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味
| 味 |
| 美しく年を重ねたい・・・・・ |
| 誰もが思うことですが、これは結構難問です。 |
| 美しく・・・・とは |
| 外見の見映えですか? |
| 否定はできませんが、それだけではありませんね。 |
| おそらく多くの人が望む「美しく」は、 |
| 年相応の「品格」のようなものを指しているのでしょう。 |
| 十分に経験を重ね、幾多の障壁を乗り越え、 |
| 多くの人と交わり、我を失う窮地を這い上がってきた・・・・・・・ |
| そんな中から染み出てくる、人間としての「味」や「品格」が |
| 「美しく」の中身でなくてはなりません。 |
| 若いころの美貌や剛健な体力は、もはや色あせ、さび付き始め、 |
| 回復を望むことはできません。 |
| せめて、しわの増えた顔の中に |
| その人が生きてきた足跡がしっかりと見えるように、 |
| 年をとりたいものです。 |
| 別離 |
| めぐり会えた喜びが大きいから |
| 別離がさびしいのではありません。 |
| 別れは元々さびしいものだから |
| 人は次の出会いを求めるのです。 |
| 一人でいるときに何をしているか・・・・・・・ |
| それを教養といいます。 |
| わがまま |
| 誰かに愛されていたいという思いは、 |
| 誰かを愛していたいという思いより強い。 |
| 愛し合う若い二人は、献身的に相手に尽くすことを誓うが、 |
| 愛情という感情にはそんな「わがまま」も潜んでいることを忘れてはならない。 |
| 人は自分で思うほど強いものではないという証しでもある。 |
| 脇役 |
| 「脇役」という仕事がある。 |
| 主役を目立たせ、その存在をより確かなものにする役目を負う。 |
| 最高の演技をしても、評価や賛辞は目立たせてやった主役が黙って持っていく。 |
| 悔しくないはずはない。 |
| 脚光を浴びる主役に憧れてその道を選んだはずだから・・・・・・・ |
| 名脇役と呼ばれる人たちは、きっと人生のどこかでその壁にぶつかり、 |
| もがき、あがいた末に、乗り越えたにちがいない。 |
| しかし、誰もそんなことを語ろうとしない・・・・・・・ |
| もしも自分が表舞台に立っていると感じるときは、 |
| 自分の陰で自分の存在や仕事を支えてくれ、 |
| 自分をこの舞台に立たせてくれた誰かがいるはず・・・・・・ |
| その誰かを探し、そっと頭を下げられる人間でありたい。 |
| かけがえ |
| 私がのんびり空を眺めている、今も |
| 1秒を争う危機を乗り切ろうと、もがいている人がいる。 |
| 私が夕食を食べながら家族と楽しく語らい、笑っている、今も |
| 歯をくいしばって何かに耐え、必死で涙をこらえている人がいる。 |
| 私やあなたが小さな幸せに包まれ、「今日はいい日だった。」と思う、今も |
| 倒れそうになる自分を励まし、かろうじて今日を生きた人がいる。 |
| 平凡で退屈だと思える日々の暮らしの中で、 |
| それが普通で、当たり前のこと、だから別に気にもしないことは多い。 |
| もう一度確かめなくてはならない。 |
| のんびりした時間、家族の団欒、今日の満足、小さな幸せ、 |
| それら私の持っているものの、かけがえのない重さと輝きを・・・・・・・・ |
| 「かけがえがない」とは、、 |
| 一度なくしたら、もう二度と手に入らないことを言う。 |
| 伝言 |
| ・・・・・・必要なものはすべてお渡ししました。 |
| あとはあなたたちの才覚で、活用してください。 |
| 私たちが若かったころとは社会の状況もずいぶん変わり、 |
| やりにくくなったと感じることも多いのですが、 |
| 今を元気に生きるあなたたちのことだから、 |
| きっと新しいアイディアやしなやかな創造力を生かして |
| あなたたちの時代が築けると信じています・・・・・・・・・ |
