
| 見て、我が家もこの冬1回目の屋根雪おろしとなった。 | 
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| 何度も経験しているが、やはり1回目は緊張する。老体にムチ打って片側で一日、もう片側で一日、二日がかり | 
| の重労働である。慣れた師匠たちは一日で全部を片付けてしまうが、こちらは半分が限界・・・ | 
| すでに全国で雪おろし中の事故で何人もの死者が出ているとか、他人事ではない。命綱を張れと言われても | 
| ごらんの通りの屋根の上、ロープを張る場所などない。足場を踏み固めながら慎重に作業するしかないのだ。 | 
| 同じ時間、雪国と呼ばれる全国のあちらこちらで、屋根に上がっている人もたくさんいるのだろう。 | 
| 白銀に輝く周囲の山々を眺めながら、「あと何回やるのだろう」と思ってしまう。「きれいな雪景色だ」と浮かれ | 
| 騒いでいた昔を思うと隔世の感がある。大雪の予感はするが、はずれであってほしいと願う。 | 
| 天敵 | 
| 信州の各地で「鹿の食害」が大きな問題になっている。 | 
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| 貴重な高山植物を食い荒し、樹木の皮を食べて木を枯らし、畑の作物を全滅させる被害が続出。 | 
| 猟友会などに依頼して駆除は行われているが、追いつかない。 | 
| 鹿の増えた原因はただ一つ、自然界に天敵がいないのである。 | 
| 天敵であったオオカミなどの肉食獣を人間が消滅させた結果が | 
| 彼ら鹿の繁殖を助長させているのだ。 | 
| 自然の絶妙なバランスを崩すと思いがけない結果になるという教訓である。 | 
| 食べればおいしい鹿肉も、 | 
| かわいい鹿を食べるなんてかわいそうだから、という理由で敬遠されていると聞く。 | 
| 牛肉や豚肉は平気で食べるのに・・・・・ | 
| 天敵のいない人間は、実にわがままである。 | 
| ねらい | 
| 望んだわけでもないのに、交通安全協会なるところから | 
| 「無事故・無違反」の表彰状と記念品が届いた。 | 
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| 無事故はその通りだが、 | 
| 無違反となると表彰されるのは面はゆい。 | 
| 速度違反、駐車違反、一旦停止違反・・・などは | 
| 数えればきりがない。 | 
| ただ、検問に引っかからなかっただけ・・・・ | 
| さては、それを承知の上での表彰か? | 
| 表彰されたという自覚を持て、というねらいなら理解できる。 | 
| 今度、速度違反をするときは | 
| より慎重にすることにしよう。 | 
| よろずや | 
| 村に一軒だけ「コンビニ」がある。 | 
| 子どもの頃、どこの田舎に行っても、 | 
| 必ず”万屋(よろずや)”と呼ばれる「何でも屋」さんが一軒はあった。 | 
| ポストやバス停があり、生活に必要な品物や食料などを商っていた。 | 
| 生活環境が変わり、車社会になってその姿を消していったが、 | 
| 今、また新しいかたちで復活している。 | 
| 外見や商いの方法はおしゃれになったが、 | 
| 元型は昔のままだ。 | 
| 村に一軒だけの「コンビニ」と呼ばれる現代の万屋に、 | 
| 昔の面影を重ねて使わせてもらっている。 | 
| 初雪 (2013.11.12) | 
| 初雪がいきなり二十センチの積雪となった。 | 
| 森の木々たちも動物たちも我々人間も、不意打ちをくらった。 | 
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| 針葉樹の杉やヒノキや松は | 
| 葉を針のように細くして雪が積もらないようにしているので耐えられるが、 | 
| 紅葉する広葉樹は葉をすべて落としておかないと、 | 
| 葉に雪が積もり、その重みで枝が折れてしまう。 | 
| 彼らだってこの想定外の積雪は | 
| 命にかかわる一大事なのだ。 | 
| 一旦は融ける雪だが、そのあと | 
| 木々たちも落葉を急ぐにちがいない。 | 
| 責任 | 
| 土用の丑の日・・・・ | 
| うなぎの需要が高まるが、周知の通りうなぎは激減・・・・ | 
| 今や国産うなぎは超希少品、大半が海外からの輸入うなぎだとか、 | 
| 子どものころ、シラスうなぎ(幼魚)を何匹もすくって遊んだり、 | 
| 近くのため池で4,5匹のうなぎを釣ったりした思い出がよみがえる。 | 
| うなぎにせよ、クジラにせよ、マグロにせよ、 | 
| 大量消費の風潮をつくり、海洋資源枯渇の危機を招いた責任の一端は | 
| それを当たり前に食べて育ってきた我々世代にもある。 | 
| オレは関係ない、という輩の血肉の大半はクジラに作ってもらったものであろう。 | 
| 当分のあいだ、うなぎは食べない、とみんなが決意しないかぎり、 | 
| 遠からず、うなぎは食卓から消えることだろう。 | 
| 英語 | 
| グローバル化の波に乗り遅れてはならないと、 | 
| 小学校から英語を教科にして取り組むという話がある。 | 
| 中・高・大学と10年も英語を勉強することになっているが | 
| 要するに、しゃべれないのだ。 | 
| 幼児が言語を獲得していく過程をみれば明らかなのに、 | 
| わが国ではまず「文法」から始めて、読んで書けることを目指す英語教育・・・・・ | 
| 片言でもいいからしゃべって意思疎通ができる力をつける、ということは | 
| 初めから目標にならなかった。 | 
| まったく遠回りをしたものである。 | 
| 外国人の話すたどたどしい日本語を聞いていると、 | 
| 支離滅裂な文法であっても何とか意味は通じるものだ。 | 
| 同様に、英語圏の国に2,3年もいれば日常会話は難なく出来ると言うではないか。 | 
| 言語とは、そもそも意志の疎通をはかるためのもの、まずは伝わればいいのだ。 | 
| しゃべることを目標にするなら、もう一つ、 | 
| 「英語」を受験科目から外すことだ。 | 
| 点数をつけようとするから「書き方英語」になった。話し方に点数はつけられないだろう。 | 
| おじさんたちにはもう縁のない話だが、 | 
| もしもやるというなら、本気を出せ。 | 
| 田植え | 
| 今年もまた近所の師匠に頼まれて、田植えの手伝いをしている。 | 
| 残雪が白く輝く北アルプスの峰々を背景に、田植え機で苗を植えていく。 | 
| 景色は申し分ないが山里の棚田は、一枚一枚の田が好き勝手な形をしていて、 | 
| 大きさもさまざま・・・・ | 
   ![]()  | 
      
| 見ていると簡単そうだが、機械で植えようと思うとこれがなかなか手ごわい。 | 
| 最後に、残しておいた周囲を植えるのだが、植え始める始点を間違うと | 
| せっかく植えた苗を踏み潰さないと帰ってこれなくなるのだ。 | 
| だから植える前に最後の場面を入念にイメージしながら作戦を立てる。 | 
| 長方形に整備された田ならそんな心配はいらないのだろうが、 | 
| 何しろ入り組んだ曲線で囲まれた棚田、結構頭をつかう。 | 
| 観光客が「きれいだ」と言って喜ぶ棚田の景色も、 | 
| そんな見えない苦労に支えられている。 | 
| なまこ | 
| 福岡でよく食べていた”なまこ”が食べたくて、いろいろ探してみたがない。 | 
| 海に面した糸魚川ならあるだろうと思ったが、やはり売っていない。 | 
| 集落の師匠たちに「なまこ、どこかに売っていませんかね」と聞くと、 | 
| 「なまこ?おら、そんなもの、生まれて一度も食ったことねぇな。 | 
| ここらじゃ、そんなものは食わねえよ。そんなにうまいもんかね」・・・・・・・・とのこと。 | 
| この時期、山菜に目の色がかわる師匠たちには、 | 
| どうやら縁のない食べ物であるらしい。 | 
| 海洋民族の末裔の血が騒ぐ。なまこが食べたい! | 
| 準備 | 
| 近所の師匠に頼まれて、田んぼの代かきの手伝いをしている。 | 
| トラクターに乗って水の張られた田んぼの中をぐるぐる回って、 | 
| 固まった土を細かくしていく。 | 
| この作業をするまでに、荒起こし、肥料散布、畦(あぜ)ぬり、水入れなどの | 
| 作業をしなければならない。 | 
| 代かきのあと、もう一度仕上げの代かきをしてようやく田植えの準備ができる。 | 
| 体験学習と銘打った”田植え”を子どもたちがやっているが、 | 
| せっかく体験させるなら、その前の作業から体験させるべきだろう。 | 
| 田植えと稲刈りだけでコメを手にするから、「おもしろかった」で終わり、 | 
| コメづくりを知らない日本人がふえていく。 | 
| 巣箱 | 
| 庭の柵に気まぐれに吊るしておいた鳥の巣箱に、 | 
| ヤマガラの番(つがい)がやってきて、巣作りをはじめた。 | 
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| 二羽が交代で巣の材料のコケや枯草をせっせと運び込んでいる。 | 
| うまくいけば、近いうちにヒナの声が聞こえるだろう。 | 
| うまく言えないが、ほんわかと幸せな気分にさせてもらっている。 | 
| 我が家を選んでくれてありがとう。 | 
| いい子を育てろよ。 | 
| 予測 | 
| 厚生労働省が今後の人口推計を発表している。 | 
| それによると、小谷村では、 | 
| 2010年で3221人の村民が、2040年には1601人になるという。 | 
| 今後30年で約半数になるわけだ。 | 
| 各集落の人間が半分になると考えると、限界集落どころの話ではない。 | 
| 小谷村全体が「限界村」になってしまうだろう。 | 
| 日本全体が人口減だから、小谷村に大幅な人口流入は望めない。 | 
| 50年後、100年後を心配しても始まらないが、 | 
| 「むかし、ここに小谷村という村があったそうだ・・・」という話にならなければよいのだが・・・・ | 
| 雪の中で | 
| 雪の中で暮らす秘訣が二つある、とわかってきた。 | 
| どんなに積もっていてもこの雪は春になれば必ずとけると思うこと、 | 
| 雪景色は美しいと感じること・・・・ | 
| 4,5センチ積もっただけで大混乱に陥る都市では | 
| 雪を美しいなどと感じているヒマもないだろう。 | 
| 悲観的に考えれば厄介この上ない雪だが、 | 
| 一面の白銀の風景など、そうそう見られるものではない。 | 
| ほんとうに美しいものを見ているんだと思う。 | 
| 雪景色を堪能したいなら、 | 
| 中途半端に積もるところではなく、豪雪地域と呼ばれるところへ | 
| ぜひ足を運んでごらんなさい。 | 
| 除雪 | 
| 今のところ、この冬の雪は平年並みか、やや少ない感じがする。住んでいる者にとってはありがたいことだ。 | 
| とは言っても、道路の除雪や屋根雪おろしは休むわけにはいかない。少ないと言っても、一晩に20〜30cm | 
| の積雪は続いている。昨年のように80cmというような大雪が今のところないだけだ。 | 
| 雪道の運転には慣れてきたが、それでも20cm道の上に積もるとさすがに運転しにくい。スタッドレス・タイヤ | 
| のおかげで滑ることはないが、雪にハンドルをとられ、車が左右に揺れる。まるで海上を進む小舟のようで、頼り | 
| ない。そんな不安を解消してくれるのが”除雪車”である。 | 
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| 雪を押し分けていくブルドーザー型の除雪車と、大きなロータリーで吹き飛ばす型の除雪車が大活躍・・・・・・ | 
| さすがプロ、と思わせる技で、下の舗装が見えるくらいのところまで除雪をしていく。我が家の近くまでこの | 
| 二種類の除雪車が3台やってきて、あっという間にきれいに除雪をしてくれるので、ほんとうに助かっている。 | 
| 通勤時間に間に合わせなくてはならないので、朝の4時か5時ごろには集落の除雪は完了する。 | 
| 大変だなと思いつつ、作業をしてくれる人には感謝、である。もうしばらく、お目にかかれる除雪風景だ。 | 
| 神 | 
| 都市と田舎を分けるものがあるとするなら、それは | 
| ”神”であろうか。 | 
| ここで言う”神”は、〇〇命(ミコト)と呼ばれるような神話の神ではない。 | 
| 人知を超えた、大きな力の存在、とでも言えばよいか・・・・・ | 
| 都市にだって神社はあり、折々に参詣はする。 | 
| だが、暮らしの身近なところに神は住んでいない。 | 
| というより、神が住んでいてもらってはやりにくいのだ。 | 
| 田舎では、まちがいなく”神”はすぐ近くにいる。 | 
| 誇張ではなく、そう感じる暮らしの中にいる。 | 
| 都市と田舎の両方に住んでみると、 | 
| そのことがよくわかる。 | 
| 賽の神 | 
| 賽の神・・・・・正しくは「さいのかみ」だろうが、このあたりでは「せぇのかみ」と読む。古来より村々の境界で、入っ | 
| てくる災いや疫病を防ぎ、守ってくれると信じられた「道祖神」を祭る行事である。わが集落の「賽の神」は、朝から | 
| 集落総出で大きな雪の「かまくら」をつくり、その中にクルミの木で作った道祖神を安置し、夜は「どんど焼き」をす | 
| るというもの。まずは「かまくら」づくりから・・・・・ | 
    ![]()  | 
      
| 大型の除雪機3台で雪を集めて大きなドーム状にする。できたら、中をスコップでくりぬき、人間が中で立てるよ | 
| うに穴を広げる。奥に祭壇を作り、完成。ここまで途中の休憩(お神酒とビールを含む)を入れて4時間・・・・・ | 
| 毎年の行事なのでみんな手慣れたもの、除雪機などの機械がなかったころはさぞや大変だったことだろう。 | 
| 一方、家庭ではクルミの木で思い思いに道祖神を作る。夫婦の神として2体、安曇野で多く見られる「双体道祖 | 
| 神」である。我が家の神様は・・・・・ | 
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| 夜になると、臨時の祭殿となる「かまくら」の中に安置し、繭玉やお神酒を供えてお参りとなる。暗くなって | 
| 用意されていたカヤの束に火が入り、その年に「厄年」となる人がみかんを撒き、みんなに拾ってもらう。 | 
| 厄を分け合ってもらうということらしい。火が燃え尽きるころにお開きとなる。 | 
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| この祭りに参加して毎年思う。単純で変わり映えしないが、こうしてみんなが顔を合わせ、協力する作業を | 
| 通して、集落のコミュニケーションが守られている。互いの健康を気遣い、高齢者のようすを確かめ合い、 | 
| 屋根雪おろしなどの情報を交換して共同体の絆を深めていく・・・・・祭りとはそういうものなのだ。 | 
| 今年もよい年であってほしい・・・そんな願いが赤々と天を焦がす炎に乗って、舞い上がっていった。 | 
| おすそ分け | 
| 集落の下の方で、立て続けに発砲音が聞こえた。どうやらイノシシ狩りのようだ。地元の猟友会の人たちが | 
| 集まっていたと聞いていたので、熊かイノシシなのだが、この時期熊は冬眠して姿を見せない。ならばイノシシ。 | 
| ほどなくして、猟友会のメンバーである師匠のお宅から、イノシシの肉が届いた。これまでも猟友会で仕留めた | 
| 熊や鹿、イノシシの肉を何度もおすそ分けでいただいていた。これはもう「ぼたん鍋」にするしかないだろう。 | 
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| みそ味でしっかり煮込んだ鍋は最高・・・・おいしく、ありがたく頂戴した。冬眠をしないイノシシが豪雪に見舞わ | 
| れるこんな場所に生活圏を持ち出したのはここ十年くらいだという。それまでは、この集落では見かけなかった | 
| そうだ。最近では畑の作物はもちろん、田んぼに入って稲をなぎ倒したり、穂を食べたり、と被害が広がって | 
| いる。一組のイノシシは年に2回くらい出産し、一回に5,6頭の子を産む。駆除するなら徹底的にやらないと | 
| 意味がないと師匠がこぼしていた。何頭仕留めたのかは聞きそびれたが、まだ残っているのだろう。 | 
| 鹿にしろイノシシにしろ、かわいいでは済まされない山里の暮らしである。 | 
| 雪がやってきた | 
| 昨夜から断続的に降り出した雪が、ついに積もりだした。このシーズンの初雪だ。昨年より一週間くらい早い。 | 
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| 近くの山に三度降ったら、里に初雪がくる、という古老の話は今年も本当だった。積雪は10cm・・・・・ | 
| いよいよ雪の時期になった、と身が引き締まる。この雪は2,3日もすれば一旦溶けるだろう。そうやって | 
| 降ったり溶けたりを2,3回繰り返して、本当の根雪になる。 | 
| どこかのおばあちゃんが「今年はカマキリの巣が低いで、大雪にはならねぇだよ」と言う。当たってくれれば | 
| うれしいが・・・ 雪との戦が近い。戦支度を急がなくてはならない。 | 
| 2012年 初冠雪 | 
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| 標高3000mの北アルプスの峰々は、 | 
| 夏の喧噪に終わりを告げて、 | 
| 「白き神々の峰」に戻ろうとしている。 | 
| 神々しさと優美さを誇らしげに謳い始めた。 | 
| 長い冬の足音が聞こえてくる。 | 
| 軽トラ市 | 
| この夏、我が奥方は、近くの有志の人たちといっしょに「軽トラ市」なるものを始めた。自分の畑で採れた | 
| 野菜を、国道沿いの空き地に持っていき、軽トラックの荷台を臨時の店舗として販売するというものだ。 | 
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| のぼりや看板、展示用の棚などを作り、毎週日曜日だけの限定販売、はじめはどうなることかと思っていたが、 | 
| 何回かやっているうちにお客さんも増えてきているようだ。お客さんといっても、地元の人はこの時期、どこでも | 
