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淋しがり屋
| 淋しがり屋 |
| 自分は淋しがり屋であると だれもが薄々感じてはいても |
| その事実を突きつけられる状況にならないと納得しようとしない。 |
| この頑固さは 年とともに薄らいではいくが |
| それでも かなりの強度で人間を縛っている。 |
| 淋しがり屋は 弱い人間だという観念に打ち勝つためには |
| 一人で生きるという状況の中で |
| 次々に襲ってくる寂寥感を一つずつ乗り越えるしかない。 |
| そうやって鍛えられた足腰で 多くの人が一人で生きている。 |
| 一人がいい などと粋がるものではない。 |
| 空想 |
| 人には 現実には在りえない、起こりえないことを想像する力がある。 |
| 神様の特別なプレゼントだとしか思われないこの力のおかげで |
| 人類は かつてない繁栄を手に入れた。 |
| 空想力の源は 旺盛な好奇心である。 |
| 興味や関心がなくなれば 空想など遠い話だと言う事実は |
| 経験の中で誰もが知っている。 |
| ただ一つ 空想には破ってはならない掟がある。 |
| 空想は必ずHappy Endにしておくこと・・・・・・・ |
| これを誤ると空想は「妄想」になる。 |
| 後悔 |
| 幾度か訪れる人生の分岐点に立ったとき |
| 一片の後悔もなく進むべき道を選べることは稀であろう。 |
| どんなに深謀遠慮をめぐらせて決断しても |
| 大なり小なりの後悔はついてくる。 |
| 問題はその後悔とどこで訣別するかということ・・・・・・ |
| その時期を誤ると |
| 今歩いている道がひどくみすぼらしく思えてくる。 |
| 後悔とは |
| 多くの場合 あり得たかもしれない別の可能性に対する |
| 未練である。 |
| 店じまい |
| 昭和20年代の前半に生まれた者たちは |
| 貧乏と繁栄とその崩壊を目の当たりにしながら生きてきました。 |
| みんな貧しかった子どものころ |
| つぎはぎだらけのズボンをはいていても ちっとも恥ずかしくなかった・・・・・ |
| やがて お金で何でも欲しいものが手に入るようになって |
| 家の中には収納しきれないほどの物があふれだした・・・・・・ |
| そして 自分とはまったく関係のないところで |
| 世の中が急に不景気になって 大騒ぎ・・・・・・・ |
| 中にはお金や物に執着する人もいるのでしょうが |
| 基本的にそのころ生まれた多くの同年代の人たちは |
| お金や物がなくてもそれなりに生きていけると思っています。 |
| なぜなら 人生の出発点で貧しくてもみんな豊かに生きていたという |
| かけがえのない記憶を共有しているからです。 |
| そんな人たちが そろそろ人生の店じまいを始めるころになりました。 |
| さびしくなりますねえ・・・・・・・ |
| 言葉 |
| 「ごめんなさい」が言えずに何度苦い思いをしただろうか。 |
| 「ありがとう」の一言が口から出ずに何度悲しい思いをしただろうか。 |
| 「ごめんなさい」も「ありがとう」も その使い方は十分知っていたはずなのに |
| なぜか恥ずかしくて口に出せなかった・・・・・・・ |
| もうそんな思いをしなくてすむように |
| この言葉だけは いつもポケットのなかに忍ばせておきたいと思う。 |
| 人と人が 互いに相手を大切な人だと思うとき |
| さりげなく そっと相手の心のなかに残しておく言葉・・・・・・ |
| 「ごめんなさい」も「ありがとう」も 決して一人歩きはしないのだから・・・・・ |
| はじめに |
| 初恋のほろ苦さを覚えているから |
| 人を好きになることが怖くない。 |
| 生まれたばかりの我が子の顔を覚えているから |
| 惜しみない無償の愛情が注げる。 |
| 人生の師と呼べる人に会えたことを覚えているから |
| どんなにつらくてもがんばって生きてみようと思える・・・・・・・ |
| 出会いは偶然だったのかもしれないが |
