山里日記


         

九州から信州の山奥へ・・・何を血迷ったか、と言われながらも、仙人になる夢を果たすために日夜奮闘しています。その一端を・・・・・・・・



本当に”梅雨明け”?
 関東・甲信越地方はとっくの昔に”梅雨明け”宣言が出されたのだが、これはだれがどう見ても完全に
早とちりであった。何と以来ほとんど毎日の雨・・・・・長野県でも日照不足から畑の野菜が育たず、値段が
高騰しているとのこと。誰に文句を言っていいのか、と生産者の人もこぼしていた。”もどり梅雨”と言うらしい。
 雨の影響は我が家にも・・・・・・
 裏の山から突然こんなものが転がって落ちてきた。木の切り株の朽ちたものである。直径1m、とても
一人の力では持ちあがらない大きさだ。斜面にある畑を突っ切り、ここで止まったが、そのまま落ちれば
我が家の壁に激突!という状況である。間一髪、ここで止まってくれて助かった。
 山に餌がないのか、集落のあちこちの畑に”お客さん”が出没して、みんな大迷惑。ジャガイモは根こそぎ
掘り返し、キュウリ、カボチャもかじられ、あげくの果てはグラジオラスの球根まで掘り返している。
「あれはイノシシずら。昔はいなかったが・・・」と集落の人も半ばあきらめ顔、しかし、イノシシにしては
土の掘り方が上品で、足跡も小さい気がする。アナグマかタヌキのような気がしているのだが・・・・・・
 降らなければ困る雨も、こう続いてはたまらない。予報ではあと3,4日すれば”もどり梅雨”も明けるのでは、
と言っているが、今度こそ早とちりでないことを願う。





珍客
 夜、開けておいた網戸を閉めようと近づいたとき、網戸の外で何やら光るものを見つけた。
「えっ?もしかして・・・・」しばらく待っているとまたピカピカッ・・・・間違いない。「ホタル」である。
 ○印の中
さっそく外に出て証拠写真を一枚。ここにきてホタルを見るのは初めてである。たった一匹であったが、一匹
いるということは他にもどこかにいるということ。
「ホタルかね、ああ、以前はたくさんいただよ。ただ平成7年の水害のあとはとんと見なくなっただ。」と近所の
師匠に聞いていた。ホタル・・・・日本の夏の風物詩の代表選手だが、かつては田舎にいけばどこにもいた。
 川の護岸工事、用水路のコンクリート化、農薬の使用などで彼らの生息地がどんどん失われていって、
今ではホタルのいる場所が観光の対象になっているほど。
 我が家を訪れてくれたホタル、体の大きさから見てゲンジボタルではなく、ヘイケボタルであろう。
 しばらくしてどこかへ飛んでいったが、思わぬ”珍客”にうれしくなった。
 乱舞する姿は無理かもしれないが、できれば何匹か仲間をつれてもう一度来てほしいものだ。
 初めての体験がまた一つ増えた夜であった。





坂と平
 山里は”坂”里である。山の斜面などの傾斜地を切り拓いてできた集落では、どこへ行くにも「坂」がある。
「坂」とは平たん地に対して使う言葉で、ここのように集落全体が坂の中にあると、もう「坂」とは感じない。
  
 我が家の玄関にたどり着くにも坂を上らなければならないし、畑も傾斜地にある。どこへ行くにも「坂」なので
ある。街では大いに役立つ「自転車」もはここではとんと見かけない。理由は明白・・・使えないのだ。
 信州は山国である。言いかえれば「坂国」である。したがって、古来より平たん地に政治・文化の中心地が
できてきたのもうなづける。今でも松本市を中心とする一帯を「松本平(まつもとだいら)」、長野市を中心と
する一帯を「善光寺平(ぜんこうじだいら)」と呼んでいる。そのほか、あちこちに「○○平」という地名がある。
 小谷村の中にもあるし、私の住む集落の中にも「○○平」という場所があるのだ。さほどに貴重な平たん地
なのである。ふだんの生活を傾斜地で過ごしていると、体の平衡感覚が街にいたときよりも変わっていること
に気づく。時折、大きな街のコンクリートやアスファルトで覆い尽くされた地面に立つと、何か違和感がある。
 かつてはそれが当たり前であったのだが・・・・・・
 長野県が長寿県であるのも、坂国であることと関係があるような気がしてならない。ことさら鍛えなくても
子どものころから足腰は鍛えられていくわけだから。





現実
 何か間違っている・・・と思わずにはいられない。農家の人が丹精込めて作った野菜も、小さな虫食い穴
があったり、曲がったりしていると商品価値がなく、市場に出せないというのだ。仕方なく廃棄しているの
だとか・・・・・・いったい我が国の住人たちは何を考えているのか!
 虫が食っているのは無農薬の紛れもない証しであり、曲がっていても味や栄養分には何の変わりもなく、
大きさが不ぞろいでも家庭での調理には何の支障もない。それなのに・・・である。
 野菜を作ってみるとよくわかる。虫も食わず、まっすぐで、大きさをきちんと揃えてつくることがどんなに
大変なことか、「農業の再生を」と叫ぶなら、まず野菜の規格撤廃から始めるべきだ。
 おれには責任はない、という人も、スーパーに行って野菜コーナーにならぶ野菜を選ぶ場面を思うと
わかるはず。なるべくきれいなものを無意識に選ぼうとしているではないか。かつての私もそうであった。
 虫食いあり、曲がりあり、大きさ、長さ不ぞろい・・・そんな商品ばかりならそれが「あたりまえ」になる。
 最近少し救われるのは、産地直売所のようなところで、とれたての新鮮野菜がよく売れているという話、
もちろん「規格」などなく、自然にできたままの状態で並んでいる。流通のあり方をそろそろ真剣に考えないと、
いずれ新鮮な国産野菜が口に入らなくなるだろう。
 山奥で平地とはちがう厳しい自然条件のなか、野菜作りをしていると見えてくる現実がある。





近況あれこれ
その1・・・・とにかく”寒い”。7月も半ばだというのに、夜はまだこたつがないと過ごせない。たしかに日中 
日差しがあれば汗が出るほど気温も上がるが、夜になると急に下がり、こたつの登場となる。
 近所の人に聞いても、「今年は寒いだよ。これじゃ野菜も伸びが悪いだ。」と言うほど・・・・
 冬の雪が少なかったことと何やら関係がありそうで、いつになればこたつを片づけられることか・・・・・・
その2・・・・最近我が家のまわりにキツネが頻繁に現れる。先日も窓の下で何やらゴソゴソ音がするので、
何だろうと思い、窓を開けると、いきなりキツネが姿を見せてしばらくお互いに顔を見合わせたままにらめっこ。
やがて走り去ったが、次の日も窓の外を走って行く姿が見られた。至近距離で2メートル、どうやらこの道が
生活道路になっているようだ。まるで童話の「ごんぎつね」の世界である。
その3・・・・私の「天敵」、そう、ヘビである。これも最近我が家の壁と基礎のすき間に住み着いたようで、
50センチ位のシマヘビである。昼間暖かいとすき間から体を半分くらい出して日光浴、何とか引き出そうと
棒で引っ張ってみたが、スルスルと抜けて壁の中に潜りこむ。お手上げである。飼い猫のリンにバトルさせて
やろうと抱えて鼻先まで連れて行くが、彼女はチョロチョロ動くものは得意だが、こんなにゆっくり動くものには
興味を示さないようで、まったく頼りない。一宿一飯の恩義を知らない猫である。
その4・・・・先日、集落総出での草刈り作業のあと、公民館で打ち上げ会があった。小谷村のかくれた
名物「モツ」焼きを肴に酒をいただく。その席で、「ここの田舎の暮らし、楽しいかい?」とある師匠が問う。
この師匠、私の顔を見るといつもこの問いを発するのだ。「結構楽しくやっていますよ」と答えることにして
いる。すると師匠も「何でまた福岡みたいないい所からこんな山奥に来ただ。わからん。」と言うのが
いつものこと。それに賛同して他の人たちも「おらたちはここから出たいと思いながら出れねぇでいるのに、
わざわざやってくるのが信じられねぇ。こんな山奥の何がいいだ」となる。
 理由の説明がむずかしいので、いつも笑って終わる話になるのだが、そんな皆さんとこんな会話ができる
暮らしがすてきなのです、といつも自分には答えている。
その5・・・・先般、工事凍結のニュースで話題になった小谷村の国道工事が復活したという。小谷村の村長
や県知事さんたちが役所へ陳情にいったというニュースがテレビで放送されていた。村民にも各戸に是非
を問うアンケートが回ってきて、何とか続けてほしいという嘆願の資料になったらしい。何はともあれよかった。
この道を一度走ってみればすぐにわかることなのに、ずいぶん遠回りをしたもんだと思う。
   ・・・・・・・・・・梅雨の雨が続いている。この雨が終わると信州は最高の夏を迎える・・・・・・・・・





かつて自分もそうであったが、街に長く住んでいると、
土地には力がある、ということを忘れていく。
売り買いし、掘り返し、造成し、コンクリートで覆い、
そこがかつてどんなところであったのか、
どんな人たちがどんな暮らしをしていたのか・・・・・
そんなことはだれも考えようともしなくなる。
多くの先人たちの暮らしが営まれ、その足で踏み固められた土地なのに、
知ったことか、と言わんばかりに大きな顔をして住みついていく。
山里に住んでみると、
土地には力があり、伝え残してくれた先祖たちとともに自分も生きている、
ということが実によくわかるのだ。
重機もなかった大昔から、山の斜面を開墾し、畑や田んぼをつくり、
家や土地を守ってくれた先人たちの並々ならぬ苦労が
いやでも伝わってくるからだ。
だから、土地の力を信じたくなる。





今年もまた・・・
 火垂る袋・・・・・・提灯のことだそうだ。その姿が似ているので「ホタルブクロ」という名がついたといわれる。
 また、子どもたちがその中にホタルを入れて遊んだから、という説もある。
 小谷村の山里では「雨ふらし」や「雨っぷり」と呼んでいる「ホタルブクロ」・・・・・・・
  
 山野草の園芸店で買い求めれば、一本が500〜700円もするホタルブクロが、今年も自宅近くで開花を
始めた。毎年楽しみにしている花である。もう、園芸店で買い求める必要はない。近くの山へいけばあちこちに
自生しているし、家の周囲にも昨年植えたものが株を増やして咲き始めている。
 キキョウの仲間だそうだが、他の花のように赤や黄色といった鮮やかな花色を持たず、太陽に向かって
開く花びらも持たず、ひたすら下を向いてひっそりと咲く・・・・・・・何とも風流で哀愁をおびた花なのである。
 数ある山野草のなかで私の一番のお気に入りの花が、今年も目を楽しませてくれている。





姫川
 姫川・・・・・白馬村を源流にして、白馬村、小谷村、糸魚川市を流れ下り、日本海にそそぐ一級河川である。
  
 古代、越の国(新潟県)では「奴奈川(ヌナカワ)」と呼ばれていた。この川の流域一帯を治めていた王の
娘が「奴奈川姫」、のちに大国主命(オオクニヌシノミコト)と結ばれ、諏訪大社の祭神「建御名方命(タテミナカタ
ノミコト)」を産んだ母でもある。この奴奈川姫から「姫川」という名がついたという。
 ふだんはヒスイ色の清流が流れる静かな川だが、雪解けの頃や大雨の降る時には、両側にそびえる山々の
水を集めるので濁流となり、時には洪水をも引き起こす暴れ川である。
 はじめて小谷村を訪れたとき、この川をみて「村の真ん中をこんな川が流れているなんてうらやましい」と
思ったものである。地元の人たちはどう思っているのかわからないが、他所からの移住者にとっては「田舎」
の風景には欠かせないものである。この川をたどれば新潟県糸魚川市、日本海である。海洋民族の子孫(?)
でもあるので、たまには海が見たくなる。そんなときは車を走らせて40分、茫洋とした日本海を目にすること
ができるのがうれしい。
 小谷村を訪れた詩人がこんな詩を残している。”納得”である。
北には青い海がある
姫川は山の憂うつを
日本海に吐き出している。
                                              田中冬二





八面大王
 信州の安曇野に「大王わさび農場」という、観光スポットがある。広大なワサビ田が広がり、すぐ横には
北アルプスの雪解け水が音を立てて流れている。ここにある水車やその周辺の川辺は、かの黒澤明監督
の映画「夢」のロケ地にも使われたところだ。食堂やお土産店もあり、シーズンになると観光バスや車で
大混雑する場所である。私も3,4回行ったことがある。
  
 この農場の名前の「大王」は、遠い昔この地を治めていた「魏石鬼八面大王」(ぎしきはちめんだいおう)
に由来する。朝廷の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征伐に赴く途中でこの地を通り、乱暴狼藉を働いたので
大王は領民を守るためにわずかな兵で立ち向かったという。奮戦むなしく敗れ、大王は捕えられ、命を落とした。
その大王を祀る神社があるので、このあたりを大王と呼ぶらしい。
 この話は郷土史を読んで知っていたが、先日、集落の師匠のお孫さん(高校3年生)と話していたとき、高校の
授業で先生がこの話をしてくれて、「八面大王は<やめのおおきみ>と読む。九州の福岡に<八女(やめ)>
という地名があり、そこから渡ってきた子孫の王であった・・・・」と話してくれたそうだ。
 八面大王を、<やめのおおきみ>と読むのはかなり専門的な話で、高校でそこまで教えてくれるとは、
さすが信州だ、と感心した。福岡の八女地方の豪族であった「磐井(いわい)」が朝廷に反抗した「磐井の乱」
(528年)で敗れ、身内は加担した安曇族ともども九州を追われ、やがて信州の安曇野に定住した、という
説がある。福岡の八女を出自とする一族が住んでいてもおかしくはない。
 1500年も前の話なのだが、福岡から移り住んでいる私としてもどこか親しみの持てる伝承なのだ。
 どんなに領民に慕われた王でも、時の権力に逆らえば“反逆者”であり、歴史書では“鬼”と呼ばれる。
 平和でのどかな安曇野に、かつてそんな歴史の一幕があったとワサビソフトクリームを食べながらでも
考えてほしいものだ。





先輩
 街の暮らしでは「還暦」をすぎると立派な”老人”や”隠居”で、老後をのんびりと楽しむ人・・・ということに
なるのだが、ここ山里ではそうはいかない。「還暦」ぐらいでは年寄りの仲間には入れてもらえないのだ。
 90代の元気なおばあちゃんは、毎日畑仕事をしているし、80代のおばあちゃんたちも負けてはいない。
70代のおじいちゃんやおばあちゃんはバリバリの”現役”である。同世代の人たちもいるが、ほとんどが
年上の先輩たちばかり・・・・・・60代はまだ「若造」なのである。
 先日、80代のおばあちゃんと話していると、「おめぇさんはまだ2,30年も先があるだ。これからだで。」と
励まされた。不思議な年齢感覚におそわれる。
 全国の山村や山里で進む高齢化、きっとここと同じ姿がみられるのだろう。いくつになっても元気でいられる
ことは何よりだが、「おれはやっぱり年寄りだ。」と自覚できるのはいつのことだろう。頼もしい先輩たちには
いつまでも元気でいてほしい。





出勤
 毎日の畑への”出勤”が続いている。「畑の野菜は人間の足音を聞いて大きくなる」と以前知り合いから
聞いたことがある。本当かどうかはわからないが、それだけこまめに手入れをしなさいということなのだろう。
 
