山里日記


         

九州から信州の山奥へ・・・何を血迷ったか、と言われながらも、仙人になる夢を果たすために日夜奮闘しています。その一端を・・・・・・・・


季節感
 畑にトマトやキュウリの苗を植えた。この苗に実がなって食べられるのは7月から8月・・・・・
トマトやキュウリはもともとそういう植物なのだ。しかし、今はその実を1年中苦もなく手に入れることができる。
栽培技術の進歩や農家の努力のたまものである。その一方で野菜から季節感が消えていったのも事実。
 ストーブの入った部屋でトマトを食べることに何の違和感も持たなくなっている自分に気付く。
「それはおかしい、どこか無理をしている。」と気付く”意識改革”をしないかぎり、誰一人トマトやキュウリの
真の味を味わうことはできないだろう。野菜を作ったことのある者なら、みんなそう思うはずだ。
 冬や春にトマトやキュウリが食べられない生活が当たり前で、夏、待ちに待った旬の味としておいしく
いただく・・・・・それが自然というもの。
 食材の高騰が報じられる昨今、細々と土に向き合っていると、そんなことが頭をよぎる。





高山植物
 高山植物として人気のある「ニッコウキスゲ」、あれは夏の高山の湿原などに咲く花だと思っていたら、
なんと、我が家の庭に早くも花をつけた。
 調べてみると、それが普通なのであって、夏の高山の湿原に群生するのは、そこが標高の高い場所で、
春まで雪に覆われていたので開花が7月や8月になるのだそうだ。だから、この時期我が家の庭に咲いた
ニッコウキスゲは自然の摂理に合わせて、ごく普通に咲いたというわけだ。
 同じく、高山植物として知られる「イブキトラノオ」や「オニシモツケ」「チングルマ」なども庭の花壇で開花
し始めている。ホタルブクロもつぼみがふくらんできた。
 夏の高原を旅して見かける、”あこがれの花”たちだった高山植物が、今身近に、ごく当たり前に咲いている。
まぎれもなく、ここは信州なのだ、と思い知らされる。近所の人から「見かけねぇ花が咲いてるだね。」と言われる
が、株を増やして集落のあちこちに植えられたら・・・・と思っている。





健康ウォークラリー
 小谷村の公民館活動の一つとして「健康ウォークラリー」なる催しがあると聞いて参加した。軽い山歩き
だろうと思って参加したが、これがとんでもない誤算だった。約30人くらいの参加者であったが、いずれも
地元の健脚揃い・・・・全行程16キロという、超ハードな道であった。おまけに標高1000m近いところに
ある村の林道が中心、ただひたすら登る。スタッフの青年が背中にロケット花火を束にして背負っていた。
何かのゲームに使うのかな、と思っていたら、途中で点火して音を出す。聞けば”クマよけ”だとのこと・・・・
何日か前、このあたりで熊が出たのだそうだ。(参加者は全員熊よけの鈴の携帯が義務付けられていた)
  
 ようやく行程の中の最高地点に立つと、急に視界が開けて、遠くに新潟の妙高山や高妻山、雨飾山などの
山々が見えた。ここは信州なんだとあらためて感じさせられる風景であった。
 延々と歩くこと6時間・・・・・足が悲鳴を上げるころにやっと麓のゴールに到着。「完歩賞」なるものをいただいた。
 確かに健康のためには申し分のないコースであったが、ここは紛れもなく信州の山国、街の健康ウォークとは
基本的に考えが違うのだと思い知らされた。70歳前後のおじいちゃんも何人か参加していたが、半端な足腰の
強さではない。若いころから鍛える、というのはこういうことなのだと教えてもらった。
 路傍の山野草に励まされながら、16キロの山道をなんとか歩くことができた。





来年の春には・・・・
 「雪がとけたらキノコの原木を何本かお願いします。」・・・・これも山里暮らしの師匠と仰ぐ、林業をやっている
人にまだ雪のあるころに頼んでおいた。先日、それが届いた。ナラの原木で、2m以上もある立派なものが15本、
さて、原木は手に入ったが、これから何をどうすればよいのやら・・・・思い余って先日キノコの菌をうめこんだ原木
をいただいたもう一人の師匠に相談をした。
「こりゃ少し長いで、1m位に切っておくだ。それからシイタケの菌を買ってきましょう。そうだね、これくらいの原木
なら800個もあればいいだで。道具はおらが貸してやるだよ。」・・・・・とのこと。
さっそくチェーンソーを持ち出して原木を切る。ようやく準備完了。数えると30本になった。
 あちこちの店を探し歩いて、シイタケの菌も手に入れた。師匠に菌の埋め方を教えてもらい、半日がかりで
すべての原木に菌を埋め終わった。あとはこの木を山の斜面に積み上げて、日よけの覆いをかぶせ、
放置しておけばよい。「800個全部シイタケになるんですか?」すると珍しく笑った師匠は「ハハハッ、そりゃ
無理だで。まあ、いくつ出るかはその年の天気や置いた場所で変わるが、おめぇさんとこで食べるぶんは
十分とれるだ。」という。来年はナメコもやってみるといい、と励まされて、初めての菌打ちが終わった。
 はじめの手はかかるが、あとは何もせず2,3年はシイタケが食べられるのだ。こんな効率のよい生産は
ないだろう。この原木からの初収穫は来年の春になるそうだ。待ち遠しい。





入室禁止
 朝、窓の外を何気なく眺めていたら、家のすぐ横にある道を1匹のキツネがのぼってきた。窓と道との距離は
2メートル・・・・「えっ?キツネ?」こちらを気にする様子もなく、ゆっくり歩いて山の方へ去って行った。
 こんな至近距離でキツネを見たのはもちろん初めてのこと・・・・・感動の出会いであった。
 さて、今我が家では各部屋に1本ずつ”木刀”が用意されている。これで戦う相手は、「猫」・・・・・・・・・・
 我が家にも”リン”というメスの飼い猫がいるが、どうも春先の恋の季節に見染めたらしく、1匹の白いオス猫
が家の周りを徘徊し始めた。それだけならいいのだが、この白ネコ、なんと窓を勝手にあけて家に入ってきて、
リン用の餌をきれいに平らげてしまうのだ。先日はカツオ節の袋を食い破り、部屋中に巻き散らかした。
 奥方はもう”半狂乱”・・・・・見つけると木刀を持って追いかける。この前は風呂場に追い込み、鍛えた(?)
剣道の技を使って私が一太刀、見事に”胴”が決まり、彼は必死の形相で逃げていった。
 普通はこんな痛い目にあえば懲りて寄り付かなくなるはずなのだが、この白ネコは懲りないヤツ、その後も
毎日のようにやってきて、家に忍び込むチャンスをうかがっている。
 そこで中からは開くが、外からは開かない出入り口を設置した。我ながらなかなかの出来・・・・・・
 我が家のリンもここから一旦外へ出ると帰ってこれない、という難点もあるが、木刀で追い回すよりは
頭脳的な作戦である。今のところこの作戦は有効のようで、白ネコの侵入は阻止している。
 だが、敵もさる者、いずれ新しい戦法でやってくるだろう。当分は知恵比べである。





山菜とり
 「今日は天気がいいで、わらび採りにいかねぇかい?」・・・・仲良しになった近所の方に誘われて、わらび
採りに行くことになった。集落からバイクで15分、ひたすら林道をかけのぼる。着いたところでさっそく採集
開始・・・・・本格的な山菜採りなどしたことがなかったので心配だったが、雑木林のなかを歩くといたる所に
見慣れた山菜がある。「これがコシアブラの木、こっちが山ブドウ、タラも芽が出てるだ。」と親切に教えて
もらった。むろんワラビも取り放題・・・・・
     
                (山ブドウの新芽)                     (ワラビ)
     
               (キジカクシ)                        (コシアブラ)
「これは山のアスパラといって、めったに採れねぇ山菜だ。」と言って見せてもらったのは「キジカクシ」、もちろん
初めて見るものである。どれも天ぷらやおひたしにすると美味だと教えてもらった。
 このほかに、東日本だけでとれる「ネマガリダケ」というタケノコ、信州でも小谷村周辺だけに見られる
幻の山菜と呼ばれる「ウトブキ」なども見つかった。
       
                   (ネマガリダケ)                        (ウトブキ)
「こんな山菜、勝手に来てとってもいいんですか?」「村の衆ならいいだよ。他所からきてごっそり持っていく
者もいるから看板があるけど、ここの人はだれがとっても何もいわねぇ。これがここらの人の楽しみだで。」
なるほど、納得である。袋いっぱいに採った山菜をお土産に、山を下った。
 「こんな深い山に入ると熊に出会うことはないんですか?」「ああ、ときどきそこらでガサガサ音がするで、
まあ、いるんだろうね。熊を怖がっていたらおいしい山菜は食えねぇだ。」・・・・・
 一人で行くのはいいが、”森のくまさん”だけにはお目にかかりたくないのである。





塩の道祭り
 毎年5月の連休の中、小谷村、白馬村、大町市で「塩の道祭り」が行われる。小谷村が5月3日、白馬村が
4日、大町市が5日である。塩の道とは、古代から日本海側の糸魚川と信州の松本をつなぐ物資輸送の
幹線道路であり、特に塩を中心に運んだことからこの名前で呼ばれている。戦国時代、上杉謙信が武田信玄
に送った塩もこの道を通ったといわれる。最後に塩が届くところだったので「塩尻」(長野県塩尻市)という地名
が生まれたと聞く。この催しも今年で29回目を数える。
  
 「祭り」といっても、参加した人は思い思いにただ“歩く”だけ・・・・・中には江戸時代の通行人の衣装を着て歩く
人もいて、仮装コンテストも行われている。途中の集落では、地元の人たちがお茶や山菜、漬物、甘酒などを
準備してもてなしてくれる。今回は所用で参加できなかったが、過去3回、小谷村のコースを歩いた。
 後で聞くと、今年、小谷村のコースに参加した人は3200人だったそうである。年々増えているのがうれしい。
 3日間のコースの中でも、小谷村のコースが一番往時の面影を残した道だそうで、人気も高い。牛や馬が
やっとすれ違えるほどの道幅だが、牛をつないで休んだという場所や、「千国番所」と呼ばれる関所、牛方たちが
宿泊した「牛方宿」も当時のまま残っており、古道を歩いている、という雰囲気はしっかり味わえる。
 5月3日だけは、人口3500人の小さな村が村民と同じ数のお客を迎えて大賑わい・・・・・・ローカルな催し
なので、全国に紹介されることはないが、ぜひ一度は歩いてみてほしい道である。




山里の春
 今まで「草」だと思って見ていたものを、山里の人たちは「これは食べるとおいしいだよ。」と言う。
知識として知っているというのではなく、実際に各家庭の食卓に出てくるのだから本物だ。
 ”山菜”は野草ではあるが、立派な食材、春のこの時期だけの栄養豊かで、お金のかからない
御馳走である。セリ、フキノトウ、コゴミ、イラ、タラの芽、ウド、ウドブキ、ワサビ、ワラビ、ギボウシ、
ミズアザミ、ノビル、コシアブラ・・・・・そこらに自生しているもので食べられないのは猛毒の”トリカブト”
だけだという。集落の男の人たちは大きなリュックを担いで、5,6キロも上の山に入っていく。そこへ
行くと、里では採れない大きな山菜が採れるからだ。素人の足ではとうてい不可能な山奥である。
 小谷村の集落の入口には「山菜とりのための入山を禁ず」という看板が必ず立っている。村外から
やってきて、ごっそり根こそぎ採っていく不埒者がいるからだ。価値を知っている者にはまさにこの時期の
山里は宝の山に見えるのだろう。
  