| 一番初めにその人に届けてもらったおかげで |
| 今の私を支えているというものがある。 |
| コーヒーでも飲みながら |
| そんな人を思い出してみるのもいい。 |
| 言葉 |
| 言葉には力がある・・・とかねがね思っています。 |
| 素敵なメロディーにちりばめられた歌詞に心が震えるのも |
| 落ち込んだときにかけてもらった一言で心が癒されるのも |
| みんな言葉の力なんですね。 |
| 美辞麗句を身につけるのでなく |
| 時と場と相手に応じた平易な言葉を使う術を磨きたいと思います。 |
| 場合によっては 相手の生殺与奪をも左右しかねない一言でも |
| 的確に 素直に そして私という人間を丸ごと載せて |
| 相手に渡せたらいいと思います。 |
| 相手の心の一番奥深いところまで届くように・・・・・・・ |
| 名所 |
| 名所でも何でもない場所で ふと目にした風景に心を動かされ |
| 「美しい」と感じることがある。 |
| 正確に言うと 「美しい」と感じているのではなく |
| 自分の中に蓄積されている過去の体験の一コマを探し出し |
| その場面と重ねる作業を瞬時のうちに行っている。 |
| その証拠に 一人でその景色を見ているときに |
| 「きれいだ。」とか「美しい。」などと言う人はいないし、 |
| 重ねる体験を持たない人には ただの風景でしかない。 |
| 多くの人に共通した体験を想起させる場所を |
| 「名所」と呼ぶ。 |
| わがまま |
| 多くの知人や友人に囲まれていても |
| 自分は一人ぽっちだと感じることがある。 |
| 一人きりでいても 十分温かいものに包まれていると感じることがある。 |
| 要は心の持ちようだ、などと気休めを言うつもりはないが |
| 「幸せ」という感覚に関しては |
| 人間は相当わがままにできているらしい。 |
| そのわがままのおかげで |
| 現実に起こる様々な出来事の受け止め方に |
| かなりの幅ができている。 |
| だから |
| 圧倒的に多いはずのストレスや不満、寂寥感の中にいても |
| 人は生きていける。 |
| 理想の相手 |
| やさしい人がいい・・・・・・とよく聞きますね。 |
| 「やさしい人」ってどんな人ですか? |
| 漠然としたイメージはあっても |
| 「これだ」と言えるものがありますか。 |
| 目的や魂胆があって 相手を気遣うことなら |
| ちょっと演技をすれば たいていの人にできます。 |
| 「やさしさ」とは それ自体が固有に存在するのではなく |
| その人の言動のなかに |
| その人が大切にしながら生きているものを見抜く |
| 「わたし」の感性や眼力の別称なのです。 |
| きずな |
| 互いに傷ついたり 傷つけたりすることを恐れずに向き合ったから |
| そのあとに深い愛が生まれた。 |
| 互いに考えも立場も人格も違う相手に 裸でぶつかったから |
| そのあとに深い信頼が生まれた。 |
| 人と人が絆をつくるという営みは |
| そんなにスマートに 格好よくはいかないもの・・・・・ |
| 傷つくことを恐れ 分かり合うために不可欠な摩擦を避けてばかりいると |
| 本当に深い信頼の絆は得られない。 |
| 傷だらけになってはじめて 手に入るものもある。 |
| 茶 |
| お茶を飲んでいる。 |
| まろやかな味に舌つづみをうっている。 |
| 茶木からこの葉を摘み取った人・・・・・ |
| 何度も何度もこの葉をもんだ人・・・・・・ |
| 乾燥させて袋につめた人・・・・・ |
| そんな人たちの手の味がしている。 |
| あなたがどんな人かはわかりませんが |
| おいしくいただいています。 |
| まず |
| 一人で騒いでも どうにもならないが |
| まず一人が騒がないと 事は始まらない。 |
| 子育て |
| 意識的であるかどうかは別にして かつて自分がそう育てられたように |
| 親は子どもを育てようとする。 |
| それ自体は悪いことではない。 |
| 問題は 思い通りに育たなかった責任を |