 この時期の野菜畑では、さしずめ学校の先生になった気分だ。何しろ”彼ら”は気難しく、強情で、わがままで、
甘えん坊・・・・まるで幼い子どもそっくりなのである。
 水が大好きで、これを一日でも欠かすと不機嫌になり、育ちを止めるもの、反対に水が嫌いで、やりすぎると
腹を立てて枯れてしまうもの、雨に濡れるのが好きなもの、雨がきらいなもの、寒くても平気なもの、寒いのが
大の苦手なもの、肥料をうんと欲しがるもの、肥料をやりすぎると拒否反応を起こすもの・・・・・・・・
 一人ひとりの個性をつかんで、それに合った支援をしてやらないと育たない・・・・まさに先生の仕事である。
 気難しい彼らをなだめすかしながら、何ヶ月か後の収穫を楽しみに今日も出勤する。





初体験
 ここ一週間は「田植え」にはまっている。近くの師匠から「田植えするで、手伝ってもらえねぇかい?」と
声をかけられて、生まれてはじめての田植え体験をさせてもらっている。
 田植えと言っても、植えるのは師匠と田植え機なので、私の仕事はもっぱら苗箱を運んだり、土手の草刈り
をしたり・・・・というもの。それでも慣れない仕事で体が悲鳴をあげている。
 
 標高800mを超える集落上部にある水田、棚田なので一枚の田は狭い。大型の機械などここでは役に
立たない。冷たい雪解け水を田に引いて、しばらく日光で温めてからの田植えとなる。
 水田の向こうには残雪の北アルプス、鹿島槍ヶ岳や五竜岳が望める。日本中を探しても、こんなすてきな
背景を持つ水田はここくらいだろう。お茶の休憩時間に山々を望めば疲れが吹き飛ぶ気がするのだ。
 耕作放棄地がふえるのは忍びない、と師匠は作らなくなった他の人の田も借りて水田を守っている。
 ほとんど役には立っていないのだろうが、声をかけてもらえる嬉しさで、今日も朝から田んぼへ”出勤”・・・・
 「農家の人は大変だ。」などと他人ごとのように思っていたのだが、実際にやってみるとまた違った見方が
できてほんとうにいい勉強になっている。





先輩
 いち早く北の大地で”仙人”になった大先輩がいる。脚本家の「倉本聰」さんである。座右の書のひとつ
が倉本さんのエッセイ「北の人名録」・・・・・・・・
 あの不朽の名作と言われるドラマ「北の国から」に登場する人々のモデルになった、実在の人物を
めぐる話が載せられている。東京での生活や仕事に見切りをつけ、40歳を過ぎたときに北海道に移住、
以来30年にわたり、北海道で創作活動を続けている倉本さん、そこで出会った多くの人たちとの心温まる
交流が描かれている。ドラマの人物と重ねながら読むと、なるほど・・・と思う場面がいくつもある。
 倉本さんのような才能も見識もないが、求めるものと見つめる方向だけは共通している・・・と恐れ多くも
自負しているのだが、「先輩」と勝手に呼ぶ非礼を許していただけるだろうか。
・・・・・バカをやるには思いっ切りエネルギーが要るのである。あのころはそういうエネルギーがあった。
いわば晩生(おくて)の青春の季節だった・・・・・・・「あのあと」より
 住む場所はちがっても、自然と向き合う暮らしに限りない価値を見出すことができれば、今は無理でも
そのうち私も北の大地の仙人に近づくことができるかも知れない。そう願って日々修行に励む。





山里暮らしも3年生に・・・・
 長年住み慣れた九州を離れ、信州の山奥に移り住むようになって昨日でちょうど2年が終わった。
 
 今日から山里暮らし3年生・・・・・・・・この2年間は人生の中でも充実した時間であった。見るもの,聞くものが
すべて新鮮で、別世界にタイムスリップした気分であった。
 集落の人たちに「旅の人」として温かく受け入れていただき、雪の中での暮らしや畑づくり、山菜の採り方、
食べ方、村の歴史などを親切に教えてもらった。2度の冬を無事に乗り切れたのも心温かい里人のみなさんの
おかげだと感謝している。”限界集落”という言葉が重くのしかかる山里だが、ここで暮らして見てみて思うのは、
わかってはいるが自分一人の力ではどうしようもないことは、黙って受け入れる・・・・という心の持ち方。
 一人で騒ぎ立ててもわめいても、事態は変わらない。豊かで大きな自然に包まれて、あるがまま素直に、
まずは謙虚に生きることに専念する・・・という生き方が一番ふさわしいのだろうと思う。
 ”自然の恵み”とよく言うが、思いがけず手に入ったものをそう呼んでいた以前と違って、ここでは暮らし
そのものが”自然の恵み”なのだと気付く。それなしでは暮らしが成り立たないのだから・・・・・・
 街で浮かれ騒ぐ最新の流行や便利さとは縁のない山里の暮らし、つつましいが街には決して負けない
”豊かさ”だけはたっぷりある。長年体の中にたまっていたガスが抜け、少しずつ新しい新鮮な空気と入れ
替わっているとわかるのもうれしい。
 さて、3年生の勉強はどんなものになるのだろう。教科書はないが、3年目の山里暮らし、楽しみである。





山菜
 「コゴミが出てたで、食べねぇかい?」・・・・・近所の人が山菜の「コゴミ(草ソテツの新芽)」を袋一杯
持ってきてくれた。この時期の山里を代表する山菜である。ゼンマイに似ているが、もっと大きくて、
ゆでるとやわらかい。そろそろかなあ、と思っていた矢先のおすそ分けであった。
  
 あたりの雪もすっかり消え、オオヤマザクラが満開を迎えている。家の近くの畑で、90歳の腰の曲がった
おばあちゃんが、くわ1本だけで斜面になった畑を耕している。毎年見かける光景だ。大豆や大根が植えられて
いたが、今年は何を植えるのだろう。その近くでは里の師匠たちがエンジン音を響かせて耕運機を動かして
いるが、そんな便利な耕運機など無縁の手作業を黙々と続けるおばあちゃんである。
 いつだったか、集落のおじいちゃんに聞いたことがある。「・・・・こんな山奥では、食べるものをどうやって
手に入れるかが一番の問題だっただよ。車もバスもないころは、買い物なんて一ヵ月か二ヵ月に一度、
5,6キロ下の麓の店まで歩いていくだ。背中にかごをしょって、帰りには急な山道を登って帰ってきた
もんだ。塩や砂糖は作れねぇから、買わなきゃならねぇ。医者もいねぇから、家で薬をつくっていただ。
ドクダミ、センブリ、キワダ、マムシ酒、熊の胃、ヨモギも薬になるだよ。雪のねぇときはそれでもいいが、雪が
来るとここはもう完全に”陸の孤島”になる。除雪なんてしねぇから麓に下ることもできねぇ。そうなると
蓄えておいた食べ物が春までの命の糧だ。うまい、まずいなんて贅沢はいっちゃおれねぇ。食えるもの
は何でも喰うだ。狭い畑でもイモや大根、野沢菜なんかを植えて保存しておかないと家族が飢える。
 だからここらのばあちゃんたちはみんな若いころから、朝から晩まで畑仕事に精を出したもんだ。山菜
も春のうちに採っておいて保存食にしたもんだ。家族総出の山菜採りだった・・・・・・・」
 山菜は健康食品でも珍味でもなく、まさに山里の「命の糧」であったのだ。そこらに生えている「草の新芽」
はみんな冬を越した里人たちの貴重なビタミン源にもなるものだった。
 山菜採りとくわ1本の畑仕事・・・・・街に住んできた者にはなかなか想像できない、山里の暮らしだ。
 おばあちゃんの畑にももうすぐ野菜の新芽が見られることだろう。負けてはいられない、と思う。





ようやく山里にも春が・・・・
 あちこちで桜が満開だ、花見でにぎわっている・・・というニュースが流れる。しかし、山里では花見は
まだ遠い話・・・・ソメイヨシノは育たない過酷な自然環境なので、このあたりの桜といえば「オオヤマザクラ」、
つまり桜の原種に近い山に自生する桜である。ようやく蕾がふくらんできたところだ。
  
 麓の国道から集落に続く道の傍らで、いまスイセンが満開になっている。”水仙街道”と名づけて地元の
人たちが丹精込めて世話をしてきた自慢のスイセンである。
 集落の入口に佇む「お地蔵さま」も無事に冬を越すことができた。秋には真っ赤だった前掛けの色も
積雪のため色褪せてしまった。しかし、頭の上に枝をのばす桜には、ちらほら花びらが見られる。
 雪につぶされてぺしゃんこになった枯れ草のあいだから、野草たちの新芽が勢いよく顔を出しはじめ、
日一日と褐色の世界に緑がふえているのがわかる。 集落の花見は、5月の連休のころになる予定だ。
 山里に待ちに待った”春”がやってきた。集落の師匠たちも畑の準備や苗代づくりを始めている。





それはないでしょう・・・
 先日、国土交通省から「費用対効果が低い」という理由で、道路工事の凍結が発表された。長野県では
小谷村の国道148号の、通称「小谷道路」がその対象になったというニュースで大変な騒ぎになっている。
 この場所はせまい道が曲がりくねって続き、勾配も急で、昨年末から7,8件のスリップ事故が発生し、
そのたびに渋滞が起こっている場所である。過去には死亡事故も何回か起こっている。曲がった道を
まっすぐ走れるように、橋をかける工事が続いていて、橋脚部分がほぼ完成し、あとは橋をつなぐ工事
になるはずだったのだ。国道148号のこの道は、新潟県の糸魚川市と長野県を結ぶ唯一の国道で、
ほかにう回路はない。近年大型トラックの通行量が大きく増えて、冬期にそんな車が1台でもスリップ
して止まると、たちまち大渋滞が起こる道なのだ。
 村長や県知事の談話がニュースで流れていたが、経済効果が低いというだけの理由で、工事を凍結
というのは理解に苦しむ。この道の重要性をもっとよく調べて判断すべきだろう、と思う。近々、国と小谷村、
長野県の話し合いがもたれるそうだが、再考してもらいたい。
 ここまで工事をやってきて、あと一歩のところで凍結・・・それはないでしょうというのが村民の一人としての
気持ちだ。まったく工事をしていないというならわかるが、あと一歩で完成するという状況でこれでは、
やはり納得はいかないだろう。





豊かさ
 山奥で暮らしていて楽しいことがあるか?・・・・・と問われれば、まっ先に取り上げるのが植物の豊富さ
であろう。地元の人たちにとってはさほど珍しいものではないと思うが、南国九州の街からやってきた者
にとっては、季節の折々に姿をみせてくれる山野草との出会いはまさに「驚愕の一刻」となる。
 先日、車で麓に下っていると、路傍に何やら白いかわいい花が咲いている。気になって車をとめて見てみると
「アズマイチゲ」という花であった。「イチゲ」といえば高山植物の「ハクサンイチゲ」が有名だが、その仲間が
路の傍らにさりげなく咲いている・・・・こんな景色に出会うと涙がでるほど嬉しくなるのだ。
 街では園芸店か山野草の専門店に行かなければ手に入らない草花が、ごく普通に、さりげなく咲いている
のである。ホタルブクロ、トリカブト、ニリンソウ、ヒトリシズカ、カタクリ、ミズバショウ、ワサビ、ザゼンソウ、
福寿草、ギボウシ、シラネアオイ・・・・・・・こんな山野草と出会える嬉しさは、半端ではない。
 厳しい自然環境や不便なこともあるのだが、それらを消して余りある「豊かさ」だと思う。「自然を大切に」
と声高に叫ばなくても、こんなところに少し住んでみればそのありがたさは身にしみるものだ。
 そんな山野草たちを”まぶしい”と感じない人たちには無縁の話だろうが・・・・・・・・・・
 「豊かさ」とは何か・・・・街に住んでいる時には考えたこともなかったが、ここには間違いなくある、と
今は思える。





今度こそ本当の・・・・
 山の神様は気まぐれだ。4月になって「さあ、春が来るぞ」と喜び勇んでいたが、昨夜から
また大雪・・・・・・・・朝起きてみると、30cm近い積雪である。しかも今もまだ降り続いている。
 
 これが本当の「なごり雪」というのだろう。もう雪は来ないと決めて、車のタイヤを交換した人もいる
と聞いた。困っているに違いない。朝から除雪車もやってきた。
 顔を出していた草花たちも震えあがっていると思うが、雪の中は意外に暖かい。外気が氷点下になって
霜が降りても、雪の中は適度な湿度もあり、氷点下に冷えることはないので、心配はいらないだろう。
 間もなくここでの暮らしも2年が終わる。4か月の間、雪と向き合う暮らしも2回経験して、少しは雪国の
住人としての知恵も手に入れることができた気がする。
 山の神様とうまくつきあいながら、この雪がとけた後にくるであろう「春」をもう少し待つことにするか・・・・・





帰ってきた道祖神
 1月の「賽の神」の祭りに供えた手作りの「道祖神」が、3ヵ月ぶりに我が家に帰ってきた。
 みんなで作ったかまくらの中に安置されていたのだが、雪がとけて”かまくら”がなくなり、
転がっていたのを持ち帰ったのだ。土にまみれて少し汚れたが、我が家の守り神・・・・・
大切に祀らせてもらうことにする。お帰りなさい・・・・・・・
 さて、本格的な春までもう少しの小谷村、それでも自宅周辺では少しずつ春が顔を出し始めた。
 
             「ザゼン草}                      「エンレイ草(延齢草)」
どちらもこの時期、他の草花にさきがけて芽を出すのだが、今年も彼らは春の到来を感じ取ったらしい。
ミズバショウやカタクリも膨らんできた。白樺の木にも新芽が見える。春間近・・・・何だかわくわくしてくる。
 今夜からまた雪という予報なのだが・・・・・・・





なごり雪
 いくらなんでもこれで最後だろう・・・と思える雪がふって積もっている。30,40cmは積もりそうだ。
 
 暖冬だと報じられる今年の冬、たしかに小谷村でも驚くほど少なかった。そうはいっても、屈指の豪雪地域、
積算すると3,4mは降っただろう。例年なら5〜7mは積もるはずなのだ。
 集落の師匠が言う。「3月に降る雪は”ずくなし(根性なしの意)”で、すぐに解けるだ。少々降っても心配
いらねぇ・・・・」なるほど、言われるとおり、3月になって降るのは降ったが、次の日には解けてなくなった。
 水分の多いぼたん雪が中心になるからだ。それにしても連日降る雪や積もった雪ばかりを見ていると、
何だか目の「色彩感覚機能」がおかしくなってくるような気がする。どこを見ても「白」・・・・・・
 緑や赤、黄色などという鮮やかな色が見たくなる。趣味の油彩の背景に気がつけば「赤」を使っている
自分に思わず苦笑い・・・・・
 今年の雪もこれで最後・・・といきたい。「なごり雪」は十分惜しんだので、山の神様、どうかもうこれで
終わりにしてください。





出番です
 春のにおいが漂ってきた。家の周囲や集落の雪は見る見るうちに消えていき、3か月ぶりに土が
顔を出している。そうなると、待ってましたとばかり、植物たちの営みが始まる。
 