| 自家製の野菜は作っているので、対象は「旅の人」・・・・・ | 
| ナスやトマト、オクラなどを小袋に詰め、一袋100円で売る。端から儲けは期待しない。自分たちの楽しみで | 
| やる、というのが基本である。我が家の畑も、自分たちだけでは食べきれないほどの野菜が採れるので、そんな | 
| ものが出品できるのなら幸いである。 | 
| これから少しずつ賛同者を増やし、もっとたくさんの品ぞろえをして、にぎやかになれば、というのが夢である。 | 
| 買って帰ったお客さんが、自宅で我が家の野菜を「おいしい」と言って食べてくれている様子を想像するという | 
| のも楽しいものだ。「継続は力なり」・・・・毎年やっていればそのうち願うような姿になるかもしれない。 | 
| 日曜日に小谷村を通過される際はぜひお立ち寄りを・・・・・・・ | 
| じぃじの味 | 
| 今年も畑で採れたトウモロコシとスイカを、遠くで暮らす孫たちへ送った。いつの間にか毎年の恒例になっ | 
| てしまった。トウモロコシやスイカなど、スーパーに行けばこの時期、簡単に手に入るだろう。送料を考えると | 
| 明らかにもったいない話である。(店で買う値段より、送料のほうが高い!) | 
   ![]()  | 
      
| しかし、じぃじは考える・・・・・・・問題は値段や甘さ、大きさなどではなく、自分のおじいちゃんが作って | 
| くれた野菜なのだ、ということ。・・・一年や二年では無理だろうが、五年、十年と続ければ、きっと孫たちの | 
| 記憶の中に刻まれていき、毎年、夏になれば、子どものころに食べたスイカやトウモロコシの味をじぃじの | 
| 顔と共に懐かしく思い出してくれるだろう・・・・それがささやかな願いだ。 | 
| 全国のたくさんの”じぃじやばぁばたち”も、きっと同じ思いで、せっせと野菜を孫や子どもたちに送っている | 
| ことだろう。じぃじの味がスイカやモロコシの甘さに負けないことを祈りつつ、「よし、来年も頑張っておいしい | 
| 野菜を作るぞ」と心に誓うのである。孫たちよ!じぃじのこの”深い愛情”を決して忘れず、スイカもトウモロコシ | 
| も心して味わえ! | 
| 翡翠(ヒスイ) | 
| 新潟県糸魚川市・・・・ここは日本唯一の「翡翠(ヒスイ)」の産地である。太古の昔、出雲の「大国主命(オオクニ | 
| ヌシノミコト)」はここで産出するヒスイに目をつけ、地元の豪族の娘であった奴奈川姫(ぬなわかひめ)を娶り、 | 
| この地にしばらく暮らしたという。二人の間に生まれた「健御名方命(タケミナカタノミコト)」が諏訪大社の祭神 | 
| である。当時からヒスイは貴重なものであったらしく、祭祀には欠かせないもので、「勾玉(まがたま)」の材料は | 
| ヒスイである。硬玉とも呼ばれ、緑色の美しい宝石である。 | 
| さて、このヒスイが今でも海岸を探せば見つかるのが糸魚川市の親不知近辺・・・・「ヒスイ海岸」と名づけられ | 
| た海岸がいくつも存在する。ヒスイが見つかるというので、訪れる人も多く、海岸で見つけたそれらしき小石を | 
| 持ち込むと、専門の鑑定員が無料で鑑定をしてくれるという場所もある。 | 
 (海岸で見つかったヒスイの原石) | 
      
| 素人にはなかなか判別が難しいのだが、他の石より重く、角張っていることが特徴だそうだ。足元の小石 | 
| の中に宝石がある、というロマンが観光客には魅力のようだ。 | 
| 親不知海岸に、世界一のヒスイの原石が展示してある。重量107トン、かつては山の中にあったが、盗掘 | 
| 者が絶えないので、ここに持ち込んで保存しているのだそうだ。ヒスイといえば緑色を連想するが、原石は | 
| 白っぽい色をしている。緑色の部分もあるが、緑色がなくても立派なヒスイなのだそうである。 | 
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| (この小石の中にヒスイの原石が・・・ ) (世界一のヒスイの原石) | 
| 二億年以上も前に生まれたヒスイ、海岸の後ろの山の中にはまだ大量に眠っているそうだ。全山ヒスイの | 
| 原石の「明星山」という山もある。海岸で見つけた宝石をネックレスなどに加工してくれるところもあり、世界に | 
| 一つ、自分だけの宝石を手に入れてみるのもいいだろう。 | 
| 近年、糸魚川市周辺が「ジオパーク(地質遺産)」に認定されたそうだ。フォッサマグナを含む複雑な地質構造 | 
| が人間のロマンをかき立ててくれる。 | 
| 勧め | 
| 生涯に一度も自分でつくった野菜を食べる経験を持たない人もいるだろう。 | 
| 確かにスーパーや農産物直売所に行けば、 | 
| 好きな野菜がならんでいるから、別に困ることはないが、 | 
| 人生の大きな楽しみの一つを知らずに暮らすことになる。 | 
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| 畑がなければプランターでもよい。 | 
| 小さな実一つで感じられる、自然の営みの素晴らしさは | 
| ぜひ味わっておくべきだと思う。 | 
| 神 | 
| 科学的な知識を持たなかった古の人たちは、 | 
| 理解できない自然現象はすべて”神のしわざ”だとした。 | 
| なるほど、そう思えば納得できるという事実に | 
| 日々出会っている。 | 
| 山の神、空の神、土の神、木の神、火の神、水の神、田んぼや畑の神、家の神・・・・・・ | 
| そんな神たちと一緒に暮らしているという安心感が | 
| 山里の人々の暮らしを支えている。 | 
| 残念だが、都会ではまずお目にかかれない神たちである。、 | 
| 北には青い海がある | 
| 姫川は山の憂うつを | 
| 日本海に吐き出している。 | 
| 田中冬二 | 
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| 野菜 | 
| ようやく夏野菜の苗を植え終わった。 | 
| 日中暑い日もあるが、気温は相変わらず低め・・・・ | 
| 近くの標高800mの山を思ってもらえばよい。 | 
| その山頂で野菜を育てているようなものである。 | 
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| 寒冷地を好むトマトやキャベツは比較的元気だが、 | 
| 高温を好むナスやキュウリなどは今一つ元気がない。 | 
| スイカにいたっては、「なぜこんな寒いところに植えたんだ!」と | 
| 言わんばかりに生長をためらってつるが伸びない。 | 
| これが信州北部の山里の例年の畑のようすだ。 | 
| 「野菜は人間の足音を聞きながら育つ」と聞いた。 | 
| 収穫の日を楽しみにしながら、せっせと畑に足を運んでいる。 | 
| 春 | 
| 全国で桜の開花や満開の報道が流れている。 | 
| しかし、わが小谷村は昨日も朝から雪が降り続いた。 | 
| 雪解けはまだ遠く、桜の木もまだ深い雪の中だ。 | 
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| 村では畑や田んぼに撒く融雪剤(炭の粉)の配布が始まった。 | 
| 例年より田んぼの雪解けが遅くなり、作付に影響が出るからだ。 | 
| 姫川も融雪水を集めて濁流となってきた。 | 
| わずかに顔を出した土には水仙の芽や福寿草が背伸びを始めた。 | 
| 耐えていればきっとまたいいことがある・・・・ | 
| そう信じて春の到来を首を長くしてみんなが待っている。 | 
| 地すべり | 
| 記録的な大雪が大変な「置き土産」を残している。小谷村で「地すべり」が発生している。場所は自宅からふもと | 
| の国道に通じる県道である。先日、テレビでその様子が放映された。 | 
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| 地中にしみ込んだ水がたまり、上部の土砂を押し流していくというもの、新潟県の上越でも連日その様子が | 
| 報じられている。雪解け水が半端な量ではないこの雪、これからが雪解けの本番になり、さらに地すべりが | 
| 進むのではないかと心配されるという。近くには民家もあり、知り合いの方も住んでいる場所、心配である。 | 
| この道が崩落すると、上部の集落は「陸の孤島」となり、我が家も含まれる。もともと、小谷村は地すべりの | 
| 多発地域で、地元の人たちは昔からその危険に脅かされてきた。「山がぬける」と表現する。江戸時代には | 
| 長野の善光寺や戸隠神社から地鎮のお札をもらってきて、山の斜面に埋めて安全を祈ったと聞く。 | 
| 地すべり対策の基本は「水ぬき」である。地中に水がたまらないように抜いてやることだ。実際、村内の | 
| あちこちで今も「水抜き」の工事が行われている。これ以上の被害が起きないことを祈るだけだ。 | 
| 豪雪 | 
| 小谷村の1月の降雪量が観測史上最高の「499cm」だったそうだ。 | 
| 5mを超える雪が降ったというのは、実感として間違いない。 | 
| 先日は外気温がマイナス15度まで下がった。 | 
| 集落の家々の北側は、下した屋根雪がもう2階の大屋根に達している。 | 
| 確かに例年にない大雪であったが、 | 
| 雪国の人々は至って冷静である。 | 
| じたばたしても仕方がないとわかっているからだ。 | 
| こんなにも人間は謙虚になれるのだと、 | 
| 一冬、雪の中で暮らせばだれにもわかる。 | 
| 地震 | 
| 村が各戸に設置してくれている「緊急災害時通報器」が | 
| 突然けたたましく叫んだ。 | 
| 「震度4の地震が発生しました。」・・・・・ | 
| そんな通報など聞いたこともなかったので驚いたが、 | 
| それから5,6秒後に「ドーン」と突き上げるような縦揺れが・・・・ | 
| 佐渡島付近を震源とする震度5強の地震であった。 | 
| あとでテレビを見ると小谷村は震度1と表示されたが、 | 
| 結構大きな揺れであった。 | 
| 緊急地震速報など役に立つのか、と疑問だったが、 | 
| わずか5,6秒でも「構える」準備ができることは | 
| 決して無駄なことではないと知った。 | 
| 昨年の震災以降、東日本では地震が多発している。 | 
| さらなる大地震の前兆でなければよいのだが・・・・ | 
| 雪国 | 
| 雪国の人たちが雪の中で何を考えて暮らしているのかって? | 
| そりゃ決まっているだろう。春の到来だ。 | 
| 早く春が来ないかなあ・・・ | 
| 春が来ればこの大量の厄介な雪もきれいに消えてなくなる・・・・ | 
| 土が顔を見せ、福寿草や水仙が目を楽しませてくれる・・・・・ | 
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| それがわかっているから、痛い腰や肩をいたわりながら | 
| 今日の除雪も頑張れる。 | 
| 雪国の人たちが待つ「春」はきっと | 
| 街に住む君たちが待つ春とはちがうと思うよ。 | 
| 大変です | 
| 記録的な豪雪のため、長野県は地震のあった北部の栄村と信濃町、それにわが小谷村に「災害救助法」を | 
| 適用すると決めたそうだ。「災害救助法」が適用されると、除雪にかかる費用が国と県から支出され、雪下ろし | 
| などでは、一世帯あたり上限13万4200円の範囲で援助がおこなわれるという。 | 
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| 県下各地の積雪量が発表されている。小谷村は2m50cmで、県の中では野沢温泉村に次いで、2番目と | 
| なっている。この積雪量は役場にある積雪計で計測したものだが、役場より300mも400mも標高の高い | 
| 集落ではすでに3mはゆうに超えている。我が家もこの冬4度目の屋根雪おろしをしたが、下した雪がまもなく | 
| 2階の屋根に達する。1階は完全に雪に埋まり、窓から外は見えなくなった。集落の師匠たちに聞いても、 | 
| 「こんな雪は初めてだ」と言うほど・・・・・・・集落とふもとの国道を結ぶ幹線道路は村の除雪車が日に何度も | 
| 除雪をしてくれるので、今のところ心配はないが、雪崩が起きて道路がふさがればたちまち「陸の孤島」だ。 | 
| 小谷村の年間除雪予算は1億7000万円だが、すでに1億5000万円を使ったという。まだ2月も始まった | 
| ばかり、この先大雪が降らなければよいが、そうもいかないだろう。 | 
| 大変な事態ではあるが、文句を言っても仕方がない。春の雪解けを楽しみに、雪とつきあうしかない。 | 
| 雪 | 
| 雪1立方メートルの重さは300sから500s・・・・ | 
| 屋根全体に1メートルの雪が乗ると、10トンから30トンになり、 | 
| 乗用車が10数台屋根に乗っている計算になる。 | 
| これが屋根雪を下さなくてはならない理由だ。 | 
| 不安定な足場で、滑落の危険を常に意識しながらの雪おろしは | 
| 決して楽しいものではないし、かなりの重労働・・・・ | 
| 我が家の悲鳴が聞こえるから、仕方なく体の痛みに耐えてやる作業だ。 | 
| 「雪はロマンチックだね」などと言う話は | 
| 豪雪の中ではただの「たわごと」になる。 | 
| 豪雪 | 
| 半端な雪ではない。報道によればこの冬は記録的な豪雪だという。先日は一晩で80センチ、60センチや70 | 
| センチも何度かあって、家の周りや集落は2メートルを超える雪に完全に埋まってしまった。 | 
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| 自宅から下の道に出るのも一苦労。腰まで埋まる雪をかきわけてやっとの思いで道にたどり着く。我が家の | 
| 小型の除雪機ではまるで歯が立たず、集落の大型除雪機を使わなければ家に入ることもできない。 | 
| 古老の「カマキリの巣がいつもより高いところにあるで、この冬は大雪だ。」という”予言”がみごとに的中した。 | 
| 屋根雪おろしもすでに3回、これまで一冬4回が普通だったが、この分だとあと2,3回は屋根に上がらなくては | 
| ならないだろう。道路を除雪してくれる村の除雪車も大活躍だが、雪捨て場がもう満杯になりつつある。 | 
| 覚悟はしていたが、ここまでくるとさすがにため息がでる。寒波はまだしばらく続く予報だ。 | 
| 「雪との闘い」という言葉は、これくらいの雪の中で使う言葉だと思い知らされている。 | 
| 誇り | 
| 信州長野県が全国二位を誇るものが二つある。 | 
| リンゴの生産量と温泉の数だ。 | 
| リンゴは生産地へ行くと車の窓から手を伸ばせば取れるくらい、 | 
| 季節になるとあちらこちらで鈴生りになる。 | 
| どこの市町村に行ってもたいてい何か所かの温泉があり、 | 
| 地図をみればいたるところに温泉の記載がある。 | 
| 小谷村のような小さな村でさえ十か所もあるのだ。 | 
| しかもその多くが源泉かけ流し、豊富な湯量を誇る。 | 
| リンゴは冷涼な気候、温泉はフォッサマグナ(地溝帯)、 | 
| ともに大自然が与えてくれた恩恵だ。 | 
| 何はともあれ「全国二位」というのは | 
| 大したものである。 | 
| 暮らし | 
| 街に住んでいると、 | 
| ”失われていくもの”に気がつかない。 | 
| ”失われていくもの”があるのに見えない。 | 
| 街の暮らしとは、不要なものはさっさと視界から消し去り、 | 
| 次の新しいものに目を向けていく暮らしだからだ。 | 
| 山里に住んでみると、 | 
| ”失われていくもの”がいやでも目に入る。 | 
| さっさと見切りをつけるという時間の流れではないからだ。 | 
| 失われていくものの”悲鳴”や”忠告”を聞きながら | 
| 最期まで見届ける暮らしを続けている。 | 
| 雪 | 
| 朝から一日中降り続いた雪が60センチ・・・・・・ | 
| ひざまで積もった庭の雪を除雪して、やれやれ、と一息入れた。 | 
| だが、2,3時間して庭を見るとまた20センチは積もっている。 | 
| まったく、飽きもせずよく降る雪だ。 | 
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| もしもこの雪が、 | 
| 我が家だけに降って周りには降らないとしたらどうだろう。 | 
| 雪国の人たちが豪雪の中でも暮らしていけるのは、 | 
| 雪がまったく公平に、まんべんなく降ってくれるからだ。 | 
| 自分のところだけではないと思えるから耐えられる。 | 
| 大雪の予感 | 
| この冬は大雪になるのではないか、という予感を裏付ける降雪が続いている。 | 
   ![]()  | 
      
| クリスマス寒波以降、連日50センチを超える雪が一日中降り続き、家の周りや集落は2メートル近い雪の中に | 
| 埋もれてしまった。屋根雪もすでに1メートルを超えているが、降り続く雪のため、雪下ろしができないでいる。 | 
| 県の降雪情報でもかならずトップ3に入る小谷村だが、その中でも標高の高い山里は報じられる積雪量よりさ | 
| らに増えるので、この雪の中で見えるものは平地に住む人にはきっと信じられない光景だろう。 | 
| 一度除雪しても、2,3時間たつとまた元通り、村の除雪車も日に何度もやってくる。古老の言う、「カマキリの | 
| 巣が高いところにあるで、この冬は大雪だ」という予感は本当かもしれない。 | 
| ぐちをこぼしてもしかたがない。積もった雪はこまめに除雪するしかないのだ。雪がやんで、天気がよくなれば | 
| 一斉にあちこちで屋根雪おろしが始まるだろう。我が家も気合をいれて、屋根に上がることにしよう。 | 
        
  | 
      
| 天変地異? | 
| 北アルプスはすでに二度の冠雪で、上部は根雪になったようだ。地元の古老が言う「前の山に三度雪が降れば | 
| 里にも雪が来る」の言葉に従うと、集落の周囲の山にもすでに二度降雪があったので、初雪も時間の問題だろ | 
| う。今年は、山の木の実類が豊作で、熊の出没情報も今のところ聞かないし、例年なら現れるサルの群れも今年 | 
| はまだ姿を見せない。きっと山に豊富に食べ物があるのだろう。 | 