| 子どもに求めること・・・・・・・ |
| おまえのためを思ってのことなのに なぜわからないと言う前に |
| 同じセリフを自分の親から聞いたことがないかどうかを思い出すべきだろう。 |
| 「おまえのため」・・・本当に自分のためになっていたかどうかは |
| 今ごろになってようやくわかり始めているはずだから・・・・・・ |
| かなしい |
| 「悲しい」と「哀しい」には |
| 大きな違いがある。 |
| どんなときに「悲しい」と書き、どんなときに「哀しい」と書くか、 |
| 一度考えてみるといい。 |
| 両者の違いが明確であればあるほど |
| 自分がくぐりぬけてきた障壁から学んだものが生きている。 |
| 「悲哀」などと一くくりにしがちな言葉だが、 |
| 努々混同することなかれ。 |
| 輝き |
| 苦労してやっと手にいれたとたんに |
| あんなに輝いていた光が消えてしまった・・・・・ |
| よくあることですね。 |
| それはきっと |
| まだ遠くにあった時の魅惑的な輝きを |
| 私が見誤ったからでしょう。 |
| 私のためだけに輝いていると・・・・・・・ |
| そうではなかった、というだけのことです。 |
| 決断 |
| 予期せぬ事態というものは |
| 突然やってくるものですね。 |
| 若いころのようにうろたえることは少なくなりましたが |
| それでも受け止めるには相当の体力、気力を消耗します。 |
| とにかく目の前の難問を1つずつ乗り越えるしかありません。 |
| 年を重ねた強みは |
| その事態が引き起こす利害損得を |
| ある程度冷静に考えられるということ・・・・ |
| そして |
| ずうずうしいと思われても 開き直る度胸が |
| ほんの少し身についてきたこと・・・・ |
| 必ず何とかなるものです。 |
| 変化 |
| 「学んだことの証しはただ一つ、何かが変わることだ。」 |
| と言った人がいます。 |
| なるほど、そうですね。 |
| いくら学んだと言っても そのことで何も変化がないのなら |
| 本当に「学んだ」とはいえないのでしょう。 |
| 目に見える形にならなくても |
| 心の持ちよう、物を見る視点の小さな変化だっていいはずです。 |
| これまでたくさん学んだような気がするのですが |
| もう一度吟味してみる必要がありそうです。 |
| 懲りないおじさんは |
| 何も学んでいないおじさんだと言われないためにも・・・・・・ |
| りんご |
| りんごはなぜ赤いのか・・・・・ |
| 鳥や動物たちに早く自分を見つけてもらい |
| おまけとなる果実に包んだ種をできるだけ遠くに運んでもらうため |
| 光の中でも一番波長の長い赤を選んだ。 |
| 一番遠くまで届く光だ。 |
| 夕焼けが赤いのも、止まれの信号が赤いのもこの理由による。 |
| 頭脳など どこにもありそうにないりんごだが |
| 恐るべき深謀遠慮をめぐらせている。 |
| 省みて 自分はなぜ今ここでこんなことをしているのか・・・・ |
| その答えを用意しておかないと |
| 誇らしげに赤く輝くりんごに笑われる。 |
| 残像 |
| 心が震える夢のようなひと時があったとしても |
| それは文字通り「夢のような」もの・・・・・・・ |
| 現実の大半の時間の中にそんなものはない。 |
| 気の遠くなるような時間の流れのなかでも |
| 人が退屈せずに生きていけるのは |
| 時折 流星のようにやってくる夢のようなひと時があるからなのだが、 |
| 多くの場合 |
| ゆっくり味わうにはあまりにも短く つかみ所がない。 |
| しかし 間違いなく言えることは |
| 人はそのつかの間の夢の残像を糧にして |
| 今日を生きている。 |
| あるがまま |
| 雨降りの間は鳴き声一つしなかったのに |
| つかの間の雨あがりになると いっせいに蝉や虫たちが鳴き始めます。 |
| どこからともなく、トンボもやってきて・・・・・・ |
| 彼らの生き様を見ていると 人間にとって |