 おじいちゃんやおばあちゃんたちは、畑づくりに精をだす。「野菜は買ってきた方が安いだよ。」と言いながら、
肥料や苗を山のように買い込んでくる。畑に出て働くことが生きがいになっているからで、子どもたちや孫たちに
できた野菜を届けてやるのが楽しみだ、と話してくれた。かつてはどの家でも作っていた米だが、いまでは
集落でも5,6軒になったそうだ。豪雪に閉ざされる冬に備えて、この時期から食材になるものは採れるだけ
採っておく知恵が、買い物には困らない今でも生きているのだろう。
 美しい山里の春の景色に包まれて、”田舎暮らし二年生”となった。





きのこ
 「キノコの原木を持ってきたで・・・・」山里暮らしの師匠と尊敬している近所のおじいちゃんが、玄関に
顔を見せた。驚いて出てみると、10本近い原木を運んできてくれた。
 なめこ、ヒラタケ、シイタケの3種類の菌がすでに埋め込んである。「今年の秋には出てくるで・・・・」
つまり今年の秋には食べられるというわけ・・・感動である。こうしてそのまま放置しておくだけで
OK、何も手をかける必要がないとのこと。
 他にもこの原木を置いている場所のすぐ上の草地に「ブルーベリーを植えるといいだよ」と言ってもらい、
自分で耕すなら畑にしてもいいという許しまでもらった。楽しみがまた一つ増えた。
 このおじいちゃんは蜂蜜も作っている。それも最高級の「トチ蜜」、頼めば安く分けてくれる。6月には
新しい蜜が採れるとのこと、これもまた楽しみである。
 米、野菜、きのこ、蜂蜜、炭・・・・信じられない働き者のおじいちゃんは紛れもない”仙人”だと信じている。





機械化農業
 畑の時期になった。今年も昨年借りた畑を貸してもらえたので、野菜作りに精を出すことができる。
耕して肥料を・・・・と思い、先日鍬をもって畑に行き、鍬を入れてみると、なんとまあ、土の固いこと!
3メートル近い積雪に押しつぶされて、秋には柔らかかった土がまるでコンクリートのよう・・・・・・
 手で土を起こしていたのでは、何日かかるか分からない。それで思いきって決断をした。
 ”よし、耕運機を買おう!”・・・・・・・
 ということで手に入れた耕運機、もちろん、こんな機械を扱うのは初めてのこと、説明書を読みながら、
基本的な操作を頭に入れて、いざ出陣・・・・・・・・
 いやはや、機械の力恐るべし、である。あれほど固くて鍬では歯が立たなかった土が、あっという間に
ふわふわの土に変身、まさに驚異のパワーである。
 教室2つ分もある畑が2時間足らずできれいに整地できてしまった。人力ならおそらく1週間はかかった
ことだろう。荒起こしはこれで済んだので、肥料や石灰をまいて次は仕上げの整地、この機械があれば
それも苦にはならない。農業には機械化が必要だという話が身をもって感じられた。
 近所の人がやってきて、「とうとう買っただか?」と新入りの様子を見に来てくれた。どこの家にも必ず
1台はある耕運機、ようやく我が家も仲間入りができたようだ。





春ですね
 遅い春がようやく山里にも届いた。積雪の重みでぺしゃんこになっていた山野の枯れ草の間から、
新しい命の息吹きが動き始めている。
 
              (ワサビ)                                 (ミズバショウ)
 
             (シラネアオイ)                            (ニッコウキスゲ)
 我が家の庭にも、山野草がかわいい芽を出した。春を首を長くして待っていたのは里人と同じ・・・・・・・・
「厳しい冬だったね。」と、ともに雪に耐え、雪と戦った”戦友”のような気持で会話ができる相手だ。
 山里はこれから山野草たちの天下になる。人間の視線などまったく意に介さない、自尊心の高い彼ら
だが、同じ大地に住む人間の一人として、その百花繚乱の中にこっそり入らせてもらうことにしよう。





出会い
 まさに「驚きの出会い」であった。用事があって山を下っていたときのこと・・・・
カーブを曲がったところでいきなり目に飛び込んできたものがある。”カモシカ”である。道の真ん中に立って
じっとこちらを見ている。その距離5メートル!危うく急ブレーキをかけて車を止めた。しばらく私と顔をあわせて
じっと見ていたが、やがて跳ねるように跳びながら道の下の林に消えていった。
 
( 「みんなの動物図鑑」のサイトからお借りしました。)
 急なことでカメラを取り出すひまもない。決定的なシャッターチャンスだったのに、残念であった。
「ニホンカモシカ」は国の特別天然記念物に指定された動物である。普通の鹿”ニホンジカ”よりも体が太く、
頑丈な脚を持っていて、かなりの勾配がある坂や崖も難なく上り下りができるという。
 今までに2,3度遠くから見たことはあったが、こんな至近距離で見たのははじめてであった。
 そう言えば先日、知り合いの人から許可を得て駆除したというカモシカの肉をいただいた。脂身の少ない、
きれいな肉で、塩焼きにして食べたがあっさりして美味であった。
 最近見かけた動物は、サル、リス、ヤマドリ、カモシカ、ウサギ・・・・・・・・ここは山里だとわかっていても、
遭遇できるとあらためて驚きの声が出る。きっと向こうも「おまえは見かけない奴だなぁ。新入りか?」と
思っているに違いない。あのカモシカの目もたしかにそう言っていた。
 多くの命がともに生きている山里である。





春の味
 雪解けも順調に進み、春の息吹きがあちこちで感じられるようになった。先日、近所の人からこの時期
おいしい野草があると聞いて、近くの土手で採ってきたものがある。
 ここらでは”ヒル”と呼ぶそうだが、アサツキの仲間で、越後ヒルというのが正式の名前らしい。雪の下から
芽を出したばかりの柔らかい所を採り、茹でて冷水で冷やし、酢味噌であえて食べる。
 しゃきしゃきした食感とねぎの風味が調和して、絶品である。この時期しか食べられないそうで、もう少し
たつと固くなって食べられないそうだ。その気になって近くを探すと、いたるところに自生している。
 まさに”春の味”・・・・ここ数日、我が家の食卓には欠かさず出てくる逸品である。
 ワサビはすでに食用として採集済み、葉っぱはおひたし、根はすって刺身や冷奴に添える・・・・・
こちらもいたって美味、元手いらずの旬の食材である。これからいたるところに山菜が出現する。
 およそのことはわかったが、まだ食べたことのない山菜も多い。この春はぜひそんな山菜にも
挑戦してみたい。長い間、雪に閉ざされてじっと待っていた春である。雪のない地方の人々には
味わえない”春の味”があってもいいだろう。豊かな自然に感謝しながら旬の味をいただいている。





なごり雪
 先日から2日続けて冬型の気圧配置となり、すっかり雪もとけて「春だ!」と思っていたら逆戻り・・・・・・・
2日間で20,30cmの積雪になり、また土が雪にかくれてしまった。
 もう雪はないだろう、と車のタイヤをノーマルタイヤに付け替えたところだった。白くなった道を見て、
これでは車はだめだとあきらめ、とうとう家から外に出ることができなかった。
 まったく気まぐれな気候である。最近の気候変動の特徴として、暑いところはより暑く、寒いところは
より寒くなるのだとか・・・・・・地元のおばあちゃんたちに聞くと、「雪の量はこんなもんだが、今年は
えらく寒かったで・・・・」と言う。何かがおかしくなっているような気がするのだが・・・・・・・
 庭の雪を除雪しながら、もうこれで最後だろうと思いながら雪の感触を確かめた。思えば4か月、この
雪とともに暮らし、闘った。こんな暮らしが日本にあったのだという事実を身をもって知ることができたと思う。
 いい勉強をさせてもらった雪だが、そろそろ終わりにしてほしい。
 そういえば昔、「なごり雪」という歌があった。なごり雪と呼ぶにはちょっと降りすぎであったが、きっと
そんな名前で呼んでもいい雪だったのだろう。明日からまたとけてくれることを祈る。





体験
 春休みを利用して、宮崎から孫たちがやってきた。南国の宮崎では見たこともない雪景色をたっぷり見せて
やろうと、おじいちゃんは張り切って楽しみに待っていた。
 村にあるスキー場へ連れて行き、生まれて初めてのスキーをさせた。はじめは怖がっていたが、しばらく
     
すると馴れて、300mもあるゲレンデを一度も転ばずに滑れるようになった。しかも、簡単なターンの仕方
もちょっと教えてやるとスイスイ・・・・・驚くべき習得である。面白くなったのか、帰る時間になっても帰らない
という。「もっと滑りたい。」とダダをこねるのをなだめるのに苦労した。
 家の裏の雪山では、念願の「かまくら」づくり・・・・・・雪だるまはもちろん、自分たちが入れる大きさの
かまくらまで作って、雪を堪能したことだろう。かまくらの中には夜、灯りをともし、「神様がいるから手を合わせて
”遊ばせてくれてありがとう”と言いなさい。」というと、神妙に手を合わせていた。
 野生のサルを見たり、温泉の足湯につかったり、イワナの塩焼きやカニを食べたり、囲炉裏の火をおこしたり、
探検と称して屋根裏へ上ったり・・・・・・・・初めての体験をこれでもかとばかりにさせてやった。
 こんな体験を孫たちにさせてやるために信州へやってきた、というのも理由の一つ、おじいちゃんとしては
大満足の春休みであった。こんな体験が彼らのなかでどんな形で記憶として残っていくのかわからないが、
簡単には消えないものになることを祈りながら、別れた。折しも小谷は夜からまた雪・・・・・・朝には20cmの
積雪があった。





驚きの出会い
 朝くつろいでいると、突然「ドーン!」というものすごい音がした。何かが落ちたと思い、あちこち部屋の中
を見てみたが異常はない。何だろうと外に出ようとすると、玄関の戸の前に何やら見慣れないものがある。
鳥だ!さてはこの鳥が窓か何かにぶつかったのだ。鳥はかわいそうにもう死んでいた。
 あらためてその鳥をよく見てみると、以前裏庭で見たことのある「ヤマドリ」であることがわかった。
 キジ科の鳥で、長い尾羽に特徴がある。日本固有の鳥で、なかなか普段は見ることがむずかしい鳥
だそうだ。きっと猫か何かに追われて、あわてて飛んだので我が家の窓に衝突したのだろう。
体長80cmはあった。どう処理するか迷ったが、食用になると聞いていたので、知り合いの旅館に
持ち込んだ。「これは鍋にするとうまいですよ。」そう言って記念にと、尾羽を抜いてくれた。
 突然の訪問者に驚かされたが、これも山里ならではの出来事、記憶にとどめておこう。