| それはいいのだが、反対に大不作なのが「キノコ」である。キノコ採りの名人の師匠が「今年はだめだ。」とこぼ | 
| すほど、山のキノコは全く姿を見せないらしい。こんな年は珍しいという。そういえば我が家の原木シイタケ、毎年 | 
| 100個近く収穫できるのに、今年はまだ7.8個・・・・・ナメコもほんの少し収穫できただけだ。 | 
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| 彼らの生息にかかわる何らかの自然条件が合わなかったのだろう。自然条件といえばこんな話もある。 | 
| 古老が言うには、カマキリの巣の位置が例年より高いところにあるのだそうだ。そういう年は大雪になること | 
| が多く、「こりゃ、今年は大雪になるだで・・・」と言う。天気予報などなかった昔から、そうやって積雪を占って | 
| きたというから、まんざら冗談でもなさそうだ。天変地異の前触れでなければいいのだが・・・・・ | 
| 集落の周囲の山々は今が紅葉の盛り、「まんが日本むかし話」に出てきそうな風景が広がっている。 | 
| 一雨ごとに落葉が進み、間もなくほとんどの木の葉がなくなるだろう。冬もそれにあわせてやってくる。 | 
| 初冠雪 | 
| この秋も集落の師匠に頼まれて、稲刈りの手伝いがほぼ一か月続いている。どこの田んぼへいっても、農家の | 
| 方は高齢者ばかり、「いつまでやれるだか・・・」と笑いながら言う。長野県産のコメも、放射線量の検査が済むま | 
| で出荷や販売ができなかったが、先日検査の結果が公表され、長野県はすべての市町村で影響なしとなり、 | 
| 出荷できることになった。品薄感もあって、今年はコメの価格が1割ほど高くなるという。師匠に聞くと、「コメが | 
| 高くなると、それを企業が見逃すはずがない。大規模にコメづくりに参入する企業がふえるだろう。年寄りが | 
| ほそぼそと作る田んぼがまた少なくなるということだな・・・・」 | 
| 黄金色に山里を染めていた稲田も次々に刈り取りが進み、晩秋の気配になってきた。そんな折に・・・・・・ | 
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| 寒気の流れ込みで一気に気温が下がった朝、北アルプスに初雪が・・・・・こちらでは毎年このころなのだが、 | 
| 長野県の東部の志賀高原では20年ぶりに初冠雪の記録を更新したと報じていた。例年になく早い寒気の | 
| 南下が、この時期雪がみられることのなかった地域に初雪を降らせた。山に木の実が豊作の年は大雪に | 
| なると、地域の古老が言う。今年の山里は例年にないほどクルミやドングリ、トチやクリ、カキなどが実をつけ | 
| ている。古老の言うとおりなら、例年にない大雪の冬になるかもしれない。 | 
| 山里では紅葉を楽しんでいる心の余裕はない。少しずつ冬の準備がすすんでいく。 | 
| 祭り | 
| 夏の終わりを告げる集落の氏神さまの祭りが行われた。祭神は諏訪大社の「健御名方命(タケミナカタノミ | 
| コト)」、社の中には、江戸時代の当地の代官直筆の文書が残されており、それには「この社を諏訪大社の | 
| 分社として認める」と書かれている。前日は朝5時半から総出で祭りの準備、公民館を舞台にする準備、 | 
| 仮設の屋根をつけ、シートを広げ、提灯を張り巡らす。毎年のことなのでみんな手慣れたものだ。 | 
| 夜は演芸会、何しろ日本の神様は歌舞音曲が大好き、にぎやかに騒いで神様を呼び寄せるのだそうだ。 | 
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| 獅子舞、地元の太鼓演奏、東京のプロダクションから呼んだプロの歌手の公演、あとは飲んだり、食ったり・・ | 
| 昔は会場に座れないほどの人出であったそうだが、年々数が減り、寂しくなっていく。 | 
| 20軒の小さな集落単独でこれだけの祭りを続けているというのが、集落の人たちの誇りでもある。 | 
| 「神様も大事だが、こうしてみんなが一つになって集まるのがいいんだ。」・・・ある師匠の話である。いつまで | 
| 続けられるのだろうという不安は誰もが感じているが、だれも口に出さない。口にしても仕方のない話だから | 
| である。”限界集落”の定義の中に「集落の祭りが維持できなくなること」があるそうだ。まだしばらくは大丈夫 | 
| だろうが、いずれそんなときも来るのだろう。そのときはそのときだという気持ちがみんなの心の中にある。 | 
| 古来から祭りは集落の共同体としての絆を深め、確かめる行事であった。都市部で行われる祭りとは | 
| 比べられないが、古くから守り続けられてきた本来の祭りの”原型”がここにはある。 | 
| この祭りを境に、山里は一気に秋めいてくる。あと2か月もすれば初雪だ。移り住んで5度目の祭りも無事に | 
| 終わった。 | 
| やっと会えた | 
| これまでに何度も北アルプスの山々を訪れてきたが、一度もお目にかかれなかった生き物にこの夏 | 
| やっと巡りあえた。国の特別天然記念物「ライチョウ」である。 | 
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| 場所は北アルプス 立山の室堂、小さなヒナ鳥を3,4羽つれて草の間を動き回っていた。一度は見て | 
| みたいと思っていたので感激である。室堂は標高2400m、下界は猛暑で大変でも、ここは寒いくらいの | 
| 冷涼地・・・氷河期からの生き残りだというが、真冬には20m近い積雪のあるこんな過酷な環境で生きて | 
| いることに感動を超えて敬服してしまう。無事にヒナたちが育ってくれることを祈りながら草むらに消えていく。 | 
| 彼らを見送った。写真や映像では何度も見たが、こうして生のすがたに出会えたことはこの夏の忘れられ | 
| ない思い出になった。 | 
| 実り | 
| 七月は天候異常であった。一旦梅雨が例年より早めに明けたと思ったら、その後梅雨の再来を思わせる | 
| 長雨が続いた。本来なら強い日差しが照りつけるはずの畑にも、その影響は出てきた。 | 
| 病気の発生、害虫の大量発生、地温の低下による発育不良、雑草の繁茂・・・・・全国で夏野菜の価格が | 
| 高騰しているという報道もうなづける。そんな中、八月になって我が家の畑でもようやく・・・・・・ | 
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| 一か月前はピンポン玉の大きさだったが、バスケットボールの大きさに実ったスイカ、ササゲ豆や小豆、 | 
| 近年まれにみるジャガイモの豊作、毎日10本近くの収穫が続くキュウリ、形は不ぞろいでも完熟したトマト、 | 
| 背丈を越すほどに生長したトウモロコシ、ほかにも枝豆、オクラ、ピーマン、サツマイモ、ゴーヤ、カボチャ、 | 
| ナスたちも順調に大きくなっている。長雨にも何とか耐えて、今年も実りの時期を迎えることができた。 | 
| ”丹精込めた”という表現は、実際に手を入れ、汗を流した者だけがわかる言葉、自家製の野菜をいただく | 
| 幸せは何ものにも代えがたい。標高800mの冷涼地でも野菜は育つことに毎年感動しながら、早くも秋野菜 | 
| には何を作ろうかと思案の始まるこの時期である。「土の恵み」は汗を流した努力を裏切らない。 | 
| 感動 | 
| 今年はじめて挑戦したスイカづくり・・・・・・ | 
| 雄花の花粉を雌花につけてやる、人工授粉をやった。 | 
| そうしないとスイカは授粉しないと本に書いてあったからだ。 | 
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| だが、授粉しただろうと思えた雌花はことごとく枯れてしまった。 | 
| 何が原因なのかわからず、お手上げで、しばらく放置しておいた。 | 
| 一週間後、驚いたことに | 
| ピンポン玉大に膨らんだスイカがたくさんできていた。 | 
| 授粉の手助けをしてくれたのは、 | 
| ハチ、チョウ、アリ、名前も知らない小さな虫たち・・・・ | 
| 彼らの領域に勝手に割り込んだ私の出る幕ではなかった。 | 
| しあわせ | 
| 若いころは、わが子には教えることばかりであったが、 | 
| この年になると、わが子には | 
| 教えられることの方が多い。 | 
| 相変わらず危なっかしいと思うことはたくさんあるが、 | 
| 自分の人生を確かな足取りで歩き始めている。 | 
| 「こう生きろ」「ああ生きろ」などと、説教がましいことは言わなかったが | 
| こう生きてほしいと思う生き方を選んでくれている。 | 
| 幸せだと思うことにしている。 | 
| ぜいたく | 
| かつて大きな町の浄水場を見学したことがある。 | 
| 水道に使われるのだから、さぞやきれいな水だろうと思っていたが、 | 
| 実際には「えっ?この水を飲んでるのか」と言いたくなるような水だった。 | 
| もちろん、原水をさまざまに浄化して、最後にはきれいな水になるのだが、 | 
| 初めて見たらきっとだれもが驚く。 | 
| 浄化などとは無縁の冷たくておいしい水をいただきながら、 | 
| あらためて山里に暮らす”ぜいたく”を思い知らされる。 | 
| 深い谷の清流をタンクに溜めて、ほんの少し消毒するだけの | 
| わが村の水道・・・・・ | 
| ほんとうの「ぜいたく」とはこんなことを言うのかも知れない。 | 
| ほうび | 
| 都会では連日「真夏日だ、猛暑日だ」と報道されている。 | 
| そこで暮らす人たちには申し訳ないが、 | 
| 標高800mの山里は信じられない涼しさだ。 | 
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| 日中はたしかに暑いが、それでも日陰に入ればすっと汗がひく。 | 
| 夜は布団か厚手の毛布がないと寒くて目がさめる。 | 
| 厄介な蚊やゴキブリもいない。 | 
| 街での暮らしから思えば、まさに”別天地”・・・・・・・ | 
| 長い冬をがんばって乗り切った”ほうび”をいただいている。 | 
| 同志 | 
| 最近テレビでよく見かける作家の伊集院静氏は | 
| ともに机を並べて学んだ高校の同級生だ。 | 
| 俳優の前田吟氏、作家の高樹のぶ子さんは | 
| 高校の先輩である。 | 
| 公立の高校でありながら | 
| 同じ敷地に男女別々の校舎が建てられ、 | 
| ともにそこで学んだ”同志”である。 | 
| 男女別学のたてまえならあきらめもつくが、 | 
| 進学率が下がるという理由で、男女共学と言いながらの実質”別学”・・・・・ | 
| 一番多感な青春の三年間をこんな環境で過ごした我々は | 
| まぎれもなく”同志”であると思っている。 | 
| やはり | 
| 海辺の街で生まれ、海辺の街で育った。 | 
| 人生の大半を海と接しながら生きてきた。 | 
| 今、海から遠い山里に来て思い知らされている。 | 
| やはり自分は「海の民」であったと・・・・ | 
| ふと海が見たくなり、潮風の香りが脳裏によみがえり、 | 
| 何よりも”刺身”が時おり無性に食べたくなる。 | 
| 「山の民」になる道のりは遠い・・・・・ | 
| 食文化 | 
| 小谷村や白馬村には「とんこつ味」の文化がない。 | 
| ひょっとすると信州全体がそうなのかもしれない。 | 
| したがって、似たようなものはあるが | 
| 本来のとんこつラーメン、チャンポンの店は皆無だ。 | 
| スーパーのインスタントラーメン売り場にも「とんこつラーメン」はない。 | 
| 集落の師匠に話すと、 | 
| 「あんな臭いものは食えねぇだ。」・・・・・ | 
| なるほど、これが「食文化」の違いか・・・・・ | 
| 博多のとんこつラーメンやチャンポンの味がなつかしい。 | 
| 春は近い | 
| 茨城に住む孫が二人、この度の震災と原発事故のために我が家に緊急避難をしてきた。茨城では10万戸を | 
| 超える断水が今も続いており、水の出ない暮らしは大変で、風呂に入れないのはもちろん、日々の炊事や | 
| 洗濯も困っている。その上に原発事故で拡散している「放射線」・・・・ | 
| 今のところ被害のない長野県なら大丈夫だろうと避難させたというわけだ。孫たちにとっては思いがけない | 
| 「春休み」になった。親は仕事があるので一足先に帰ったが、水の出ない暮らしは今もまだ続いている。 | 
| 一方の孫たちは・・・・・・ | 
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| 雪の中の田舎暮らしにもすっかり慣れ、油絵を描いたり、工作をしたり、雪遊びをしたり、と寂しさを感じ | 
| させない元気ぶり、気がかりだった我々を安心させてくれている。 | 
| 茨城近隣では、放射線で汚染された野菜の出荷制限や水道水の汚染など、考えてもみなかった事態が | 
| 住民を襲っている。原子力という最強のエネルギーを手に入れた人間だが、完全に制御できてはいないという | 
| 現実を日々目の当たりにしているのだ。ただただ無事に収束してくれることを祈るだけである。 | 
| 天災はあきらめもつくが、原発事故は紛れもなく「人災」であることを多くの人が思い知らされている。 | 
| 元気にはしゃぎまわる孫たちを見ながら、この子たちが安心して暮らせる世の中を残してやる責任を | 
| 果たせないでいる大人たちの情けなさを痛感してしまう。 | 
| 春は近い。一刻もはやく、本当の春がくることを念じつつ・・・・・・・・ | 
| 記録 | 
| 2月に入り、寒波の峠もようやく越えたようだ。それにしても1月はよく降った・・・・・・ | 
    ![]()  | 
    
| 報道では、1月の小谷村の総積雪量は3m85cm・・・・・1月だけである。長野県でも三指に数えられる豪雪 | 
| であった。屋根雪下ろしもすでに三回、平年以上である。近所でも空家になっている家には2mをこえる屋根 | 
| 雪があり、これ以上積もれば危ない状況だ。積雪は1立方メートル(縦横深さが各1m)で約100キロの重量 | 
| になるという。屋根全体で考えれば軽く10トンを越える負荷がかかっているわけで、大型の10トントラックが | 
| 屋根の上に乗っている計算になる。雪国の家は頑丈に作られてはいるが、それでも10トンが乗ったままでは | 
| 大変だ。屋根雪下ろしはそのためにも必要なのだ。高齢者の一人暮らしの家では、誰かに頼んで下ろしてもら | 
| うしかないが、一人頼めば1万円以上の出費を強いられる。簡単な話ではない。 | 
| 最高気温も連日の氷点下、毎朝雪かきをしないと家の外にも出られない、一日中ストーブが欠かせない | 
| 暮らしはさすがに大変だが、ここはそういう風土の土地なのである。エアコン要らずの快適な夏の涼しさは | 
| この冬を乗り切るから与えられる。そう考えてもうしばらく、雪と向き合う日々をがんばらなくては・・・・・・・・ | 
| 牛にひかれて・・・・ | 
| 所用で長野市へ行ったついでに、「善光寺」へお参りした。境内には雪が残り、寒風が吹いて身を縮める | 
| 寒さであったが、それでも結構な数の参拝者がいた。目に付いたのは外国人・・・・・・・ | 
| ドイツ人らしい(ドイツ語を話していた)夫婦が線香に火を付け、その煙を全身にかけていた。アメリカ人 | 
| らしい一団もいて、土産物の店でおかみさんと「おやき」をめぐっての会話・・・・ | 
| 「おやき、食べてみませんか?」「oyaki?」「そう、おやき、おいしいよ」「What is oyaki?」・・・中の具の | 
| 説明がむずかしく、なかなか理解してもらえない。あんこや野沢菜の説明が大変なようだったが、横にあった | 
| 野沢菜のつけものを見せて、これが中に入っていると身ぶり手ぶりで説明して、やっと商談成立。 | 
| そんな土産物のなかでふと目に入ったものが・・・・・・・・・・笠である。 | 
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| 修行僧が托鉢のときなどにかぶる笠で、その形のよさと利便性にひかれて思わず購入・・・・・・・・・・・ | 
| これは雪かきのときに、雪が首などに入らず重宝するのだ。帰ってかぶってみたら、これがまたちょうど | 
| 頭の大きさにぴったりで、Good!・・・それを見た奥方が「山頭火みたい」と言う。 | 
| そうだ、これをかぶり、袈裟衣を着ればまぎれもなく「山頭火」の雰囲気である。仙人の必需品ゲット・・・・・ | 
| 小寒 | 
| 寒の入り・・・と呼ぶ日だそうだ。寒さが一段と厳しくなるという意味らしい。暦に違わず、昨日は大雪であった。 | 
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| 前夜からの雪が50cm、朝から昼間にかけて30cm、80cmは積もっただろう。夕方のテレビで、長野県内 | 
| で小谷村が86cmで第一位と報じていた。一位とはいえ、あまり喜ばしい中身ではないが・・・ | 
| 気温も終日氷点下、冬本番である。先日屋根雪を下ろしたばかりだが、これではまた近いうちに2回目の | 
| 雪下ろしをしなくてはならないだろう。雪の中ではだれも謙虚になる・・・と以前書いたが、しんしんと降り続く | 
| 雪の中にいると、余計なことは考えなくなる。空を見上げると小さな、白い雪の粒が無数に限りなく舞い落ちて | 
| くる。一体だれが降らせているのだろうと思わずにはいられない、神秘的な光景だ。音もなく、見る見る間に | 
| 積もっていき、1時間もすればあっと驚く積雪になっている。 | 
| 自然の営みの神秘的な光景には多くの人が出会うだろうが、「雪」は他に類を見ない、究極の神秘だと | 
| 思っている。ここは深い山に囲まれているので、風がほとんど吹かない。そのため雪はまっすぐに落ちてくる。 | 
| チラチラなどという上品な降り方ではなく、まるで白い紙ふぶきのようだ。 | 
| この情景を見れば、多くの人は腰が引けるのだろうが、雪の中に埋まって暮らす日々もまんざら捨てたもの | 
| ではない。都会では決してお目にかかれない、幻想的な情景を堪能できるのだから・・・・・ | 
| 2011年 年明けの山里は | 