| 近いうちに現役をリタイアする同年代の多くの仲間たちは、 |
| こんな伝言を胸に秘め、残された日々を心静かに暮らせたら・・・と思っています。 |
| また一つ、大切なものが終わりを迎え、 |
| バトンを渡し終えた走者は、すべての役目を無事に果たし、 |
| ただ黙ってグランドを去ります。 |
| そんな日も間もなくです。 |
| 輝き |
| 大切だと思う人には、いつも輝いていてほしい・・・・・・・ |
| 相手が男であれ、女であれ、そう思う。 |
| 「輝く」とは、外見の華やかさを指すのではない。 |
| その人に憧れた、「その人らしさ」を失わずにいてほしいということ・・・・・ |
| 私の中でいつまでもまぶしく輝いているあなたが、好きです。 |
| 惚れる |
| 「惚れる」という言葉の中には、 |
| 自分が最初に見つけたあの輝きは、いつまでも自分のものだ、という、 |
| 少し強引でわがままな思いがひそかに込められている。 |
| だから、他人がその輝きを共有しようとすると、 |
| 不愉快な気分になる。 |
| 時間 |
| なつかしい歌に耳を傾けながら、 |
| 知らぬ間にそっとリズムをとっている私がいます。 |
| 他の人なら涙を浮かべるような場面でもないところで、 |
| 思わず目頭が熱くなる私がいます。 |
| 数日前から軒先に巣をはったクモに、 |
| 「ご馳走は手に入ったかい?」と聞いている私がいます。 |
| 慣れぬ手つきでレジを打つ店員の胸に見えた「研修生」というカードに、 |
| わけもなく「がんばって。」と心の中でつぶやいている私がいます。 |
| 花屋の店先で、「値引き 半額」と書かれ、バケツに入れられた切花を見て、 |
| 枯れゆく運命に必死で抗った、彼の数日間を想う私がいます。 |
| どこにいても優しくなれる・・・・・・ |
| そう教えてくれる時間に包まれています。 |
| 湯たんぽ |
| 人は誰も、心の中に湯たんぽを持っている。 |
| 体温を作り出し、維持するのは体の生理的な機能のおかげだが、 |
| 程よい温もりで心を温めてくれるのはこの湯たんぽだ。 |
| つらい出来事や悲しい別れで傷ついた心がやがて癒えるのも、 |
| 人を愛したり、信じたり、慈しんだりできるのも、 |
| 美しいものに心が震え、かわいいものに表情が緩むのも、 |
| みんなこの湯たんぽの温もりのおかげ・・・・・・・ |
| 冷めてしまえば役に立たないが、そうならないように |
| 人は心の湯たんぽにお湯を入れ続けている。 |
| 心が温かくなった、と感じたら |
| 今湯たんぽにお湯が入っている、と思うことにしている。 |
| 傷 |
| 深いと思われた傷がやがて癒えていくのは、体も心も同じ、 |
| わが身に備わった治癒力は決して自分を裏切ることはない。 |
| 生命の維持を脅かす怪我や病気も、 |
| 息をすることさえつらい心の悩みも、 |
| 体は平等に「危機」と受け止めてくれる。 |
| 心配はいらない。 |
| 回復など到底おぼつかないと思われる今日かも知れないが、 |
| 明日になればほんの少し、何かが変わっていくはず・・・・・・ |
| だから 何としても今日を生きよ。 |
| 明日を信じて・・・・・ |
| 傷は今もゆっくり癒されている。 |
| 風景 |
| 長い年月をかけて、二人だけの歴史を書き上げてきた老夫婦が |
| 並んで座っている。 |
| 会話もなく、ただ黙って同じ風景を見ている。 |
| 横を通る、若い二人がいくら腕を組んで談笑し、愛の強さを誇示しても |
| 決して割り込むことのできない、凛とした空間の中で、ただ黙って座っている・・・・ |
| 寄り添って生きてきた事実は誰も評価してくれないが、 |
| 二人の沈黙の時間の中に十分溶け込んでいる。 |
| 絵になる「風景」である。 |
| 見切り |
| 本当はやってみたかったのに、できなかったことがある・・・・ |
| できることなら一言言いたかったのに、言えなかったことがある・・・・ |