              (トリカブトの新芽)                       (ワサビの新芽)
 我が家の周囲を注意深くみていくと、枯れ草の下から新しい命が芽生えていた。彼らもわれわれと同様に
雪の中でじっと春を待っていたのだ。「さあ、活動を始めるぞ。」と言っているようで、見ている人間も元気が
出てくる。ふだんなら”雑草”として引き抜く草でさえ、この時期はいとおしいものだ。
 雪解けを待つ雪国の人たちの仲間入りをして、ようやくこの春を迎えるワクワク感が実感としてわいてくる。
 植物だけでなく、早くもミチバチたちが福寿草に群がり、盛んに蜜を集め始めた。ノスリ(鷹)が空を舞い、
アカゲラ(キツツキ)の木をたたくコンコンという音も聞こえる。彼らにも待ちわびた春の到来なのだ。
 間もなく梅、桜、あんず、桃、菜の花、レンゲ、つくし・・・・・花という花が一斉に開花するはずだ。
 雪国に暮らす者だけが楽しめる、まさに”絶景”がもうすぐ見られる。





やっと雪が・・・・
 先日、テレビの旅番組を見ていると「雪の信州を旅する」という内容で、女優の大空真弓さんがJR大糸線
に乗って小谷・白馬にやってきた場面を放映していた。白馬ならわかるが、冬の小谷村をどう紹介するのか
と興味をもって見ていたが、何と自宅のすぐ近くの路上から北アルプスを眺めるシーンがあった。
「わぁ、すてきな景色ね・・・」などと感動する場面であった。こんなところまで足を運んでくれたスタッフの
皆さんに感謝・・・である。もっと大雪の時に来てもらうとよかったのだが、そうもいかないかな・・・・
 さて、今年の雪もそろそろ終わりを迎えたようだ。
  
 時折雪は降っているが、あたりをうっすらと白くするくらいで、何十センチも積ることはなくなった。
毎日、猛烈な勢いで雪解けが進んでいる。久しぶりに顔を出した大地にはスイセンの芽が見えるし、
我が家の横を流れる沢は、まるで豪雨の後のような音を出しながら大量の雪解け水を流している。
「もう今年の雪は終わりずら。」と地元の人も言う。蜂蜜づくりの師匠も巣箱の手入れを始めた。
 今は残雪と枯草だけの”モノトーン”の景色だが、まもなく新緑が一気にやってくる。雪国に暮らす者
にとって一番胸の踊る季節なのだが、暖冬による雪不足がこれからの天候にどう影響するのか、心配
もある。いずれにしても「春」はそこまでやってきた。長い「冬」の終りである。





春を見つけた・・
 久しぶりの晴天に誘われて近くを散歩していると、雪道の土手に見慣れないかわいい花が咲いている。
この道は何度も通っているが、こんな花を見るのは初めてだ。さっそく写真を撮り、帰って調べる。
 
 
 キンポウゲ科オウレン属の「セリバオウレン」(芹葉黄蓮)という花であった。雪の間から4,5cmの茎を
出し、その先にわずか5,6mmの本当に小さな花をつけている。今まで気づかなかったのは、雪がまだ
深いためにここまで来ることができなかったからだと気づいた。今年は暖冬で雪が少なかったので、出あう
ことができたのだ。それにしても、人間には誰一人見られることもなく、一足早く雪の中に咲いて散る・・・・・
胸を打たれる可憐な、凛とした姿である。古くは漢方薬の原料にしたオウレンだと聞く。
 陽光に誘われて足をのばしたが、思わぬところで春を見つけることができた。
                      ひっそりと咲いて散ります
                                     山頭火





ありがたい
 夕方のニュースで長野市の北にある飯綱町のスキー場が、雪不足のために今日で今期の営業を
終わったと報じていた。映像を見ると雪がなく、草地になったゲレンデが映っていた。昨年よりもかなり
早い営業終了だという。新潟県に近い飯綱高原でさえこの有様である。記録的な”暖冬”だ。
 一方、わが小谷村や隣の白馬村のスキー場はまだ雪の心配はないらしい。3月いっぱいは営業できる
見通しだという。今日も昼から雪・・・・・・あっという間に30cm近く積もった。
 「よかったら使わねぇかい?」・・・先日近所の人がスキー場の「無料リフト券」を持ってきてくれた。
何と!11枚も入っている。「こんなにもらっていいんですか?」「ああ、いいだよ。おめぇさんたちがいつも
このスキー場に行っていると聞いてたもんだから。」・・・・・ほんとうにありがたい。
  
 何でも身内の人がこのスキー場で働いているから手に入ったとのこと、さっそく使わせてもらった。
 気温が上がり、緩んできた雪は滑りにくいが、それでもスキー場はかなりの人でごった返していた。
 今シーズンの有効券なので、気合いを入れてスキー場通いをしないと使いきれない。せっかくなので
全部使い切りたいと思っているのだが・・・・・





弱いからこそ・・・
 雪が少なくなると、村のあちこちで「福寿草」が顔を出す。雪国では春が近いと教えてくれる花だ。
  
 自宅の窓からも目の前の土手に可憐な花を見ることができるようになった。
 見ていてふと思った・・・・・なぜこの花はこんなに雪の残っている、まだ寒い時期に咲くのか・・・・・と。
 そして思い当たった・・・・・彼らが今咲いている場所は、夏になれば一面野草に覆われるところだ。
当然背丈の低い福寿草などはその陰に隠れて、十分な日光を得ることができない。植物にとって日光が
得られないということは死活問題・・・・そこで他の草花に先駆けて、弱いながらも日光を一人占めできる
この時期に咲くのだろう・・・・真偽のほどはわからないが、彼らの生存を賭けた営みがこうして行われる
のを見ると、そう思わざるを得ない。”かわいい””きれい”などという人間の評価など彼らには関係ない話だ。
 弱いからこそ、知恵を使って生き抜く・・・・・そう思うと、土手に花を開く彼らが限りなくいとおしく思えてくる。
 そうか・・・大変だろうが君らしく精一杯頑張れよ。おじさんも応援しています。





春未だ遠し
 長野県でも雪の多い地域だとは思っていたが、今日の新聞によると小谷村は県下で2番目の
積雪量を数える村として掲載されている。まさしく”豪雪地域”だ。
 第1位は県の北部にある野沢温泉村で、平年の3ヶ月の累算積雪量が10.1m、次が小谷村で
平年の累算積雪量7.19m・・・・今年は記録的な”暖冬”だそうで平年よりは少ないが、それでも小谷村
でこの3か月3.65mの積雪・・・・、一旦は気温が上がり、もうこれで終わりかと思っていると、昨日から
また降りだして、昨日と今日で70cmは積もっただろう。今も外を見るとしんしんと降り続く雪である。
 先日「これ、採ってきたで食べねぇかい?」・・・近所の人が袋いっぱいの「ちゃんめろ」を届けてくれた。
「ちゃんめろ」・・・・フキノトウである。最初に聞いた時には何のことだか分からなかったが、この地方の
方言らしく、なんとも愛嬌のある、ほほえましい呼び名である。
  
 雪が解けた合間をみてとってきたのだという。ありがたく頂戴した。最近近くで「福寿草」がたくさん咲いて
いるのも見たが、この雪でまたしばらくは冬眠の続きとなりそうだ。
 春はまちがいなくやってきているが、その姿を見るのはもうしばらく先のことになりそうだ。





山あれば・・・・
 音もなくしんしんと降り続く雪を見ている。おそらく何十年、何百年前から変わらない雪景色なのだが、
多くの先人たちが眺めたであろう集落から見える山や森を、今わたしが同じように眺めているのだと思うと、
説明のしようのない不思議な感動がわいてくる。
時代がどんなに変わっても、人の価値観がどう移ろっても、この雪景色だけは人間の都合など知ったことかと
一点の変化もなく在り続けるのだ。信じられないほどに厳粛で、清冽で、凛とした自然の営みである。
 
 ことさら美化する必要もない。大げさにその素晴らしさを謳うこともいらない。ただ黙ってその中に身を
置いていれば、”自然”は十分に新参者の面倒もみてくれる・・・・・そんな気がしている。
・・・・・・・・・
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし  ゆふべもよろし
                          山頭火





納得
人口3500人の村には
レストランも回転寿司も、パチンコ屋も本屋もない。
スーパーやホームセンターもないし、「コンビニ」は一軒だけ・・・・
不便かと問われれば確かに不便だろう。
 
だが村人は、そこらの街の人には信じられないほど
「心豊かな暮らし」を営んでいる。
とてつもなく大きく、温かいものに包まれて暮らす日々が
「便利」という言葉の魔力を薄めている。
我慢をしているのではない。納得をし、受け入れているのだ。





1日1000円
 運動不足解消もかねて、大町市のスキー場へ行った。このスキー場は昨年からリフト券が「1日1000円」
という思い切った価格設定をして話題になったスキー場・・・・・
 通常、近辺のスキー場の料金は、1日4500円から3000円、1000円とはまさに”価格破壊”である。
  
 大きな湖のそばにあり、北アルプスの山々が間近に見られる絶好の場所にある。スキー場としての
規模はさほど大きくないが、おじさんたちや初心者には最適のちょうどいいゲレンデが揃っている。
 安いという口コミからか、平日なのに結構な数の客が来ていた。特に外国人の数が多い・・・・・・
 来客の9割が「スノーボード」、スキーをする人は数えるほど、広いゲレンデが貸し切り状態で滑れて、
文句なしであった。料金の1000円は試験的に導入するという話であった。これで採算が取れれば今後も
この料金でやっていくとのこと。ぜひそう願いたい。スキーは楽しいが、家族で行くと交通費、ホテル代、
それにスキー場の料金が重なって相当な出費になり、敬遠される理由の一つにもなっている。
“価格破壊”・・・大いに歓迎である。
 膝が悲鳴をあげるまで滑って帰路についた。1000円で十分に遊べるお勧めのスキー場である。





道の駅
 国道148号の沿線に「道の駅おたり」がある。この道の駅には「天然温泉」が併設されている。詳しくは
知らないが、温泉と道の駅が同じ場所にあるという施設は珍しいのではないだろうか。
  
 源泉かけ流しの湯で、”ナトリウム・カルシウム・炭酸水素塩・塩化物温泉”とうたわれている。
 先日、久しぶりに行ってみた。スキー帰りのお客さんがのんびりと温泉を楽しんでいた。露天風呂も
あり、雪の降るときは備えてある「笠」をかぶって入浴する。なかなかおつな温泉だ。
 お湯は少し濁っていて「黄土色」をしているが、湯あがりはさっぱり、体のシンから温まる。ここには
入浴料のレシート(一人500円)を見せると割引になるレストランがあり、風呂上りに食事をして、お土産を
買って帰るというのが我が家の楽しみ方・・・・・外食のできる店が少ない小谷村では貴重な存在だ。
 小谷村には10カ所の温泉があるが、まだ全部を味わってはいない。そのうちに・・・・と思っている。





雪不足
 暖冬だと報じられる今年の冬・・・・・長野県でも三指に入る豪雪地域の小谷村も例外ではない。
 住民にとっては少ない雪は助かるが、冬の雪を頼みに生計を立てている人たちにとっては死活問題
となる。先日、村の広報に、年末年始の村内のスキー客の動向が掲載された。
  
 全体を見ると昨年より多い客の入りだそうだ。年末の雪不足で、県内の他のスキー場がオープンできなかった
ことによるという。少ないながらも小谷村のスキー場は滑走可能だったので、お客がやってきたということ・・・・
 小谷村にとって「ウインターシーズン」「グリーンシーズン」ともに観光は大きな収入の柱となる。特に冬の
スキー客はその比重が大きい。スキー場に雪があるかないかは、単なる話題を超えて村にとっては大問題
なのである。知り合いのペンション経営者の方に聞くと、「雪がないと私たちは生活できない。この冬の稼ぎで
一年暮らさなければならないのに・・・・・」と言われる。納得である。
 降り過ぎても困るが、降らなくても困る・・・・・毎年恒例の集落の「スキー大会」も今年は雪不足のため、
「雪祭り」に変更になった。意を決して用意した屋根雪おろしの「新兵器」もヒマを持て余している。





雨・・・そしてまた
 季節はずれの雨が降った。2月の初めに”雨”というのは記憶にないもの、地球がどこかで悲鳴をあげて
いる気がする。2日間雨が降り続き、庭や屋根の雪が全部とけてなくなった。まるで春の到来である。
 近隣のスキー場も悲鳴をあげている。雪不足で、場所によっては土が現われたところもあると聞いた。
 100か所近いスキー場がある長野県だが、ほとんどのところで雪不足・・・・雪には恵まれる白馬・小谷
のスキー場は今のところ心配ないが、このままだと春まで雪がもたないという話も聞いた。
 除雪で冬の生計をたてている人たちも困っている。村からの委託を受けて村内の建設会社などが除雪を
請け負っているのだが、今期は例年の半分だという。出来高払いなので出動しなければ収入はない。
 また200台近い除雪車の燃料をまかなってきた村のガソリンスタンドも予定が大きく狂っているという。
小谷村の年間除雪予算は「1億8000万円」・・・・・・ 村としては助かる話だろうが、人々の暮らしを
脅かすことは困る。やはり”暖冬”なのか・・・・・と思っていると・・・・・・
  
 一晩で30cmの雪になった。あちこちで土や草が見えていた家の周辺もまた白銀の世界にもどった。
午前中はふり続く予報なので、おそらく40、50cmの新雪が積もるだろう。これがこの時期本来の姿、
やはり雪がある時期には雪があってほしい。 
 2月、3月は気温が高めだという長期予報通りなら、この雪も早いうちにとけるかもしれない。
 雨の後は雪・・・・・おかしな話だが、なんだか雪を見てホッとしている。





雪の中で・・・
 小学校時代から「図工」の通信簿評価はいつも「2」か「3」であった。どんなに一生懸命描いても、
友人の描く絵には及ばなかったし、工作や粘土造形も何だか”垢ぬけ”しないものばかりで、自分でも
当時は先生たちの評価には納得であった。だから「図工はだめだ。」と長い間思い込んでいた。
 しかし、「本当に自分には絵を描く能力や工作、粘土造形の能力がないのか」という思いは消えずに
あったようで、気がつけば絵を描き、陶芸にはまり、日曜大工に励むという趣味が身についていた。
    
 不思議なめぐり合わせだなあと今更ながら思う。やってきた「趣味」はすべて図工の教科の内容だった
のである。才能があるかないか、ではない。絵画や造形で表現する楽しさを自己満足の世界の中でも
いいから味わっているかどうかである。
 その意味では奮起を促してくれた小学校の先生たちの評価には感謝しなくてはならないのかも知れない。
 作業部屋にしている部屋の窓から、しんしんと降り続く雪が見える。そんな日は静かに絵筆を握って
キャンバスに向かうことにしている。腕前は一向に上達しないが、描きたいものを描きたいように描く楽しさ
だけは存分に味わっている。        創作ギャラリー
 降りしきる雪を見ながら、遠い日の絵の具のにおいを懐かしく思い出す暮らしも悪くない。





スノーモンキー
 最近こちらのテレビのローカル番組で、「スノーモンキー」が話題になっている。
志賀高原の入口にある「地獄谷野猿公苑」で、野生のサルたちが温泉に入っている姿を見ようと、たくさんの
観光客がやってくるのだそうだ。
  