旬の味
 知り合いのご主人から「わさび」をいただいた。まぎれもなく”天然もの”である。山にウサギを撃ちにいって
そのついでに採ってきたのだとか・・・・・・ごつごつした根とかわいい葉っぱがまさしく”わさび”である。
 小谷へ来てびっくり仰天と同時に感動したものの一つが、この「わさび」である。九州ではよほど山奥へ
いかないと天然ものは見ることができないものだが、ここらではいたるところに自生している。だれかが
植えたわけではなく、野生のわさびだ。これを主食にするわけではないので、大量に根こそぎ採ること
もない。そのため、沢などの渓流べりにみごとな群生をつくる。(我が家の裏庭にも自生している。)
 葉っぱは軽く熱湯を注いで、すぐに氷水で冷やしておひたしに、根はすりおろして刺身に・・・・・・・
 わさびは今が旬で、もう少しすると花が咲いて、味が落ちる。おひたしはピリッと辛く、豆腐やかまぼこ
といっしょにすると最高の肴になって、これがまたうまい!うれしい春の味である。
 安曇野にある大きなわさび農園が有名だが、そんなところに行かなくても、わさびは信州の山菜なのだ。
 雪が解ければ我が家の近くでも収穫ができるだろう。一足早く、春の味をいただけて感激である。





ようやく雪解け・・・
 長いトンネルをやっと抜けたという感じ・・・・・待望の雪解けがようやく始まった。週間天気予報から雪マーク
が消え、集落のあちこちに久しぶりの土が顔を出した。待ってましたとばかり、福寿草やふきのとう(こちらでは
「ちゃんめろ」と呼ぶ)も雪のなくなったところに芽をだし始めた。
              
 長い冬が終わったのだ。あれほど積もっていた屋根の雪もほとんど消えて、山のようにあった周囲の積雪
も日に日にその高さが低くなっていく。なんだか浮き浮きした気分になってくる。
 今年は積雪の総量は平年並みであったが、12月、1月にあまり降らず、2月になってまとまった積雪があり、
その猛威をたっぷり味わった。
 今朝、家のすぐ横の林でリスの群れを見た。忙しそうに木々の間を行き来し、餌をさがしている様子・・・・
小鳥たちのさえずりも心なしか、大きくなってきた。桜の開花予想も4月27日ごろと発表され、山里はこれから
本格的な春を迎える。我ながらよくぞ雪を乗り切った・・・・・





太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ・・・・
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ・・・・
                   三好 達治
 わずか2行のこの短詩に出会ったのはいつだっただろう。ずいぶん遠い日に心を打たれた思い出が甦る。
太郎と次郎・・・・・・・特定の誰かを指すのではないだろう。三郎の屋根にも、四郎や五郎の屋根にも等しく 
積もる雪である。当時はイメージでこの詩に触れた。おそらくこんな景色なんだろうなぁ・・・と想像し、雪深
い山国で暮らす人たちを想った。他の説明は一切なし、ただ「雪ふりつむ」だけなのである。その屋根の
下で営まれる人々の暮らしは、外からふりつむ雪を見ている者には見えない・・・・・
雪国の暮らしの奥行きと広がりがわずか2行の繰り返しからみごとに見えてくる、すぐれた作品だと思った。
 そしていま・・・・・・・まさに太郎や次郎と一緒に暮らす毎日である。我が家の屋根にもただ雪ふりつむ・・・
今ならはっきりとこの詩が謳う、美しい日本の風景と、そこで暮らす人々の忍耐強い精神が理解できる。
 そしてあらためて、こんな雪深い山里をこれほどみごとに表現できる文章は他にはない、と思う。
いい詩に出会えた・・・と思っている。





雪解け
 突然家の外で「ドスーン!」というものすごい音がした。何だろうと外に出てみると、1階の屋根にたまって
いた氷が滑り落ちた音であった。昨日から気温が上がり、屋根や周辺の雪が解け始めていたので、そろそろ
落ちるかな、と思っていたところであった。
 雪が何度も解けたり、凍ったりを繰り返しながら、いつの間にか厚さ30cm、長さ60cmくらいの巨大な
氷の塊になっていた。1階の屋根全体を覆っていたので、幅15mくらいにわたって一気に落下したよう
である。こんなものが頭の上に落ちてきたら、人間など一たまりもないだろう。(もし「かき氷」にすれば
優に100人分はあると思える。)動かそうとしたが、重すぎてとても動かない。大きなハンマーで割って
小さくして運ばないと無理である。こんな巨大な氷塊を載せてよく屋根がもったものだ。改めて雪国の
頑丈な家の造りに感謝である。氷が落ち始めると春が近い、と聞いた。たしかに日ごとに日差しが強く
なっているのを感じるが、予報では今日も1日雪が降り続くそうだ。雪解けは進んでいるが、春の足音は
まだ聞こえない。





失敗
 近所の人と話していたときのこと・・・・・
「屋根雪を落としたら、その日のうちに飛ばしとかないとしみて(凍って)とれなくなるだ。」この忠告をもう少し
早く聞いておくべきであった。先日の屋根雪おろしのあと、庭先に山のように積もった屋根雪をそのまま一晩
放置して、次の日に除雪機で飛ばそうとしたのだが、まるで歯が立たない。雪ではなく、完全に氷になって
しまっている。しまった!・・・・・・スコップも跳ね返される硬さになってしまって、手のつけようがない。
 屋根から落とした雪は湿っている上に、落下の力によって固められ、おまけに夜の冷え込みが加わり、
こんな氷になるのだ、と理解できた。雪おろしでどんなにくたびれていても、やはりその日のうちに除雪
するというのが正解である。こうなってしまっては、春の雪解けを待つか、根気強く削っていくか、どちら
かなのだが、どうやら春を待つしかなさそうである。
 窓をふさぐ雪も硬くならないうちに掘っておいたほうがよい、とも教えてもらった。明かり取り用の窓でも
あるので、せめて窓から光が入るくらいは掘っておくのだそうだ。これはさっそく実行した。
 豪雪地域で迎えた初めての冬も間もなく終わる。こんなに積もった雪が本当にみんなとけるのだろうか
と思うが、その答えはいずれ春が教えてくれるだろう。





これで最後に・・・
 この冬4回目の屋根雪おろしをした。降り続いた雪がまた1メートル近く積もったためだ。近所でも束の間の
雪やみを待ってあちこちで雪おろしをやっている。ここ何日かの雪は、湿っていて重い。そのままにしておく
と屋根にかかる重量は、柔らかい雪の倍くらいになると聞いた。これはやるしかない・・・・やれやれ。
 4回目ともなると要領もよくなってくるが、それでも地元の人たちのスピードには勝てない。屋根の斜面に
雪の滑り台を作り、ブロックに切った雪のかたまりを滑らせながら落としていくのだが、これがなかなか
むずかしい。ある程度かたくなって固まった雪の方が滑りやすい、ということも実際やってみるとわかる。
 片面で1日、2日がかりの作業だが、落とせば終わり、ではない。落した雪を処分しなければ、家の周りに
雪の壁ができてしまう。うず高く山になった落雪を機械で飛ばしながら、元の状態に戻していく。
 落した雪を見ながら、よくもまあ、これだけの雪を乗せて屋根がもつものだと感心する。都会の新築の家
ではひとたまりもないだろう。(1mの積雪で、1uあたり1トンだというから、何十トンもの重量がかかっている。
屋根の上に大型トラックが20台も乗っていると想像してもらえばよい。)
 近所のおじいちゃんが「もうこの冬はこれで終わりになるで。」と言ってくれたが、ぜひそう願いたい。
 正直言って「雪はもういらねぇだ・・・・・」 納得である。





春まだ遠し
 大雪警報・・・・・「警報」である。昨日から小谷村を含む長野県北部に大雪警報が発令された。強い冬型
気圧配置に覆われて、山間部では50cmから80cmの積雪が見込まれるという。
 「もう雪はいらねぇだ。」・・・・雪には慣れているはずの地元のおばあちゃんが言う。それほどに降り続く雪
が、家や集落を埋め尽くしている。ここでは珍しい風まじりの雪がほぼ2日間、やむことなく降り続いている。
   
 家の北側は降った雪と屋根から落ちた雪で、とうとう1階部分はほぼ埋まってしまった。窓から外が見えなく
なってしまったということ・・・・・。(まあ、ビールをつっこんで冷やすには好都合なのだが・・・・)
 集落の中を歩いてみると、どの家も北側は雪に埋まっている。半端な雪の量ではない。何ヶ所かある
除雪用の雪捨て場にはうず高く雪が積まれ、今まで谷であった所が平地状態になっている。
 除雪をしていない周囲の畑には、3メートル近い雪があり、晴天時の融雪で少しずつ斜面を動き、家のまわりに
せり出してきた。幸い我が家の横には広い空き地があり、小川も流れているのでそこに雪が捨てられるが、
捨て場のない家では除雪した雪の処分に困っている。
 教科書で勉強した雪国の暮らしがそっくりそのままここにはある。「わぁ、雪だ!」などとはしゃぐ子どもたち
の写真もあったが、とてもそんな甘いものではない。雪かきというが、地元の人に言わせると、「ここらじゃ、雪
掘りだな。かいてちゃ間に合わねぇ・・・・」のだそうだ。
 頑丈に作ってある家の強度を信じて、じっと雪の止むのを待ち、保存してある食糧を計画的に使いながら
やがてくる春を待つ暮らし・・・・・・・春はまだ遠いが、ここが正念場、さて、雪がやめば雪掘りが待っている。





スキー大会
 まさに雪国ならではの催しであった。私の住む集落を含む谷筋にある5つの集落合同のスキー大会があった。
今年で47回目だという。スキー大会といっても、本物のスキー場を貸し切って行うのではなく、なんと、自前の
スキー場を作るのである。前日、準備をするというので参加してみた。あらかじめ除雪作業で集めておいた雪
を、専用の圧雪車(これは本物)で押し固め、整地し、斜面は圧雪車がブルドーザーのように上ったり、下りたり
しながらあっという間に500mのゲレンデコースができあがった。
 コースの雪の下はほとんどが畑や田んぼである。コースにポールを立て、ここで大回転の競技をするという。
 大会当日はあいにくの大雪・・・・・しかし、ここらの人はそんなことではひるまない。大雪の中決行された。
   
 はじめは小中学生の大回転、みんなヘルメットを着用し、見事なフォームで滑ってくる。次は一般、スキーだけ
でなく、スノーボードで大回転のコースを見事に回る青年たちも登場。最後に50歳以上の壮年の部・・・・
60歳や70歳近いおじさんが華麗なフォームで滑りおりていく。圧倒されるパワーである。
 大会の後は近くの公民館で懇親会・・・・・「来年は参加してくださいよ。」と言われたが、このコースを華麗に
回転しながら滑るには、相当の訓練が必要だ。「はい、練習しておきます。」とは答えたが、目標は高い。
 冬の楽しみの少ない雪国、昔はもっとたくさんいた子どもたちのために始まったというこの催しだが、大人
も十分に楽しめるものであった。
 次の日、苦労して作ったスキー場はまたもとの雪景色に戻っていた。幻のスキー場・・・・・まさに雪国。