| もはや叶わないが、できればもう一度会ってみたい人がいる・・・・ |
| 誰しも振り返れば、そんな人生の空白のページがあちこちにあるだろう。 |
| もしも情熱や希望、意欲や体力があのころのようにあふれていたら・・・・と、 |
| 空白を埋める作業になかなか取り掛からない言い訳を探し、 |
| 「どうやら、この辺が潮時だ。」とこっそり我が身に言い聞かせている自分に気付く。 |
| 人生、こんなもんだろうと、見切りをつけるのは容易いが、 |
| 自分に見切りをつけたときから、まちがいなく老いが始まる。 |
| 掟 |
| いかなる理由があろうと、 |
| 高校を卒業したら家を出て一人暮らしをする・・・・・・ |
| これが我が家の「家訓」。 |
| 3人の息子や娘たちも、みなこの掟に従って家を出て一人暮らしを体験した。 |
| 友人に「なぜ?」とよく聞かれるが、答えはただ一つ。 |
| ・・・・一人で飯を食うさびしさを体験させるため・・・・・ |
| 生きることの基本である食事は、元来、狩りで獲ってきた獲物を |
| 家族のみんなで分けながら食べ、肉親の絆を深める営みだった。 |
| だから、いくら高価なご馳走でも一人で食べてうまいはずがない。 |
| しかたがないと分かっていても、 |
| 人が一番さびしくなるのは、一人で食べる夕食のとき・・・・・・ |
| 話す相手もなく、黙って一人で食べる、その時間は、 |
| 人が愛するものといっしょに暮らすことの意味を、いやでも思い知らせてくれる。 |
| わけ |
| わけもなく、ふいに目頭が熱くなるのは、 |
| 自分が人生の中で、人知れず大切にしてきた秘密めいたものがあるからだ。 |
| だから |
| わけもなく出る涙には |
| ちゃんとわけがある。 |
| 選ぶ |
| 人はみな、幾度も人生の岐路に立たされ、道の選択を迫られる。 |
| 仕方なく悩み、迷い、やっとの思いで決断を下すことになる。 |
| 選んだ道を歩き始めてしばらくすると、未練や後悔も味わうことだろう。 |
| しかし、やがて通りすぎてみると、確かにわかってくることがある。 |
| 本当に大事なのは、 |
| どの道を選ぶかではなく、 |
| 選んだ道をどう歩くかということ・・・・・・・ |
| 多くの人がそんな思いを密かに自分に言い聞かせ、 |
| あの時選んだ、この道を歩いている自分をいとおしく感じながら |
| 今日を生きている。 |
| 求めるもの |
| 求めるものが大きいと、手に入らなかったときの落胆も大きい。 |
| 求めるものが小さすぎると、手に入ったときの満足感が足りない。 |
| 求めるものの大きさを見誤らない秘訣は、 |
| 手に入れたときの充実感と、手に入らなかったときの喪失感を、 |
| 行動を起こす前にしっかり想像してみること・・・・・・ |
| 利害損得の勘定は、その次にある。 |
| 石ころ |
| 日々の暮らしや仕事の中で、 |
| 何だか自信がない、疲れていると感じたら、 |
| どこでもいい、道ばたに転がっている石ころを一つ拾ってごらんなさい。 |
| そして、手のひらに載せてしばらくじっと見つめてごらんなさい。 |
| 物言わぬその石ころは、あなたや私が生まれる、遥か昔から |
| 「石」という名の生を、愚痴一つこぼさず生きてきています。 |
| 水にもまれ、土に埋まり、炎天や極寒の季節を生き延び、 |
| 手のひらに乗る大きさに割られ、削られ、丸められ、 |
| それでも「石」と言う名の個性を捨てることなく、生きています。 |
| そんな悠久の石ころの人生に比べたら、 |
| 自分など、まだまだ若造だな、ときっと思えるはずです。 |
| だから、だまされたと思って、石ころを一つ |
| ぜひ拾ってごらんなさい。 |
| 言葉 |
| 「思いやり」という言葉を包む皮をむいていくと、 |
| 最後に見えてくるのは「想像力」です。 |
| 相手の様子や言動から、相手の気持ちや状態が推し量れるのは、 |
| この想像力のおかげなのですが、 |
| いつも鍛えてやらないとすぐにさび付いてしまう、少し厄介な能力です。 |