| ここは紛れもなく「雪国」であったということをあらためて思い知らされている。年末から本格的に降りだした | 
| 雪は、年が明けてからも止むことがなく、我が家の屋根雪も危険信号の1メートルに達した。 | 
| 雪の止んだ日を見計らって屋根雪下ろしである。 | 
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| 毎年3,4回やってきたので、ずい分慣れてきたが、それでも北側半分で1時間半、両側で3時間の作業 | 
| となる。さらに落とした雪を除雪機で飛ばす作業が約1時間・・・・ほぼ一日仕事である。 | 
| 仕事の手を休め、屋根雪の上に腰をおろして辺りを見ると、周囲の山々が陽光を浴びて金色に輝いている。 | 
| 集落の家々もすっぽりと雪の中、まるでおとぎ話の世界にいるような気分になる。よくもまあ、これだけ降った | 
| もんだと驚きながら、重みで悲鳴をあげている我が家のためにせっせと下ろしていく。集落のあちこちでも | 
| 除雪機のエンジン音が聞こえ、今年もまた雪国本来の営みが始まったと感じるのだ。 | 
| 経験から天気予報の「天気図」を見て、このあたりのおよその積雪の予想が立つようになった。雪は | 
| これから2月いっぱいまで続く。今年は何回雪おろしをするのだろうと、早くも次の雪おろしを想い浮かべている。 | 
| クリスマス寒波 | 
| クリスマスのころには本格的に降るだろう、と思っていた雪がその通りにやってきた。一年ぶりの積雪で、 | 
| 集落や家の周りは白一色に染まってしまった。「来るものが来てくれねぇと落ちつかねぇだ。」と師匠たちが | 
| 言う気持ちがわかる。厄介な相手だが、来ると覚悟をしているのだから来てくれるとホッとするのだ。 | 
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| さて、そんな雪の朝・・・・機嫌良く動いていたパソコンが一瞬パチッという音とともに消えてしまった。 | 
| 停電である。電気はすぐに復活して、再度パソコンを立ち上げて、さあ、インターネットに接続しようとすると、 | 
| 「接続できません」のエラーメッセージ・・・・「えっ?何だ、これは?」何度やってもダメ。さっきの停電で故障 | 
| したのかと思い、考えられるあらゆることを試してみた。一時間以上悪戦苦闘したが、結局無駄であった。 | 
| 思い余って、インターネット接続のサービスをしている会社に問い合わせることにした。答は「小谷村の | 
| ケーブルの不具合が発生して、いまスタッフが現場に向かっているところです。午後には復旧すると思います | 
| から、午後にアクセスしてみてください。」・・・・・・何だ、そういうことだったのか、と安心である。 | 
| 停電もインターネットの接続不良も原因は「雪」である。昨夜からの雪は水分を多く含んだ湿り雪、これが | 
| 電線に付着すると、その重みで電線が切れることがあると聞いていた。おそらく、トラブルの原因はそれに | 
| ちがいない。はじめての経験であった。その日の午後、インターネットは無事に接続できた。 | 
| 一時はパソコンを買い替えなくてはならない、と覚悟までしたが、とり越し苦労ですんで何よりであった。 | 
| 予報では年末年始にかけて小谷村では毎日雪である。いよいよ雪の季節がやってきた。 | 
| 名案 | 
| 知り合いの人からおもしろい話を聞いた。 | 
| ・・・・・畑の野菜をねらってカラスがやってくる。 | 
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| 追い払ってもまたすぐしつこくやってきて、 | 
| せっかく作った野菜を片っぱしから食べてしまう。 | 
| 頭に来たので、魚釣りにいったとき釣れた「フグ」を畑にばらまいた。 | 
| 次の日に畑に行くと、そのフグがなくなっていた。 | 
| 以来カラスが姿を見せなくなった。・・・・・・ | 
| なるほど。 | 
| 海辺に住むカラスや海鳥たちは決して近寄らないが、 | 
| 何せここらのカラスは山里育ち、 | 
| こういう方法も成り立つ。 | 
| 名案である。 | 
| 手ほどき | 
| 退職したらぜひ弟子にしてください・・・・ | 
| そう約束を交わしていた尊敬すべき先輩が逝ってしまった。 | 
| 絵の師匠だと心に決めた人であった。 | 
| とうとう絵の手ほどきを受けることは一度も叶わなかった。 | 
| 師匠ならどんな評価をしてくれるだろう、といつも想像しながら | 
| 雪の中で一人静かにキャンバスに向かう。 | 
| 厳しさを共有して | 
| テレビドラマ「北の国から」の中で、冬の雪の中で子どもが野生のキツネにエサを与える場面がある。 | 
| そのころは単に野生の動物が珍しいからだろう、と思っていたが、雪国に暮らすようになり、本物の野生の | 
| キツネにも出会ってみると、少し見方がかわったように思える。 | 
| 同じ雪の中にいると、厳しい冬をともに生きている”仲間意識”のようなものが生まれてくるのだ。寒くて | 
| 腹をすかせている状況がとても他人事には思えない、そんな気持ちがあのエサの場面になったのではないか、 | 
| そう思えるようになった。おりしも、我が家にも雪・・・・集落を取り囲む山々が真っ白に雪化粧をした。 | 
| そんなある日の朝・・・・・・ | 
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| 窓の外をみると、何やら動物の足跡がくっきり・・・・・道から下へ降りようとして引き返した痕跡(左)、 | 
| まっすぐに我が家の庭に向かうしっかりとした足どり(右)、我が家の庭には、雪の前に小さなサツマイモ | 
| のかけらをばらまいておいた。先日から何者かが食べた形跡があったのだ。正体はおそらくこの足あとの主 | 
| なのであろう。勉強不足で何の動物かは足跡からはわからないが、大きさからみてタヌキかキツネ、あるいは | 
| ハクビシンかもしれない。イモを食べた痕跡をみて不思議な心境だが「ホッと」した。少しは腹の足しになった | 
| のだろう。畑の作物を荒らしてもらっては困るのだが、山には食べ物が乏しくなるこれからの時期、残りもので | 
| よければ時々は庭に置いておくのでまた食べに来てごらん。ともに大変な冬を何とか乗り切ろう・・・・ | 
| 冬の厳しさの中にいると、野生の動物も人間も、立ち向かう相手は共通、ひそかな連帯意識が芽生えても | 
| 不思議ではない、と素直に思えるようになった。山里で迎える四度目の冬である。 | 
| 自分でやるしかない | 
| 先月の雨降りの日、雨漏りを発見・・・・・さっそく屋根裏へ上がってみると、屋根を支える梁に水がしみて | 
| いる。場所を確認して、晴れた日を待って修理に取りかかった。 | 
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| 我が家の屋根は「ガルバリウム鋼板」という鉄板で覆われている。軽くて丈夫、錆びにくいというので、雪国 | 
| ではよく使われる屋根材だ。鋼板を屋根に固定するために何本もの桟があるのだが、滑り止めの鉄材を支える | 
| 金具が雪の重みで押されて、下の桟に強く圧着され、そこに小さな亀裂が生じて雨が漏っていたのだ。 | 
| 原因がわかれば修理もできる。桟の鋼板をはずしてみると、雨漏りのために角材がボロボロに腐食して釘が | 
| 完全に浮いている状態、新しい角材を入れ替えて釘で固定し、元通り鋼板の桟をかぶせれば修理完了。 | 
| 合計3本の桟を修理した。これでしばらくは大丈夫だろう。雪国の家の屋根は積雪のために痛みが早い。 | 
| 定期的に塗装をしなおしたり、鋼板を取り換えたりしないと雨漏りだけでなく、家がつぶれることもある。 | 
| 専門の「屋根屋」という職業が成り立つほど需要は多い。大がかりな修理なら屋根屋さんに頼むしかないが、 | 
| この程度なら道具と材料さえあれば自分で何とかなるのだ。田舎暮らしには、大工、左官などの基礎的な | 
| 知識と技術が不可欠だと学んだ。タウンページを探しても、街中のようにすぐに来てくれる業者はいないのだ。 | 
| 神々の峰 | 
| 神々しいまでの美しさである。雪をかぶった北アルプスの峰々・・・・・・いにしえの人々が「神が宿る」と信じた | 
| のもうなずける景色だ。今年もまたこのすばらしい景色に出会えた幸せを味わっている。。 | 
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| 例年通り、アルプスの頂きは雪化粧、麓の紅葉とのコントラストがみごとで、息を呑むとはこういうことを | 
| 言うのだろうと思う。雪のない山もすばらしいが、冠雪した山容にはかなわない。夏の間には多くの人間を | 
| だまって受け入れていた山の神々が、この時期からは「なん人も入ることは許さぬ」と宣言し、神の領域で | 
| あることを示しているかのようだ。 | 
| 日本広しといえども、3000m級の山が人家のすぐ近くまで迫っているという場所はまれであろう。北アルプス | 
| は南北に長い山脈だが、こんなに山頂が間近に見られるのは白馬村と小谷村だけだと言う。 | 
| 休日になると白馬村のあちこちで、山に向かってカメラを構える人たちが大勢いる。カメラに収めたくなる | 
| 絶景の前でじっと山の方を見て動かない人、歓声をあげながらはしゃぎまわる団体客・・・・みんな「神」と向き | 
| 合っているのだ。間もなく、麓の村々も神の領域に包まれることだろう。 | 
| 人間が一番謙虚になれる時期を今年もまた迎えようとしている。 | 
| ついに来ました(10月27日) | 
| 猛暑から一気に秋、そして・・・・ついにやってきました。「雪」・・・・・・ | 
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| 昨夜からの雨がみぞれに変わり、今朝はごらんの通りの「初雪」となった。積雪2,3cmというところか。 | 
| 昨年より一週間早い初雪、集落も一気に雪化粧をしている。しかし、根雪になる雪ではない、ということは | 
| 3年も住んでいるとわかる。この雪もすぐにとけるだろう。 | 
| 毎年の長期予報ははずれることが多い。今年の予報は「12月は雪が多いが1月以降は平年なみ」と言って | 
| いる。さてこの予報通りになるのか、どうか。 | 
| この雪に驚いたのか、今朝キツネとサルが人家近くまで下りてきていた。彼らも「いよいよ冬か」と身を | 
| 引き締めていることだろう。われわれも車のタイヤをそろそろ冬用に付替えなくてはならない。 | 
| 短い秋が終わり、山里には冬の足音が近寄ってきた。 | 
| 秋の恵み | 
| 心配されていた「マツタケ」が、予想に反して豊作になるという。長野県は全国一のマツタケの生産を誇る。 | 
| 超高級品になってしまったマツタケだが、豊作と聞くと「買ってみるか」と心が揺れる。産地に行けば割安で | 
| 手に入るからだ。とうとう一度もマツタケの味を知らないままという人も多いのではないだろうか。 | 
| さて、同じく長野県では全国に先駆けて、「キノコによる食中毒注意報」なるものが発令された。マツタケが | 
| そうであるように、今年の秋、山ではキノコが大量発生し、大豊作なのだとか・・・・・ | 
| そんな中、スーパーや道の駅に出荷されたキノコの中に毒キノコが紛れ込んでいて、食べた人が中毒に | 
| なったという報道が何件もあった。どれも食用になるキノコによく似た毒キノコを食べてのこと、秋の味覚では | 
| あるが油断はできないのだ。集落近くの山に入ると、たしかにあちこちにさまざまなキノコが出ている。 | 
| 見るからにおいしそうなものもあるが、素人は決して手を出してはいけない。安心できるのは・・・・・・ | 
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| 原木で栽培されたものだ。我が家でもシイタケ、ヒラタケ、ナメコが収穫できた。ナメコははじめマッチの頭 | 
| ほどの大きさだが、あっという間に大きくなって、一日収穫が遅れると大きくなりすぎて手に余る。 | 
| ここしばらくはおいしいキノコを存分に味わえるだろう。これも山の秋の恵みである。 | 
| 達人の技 | 
| 集落の師匠のお手伝いで、近所の人に頼まれた稲刈りが続いている。ある田んぼでのこと・・・・・・ | 
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| 先日から降った雨の影響で田んぼがやわらかくなっていた。稲刈り用のコンバインがぬかるみにはまって | 
| 動けなくなってしまった。機械の下に板を敷いたり、ロープで引っ張ったり、スコップで泥を掘ったり・・・・・・ | 
| 思いつくあらゆることをやってみたが、だめ。まだ半分近くの稲が残っているというのに。 | 
| 2時間近く悪戦苦闘して、ようやくコンバインがぬかるみから脱出できた。それはよかったが、さて残った | 
| 稲をどうするか、もうコンバインを田の中に入れることはできない。師匠の一言「手で刈るか。」で、最新の | 
| コンバインがありながら、それを横目で見ながら昔ながらの手刈りで残りの稲を刈ることになった。 | 
| 田の持ち主さんが近所の人に応援を求めに行った。しばらくしておじいさんとおばあさんがやってきた。 | 
| 以前、この二人の田んぼも頼まれて稲刈りをしたので、顔見知りのお二人であった。「やぁ、やぁ、こりゃ | 
| えれぇ事だわ。」そう言いながら、さっさと田に入るや否や、目にも止まらぬ速さで稲を刈り始めた。 | 
| 足元の田んぼは長靴が埋まりこむ柔らかさ、腰を曲げて一株ずつ刈っていくのだが、慣れない私は | 
| ぬかるみに足をとられ、何度も倒れそうになる。おまけに曲げたままの腰の痛さ・・・・・ | 
| 私が三株を刈るあいだに、二人の”達人”は十株は刈っていく。これはもう「芸術」である。 | 
| これは1時間はかかるだろうと観念していた残りの稲は、こうしてあっという間に刈り取られた。お二人は | 
| 仕事が終わると、二言、三言話を交わして何ごともなかったように帰って行った。 | 
| 困った時はお互いに助け合うのがあたりまえだ、と言ってくれたおばあちゃんは今年80歳なのだそうだ。 | 
| まるで手品か何かを見ているような、感動の体験であった。山里の農業はこんな達者な達人たちに支え | 
| られて成り立っている。「修行不足」を思い知らされた稲刈り体験となった。 | 
| よく頑張った・・・ | 
| 5月、近くのホームセンターの野菜苗売り場で君たちに出会った。青々として元気のよい他の野菜苗たちの | 
| 隅で、君たちは段ボール箱に無造作に入れられ、水もろくにもらえず、枯れていくのを待っていた。ポットには | 
| 「処分品10円」という値札が貼られていた。葉も虫に食われ、あちこち穴だらけ・・・痛々しい姿だった。 | 
| 君たち3本の”処分品”を買ったのは私だ。何だか不憫になって、せめて畑に植えて枯れさせてやろう、と | 
| 持ちかえって畑に植えた。水、肥料も他の苗と分け隔てなく与えた。あれから3カ月・・・・・・・何と君たちは! | 
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| 立派に「ナス」として生き延びてくれた。しかも十分すぎるほどの実をつけて。我が身が「10円」という人間の | 
| 勝手な値段で処分されかかっていたなどとは知らないのかもしれないが、君たちのたくましい生命力は | 
| しっかりと見させてもらったよ。頑張った結晶である実はありがたく、ほんとうにおいしくいただいた。 | 
| もうじき終わりが来て、もう君たちにも会えなくなるが、”10円ナス”の君たちのことは忘れない。 | 
| いのちを全うできてよかったね。何としても生きようとする君たちから、私も十分元気をもらった。 | 
| よく頑張った! 君たちに出会えてよかったよ。 | 
| 猛暑 | 
| 全国が記録的な猛暑のなかにある・・・・そう聞いて、あらためて我が家の涼しさに感謝している。日中は | 
| 外に出れば30度を超える日差しがあるものの、日が落ちれば急に涼しくなり、夜は厚手の毛布をしっかり | 
| かぶっていないと、寒くて夜中に目が覚める。朝の気温は18度前後、クーラーは全く必要なく、日中も家の | 
| 中では扇風機1台あれば問題はない。 | 
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| この暑さで農産物の「北限」が次第に北上しているらしい。最近聞いた話では、国産ワインのメッカとも | 
| 言える「甲州ワイン」の産地山梨でも、ブドウに高温障害が起きているという。信州でも栽培しているブドウ | 
| だが、今やかつての山梨産のブドウに匹敵するほどの品質になってきているそうだ。 | 
| 何はともあれ夏が涼しいのは何よりの恵みである。街中で猛暑にあえぐ人達には悪いが、冬苦労している | 
| のだから、これくらいのご褒美はあってもよいだろう。 | 
| 快適な涼しさの中で秋の到来を待つ日々が続いている。 | 
| 草 | 
| この時期、山里は「草」に覆われる。「草」・・・・・街中に住む人には想像しにくいだろうが、草取りなどと | 
| いう品の良い話では済まない、恐るべき相手なのである。「ここはもともとオレたちの場所だ。」と言わん | 
| ばかりに、だまっているとあっという間に彼らに飲みこまれてしまう。まさに「押し寄せる」という言葉が | 
| ぴったりの、驚異的な野生の力なのだ。 | 
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| 彼らに負けまいとすれば、山里の住人は草との戦いに明け暮れることになる。草刈り機の力を借りて切り | 
| 倒すのだが、1、2週間もすればまた元の状態に近い回復をやってのける。恐るべき生命力に感服しながらも | 
| 戦いの手を休めるわけにはいかない。 | 
| そんな「草」だが、迷惑なことばかりでもない。彼らのおかげで、強烈な太陽の熱が地面やコンクリートに | 
| 蓄えられることがなく、日中は暑くても朝晩はこれでも夏か、と思うほど涼しい。我が家では今でも夜は | 
| 布団なしでは寒くていられないほどだ。 | 