冬の味覚
 この時期、おいしいものの代表は何といっても「かに」である。九州から息子夫婦がやってくるというので、
極上のかにを手に入れるために日本海側の新潟県糸魚川まで出かけた。
 地元で水揚げされた新鮮な魚介を扱う魚屋を見つけておいたので、お目当てはその店・・・・・・・・
 店頭に今朝水揚げされたというズワイガニが所せましと並んでいる。ほとんどがまだ動いている。
ズワイガニは獲れる場所で呼び方が違うそうで、山陰では「松葉がに」、北陸では「越前がに」、一般的に
「ズワイガニ」と言うらしい。名前はともかく、日本海でとれるかにの王様であることに間違いない。
 結構いい値段がついている。値段の違いが気になったので聞いてみると、「味は変わらないが、大きさですよ。」
と言う。なるほど、たしかに値段の高いものは大きい。手頃なものを2ハイ(かにはこう数えるものらしい)求めた。
 店のおかみさんが、ゆで方を書いた紙を入れてくれた。ゆで方にもコツがあるようだ。
 さてこのカニ、無事に息子たちの腹におさまった。息子いわく、「やっぱり本場のかには味がちがう・・・・」
幼い頃より、カニといえば外国産の冷凍物ばかりであった我が家、ようやく息子に本物を食べさせることが
できた。次は娘たちの番である。




洗車
 この時期、道には融雪剤という、雪を早く溶かす薬が大量にまかれている。「塩化カルシウム」という薬剤だ。
濃い塩分を含むので、溶けた水といっしょに車に付着すると錆びるという害がでる。
 この冬、一度も洗車していないので、車をさわってみるとザラザラと塩の結晶が手につく。おまけに泥も
混じり、これは洗車をするべきだと思い、スタンドで洗車機を利用した。
 秋に車検整備に出した折り、車の下部一面に黒い塗料が吹き付けられていた。聞くと、塩化カルシウムの
被害を防ぐためだとか・・・・下部は常に水しぶきを受けるので仕方がないが、せめて車体だけでも塩分を
落としておかないと車が痛むと聞いていた。
 洗車機を出た愛車は、薄汚れた以前とちがって見違えるようにきれいになった。店員さんが「またすぐ汚れる
けど、こまめに洗車しておいたほうがいいですよ。」という。納得である。
 環境にも悪影響を及ぼすこの融雪剤、その使用が問題になっているそうだが、雪国では仕方がない。
それにかわるものが見つかってくれるといいのだが、当分はこまめに洗車するしかないようだ。





忍耐
 雪国の冬は忍耐である。文句を言っても、大声を出しても意味がない。これでもかと降り続く雪は、降り始め
からの合計がゆうに3メートルを超えている。ほんの少しの間でも太陽が顔を出せば、あちこちで雪がとけ、水
  
になって流れはじめるが、翌朝の冷え込みで氷になり、その上にさらに雪が積もる。この繰り返しで集落全体が
すっぽりと雪に埋まってしまった。まさに「豪雪地域」だと、納得の毎日である。
 気温は最高でも氷点下、今朝は氷点下7度・・・・九州なら街中が大パニックになる気温だが、不思議なことに
さほど寒く感じない。山の中なので風が吹かないこともあるが、体がこの温度に順応してくれているようだ。
 1月の終わりから2月にかけて、毎年大雪のピークになるという。毎日こまめに雪かきをしているおかげで、
家のまわりは大丈夫だが、周囲は雪の壁・・・・
 今日の予報も、県の南部は晴れだが、ここ北部は雪。もうしばらく忍耐の日々が続く。





がんばれ!
 明日からまた大雪だという予報を聞いて、束の間の晴天を有効に使おうということでスキー場へ出かけた。
ゲレンデに着いてコースを見ると、平日だというのにやけに人が多い。そのわけはすぐに分かった。
 どこかの中学校の修学旅行生だ。お揃いのウェアーにゼッケンをつけて、スキーやスノーボードを練習
しているのだ。総勢150人はいただろう。いくつかのグループに分かれ、それぞれにインストラクターが
ついて指導している。ほとんどが初めてスキーやスノーボードをやるらしく、初歩からの練習をしている。
 中にはかなりの腕前の生徒もいて、そんな子どもたちはもっと上の中級のコースを滑っていた。
 ひっくり返って雪まみれになっている生徒たちの横を滑りながら、こんな体験ができる子どもたちは
幸せだと思った。あるグループは、昨日降った30センチ近いフワフワの新雪の中を歓声をあげながら
滑っている。きっと生涯忘れられない思い出になるだろう。この子たちがやがて次のスキー人口を支える
貴重な人材となるのだ。大きくなってまたこのスキー場に来てくれる子もきっといることだろう。
 懸命に練習に励む子どもたちに「がんばれよ!」と心の中でエールを送りながら、スキー場を後にした。





雪女
 今どき「雪女」の存在を信じる人などいない。遠い昔、小泉八雲の怪談「雪女」を初めて読んだとき、雪国
には今も絶対いる、と本気で信じたものだが・・・・・・
 連日降り続く雪が集落を埋め尽くしている。家のまわりには1メートルを越す雪の壁ができ、木々もまるで
白い花を咲かせたか、と思えるほどの雪化粧・・・・・
 そんな雪の夜に薄明りの外に立っていると、頬をたたく冷たい雪の向こうに”その人”が立っていても
おかしくないという錯覚に襲われる。夜、音もなく降り積む雪は神秘的で、幻想的だ。漆黒の闇からとめどなく
落ちてくる雪をみていると、その闇の向こうに得体の知れない大きな「力」を感じてしまう。
 昔話や伝説、民話は、厳しい自然と向き合って暮らしてきた人々の、自然に対する畏敬の念から生まれた
もの・・・・・本当に会ってみたいとは思わないが、いても不思議ではないと感じさせる雪国の夜である。





寒冷地仕様
 先日から洗濯機がおかしくなった。全自動なのにへんなところにランプがついて、正常に動かない。
まだ新しいのに、もう故障か・・・と思ったが、過激な使い方もしていないのに、何か原因があると思われた。
説明書も読んでみたが分からない。
 そんなある日、風呂場の洗面台に奇妙なものを発見した。氷である。蛇口から落ちたと思われるしずく
が竹の子のように凍って、逆さつららのようになっていた。そこで思い当たったのである。
 原因はこれだ!つまり「想定外の寒さ」である。冷え込む日には室内でも氷点下になる。全自動と言うからには
精密なICチップが組み込まれているはず、寒さで正常に機能しなくなったにちがいない、そう確信して、
さっそく洗濯機のある部屋を閉め切り、中でストーブを焚いてみた。
 正解であった。しばらくすると気持よく正常に動きだしたのだ。なるほど、こんなこともあるのか・・・・・・
車にも「寒冷地仕様」というのがある。洗濯機にも作るべきだと思うのだが、メーカーさん、いかがですか?





初滑り
 久しぶりの好天に恵まれて、寒さで小さくなっていた体をほぐそう、ということでスキーへ出かけた。
この冬の「初滑り」である。家から車で15分、村内にあるスキー場へ向かった。
 連休も終わり、スキー場は人が少ない。広いゲレンデはまるで貸し切り状態・・・・・・・おまけに平日なので
シニア(50歳以上)は1日2000円という、格安の料金で1日遊べる。
 1年ぶりの滑走でちょっと不安もあったが、1回滑ると体の方が雪の感触を思い出してくれた。
 ゲレンデの上部に上がると、北アルプスの山並みが白銀の中に輝いて絶景!白馬や小谷のスキー場
だけの「おまけ」である。下から見ても怖い急斜面のコースは遠慮して、足慣らし程度に中級のコースを
10回くらい滑って今日は終わりにした。何ごとも無理は禁物。まだまだ先は長い。
 筋肉痛は明日か明後日になりそうな予感が・・・・・・雪国に住む者の恩恵にあずかっている。





賽の神(せぇのかみ)
 ここ小谷では小正月の祭りを「賽の神(せぇのかみ)」と呼ぶ。全国で行われる「どんど焼き」である。
賽の神とは「道祖神」のことで、村に災いが来るのを防ぐために火を焚き、1年の無病息災を祈る風習
だ。朝から準備があるというので、参加した。
 村中総出でかんじきをはき、火を焚く場所を踏み固める。除雪機で雪を集めて「かまくら」を作るのだそうだ。
各家から秋のうちに刈り取っておいたカヤの束を持ち寄り、会場の中心に立てておく。
 どこの集落でもこの祭りはあるのだが、かまくらを作るのはこの集落だけだそうだ。かまくらなどという
ものは遠い昔、子どものころに小さいものを作った記憶があるくらいのもの・・・・・・
 
 昔は子どもの仕事だったというかまくら作りも、今は大人の仕事、お神酒をいただきながら汗を流した。
人が2,3人立って歩ける大きさのかまくらの中には祭壇ができ、クルミの木で作った「道祖神」が祭られ、
供え物も置かれている。なかなか神秘的な雰囲気だ。
 夜7時からいよいよ火を焚く。小雪の舞う中で、点火され、勢いよく火の粉が宙を舞う。
 今年厄年を迎える家では、みかんを一箱持ってきて、集まった人たちに撒いて拾ってもらう。
 1時間余りの行事だったが、久しぶりに子どもに返ったような気分にさせてもらえた。昔ながらの
素朴な冬のお祭りが、こうして続けられていることに感謝、道祖神が今年も村を守ってくれることだろう。





お客さん
 小雪の降った朝、外に出てみると、庭に無数の足跡が・・・・・・・さては昨晩だれかやってきたな、と思い
足跡をたどってみた。山の方からやってきて、我が家を1周して庭へ、そして何と!・・・・・
  
 軒先につるしていた干し柿がない。「やられた・・・・!」7,8個は残っていた干し柿はみごとに食べられた。
 足跡をもう一度よく見てみると、キツネやテンではない。どうやらハクビシンのようだ。
 雑食性なので干し柿はごちそうだっただろう。山は雪の中・・・・きっと十分なエサにはありつけないはず、
人家の近くで食べられそうなものを探していたのだろう。そこへ我が家の干し柿が・・・・・・
 まあ、しかたがない。外に出していたこちらにも非がある。これなら餌付けもそうむずかしいことではなさ
そうだ。それにしても、このお客さん、「こりゃうまい!」といって食べたにちがいない。





海の神
 正月は大雪で、結局行けなかった「初詣で」・・・・・・ずいぶん遅れたが、安曇野にある「穂高神社」に
いってみた。ここの神社の祭神は「穂高見命(ホタカミノミコト)」「綿津見命(ワタツミノミコト)」、ともに
  