| 成熟の掟 |
| 人生には、人間として次の成熟の段階に進むために、 |
| 他のことは考えず、ありったけの力ををそのことだけに費やし、 |
| 精一杯生きなければならない時期がいくつもある |
| 歩き始めた幼児は、這うことを忘れるまで歩く。 |
| 子どもは、我を忘れて遊びながら、 |
| 「社会」という人間関係の広がりや、そこで生きるための知恵やきまりを覚える。 |
| 青年は、悩み、傷つき、打ちのめされ、よろけながら |
| 夢や人生という、得体の知れない大きな相手に挑む意思と力を蓄える。 |
| そうやって身につけた基礎体力を使って、 |
| 手本となる大人を探しながら、やがて彼らは次の階段に足を乗せていく。 |
| 階段を用意してやるのは、大人の役目、 |
| 足の運びを教え、見守ってやるのは老人の役目・・・・・・・ |
| みんながそれぞれの仕事を成し終えたら、 |
| 素直に手をとって喜び合えばいい。 |
| それが、人が人として成熟していくということだ。 |
| 歩く |
| 歩き始めた幼子を見ていて気付くことがある。 |
| 何度転んでも立ち上がり、 |
| 前へ、前へと歩く。 |
| 頼りない足の運びだが、前へ進んでいることを全身で喜び、 |
| 決して後ろに下がることをしない。 |
| ああ、歩くとはこういうことだったのだと、教えられている。 |
| 後ずさりは、生きていく過程でおびえや逃避を覚えたときから始まる。 |
| 和 |
| 禾(のぎへん)は、稲や穀物が実る様子を表す。 |
| 収穫した米や穀物を家族のみんなでいっしょに食べたから、 |
| 話が弾み、楽しい雰囲気が生まれたのだろう。 |
| 「和」と言う字は米を口に入れると書く。 |
| そして「和やか」(なごやか)と読む。 |
| 座る |
| 大声を出して騒いでも、 |
| 浴びるほど酒を飲んでも、 |
| そこらにあるものを手当たり次第投げつけてみても、 |
| 問題の解決には程遠く、 |
| それはただ、制御不能となった自分の感情を思い知るだけ・・・・・ |
| 何とかしたいなら、そんなバカなことはやめて、 |
| 問題の中心に腹を据えてどっかりと腰を下ろすことだ。 |
| 四面楚歌の向こうに、かすかでも新しい声が聞こえるまで |
| 飛んでくる矢をすべて我が身に受け止め、 |
| 矢を射掛けてくる相手を見据えることだ。 |
| 矢を受けた苦痛と失血は、ぼんやりしていた頭をすっきりさせ、 |
| 曇っていた目を晴らしてくれる。 |
| 大丈夫、その程度で人間は倒れたりはしないものだ。 |
| 誠意 |
| 思い出すのがつらいことは誰にでもあります。 |
| もしもそうなら、 |
| あえて思い出さなくてもいいのだと思います。 |
| ただ、忘れないでおけばいいのです。 |
| いつまでも覚えておくということが、 |
| 今の自分にできる、精一杯の誠意なのですから・・・・・・・ |
| 道標 |
| 邂逅(めぐりあい)は、その結末がどうであれ、 |
| 「私」が「私」らしく成長しながら歩くための道標であったのだと、 |
| 別れがきたときに思い知らされる。 |
| あなたや、君や、おまえ・・・・・・そう呼ばせてもらった多くの人が、 |
| 今は目の前にいなくても、自分の生きる目標や糧になっている。 |
| 「さようなら」と告げた記憶の深さに比例して、 |
| 見えなくなった人の影も大きくなっていくが、 |
| また会えると思うから、切ない別れも耐えられるし、 |
| もう二度と会えないと思うから、めぐり会えたことに感謝しようと思える・・・・・・ |
| めぐり会いが道標であったというのは、そういうことだ。 |
| 海 |
| 日本海に面する海岸、瀬戸内海に面する海岸・・・・・・ |
| 旅をしていると、どちらも美しいと思うが、 |
| 、どちらが好きか、となると意見は分かれる。 |
| おそらくそれは、 |
| 海、いやもっと言えば「自然」に対する感じ方の違いに起因する。 |