| 「あるがままに生きる」というのは思ったよりむずかしいものなのかもしれません。 |
| つい先を読もうとして要らぬ手を出してしまうことばかりです。 |
| はっきり言って |
| 「あるがまま」に関しては 彼らにはかないません。 |
| じたばたしても仕方がないときには 動かずにじっとして |
| あす終わるかも知れない命を精一杯生きる・・・・・ |
| そんな風に生きられたらいいですね。 |
| 参考書 |
| その昔 初心な若者たちは恋心を抱いた相手に |
| どう自分の気持ちを伝えればよいかを知らなかった。 |
| 親や学校ではもちろん教えてくれないし、 |
| 参考にしたのは テレビの青春ドラマや小説・・・・・・・ |
| ああ、男と女はこんな風に付き合えばいいんだ、と |
| 知らないうちにイメージが刷り込まれていたように思う。 |
| この原則は 時代が変わっても変わるはずはないので、 |
| 今を生きる若者たちもきっと同じ道を歩いている。 |
| 願わくは 彼らが見聞きするテレビや本が |
| どうかすてきな参考書でありますように・・・・・・ |
| 叱責 |
| 人生の中で 誰かに叱られた経験の量は |
| その人間の豊かさ、人格の厚みに比例する。 |
| わけもなく叱責されたのでなければ 多くの場合 |
| そのときは腹も立つが やがて自分にも非があることに思い至るだろう。 |
| 悔悟の念をどれだけ自分の中に蓄積させたかで |
| 人としての厚みが決まる。 |
| 面と向かって叱責され、完膚なきまでに叩きのめされた経験を |
| 一つでも多く取り込もうとするには、それなりの勇気が必要だが、 |
| 人生にはそんなことも大切なんだよと |
| 教えてくれる人が少なくなった。 |
| 再起動 |
| 再起動とは |
| 過去の一切を消去して、新しくゼロから出直すこと・・・・ |
| キーやボタン一つで簡単にこの操作ができるのは |
| コンピューターの世界でのことなのに |
| 人生にもあてはめようとする最近の風潮がある。 |
| 過去と訣別し、気持ちを新たにして人生の一歩を踏み出すためには |
| 並々ならぬ努力と不安と闘う勇気、そして何よりも |
| そこに至るまでの気の遠くなるような時間が必要なのだ。 |
| 悲しみや苦しみを乗り越えるために 手軽な手段を選択してはならない。 |
| 痛みを伴わない脱皮は |
| やがてその皮の重さに押しつぶされる。 |
| 忘却 |
| あきらめようと思ってもあきらめきれないときは |
| 無理をしないで、想い続ければいいんだと思います。 |
| それが人であれ、物であれ、 |
| 自分の心を、たとえ短時間でも占有していたのですから |
| 消しゴムで消すようにはいかないものです。 |
| 本当に忘れなくてはいけないことだったら |
| そのうち、渚の砂に書いた文字のように |
| 「時」という波が静かに消してくれるはずです。 |
| 確かにきっぱりとあきらめる方が楽になるのでしょうが |
| 想い続けることで負う苦しみも 考えようによっては |
| 私が今日を生きる力になっているのかも知れません。 |
| 思い出 |
| もう手の届かないところへ行ってしまった人は |
| 意地悪です。 |
| こんなにも熱い思い出だけを有り余るほど残して・・・・ |
| これを全部私に背負って行けというのですね。 |
| 投げ返してやりたいけど |
| 受け止めてくれるはずのあなたはもういない・・・・・・・ |
| 思い出を一つひとつ燃やしながら |
| 今日を生きる糧にします。 |
| いつか燃やすものがなくなったら |
| あなたから卒業できたのだと自分に言い聞かせ、 |
| もう後ろを振り返らずに歩いていくつもりです。 |
| その日がくるまで |
| もうしばらく思い出という、あなたからの贈り物を燃やさせてください。 |
| 青春時代 |
| 街を行く君たち、若者を見て考えています。 |
| 青春時代・・・・私たちにもそんな時代があったんですね。 |
| このごろ あの歌の文句の意味がやっとわかりかけてきました。 |