 特に最近は外国の観光客が多くなったという。世界でも温泉に入る野生のサルはここだけだというので、
スキーに来た人たちが観光を兼ねて立ち寄るのだという。彼らがこのサルたちを「スノーモンキー」と呼ぶ。
 残念ながら冬の雪の時期には行っていないが、これまでに二度ほど行ったことがある。本当に気持ちよさ
そうな顔で温泉に入るサルたちを見ていると飽きない。温泉の気持ちよさは人間もサルも同じだということ。
 夏ならわかるが、氷点下の雪の中で温泉に入って、そのあと温泉から上がったらどうするのだろう、と
いらぬ心配をしてしまうが、まあ、その問題をクリアーしているから、こうして話題になるのだろう。
 この年末年始、長野県のスキー場の入場者数が発表され、第一位が「志賀高原」、第二位が「白馬
八方スキー場」、第三位が小谷村の「栂池高原スキー場」だったと報じられた。どこも外国からのお客が
目立ち、彼らのほとんどがこの「スノーモンキー」を見学にくるのだそうだ。野生のサルたちも国際交流の
役に立っているわけで、地元では大切な「観光資源」なのだとか・・・・
 風邪をひかないように、無事に冬をのりきってください。





新兵器登場、それでも・・・
 家のまわりの雪かきはもう何度もやったのだが、屋根の雪下ろしもそろそろだなぁ・・・・と思って
いると、集落のあちこちで雪おろしが始まった。遅れてはいけないと、この冬1回目の雪下ろしをした。
 今年は「新兵器」の登場である。新兵器とは、ポリカーボネイト製の波板である。ちょっとした小屋の
屋根などに使われる、波状になった板のこと、集落の師匠から「あれを使うと雪が滑り台を滑るみてぇに
滑っていくだよ」と教えられていたのだ。これまでは、上部の雪の塊が屋根の途中で止まってしまい、
一気に落ちていかなかったのだ。師匠の忠告に従い、新兵器登場となった。
  
 下からみるとさほど積もっているようには見えなかったが、上がってみると1メートル近い積雪・・・・・・
さっそく新兵器を使ってみた。これが、なんと!ベリーグッドなのである。おもしろいように雪が滑って
落ちていく。「やっぱり師匠たちの言うことは聞くべきだ。」と感謝しながらの作業、しかし、それでも
片面の雪下ろしだけで3時間、体力の限界である。それに、昨年の失敗に学び、落とした雪はその日の
うちに飛ばしておかないと、次の日にはカチカチの氷になって大変なことになる。その余力も残しておかな
いと・・・・・というわけで、1日目はこれで終了。残りの半分は次の日ということになった。
 同じ時間に始めた向かいの家の人は、半分下ろしたころにはもう全部下ろして、落ちた雪を除雪機で
すでに飛ばしている。「いったい、何が違うんだ!」と情けなくなりながらも、きっと私の知らない「裏ワザ」
があるに違いない、そう思うことにして屋根から下りてきた。
 新兵器の威力は絶大であった。しかし、もっと何かがある・・・・好奇心旺盛なおじさんは、近いうちに
近所の雪下ろしをじっくり観察して、その奥義を盗もうと考えている。
 目標は「1日で屋根の雪を全部下ろし、落ちた雪も処分する!」ことである。2,3年はかかりそうだが・・・・・





黒文字
 寄り合いや宴席に必ず手作りの「つまようじ」を持ってくる人が集落にいる。漬け物やつまみを食べる
のにちょうど手ごろで、とても使いやすくてみんなからも好評だ。
 先日、その人が「良かったら使ってみねぇかい。」と言って大量のつまようじを持ってきてくれた。
 
 ただの「つまようじ」ではない。最高級品と言われる「黒文字のつまようじ」なのである。
 クスノキ科の「クロモジ」という木の枝を乾燥させ、削って作るもので、一本ずつ手づくりで作られる。
 クロモジには香りがあって、昔は「香木」としても使われたのだとか、高級な和菓子にはほとんどと
言っていいほどついているもの。使い捨てではなく、洗って乾燥すれば何度でも使える。また、
使い込めば「あめ色」になり、一本で何百円や何千円という、高級なものもあると聞く。
 自分で山に入り、クロモジの木を探してとってくる人だが、春には山菜、秋にはキノコ採りの名人でもある。
こんなに立派なものなら、ちゃんと包装して道の駅などに出せばきっと売れると思うのだが、当の本人は、
「そんなことはしねぇ。これはおらの趣味でやってるで・・・」と笑って乗り気ではない。
 一本50円か100円でも欲しい人はきっといると思うし、けっこういい商売になると思うのだが・・・・・・・
 高級な黒文字ようじで、我が家のたくあんをいただいている。最高にぜいたくな食べ方である。





賽の神
 何日か降り続いた雪も一休み、朝から久しぶりの好天・・・・朝の外気温は氷点下10度、すべてが
パリパリに凍りついている。今日は集落の祭り、「賽の神」の日である。
 朝8時、集落のほとんどの人が出てきて、会場の雪踏みから始まる。カンジキを履いてやわらかい
積雪を踏んで固めていく。大きな除雪機を動かして、かまくらを作る場所に雪を飛ばしていく。
 毎年、この場所に大きなかまくらを作って、中に賽の神(道祖神)を祭るのだ。
 
 4時間かけて立派なかまくらの完成、途中「お神酒」と焼き肉で力をつけてみんなで汗を流した。
昔は集落に子どもがたくさんいたので、かまくら作りは子どもたちの仕事であったそうだ。除雪機も
便利な道具もなかったころは、子どもたちはスコップでこれだけのかまくらを作っていたと聞く。
 夜、各家から持ち寄ったカヤの束に火をつけて、その年に厄年を迎える人がみかんやお金を撒き、
集落の人たちに拾ってもらう。毎年恒例のお祭りだ。
 
 我が家で作った「道祖神」もかまくらの中の祭壇に安置された。しんしんと冷え込む集落の夜空をこがす
ように燃え盛る神火をみながら、今年一年の家内安全・無病息災を祈った。





道祖神
 今年も「賽の神(せぇのかみ)」の祭りが近づいてきた。「賽の神」・・・・・道祖神の祭りである。
九州ではなじみのない道祖神だが、このあたりでは古くから信仰の対象となってきた神様である。
 起源や謂れははっきりしないそうだが、土着の神として、村々の入り口や道の交差する辻などに
祀られ、外敵の侵入、疫病や災難などから村を守る神として大切にされてきたと聞く。
 さて、わが集落では祭りの日には、みんなで「かまくら(道祖神の宿る神殿)」を作り、その中に
道祖神を安置し、供え物をおいて火を焚く。道祖神に家内安全。無病息災を祈願するのだ。
 先日、近所の人から「道祖神を作ってみねぇかい?」と言われた。そう言えば昨年の祭りのときに
かまくらの中に木でつくったかわいい道祖神が祀られていたのを思い出した。「誰が作ってもいいんですか?」
「ああ、構わねぇ。誰が作ってもいいし、いくつあってもいいだよ。」・・・・・というわけで、今年は
道祖神をつくって奉納することにした。材料はクルミの木、それを削って顔を描くだけの簡素なもの・・・・
 近くでクルミの枝を手に入れて、さっそく作成開始。夫婦二体(双体道祖神)が必要だというので、
枝は二本、1時間かけて何とか完成した。
 神様を作る、などとバチ当たりな気もするが、これがここらの習わし、心をこめて作らせてもらった。
明日の祭りで、この手作りの神様をかまくらの中に安置して、本物の「道祖神」になっていただく。
雑な造りで申し訳ないが、おおらかな神様だそうなので、きっと笑って許してくれるだろう。





温かい言葉
「肩を寄せ合って生きる」・・・という言葉には少々さびしい響きがあるが、
山里で豪雪に囲まれて暮らしていると、
その言葉の素晴らしさ、温かさがいやでもわかってくる。
不便な暮らしや過酷な環境に愚痴ひとつこぼさず、
寄せ合った体の体温で、肩にかかる雪を融かし、寂しさを分かち合い、
声をかけ合い、暮らしの様子を気遣い、足りないものを貸し合い、
やがて来る雪解けをじっと待つ・・・・・
木の種は落ちる場所を選べないが、そこがたとえどんな場所であれ、
生きるために精一杯の力を尽くす・・・その姿と同じものが、
間違いなく、ここにはある。
「肩を寄せ合って暮らす」・・・・・・・
街ではとんと聞かれなくなったが、温かい言葉である。





軽トラでも・・・
 雪は大みそかから降り続いている。積算すれば1メートルはゆうに超えただろう。我が家の足「軽トラ」で
まだ雪道を走ったことがない。そこで体験してみようということになった。
 スタッドレスタイヤは装着しているが、普通車のものと違い、やけにタイヤ幅が狭い。何だか頼りなくて
「これで本当に大丈夫?」と言いたくなる。除雪車が除雪をしていないので路面には10cmの積雪・・・・
  
 恐る恐る発進させてみると、心配したほどのことはなく、何とか行けそうだ。普通車にはついているABS
(タイヤをロックさせない機能)は軽トラにはない。だから一旦滑りだすとコントロールは不能になる。
 車体が軽いためか、雪に乗ると左右にふられるが、ブレーキも効くし、ハンドルも安定している。
 やれやれ、と思いながら下って行くと、集落の師匠の一人が道の上に立っている。「どうしたんですか?」
「ははは、やっちまっただ。」・・・見ると師匠の軽トラが路肩の側溝に脱輪して立ち往生!
すぐに降りて脱出を手伝うことになった。通りがかりの村の人も車をとめて降りてくる。側溝に角材をいれて
引っ張り出す作戦なのだが、引っ張るのも別の軽トラ、パワー不足でどうしても上がらない。
 そこへ通りかかったのが「村営バス」、顔なじみの運転手さんもバスを止めて降りてきた。
「バスで引っ張るだ。」その一言で作戦続行・・・・バスと軽トラをロープで結び、バスが引っ張ると、あっけなく
軽トラは側溝がら脱出成功!そのあとみんな何ごともなかったかのように引き上げていく。師匠は、
「年取るとだめだね。こんな道ですべってちゃ、町にもでられねぇ。」と笑いながら後片付けをしている。
 困ったときはお互いさま、という暗黙の了解が見事な連携プレーを生み出した。それにしても、雪国の
大ベテランでもスリップして脱輪するのである。初心者は最大級の用心をしなくては・・・・・・・
 軽トラでも十分走れる、しかし油断をするとひどい目にあう、という教訓を学べた。





新年会
 新しい年が始まった。集落では恒例の「新年会」が元旦の午後から公民館で行われた。参加するのは
移住する前も含めて3回目・・・・・降りしきる雪の中、公民館へ行った。
(小さいがこれでも立派な集落の公民館)
 馴染みの顔ぶれが揃い、宴会が始まる。杜氏の師匠、蜂蜜の師匠、野菜作りの師匠、山菜とりの師匠、
みんな私にとっては大切な「師匠」たち・・・・
 学校への雪道にワナを仕掛け、かかったウサギを持ち帰って食べたという話、地蜂やアシナガバチの
巣を探して蜂の子を食べた話、軽トラックで雪道を安全に走るテクニック、「コウムケ」といううまいキノコは
自生していると巨大になるという話、昨年稲刈りを手伝った師匠からは「今年は田植えから頼むで。去年は
田にコイを入れたが、ありゃあとが大変だで、今年はアイガモにするか・・・」とコメ作りのお誘い、集落専用の
大型の除雪機の使用規定、冬は車のサイドブレーキをかけない、ドアキーもしない、ワイパーは雪専用の
ものにするという話、使わないスキー板があるからやろうという話・・・・・・・・
 杜氏の師匠たち手作りの自慢の酒がふるまわれ、にぎやかな宴会になった。この人たちの厚情に助けら
れて山里暮らしもできる。お返しできるものは今のところまだないが、いずれこの恩に報いなければ・・・と
あらためて思う。里人の強い絆が豪雪の中の暮らしを支えてくれている。





初滑り
 好天に恵まれて、九州からやってきた息子夫婦とスキー場へ・・・・・今期の初滑りである。
  
 冬休みに入ったからか、子ども連れの家族が多い。積雪は十分である。
滑りだしてみるとわかるが、いかに普段からのトレーニングが必要か、ということ・・・あっという間に
足の筋肉が悲鳴を上げ始めた。おじさんスキーヤーもちらほら見かけたが、みな一騎当千のつわもの、
という感じの人ばかり、華麗なシュプールを描いて滑り降りていく。とても真似はできない。
 足の筋肉の限界まで滑って、今日は終わり・・・・まだまだ冬はこれからが本番、あわてることはない、と
言い聞かせてみたが、スキーはやはり”若い者」たちのスポーツだと思い知らされる。駐車場の車の
ナンバーを見ると、東京、千葉、神奈川、大阪・・・・と結構遠くからやってきている。日帰りをするはずは
ないので、おそらく宿泊だろう。地元のホテルやペンションが潤うということだ。
 晴れていたので、北アルプスの山並みがきれいに見えた。ウインターシーズンの到来である。





一夜明けると・・・・
 先日までのポカポカ陽気から一転、この冬一番の”寒波”の襲来・・・・・家の周りや小谷村はあっという間に
白銀の世界に変身した。「なかなかこねぇな。おらたちは助かるが、雪を当てにしている者たちは困るだよ。」
そんな話を近所の人たちとつい先日までしていたのだが、これでやっと”雪国らしく”なった。
  
 一夜明けて外を見ると、大雪である。朝の4時ごろから村の除雪車がエンジン音高く除雪作業、その日
一日降り続き、翌朝見ると積雪60cm・・・・吹きだまりでは1mを超えているだろう。
 スキー場では雪不足でどうしようかと悩んでいる、というニュースも流れていたが、これで一気に解決
だろう。やはり降る時には降ってもらわないと困る。スキー客が来ないと困るのは、スキー場だけではない。
タクシー、バス、宅配業者、民宿やペンション、レストランやそば屋、ガソリンスタンドなど、この時期の来客を
頼りにしている人たちが大勢いるのだ。「恵みの雨」ならぬ「恵みの雪」である。
 それはさておき、我が家や集落ではこれから本格的な雪との格闘が始まる。





冷えています
 今朝の外気温はマイナス8度C・・・・午前中はマイナスのままになりそうだ。まさに”冷凍庫”の中・・・・
全国の天気予報で、長野の予想気温を発表しているが、あれは長野市の平均気温で、ここ小谷村、
まして標高800mの我が家の周辺では、単純に長野市の気温より4度から5度は通年低くなる。
 こんな寒さの冬に欠かせないのが暖房・・・・我が家では主に石油ストーブを使う。それにボイラーも灯油
なので、この時期は結構な使用量となる。
  
 最近灯油も一時期の高騰が収まり、安くはなったが、我が家の灯油タンクの容量は490リットル、ドラム缶
2本半もあるので、それでも満タンにすると大変な金額になる。
 麓のスタンドに頼んで配達してもらうのだが、もしも配達がなかったらとても冬は乗り切れないだろう。
 「灯油は高いだで・・・・」と、自宅の炬燵用の炭を自分で焼いている師匠のおじいちゃんの気持ちもよく
わかる。夏の冷房代がまったくいらないかわりに、冬は出費がかさむのが雪国のくらし・・・・・
 なるべくストーブやボイラーの火を調整して節約に努めながら、なんとか乗り切るしかないと思う。
 先人達はどうやってこの寒さを乗り切ったのだろう、と、ぶら下がったツララを見ながら考える今日この頃
である。