| 人を寄せ付けぬ厳しさや荒々しさが見える海、 |
| 人を包み込む優しさや陽だまりの温もりが見える海・・・・・・ |
| ずっと見ていても、見飽きないのはどちらの海か・・・・・ |
| 自分の中に根付いている自然観を確かめるには、 |
| この問いに答えるのが間違いない。 |
| 守る |
| かつて将棋の師匠の老人から教わったこと・・・・・ |
| 完敗したあと、敗因を尋ねると、 |
| 「守るべきときには、なりふり構わず徹底して守らなければいけない。」・・・・・ |
| 自陣に危機が迫っているのに、私は守らずに攻めたのだが、 |
| 足元に火がついていたことは、攻められてみて始めてわかった。 |
| 守りに入ると、持っている駒を惜しげもなく投入して、師匠は守った。 |
| そして攻める相手の息切れを待つ・・・・ |
| これが守り、受けの極意だと言う。 |
| 今は攻めるときか、守るときかを見間違えると、 |
| とんでもないしっぺ返しが返ってくる。 |
| 男 |
| 分かっているつもりで、案外分かっていないのが自分のことだが、 |
| なるほど、と思える文章に出会った。 |
| ・・・・・どんな男の中にも、詩人が一人ひそんでいる。それが女を苦しめる。・・・・・ |
| 谷川俊太郎 |
| 紛れもなく、名言である。 |
| 答案用紙 |
| 眠れない夜を幾度もくぐり、 |
| 気の重い朝を幾度も迎え、 |
| 打つ手が見つからず、大海に漂う木の葉のような心細さと、 |
| 湿ったマッチを擦るような空虚を味わった遠い日があった・・・・・ |
| もはやこれまで、と何度も覚悟を決めた窮地の中で多くのことを学んだ。 |
| 人は滅多なことで倒れたりはしない・・・・・ |
| 明日に希望をつなげば、時間はかかっても必ず何とかなる・・・・ |
| 何の役にも立たぬと思えても、誠実に向き合うことだけは |
| 歯をくいしばってでも続けること・・・・・・ |
| そして何よりも、支え、励ましてくれる大切な人が必ず現れること・・・・ |
| 教訓と呼ぶにはあまりに重いものだったが、 |
| 人生の意味を問う大事な答案用紙であったのだと、 |
| 書き終わった今ならわかる。 |
| 間 |
| その昔、 |
| 喫茶店でコーヒーを注文しても、しばらく待たないと出てこなかった。 |
| 思いを寄せる相手に気持ちを伝える手段は手紙・・・・・ |
| 何度も書き直し、封筒に入れ、切手を貼ってポストまで持っていった。 |
| 水を張り、焚き付けに火をつけ、焚き口にじっと座って風呂の沸くのを待った・・・・ |
| いい、悪いではない。時間がゆっくり流れる、そんな時代であった。 |
| 今思えば、生活の中のいろんなところに適度な「間」というものがあり、 |
| そのことに不平や不満を言うこともなかった。 |
| すぐに答えが返ってこないもどかしさはあったが、 |
| その「間」の中でいろんなことを考えることができた。 |
| だれもそうは思わないのだろうが、 |
| 今、確かにみんな急ぎすぎている。 |
| そして、 |
| 急いだ分だけ、早く年をとっている。 |
| 比較 |
| 世の中に自分ほど不幸せな者はいない、と思ったことがある。 |
| 世の中に自分より幸せな者はいない、と思ったときもあった。 |
| 残念だが、いつの間にか |
| 自分の幸・不幸は、「世の中」という、不確かな誰かを想定しなければ、 |
| その量や置かれている位置を確かめられなくなっている。 |
| 比べる相手を下に見れば優越感、上に見れば劣等感が生まれる。 |
| それが「世の中」の正体なのだと、 |
| そろそろ気付いてもいいころだ。 |
| 「私」は見知らぬ誰かのために、こうして生きているわけではない。 |
| ドラマ |
| 人生は筋書きのないドラマだと言うが、 |
| 筋書きがなければ、ドラマはおもしろくない。 |
| ただ、 |
| 自分で書くことはほぼ不可能に近いというだけ・・・・・ |
| 起こりそうな出来事はいくつかありそうだが、 |