海の神である。しかもその本拠となったのは遠く九州の福岡である。このあたりに勢力を持っていた海人族 
「安曇族」の祖神が信州のこんな場所に祀られている。かつて、安曇族は福岡からはるばる海を越え、信州
のこの地に住み着き、荒地であったこのあたりを開拓し、今に至っているという。
 9月には勇壮な船のみこしがはげしくぶつかり合う祭りもあるのだとか・・・・福岡と聞き、何だか親しみの
わく神様である。奥宮が上高地にあり、何と北アルプス奥穂高岳の山頂にも社殿があると聞いた。
 有名な「穂高連峰」の穂高もこの神様からでた言葉だという。
 古代の安曇族とわずかだが縁のある自分としては、これは1年に一度はお参りをしなくては・・・・と思いながら
荘厳なたたずまいを誇るお宮をあとにした。ずいぶん遅れてやってきた同郷人だが、どうか今年もいいことが
ありますように・・・・・・・・・





恐怖体験
 1メートル積ったら屋根の雪下ろし・・・・・・そう聞いていた屋根雪がとうとう1メートルになった。これは
いよいよやらなくてはならないときがきた。意を決して雪下ろしに挑んだ。恐怖の初体験である。
 雪がなくても怖い屋根の上に、はしごをかけて恐る恐る上った。とりあえず足場をつくり、そこに立って
深呼吸・・・・さて、どこからどう始めるか、迷いながらも手当たりしだい雪をスコップで下に落としていく。
問題は屋根の傾斜に合わせて足場を確保すること、下手をすると雪といっしょに足がすべってしまう。
スノーダンプという便利な道具を使えば早いのだろうが、不安定な足場では怖くてとても使えない。
スコップで一固まりずつ切り出しては、下まで投げ落すのだが、腰をひねる運動の連続で、10分も
続けるともうたまらない。何度も休憩をしながら、1メートル幅の雪下ろしが終わったのが2時間後・・・・
屋根全体のやっと五分の一を下ろして体力の限界・・・・・一日目の作業はここで終わり。
 二日目、前日の続きを始めたが、試行錯誤の甲斐があって、少し作業が速くなってきた。この日、やっと
屋根の片側だけは終了したが、ここで体力の限界・・・・・・・
 三日目、今日中に全部終了させる覚悟で始めた作業、少しずつ慣れてきたようで思いのほかスムーズ
に進んだ。それでも残りの片側だけで3時間・・・・・やっと全部の雪を下ろすことができた。
 初めての体験だったが、これは半端な仕事ではない、肩、腰、腕の筋肉痛もかなりのもの・・・・・・
 通りかかった村の人が「どうだい?終わったかね?」と声をかけてくれたが、「いや、三日かかりました。」
というと笑いながら「それは御苦労さま。雪の多いときには5,6回はやるで、いい練習になっただ。」と
励ましてくれる。冬場の運動不足解消にはまちがいなくなるが、それにしてもこんな作業を何回もやるなんて、
もう一回で十分だ。雪よ、頼むから降らないでくれ!





原稿依頼
 突然の話であった。小谷村の公民館から、村の広報に掲載する原稿の依頼である。
「山村の暮らしもいいもんだ」というコーナーに掲載したいので、小谷村のいいところなどを感じたままに
書いてほしいとのこと・・・・・・・なんで私に?その答えはすぐにわかった。
 奥方が村の公民館活動で絵手紙教室やヨガ教室に通っていたのだが、その折に最近小谷にやってきた
という情報が公民館に伝わったらしい。
 あらためてこれまでの広報を引っ張り出して、そのコーナーを読んでみた。結婚して小谷にやってきたと
いうお母さんたちが、小谷村の自然や村人とのふれあいの中で感じたことを思い思いに書いていた。
 どれもほのぼのとした名文である。
 さて、「山村の暮らしもいいもんだ」というタイトルには共感するが、どこが?どのように?となるとこれは
難問である。読者は小谷村の全村民であり、私の住所も掲載されるようなので、いいかげんなことは
書けない。2週間の猶予をもらっているので、しばらく頭をしぼるしかない。
 これは大変だ!





もう十分です
 年末の29日からずっとやむことなく雪が降り続いている。積雪はとうとう1メートルに達した。日中の
外気温は0度か氷点下・・・・ワクワクしながら待っていた雪だが、さすがにここまで降るともう十分。
「どうだね、雪は楽しいかい?」・・・村の人にそう言ってからかわれるが、楽しいものではないという
ことだけは十分に理解できた。毎日家の周りの雪かきに追われて、せっかくきれいに除雪しても、
翌朝起きてみるとまた積もっている。これが3月まで続くのかと思うとため息がでるのだが・・・・・
 あまりの寒さで全自動の洗濯機もおかしくなり、とうとう夜は毛布をかぶせるという対策まで実行
している。心配の屋根雪も1メートルになったので、そろそろ下さなければならない。
 雪かきをさぼると、郵便配達の人に迷惑をかけるので、これだけは最低やるのがこのあたりの掟、
雪がやんだ合間をみて、集落のあちこちで除雪機のエンジン音が響く。村の大型の除雪車もやってきて
豪快に道の雪を飛ばしている。いよいよ冬本番である。
 元旦の1日だけで白馬村や小谷村で80cmから1mの積雪だったとニュースが報じていた。山やスキー場
では豪雪と悪天候で遭難者が続出・・・・・・・紛れもなく、ここは雪国である。





準備
 この時期、小谷村や白馬村のスーパーに行くと、大きな段ボール箱にいっぱいに買い込んだものを詰めて
車に積み込む人を多く見かける。店の中でも、大きいカートに山のように食材を買い込む人が多い。
 どこのスーパーにも「業務用コーナー」があり、巨大なマヨネーズや調味料のビン、パスタや冷凍食材が置い
てある。なるほど、ここは観光地であった、と気付かされる。大量の買い付けをするのは、民宿やペンションの
オーナーたちである。
 年末から年始にかけて、近隣のスキー場に来る人たちを待ち受ける民宿やペンションのオーナーたち
にとって、1年で最も活気づくこの時期が、「かきいれ時」である。今年は積雪量もまずまずで、スキー場も
一安心・・・・・バブル崩壊を境に、スキー人口が減り続け、厳しい状況が続いていると聞く。
 いつもこのようにお客さんがいてくれて、オーナーたちの買い出しが盛況ならいいのだが、なかなか
そうもいかないらしい。空き店舗や空き民宿も結構あり、最近は海外のオーナーが店を出して、おもに
オーストラリアなどのスキー客を呼び込んでいると聞く。そういえば、外国人のお客さんもよく見かける。
 折から、小谷、白馬地方は未明から大雪が降っている。4,5日は降り続くというので、1メートル近い
雪が降るだろう。準備はしておかなければならない。





足跡
 雪がやんだ朝、近くを歩いてみると、あちこちに動物の足跡が残っている。昨夜、ここを歩いたもので、
何種類かの動物が足跡からわかる。代表選手は野うさぎ、これはT字形に4つの足形が残るのですぐに
(野ウサギ)
わかる。この時期は真っ白い保護色の毛におおわれているので、雪の中で見つけるのはむずかしい。
 
          ウサギ(左)とキツネ(右)                       テン(奥へ続く)
 キツネは一直線にきれいに並ぶ足跡、テンは二つの団子状になった塊が目印、歩いたあと、雪が降って
いなければ、くっきりと雪上にこれらの痕跡が残る。何種類もの足跡が交差するところは、彼ら動物にとって
も大事な道だということを物語る。秋にはあれほど豊富にあったエサが、雪に覆われると急に乏しくなって、
彼らの厳しい生存をかけた闘いが始まっているのだ。
 注意して見てみると、多くの足跡が交錯する場所にはある特徴がある。それは、小規模な「雪崩」が起きて
いるところ・・・・崖の上部にあった木の実などが雪崩とともに落ちてきていて、少し雪を掘れば見つけること
ができるのだ。盛んに食べた跡があり、糞も残される。
 ほとんどが夜行性なので、滅多に姿を見かけることはないが、こうして痕跡を残してくれると、間違いなく
この近くに生息していることが感じられる。マタギと呼ばれる山の猟師たちが、冬の間活躍できるのも、
この足跡があるからだと聞いた。
 他の楽しみの少ない雪国・・・・たまにはカメラを持って山に入ってみるのもよい。熊や蛇は冬眠していない
ので、安心して散策できる。一人ぼっちで生きているのではない、ということが本当に素直に感じられる。
 まだ見つけていないタヌキ、リス、カモシカ、ハクビシンの足跡を、必ず見つける・・・最近の目標だ。





太陽
 毎日降り続く雪の中で暮らしていると、太陽の光が無性に恋しくなる。街に住んでいた時にはそんなこと
を考えることもなかったのだが・・・・・
 今日の気温は最高で2度、最低はマイナス4度、外は一面の銀世界。鉛色の雪雲が一日中消えない
日は、どんよりと暗い。庭先の雪も解ける間がなく、少し解けてはまた氷り、朝はパリパリのアイスリンク
状態となる。そんな中、日中陽が射してくると、パッと明るくなり、屋根の雪解けが一気に始り、家の周りは
雪解けの雨だれで「大雨」になる。太陽の光と熱のすごさをこれほど感じるときはない。
 木々に積もった雪も解け始め、ハラハラと落ちてきて、家の横を流れる小川の水も増え始めて、水音が
激しくなる。これが同量の雨だとさほど感じないのだが、雪になると「これだけの水が雪になって降っている
のか・・・」と改めてその量の多さに驚いてしまう。
 洗濯物を急いで干すのも陽射しのあるうちに、落ちた屋根雪を片付けるのもこのとき。太陽の恵みという
言葉がほんとうに身にしみる。幸い、あすは久しぶりの晴天だとか・・・・思いきり陽光をあびることにしよう。





恐怖
 圧雪された雪道を車で下っていたときのこと・・・・・ブレーキを踏むと、突然「ガリガリガリ」という音がして、
ブレーキが一瞬効かなくなってしまった。車はズリズリーッと滑っていく・・・パニックになってしまった。
ようやく路肩に止まり、「何だ!今のは・・・?」と鼓動をうつ心臓を落ち着かせながら、考えた。
 ブレーキの故障?まずそれが思い当たった。ブレーキの中に雪が入り込み、凍って効かなくなったと
思った。ならばゆっくりとブレーキを踏み、摩擦熱で氷を溶かしながらしばらく走ればよかろう、と思い、
恐る恐る車を進めた。しばらくしてブレーキを踏むとちゃんと止まる・・・・原因はこれだ!
 しかし、それから何度も同じような事態が現れ、そのたびに肝が冷える思いをすることになる。どうやら
原因は違うようだと気づき、いろいろ調べてみた。そしてついに「真の原因」にたどりついた。
 それは車に装備されている「ABS」という仕組み・・・・・「アンチロック・ブレーキシステム」、略してABS、
タイヤがスリップしてハンドル操作ができなくなるのを防ぐために、自動的にブレーキをかけたり、緩めたりを
繰り返してタイヤのロックをさせない仕組みのことだ。そう言えばこの車にはABSが装備されていたことを
思い出した。しかし、雪の降らない九州ではもちろん使ったことはない。ABSが作動するとどうなるのかも
初めての体験である。そうだとわかれば安心だが、これは慣れるのに時間がかかりそうだ。確かにスリップ
してもハンドルは操作できるが、止まるまでの距離が長くなり、普段のブレーキ感覚が狂ってしまう。
 何と言ってもブレーキを踏んだ瞬間、足の裏に「ガリガリッ」と伝わるあの感触はいただけない。
雪道を安全に走るために装備されているABS・・・・・御自分の車に装備されているという人は、雪道では
どうぞ覚悟をして運転を・・・「ガリガリッ」は突然にやってくる。