結い
 「おめぇさんの家はおらたちが総出で造った最後の家だで・・・・」以前から集落の人に聞かされていた
話である。以前は家の新築工事は、集落の「結い」と呼ばれる共同作業で行われていたそうだ。
 我が家は、その「結い」で造られた最後の家だというのである。今は亡くなられたが、集落に大工の
棟梁さんがおられて、その人の采配で集落の人たちが汗を流したと聞く。材木は自前の山で伐採した
ものを使い、屋根に使う「カヤ」(今はカヤ葺きではないが・・・)は、谷向こうの山から切り出したものを
みんなで運んだという。
 こちらに住むことになってリフォームをお願いした大工さんが、「こりゃいい材を使ってるだ。今どきこんな
材はなかなか手に入らねぇ。これなら雪もあんじゃねぇ(心配ない)。・・・・」と話してくれた。
 柱は「クリ」の木、梁は「ケヤキ」、どちらも耐久性や美観で最高の材木なのだそうだ。
(ケヤキの梁)
 我が家を訪ねてきた近所の人たちが、なつかしそうに「この家はおらたちが造っただよ。」と話してくれる。
当時の苦労話もたくさん聞かせてもらった。大型の重機などない時代、重い材木を運んだり、建てたりする
のは大変な工事だったことだろう。みんな豪雪の中で暮らしているので、雪に強い家を目指したと聞く。
 おかげさまで、1メートルを超える屋根雪があっても心配なく暮らせる。集落のみなさんに感謝しながら、
「結い」という言葉の響きと重さをかみしめている。





かさじぞう
 よく知られている民話に「かさじぞう」(またはかさこじぞう)という話がある。
 小学校の教科書にもある話。・・・・・・・・
 善良なおじいさんが年の瀬に、自分でつくった”笠”を売りに町までいくが、さっぱり売れずにあきらめて帰って
いく。途中にある六地蔵さんのところまでくると、地蔵さんたちの頭に雪が積もり、寒そうだと思ったおじいさんが
自分の持っていた笠をかぶせてやる。しかし、笠は五個しかないので、最後の一人には手拭いをかぶせて
満足して家に帰った。家で待つおばあさんに事の次第を話したが、おばあさんは「それはええことをした。」と
おじいさんを責めることもなく、二人でもちつきの真似をしたりして床についた。夜中に物音で目覚めた二人が
外をみると、家の前に米俵やもちがどっさり。笠や手拭いをかぶった地蔵さんたちが帰っていく姿が見えた。
二人はいい正月を迎えることができた・・・・・・・・・・・・と言う話。
 集落の入口にある六地蔵さんをみると、ほんとうに寒そうである。笠があればかぶせてやりたくなる光景で
はないか。この話を、こんな雪国のこの地蔵さんの前で聞くと、きっとほんとうの話だと思えてくるはずだ。
 民話が生まれ、語り継がれていく風土がこうして残っていることに涙がでるほど感動するのだが、子どもたち
にもっともっとこんな話をしてやらなければ、民話が受け継いできた「人が自然とともに生きる」ことの大切さは
やがて見えなくなっていくかもしれない。地蔵様も仏様も神様も里人たちといっしょに暮らしているという感覚が
無理をしなくても自然にうまれてくる・・・・・そんな山里の冬である。





冬に備えて
 我が家のすぐ下にある畑で、衝撃の遭遇があった。何と!十数匹のサルの群れが畑の中でエサを探して
いるところであった。
 
 よく見てみると、どうやら豆のカラが捨ててあるところで、残っている豆を探しているようす・・・・・・
 私と目が合ったが、別に逃げる様子もなく、悠然と食事を続けていた。今年は山の木の実もたくさん
できていると聞いたが、雪が3回ほど降ったのでそれも乏しくなったか・・・・・
 我が家の庭に干しておいた「クルミ」が先日から見当たらない。相当な量があったのに、カラ箱だけ
残って中身はない。さては、このサルたちの仕業だったのかもしれない。
 人間が冬支度をするように、彼らも冬に備えなくてはならないのだろう。そういえば、どのサルもよく
太っていて、たっぷり栄養をためこんだという感じである。しかし、これから雪に閉ざされる4か月、彼らが
食べるものは地上にはない。厳しいことは容易に想像できる。
 人間に被害を与えてもらっては困るが、共に山奥で暮らし、冬のきびしさを知る仲間同志、仲良くいきたい
ものである。





神様
 不可解なもの、理解できないものは徹底的に解明しようとする西欧文明に対して、理解できないものは
無理をしないでそっくりそのまま受け入れようとするのが日本人の培ってきた精神風土だという。
 解明しようにも、その手段となる科学の知識や手法を持たなかったことに起因するのだろうが、それだけ
ではなさそうである。日本人の精神風土には「神」という特異な領域があり、理解不能な事柄や現象は
すべてこの「神」の為せることだと考えると、非常に”都合”がよいのだ。
 前触れもなく、突然降ってくる雪・・・・なぜ雪は降るのか、と理屈で考えずに、「山の神様が降らせて
いるのだ。」と考えると、不思議に納得できる”領域”が心のなかにある。
 森の木や渓流のせせらぎ、木の葉や動物たち、火や水、雲や霧にもみな「神」が宿る。
西欧の唯一絶対の「神」とは基本的に異なる、身近で親しみやすい神さまたちだ。
 先日から降りだした雪、音もなくしんしんと降り続く雪の中にいると、人知を超えた大きな「意思」を
感じてしまう。姿かたちはなくても、確かな存在を感じさせる「神さま」が身近なところにいて、いつも
いっしょに暮らしている、という感覚が、奥深い山里にいると違和感なくわいてくるのだが、「そんなバカな!」
と笑われても説明のしようがない。 街では決して味わうことのない、不思議な感覚なのである。





冬の使者
 ついに来た!・・・・・初雪である。昨夜から降り始め、朝起きてみると一面の銀世界・・・・・
予報では、今日一日降り続き、積雪30cm以上になるとのこと、昨年も今日大雪になったことを思い出す。
  
 予期していたことなので別にうろたえることはないが、「ついに来たか・・・・」という思いはある。一旦は
融けるようだが、根雪になって本格的な雪景色になるのも間もなくだろう。
 早めにタイヤを冬用に替えておいてよかった。この雪の中での作業では大変である。今のところ除雪車
は出ていないが、このまま降り続けばこの冬1回目の出動になるかもしれない。
 同じ長野県でも南部の方では雪がちらつく程度だとか・・・・小谷村は紛れもなく豪雪地域だということを
思い知らされる。いよいよ冬の到来である。





根雪
 連日朝の外気温が氷点下に近くなってきた。霜はすでに何度か下りたし、さすがに氷が張ることはまだ
ないが、吐く息は真っ白・・・・・・
 北アルプスに降った雪がとうとう「根雪」になった。春まで解けることはない雪だ。
  
 山里では冬を迎える準備に追われている。どこの家でも、雪に備えて家の周りの片づけ、畑の野菜の
収穫、雪囲い、植え木の雪囲い、除雪機の点検など、しておくことが山のようにある。
 我が家でも、先日除雪機の点検整備を依頼してみてもらった。窓の雪囲いは完了、屋根に上るはしごも
固定した。奥方は、畑で収穫した野沢菜や大根、白菜の漬け物作りに追われている。集落のあちこちで、
大きな容器に野沢菜を漬ける作業が見られる。「まだちょっと早いだども、あったかいうちに漬けとくだよ。」と
近所のおばあちゃんが言う。来週から本格的な寒波がやってくるという予報・・・・・・
 村でも道のあちこちに大型の「除雪車」がスタンバイ、いつ雪がきてもよい準備が進んでいる。
 近くの師匠に一つ教えてもらったことがある。屋根の雪下ろしに、プラスチック製の波板を使う技だ。
これを屋根雪の上に置いて、雪を乗せると楽に滑り落ちてくれる・・・・とのこと。なるほど、納得!
 この冬はこれで雪おろしをやってみようと思う。
 さて、山の根雪がもうすぐ本格的な雪を里に運んでくる。来年の春まで、長い闘いの日々が始まる。





秋も終わりに・・・・・・
 一雨ごとに気温が下がり始めた。先日の朝、外気温が氷点下1度・・・・・長野市で初氷が見られたという。
紅葉もピークを過ぎて、木々の葉はその役目を終え、散り始めている。
 集落のあちこちでも「冬支度」が始まっている。畑に穴を掘り、底に杉の葉を敷き詰め、大根を入れる。
中央にワラ束を乗せてその上から土をかぶせ、ひと冬のダイコン囲いが完成・・・・こうしておくと腐る
こともなく、水分も適当に保たれて春まで大根が食べられる。ただし、雪の中なのでどこに埋めたかが
わからなくなるので、目印の棒を立てておく。杉の葉はネズミ除けなのだそうだ。
 近所の師匠は恒例の「炭焼き」を始めたし、杜氏の師匠は新酒の仕込みに行っている。我が家も
そろそろと思い、5mにも伸びた白樺の木の雪囲い、ブルーベリー、山吹、つつじなどの低木も縄と支柱で
補強してやり、屋根の軒先に滑雪用のシートを張り、除雪機の邪魔になるブロックや置き石なども取り払う。
 この山に三回積もれば里にも雪がくる・・と古老の言う山にも先日一回目の積雪があった。
 いつの間にか秋も終わり、山里には静かに冬が近づいている。





冬の前触れ
 大陸から優勢な高気圧がやってくる、という天気予報通り、ずいぶん冷え込んだ。我が家の外気温2度・・・
朝北アルプスを見ると真っ白・・・・・この秋2度目の冠雪である。
  
 地元の古老は、北アルプスに9回冠雪すると麓も雪に埋まるという。早くも2回、いよいよ冬の足音が
近づいてきた。朝や夕方はストーブなしでは過ごせなくなったし、夜はコタツがないと寒くていられない。
 ホームセンターには雪囲い用の商品が並んでいるし、除雪車も展示が始まった。村中が冬を迎える準備
に入ったと感じる。2度目の冬なので、昨年ほどうろたえることはないが、それでも体のどこかに力が入って
くるのがわかる。雪の前にやっておかなくてはならないことを書き出し、万事ぬかりない準備を始める。
 近所の紅葉した木々の葉が猛烈な勢いで散り始めた。天気予報などなくても、山里には優れた無言の
”気象予報士”たちが無数に存在し、的確な季節の変化を教えてくれる。
 さて、この冬の雪はどうなのだろう・・・・・・あいさつ代わりに村人たちがそのことを話題にする時期になった。





収穫
 ある朝、何気なしに家の裏の斜面をのぞいたら、何やら見慣れないものがある。何だろうと思って枯れ木や
草をかき分けてみると、何と!キノコがびっしり生えているではないか!
 今年の春に、近所の蜂蜜づくりのおじいちゃんにもらった原木からみごとなナメコが生えていたのだ。
 
           (春にもらった原木)                     (顔を出したナメコ)
 さっそくおじいちゃんの家にサンプルを持って行き、報告した。「出てるやつは全部取っておくだ。一度に
食べきれなきゃ、洗って冷凍しとくと保存ができるだで・・・。」とのこと。
収穫をしてみると、大きなザル4杯分もの大量のナメコであった。これは驚き!
 ナメコはスーパーで袋に入ったものを買うのがせいぜいだったが、こんなキノコが我が家の庭先で、しかも
大量に収穫できるなんて夢のようであった。同時期にもらったシイタケの方はもう少し先だろうというおじいちゃん
の話であった。こちらも楽しみである。
 味噌汁、大根あえ、鍋・・・・しばらくはナメコが堪能できそうだ。





ラッキー
 奥方の友人4人が我が家を訪ねてきてくれたので、みんなで白馬村の八方尾根にいくことになった。
1ヵ月に1度あるかないかという晴天に恵まれて、北アルプスの山々の姿がくっきり浮かび上がった。
 紅葉は今が盛りで、八方尾根全体が赤や黄色のじゅうたんを敷いたようなあでやかさ・・・・・・・
 さすがに連休とあって、大勢の観光客がゴンドラと二つのリフトを乗り継ぎ、標高2000mの尾根中央部へ
押し掛けていた。本格的な登山の用意をしていないので、散策路をしばらく歩いて、アルプスの絶景を楽しんだ。
 
 下り道で、何やら人だかりができている場所があった。何だろうと思い、近寄ってみると、なんとドラマの
ロケであった。山岳救助隊の活躍を描くシリーズもののドラマで、白馬岳周辺がいつも舞台になるサスペンス
ドラマ(北アルプス山岳救助隊 紫門一鬼)である。主演は高嶋政宏さん、何とその高嶋さんが目の前で
演技をしていたのだ。驚きの出会いであった。
 
 紅葉も十分見られたし、北アルプスの山もしっかり見ることができた上に、ドラマのロケ現場にも立ち合う
ことができて、まさに「ラッキー!」であった。
 まもなく山には雪がやってくる。その前の姿をしっかり目に焼き付けて無事に下山した。





山の幸
 「シイタケが採れたで、食べてみねぇかい。」・・・・蜂蜜やキノコづくりの名人で、山里暮らしの師匠と仰ぐ
おじいちゃんが朝やってきた。毎朝早く山へ入ってキノコの収穫をしている。
  
 見ると驚くほど大きなシイタケと「モトアシ」という天然のキノコ(正式名称はナラタケ)を山のようにいただいた。
「モトアシは、根っこを切って1,2日干すだ。そうすりゃ、炊き込みごはんでも鍋でもおいしいだよ。カラカラに
しときゃ、1年は保存できるだで。・・・・」ありがたい。これぞ「山の幸」、この秋、おじいちゃんからはマイタケ、
ナメコ、奥さんからは野沢菜、大根、ささげ豆などを山のようにもらっている。自家製の蜂蜜もたくさん買わせて
もらった。我が家のすぐ上にある畑も「あちこちに畑があって行くのが大変だから・・・」と使わせてもらっている。
 間もなくこのおじいちゃんの炭焼きも始まるだろう。素材の持つ味とおじいちゃんの温かい心をおいしくいた
だいている。山里は日一日と紅葉も進み、秋が真っ盛りである。





落下
 最近我が家の裏山で、しばしば「ボトッ」という音が聞こえる。何だろうと気になって、そのあたりに行って
みた。正体は「胡桃(クルミ)」であった。小谷村のいたるところに自生していて、別にめずらしい木ではない。
我が家の裏にも大木があって、その木の熟した実が落下する音であった。
 
くるみ・・・・以前はビールのつまみに時折食べるくらいで、馴染みのうすい木の実、それがここでは拾いきれない
ほど落ちてくる。人類は紀元前7000年ごろから食べていたそうで、この食用種は「オニグルミ」と言う。
 殻はかたいが、何とか割って中の実を取り出そうと拾い集めてみた。箱にいれて一晩外に出しておいたら、
朝になって量が減っている。よく見ると、食べ荒らした跡があり、草をかき分けた”けもの道”も見える。
さては、だれか「お客さん」がやってきたな。こんな御馳走が目の前にあったのでは見逃す手はないだろう。
幸は分け合うのが山里の掟、まあ仕方がない。
 ほかにも落下してくる山の幸がある。「山なし」という、梨の原種である。集落の入口に樹齢何百年という
古木があって、この時期道路にたくさんの実を落とす。食用にはならないが、ほのかに梨の味がする。
 以前、宮沢賢治の作品で「やまなし」という短編を読んだことがある。熟したやまなしの実が川に落ちてくる
場面があったが、こんな実が落ちてきなんだなあ、となつかしくなった。
 クリ、ドングリ、クルミ、ナシ・・・・・満ちて落ちてくるものを「幸」として分け合い、やがて姿を見せる”冬”に
備える山里の暮らしがある。