| 文句を言っても始まらないので、住人たちはだまって彼らと付き合うしかない。毎日、集落のどこかで草刈り機 | 
| のエンジン音が聞こえる。夏はこういうものなのだ、と思ってしまえば、別に大したことではない。 | 
| 草との戦いは、秋の訪れが感じられるころまで続く。 | 
| 塀 | 
| 家を新築すると、決まって必ず周囲に”塀”を作る。 | 
| それがブロックであろうと石であろうと樹木であろうと、 | 
| 塀に囲まれないと何だか落ち着かないのはなぜか? | 
| 古来より”塀”は城壁のように外敵の侵入を防ぐために作られてきたもの、 | 
| 外敵などいないのに、今でも似たようなことをするのは、 | 
| この家は自分の”城”で、「私の縄張りだ」と宣言しているからで、 | 
| 見知らぬ人間たちに囲まれて無防備では心もとない。 | 
| 塀など無縁の山里に住んでみると、 | 
| そのことが実によくわかる。 | 
| 招かれざる客 | 
| この夏、村や集落のあちこちで獣害の話題が広がっている。田や畑にイノシシやハクビシンなどが出没し、 | 
| 作物を荒らしているのだ。田では畦を掘り返し、ミミズを捜し、田の中で寝転がって泥浴びをする。もちろん | 
| せっかく育っている稲はなぎ倒される。畑では収穫期を迎えたジャガイモが一晩で掘り返されて全滅。キュウリ | 
| やトマトの実もかじられてしまう。 | 
| ”客”の正体は主に「イノシシ」と「ハクビシン」・・・・イノシシは数年前まではこのあたりにはいなかったと聞く。 | 
| 冬眠しないので、冬の豪雪に耐えられないからだ。ところが最近になってこんな山奥まで姿を見せ始めた。 | 
| 地元の猟友会に駆除が依託され、集落の上部の山林でも数十頭が捕獲されたという。知り合いの猟師さん | 
| の話では「まだ親が2,3頭残っているで、連中がまた子を産めばあっという間に増えるだ。」・・・・イノシシは | 
| 一度に5,6匹の子を産む。なるほど、と納得である。田畑をイノシシの被害から守る手立ての一つが「電気柵」 | 
| だ。電線を張り巡らす作戦だが、費用がかかり、雑草が電線にふれるとショートして使えないという。村から | 
| 設置のための費用補助も出ているが、草刈りなどの作業も高齢化のため思うようにいかないのだという。 | 
| ハクビシン(白鼻芯)・・・・明治時代に毛皮をとるために中国から持ち込まれたネコ科の動物で、雑食性で | 
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| 夜行性である。先日ついに我が家の畑にも現れ、サツマイモの根を根こそぎ掘り返し、かぼちゃの実をかじり、 | 
| ナスをかじり、やりたい放題の乱行ぶり・・・・・対抗策はネットを張り巡らすこと、高さ1mのネットを張っておけば | 
| これを乗り越えて入ることはない。さっそく狙われそうな野菜はすべてネットで囲った。さてどうなることか。 | 
| もう一つ、手ごわいのが「カラス」、食べごろになったら目ざとくみつけてやってくる。この対策は「糸張り」だ。 | 
| 野菜の上に数本の細い糸を張っておく。羽が糸に触れるのを嫌うらしく、効果てきめんである。これも集落の | 
| 師匠から教わった。 | 
| おかげで我が家の畑はネットと張り巡らせた糸で重装備、「家庭菜園」などという上品な姿とはほど遠く | 
| なってしまった。ともに共存する山里の同志とはいえ、こればかりは勘弁してもらいたい。 | 
| しばらくは彼らとの知恵比べの日々が続く。 | 
| 霧ヶ峰 | 
| その昔、テレビでクーラーのCMをやっていた。キャッチフレーズは「霧ヶ峰・・・・」 | 
| 「霧ヶ峰」は長野県茅野市の北側にある高原の名称だ。標高2000m級のなだらかな山並みが連なり、 | 
| 白樺湖、蓼科高原もすぐそばにあって、「これぞ信州!」と誇れる観光名所である。 | 
| 15年前に一度訪れたが、長野県も梅雨明けしたと聞いて行ってきた。 | 
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| 車山から白樺湖を望む 車山山頂(1980m) | 
| 高山植物の宝庫なのだが、まだちょっと時期が早かったようで、チラホラという感じ・・・今月終わり頃から | 
| 見ごろを迎えるだろう。リフトを二つ乗り継いで車山山頂に立つ。気象庁の観測レーダーがあり、ここからは | 
| 360度の展望が開ける。八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、浅間山・・・・・・・ | 
| あいにく雲が多く、すべては見られなかったが、それでも景色は最高である。谷から吹き上げてくる涼風 | 
| が汗を心地よく消してくれる。観光客が多いのもうなづける。 | 
| 霧ヶ峰高原は散策路がきちんと整備され、高山植物を見ながら一日山歩きを楽しめる。最近シカの出現で | 
| ニッコウキスゲなどの植物が食い荒らされる被害が発生していると聞いたが、人間がきれいだと楽しむ草花も | 
| 彼らにとってはごちそうなのだろう。八島湿原という「高層湿原」もあり、多彩な高山植物が楽しめる。 | 
| すばらしい景色と高原の涼風を堪能して帰路についた。霧ヶ峰・・・エアコンの名前にこれを思いついた人 | 
| は、きっとここの涼風を体験した人であったのだろう。またいつか行ってみたいと思わせてくれる場所である。 | 
| 初夏…梅雨 | 
| 6月の終わりの一週間、小谷村栂池の栂池自然園で「ミズバショウ祭り」が行われた。毎年この時期に催される | 
| イベントだが、聞くところによると今年は残雪が多く、ミズバショウも遅れているのだとか、訪れた観光客の中には | 
| 「パンフレットにある写真と違うじゃないか!」と苦情をいう人もいたという。標高2000m付近では夏とはいっても | 
| まだまだ本格的なものではないということだ。 | 
| さて、梅雨に入り、適度に降ってくれる雨のおかげで畑の作物たちも順調に生育している。キュウリやナスは | 
| 早くも一番果を収穫していただいた。近所の畑にはイノシシやカモシカが出現し、イモなどが全滅という話も | 
| 聞いたが、幸い我が家にはまだ姿を見せていない。 | 
| 昨年山からとってきて植えておいた「ホタルブクロ」が満開を迎えている。植えた時は3,4株だったのに種が | 
| 落ちて今年は「なんだこれは!」と驚くほどの繁茂ぶりだ。このままいけば来年はもっとすごいことになるだろう。 | 
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| 同じく「オニシモツケソウ」も淡いピンクの花が満開になった。彼ら山野草はまじめに彼らのいのちを全うして | 
| いる。梅雨真っ盛りだが、かれらが夏は近いと教えてくれている。 | 
| 今年も出会えました | 
| 例年にない大雪だった冬が終わり、春・・・・・しかし、順調に暖かくなると思われたのに、これまた | 
| 思いがけずに寒い日の連続・・・・・もう6月だと言うのに、朝晩はストーブがなくては寒くてかなわない。 | 
| 山でもいったん解けかけた雪が、寒波で何度も白く化粧直しをして、最近ようやく山肌が見える | 
| ようになった。そんな中、白馬村へ行くと・・・・・・・ | 
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| 白馬岳の頂上近くに、今年も「雪形」が見えた。白馬岳の名前の由来でもある「代かき馬」の雪形 | 
| である。しっぽを大きくはね上げ、前足を曲げて今にも飛び跳ねていきそうな馬だ。 | 
| これが見えると春から初夏へと季節がかわってきたことが分かる。栂池自然園の「ミズバショウ祭り」 | 
| もまもなく始まる。ストーブを片づけるのはもう少し先かもしれないが、季節はまちがいなく動いている。 | 
| 季節 | 
| 「最近、お宮の森でギャアギャアと騒がしい声がするんですが、何でしょう?」・・・・・近所の師匠に聞いてみた。 | 
| 「ああ、それはムササビだ。あそこに巣があるだよ。」・・・・というわけで、疑問は解消。 | 
| 最近、夜な夜なすさまじい動物の鳴き声がして、何度も目がさめることがあった。猫にしては声が大きすぎるし、 | 
| タヌキやキツネでもない。何だろうと思っていたのだ。そうか、ムササビ・・・・・・・ | 
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| 日本の固有種で、夜行性、樹上で一生をすごし、完全な草食性の動物。羽のようなものを使って木から木へ | 
| と飛び移って移動する。春と秋に発情して、オス同士がなわばり争いをすることがある・・・・・・・・そうだ。 | 
| どうやらあのすさまじい鳴き声はオス同士の争いの声であったようだ。それにしても小さな体であんなに大きな | 
| 鳴き声を出すとは・・・・・どこの世界もオスは辛いものだ。鳴き声が収まったところをみると、なわばりの決着は | 
| ついたようだ。春は彼らにとっても大事な季節、浮かれ騒ぐ人間たちを木の上からどうみているのだろう。 | 
| 春のめぐみ | 
| 山里の雪も消えて、小谷村は今春の盛り・・・・・スタートの合図を待っていたランナーのように、あらゆる草花 | 
| が一斉に花を開き、木々は新しい芽をふきはじめた。一年でもっとも美しい季節がやってきた。 | 
| 我が家でも山野草たちが可憐な花を見せてくれている。ミズバショウ、エンレイソウ、チングルマ、黒ユリ、 | 
| オキナグサ、ニリンソウ、シラネアオイ・・・・・・長い冬を乗り切った”同志”にやっと会えた、という思いになる。 | 
| さて、山里ではこの時期、村人たちが落ち着かなくなる。「山菜」である。お目当ての山菜を採るために、 | 
| 何キロも山を登って、10キロを超える山菜をリュックにつめてくる人もいる。もちろん、私たちにそこまでの | 
| 「ずく(根性)」はないので、家の近くで採るのだが、それでも十分食べるほどのものはいただける。 | 
| この時期はそんな山菜を求めて他所から人が山にやってくる。中には商売のために大量の山菜を採っていく | 
| 不届き者もいる。そこで自衛のため・・・・・ | 
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| このような看板やロープを置いて、注意を促している。しかし、それでも安心はできないから、と地元の人が | 
| 交代で要所に立番をして監視する。食べるだけを採っていくならまだしも、来年のことなど考えずに根こそぎ | 
| 持っていく者がいるからだ。山菜も根を残し、葉も全部を採らずに少し残しておけば来年もちゃんと生きている | 
| のだが、根を引きぬかれれば終わりだ。 | 
| おいしい山の恵みだが、与えられた以上のものを欲してはならないのだ。山里の人々はそれを知っている。 | 
| 長く、厳しい冬を耐え抜いた里人たちに、山の神様がごほうびにわけてくれる山菜なのだ。そんな苦労もせずに | 
| おいしい所だけを味わおうなどとは、バチあたりである。 | 
| 山菜の時期も間もなく終わる。山が緑に衣替えをするのもそう遠くはないだろう。 | 
| 光陰矢の如し | 
| 小谷村の山里に居を構えて3年が過ぎ、今日から4年目を迎える。ふり返ればあっという間の3年間だった。 | 
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| 住み慣れた九州を離れ、信州の山奥に移住すると聞いた友人の多くが、「何で?そんな遠いところへ?」 | 
| と誰もが口をそろえて聞いた。普通に考えればそうなのかもしれない。九州から1000kmも離れた信州、 | 
| おまけに日本屈指の豪雪地域と聞けば、そう思うのも当然である。 | 
| 長い間の夢を叶えただけのこと、別に「血迷った」わけではない。一度きりの人生、それならば大好きな | 
| 北アルプスの山並みが見えるところで暮らしてみたい・・・・・・・若いころからの夢であった。 | 
| 多少の決断は必要であったが、その気になれば大抵の問題はその方向で解決できるものだ。 | 
| わずか20戸の小さな集落、どこの者ともわからない我々を、集落の人たちにはほんとうに温かく受け入れて | 
| いただいた。心から感謝である。山里の暮らし、雪との向き合い方を一から教えてもらいながらの出発であった。 | 
| 3年でこの地に”根を下ろした”とは言えないが、その準備くらいはできたかなと思っている。 | 
| さて4年目はどんな出会いが待っているか・・・ | 
| 年輪 | 
| 人には間違いだと知らずに持つ知識がある。山里に暮らすようになってあらためて知らされる事実は | 
| 多いが、「年輪」についての知識もそうである。 | 
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| 昔学校で、「木は暖かい南側の生長が早く、北側の生長は遅い。だから年輪を見れば方角がわかる」と | 
| 教えられた。そしてずい分長い間それが事実だと信じてきた。 | 
| ところが、それはまちがいだと最近知った。年輪は方角に左右されて出来るものではない。たとえば谷の斜面 | 
| に立つ針葉樹では谷に倒れないように谷側の生長が強くなる。また広葉樹では倒れないように山側の部位の | 
| 生長を強くして木を引っ張ろうとする。こうして年輪の間隔が変化してくるという。 | 
| 自然条件で確かに南側の間隔が広くなることもあるそうだが、それだけが事実ではないということだ。 | 
| 何ごとも勉強・・・・・あらためてそのことを学んでいる。 | 
| 御柱祭 | 
| 先日から信州では連日「御柱祭(おんばしらさい)」のニュースが流れている。諏訪大社のお祭りである。 | 
| 巨木を坂の上から落とす映像などで、全国的にも有名なお祭りだ。7年に一度しか見られないというのも | 
| 人気の一つらしい。報道では50万人をこえる観客が集まったという。 | 
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| 勇壮な巨木(御柱)の坂落としが最も人気で、7,8本の巨木を順次滑りおろしていく姿に、観客も興奮気味、 | 
| 今年は坂の修復をしたので、途中で止まることなく、一気に下まで滑り落ちたと言う。 | 
| この「御柱祭」はここ諏訪大社だけの祭りではなく、信州のあちこちの分社も、規模は小さいが同じような | 
| 祭りを行う。山奥で大木を切り倒し、それを山里まで下ろし、川を渡り、街まで運んでくるという作業を、機械を | 
| 使わず、人力だけで行うという姿は、どう見ても「伐採」である。諏訪大社の祭神「タテミナカタノミコト」は | 
| この地方を開拓した神として祀られているのだが、この姿はまさに「開拓の再現図」である。当時の苦労と | 
| 精神を残して伝えるためにこの祭りが続いてきたように思われる。これらの巨木は神社の改築のさいに | 
| 「柱」として使われるそうだが、昔は庶民の家づくりなどにも使われたのかも知れない。 | 
| この「御柱祭」の行われる前年に、諏訪大社の神主たちが小谷村にやってきて、山奥の杉の巨木に | 
| 鉄製の「鎌」の刃を打ちつける神事が行われる。母の故郷である糸魚川から山をこえて信州に入ってきた | 
| 「タテミナカタノミコト」の足跡を確かめるような神事である。鎌は開拓、開墾のシンボル、それを巨木に打ち | 
| こんで、開拓の精神を語り伝えてきた。 | 
| 開拓や開墾の姿をこんな形で今に伝えている氏子たちを、神様たちはどう見ているのだろう。あるいは | 
| ほほ笑みながら「おお、やっとる、やっとる。」とでも言っておられるのだろうか。 | 
| 春の使者 | 
| 雪国にもようやく春の気配が漂ってきた。雪は見る見る間にとけて、四か月ぶりに地面が姿を見せて、 | 
| あちこちに水仙や福寿草が可憐な花を開き始めた。我が家の庭の野草園でも、カタクリやアズマイチゲが | 
| つぼみをふくらませている。 | 
| 昨日、今までにみたこともない鳥の大群が突然飛来して、集落や家の上空を真っ黒になるほど覆い尽くした。 | 
| おそらく数千羽はいただろう。我が家のすぐ前の雪の上にもとまったので、すぐに写真を・・・・・ | 
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| あとで図鑑で調べると「アトリ」という鳥だとわかった。スズメ科の渡り鳥で、シベリアから渡ってきたらしい。 | 
| 数千羽から数万羽の群れをつくることがあり、主に北日本で見られる、この時期の代表的な渡り鳥である。 | 
| おそらくスギの花を食べにきたのだろう。まさに「息を呑む」景色であった。 | 
| 山里に暮らしていると、街では体験できない遭遇がある。この鳥の大群もそうだが、雪どけの束の間に花を | 
| 開く野草や、雪の下で大きくなっていたシイタケ、野ネズミやリスたちとのほほえましい出会いなどが春の陽気 | 
| とともに心をとかしてくれる。白一色だった家のまわりに緑が見られるようになり、もう少しすると木々や草花 | 
| が「よーいドン!」で一斉に花を咲かせてくれる。長かった冬が終わり、待ちに待った春の到来である。 | 
| 根性 | 
| まったく「根性」のある雪である。3月も終わるというのに、自己主張をやめない・・・・・・・・ | 
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| 昨日から今朝にかけての積雪、50cm・・・・・ここまでくると見事な根性である。もう出番もないだろうと | 
| 思っていた我が家の除雪機に、もう一度お出まし願わなければならないようだ。 | 
| 昨年はこの時期、雪はもう跡形もなくすっかり消えていたのだが・・・・大陸からの強い寒気の南下が原因 | 
| らしい。せっかく花を開いた福寿草やつぼみをふくらませたスイセンもしばらく足踏みを強いられる。 | 
| それにしてもこの冬はよく降ったものだ。まさに「記録的」と言ってもよい。これぞ雪国!という姿を存分に | 
| 見せてもらった。西日本では桜が満開だと聞く。日本は広いのだとあらためて思う。 | 
| そうはいっても春は間違いなく近づいている。もしかするとこの雪が本当の「なごり雪」となるかも知れない。 | 