| ・・・・・青春時代が夢なんて あとから ほのぼの想うもの・・・・・ |
| 君たちには「ダサイ」と見える、おじさんやおばさんたちにも |
| 君たちと同じように輝きに包まれていた時代があったんですよ。 |
| 古いものを壊し、既成の権威に反抗し、自分たちがこの時代を動かすんだ・・・・ |
| そんな威勢のいいことを考えながら、 |
| 恋を語り、文学や音楽を語り、そして人生を語った時があったんです。 |
| みんな貧乏でしたが、君たちに負けないくらいの |
| 大きな可能性を信じていた時代が・・・・・・ |
| 君たちの持つ若さという特権を少しまぶしく感じながら |
| おじさんたちは自分たちのあのころを |
| ほのぼの想っています。 |
| 時計 |
| 我が家に、ネジ巻き式の柱時計がある。 |
| 近代装備を一切拒み、ぜんまいと歯車だけで動くという、 |
| 恐ろしく人間的な時計だ。 |
| 命の綱とも言うべきぜんまいが緩んでくると、 |
| 時報の音が息絶え絶えに聞こえてくる。 |
| その横で、水晶発振の最新鋭の架け時計が |
| 旧式の同僚を横目で見ながら、涼しい顔をして正確な時を刻んでいる。 |
| 秒単位の正確さで時報を鳴らす新型と違い、 |
| ネジ巻き式では2,3分の誤差は許容範囲・・・・・・・ |
| 何だか昔と今の自分を見ているようで、 |
| 2つの時計の対比が面白い。 |
| 乾電池1個で1年近くも動く若者も、 |
| せいぜい20日で息切れのする老人も、 |
| 名前を呼ぶときは「時計」である。 |
| 白と黒 |
| 白と黒を混ぜ合わせると灰色になりますね。 |
| 灰色の人生・・・などとあまりよいイメージではありませんが |
| 白や黒にはない、ほどよい落ち着きがあって、好きな色です。 |
| 白なのか黒なのか、はっきりしろと相手に迫るのは |
| 多分相手の態度が「灰色」だからなのでしょう。 |
| 灰色は |
| 白や黒のどちらでもないが、そのどちらの良さも備えている・・・・・ |
| 目くじらを立てて、白黒をはっきりさせなくても |
| 世の中 ちょっとあたりを見回せば 灰色でうまく収まっていることばかりです。 |
| 幸せ |
| 幸せだと言う手ごたえは |
| よほど感覚を研ぎ澄まさないと見えないものらしい。 |
| 災難や不幸は 闘うべき相手としてその姿が見えるが |
| 満たされているという感覚は |
| まるで空気のように自分を取り巻いているだけ・・・・・・ |
| 人はわが身を襲う不幸の数は数えるが |
| 幸せの数は数えようとしない。 |
| 迷い |
| いくら考えても 他の選択肢が見えてこないときは |
| おそらく 今 目の前にある道を進むのが最善の方法なのでしょう。 |
| 思い切ってその道を選んだらどうでしょう。 |
| なあに、もしも迷ったり、道が違うと気付いたら |
| さっさと戻ってくればすむ事です。 |
| 多少遠回りにはなるのでしょうが、 |
| 目的地へ向かう別の道の存在がわかっただけでも |
| 徒労にはならないはずです。 |
| ただし |
| あなたが探しているものが現実からの「逃げ道」であるなら |
| 迷うことはありませんね。 |
| どんな場合でも |
| 「逃げ道」だけは有り余るほどたくさん用意されているものですから・・・・・ |
| 美 |
| 美しいものにふれていたいという願望は |
| ほとんど本能的なものだろう。 |
| 特別な能力や努力を必要とする、他の願望とちがい、 |
| 平素からごく自然に己を支配していると思えるからだ。 |
| 感情移入という、優れた心理作用のおかげで |
| ありふれた路傍の石ころや見慣れた風景の中に |
| 私たちは「美」を感じることができる。 |
| 生まれたときにはなかったはずの美意識が今自分の中にあるのは |
| 成長の過程で何度も学習した成果だが、 |
| だれもそんなことを覚えていない。 |
| だから |
| 美しいと感じる心は、畏れる心に通じることも忘れてしまっている。 |
| 波 |
