誓い

どんなに大げさにふざけてみても
それが何かを忘れるためのものなら
あと味の悪さは格別だ。
何かを忘れないための誓いは
どんなにささやかで静かでも
透き通った清水のように濁りを持たない。
忘れようとする努力よりも 忘れまいと誓うことのほうが
はるかに効率がよい。
思いめぐらす物事の中心に向かって
強い根を張ろう。



どうしてそんなに平然としていられるのかって?
つまらないから手を出さない、ただそれだけのことです。
手を出すのなら
その深く張り巡らされた根っこまでも すべてを引き抜く
覚悟をもって向き合いたいと思います。
そんなものになかなかめぐり合えないから
今のところ 私の手はポケットの中です。



長い間ずっと心に引っかかっているものがあるとしたら
それは もはや自分の体内では消化できない
相当手ごわい相手ですね。
忘却という消化剤の効き目が届かないとなれば
未消化のまま体外に放り出すか あるいは
様子を見ながら共存していくか そのどちらかでしょう。
いずれにしても
それは誰かのせいではなく 
「わたし」の責任であることはまちがいありません。



持ちきれないほどあるのなら 潔く置いていく。
捨てきれないものなら どんなに重くても背負っていく。
その覚悟が自分の芯に根付いたとき
次々に迫ってくる難事に立ち向かう武器が手に入る。
持てるはずもないのに 持とうとして
捨てられないはずなのに 気前よく捨てていく・・・・・
その誤りに気づかない限り
許容範囲を越えた荷物をもって
坂道を息を切らしながら歩くことになる。



走りつづけていると 目に入らない風景がある。
足を止めたとたんに 次々に現れてくるので驚くが
自分が見ようとしなかっただけだということに
やがて気が付く。
路傍の草花にも彼らなりの主張があり
夜な夜な鳴きつづける蛙の大合唱にも彼らの訴えがあることを
埒もないことだと 今までは気にもとめなかった。
走りつづけることも大切だが
たまには足を止めて
耳を澄ませてみるのもいい。
自分一人で生きているのではないという あたりまえのことが
素直に心にしみこんでくる。
回り道は 走って通り過ぎる道ではない。




 好きなものを独り占めしたいという欲求は自然だが
嫌いなものを徹底的に排除したいという願望は
きわめて人間的である。



よく切れる刃物には 良質の刃金がある。
よく見える望遠鏡には 高品質のレンズが使われている。
尊敬に値する人間には 
余人が持ち得ない それらがちゃんと備わっている。
しがらみや もつれを断ち切る刃金や
すべてを見通すレンズをどうやって手に入れたのかはわからないが
そんなものを 平然と持ち合わせている凄さに
驚きながら 惹かれていく。



君には関係ない話かも知れないが
そんなところに咲いているから
雑草という 不名誉な名前がつけられた。
山道にでも咲いていれば
もっと素敵な名前で呼ばれていたかも知れないね。
でも あえてこんな路傍を選んで
花をつけると決めた その生き方に
私は感動している。
根を張り 大地に食いつく君を引き抜きながら そう思っている。



石と話ができない者に、巨石は動かせない・・・・・・
ある石工さんの言である。
心通わぬ対象と見れば、それはただの物、時には厄介な相手となる。
心を通わす努力を続ければ やがて見えてくるものがある。
少々時間はかかっても、それが一番の近道なのかもしれない。




心の奥にポツンと生まれた 熱い魂のうごめきを
ありったけの理性で理解しようと試みても
ほとんどの場合 徒労に終わります。
なぜ今 こんな気持ちになるのか・・・ 原因不明の熱病のように
日ごとに膨らんでいく その力の大きさにうろたえるだけです。
ほんの少し前までは夢、憧れだったのに
やがて そんな言葉では説明できない力となって
臆病な私を突き動かしています。
理屈で理解しようとしないで
 しみじみと味わってみるものなのかもしれません。



幸せ
小さな幸せがひとつあれば
今日という日を生きることができる
小さな幸せがふたつあれば
今日という日を
かけがえのない日として記憶することができる
それ以上は望むまい
両手に持ちきれない幸せにめぐり合っても
味わいきれないと荷物になる
時には幸せであることをも 忘れてしまうから・・・・




思い出
心に残る思い出は多いほうがいい
鮮明に刻まれた過去の記憶が
進むべき道を見失いかけたときに ふと甦り
行く手に小さな灯を示してくれることがある
しかし
一つだけはっきりしているのは
明日を切り拓く勇気と力は
後ろを向いていては手に入らないということ・・・・・・
行くべき道が見えたなら
もう一度前を向いて歩き出す


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