| それを期待しながら、今日は朝から除雪作業に汗を流さなくては・・・・・・・ | 
| まだ降りますか? | 
| もうすぐ四月だというのに、雪はまだ去らない。「なごり雪」と呼ぶにはあまりにも降りすぎである。 | 
| 昨日の昼ごろから降り始めた雪が、今朝までに30cm以上は積もっただろう。せっかく見えていた土や花は | 
| また真っ白い布団のなかにもぐってしまった。今朝は朝早くから村の除雪車がエンジン音を響かせて除雪を | 
| していた。もう来ないだろうと思っていたのだが・・・・ | 
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| 「もういい。十分です。」・・・・・住人たちの共通した思いだ。しかし、この雪も根雪になることはなく、 | 
| 気温の上昇とともに間もなく融けるだろう。耳知識を一つ・・・・・・ | 
| 国道にある信号機、このあたりでは「縦型」である。積雪による重量負荷を少しでも減らす工夫なのだが、 | 
| 3月に降る雪は水分が多く、重いので時折故障したというニュースを聞く。毎日見ていると気付かないが、 | 
| 街ではたしかに「横型」が多い。これも雪国ならではの風景のひとつか・・・・・・ | 
| 姫川の水も、周囲の雪どけ水を集めて黄土色になり水量も多くなってきた。姿はみえないが、足音だけは | 
| 「春です」と響いているようだ。 | 
| 祭りのあと | 
| 連日テレビや新聞で大騒ぎ・・・であった。大糸線の「キハ52」の引退である。 | 
| 全国からファンが押し寄せ、「撮り鉄」と呼ばれる写真家たちが撮影ポイントに鈴生り・・・・臨時の駐車場も | 
| できるほどの大盛況であった。 | 
| 嵐のような引退劇が終わり・・・・・・大糸線はまた元の静かな山間のローカル線にもどった。 | 
| キハ52の後釜にすわったのは、「キハ120」・・・・ちょっと垢ぬけた、スマートなイメージの車両である。 | 
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| 地元の住人にとっては、車両がどう変わろうと「大糸線」である。乗客の減少で廃止も検討される、赤字路線 | 
| なのである。「祭り」はあくまでも他所のファンたちのためのもの・・・・住人たちのためではない。 | 
| もうしばらくは大糸線がこんなにも注目されることはないだろう。祭りが終われば、また静かな山里の暮らしが | 
| 始まる。 | 
| 力 | 
| こんなすさまじい積雪がほんとうに融けるのだろうか・・・ | 
| 雪の中で暮らしているとそう思って不安になる。 | 
| だが、心配はいらない。 | 
| お日様が2,3日も続けて顔を出せば | 
| 驚く速さで見る見る間に融けていく・・・・ | 
| 思い上がりが消えて、謙虚さが芽生える瞬間だ。 | 
| キハ52 | 
| 「キハ52」と聞いてすぐにピンと来る人は、相当の鉄道マニアである。キハ52とは・・・・ | 
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| そう、ディーゼル気動車の名称である。全国のJRで現在走っている「キハ52」型のディーゼル気動車は、3台。 | 
| それがいずれも大糸線(糸魚川〜南小谷)だけで運行しているのである。1962年ごろに作られたそうだから、 | 
| もう50年前以上も前になる。日本各地で活躍していたが、電化が進み、今ではここ大糸線だけになった。 | 
| 何しろ全国で「3台」だけである。しかも3月いっぱいで現役を引退することが決まったという。鉄道ファンが | 
| これを見逃すはずはない。ここ最近、全国からファンが押し寄せ、沿線のあちこちにカメラを構えて待機・・・・・ | 
| 土日ともなると田舎の道は彼らの車で大渋滞・・・・となる。 | 
| 集落へ向かう道の途中に踏切があり、何度も目の前を通過していく「キハ52」を見てきた。それほど希少価値 | 
| のあるものとは知らなかったが、なるほど・・・・また一つ古き良き時代が消えていくのか。 | 
| 3月12日にはお別れ運行があり、3台連結しての運行が予定されている。また多くのファンが押し寄せること | 
| だろう。 | 
| 関連ホームページ http://www.asahi.com/travel/rail/gallery/100222ooito/ | 
| 畏敬 | 
| 雪には雪の”神秘”がある。 | 
| 人知をこえた、崇高な意志がある。 | 
| そうでなければ、こんなにも潔く、簡潔に、公平に、鮮やかに、 | 
| 野山や田畑や人家や人々の暮らしを「問答無用!」とばかりに | 
| 白一色に塗りつぶすことはできないだろう。 | 
| 真っ白な世界の中にいると、 | 
| ”崇高な意志”に畏敬の念が素直に生まれる。 | 
| 化石 | 
| 限界集落?田舎の存続がむずかしいって? | 
| 簡単な話だ。 | 
| 仕事をやめたら全員何年か田舎に住むことにすればよい。 | 
| 気にいればそのまま住むし、どうしても嫌だという者は | 
| 街に帰ればよい。 | 
| それは乱暴だ、という者もいるだろうが、 | 
| そのぐらいのことをやらないと、 | 
| “日本の原風景”だと言ってなつかしんでいる風景や暮らしは | 
| いずれ「化石」になる。 | 
| 感覚 | 
| 山奥が今どんな天候なのかは、 | 
| 我が家の横を流れる沢の水音を聞いていればわかる。 | 
| 水量や流れる速さで、 | 
| 上流の状態のおよそがわかるのだ。 | 
| 初めからそうだったのではない。 | 
| 三年暮らしてきて、ようやくわかるようになった。 | 
| 何十年も暮らしている人たちには | 
| もっといろんなことが周囲の変化で感じとれるのだろう。 | 
| だまっていても、生きるための感覚は研ぎ澄まされていく。 | 
| 山里のなかまたち | 
| 相変わらず降り続く雪である。九州では梅が満開だと聞いたが、山里はまだまだ深い雪の中である。 | 
| 先日から、二度ばかり思わぬお客さんに遭遇した。リスである。 | 
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| 正式には「ニホンリス」または「ホンドリス」というそうで、体に白い縞模様のある「シマリス」や北海道に | 
| 生息する「エゾリス」とはちがう種だという。保護色を持たない彼らには雪の上は天敵との遭遇が待ち | 
| かまえている。すばしこく動き回るのは、身を守る術なのだろう。 | 
| 最初は我が家のすぐ裏の雪原を忙しそうに走り回る姿を見た。木の根もと辺りを何やら捜している様子、 | 
| 秋のあいだに埋めておいたクルミでもさがしにきたのだろう。結局見つからなかったようで、10分くらいして | 
| 森の奥へ姿を消した。二度目は車で麓へ下る途中で・・・・いきなり道の横から、口に大きなクルミの実を | 
| くわえたまま飛び出してきて、道を横切っていった。つかの間の好天に誘われて、食料捜しであったようだ。 | 
| 野生動物たちは、同じ山里で暮らす”なかまたち”である。これまでに遭遇した彼らは、カモシカ、キツネ、 | 
| タヌキ、テン、イタチ、オコジョ、アナグマ、ヤマドリ、キジ、リス、サルたちである。さすがにクマにはお目に | 
| かかっていないが、近くの山にはまちがいなく住んでいるそうだ。最近は、今まではいなかったイノシシが | 
| 現われ、田畑を荒らす被害も出ていると聞いた。豊富な野生動物たちがいるということは、それだけ自然が | 
| 豊かだということ、田畑を荒らされては困るが、できれば仲良くつきあっていきたいものである。 | 
| この深い雪の中、彼らも春の到来を心待ちにしているのだろう。その一点に関しては、彼らと私たちは | 
| まさしく”同士”であり、不思議な感覚だが、連帯感を感じてしまう。 | 
| 雪どけの春まで元気で暮らせよ。 | 
| 晴天にさそわれて | 
| 久しぶりの晴天にさそわれて、スキーに出かけた。村内にあるコルチナスキー場へ・・・・・ | 
| 土日をさけて、月曜日なら客も少ないだろうという読みだったが、行ってみると結構なにぎわいである。 | 
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| 平日なので、さすがに子どもはいないが、外国人や学生の姿が目立った。最近は外国、特にオーストラリア | 
| からのお客さんが多くなったようで、この日もずいぶん多くの人を見た。リフト券売り場で、私の前に並んでいた | 
| 外国人の家族連れが券を買おうとしていたが、なにやらもめている。耳をすまして聞いていると、どうやら | 
| シニアの割引券購入(50歳以上は年齢が確認できる物を提示すれば割引になる)で、その年齢確認が | 
| 出来ないようだ。年配のお母さん風の人が「I promise. I am 55 years old.」と懸命に話しかけていた。 | 
| 55歳に間違いない、と訴えていたようだ。売り場の若い女の子も困っていたようだが、券は何とか無事に | 
| 手渡されていた。こんな所にも”国際化”の波がきている。 | 
| 昨日まで降り続いた新雪で、ゲレンデコンディションはふかふかのパウダースノー、最高である。 | 
| 2時間ばかり快適な時間を過ごした。思い立ったらすぐに行けるように、と思ってスキー道具一式はいつも軽トラ | 
| の荷台に積んである。これといって冬の楽しみの少ない雪国、せめてスキーくらいは存分に楽しみたい。 | 
| こんな雪国で・・・・ | 
| 「なごり雪」「22歳の別れ」・・・・と言えばおじさんたちには涙が出るほどなつかしい、往年の名曲である。 | 
| 作詞作曲は”伊勢正三さん”。かつて「かぐや姫」というグループで南こうせつさんと一緒に活躍していた | 
| 人である。その伊勢正三さんが白馬村にやってきた・・・・・・・ | 
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| おりしも、コンサート当日は記録的な大雪、普通なら20分で着く会場まで、我が家から1時間かかって | 
| しまった。大雪と寒風のなか、コンサートが始まった。 | 
| 期待通り、「なごり雪」も「22歳の別れ」も生の演奏と声でたっぷり聴かせてもらった。ステージで彼が、 | 
| 「こんな雪の多いところで”なごり雪”なんて、申し訳ありません。雪をロマンチックなものと思って作った | 
| のですが、雪国ではそれどころではありませんよね。・・・・・・・」なるほど、そう言われればそうだが、この | 
| 歌にはおじさんたちの熱い青春が塗りこまれている。歌は歌である。 | 
| 2時間はあっと言う間に過ぎた。卓越したギターの演奏も、彼らしい繊細さを感じさせるセンスもみごとで | 
| あった。「白馬、ありがとう。長野、ありがとう。・・・・」最後にそう言って彼はステージから消えた。 | 
| こんな雪国で、しかも大雪の中、熱い音楽にふれさせてもらってほんとうに感謝である。終わって、車に | 
| 積もった雪をかき落としながら、吹雪の中帰路についた。 | 
| 雪国で なごり雪歌うを詫びながら 同じ齢(よわい)の歌手はまぶしく | 
| 回り道 | 
| 豪雪の立春 | 
| それにしてもよく降る雪である。「暖冬傾向でしょう」などという予測はどこかへ吹っ飛んでいったようだ。 | 
| 年末から今日まで、雪の降らなかった日を数えたほうが早いだろう。新潟では今日だけで1mは積もるという | 
| 予報である。我が家も昨夜から今朝にかけて新たに30cmは降っている。今日は一日降り続くというので、 | 
| 60,70cmは積もるだろう。この冬、積算すればすでに6mはゆうに超えている。 | 
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| このところ連日、早朝から除雪車が出動して道の雪を除雪している。除雪車が入らない道にはすでに3m以上 | 
| 積もっていて、とても歩けるものではない。九州では聞いたこともなかった「なだれ注意報」や「着雪注意報」、 | 
| 「低温注意報」「大雪警報」などという気象用語も最近では耳になじんできたし、外気温ー10度という寒さにも | 
| さほど驚かなくなった。おりしも今日は「立春」・・・しかし、雪国では春はまだ深い雪の底に眠っている。 | 
| キツネ来て ひもじさ満たす糧もなく 我が家をはなれる足あと哀し 回り道 | 
| 冬用で・・・ | 
| 初めて聞いた時には「えっ、そんなことがあるのか!」と耳を疑った。雪のない所に住んでいる者には無縁の | 
| 話だからだ。ディーゼル車に使う燃料の「軽油」、実は冬には凍るのだそうだ。 | 
| 雪国や寒冷地のガソリンスタンドで販売している軽油は、凍らないような添加物が入っているという。平地 | 
| から雪国にディーゼル車で行く場合には、タンクが半分になったくらいで現地のスタンドで給油をするのが | 
| 常識だそうだ。信州に来るまではまったく知らない話であった。ディーゼル車で雪国に来られる方はどうぞ | 
| ご注意を・・・・・ | 
| 除雪機 | 
| この冬、長野県の雪は例年を大きく上回って記録的なものになった。長野県で最も雪の多かったのは、 | 
| 北部の野沢温泉村、次に飯山地方、3番目が小谷村である。小谷村では平年の2倍の降雪量だという。 | 
| 我が家の屋根雪下ろしもすでに3回、半端な降雪量ではない。 | 
| こうなるとどうしても必要になるのが「除雪機」・・・・・・我が家も1台、小さな除雪機を購入したが、近所の | 
| 人たちから「そんな小さな機械で大丈夫かい?」と言われていた。小さいながらも、普通に降って積もった雪 | 
| なら難なく跳ね飛ばしてくれる。だが、屋根雪を下ろしたあとでは、まるで役に立たない。落下した勢いで | 
| 雪は圧雪され、岩のように固くなるからだ。非力なエンジンでは歯が立たない。 | 
| 小谷村では、村の補助を受けて各集落に大型の除雪機が何台か置かれている。私の住む集落にも | 
| 3台あるが、そのうちの1台が今年新しい機械になって、集落のだれでも使っていいという話なので、 | 
| 思い切って使わせてもらうことにした。 | 
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| ディーゼルエンジン、27馬力でその除雪力は驚異的なものであった。1メートルの積雪もあっという間に | 
| 跳ね飛ばしていく。屋根から落とした固い雪も何の問題もなく飛ばしていく。なるほど、集落の人たちが | 
| 心配していたのはこのことだったのか、とあらためて納得であった。 | 
| 乗用車1台分の値段だそうだが、それだけの価値はあると言える。個人で所有するのは大変だが、こうして | 
| 行政が援助してくれれば本当に助かる。操作方法はほぼ理解できたので、これからは大いに使わせて | 
| もらおうと思っている。除雪機・・・・雪国には不可欠な生活道具である。 | 
| 手に負えぬ 締まり雪をもいと易く 飛ばしゆく除雪機に 謝意をつぶやく 回り道 | 
| 松本空港で・・・ | 
| 「当機はあと15分で松本空港に着陸します。・・・」という機内アナウンスが流れ、やれやれ、やっと着いたと | 
| ホッとしていた。窓から外を見ると、車輪も下ろされ、眼下の家々の屋根もはっきり見えだしていた。 | 
| ところが、急に車輪が格納され、上昇を始めた。「えっ?」と思っていると機長のアナウンス・・・・・・・ | 
| 「松本空港は急な雪で、当機が着陸することができなくなりました。これより大阪国際空港に向かいます。」 | 
| 何だって?大阪に・・・?機内にざわめきが起こった。空港の真上まで来ていたのに、大阪まで引き返すと | 
| いうのだ。それ以上の詳しい説明もなく、1時間かかって大阪の伊丹空港に着陸。 | 
| 乗客に松本・大阪間の運賃分の現金と、松本までの交通手段や時間を示したプリントが配られ、我々は | 
| ポイと見知らぬ大阪の街のなかに放り出された。 | 
| 天候悪化で引き返したり、別の空港に降りたりするというニュースは見たことがあったが、まさか自分が | 
| そんな経験をするとは・・・・結局、大阪から5時間かかって松本に帰りついた。 | 
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| 高い運賃を払っても、早く着きたいと思うから乗る飛行機だが、こんなこともあるのだ。折から、信州まつもと | 
| 空港に定期運航していたJALが5月いっぱいで撤退するという。日本一高度の高い場所にある空港で、高速 | 
| 道路や新幹線の影響で年々利用者が減少してきたという。ジェット機ではなく、小型のプロペラ機が福岡と | 
| 札幌を隔日で運航している。冬期にはよくあることだと聞いたが、こんなことが頻繁にあれば利用者が減るのも | 
| うなづける。安全を考えての機長の判断に文句はないし、相手が天候ならば仕方がないと思うが、それにしても | 
| 飛行機とは、空港とはいったい何だ、と考えさせられるハプニングであった。 | 
| 郵便 | 
| 全国の中山間地ではみんなそうなのであろうが、郵便を配達してくれる郵便局の人には感謝をしなくては | 
| 申し訳ない。仕事とはいえ、雪深い山里の一軒一軒に郵便物を配達することは尋常の苦労ではないのだ。 | 
| 街中とちがって、家の玄関前まで車が入れる家などほとんどない。当然下の道に車を置いて歩いて坂道を | 
| 上ってこなくてはならない。雪のないときならまだしも、1mを超える積雪に囲まれた各家々をまわるのは | 
| 考えただけでも重労働だ。いつも我が家に届けてくれる配達の人とはもうすっかり顔なじみになって、世間話 | 
| を交わすこともある。玄関に郵便受けの箱はあるが、不在のときでも玄関があいていればちゃんと中に入って | 
| 置いていってくれる。また出したい郵便物や宅配便の荷物もあれば持って行ってくれる。 | 
| 毎日雪かきをして、ちゃんと人が歩けるようにするのは、この人たちのためでもあるのだ。せめてもの感謝の | 
| 気持ちといえるだろう。中央では”郵政民営化”がどうだこうだと騒がしいが、山里には遠い話である。 | 
| 除雪車の 脇に寄りたる傍ら(かたわら)を 見知りの顔に会釈し通る 回り道 | 
| 大雪で始まった・・・ | 