めずらしい
 集落の知り合いの人から”熊肉”をいただいた。熊・・・・・ツキノワグマである。
 今は保護獣なので勝手に捕獲することはできないが、県の許可を得て捕殺された熊なので「密猟」では
ない。もちろん食べるのは初めてのこと、「これはどうやって食べるのがおいしいんですか?」と聞くと、
「鍋だね。味噌と醤油と砂糖で味付けをして、あとは野菜を適当に入れればいい。肉は固いから、
圧力なべで煮るとやわらかくなる。」・・・・・・・とのこと。
 さっそく作ってみた。かたいというイメージがあったが、圧力なべを使うとなるほど、柔らかい。
 味もそんなにクセがなく、なかなかの美味であった。
 今年も県内のあちこちで熊の出現や被害のニュースが流れている。小谷村や白馬村でも目撃されたらしい。
さいわい、まだお目にかかったことはないが近所の人の話では今年も見たという。近くにいることは間違いない。
 おいしく食べておいてすまないが、願わくばずっとお目にかかりたくない相手である。





酒を味る会
 小谷村は古来より「杜氏(とうじ)」の村である。”小谷杜氏”として全国の酒蔵でおいしい酒を造ってきた
という歴史を持つ。現在も数人の杜氏さんが現役で酒を造っている。そのうちの二人が私の住む集落の
人だ。「こんど、村で”小谷杜氏の酒を味る会”があるで、来てみねぇかい?」と、その杜氏さんに誘われて
行ってきた。会場は村役場の中、近隣の酒造会社が小谷杜氏の造った純米酒や吟醸酒を持ち寄り、試飲
をするという催しである。村内にあるホテルや道の駅、寿司屋などのシェフや板長、料理人が腕をふるった
オードブルも所狭しと並べられた会場で「味る会」が始まった。参加者は約200人・・・・・・
 
 どのメーカーも自慢の純米酒や大吟醸酒を惜しげもなく飲ませてくれる。酒好きにはこたえられない。
7,8社のコーナーを一通り回って試飲したが、哀しいかな、いつも”安酒”ばかり飲んでいるので、おいしい
ということはわかるが、どれがどこの酒なのか、吟醸酒や純米酒の違いなど、さっぱりわからない。
 まあ、滅多に呑めないおいしい酒を腹いっぱい呑ませてもらえたので、大満足である。
 よく考えてみると、役場の中で、ただ酒を呑むことだけが目的のイベントを開くというのもめずらしい。
村長や議会の議長、県会議員の姿も見えた。さすが杜氏の村だ、と一人で納得したのだが、
 田んぼで米の収穫が終わると、杜氏さんたちはそれぞれの酒蔵へいってまた新しい酒の仕込みが始まる。
 豪雪に見舞われる間の季節労働から始まったという小谷の杜氏、各人こだわりの酒がまたできることだろう。





冷え込み
 天気予報は当たるものである。昨日、この秋一番の冷え込みになる、と言っていた通り、今朝の外気温は
4度」・・・・・九州では真冬の温度である。たまらず、昨日からこたつとストーブを出して初始動。
 まだ9月の終わりである。これから先いったいどうなることか・・・・・
 北アルプスの山並みを見てさらに仰天・・・なんと白くなっているではないか!初雪である。
  
              白馬乗鞍岳                       五竜岳(頂上付近は真っ白)
 昨年は10月の中頃だったのだが、約1か月早い初冠雪である。このまま冬になるわけではないだろうが、
それにしても・・・・・・・
 長期予報では、長野県はこの冬は暖冬傾向だと報じていたが、一番北に位置する小谷村なのでどこまで
当たるものか、迎えてみなければわからない。
 この寒気の流れ込みを境に、信州は一気に秋が進むらしい。まもなく紅葉の見ごろとなることだろう。
 秋の向こうに「冬」が見え始めた。





秋です
 9月も半ばを過ぎ、山里には秋が駆け足でやってくる。
 クルミの葉が黄色くなって散り始め、ケヤキもこずえから色変わりをはじめた。時折出会うリスも忙しそうに
クルミの実やドングリを集めている。
 雨が降った次の日に山道を歩くと、たくさんの「クリの実」が落ちている。自生しているわけではないだろうが、
ありがたく頂いている。山の恵みである。
  
 アケビの実もあちこちで熟し始めた。こちらもありがたく頂戴している。
 地元の人たちと話していると、「秋がくると、次の雪のことが頭に浮かんでしまうだ。のんびり紅葉を楽しむ
という気分にはなれねぇな・・・」ということらしい。その気持ち、何となくわかるような気がする。
 秋の好天の日を逃さず、漬物をつけたり、屋根のペンキ塗りや補修、キノコの収穫、除雪機の点検などを
始めなくてはならない。昨年は10月の20日過ぎに北アルプスの山々に初雪が降って冠雪した。
 本当に秋は駆け足なのだ。地元の人たちに遅れてはならない、と少しずつ準備を始めている。





初体験
 尊敬する集落の師匠から「明日、稲刈りに行くでよかったら手伝ってもらえねぇかい?」とお誘いが
あった。この師匠、小谷杜氏の一人で、今でも現役でお酒を造っている人・・・・・・
 耕作する人が減って、田畑が荒れていくのが見ていられないといって、あちこちの田でコメ作りを
やっている人でもある。足手まといになるかもしれないが、手伝わせてもらうことにした。
 行先は自分の田ではなく、尾根一つ向こうの谷あいにある田、老夫婦がつくっているが高齢のため
自分たちで稲刈りができないので、この師匠に依頼したのだという。家から20分のところに田があった。
 8時半、コンバイン(稲刈り機)はすでに田んぼに届いていて、さっそく稲刈り開始。
 見る見るうちに実った稲が刈り取られていく。私の仕事は、袋にいっぱいになったモミを機械から
外し、軽トラックに積み込む作業、一袋に約30キロ、それを20袋くらい積むと一旦集落にある師匠の
作業小屋へ搬送、(ここには大きな乾燥機などが設置されている)折り返しまた戻って積み込み・・・
 すべての作業が終わったのは午後4時、刈り取った稲は乾燥機で乾燥させ、玄米にして依頼者に
届けるのだという。この師匠、こんな依頼をたくさん受けていて、これからあちこちの田で同じような
作業をする予定だと聞いた。棚田が広がる美しい景色だが、最近は高齢化が進み、米づくりをあきらめる
人も多いと聞く。「棚田オーナー制度」なるものも最近始まった。棚田のオーナーを募集して、米を作って
もらうというもの、俳優の永島敏行さんも協力してくれているそうで、近々稲刈りのために小谷村に
やってくる。みんなで何とか山間地のコメ作りを守ろうという取り組みのお手伝いができて、大満足の
一日であった。30キロ入りの袋を約40袋、積み下ろしたことになるが、この作業だけ見ても、米づくりが
いかに大変かということを身をもって知ることができた。
 また声をかけてくださいと師匠に頼んでおいた。山里での初体験がまた一つ増えた。





舞台
 テレビのサスペンスドラマを見ていると、北アルプスの山岳を舞台にしたものが結構多いことに気付く。
その中でも特に登場回数が多いのが「白馬岳」周辺だ。どうやら撮影機材などを運ぶ都合で、穂高岳や
 槍ヶ岳などは敬遠されるのだろう。山を舞台にするのはいいのだが、内容が”殺人事件”となると、
ちょっと違和感がある。おまけに「長野県警白馬警察署」なる架空の警察署が登場したり、
今は空き家でだれもいない山小屋が「○○ヒュッテ」などというシャレた名前の小屋になって出てくると、
「あれっ?」ということになる。
 舞台となる山の稜線や岩場は、麓からゴンドラやリフトで行ける八方尾根がよく使われているようで、
見覚えのある景色が出てきたりする。小谷村では栂池自然園や小谷温泉が使われるようだ。
 ドラマのロケ地になった所に住んでいる人たちは、みんな同じような感想を持つのだろうと思う。
 麓からのアプローチが便利で、ゴンドラなどに乗れば一気に2000m近い所まで行けるので、おそらく
これからもたびたびドラマの舞台になることだろう。
 願わくば、殺人事件などではなく、もっと心温まるドラマの舞台として紹介してほしいものだ。





使ってはいけません
 秋風が感じられるようになった。朝晩は10度を下回る日もあり、山里はいよいよ秋である。
我が家の庭にこんな花が咲いた。
 「トリカブト」である。言わずと知れた猛毒の野草で、1本の草で何人もの致死量の毒があると聞く。
花は薄むらさきの可憐なものだが、なぜ進化の過程で毒をもつようになったのか、不思議な野草
である。長野県の高原では今野生のニホンジカが増えて、高原の草花や高山植物を食い荒らす
被害が出ているが、さすがのシカもこのトリカブトだけは食べずに残すので、最近トリカブトが増えて
いるそうだ。我が家の近くの山野にも多く自生している。「そんなもの植えてどうするだ。」と近所の
人には笑われているが、こんな花などお目にかかったことがないので話の種に植えている。
 時代劇で「一服盛る」とか「毒を盛る」という場面で使われたのはみんなこの「トリカブト」だが、
ゆめゆめ使ってはならない花なのである。





郷に入る
 田舎暮らしを始めてわかったことがある。自分の都合でこの地に住むことを決めたのだが、周囲の
地元の人からみると、「ぜひ来てくれ。」と頼んだわけではない、ということ・・・・・・・
 波風を立てずに平穏に暮らしていたところに、いきなりやってきて自己流の生活パターンでかき回された
のではたまらない。バスに乗るために整然と並んでいたところに、急に割り込んできた人を想定すれば
よく分かる。だとすれば、遅れてやってきた移住者が心しておかなければならないことは、その地の空気を
いたずらにかき回さない、ということ・・・・都会のマンションや住宅地なら隣近所にさほど気配りはいらない
のだろうが、田舎では地元の人たちが吸っている空気を、少し分けてもらって吸うくらいの気持ちが必要
だと感じる。その場所が長い時間をかけて育んできた”歴史”を尊重する気持ちと言ってもいいだろう。
 生きることに関しては、ただ教えを乞う、温かく接してもらえたことには感謝の気持ちを忘れない、住まわせて
もらっているという謙虚さを土台にして自分の生活パターンを作っていく、 冠婚葬祭や神事、仏事、共同作業
などには進んで参加する・・・・・・
 自分たちが地元の一員として、必要な存在だと認めてもらえるには時間がかかるのが当然だ。それは無理だ
と思えるなら、残念だが田舎暮らしは断念したほうがよい。
 昔の人はこんな心得を「郷に入れば郷に従え。」と教えた。言い得て妙なる名言である。





山の幸
地バチが捕れたが、いらねぇかい?」・・・・近所の仲良しの人が汗びっしょりになりながらやってきた。
聞けば集落のなかで地バチの巣をみつけて、今しがた掘り出してきたところだ、という。この時期、地中に
巣をつくるので「地バチ」と呼ばれるが、「クロスズメバチ」が正式な名前のようだ。
 これをどうするのか・・・・・もちろん食べるのである。山国の信州では昔から貴重なタンパク源として
珍重されてきたそうだ。長野県の名産品にもなっている。
  
 さて、いただいたのはいいが、こんなもの、今までに食べた事がない。というより、蜂の幼虫など、食べる
ものではない、と思っていた。一応食べ方は聞いてわかっていたが、いざ自分でやるとなると・・・・・・・
「ピンセットで中の幼虫をつまみだして、油をひいたフライパンで塩こしょうで味付けしていためるだ。
ミョウガの葉にくるんで焼いて食べると、こりゃ珍味だで。」そう言われて、ピンセットで巣の中から1匹ずつ
幼虫を取り出し、フライパンでいためて食べてみた。食感は”干しブドウ”を食べている感じだが、食べ慣れて
いないせいか、あまりたくさんはいただけない。
 先日から集落の集まりや作業のとき、さかんにこの地バチのことが話題になっていた。あそこは大きいとか、
あそこは去年捕ったからだめだろう・・・・・などと、大の大人たちが目の色を変えて蜂の巣さがしに走り回る。
 古老から聞いた話が思い出される。・・・・・・むかしはこんな山の中だで、魚や肉はめったに手に入らない。
だから、身近なところにいる動物や虫たちがその代わりになっただ。蛇も食べたし、蜂の子などはごちそう
だっただよ。子どもたちは遊びのなかで蜂の巣捕りをやったもんだ。ここらの衆も子どものころからそんなもの
を食べて育ってるで、今でも蜂の巣と聞くと”血がさわぐ”だよ。・・・・・・・・
 蜂が貴重なタンパク源だったという話は聞いていたが、こうして実際に目にすると、あらためてその意味が
わかる。これも大切な「山の幸」なのである。




追い払う
 知らないことが多い山里暮らし、今回は野菜を食い荒らす害虫について・・・・・
この虫、どう見ても「テントウムシ」だが、実は野菜を作る人たちにとっては憎き”敵”なのである。正式な
名前は「ニジュウヤボシテントウムシ(二十八星天道虫)」、通称「テントウムシダマシ」という。
 本物のテントウムシはアブラムシなどを食べてくれる益虫なのだが、この”ダマシ”だけは野菜の葉や実
を食べる厄介な奴なのだ。ジャガイモやナス、トマトが大好物・・・・・始末が悪い。
 はじめは我が家の畑のジャガイモの葉に大発生した。1枚の葉に3,4匹ずつはいたから、相当の数で
あった。ジャガイモを収穫すると、行き場を失ったのか、次はナスとトマトにやってきて、手当たりしだい
葉や実を食い荒らす。ナスなど、大きな葉があっという間に見る影もない無残な状態になる。
 困ったものだと思いながら、初めは1匹ずつ手で捕獲していた。しかし、半端な生息数ではない。とても
手でとっていたのでは間に合わないと悟った。集落の人に聞くと「ああ、薬を撒くだ。農協に行けばあるだよ。」
という。農薬は出来るだけ使いたくはないのだが、このままだと野菜は全滅・・・・・・仕方なしに農協で
薬を買ってきた。散布すると効果はてきめん、次の日に見ると1匹もいなかった。しかし、しばらくして
薬の効果が切れるとまたやってくるそうだ。誠に厄介な訪問者である。
 しばらくはこの”ダマシ”君との格闘が続きそうだ。店やスーパーに並ぶナスやトマトをかつては当たり前に
食べていたが、農家の人にはこんな陰の苦労があったのだとあらためて知らされた。





夏祭り
 わずか20戸あまりの小さな集落の”夏祭り”は、街では信じられない手作りの祭りだ。宵宮と呼ばれる前日
は、朝5時に全員集合、鎮守の宮である「諏訪神社」の下にある公民館を舞台に作り替える。
 集落の人々は手慣れたもので、雑談を楽しく交わしながら手際よく準備を進めていく。一緒になってテント
  
を張ったり、舞台づくりをしたり・・・・・朝飯前の1時間で、あらかたの準備ができあがった。
 朝食後、残った作業を片づけ、準備ができたところで、酒盛り。「これが楽しみでやってるだ。」という
人たちに交じって舞台の上に車座になってお酒をいただく。酒がすすんである人から「これからもよろしく
頼むだ。おらたちの”仲間”だからいっしょにやっていこう」と声をかけられた。”仲間”だと言ってもらえたのは
初めてのこと、うれしかった。9時ごろから延々4,5時間飲み続けた。「神様も酒が好きだから、一緒に飲んでる
だよ。酔っぱらうと喜んでくれるだ。」そういいながら、みんな完全にできあがってしまった。
 さて、夜の8時から宵宮の祭り、演芸会が始まる。毎年恒例の「獅子舞い」、神に奉納する舞いだそうで、
素朴な動きの中に何か歴史を感じさせる。続いて地元の太鼓集団の力強い演奏、韓国の女性歌手の歌など、
とても20戸の集落がするお祭りとは思えない盛り上がり・・・・賑やかに呑み、歌い、騒いで宵宮は終わった。
 次の日はお宮の神事、神主さんもやってきて小さなお社の中でおごそかに行われた。
午後からは「打ち上げ」と称して再び飲み会、よほどの酒好きの神様らしい。「昔はもっと盛大にやっただよ。」
という祭りも、年々規模が小さくなってきたそうだ。素朴で荒削りだが、これが本来の鎮守の祭り、神とともに
生きてきた集落の歴史を思いながら、楽しく参加させてもらった。
 この祭りを境に、集落の短い夏が終わり、秋をむかえる。朝晩はめっきり冷え込むようになった。