| その行間を埋める日々の小さな出来事や、 |
| 今年1年の登場人物さえ定かではない。 |
| しかし、多くの人は、 |
| 自分では書けない、自分のドラマの展開をなぜか心待ちにして |
| 年の初めを迎えている。 |
| 感謝 |
| 小さな幸せや、ささやかな感動を積み重ねながら |
| なんでもない日々の暮らしが成り立っているんだなと思います。 |
| 日記帳に一言、「今日はいい日だった。」と記せる、ありふれた充足感は、 |
| 自分では気付かなかったけれど、おそらく |
| ともすれば細切れになりそうな私の人生をつないでくれたんだと思えるのです。 |
| 「ありがとう」・・・・ |
| 誰に向かって言えばよいのかはわかりませんが、 |
| そんな言葉が素直に出てくる、今日この頃です。 |
| 顔 |
| 化粧された顔の美しさは、 |
| 誰かの視線を意識している間だけ有効である。 |
| だから |
| そんなものを意識しない幼子に |
| どんなに上手に化粧をしても |
| だれも美しいなどとは思わない。 |
| 君へ |
| 抑えきれない、熱き情熱はまだ残っているか。 |
| 消しがたい追憶の面影を持つ誰かが、今でも心の中にいるか。 |
| 過ぎ去った日々を彩る歌は、今でも胸の中で静かに鳴っているか。 |
| 二度と会うことのない、大切な人の手の温もりはまだ余韻を持っているか。 |
| 与えられた仕事は、滞りなく果たしたか。 |
| 今、生きることを急いでいないか。 |
| まだ見ぬ君へ・・・・ |
| 同志として問う。 |
| 伴侶 |
| 山道にさしかかると、1本の棒が何よりの頼りとなる。 |
| 膝の負担を和らげ、バランスの手助けとなり、 |
| 何よりも、握っていることでなぜか気持ちが強くなる・・・・・・ |
| ごつごつしていた棒の表面も、時間と共に手になじんできて、 |
| 不思議な愛着がわいてきた経験が誰しもあるだろう。 |
| そこにあればただの棒や木の枝だが、 |
| その手に持ったときから、形状の如何を問わず「杖」と呼ぶ。 |
| 伴侶とは、 |
| 人生と言う山道で、くしくも手にした「杖」のことを言う。 |
| 上り坂はもちろん、頂きを極めて無事にふもとに下りてくるまで |
| その手から離れることはない。 |
| 時間 |
| 人生も半分を過ぎたあたりから、 |
| 今まではあまりその姿や存在を気にもかけなかった、 |
| 「時間」というものの正体が次第に気になってくる。 |
| 地表にあるものを支配する掟の中で、これほど容赦のないものはないだろう。 |
| 人間の都合など知ったことか、と言わんばかりの厳格さで、 |
| 至上の幸せだと思う出来事も、あっという間に |
| 「思い出」という名の倉庫に押し込んでしまい、そこへ戻ることを許さない。 |
| 人が昔の出来事に思いを馳せ、「思い出」という言葉に酔うのは、 |
| 押し流されるだけではいやだという、ささやかな抵抗なのかもしれない。 |
| 所詮敵わぬ相手ではあるが、 |
| 何をしようとしている相手なのか、だけは知っておくべきだろう。 |
| 答え |
| 知識を蓄えるにはどうすればよいか・・・・ |
| 本を読めばいい。 |
| 知恵を蓄えるにはどうすればよいか・・・・・ |
| 本を捨てて、経験を重ねればよい。 |
| 人を好きになるにはどうすればよいか・・・・・ |
| 相手をじっと見つめればよい。 |
| 人に好かれるにはどうすればよいか・・・・・ |
| その答えを探し続ければよい。 |
| 命 |
| 美しさに惹かれて切花を求める人は多い。 |
| しかし、 |
| 切花のその美しさは、その花が自らの命を削りながら、 |
| 枯れていく運命に必死で抗っている最期の輝きだということを、 |
| 見ようとする人は少ない。 |
| 虫や風を誘い、種を作るという、自分に与えられた使命を、 |
| 途中であきらめなければならない無念さが、 |
| 可憐で、きれいな花の向こうに見える。 |
| いらないもの | |