| 浜辺に打ち寄せる波や 岩にあたって砕け散る白い波を見ていると |
| 普通の人は癒されます。 |
| しかし、あの波たちも |
| 実は海の中で、員数外のものとしてはじき出された波たちなのだと |
| 見た詩人がいました。 |
| 詩人の耳に聞こえる波の音は |
| 彼らの悲痛な叫び声に聞こえたのかも知れません。 |
| しかし |
| 一旦は はじき出された波も、再び温かく受け入れて仲間にしていく |
| 心の広さが海にはあります。 |
| 波を見ていて心が癒されるのは |
| きっとそんな優しさが私たちの心に届いているからなのでしょうね。 |
| 負荷 |
| 深い悩みは深い思慮を生み出す。 |
| 重い荷物は 簡単には捨てられない中身の大切さを思い知らせてくれる。 |
| 空しい喪失感は やがて充填されるであろう、 |
| 次のものを受け入れるために器を広げる痛みでもある。 |
| 冷たい北風は やがてくる春の匂いを孕んでいる・・・・・・ |
| 今目の前にある事態が重く、苦しいものであるなら |
| それは 忘れかけているもう一つの大切なものを |
| 難局を乗り切る糧にせよという暗示でもある。 |
| 負荷がかかれば 必ずそれに反発する力が生ずるという、自然界の掟は |
| 間違いなく人間の営みにも当てはまる。 |
| 負荷を取り除こうとする力は |
| 黙っていても 私たちの体の奥底にしっかりと蓄えられている。 |
| わたし |
| 難しい局面の中にいると |
| 同じ事態を平然と乗り切る人を見て うらやましく思う。 |
| そして わが身の臆病さがひどくみすぼらしく見えてくる。 |
| だが その難局を「臆病だ」と思えるほど |
| 深刻に受け止め、考え、悩むのが「わたし」の個性なのであり、 |
| 他の人とはちがう「わたし」の存在価値がそこにある。 |
| 平気な顔をしてそんな事態を乗り切ることはできないが、 |
| 「わたし」には「わたし」なりの用心深い対処方法があるはず・・・・・ |
| 時間がかかっても、倍の労力を費やしても |
| それでやればよい。 |
| 誠実に取り組んだという手ごたえは |
| わたしの中の「わたし」が一番よくわかってくれる。 |
| 信頼 |
| あなたのことを信じています・・・・・ |
| などと、そんなに簡単に言うもんじゃありません。 |
| 信じるというからには、究極の裏切りを見せられても |
| 動じない覚悟が要るのですが、大丈夫ですか? |
| そんな覚悟が なかなかできないから |
| 信じるという行為が崇高なものになるのです。 |
| それでも敢えて、とおっしゃるのならもう止めません。 |
| 信じるという決意なのか、信じたいという願いなのかは |
| あなたが動きだせば 自ずと見えてくるはずです。 |
| 信じると決めて一歩を踏み出すあなたの誠実さを 信じましょう。 |
| 大人 |
| いやなことを「いや」とはっきり言うのはいいが、 |
| それぞれが勝手に「いや」を言い出すと |
| 何事もまとまるはずがない。 |
| 一つの目的に向かって動く集団には |
| 和を保ちながらまとまるということが何よりも大切なこと・・・・・・ |
| かつては それなりの集団の秩序が暗黙のうちに守られていたが |
| 最近は自分を押し通そうとするわがままが目に付く。 |
| 受け入れるのは まっぴらごめんだが、 |
| 全体のために 自分を抑えてその場は我慢するということも |
| 大人であることの証拠である。 |
| 馬 |
| モンゴルの草原では |
| 馬たちは |
| 自分のえさになる草を踏み潰さないように |
| 道をつくってその上を歩くといいます。 |
| 私たちが忘れかけているあたり前の法則を |
| 彼らはごく自然に守って生きています。 |
| 秋 |
| 秋の夜はなぜだか人恋しくなる、というのは本当のようです。 |
| 満たされているはずなのに |
| 心のどこかにぽっかり穴があいているような寂しさがぬぐえません。 |
| 人の一生を四季にたとえるなら |