実り
 お盆を過ぎて、山里は急に秋の気配が感じられるようになった。朝の気温は10度、半袖ではとても寒くて
いられない。クルミの木からは黄色く紅葉した葉が落ち始めた。短い夏が終わり、いよいよ秋を迎える。
 さて、我が家の畑も実りの時期を迎え、毎日収穫作業に追われている。
 防御ネットを張ったおかげで動物たちの餌にならずに済んだトウモロコシ、近所の人たちからほめられた
ナス、採りきれないキュウリ、水の管理に苦労したトマト、動物たちに派手に食べられたマクワウリ、
ピーマン、オクラ、カラーピーマン・・・・・・・・他にもメロン、ささげ豆、きぬさや、大根、ニンジン、ほうれんそう、
ジャガイモ、さつまいも、大豆、あずきなど・・・・・・・
 秋の気配とともに、そろそろ秋植え野菜の準備が始まる。振り返れば種を植えた5月から、毎日畑に足を
運び、水やり、草抜き、肥料、消毒と汗を流してきた。苦労の見返りは想像を超える収穫であった。
もう一つ、集落の大先輩のおばあちゃんたちから「おめぇさんとこの畑はよく出来てるだ。素人にしちゃ、立派な
もんだよ。」とほめてもらったこと。それが何よりのご褒美であった。
 経験してみて、いろんな知識や技術を今年も学べた。来年はもっとうまくやれることが増えたように思う。
「大地の恵み」に感謝、感謝・・・・・・・





自衛
 山里では不可抗力ともいえる”鳥獣被害”・・・・丹精込めた野菜や果物が食べごろになるのを見計らって
やってくる。我が家の畑も例外ではない。トマトが赤くなりかけたころに、トウモロコシもそろそろ食べ時かな
と思ったころにみごとにやられた。近所の人の話では、タヌキかハクビシンではないか、という。
 そこで、集落の畑を見習って防御をすることにした。防御ネットを張り巡らせるという作戦である。
 ホームセンターへ行くと、ちゃんと「獣害防御ネット」と銘打った商品が並んでいる。これをトウモロコシと
トマトの周囲に張り巡らせた。問題は効果であるが、OKであった。今のところ被害なし。ただ、囲っていない
メロンやウリは思いきり食べ荒らされたいたが・・・・
 同じ山里に住む同志だとは言っても、これだけは腹が立つ。彼らにも生活はあるだろうが、汗も流さず、
他人のものを失敬することは許されない。見つけたら説教をしてやろうと思っているのだが、姿を見せない。
 おじさんを怒らせると、次は「高圧電気柵」が登場するぞ!心して我が畑に参れ。





農道のベンツ
 街中では必要ないだろうが、田舎や農作業には欠かせない乗り物といえば「軽トラック」・・・・・・・・
どんな悪路も狭いあぜ道も走破できる優れた車である。集落の家々には必ず1台はあるこの車が、ついに
我が家にもやってきた。
 「ほう、とうとう買っただか?」集落の人が出あうたびにそう声をかけてくれる。必要ならうちの車を使って
もいい、とこれまでに何人もの人に言ってもらっていたのだ。そうそう甘えてばかりはいられない。
 何台も乗り換えた我が家の車の歴史の中で初めての”新車”である。クーラーをつけますか、と店の人に
聞かれたが、ここではそんなものは必要ない、天然の風で十分である。もちろん冬を考えて4WD。
 問題はオートマチックではなく、ギアとクラッチのついた”マニュアル車”だということ・・・・オートマチックに
すっかり馴染んでいるので、昔を思い出しながらのギアチェンジに苦労している。冬の必需品であるスタッド
レスタイヤもつけてもらった。”農道のベンツ”・・・・・昔そんなキャッチフレーズがあったが、たしかに山道や
林道では”高級車”である。本物のベンツには手が届かないが、山里ではこれで十分である。





旅の人
 先日紹介した哲学者 内山節さんの著述から再び・・・・・・・・
・・・・・・いまでも各地の村には「風の人」とか「旅の人」という言葉が残っている。
普通は「外」から来て村で暮らしている人々をさす。それは一面では「よそ者」を意味しているが、
しかし「よそ者」だからといって必ずしも歓迎されない人のことではなかった。「よそ者」は地域に
新しい風をもたらしてくれる人でもあった・・・・・・
 最近、集落のあるおばあちゃんから私たちは「旅の人」だという話を聞いた。別に旅をしているわけ
ではないのに・・・と思って腑に落ちなかったが、これを読んで納得できた。別に旅人という意味ではなく、
よそから来て住み着いた人、という意味だったのだ。”新しい風をもたらしてくれる人”になれるのかどうか
は自信はないのだが・・・・・・・・
 「旅の人」はその村落での様々な行事に参加することがあたりまえである。私の住む集落には、驚くほど
たくさんの神々や仏さまたちがいる。内山さんの説によると、かつては必要なすべての信仰の対象が村
落の中に存在していたそうだが、ここも例外ではない。諏訪神社、秋葉様、三峯様、権現様、水神様、
地蔵様、子安観音、阿弥陀様、それにご先祖様・・・・・あらゆる方面にご利益のある神や仏が大切に
祀られている。その中で今日は「秋葉様」のお祭りであった。秋葉様とは静岡県浜松市のある秋葉神社
のことで火除け、火伏せの神として江戸時代から信仰を集めた神さまである。
 集落の秋葉様は村の外れの山の中にある。しかも相当高い場所なので、滅多にお参りする人もないと
のこと、まずは午前中参拝する山道の草刈りと階段づくり、社殿まわりの掃除、午後からみんなでお参り
して、そのあと社殿前でお神酒をいただくというもの。
   
 大きな岩の下に秋葉様が祀られていたが、社殿の中には冬の間リスが住み着いていたらしい。また
すぐ横にはカモシカの住んでいた痕跡が残っていた。きれいに掃除をして持ち寄った米と塩を供えて
お参り・・・・・・社殿前での宴は惜しくも雨のため、麓の公民館に場所替えになってしまったが、集落の
人たちと一緒に汗を流し、お参りもさせてもらい、宴にも参加して有意義な一日であった。
 ”旅の人”・・・・・何だか時代劇に出てくるような呼び方だが、いたく気に入っている。





周波数
 日常使う家電製品には、電源となる電気の「交流周波数」が決められていることをご存じだろうか。
 日本には現在二つの規格があり、おもに西日本地域は”60ヘルツ(Hz)”、東日本地域は”50ヘルツ”
となっている。基本的には50ヘルツ対応の電気機器に60ヘルツの電気を流すと不具合が起こるのだが、
最近の家電製品にはどちらにも対応するものが多い。
 50ヘルツと60ヘルツを分ける線がくしくも”フォッサマグナ(糸魚川・静岡構造線)”とほぼ一致している。
(青・・・60ヘルツ区域  赤・・・・50ヘルツ区域)
 明治の初め、電気を導入したときに、関東を中心にドイツ製の発電機(50ヘルツ)を使用、関西では
アメリカ製(60ヘルツ)の発電機を使ったためにこのような区分ができたそうだ。こんな面倒な区分を
やめて一本化すればよいと思うのだが、どちらか一方の発電機をすべて交換しなくてはならないので
現実的には不可能だそうだ。ややこしい話である。
 さて問題は信州、境界線上にある小谷村では一体どちらなのか・・・・九州から引っ越す前、家電製品
が使えないのでは困ると思い、管轄の中部電力に電話で確かめてみた。「小谷村?ああ、小谷村なら
九州と同じ60ヘルツですよ。山ひとつ越えると50ヘルツになりますが・・・・」とのこと。
危ういところで家電製品の規格が同じだとわかり、一安心であった。しかし、同じ小谷村の中でも
新潟県に近い一部の地域では50ヘルツなのだそうだ。電気製品など、日本どこへ行っても使えると
思っていたが、そうもいかないらしい。これから移住を・・・と考えている人はご注意を。
地形だけでなく、電気でも境界線の上にある小谷村である。





水仙街道
 昔から川筋に連なるいくつかの集落がまとまって共同体を営んでいる。5年前から長野県と提携して集落を
つなぐ県道を”水仙街道”と名づけて、路傍に水仙を植える活動に取り組んできた。今年も各家から持ち寄った
スイセンの球根を手分けして植えた。総延長5キロにも及ぶ県道に、雪解けの4月、黄色いスイセンの花が
びっしりと見事に咲き揃うとなかなか見ごたえのある風景になる。
  
 一応「県道」ではあるが、限られた県の道路予算で補修や拡幅工事をするため、十分とはいかない。
そこで、必要な資材は県が提供するが、労力は地元でまかなう、という方式が最近広がっている。
 建設事務所の話では、この地区の水仙街道の取り組みは評価できる、すばらしいものだそうだ。
 スイセンを植えるだけでなく、道路にはみ出した樹木の枝切り、スイセンだけではさびしいからとアジサイ
の植栽、雑草の草刈りなども活動に含まれる。大変な仕事量ではあるが、手を入れたあとのきれいになった
道を見たり通ったりしたときの躁快感は格別である。汗を流しながら、地元の人たちと交流できるのも楽しみで
顔を覚えてくれた人も増えて、気軽に声をかけてもらえるようになった。
 今年植えた球根は、来年の春にはきっときれいな花を咲かせてくれるだろう。気持のよい汗を流せた1日
であった。





収穫
 我が家の畑も収穫の時期が始まった。キュウリ、ナス、トマト、きぬさや、大根、ジャガイモ・・・・・・
先日、心配していた”お客さん”がやってきた。”彼”はようやく実り始めて、実が膨らんできたトウモロコシを
4,5本根こそぎ倒して、実をかじったようだ。あたり一面、食べ散らかした茎や葉が散乱・・・・・
 正体は不明だが、地元のおばあちゃんに話すと、「そりゃ、サルかムジナだわ。カモシカもやってくるで。」
そのおばあちゃんの畑のトウモロコシは、背丈くらいの網が幾重にも張り巡らされ、さしずめ「城壁」のような
厳重な防御、こうしなくちゃいけないのか、と思っていると「これでも、サルがきたらダメだわ。乗り越えて
入ってくるで。」とのこと、まさにこれからの収穫の時期は”彼ら”との知恵比べになる。
 ジャガイモは豊作で、我が家の一年分は十分に採れた。去年のイモを食べきれずに放置しておいたら、
春先小さなイモから芽がたくさんでていたので、それを種イモにしたものだ。
   
大根はもう子どもの足の太さくらいになっている。礫質の土地なので、畑は石ころだらけ、場所によっては
こんな恰好の大根になってしまう。必死で根を張ろうと頑張っていたにちがいない。捨てずにこれもおいしく
いただくことにする。メロン、ウリ、インゲン、大豆、さつまいも、カボチャ、キャベツ、レタス、ニンジン、ピーマン、
オクラなども順調に生長している。「大地の恵み」とよく言われるが、その意味を実感しながらしばらくは収穫が
楽しめる。自給自足とはいかないが、まずはこれも”仙人修行”の一つであろう。





奴奈川姫
 奴奈川姫(ぬなかわひめ)・・・・・・・その昔、高志(越)の国、現在の新潟県糸魚川市から中越市あたりを
治めていた豪族の娘で、出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)に見染められ、諏訪大社の祭神「建御名方命
(タケミナカタノミコト)」を産んだ母である。糸魚川は全国でただ一か所”硬玉(ひすい)”を産出する場所で、
大国主命も当初はこの”ひすい”を求めてやってきたといわれる。
    
 (奴奈川姫と建御名方命)     (集落の諏訪神社)              (於知与宇塚)
 父の死去の知らせを聞いた大国主命は急遽出雲に帰ることになったが、妻の奴奈川姫にも同伴を求めた。
しかし、出雲には何人かの妻が既にあり、出雲への同伴は断った。大国主命は家来に命じて、力ずくでも探して
連れてくるように、と申しつけて出雲へ帰って行った。そこから奴奈川姫の追手からの逃避行が始まる。
 追手を逃れて小谷村までやってきて、私の住む集落の近くの川の淵に身を投げたと言われるが、これは
どうやら”影武者”であったらしい。(その川は「姫川」となり、その場所は「姫ヶ淵」と呼ばれている。)
 姫には屈強な影武者が20人くらいと、幼い頃から仕えている従者がいっしょだったという。
 その後、追跡を諦めた追手が去るのを見届けて、故郷の山奥でひっそりと余生を送ったといわれる。
 これが奴奈川姫にまつわる伝説だが、私の家のすぐ上にある「諏訪神社」の境内に「奴奈川姫の腰元 於知
与宇塚(おちょうづか)」と刻まれた大きな石碑がある。なぜそんなものがここにあるのか、不思議であった。
 集落の古老に聞いてみたが、「昔、奴奈川姫が亡くなったとき、遺体を戸隠神社へ運ぶためにこの集落を
通ったが、腰元のおちょうさんがここで倒れたらしい。」としかわからない。奴奈川姫や大国主命の話は
どう考えても5世紀、古墳時代の頃のこと、今から1500年も前の話がこうして今も残っていることに驚く
ばかり・・・・・文献もない今となっては、真偽のほどは確かめようがないが、石碑が残るというからには、
この集落に代々語り伝えられてきた話なのであろう。奴奈川姫やおちょうさん、いったいどんな人たち
だったのだろう。できれば一度会ってみたいものである。





 民衆思想
 哲学者内山節さんの「風土と哲学」におもしろい話が載っていた。日本の伝統的な地域を形作ってきた
”民衆の精神構造”をテーマにしたもので、なるほど、と思うことが多い。
 その中の一つ、「敵を退治するのでなく」から・・・・・・・・
・・・・・・日本の伝統社会では、地域から悪霊を追い払う行事がよく行われていた。その中で今日一番残って
いるものと言えば”道祖神信仰”であろう。(中略)道祖神は普通、村の入り口や家の玄関の前に祀られている。
            
そこから悪霊が入ってくるのを阻止してもらう神様である。どうやら道祖神自身も悪霊らしく、悪霊の力で
悪霊を追い払ってもらおうというのが道祖神信仰なのだが、ここでも悪霊は退治されない。追い払うだけで、
しかもどこの村でも同じことをしているのだから、現代の合理主義的な考え方に慣れ親しんだ人間には、
これで何の解決になるのだろうかと思ってしまう。
 どうやら伝統社会の人々は「敵」を退治することより、「敵」とうまく折り合いをつけることを好んだらしい。
いまでも行われている節分の豆まきをみても、鬼を追い払うだけで退治はしないのである。・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なるほど、「退治するのではなく、追い払う」という精神、そう言われてみれば正月にするドンド焼きも
賽の神(道祖神)の祭りだし、悪霊を火の力で追い払うと聞いた。街ではすっかりそんな感覚は消滅して
しまっているが、山深い里では現在進行形なのである。「迷信だ、そんなバカな話はない。」などと否定
するのは簡単だが、山里で暮らしていると不思議にどこかで受け入れようとしている自分に気付く。
あちこちに苔むして佇む石仏たちや言い伝えを見聞きしていると、そんな民衆思想がたしかに村の風土や
精神を今でも支えていると素直に思えるからだ。