| 目の前にいる人が差し出す親切や善意と見えるものを、 | |
| 素直に受け取れないことがある。 | |
| 特に自分が痛み、傷ついているときには・・・・・・・ | |
| せっかくの善意なのかもしれないが、心配されればされるほど | |
| 自分に対する同情や哀れみに思えるから、 | |
| 余計につらくなる。 | |
| そんなふうに疲れたときに本当に欲しいのは、 | |
| 他人の善意や親切ではなく、 | |
| 自分を取り戻すために必要な、静かな時間・・・・・ | |
| そんな心情がわからず、 | |
| せっかくふさがりかけた傷口に、塩を塗るような善意の押し売りを | |
| 「おせっかい」と呼ぶ。 |
| 遊び | |
| 遊びの本質は、自分の才覚で何かを作り出し、何かを手に入れること・・・・・ | |
| 時には自分の能力を超えた冒険もしながら・・・・・・ | |
| 生きるために必要なものを、すべて自らの手で作った祖先の生き方を復習し、 | |
| その財産をきちんと確かめる行為として、子どもたちは遊ぶ。 | |
| 無心に泥を丸めて泥だんごを作る幼子を見ていると、 | |
| そのことがよくわかる。 | |
| だから、たとえ何時間も夢中になって一つのことに熱中していても、 | |
| それが、何かを作り出し、生み出すことをせず、ただ消費するだけの中身なら、 | |
| それは「遊んでいる」とは言わない。 | |
| 遊園地の遊具に、お金を払って何百回乗るよりも、 | |
| そこらへんに立っている木に、己の全能力を傾けて登る1回の木登り体験の方が、 | |
| はるかに充実感を与えてくれるのもそういうわけだ。 | |
| 趣味と呼ばれる、大人の遊びにもあてはまるこの法則を、 | |
| 最近忘れてはいないか・・・・・ |
| まず | |
| けつまずいた石ころに腹を立てて蹴飛ばすことはあっても、 | |
| 石ころを避けられなかった自分の足に文句を言う人はいません。 | |
| 身勝手な人だと言われないための唯一の方法は、 | |
| 物事がうまくいかなかったときに、 | |
| その原因をまず自分に求めることでしょう。 | |
| 最近誰かを叱った覚えのある人は、 | |
| 考えてみるべきですね。 |
| 評価 | |
| その人のすべてを十分に知りもしないのに、 | |
| 多くの場合、見聞きした言動をもとにその人を評価する。 | |
| そして、一旦下したその評価は、なかなか変わることはない。 | |
| 自分がそうであれば、他人が自分を見る目も同じこと・・・・・ | |
| いいではないか、だれがどう思おうと「私」は「私」、 | |
| いまさらごまかしたり、取り繕ったりしても、 | |
| 過去の出来事で「私」の評価はすでに決まっている。 |
| 歌 | |
| かつて おじさんたちが若い頃、口ずさんできた歌には、 | |
| 明日を夢みる、底抜けの明るさがどこかに漂っていた。 | |
| 失恋の歌でさえ、落ち込むよりも前を見て歩け、という響きが感じられたものだ。 | |
| 世の中すべてが右肩あがりに成長し続ける世相から生まれる歌は、 | |
| 若者の心にも「今日より明日を・・・・」というメッセージを届け続けたし、 | |
| 今は貧しくても、頑張っただけ豊かになれるという神話が、 | |
| 日々の鬱屈した気分を吹き払っていたように思う。 | |
| そんな空気の中で生きてきたおじさんたちが、 | |
| 明日を夢見て生きることが難しくなった今の若者に | |
| 伝えてやれることは少ない。 | |
| せめて彼らが口ずさむ歌の中に、 | |
| 明日を否定しない、明るい響きのあることを祈る。 |
| 一目惚れ | |
| 一目ぼれ・・・・・・とは、 | |
| 相手の中にある、自分と共通するものを | |
| 瞬時に感じ取る心の働きです。 | |
| だから、 | |
| 実はよく見てもいないのに、 | |
| 何だかすべてが分かったような気持ちになるのです。 |