| 秋はちょうど人生の折り返し地点から後半にさしかかるころ・・・・・・ |
| 神様はきっと |
| もう一度 自分の生きてきた道と足取りを静かに振り返り、 |
| はるか彼方に置き忘れた荷物を確かめろと、 |
| 感傷に浸れる時間を用意してくれたのでしょう。 |
| いいんじゃないですか、 |
| 長い人生、置き忘れてきた荷物の一つや二つ 誰にだってあるものです。 |
| もはや取りに戻ることはできなくても |
| かつてわが手にあったときの温もりや匂いを |
| 懐かしみ、いとおしく指でなぞってみれば、それでいいのでしょう。 |
| 抑えきれない情熱に胸を焦がした遠い日々・・・・ |
| 盛りこぼれるほどの夢を抱えて駆け抜けた青春という名の時間・・・・・ |
| 家族や大切な人を守るために がむしゃらに立ち向かってきた時の流れ・・・・ |
| そして もう手の届かないところへ行ってしまった大切な人・・・・ |
| 秋の夜長は |
| 他の誰にも悟られないように そっと静かに |
| これまで頑張ってきた自分を誉めてやることにします。 |
| 別れ |
| いずれ別れなくてはならない人なら、 |
| 寂しいという気持ちはわかりますが、その別れは早い方がいいと思います。 |
| 別れを引き伸ばせば、その時間の重さだけ |
| 背負う荷物が増えるからです。 |
| それでもいいと言われれば仕方がありません。 |
| せめて 別れたあとに襲ってくる寂しさを少しでも軽くできるよう、 |
| 心の準備だけはしておくべきでしょう。 |
| 出会ったときのあの喜びには、 |
| 実はこうしてやってくる別れの寂しさが付属してぶらさがっていたのです。 |
| 出会いの時には誰も気付かない、いや気付いていても見ぬふりをする、 |
| 切ない付録のようなものですね。 |
| 子育て |
| どんなにつらくても、どんなにくじけそうになっても |
| 歯をくいしばって耐えようとする力はどこから生まれるのか・・・・・ |
| 答えは簡単である。 |
| 遠い日の、誰かに「大切にされ、愛されていた」という記憶である。 |
| 父や母、祖父母、近所のおじさんやおばさん、学校の先生・・・・ |
| 誰かが何の見返りも求めず、自分を心から愛してくれた、 |
| そんな幼い日の記憶があるから |
| 人は大抵の窮地に置かれても乗り切ろうという意思が持てる。 |
| その証拠に、大人になった今でも |
| 誰かに必要とされ、愛されているという手ごたえがあるから、 |
| 今日も生きてみようという力がわいてくる。 |
| 心の中にそんな記憶の入る部屋を用意してやり、 |
| そこに入れる中身を精一杯作ってやる営みを「子育て」という。 |
| 約束 |
| 奪い続けるもの・・・・それが恋。 |
| 与え続けるもの・・・・それが愛。 |
| 奪い、与える関係のほかにもう一つ、 |
| 求め続ける、という関係がある。 |
| 男と女の間にしか成り立たない「恋愛」は、 |
| この3つの約束で成り立つ。 |
| どれが優先するかで、その関係の品格と質が決まる。 |
| 固く結ばれていたはずなのに、いとも簡単に壊れてしまう関係には、 |
| この優先順位に錯覚があったのだろう。 |
| 多くの人は、この優先順位をうまく修正し、 |
| 3つの約束を「絆」という関係に変えながら生きている。 |
| 捨てる |
| 夫婦には、ともに生きてきた年の数だけ |
| 協力して創りだしたものと捨ててきたものがある。 |
| 創り、生み出したものはすぐに思いだせるが、 |
| 協力して互いに捨てたものとは何だったのだろう。 |
| いっしょになる前には見えなかった相手の欠点や個性、波長の違い・・・・・ |
| そんなものを「しまった、こんなはずではなかった」と思い込むわがままを |
| 長い年月かけて、二人で捨て続けてきた。 |
| 捨て続けてきたものの重さがようやくわかり始めたころに、 |
| 人は老いを迎える。 |
| ・・・・・・・・二人が睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。 |