除雪機稼働
 60センチも積った翌朝、今期初めての除雪機の始動・・・・・・・扱い方の知識は一応頭に入っているが、
多少の不安はある。エンジンをかけて、しばらく暖機運転、いよいよ作業開始である。
 積った雪の中へ除雪機を入れて、ローターを回転させると、勢いよく雪を取り込み、10m先へ吹き飛ばし
ていく。これは気持ちがよい。あっという間に家の周囲の雪かきが終わってしまった。もしこれだけの雪を
手作業でやれば、ゆうに1,2時間はかかったであろう。機械の力恐るべし・・・・・である。
 近所でもあちこちで除雪機のエンジン音がしている。みんなやっているのだ。我が家の除雪機、小型ながら
十分役に立つことがわかった。この冬、何回お世話になるのだろう、感謝しながら、記念すべき初稼働は
無事に終わった。





信濃の山頭火
 図書館で新刊書の「信濃の山頭火」という本を借りてきた。図書館になかった本なので、わざわざ司書の
方にお願いして蔵書にしていただいた本である。(小谷村の貴重な図書購入予算を使わせていただいた)
 山頭火は私の郷里(山口県防府市)の先輩であり、生家跡も実家の近くにある。
          
 放浪の俳人としてあまりに有名だが、実は信州へも3度足を運んでいる。その足跡と句を紹介した本を読むと、
昭和9年に木曽から飯田、昭和11年に佐久、軽井沢から小諸へ、昭和14年に天竜から伊那、木曽へ、と
信州を旅している。句友を訪ねての旅であったそうだが、その途中で数多くの句を詠んでいる。
 残念ながら、北安曇方面には足を運んでいないが、もし小谷村に来ていたら、いったいどんな句を詠んだ
のだろうと思う。おいしい酒と水はふんだんにあるので、きっと満足してすばらしい句ができたことだろう。
 
・・・・・・・
            山ふかく蕗のとうなら 咲いている (清内路峠にて)
                              遠くなり近くなる水音のひとり (碓井峠にて)
            なるほど 信濃の月が出ている (高遠にて)
                               飲みたい水が 音立てていた (清内路村にて)
 先輩、先輩のような句をつくることはできませんが、ここ信州でおいしい水と酒はいただいています・・・・・・・





限界集落
 テレビで珍しく小谷村のニュースが流れた。特集番組である。「これは見なくては・・・」と勢いこんで見たが、
何と、特集のタイトルは「過疎と高齢化が進む”限界集落”小谷村」・・・・・・・いやはや・・・・・
 限界集落とは、集落の人口の半数が65歳以上で、冠婚葬祭や祭りが維持できなくなった集落で、そのまま
放置すればやがて「消滅集落」となる集落のこと・・・・・・ここ小谷村だけの現象ではなく、全国の山村の多くで
いまその問題が注目されているのだとか・・・・
 先日、同じ地区選出の村会議員さんがみんなの集まった席で、各集落の「限界集落比率」を教えてくれた。
私の住む集落はかろうじて「限界」という名前からは外れたが、それでもきわどい境界線上にあることは間違い
ない。このままいけばやがて「限界集落」となることは必至・・・・
 山間地のため、若者の就労の場がない、それで若者たちは親元を離れて街に出ていく、その連鎖が結果的に
村や集落から若者を引き離していった。特定の誰かの責任というわけにはいかない問題だが、街に住んでいると
まるで「人ごと」のような話題が、ここではきわめて現実的な、身に迫る問題となってくる。一人や二人の力では
もはや止めようもない大きな流れになってしまったが、何か打つ手はあるはず・・・・
 「住民がやる気を失ったら、限界化は加速します。」というレポーターの話が心に残った。並はずれて豊かな
自然があり、歴史的な遺産も数多く残っていて、何よりも日本の「原風景」とも言える心温まる景色が味わえる
小谷村・・・こんな最高にステキな村や集落をなくしてなるものか・・・・・気負いではなく、心からそう思う。
 そのために微力でも役に立てることがあれば労を惜しまない心構えはできている。





ケーブルテレビ
 複雑に山が折り重なる山里では、テレビの電波が届かずに視聴することができない集落が多い。
小谷村でも然り・・・・・そんな場所では各集落ごとに「共聴アンテナ」を高い山の上に立てて、そこから
各家に配線をしてやってきた。しかし、それでもきれいに映らなかったり、見られないチャンネルがあったり
して課題となっていたのだが、小谷村では昨年から「ケーブルテレビ網」を全村に張り巡らす計画を立てて、
今年の9月、村中の全戸に光ファイバーケーブルをつないだ。
 村の説明では、難視聴集落の解消、やがて始まる地上デジタル放送への対応、村独自の放送開始(緊急
災害情報や村民に必要な情報の発信)、高速インターネット網の普及、などがこれで整備されるという。
 山奥なので、インターネットは無理だろうとあきらめていたのだが、おかげでこうしてホームページを
再開することができたし、友人や知り合いとメール交換をすることもできるようになった。テレビは、全チャンネル
きれいに映るし、衛星放送も全チャンネル視聴できる。ハイビジョン放送もおかげで初めて見ることができた。
 小さな過疎の村でこんな大事業を行うのは簡単ではなかったはず・・・・何億円という予算が必要だったと
聞くが、思い切った英断に拍手を贈りたい。こんな山奥の村だからこそ、情報はどこよりも速く手に入れること
が必要だ。あとは携帯電話の電波が届かず、使えないという問題だが、これも聞くところでは近いうちに
解消されるとか・・・・・・街では当たり前で、別に気にもしなかった通信網の整備が、こんな山里では不可欠
なことだと思い知らされている。





思い
 「雪がふってきた。えんぴつの字が濃くなった。」・・・・・・・・・ずいぶん昔に出会った、たった二行の
児童詩である。この詩を書いたのは、東北地方の山間部の小学4年生の女の子・・・・・
 豪雪地帯として知られる、その子の村では、冬の間父親たちは出稼ぎに行って家にはいない。したがって、
厄介な屋根の雪おろしや雪かきは、家に残る母親や子どもたちの仕事になる。
 教室の窓から、また降りだした雪が目にはいったとき、この子はあのつらい雪かき作業をまたやらなくては
いけないことに思いが到り、思わず鉛筆を持つ手に力が入ったのだという。
 当時、雪かきなど経験したこともない私だったが、なぜかこの詩が心に残った。今、豪雪地域だと言われる
村に住んでみると、この詩を書いた女の子の気持ちが身近なものと感じられる。
 しんしんと降り続く雪をみて、愚痴をこぼすでもなく、ただ黙って鉛筆をにぎる女の子の姿が妙に現実感の
あるものとなって脳裏に浮かぶ。折しも、我が家の周りは朝からしんしんと雪が舞っている。それを見ていると、
この女の子と同じように、体と心のどこかに思わず力が入っている自分を感じている。





野生
 久しぶりに雪道を歩いて、下の集落まで新聞を取りに行ったときのこと・・・・・・
 集落のはずれの畑のところまで来たとき、何やら動物の鳴き声がするのに気がついた。よく見てみると、
道から20mくらい下の木々にサルの群れがいる。
  
 木に登って何やら木の実を食べている様子、かわいい子ザルが10匹くらいと、大人のサルが14.5匹、
あちこちの木の上で走り回っている。ちょうど動物園でサル山のサルたちを見る距離だ。
 あたりが雪で白いためによく目立って見える。感動のあまり、しばらく立ち止まって観察をしてしまった。
 中には畑の雪を掘り返して、残っている野菜を食べているものもいる。50mくらい離れたところに、見張り役
の大人のサルがいて、周囲を警戒していた。私をじっと見つめていたが、危害は加えないやつだと判断した
ようで、別に警戒の鳴き声を出す様子もない。
 集落では、野生のサルによる農作物への被害が心配されている。一度やってくると、あらゆる作物を全部
食べてしまうらしく、厄介な存在である。彼らにも冬は厳しい季節、生存を賭けた戦いが始まる。群れの子ザル
を守り、冬を乗り切るためには危険を冒しても人里の近くに出てこなくてはならないのだろう。
 農作物への被害は困るが、時折こうして野生の姿を見せてくれる分には大歓迎である。
 無事に春を迎えられるよう、頑張れよ!・・・・そう祈って静かにその場を後にした。





師匠
 近所の働き者のおじいちゃんが炭焼きを始めた。ひと冬、自宅のコタツで使う炭を自分で焼いている。
先日からの大雪で、屋根にしていたトタン板が押しつぶされ、修理に汗を流していた。
・・・・「出来具合はどうですか?」「ああ、まずまずだね。雪がきてしまったが、これならもう一回は焼けるで。」
「炭に適した木とかはあるんですか?」「ハハハ、何でもいいだよ。炭になれば・・・・」
 炭焼きといっても立派な炭焼き窯があるわけではない。地面に1m四方の穴を掘って、その中でまず木を
燃やして炭にしておき、その上に材木をぎっしり並べて置いて、火をつけたらあとは土をかぶせてトタン板で
ふたをするだけ・・・・・きわめて原始的な炭焼き窯である。一晩か二晩そのままにしておけば炭ができる。
 「今年は灯油が高いで、少し多めに作っとかないと・・・・」というおじいちゃんに、雪かきの極意を教えて
もらった。「屋根雪はどれくらい積ったらやるんですか?」「そうだね、1mくらいまでは大丈夫だで、その
くらい積ったらおろせばいいだ。」「30センチくらいは雪を残しておくと聞いたんですが、・・・・」「そうだね、
そのくらいは残しとかないと、滑って危ないだ。屋根雪の一番下は、氷になってるで、そこまで雪をとると
滑るだ。」・・・・・このおじいちゃんの家は私の家のすぐ下で、よく見える。よし、屋根の雪下ろしはこの
おじいちゃんが始めたら自分も始めよう・・・勝手に雪下ろしの師匠になってもらうことにした。




またまた・・・・
 天気予報通り、昨日の朝から降りだした雪が、一日中降りやまず、今朝まで続いた。積雪量は50センチ、
前回の雪よりも多い。今期2度目の除雪車が出動した。
 音もなく、しんしんと降ってくる雪をみていると、子どものように何だかワクワクしてくる気持ちと、何だか
押しつぶされそうな圧迫感の両方が迫ってくる。長野県内の情報を見ると、小谷村だけがこんな積雪に
なっていたのだが、まさに豪雪地域である。
 明日からはまた天気がよくなるというので、これ以上の積雪はないが、さて、今から除雪作業にとりかかる。
 青空駐車をしている我が家の車もすっぽり雪の中・・・・・動けるようになるまで20、30分はかかる。
見かねた近所の人が、「うちの車庫が一つ空いてるで、使ったらいい。」と親切に教えてくれた。お言葉に
甘えて貸していただこうと思う。「まだまだ、これからだで・・・」そう話す村の人を見習いながら、序盤戦の
真っただ中に立っている。