招かざる客
 標高800mの山里での暮らし、特に夏は最高である。平地では連日30度を超える暑い日が続いている
そうだが、ここではそこまで上がることはまずない。朝晩は涼しいを通り越して”寒い”と感じることさえある。
 さすがに日中の日差しの中にいれば暑くて汗も出るが、日陰や家の中は快適な温度になる。
 ムシムシするということもなく、風は乾いていてさわやかだ。
 冬、豪雪の中4ヶ月もじっと我慢の生活を強いられているのだから、夏くらいは快適な暮らしをさせてやろう、
という神様のサービスなのかも知れない。
 この気候のおかげで、”蚊”や”ゴキブリ”は全くいない。あのいやな”ブーン”という蚊の襲来に悩むことも
ないし、床や台所を走り回るゴキブリにお目にかかることもない。これも快適な環境と言える。
 しかし、ただ一つ、”招かざる客”がやってくるのが難点・・・・・・その名は「ウルル」。
 正式な学名はあるのだろうが、このあたりの人は「ウルル」と呼んでいる。
 アブの仲間で、水のきれいなところにしか住まないという、厄介ものだ。アブの仲間なので「吸血性」がある。
これに刺されると、はじめは痒いだけだが、2,3日の間赤くはれて痛い。日中だけ活動するので夜は心配
ないのだが、畑などでこれに襲われるともうパニック・・・・・
 まあ、どこに行ってもいいことばかりではない、ということだろう。まだ今のところ見ていないが、間もなく
現れるにちがいない。夏はこのウルルと戦うことが里人たちの宿題である。





陸の孤島
 小谷村は山の中の村だが、文明の利器「携帯電話」は十分に使える。だが、その小谷村の中でも、
2地区だけは電波が届かなくて使用できない。そのうちの1か所がなんと私の住む集落・・・・・・・
 以前、九州の知人に「携帯電話は使えない」と話すと、「いったいどんな山奥に住んでいるんだ?」と
少しからかわれたことがある。たしかに、この世の中で、今どき携帯が使えない場所を連想すれば、
人跡未踏の山奥となる。しかし、事実私の住む集落では携帯電話は使えないのだ。集落のみんなで
相談して役場に陳情をした。行政の責任ではないのかもしれないが、役場は動いてくれた。今年中に
アンテナ設置の工事をすることになり、12月ごろから使えるようになるとのこと。
 集落の人が冗談交じりで「使えねぇのに料金が同じじゃ不公平だわ。半分くらいに割り引いてもらわねぇ
とおかしいだよ。」と言っていたが、まったく同感である。
 昔は交通手段の閉ざされた山間地を”陸の孤島”と呼んだが、今は情報が閉ざされた場所をそう呼ぶ。
私の集落もようやくその名前から解放される日が近づいたということになる。





風林火山
 村の公民館主催の”里山紀行”に申し込んだ。今回の目的地は長野市にある川中島の合戦の遺跡を
訪ねる旅・・・・昨年、テレビの大河ドラマで人気の出た風林火山の舞台を歩くというもの。
 村のバスに乗って一路長野市へ・・・・・・
 今回の見学地は、山本勘助が討ち死した場所(勘助の宮)、信玄の弟だった武田信繁(典厩)を弔う
典厩寺(てんきゅうじ)、討ち死した山本勘助の首と胴を清めた胴合橋(どあいばし)、信玄、謙信の一騎打ち
で有名な八幡原、山本勘助の墓所、謙信の攻撃に備えて山本勘助が作った海津城、謙信が陣を張った
妻女山、夜襲を察知した謙信が夜のうちに千曲川を渡ったという雨宮の渡し・・・・・・・・・・
  
            (山本勘助の墓所)                       (海津城から見る妻女山)
勘助が考案した「きつつき戦法」を見破り、いち早く妻女山を下った謙信の話は有名だが、城で急に飯炊きの
煙が多くのぼったのを見て夜襲を察知したという、城と妻女山の位置関係が今回はっきりとわかった。
 妻女山の謙信陣へ夜襲をかけるべく、城から1万2千の兵たちが登ったという山の尾根もよくわかった。
 妻女山から見ると、合戦の戦場となった川中島の全体が手に取るようにわかる。ここがいかに陣地として
優れた場所であったか、納得である。400年以上も前に、この地で戦国時代最多の8000人の死者を出した
合戦が行われた。今は何事もなかったかのように静かな田園風景の中にいると、芭蕉の句がよみがえる。
・・・・・夏草や つわものどもが 夢のあと ・・・・・





恵み
 貸してもらっている畑の近くに大きな梅の木がある。春に満開の梅の花を楽しませてもらったのだが、
先日その木にたくさんの梅の実がなっているのに気がついた。
 目の色を変えた奥方が「これ、もらったらいけない?」と聞くので、「だまってもらうのはよくない。持ち主を
聞いて許可をもらわなくては・・・・」と答えた。このごろ、梅の実をつかって「梅干し」や「梅ジュース」づくりに
はまっている奥方にしてみれば、鈴なりに実が付いているこの木を見逃す手はないのだろう。
 数日後、木の持ち主がわかり、その人に話をしてみると、「ああ、いいよ。好きなだけ持っていっていいだよ。
あんなもの採ってどうするだ?」と笑いながら快く許可をしていただいた。
 その木の持ち主のおばあちゃんが、生前はこの実を集落の家々に配っておられたとのこと、20軒の家に
配れるほどたくさん採れたのだ。さっそく梅の実を採ってきた奥方は大満足。
 梅干し作りの準備が始まった。畑にはそのために「赤シソ」も植えてある。昨年、梅の実を買って作った
ものがおいしくて、すっかりはまってしまっている。これも山の恵み、感謝しながらの収穫であった。
 秋頃には食べられそうだが、落ちて朽ちる運命だった実たちも、喜んでくれているのかどうか・・・・





六地蔵
 集落の入口に「六地蔵」が祀られている。古い街道のあった場所である。地元の人に聞くと、江戸時代
に作られたものだという。
 その六地蔵の並びの少し上手にもう一体、石仏がある。よくみると、子どもを抱いた地蔵さんで、前から
気になっていたものだった。
  
 先日、この地所の地主さんと話す機会があったので、この地蔵さんのことを聞いてみた。
 昔から子どもが欲しいと思う村人が、この地蔵さんに願をかけたそうだ。そして無事に子どもを授かり、
安産で生まれたらお礼参りをしたのだとか・・・・・長い間の風雪で面はかなり分かりづらくなっているが、
ふくよかな、温かさの感じられる面である。きっと何人もの村人たちがこの前で手を合わせ、子宝を祈願
したのだろう。歴史の重さがいやでも伝わってくる。
 見慣れた人には別に何でもない石仏であろうが、風雪に耐え、こうして何百年も安置され続けていることは
驚愕に値することであろう。街中ならきっとお堂が建ち、その中に安置されるのだろうが、このように野の中に
立つのが本来の姿、決して粗末にしているわけではない。こうしてこれからも集落を見守り、そこで暮らす
人々とともに生きていく、愛すべきお地蔵さんたちである。





山の幸
 「今年の蜜が採れたで、よかったら・・・・・」師匠と尊敬するおじいちゃんの蜂蜜が今年も採れた。
別に商売にしているわけではないが、知り合いや近所の人に格安でわけてくれる。「今年ゃまだかね、と
楽しみにしている人がいるだで、休むわけにゃいかねえだ。」そう言っておじいちゃんは頼まれた量の
蜂蜜をビンに詰めていく。
 5合(900ml)入りのこのビン1本が2000円、小谷村の他の店で同量のものを求めれば、3000円以上
はするだろう。純粋な「とち蜜」である。おじいちゃんに聞くと、「ラベルに“純粋”とつけるには、他の花の
蜜が混じってはいけない、中国産の安い蜜が出回っていて、あれにも”純粋”と書いてあるが、ありぁ
インチキだで。」とのこと。冬の間豪雪に見舞われるこの集落でミツバチたちを越冬させることができない
ので、秋の終りに巣箱を全部あまり雪の降らない南部の町へ運んでいるそうだ。春、花の時期にまた
連れて帰って、家の近くで蜜を集めるのだ。大変な作業である。
おじいちゃんから教わった秘伝を・・・・・・・
その一、いい蜂蜜には”賞味期限”はない。このびんのラベルにも「賞味期限 ナシ」と明記されている。
その二、いい蜂蜜は冬寒くなると白く濁って、固まる。温めてやれば元に戻る。1年中やわらかいものは
不純物が多い。・・・・・
 さっそく何本かをお願いして買い求めた。子どもたちや孫たちへのプレゼントには最適である。
 師匠手作りの山の幸を毎日おいしくいただいている。





不埒者
 けしからん話である。先日、村役場の人から聞いた話で、最近村内で石仏や文化財の盗難が多発して
いるとのこと・・・・・盗まれた石仏類はどうやら海外に運ばれ、売られているそうで、一度盗難にあうと
戻ってくることはほぼ望めないとのこと。
 最近、私の住む集落の近くで、道傍に置いてあった地蔵さまが1体盗まれたという。また、古い柱に
施されていた彫刻がはぎとられた例もあるという。
 
 私の住む集落にも数多くの石仏や仏像がある。(上の写真) 造られた年代は不明だが、風化の様子
から江戸時代、あるいはそれよりももっと前のものだと想像できる。また、阿弥陀堂も残っており、中には
古い木製の仏像が安置されている。(木喰上人作)いずれも管理などきちんとしているわけではないので、
その気になれば、だれでも持ち出せる。
 長い間、人々の信仰の対象になり、村や集落、そこに住む人々を見守ってきた石仏たち、それを金に
変えて儲けようなどと考えるのは、言語道断、まったくの”バチあたり”である。
 近いうちにきっと「天罰」が下るだろう。農作業の合間にふと顔をあわせるこれらの石仏たちが、どれほど
疲れをいやしてくれるものか・・・・石仏たちは人々の心の拠り所なのである。





また会えた
 「まだかなあ」と首を長くして待っていた花に、今年もまた会えた。”ホタルブクロ”である。
  
 図鑑で調べるとその分布は全国に広がっているので、別に珍しい花ではないのかも知れないが、私に
とっては特別な花なのだ。信州にあこがれて旅をしているころ、高原にひっそりと咲くこの花に出会って、
一目で好きになってしまった。他の多くの花が空を向いて花を開くのに、なぜか恥ずかしそうにうつむいて
下を向いて花をつけている姿に惹かれたからだ。
 こちらにやってきた昨年、まっ先に苗を買って植えたのもこの花だった。その後、わざわざ買わなくても
山へ行けばあちこちに自生していることを知り、よけいに身近に感じられる花になった。
 キキョウ科の多年草で、色も紫、白、紺と多様だが、自生しているものは紫と白がほとんどだと聞く。
この集落の人たちは「ああ、この花かね。これは”雨ふらし”と言うだ。山へ行けばたんと咲いてるだよ。」
と言って、わざわざ庭に植えている人はいない。それほどにありふれた花なのである。
 道路脇やコンクリートの壁の割れ目、石仏のまわりなどにさりげなく咲いているので、うっかりすると
見逃してしまいがちだが、その気になって探せば結構いろんなところに咲いている。
 園芸種もあるようだが、やはり元は野草、やはり自然の中で見るのが最高だ。近いうちにかごを背負って
山へ行き、苗をたくさんとってきて我が家のまわりに植えようと考えている。
 何といっても、私と信州を最初に結びつけてくれた花だ。愛着は強い。





白馬塩の道温泉
 小谷村、白馬村には温泉が数多く存在する。フォッサマグナの地下深くに閉じ込められたお湯が2500万年
の時をこえて出てくるもので、泉質は”ナトリウム、炭酸水素塩、塩化物泉”がほとんど・・・・・・
 大昔の海水が閉じ込められているので、つまり”塩からい”お湯になっている。
 数ある温泉の中でお気に入りなのが、白馬村にある「倉下の湯」と「おびなたの湯」、ともに日帰りの入浴施設
で、500円の料金で入浴できる。
   
                (倉下の湯)                       (おびなたの湯)
源泉かけ流しであるのはもちろん、露天風呂しかないという造りなので、浴槽から雄大な北アルプスの
山並みが眼前に見える。混雑する季節を外せば、のんびり、ゆったりと温泉と景色を堪能できる。
 白馬方面にお越しのさいにはぜひお立ち寄りを。お勧めの温泉である。
 2500万年前のお湯・・・・・そう思って入るとまた格別の気分になれる。





みずばしょう祭り
 14日から小谷村の栂池自然園で「みずばしょう祭り」という催しが行われている。毎年この時期に行われる
のだが、お目当ては「村民サービス」・・・・ゴンドラやロープウェーの乗車券代が通常は3200円だが、村民
に限って1000円でOK、これはおいしい話である。好天にも恵まれて、さっそく行ってみた。
 栂池自然園は白馬岳や白馬乗鞍岳の山腹に広がる高層湿原で、標高1800mから2000mに位置する。
まだ残雪がいたるところにあり、中には長靴をはいてきている人もいる。お目当てのミズバショウはようやく
咲きかけたところで、息をのむ美しさ・・・とまではいかなかった。
  
あと1週間もすればこの湿原一帯はミズバショウで埋め尽くされる。あちこちに流れる沢には天然のイワナが
群れるはずだ。ミズバショウが終わると、いよいよ高山植物たちが一斉に咲き始め、雲上の楽園になる。
 小谷村といえば「栂池自然園」、と連想する人も多いだろう。小谷村唯一の全国版観光スポットである。
 途中のゴンドラやロープウェーからは、北アルプスの鹿島槍ヶ岳、五竜岳、八方尾根、唐松岳、白馬三山
が間近に見えて、そのスケールの大きさに圧倒される。これはお金を払ってでも一見の価値がある。
 名物のソフトクリームを食べ、正面にそびえる白馬岳に別れを告げて下山した。梅雨明けを待って、こんどは
高山植物たちに会いにこようと思う。





農休みツアー
 「農休みツアー」・・・・・・・・この聞きなれない言葉は、私の住む集落を含む谷筋の7つの集落で構成される
公民館(分館)活動の一つで、田植えなどの農作業がひと段落したこの時期に、骨休めを兼ねてバスで
1日旅行をするというもの・・・・・今年は南部の伊那市にあるイチゴ農園で”イチゴ狩り”、そのあとウィスキー
工場の見学、買い物という計画、小型バス2台で出発した。
伊那市は、中央アルプスと南アルプスに挟まれたところにあり、どちらを見ても3000m級の山々が見える
いいところである。お目当ての農園につくと早速”イチゴ狩り”開始・・・・・・・
1月には食べ放題の入園料が1500円もするのに、6月以降は500円、赤く熟れたイチゴを腹いっぱい食べさせて
もらった。食べ放題とは言うが、そんなに食べられるものではない。
  
 バスの中では終始和やかに会話がはずみ、楽しい1日だった。”農休み”というからには、農業をしておかな
ければ参加資格がないのだろうから、来年も参加するためには、せっせと畑仕事に精を出すしかない。
 また明日から畑仕事に頑張ります。


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