| 立派すぎないほうがいい。 |
| 立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうがいい。・・・・・・・ |
| 吉野 弘「贈るうた」 |
| 旅 |
| 人生を「旅」にたとえることは多い。 |
| それは |
| どちらにも共通したことがあるから・・・ |
| ともに長い道のりであること、 |
| 乗り越えねばならない雨の日や風の日、暑い日や寒い日が必ずあること、 |
| 予期せぬアクシデントや思わぬ素敵な出会いにめぐり合えること、 |
| 漠然としたゴールはあっても、なかなか思った通りには行かないこと、 |
| 道連れがあったほうが楽しいこと、 |
| 見るもの、聞くもの、出会うものから様々なことが学べること、 |
| 他人に頼らず、自分で判断して行動しなくてはならないこと、 |
| 後戻りなど考えず、足跡を残しながら先へ進むものであること。 |
| そして何よりも、いつか終わりがくるものであること・・・・・・・ |
| 伝言 |
| 「どうせなら、おもしろおかしく生きたい」というあなたへ・・・・ |
| そう生きられたらいいとみんなが思っているのです。 |
| ありったけのお金も時間も、そのことにつぎ込めたらいいと思っています。 |
| だけど、それができないのは、 |
| あなたにはない、守るべきものが私にはあるからです。 |
| あなたから見れば、何の価値もない、つまらない日々の営みでしょうが、 |
| 泣き、笑い、怒り、励ましあう、ささやかな家族とのふれあいを作るために |
| つらい仕事や面白くない人間関係の中で、 |
| 時には叫び出したくなる衝動を抑えながら、働いています。 |
| 1度しかない人生だから、おもしろおかしく生きたいというあなたへ・・・ |
| 1度しかない人生だからこそ、 |
| 守るべきもののために汗を流したいと思います。 |
| 陣痛 |
| 淋しさは、何かで紛らわすものではありません。 |
| 向き合うものです。 |
| とことん一人で向き合うものです。 |
| 紛らわすことで一時的に忘れられたとしても、 |
| 何の解決にもなっていないということは、自分が一番よく知っています。 |
| もしも、向き合うことが苦しくなったら、 |
| この砂をかむような空しさは、 |
| まもなく現れる、新しいものを生み出す陣痛が始まっているのだと、 |
| ほんの少し、誰かの力を借りて自分に教えてやればいいのです。 |
| ときめき |
| 同じ芝を植えているはずなのに、隣の家の芝がきれいに見えるのは、 |
| 何でも他人と比較して、いつも自分の優位を確かめたいという願望の裏返し・・・・ |
| 「負けている」という思いが先に出てしまい、 |
| 手入れを怠った自分の怠慢は、しばらくしてから思い当たる。 |
| 他人の持ち物が輝いて見え出したら、 |
| 十分輝いているはずの、自分の持ち物をもう一度よく見て、 |
| それを手に入れた時のときめきを思い出すことだ。 |
| 他人と比べて自分のものがみすぼらしいと感じる心は、 |
| そのときめきを忘れたころに、静かに顔をだす。 |
| おとな |
| 人は大人になるにつれ、 |
| 心の中で温め続けてきた夢に、ふたをしなくてはならないときがくる。 |
| 育てた夢が大きければそれだけふたも大きくなる。 |
| 寂しいが、それが現実だ。 |
| 時折、そのふたを閉め忘れた同世代の仲間たちを見ることがある。 |
| 童心に返ったように無邪気に振舞う彼らを見ていると、 |
| あらためて、かぶせてしまったふたの大きさを思わずにはいられない。 |
| もっとたくさんの可能性があったはず・・・・ |
| いくつもの夢を同時に育てていたはず・・・・ |
| 一つくらい、閉め忘れたふたが残っているのではないか・・・・ |
| そんな思いに駆られることがあったら、 |
| ちょっと悔しいが、自分に言い聞かせることにしよう。 |
| 大人になるとは、そういうことだったのだ、と・・・・・・・・・ |