漬け物
 見よう見まねで挑戦した白菜の漬け物が、思いのほか順調だ。我が家の畑でできた白菜は、鍋ものや
煮付けにするには多すぎる。何かいい保存方法はないか、と考えて漬け物にすることにしたのだ。
 白菜の漬け物といえば、かつてはスーパーで袋入りのものを買うのが当たり前・・・・・結構いい値段
であった。作り方などもちろん知らない。近所のおばあちゃんや知り合いの人にいろいろ聞いて、最後は
インターネット・・・・写真入りでかなり詳しく作り方を教えてくれる。
 重石は近くの姫川の河原でとってきた石、樽はホームセンターで買い求めた。基本は塩だが、よりコクの
ある味にしようと、酒、みりん、昆布、とうがらし、ゆずを加えた。りんごや柿の皮もいいそうだ。
 重石を乗せること2日・・・・・待望の水が上がってきた。ここで重石を半分にして、あとは熟成を待つ。
 野沢菜もいっしょに漬けてみた。こちらは近所のおばあちゃん直伝のやり方・・・・・・
 昔はひと冬分の漬け物を大きな樽で漬けていたそうだ。雪に閉ざされる山里では、漬け物は不可欠の
食品、我が家のものはとてもひと冬分とはいかないが、何ごとも経験と勉強である。これを機に、漬け物
だけは自家製で賄えるよう、腕を磨かなくては・・・・・・・・





薙鎌打ち神事
 小谷村の最北部、新潟県との県境、深い山の中に「戸土(とど)」という、今は廃村になった集落跡がある。
ここにある小さな社で七年に一度、「薙鎌打ち神事(なぎがまうちしんじ)」と呼ばれる、諏訪大社の神事が
行われる。薙鎌とは、鉄製の鎌のようなもので、これを神木の大杉の幹に打ち込むのである。この薙鎌は
諏訪大社から運ばれ、諏訪大社の神主(大祝・・おおほうり)もやって来る。
 古くは平安時代から鎌倉時代のものが残っているという。
     
古い時代の薙鎌                  打ち込まれた薙鎌                  戸土から見る糸魚川と日本海
 小谷村の歴史書を読んでみると、この神事にも長い歴史があることが分かる。出雲地方の王、大国主命
(オオクニヌシノミコト)はすぐれた鉄器文化を持ち、強い勢力を持っていたが、糸魚川地方に産出する玉
(ヒスイ)を求めてこの地にやってきた。そこで土地の豪族の娘「奴奈川姫」と結婚し、健御方神(タケミナカタノカミ)
が産まれた。産まれたのは戸土の近くの「大網(オアミ)」という集落だといわれている。
 この神が諏訪大社の祭神である。古事記にある「国譲り」のあと、出雲を追われた健御方神は糸魚川から
戸土を通り、小谷村、白馬村、安曇野を通って諏訪の地にたどりついたという。戸土は信州側では唯一海の見え
る集落なのだ。健御方神の信濃入りを起源としてここに諏訪神社が建てられた。
 薙鎌は開拓のシンボルだという。また、鎌は風を鎮めるシンボルでもあり、鉄器で作られた薙鎌には健御方神
の力を借りて、開墾や開拓に励んだ先人たちの思いが重なる。
 小谷村の各集落には諏訪神社があり、それぞれに薙鎌が神体となっていて、この地と諏訪信仰の深いつながり
を物語っている。諏訪大社にとっても小谷村のこの神事は大切なものだと書かれている。
 残念ながらまだ神事を見たことはないが、古代の伝承が日常の生活のなかに根付いていることにあらためて
感動させられる。





分家
 慶安2年(江戸時代初期)、私の住む集落は29軒と決められていたという。藩の命ではなく、村人が
自主的に決めたことだそうだ。この集落に限らず、村内の集落では同様にこれ以上家の数を増やさない
と自主的に掟を決めて現在にいたっているところがたくさんある。
 田舎へいくと「本家」と「分家」という関係があり、分家は本家の二男や三男が、近くに家と田んぼを少し
分けてもらって独立したもの、そうやって分家を増やし、一族の結束を固めたというが、もともと山奥のこんな
場所では、田んぼや畑も限られている。それを分けていくと、やがて生計を立てるに十分な広さが保てなく
なる。それ以上分家を増やすと共倒れになってしまうのだ。
 いわば「自主規制」とも言えるこの掟、おそらく相当の覚悟が必要であっただろう。自家に男子がたくさん
生まれると、その処遇に窮したということは想像できる。とても田や畑にできそうもない山奥や急峻な斜面、
猫の額ほどのせまい場所などが開墾され、今も耕作地となっているのを見ると、その苦労がしのばれる。
 そんな掟を守らず、分家を増やし、田や畑を分けて自らの首をしめる者を愚か者とし、「たわけもの(田分け者)」
と呼んだ。29軒と決めた集落の先人達も、この数が限界だとわかっていたのだろう。私の住む家もその29軒の
一つになっている。





おすそわけ
 「たくさん採れたで、食べてみねぇか。」・・・・・・・近所のおばあちゃんがムラサキイモを袋にいっぱい持って
訪ねてくれた。ありがたく頂戴しながら、そう言えば今年ずいぶんいろんなものをいただいたことを思いだした。
 春には山菜(こごみ、タラの芽、ヤマウド、ネマガリダケ、・・・)えだまめ、くろまめ、ささげまめ、もち米、きゅうり
トマト、ナス、菊や山野草、シイタケ、マイタケ、ナメコ、小豆、柿、ハヤトウリ、漬け物・・・・・
 数えるときりがない。みんな自家製の作物で、新鮮この上ないものばかり・・・おかげで山の幸を存分に堪能
することができた。街に住んでいたころには考えられないことだが、こんな山里ではそれがごく自然に存在する。
 私の歴史の師匠である杜氏さんが、「金、金と言わなければ、ここは住みやすいところだで。」と言った一言が
心に残る。米づくりをやってみたいなら田んぼを貸してやると言ってもらっているが、覚悟がまだ決まらない。
 たくさんできたらおすそ分けをする・・・・もらったらいずれ自家でできたものをお返しする・・・・・そんな、かつて
は普通に見られた慣習が、今も健在で人々の絆を強める糸の役目をしている山里である。





タイヤ
 どうしようかと迷っている。冬用タイヤの交換である。「スタッドレスタイヤ」と呼ばれる、雪道専用の
タイヤは、雪や氷には強いが、舗装道路を走ると抵抗が大きく、燃費も悪い。何よりも摩耗が激しい。
 なるべく普通のタイヤを使って、いよいよ雪だというころに交換しようと考えていた。
          
 ところが、先日の季節はずれの大雪である。道の雪が解けるまで2日間、とうとう外出ができなかった。
しかし、予報をみるとこの先しばらくは先日のような雪はなさそう・・・・・・それで判断に困っている。
 「4駆の車があれば大丈夫だよ。」・・・・・3年前、地元の人がそう言うので、サファリラリーにも使えそうな
4輪駆動の車を手に入れた。この4駆、タイヤがやけに大きいのである。したがって、スタッドレスタイヤも
1本が2万円前後という、信じられない高価なもの、簡単にすり減らすわけにはいかないのだ。
 雪の少ない九州では、シーズンに1,2回積もる2,3センチの雪はチェーンで乗り越えてきた。だから、
スタッドレスタイヤの威力など知るよしもなかった。スタッドレスタイヤで初めて冬にやってきたときは、
本当に大丈夫かと疑心暗鬼で、生きた心地がしなかったものだ。おまけに我が家は標高800m近いところ
にあり、当然、急な上り坂の連続・・・・ところが、このタイヤの威力は絶大であった。どんな坂もズリッとも
滑らず、すいすいと上っていく。下りもまったく心配なし。なるほど、雪国にはこれは不可欠なタイヤだと
悟ったのである。
 タイヤ交換に必要なジャッキも用意し、いつでも交換できるのだが、さて、雪はまだ降るのか・・・・・・





遡上
 生まれて初めて見る鮭の遡上である。新潟県糸魚川市能生川・・・・ここで遡上してくる鮭のつかみ取り
イベントがあると聞いて行ってみた。車を走らせること約1時間、久しぶりに見る日本海であった。
 鮭の遡上は写真やニュースではよく見るが、本当にその辺の川に上ってくるのか、半信半疑であったが、
杞憂であった。海岸から100mとない場所に、何百匹という、大きな鮭が泳いでいる。
  
 まさに驚愕の景色であった。イベント会場では、川の中に作った大きな池に鮭が放され、ゴム長を着た
観光客が歓声をあげながら鮭を追いかけている。
 川岸では漁協の人たちが「鮭汁」や「イクラ弁当」をふるまってくれた。説明を聞くと、毎年卵を人工ふ化
させ、上流に3万匹放流しているのだとか、ここに泳いでいる鮭たちは、この川で大きくなったもの、いわば
故郷の川に帰ってきたということになる。川の中のあちこちに、力尽きて沈んでいる鮭もいる。
 はるばる帰ってきた鮭をその場で食べてしまうというのは、ちょっとかわいそうな気もするが、卵をとってまた
稚魚を放流すると聞いて、安堵しながらおいしい鮭汁をいただいた。
 見慣れた人には珍しくもない風景だろうが、初めての者には感動である。自然の営みをこれほど力強く感じ
られる経験は、本当に川や海を守らなくてはいけないという、素直な思いとなって心に刻まれる。
 鮭は毎年やってくるというので、また来年来てみたい、そう思いながら新潟をあとにした。





雪下ろし
 笑われてしまった。知り合いの地元の人と屋根の雪下ろしのことで話していたときのこと・・・・・・
「屋根の雪は30センチくらい残しておかないとだめですよ。」「えっ、30センチも残すんですか?全部
  
きれいに取ってはいけないんですか?」「全部取ってしまうと滑りやすくなるし、スコップなんかで屋根を
痛めてしまうからね。」「ああ、それで雪下ろしのときは普通の長靴でいいんですね。」「?じゃあ、なにで
やろうと思っていたのかね?」「ええ、滑らないようにと、地下足袋を買いました。」「地下足袋?ハハハ・・・」
というわけである。経験したことがないというのは、こんなものなのだろう。
 前から、滑りやすい屋根の上で何を履いて作業をするのか、疑問であった。自分なりにいろいろ考えて
地下足袋ならいいだろうと、買い求めたのだ。そうか、30センチ雪を残しておくのか・・・・目からウロコで
あった。それなら普通の長靴でいいし、屋根の滑り止めに十分な足場ができる。
 幸い、今回の積雪で屋根の雪下ろしをすることはなかったが、近いうちにまちがいなくその機会がくる。
 30センチ残す・・・・・何だかもう一人前の雪国の住人になったような気がしている。





森林税
 長野県では来年度から「森林税」の導入を計画している。県民が一律に500円を森林税として納入する
というもの・・・・目的は、全国有数の規模を誇る長野県の森林が、木材の低価格、人手不足、林業従事者
  