| 新しい年の始まりだ。「この冬は暖冬傾向です。」という天気予報をみごとに裏切って、小谷村は年末から | 
| 近年にない大雪に見舞われた。大みそかから正月にかけて一週間も降り続き、自宅や集落はもちろん、小谷 | 
| 村もすっぽり雪の中である。降り始めからの積算をすれば3メートルは軽く超えただろう。 | 
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| 家の北側の窓は完全に雪に埋まり、外は見えなくなった。集落のあちこちに除雪をした雪が山のように | 
| うず高く積まれている。昨日、この冬二度目の屋根雪下ろしをしたが、1メートルの雪を全部下ろすのはまさに | 
| 重労働である。雪は軽い、などというのは机上の空論で、実際に運んでみればこんなに重いものはない。 | 
| よくもまあ、こんなに降ったもんだ、とあきれながらの作業であった。 | 
| 周辺のスキー場もこれで雪不足の心配はまずないだろう。師匠たちも「これでやっと冬らしくなった」と話して | 
| いる。問題はこれからだ。予報ではまだこの先1,2週間は雪が降り続くとのこと、屋根雪おろしをあと何回やらな | 
| ければならないか・・・・ | 
| 雪は楽しむものでなく、”戦う”ものだということをこの冬かみしめている。何はともあれ、大雪で幕があいた | 
| 今年も、良い年であることを願いつつ、今日も除雪作業に汗を流しましょう。 | 
| 山里で 三歳(みとせ)暮らせし証しかな 屋根雪下ろしの時期を見極め 回り道 | 
| 達人 | 
| 奥方が参加している村の短歌会の同人の歌が偶然目に入った。 | 
| 今生の最後の作と思ひつつ荒れしこの手に絹糸捌く | 
| 聞けば80歳のおばあちゃんの作だとか・・・自宅で「ボロ織り」と呼ばれる布を機織り機で作っておられる方、 | 
| 「今生の最後の作」だと自分に言い聞かせて、糸を捌くおばあちゃんの姿が目に浮かぶ。見事な覚悟と言う | 
| ほかない。歳を重ねて今ここにいる自分を客観的に見る視点が心に響く。 | 
| 電話鳴り受話器取れども耳遠く話進まず詫びて取り止む | 
| こちらは同じく80歳のおじいちゃんの歌、耳が不自由で電話のやりとりも困ることが多いのだろう、自分の | 
| ハンディーをこちらも客観的にとらえて、日常の一コマを見事に切り取っている。「詫びて」というところに | 
| その切なさが伝わる。 | 
| ともにこの村で生きてこられた大先輩、農作業や林業を担ってきた「達人」である。お顔は存じ上げないが、 | 
| 姿は想像できる。こんな歌が子や孫たちに残されていく。かけがえのない立派な”財産”ではないか。 | 
| 今後もますますお元気で句作に励まれることをお祈りする。 | 
| これはまた・・・ | 
| 降りだした雪は止まることを知らない。北陸や新潟では20年ぶりの大雪だとか。これも天変地異の一つ | 
| であろうか。さて、小谷村では・・・・・・ | 
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| 昨日から降りだした雪は積算すると1mはゆうに超えただろう。屋根にも盛りこぼれんばかりに積もっている。 | 
| 今朝は家の周囲の除雪に汗を流した。小さいながら除雪機の威力はすごいものである。人力でやっていたら | 
| おそらく半日かかるような除雪をわずかな時間で済ませてしまう。 | 
| 一通りの除雪を済ませて、さあ、今度は屋根雪だ、と思って支度にとりかかろうとしたが、集落のどこにも | 
| 屋根に上がっている人がいない。はて、どうしたのだろう?と考えてみた。たどりついた結論は・・・・ | 
| 降ったばかりの雪は軽すぎて下ろしにくいのだ。それにまだ固まっていないので見た目よりは雪の重量が | 
| 軽いということ。そう言えば、以前集落の師匠に「降ったあとすぐに下ろさなくてもいいだよ。」と聞いていた | 
| ことを思い出した。納得である。というわけで、屋根雪下ろしは後日ということになった。 | 
| 長野県では小谷村と白馬村が積雪量が一位というニュースをやっていた。峠は越えたようだが、このあたり | 
| ではまだしばらく降り続くらしい。雪との「闘い」がいよいよ始まる。 | 
| 雪です | 
| 「なかなかきませんねぇ…」と言っていた雪がとうとうやってきた。この冬初めての本格的な降雪である。 | 
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| 所用で小谷を留守にしていたが、帰ってきたとたんの大雪、降り始めから積算すれば70、80cmは積もった | 
| だろう。小谷村、白馬村の各スキー場もこの雪で待ちかねたオープンである。まだ4,5日は降り続く予報なの | 
| で、雪の心配はないだろう。我が家もさっそく「雪かき」である。さすがにまだ屋根の雪おろしまでは必要ない | 
| が、このまま降り続けばやらなくてはならないだろう。何はともあれ、「一安心」だ。 | 
| 雪が降って「一安心」とは、雪国で暮らしてみないと分かりにくい感覚だ。これでやっと「普通」の冬になった | 
| という安堵感である。もちろん大変である。買い物へ行くにも細心の注意をはらって車を運転しなければなら | 
| ないし、雪おろし、雪かきも結構きつい作業である。一日中家から出られないし、洗濯物も外には干せない。 | 
| しかし、これでいい、とだれもが納得する雪なのである。 | 
| 集落の方から「車庫が空いたで、軽トラを入れないかい。」と言っていただいて、今まで雪だるま状態で外に | 
| 駐車していた軽トラも車庫におさまることができた。こちらも一安心。 | 
| 雪国に雪はなくてはならないもの、これから3月の雪どけまで、じっと辛抱の暮らしが始まる。 | 
| 降りませんねぇ・・・・ | 
| 肩すかしを喰らっている。この冬の「雪」である。さあいつでも来い、と準備をして構えているのだが、一向に | 
| やってくる気配がない。天気予報もここ当分は寒波の襲来はないと報じている。 | 
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| まあ、暮らしている者にとっては助かる話なのだが、困るのは雪を頼りに生計を立てている人たちである。 | 
| 小谷村や白馬村にあるスキー場(13か所)はいつオープンできるかとヤキモキしていると聞く。スキー客 | 
| を待つ地元の観光業者やホテル、ペンション、民宿も同様だろう。 | 
| 連日、長野県の地方版のニュースでも各スキー場が雪がなくて困っていると報じているくらいだ。今年は | 
| 60年に一度の”天変地異”の年だと自分では思っているが、雪に関しても何かが起こりそうな感じがしている。 | 
| つまり、まったく降らないか、または記録的な豪雪である。どちらも困るが、適度に降るのが当たり前のこの | 
| 地域、そろそろ来てもらわないといろんなところに影響が出る。 | 
| 集落の古老が言う話で、向かいの山に3回降れば里にやってくるそうだ。数えてみるともう3回は降っている。 | 
| ならばもう来てもいいころだ。雪のない地方の人にはわかりにくいだろうが、雪国で暮らしていると、雪が | 
| 降らないと不安になったり心配したりする。梅雨の雨はいやだが、降らないと困る心境に似ている。 | 
| 「雪がなくていいじゃないか」というのは街で暮らす人たちの発想だ。 | 
| 年末には何とか積もってほしい。そう願っている自分が、少し雪国の人間に近付いているのかなと | 
| 思う今日この頃である。 | 
| いつの間にか | 
| 何やかやで過ごしているうちに、気がつけば12月・・・・・今年もあと少しで終わるという時期になった。 | 
| ここ山里にも2回降雪があったが、予報では長野県は今年の冬は「暖冬」になるそうだ。それにしても | 
| そろそろかなあ、と思っていた「モノ」がやっと姿を見せた。 | 
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| 左はご存じ「除雪車」である。れっきとした小谷村所有の除雪車で、作業は地元の業者さんに委嘱している。 | 
| 今年はまだ動いていないが、昨年はこの時期までにすでに2回の出動があった。谷筋の一番奥に位置する | 
| 私の集落から一番麓の集落まで朝4時ごろから除雪が始まる。住民が学校や仕事に行く前に除雪を済ませ | 
| ておかなくてはならないからだ。乏しい村の予算の中に2億円が除雪対策費として毎年計上されている。 | 
| 右は何と呼ぶのかは知らないが、道路の脇に立てられた竹の棒である。目的は、道路の幅を知らせる | 
| こと、下手をすればガードレールがすっぽり埋まるくらいの雪になることもあって、道幅が分からなくなる。 | 
| そんなときこの棒が目印になるのだ。麓から私の住む集落までの道沿いに4〜5m間隔で立てられている。 | 
| この棒が立ち始めると、山里に雪が近いという合図にもなる。 | 
| 集落の各家の雪囲いも終わり、きのこ栽培の師匠の恒例の炭焼きも終わったようだ。我が家の雪の準備 | 
| もほぼ終わり、いつ雪が来ても心配ない。暖冬だとは言え、小谷村は全国屈指の豪雪地域、その中でも | 
| 私の住む集落は標高が高いので一段と積雪量が多くなる。油断はできないのだ。 | 
| 村内のスキー場も雪が降り次第オープンの予定だとか、いよいよ冬の到来である。 | 
| 親不知 | 
| 新潟県と富山県の県境、日本海側に北アルプスの山が突き出して切れ落ちた絶壁が続く場所がある。 | 
| 「親不知(おやしらず)」である。高さ300mの絶壁が延々と10km近くも続いている。今は国道8号が岩壁の | 
| 中をくりぬいたトンネルを通っていて、すぐ近くには北陸自動車道もトンネルで走っている。 | 
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| しかし、ここに道が出来たのは明治以後のこと、それ以前は北陸街道随一の交通の「難所」であった。 | 
| 旅人は崖と海が接する海岸線を歩いたのだ。もちろん満潮になれば打ち寄せる波でいくら岩にしがみ | 
| ついたとて流される。干潮でも、海が荒れれば大きな波が押し寄せる。まさに決死行である。実際に | 
| 海岸線に降りて歩いてみると、まるで岩渡りのような場所で、当然「道」などはない。 | 
| ここを歩くときには子は親のことなど構ってはいられない、親もわが子に気を遣う余裕などない、ということ | 
| から、「親不知」「子不知」と呼ばれるようになったという。かの松尾芭蕉も「奥の細道」でここを歩いている。 | 
| 私がこの名前を初めて知ったのは、水上勉の小説「越後つついし親知らず」であった。そこに描かれる | 
| 親不知とはどんなところなのだろう、と空想したものだった。 | 
| 以後何度か訪れたが、いつ行っても新たな感動を与えてくれる、北陸の名所である。 | 
| 今年も・・・ | 
| この時期になると恒例の「サケの遡上」を見るために、新潟県糸魚川市の能生(のう)川へ・・・・・ | 
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| 水量の減った川の中には、数えきれない数のサケが泳いでいた。中には力尽きて息絶えたサケもいる。 | 
| それをお目当てに、これまた無数のカモメやカラスなどの鳥たちも見守っている。自分の生まれた川を覚えて | 
| いて、生まれてから何年か後にはまたその川に帰ってくるという習性・・・・・そう聞いただけでおじさんはもう | 
| 目の奥が熱くなってくるのだ。地元の漁協でこのサケを捕獲し、採卵して孵化させ、稚魚を毎年上流で放流 | 
| しているのだとか、大変な苦労である。聞けば、つい最近までこのあたり一帯の川ではどこでも遡上が見られ | 
| たという。小谷村を流れる姫川にもかつてはサケの姿が見られたそうだ。しかし、高度経済成長で、川の水質 | 
| が悪くなったり、人間の都合でダムをあちこちに作ったりしたために、次第に姿を見なくなったという。 | 
| 産卵場所を求めて命懸けで懸命に遡上するサケたちの姿をぜひ子どもたちに見せてやりたいと思う。命を | 
| つなぐ営みにきっと胸打たれることであろう。自分の生まれた川で命の種を残して自分の一生を終わる・・・・ | 
| そんな彼らを「食べる」なんてとてもできることではない、と思いつつ、帰りにスーパーでオホーツク産の塩 | 
| サケを買い求めた。ああ、無情・・・・・・・これもまた自然の営みなのだ、と自分に言い聞かせている。 | 
| 冬の到来 | 
| 朝からこの冬二度目の降雪・・・・・見る見るうちに積もり始めた。山里に本格的な冬の到来である。 | 
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| 先日から野生のサルたちも集落に姿を現わし、畑の残り野菜を探し始めた。彼らにとっても厳しい冬を迎える | 
| 準備が始まっている。山野草を植えた花壇は、みんな枯れてまったく姿が見えない。来春の芽吹きに備えて | 
| 土の中での冬籠りをしているのだ。山の木々も落葉樹は葉をすべて落として、まるで”骸骨”のよう・・・・ | 
| すべての生き物たちにとって「冬」は試練の季節なのだとあらためて思う。それぞれの方法で乗り切るための | 
| 準備をしているのだ。街の便利な暮らしの中にいると見えない彼らの命の営みが、こんな山里にいると目の当た | 
| りにできる。集落のあちこちで”野沢菜”を漬けるおばあちゃんたちの姿も見られるようになった。各家の除雪機 | 
| も庭先に準備されている。どんなに抗ってもやってくる自然の猛威には、我々人間も無関心ではいられない。 | 
| さあ、来るなら来い!と構える一方で、来年の4月までまた雪に閉ざされた暮らしが待っている・・・という心 | 
| 細さも湧いてくる。何はともあれ、山里の住人になって三度目の冬を迎えようとしている。 | 
| 山では・・・ | 
| 晴天続きのあとの雨・・・・畑には恵みの雨となった。野菜もキノコも一気に元気を取り戻したようだ。 | 
| 周囲の森や山の紅葉もこの雨でさらに加速している。ところが・・・・・ | 
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| 北アルプスの山々では、麓で降った雨が雪になったようで、冠雪がかなり山の下まで達していた。 | 
| これはもう間違いなく”根雪”である。来年の春まで解けることのない雪になったようだ。3000m近い山が | 
| こうして町や家のすぐ近くから望めるのがこのあたりの特徴だが、北アルプスにはやはり雪がよく似合う。 | 
| 先日も畑で作業をしていると、通りがかりの年配者7,8人の人が車を止めて話しかけてきた。みんな手には | 
| カメラ・・・どこかの写真クラブの人たちのようだ。「いいとこですね。」とそこから望める冠雪した北アルプスを | 
| さかんに撮っていた。集落の絶景ポイントを教えてあげたので、きっといい写真が撮れたことだろう。 | 
| まもなく集落の近くの山にも雪がくる。一足はやい冬の訪れである。 | 
| 畑で | 
| 集落を囲む山々の紅葉が一気に進んできた。名だたる紅葉の名所のように愛でる者はいないが、その気に | 
| なって見ればけっこうすばらしい彩りだ。2日ほど足を運ばなかった畑に行ってみた。 | 
| 晴天続きで土が白く乾いている。大根をみると葉がしんなりとうなだれて、地面に張り付くようにして元気が | 
| ない。これはいかん、と水をたっぷりと与えた。 | 
| 他の野菜を見回っておよそ10分後、再び先ほどの大根をみて「えっ?」と思わず声をあげてしまった。 | 
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| 何と! さっきまでペシャンコになって地面に張り付いていた葉っぱがみんな見事に立ちあがっていたのだ。 | 
| うそだろう?わずか10分そこそこでここまで急に元気になるのかい?まるで水を待っていたかのようだった。 | 
| 意志、そう、生きる意志のようなものを感じて思わず立ちつくしてしまった。生命の営みをこんな形で見せて | 
| くれた大根に感謝!! | 
| ・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 
| 大根よ | 
| おまえは大根として生きろ。 | 
| ネギでもない、ホレンソウでもない、正真正銘「オレは大根だ」と胸を張って生きろ。 | 
| おまえを畑に植えた人間の都合など考えるな。 | 
| 誇り高き”大根”として、根を張り、葉を広げ、花を咲かせて種を育てろ。 | 
| それがおまえの命をつなぐ営みなんだから、 | 
| 誰にも遠慮はいらない。 | 
| おれたち人間は、 | 
| おまえの誇りのおこぼれをありがたくいただくことにする。 | 
| 実りの秋 | 
| 今年も集落の師匠から応援を頼まれ、稲刈りに汗を流した。約20日間かけて、近隣の農家の田んぼに | 
| 出向き、稲刈り、乾燥、袋づめ、と忙しい日々であった。昨日、師匠の田んぼを3枚刈り終わって、ようやく | 
| 今年の刈り取り作業が終わった。 | 
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| この師匠、今年は思い切ってコンバインの機械を新しくした。昨年までは、コンバインが脱穀したモミは | 
| 袋詰めにしていたのだが、半端な数ではないのでそれを抱えるだけでも相当に骨が折れる仕事だった。 | 
| そこで、今年は袋に入れなくてもよいように、煙突のような排出装置が付いた機械で、刈ったモミはそのまま | 
| トラックの荷台に積み込めるようになった。相当な出費だったと思うが、おかげで作業は格段に楽になった。 | 
| つくづく「農業をいかに人力に頼らないものにするか」という課題の大切さを身をもって感じさせられた。 | 
| 周辺の農家のモミの乾燥やモミすりを請け負っているこの師匠の作業所には、連日山のようなモミ袋が | 
| 搬入され、一日中乾燥機が回りっぱなしであった。乾燥の程度を間違えると、供出した米の「等級」が下がり、 | 
| 農家に迷惑をかけるので、師匠は乾燥機に付きっきり、これも大変な仕事である。 | 