の高齢化などで、手入れが進まず、森林の荒廃が目立っていることから、税金を投入して間伐を進め、森林
資源の整備をするためだという。森林の多くは個人の山であり、個人資産に税金を使うのか、という反対意見
もあると聞く。森林や林業のことには全くの素人だが、村の人に話を聞くと、間伐の必要性は分かっているが、
1本切り出すごとに赤字になるのだとか・・・・高齢化も進み、後継者も少ないという林業の現実は、集落の山を
見ていてもよくわかる。長い歴史の中で、山の所有区分が複雑に入り組み、地元の人でさえ、どこまでが自分
の山かわからないケースもあるらしい。500円の負担で近くの山がきれいになり、整備されるなら賛成であるが、
県全体で6億円になるという税金で果たしてどこまでやれるのか、心配も残る。
 最近、カラマツが高い値段で売れるようになったらしい。ロシアからの輸入に頼っていたが、最近ロシアが
この木に高率の関税をかけたことで、国産のカラマツの方が手にいれやすくなったからだ。カラマツは木が
固く、住宅用の建材に適しているとか、小谷村にも多く見かける木である。
いずれにしても、山里はどこも山に囲まれた地域、かつては林業が盛んにおこなわれたところである。もう
一度、発想を変え、きっかけを作れば立派な産業として再生できるはずである。
 できれば森林税がそんな動きの先駆けになってもらいたいと思う。





三種の神器
 すべての雪を除雪することは困難だが、せめて人が歩けるように道を作り、玄関まわりの邪魔な雪は
とっておかないと困る。そこで登場するのが雪かきの三種の神器・・・・・・・
 ママさんダンプ(左)、クリスターラッセル(中)、専用スコップ(右)の3つである。ママさんダンプというのは
れっきとした商品名で、力のない女性でもこれでスコップの何倍もの雪を一度に運べるというすぐれもの、
ラッセルは、長い柄の先についたバケットで雪を押しながら運ぶもの、スコップも雪かき用のものはアルミ製
で軽く、金属部分が広くできている。この3つがあれば、あとは体力というエンジンさえあれば、相当の雪
かきができる。ホームセンターに行くと、店先にさまざまなデザインや材質のものがならんでいる。
 雪国の人には珍しくもないが、南国の九州人にはすべてが驚愕の道具・・・・・・使ってみてはじめてその
威力がわかるというもの。道具は必要が生み出すもの、すべて納得の三種の神器である。
 切り札の除雪機、それに三種の神器がそろった。どんとこい、と言いたいが、最大の難関は2階の屋根
の雪下ろし・・・・・これだけはまだ未経験であるし、便利な専用グッズというものは聞かない。おそらく
スコップかダンプが主流なのだろうが、高い屋根の上の作業は間違いなく「命がけ」、これは難敵である。





シニア
 昨日の夜から降りだした雪がまた一晩中降り続き、今朝も40センチを超える積雪・・・・・・今期2度目の
除雪車出動となった。
 
 こうなると待たれるのがスキー場のオープン、小谷村に3つ、隣の白馬村に8つのスキー場がある。
 全国的にスキー人口が減って、どこのスキー場も苦しい経営状況だとか・・・・特に昨シーズンは雪が少なく、
困ったという。今年はこの調子だと心配はないだろう。
 さて、村内のスキー場だが、12月の初めにはオープンの予定、サラサラ雪の雪質は好評である。また、村の
スキー場は晴れていれば、どこへいっても北アルプスの絶景が見られる。
 気になる料金だが、我々にはありがたいサービスがある。「シニア料金制度」である。50歳以上の人は
割引料金が使えるのだ。通常の料金よりかなりの割引で、シーズン券という、全期間使える券でも18000円、
普通の人は35000円以上はする。6,7回行けば元がとれる計算だ。
 地元の人にも利用してほしいという配慮らしいが、結構なことである。倉庫に眠っていたスキー板や靴を
取り出して手入れをしなくてはならない。冬の間の運動不足はこれで解消・・・といきたい。





暮らし
 昨日の雪はまだ解けきらず、あたりは真っ白である。厄介な冬の使者であるが、うまくつきあっていくしか
ない。ちょっといいこともある。缶ビールを庭の雪の中に突っ込んでおく。酒もいい。1時間もすると最高の
冷え具合・・・・・ギンギンに冷えたビールをおいしくいただくことができる。まさに天然の冷蔵庫・・・・・
 先日、急に冷えた夜、台所に畑から抜いてきた大根を置いていた。翌朝、食べようとすると何か違和感
がある。よくみると中が凍っていた。夜の台所は氷点下に下がる。冷蔵庫にいれていた大根は無事であった。
 「冷蔵庫はものが凍らないために使うだよ」・・・・村の人の話は間違っていなかった。
 今日、近所のおじいちゃんが庭の柿の木の手入れをしていた。たわわに実った柿の実の重さで枝が折れ
そうになっていて、おまけに雪の重さが加わっている。前から干し柿用の柿を探していた奥方がさっそく
いって、少しわけてほしいと頼んだ。快くおじいちゃんが柿をわけてくれた。「渋柿ですか?」と聞くと、
「いや甘柿だが、甘くならねぇだ。」・・・・干し柿にはなるという。お礼に福岡の友人から届いたみかん
を差し上げた。「ほう、おめぇさんの生れ在所のものかね。」と喜んでもらえた。生れ在所・・・・・・・
なつかしい響きを久しぶりに耳にした。
 昨年は残った柿は全部サルたちに食べられたという。今年はまだ見ていないそうだが・・・・・・・
 甘い柿が一番に食べられて、渋柿はちょうど熟して食べごろになるとやってくるそうだ。サルも人間も
山里の恵みをわけあって冬を迎える。それが山里の暮らし・・・・・・・・




初雪
 いきなりの洗礼であった。18日の昼ころから降りだした雪は、とうとう一晩中やむこともなく続き、朝起きて
みると一面の銀世界・・・・・・・初雪がいきなり35センチの積雪である。
  
 朝の4時すぎに、この冬初めての除雪車が出て、下の道の除雪をしていた。まだ気温が高いせいか、
湿った雪だが、こんな情景がこれから4か月あまり続くことになると思うと、身が引き締まる。
 購入した我が家の除雪機を動かすほどではなく、何とか人力で必要な除雪はできたが、30分も動けば
体はポカポカ・・・・・・「運動不足解消になるだ。」と言ってくれた村の人の言葉は正しい。
 しかし、これはまだ序盤戦、本当の戦いはこれからということ・・・・・・・・・長野市ではパラパラ程度の雪
であったらしい。ここ小谷村は日本でも有数の豪雪地域だという話が実感として感じられる初雪であった。





 今年は秋から熊の出没のニュースを聞かない。昨年は小谷村でもけが人がでて、大変な騒ぎだったのに・・・・
先日、熊に関する記事が地元の新聞に掲載されていた。
・・・・・・・今年4月から10月末までに、長野県内で補殺されたツキノワグマは150頭で、過去最多を記録した
前年同期の428頭に比べて3分の1に減った。・・・・・・・・
 小谷村のある北安曇地方では、昨年100頭の補殺だったが、今年は19頭だったとか、目撃情報も、昨年は
10月、11月も多くの出没が目撃されたが、今年は9月以降、目撃も減っているという。
 原因として、昨年度の補殺頭数が多かったことと、昨年は記録的な凶作だったドングリ類が、今年はまず
まずの生育で、昨年は集落の柿の木に登って実をあさる姿もよく見られたが、今年は報告がないそうだ。
 山に入れば、コナラ、ミズナラなどの木の実がたくさん落ちていて、危険を冒して人里におりてくる必要が
なくなったからだろう。
 自然がバランスよく保たれていれば、熊もとんだ災難にあわずにすむ。何年かに一度あるという、木の実の
凶作、人為的な原因でないことを祈りたい。





三峯様
 この時期になって、集落のあちこちのみならず、村の中にも見慣れないものが出現している。
 
 村の人に聞くと「あれは三峯様(みつみねさま)といって、魔除けの神様だ。ここらじゃああやってカヤを
立てる習わしがあるだ。・・・・・・」なるほど、三峯というだけあってカヤの柱が3つに分かれている。
 三峯様とは・・・・・埼玉県秩父市三峰にある神社のことで、歴史は古い。江戸時代、秩父の山中に棲息
する狼が、猪などの被害から守ってくれる神使として、「お犬さま」と呼ばれて崇められた。このことがやがて
盗賊や災難から守ってくれる神として解釈されるようになり、この神社から狼の護符を受けることが流行った。
修験者たちがこの神社の神徳を広めるために全国を行脚し、神社に参詣するための講(三峯講)が組織
されたという。講とは、集落の代表が参詣し、ご利益のあるお札をもらって帰るというもの、そうやって全国の
村の隅ずみまで信仰が広がったとか・・・・・・
 集落の中を散策していて、杉木立の中に三峰神社の碑を見つけた。集落の外れの小高い丘の上に
ひっそりと佇んでいた。
 どうすることもできない天変地異や災難に対して、人々は神や仏に祈るしか術をもたなかった時代、
ご利益があるときけば宗派にこだわらず崇めてきたのだろう。この集落にも他に、「秋葉様(火難の神)」、
「九頭竜権現(戸隠奥社に祀られる神)」「阿弥陀堂(念仏講が行われていた)」などが祭られている。
もちろん「諏訪神社」はそれらの中でも別格の存在となる。
 信仰は、それが生まれた背景を考えると民衆の生活そのものだったと、今も残るこうした習わしをみると
思い知らされる。教義や祭神などとは無縁のところで、素朴に「祈る」という営みが息づいている。




長靴
 山里の暮らしに不可欠なものの一つが「長靴」・・・・・・・畑仕事でも草刈りでも、ちょっとそのあたりを散歩
するときでも重宝する。買い物へ行くときでも、長靴で一向にかまわない。スーパーでも長靴の奥さんをよく
見かける。最近、すぐれものの長靴を見つけた。
  
スパイク付きの長靴である。以前、磯釣りで使ったことはあるが、普段の生活で使うことなど考えたことも
なかった。しかし、雪道やぬかるんだ坂道を歩くには最適の履物だということに気がついた。
 特に氷結した道には抜群の効果を表す。気をつけなくてはいけないのは、木製の床を歩けない、ということ。
ホームセンターへいくと、この時期、長靴専門のコーナーができていて、相当な需要があることを示す。特に
雪の中で長時間作業をする人のためには、完全防水のボア付き製品があり、値段は一足8000円近くする。
 街ではもうほとんど使うことのなくなった長靴・・・・・山里ではまだまだ現役である。





助っ人
 頼んでおいた強力な助っ人がやっと届いた。除雪機である。九州では写真すら見たこともなかったもの、
冬の雪国には欠かせない,頼りになる助っ人である。
   
 エンジンで前部にあるローターを回して雪を取り込み、煙突のような出口から吹き飛ばすという仕組み、
昨年まで人力で除雪をしていたが、とても敵う相手ではない。機械の力がないと、冬は乗り切れない。
 集落の各家には、もっと大型の、強力な除雪機がある。我が家のものはちょっと小型だが、そう広い面積
ではないので、これで十分だと思う。
 さて、この助っ人が活躍するのはいつのことになるか・・・・・




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