| 店に「新米」として並んでいる米が、こんな苦労を経て食べられるようになっていることに気付いてくれる | 
| 人は少ないだろうが、ぜひ感謝の気持ちを忘れないでほしいものである。 | 
| 山里の棚田で、新鮮な空気とすばらしい景色、ワラの匂いに包まれた経験を今年も楽しませてもらった。 | 
| 天地人 | 
| 高速道路の割引があるというので、思い切って遠出をした。目指すは福島県の会津若松・・・・・・ | 
| 今テレビのドラマで注目されている「天地人」の舞台になった会津若松城(鶴ヶ城)を見てみたいと思った。 | 
| 途中、上越市の”春日山”(謙信の居城)や”直江津”(直江兼継ゆかりの町)を見ながら車を走らせる。 | 
| 3時間半かけてようやく会津若松に到着・・・・・・・ | 
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| 連休でも人は少ないだろうと読んだ見込み違いで、押すな押すなの大混雑、城の中の展示を見るのも | 
| 長蛇の列・・・・さすが「天地人」の人気、あらためてその大きさを感じさせられた。 | 
| 会津若松といえば、幕末の落城にまつわる悲劇だ。白虎隊が城からあがる白煙をみて最期を悟ったという | 
| 「飯盛山」も城の天守閣からはっきり見えた。明治以後、長く不仲が続いた会津若松市と山口県の市が | 
| 歴史的な”和解”をしたというニュースをかつて目にしたことがある。長州出身の自分としても複雑な思いで | 
| 会津をあとにした。天地人・・・・義と愛を掲げた上杉氏の精神が今もこの地に根を広げていることだろう。 | 
| 台風一過 | 
| 台風18号・・・・・長野県を直撃と聞いて、さあ来いと構えていたのだが、幸い県の南部を通過したので | 
| 北部の小谷村では心配していたほどのことはなかった。長野県を通過した台風は5年ぶりだとか・・・・・・・ | 
| 南部の方ではりんご農家が被害を受けたと報じられていた。我が家では・・・・・ | 
| 水車の水の取り入れ口にしていた箱が、激流にさらわれて流されたくらいの被害ですんだのだが、 | 
| 集落の師匠に聞くと、「ここらは北アルプスの山があるで、めったに大風はこねぇだ。」とのこと。山はただ | 
| 美しいだけではなかった。その北アルプスが今朝なんと・・・・・・・・!! | 
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| 今年の”初冠雪”である。昨年は9月の終わりだったので、少し遅れたが、山はいよいよ冬に突入である。 | 
| 今朝の外気温は4度C、日中の最高気温も12,3度くらいだという。いよいよか、と身が引き締まる。 | 
| 根雪になるのはもう少し先になるが、これから何度かの冠雪をくり返しながらやがて本格的な雪を迎える。 | 
| 未知との遭遇 | 
| 住む場所が変わり、環境や自然状況が変わると思いがけない”出会い”があるものだ。 | 
| 夕方、何気なしに外を見ていると、視野のなかに何やら動くものが入ってきた。「何じゃ、あれは?」 | 
| 目をこらしてよく見ると・・・・・・・・ | 
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| そう、「キジ」である。すぐさまカメラを取り出し、証拠写真の撮影。何とか逃げずにポーズをとってくれた。 | 
| キジは日本の「国鳥」である。1947年に日本鳥学会が決めたという。理由は、キジとヤマドリだけが | 
| 日本固有の鳥で、美しさや巣を守る本能が強いということで多数決で決まったそうだ。 | 
| しかし、世界を見ても「国鳥」を狩猟の対象として認め、食用にしているのは日本だけだという。 | 
| いずれにしても、こんなに間近でその姿を見ることができてラッキーであった。キジという鳥の存在は | 
| 多くの人が知っているだろうが、生涯に野生のその姿を見ることができる人はごくわずかであろう。 | 
| その中の一人になれてうれしい。これぞまさに”未知との遭遇”・・・・・ 元気で暮らせよ。またおいで。 | 
| 目をさませ | 
| どう表現してよいか、まさに<感動>である。自分で菌を埋め込んだ原木からシイタケやヒラタケが採れる・・・ | 
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| キノコはスーパーでパックに入ったものを買うのが当たり前だったのに、自家製を、自分で収穫できるとは | 
| まさにこれぞ<感動>と言うべきだろう。近くを通りかかったキノコ名人の師匠に話すと、わざわざ見にきて | 
| くれた。「・・・・ちょうど食べごろだね。ヒラタケはクセがないからどんな料理にも合うだ。ひと雨くればまたうんと | 
| 出てきますよ。シイタケは木の中で菌が眠っているから、叩いて起こしてやるだよ。金づちで頭のところを | 
| 叩いてやれば目をさまして出てくるで。・・・・」叩いて目を覚ますというのがおもしろい。 | 
| キノコ栽培には広葉樹の原木を使う。それも春に切った生の木でないと菌は増殖しないのだとか。 | 
| 広葉樹の中でも、ナラやクヌギは樹質が固いので原木が長持ちするそうだ。我が家のヒラタケはクルミの | 
| 木に生えているが、このクルミは木がやわらかいので2年くらいで使えなくなると師匠は言う。 | 
| この師匠、近くで「マイタケ」を生産している名人である。初物だと、採れたばかりのマイタケをいただいた。 | 
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| キノコの中でも超高級品である。マイタケにヒラタケにシイタケ・・・・これだけそろえば今夜の夕食は鍋に | 
| 決まりである。キノコをふんだんに入れたぜいたくな鍋に舌鼓をうちながら、山の恵みに心から感謝であった。 | 
| 秋の気配 | 
| 「ここらは盆を過ぎたらじきに秋だ。」と地元の人が言う通り、ここにきて急に秋めいてきた。朝の外気温が | 
| 4度から6度、九州では1月か2月の厳冬期の気温である。たまりかねて、こたつを出し、ストーブもスタンバイ。 | 
| クルミの木の葉も散り始め、心なしか山々も色づき始めたようだ。 | 
| 最近の発見から・・・・・ | 
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| 家のすぐ近くに毎年実をつける「アケビ」が今年も見事な実をつけた。だれも採らないので、いずれ動物や | 
| 鳥たちのごちそうになるのだろう。もう一つは、昨年菌を埋め込んだ「ヒラタケ」と「シイタケ」が顔を出し始めた。 | 
| 師匠に話すと「毎日水をかけてやるだ。うんとでかくなるで。」とのこと。30本近いホダ木があるので、これ | 
| からが楽しみになる。山グリもあちこちで実を落とし始めたし、間違いなく秋の訪れである。 | 
| 秋の訪れは、そのあとすぐにやってくる冬と雪を暗示する。昨年は9月の終わりには北アルプスの | 
| 初冠雪が見られた。今年も間もなくのことだろう。 | 
| 秋の夜長を楽しむ・・・という風雅な気分はこの山里では無理なようである。 | 
| 権現さま | 
| 集落で「権現さま」と呼ぶ祭りがあった。祭り・・・・・とはいっても、権現さまが安置されているのは、集落から | 
| 3キロ山奥に入ったところで、簡単には行けないところにあり、年に一度、男衆が周辺の草刈りをしてお参りし、 | 
| 御札を奉納して持ち寄った酒とつまみでささやかな宴会を開くというもの。 | 
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| 権現様とは、ここでは「九頭龍大神」をさし、山二つ越えたところにある”戸隠神社奥社”の祭神の一つである。 | 
| 農耕や水の神として古くから土着の信仰の対象になってきた神でもある。 | 
| 弘化4年(1847年)、長野の善光寺周辺にM7.4の直下型の大地震が起こり、折から御開帳の参拝客で | 
| 賑わっていたこのあたりで死者2500人を超える大きな被害が発生した。被害は小谷、白馬村にも及び、 | 
| あちこちの川が土砂でせき止められたり、川の水が流れなくなって、翌年の米づくりができなくなる恐れが | 
| でてきた。そんな折に近くを通りかかった戸隠神社の山伏の坊さんが、九頭龍大神を祀り、熱心に祈ったところ | 
| 水が流れ、池にも溜まり、無事に米作りができた・・・という話が残っている。 | 
| 九頭龍神話は全国の各地でみられるものだが、ここ小谷村では戸隠神社の山伏たちが九頭龍権現の名で | 
| 水をもたらしてくれたことで、農耕の守り神として祀られるようになったものと思われる。 | 
| 集落の古老の話では、以前はもっと高い場所に安置されていたそうだが、水害で下の川に流されてしまい、 | 
| 行方がわからなくなったとのこと、しかし、集落総出で川ざらいをし、やっと川底から社を見つけて今の場所に | 
| 安置したのだという。年に一度の掃除と参拝だが、直前に山で採ってきたという”マイタケ”をおいしくいただき、 | 
| 昔話を肴にお酒を呑む”権現さま”は今年も無事に終わった。 | 
| 吹きわたる風も心地よく、鳥のさえずりに囲まれ、トチの実のじゅうたんの上で行われるささやかな”祭り”に | 
| 今年も楽しく参加させてもらった。 | 
| 絶景 | 
| なぜ信州に?・・・・と問われる答えのなかに、「北アルプスの山が見えるところに住みたい」という長年の夢が | 
| あった。窓を開ければ目の前に雄大な北アルプスの山並みが・・・・・という夢を何度みたことだろう。 | 
| 探し当てた小谷村の我が家からは、残念ながら窓を開ければ・・・・・ということは叶わない。だが、ほんの | 
| 少し歩けば絶景のビューポイントがある。 | 
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| 負け惜しみではないが、ここからの眺めは小谷村の絶景ポイントにも紹介されるほど・・・・・ここで十分である。 | 
| 窓を開けて毎日見ていれば、きっと飽きる、ときどき見たい時に見るからいいのだ、と納得している。 | 
| もっと間近で見たければ、車で白馬村まで行けば息を呑む山容が迫ってくる。集落の師匠たちは、「おらたちは | 
| 子どものころからずっと見てるで、何とも思わねぇが、そんなにいいもんかい?」と不思議そうに言う。 | 
| いいもんも何も、おそらく日本で最高の景色を毎日見て暮しているのだ。こんなぜいたくはないだろう。 | 
| 畑仕事の手を休め、顔をあげると五竜岳や鹿島槍ヶ岳が見える。冠雪した山もいいし、紅葉のころもいい。 | 
| 絶景とは、そこに立てば理由の説明の必要がないすがすがしさを感じられ、いつまでも見飽きることがない | 
| 風景を言う。生涯にそんなに頻繁に出会える場所ではないだろう。 | 
| 間違いなく、絶景に出会えている。 | 
| 覚悟 | 
| 一息ついてふりかえると、 | 
| ここを人生の終点とする場所を探し続けていたんだなぁ・・・と思えてくる。 | 
| 終(つい)の棲み家・・・・・・ | 
| かたちや広さや場所なんて問題ではない、大切なのは“覚悟”であろう。 | 
| 気に入ればそこを、気に入らなければ別のところを”ここだ”と決めて、 | 
| 自分の生きてきた軌跡を埋める場所にしていく・・・・ | 
| ずいぶん長い時間がかかったが、 | 
| ようやくその”覚悟”が見えてきたようだ。 | 
| これがまあついのすみかか 雪五尺 | 
| 一茶 | 
| 足りる | 
| 丹精込めて作った自家製の野菜をいただく・・・・・・ | 
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| どんな高級レストランの料理よりも | 
| 食べることの幸せを深く感じさせてくれるのはなぜだろう。 | 
| 多くを望まなくても | 
| これで十分足りている。 | 
| ・・・いただいて足りて一人の箸を置く・・・山頭火 | 
| 祭り | 
| 朝5時30分、集落の公民館に男衆が集まってくる。毎年恒例の諏訪神社の祭りの準備をするためだ。 | 
| 公民館を舞台に変身させる作業が手際よく進められ、すぐ上にある諏訪神社もきれいに清められ、お神酒 | 
| も供えられる。今年で3回目の参加となる祭りだ。 | 
| 小谷村には10社を超える「諏訪神社」があり、集落の神社もその一つ、いかに諏訪神信仰が根強いか | 
| がうかがえる。鳥居には大きなのぼり旗が上がり、そこには「明治27年」と記されている。年季の入った旗や | 
| 舞台の幕が見る見る間に設置され、粗方の準備は午前中に終了。 | 
| 夜8時から祭りが始まる。祭りといっても、みこしも出ないし、夜店などはない。何せ、20戸あまりの小さな | 
| 集落の祭りである。ただ、舞台で獅子舞いが踊られ、地元の和太鼓が披露され、プロの歌手の歌や踊り | 
| が披露されるだけ・・・・・ | 
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| 何だ、そんなものか、と言うなかれ。こんな小さな集落が単独でこれだけの規模の祭りを維持している | 
| だけでもすごいことなのである。限界集落という話が取りざたされているが、その目安の一つが集落の | 
| 祭りができなくなることだと言われる。過疎や高齢化が原因なのだが、幸いこの集落ではまだこうして祭り | 
| が維持できるのだ。いつまでやれるだろうか、とみんなで話してはいるが・・・・・・・ | 
| 歌舞音曲を神に奉納し、神前でにぎやかに騒ぐ・・・・これが本来の祭りであろう。素朴で、何の飾りや | 
| 目立つこともないが、そこに住む者たちの心のよりどころになっている。 | 
| 祭りが終わると、秋が足早にやってくる。今年の夏も終わった・・・・区切りを感じさせる山里の祭りである。 | 
| 出現したのは・・・ | 
| 夏休みにやってくる孫たちのためにと、ジイジは早くからこの制作に取りかかっていたのだ。それがようやく | 
| 完成!孫たちとめでたく設置に成功・・・・・ | 
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| 水車小屋である。家の横を流れる沢の水を利用して回る設計である。予定通り、水車はみごとに回りだした。 | 
| 考えてみてもらえばわかるが、何といっても難しいのは、回転軸と軸受けである。中心がちゃんととれている | 
| ことはもちろん、ガタつきやブレがでないようにすること、なるべく抵抗なく軸受けで回転すること、回転に | 
| よる摩耗がないこと・・・・・・プロではないので、専門的な知識はないが、素人なりに考えておそらくこれが | 
| 最高だろう、と思える工夫を施した。冬の積雪を考えて、その時期には取り外しができるよう、簡単に解体 | 
| もできる。孫たちのため、と言いつつ、実はおとなの遊びだったのだが、やりだすと結構これがハマる。 | 
| 突如出現した異様な物体に、きっといつも近くを通るキツネたちも驚くことだろう。集落の人に聞くと、 | 
| 昔は本物の水車小屋があって、コットン、コットン音がしていたという。 | 
| 苔でも生えてくると、いずれ周囲の風景にとけこんでくれるだろう。この夏の思い出が一つできた。 | 
| 吉凶やいかに | 
| いつどこで、ははっきり覚えないが、たしか最近ニュースで「竹の花が咲いた」と聞いたことがある。 | 
| 折しも小谷村の広報誌に、小谷村の高原でも「笹の花が咲いた」という記事が掲載された。 | 
                 (小谷村栂池で見つかった笹の開花) | 
    
| 遠い昔、小学校の先生が「竹の花が咲くと天変地異が起こり、大変なことになる。」と教えてくれて、 | 
| 「へぇ、竹にも花が咲くんだ。」・・・と不思議に思ったことを覚えている。モウソウチクは60年から70年に | 
| 一度だけ花が咲き、枯れてしまう。笹にも似たような現象が起こるという。秋に結実するとそれをねらって | 
| ねずみが大発生し、作物に被害を与え凶作になると言い伝えられてきたそうだ。その竹の花が咲いたと | 
| 聞いていたので、何か起こらなければいいが・・と思っていた。そこへ今年の長梅雨、集中豪雨、日照不足、 | 
| である。やはり・・・・と思わざるを得ない。そう言えば身の回りにも「異変」が・・・・・・・ | 
| 例年になく少なかった積雪、ホタルブクロの開花の異例の少なさ、ずっと見られなかったホタルの出現、 | 
| 集落ではこれまで見られなかったイノシシの出現、正体不明だが畑のキュウリを荒らす動物(これも今年 | 
| が初めて)、猫の捕まえてくる野ネズミの異常な多さ・・・・・・・何かが変化している。 | 
| 60年に一度、というのが気にかかる。竹や笹は何を感知して花を咲かせたのか・・・・・・・ | 
| 移動販売車 | 
| 毎週木曜日、10時近くなると、突然集落中に大音響で演歌が流れ始める。「ああ、来たな・・・」 | 
| 地元の農協の”巡回移動販売車”が来たという合図なのだ。 | 
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| 主に食料品を積んで谷筋の集落を順次回っていく。演歌の合図が始まると、集落のあちこちからおばあちゃん | 
| たちが集まってくる。小谷村には生活に必要な食料品を売っている店は農協の購買店があるだけ・・・・・ | 
| 隣の白馬村まで行けばスーパーもあるのだが、車がないと行けない。高齢のおばあちゃんたちには無理だ。 | 
| そこでこの移動販売車の登場となる。我が家でも何度かお世話になったが、結構品数もあり、肉や魚もあって | 
| 重宝する。ぜいたくを言わなければ十分な買い物ができるのだ。 | 
| 経営状態がどうなのか、よくわからないが、そんなに儲かる営業ではないだろうと思える。しかし、この車が | 
| 来なくなると、たちまち山里で暮らす高齢者は困ってしまうだろう。ありがたい存在なのだ。 | 
| ここ小谷村だけでなく、全国の山間地でもこうした移動販売で暮らしが成り立っているところがたくさんあると | 
| 聞いた。スーパーやデパート、大売り出しなどという言葉とは無縁だが、質素で確かな暮らしがここにある。 | 
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