短編2
引き出し |
記憶の引出しを開けて風を通しながら、ふと想う。 |
子どものころに、たくさんの引出しをつくることの大切さを・・・・・・ |
あのころは何でもないと思われた遊びや冒険の一つひとつは |
かけがえのない色が塗られ 引き出しにきちんと並べられている。 |
もうセピア色に変わってしまってはいるが |
どこを探しても今は見当たらないそれらを描いた絵の具は |
あのころは 机の中にまったく無造作にごろごろしていたのだ。 |
二度と手に入れることはできない絵の具を詰め込んだ引出し・・・・・ |
人は そんな引出しを一つひとつ作りながら 年を重ねていく。 |
朝焼けを見た。朝、空が焼けるのは悪天の前兆だと聞く。しか |
し、先のことはどうであれ、息を呑む美しさ・・・・・・ |
夕焼けを愛でる人は多いが、あれは1日の仕事をなし終えて、 |
静かに消えていくものへの哀歓がこめられた、さよならの儀式で |
ある。朝焼けは隆起するエネルギーを彷彿とさせる、起動の儀 |
式であろう。たとえ行く手に嵐が待っていようと、湧き上がる情熱 |
を蓄えて何かが始まる・・・・・何かいいことがあるかも知れない。 |
道に迷ったと悟るのは、分岐点を少し過ぎたあたりだ。周囲の |
状況が何となく予想していたものと異なるとき・・・・・・・・ |
そんなときの対処法は分岐点までつらくとも引き返すこと、だ |
が、この逆戻り、しまったという後悔ばかりではない。まちがいの |
ない正しい道がそのおかげでみつかったという安堵感もある。 |
分岐点に立つときは、この道だと決めたら迷わず進むことだ。 |
地図や手引書を見てもわからないなら・・・・・・・ |
幾多の修羅場をくぐってきた者には、余人では太刀打ちできな |
い深い洞察力と強烈な存在感がある。その背景には癒しがたい |
哀しみが隠されているのであろうが、そんなものを感じさせるや |
わな人間は少ない。人の持つ醜さをこれでもかと見せつづけら |
れた時間に打ちのめされることなく、生き延びた人間だけが持ち |
える強さが光る。 |
素直に脱帽・・・・である。 |
思いやりとは、その人に優しく接することではない。場合によっ |
ては無視したり烈火の如く怒ることがその人を結果的に勇気づ |
けることになる。下手な同情や情けをかけられて、かえって傷つ |
いたということはざらにある。ゆめゆめ間違うまい。 |
真に相手を思いやるというのは、「あなたは私にとって大切な |
人です。」ということを、さりげなく伝えることである。 |
ほんの小さなきっかけが気になり始めて、やがて憧れとなる。 |
憧れは、主の意思にはおかまいなく自己分裂をしながら増殖し |
ていく原始細胞だ。 |
それらがある日、有機的につながり始め、点が線となるころに |
憧れは夢となる。 |
夢だって、そうやって成長してきたんだよ。 |
年を重ねると、「青春時代」という言葉に言いようのない胸の高 |
まりを覚えるのです。それはきっとそこに何か大切なものを置き |
忘れてきたような気がするからです。そんなはずはない、十分充 |
実した日々だったと思い直してみても、やはり何かを置いてきて |
しまったという思いが拭えないのです。あのころならできた・・・・・ |
と今気が付くことが多すぎるからでしょうか。 |
人の助けは求めず、どんな難問も自力で立ち向かおうとする |
人がいる。困った問題に直面すると、とりあえず友人や同僚に |
相談してみるという人がいる。解決困難な、負の場面で最も自 |
分らしさが表れる。どちらのタイプでも構わないが、しかと心に |
留めておきたい。難問に立ち向かうときは、どんなに苦しくとも |
ここを一歩も退かないぞという、不退転の決意がなければなら |
ないことを・・・・・・他力、自力はそのあとの問題だ。 |
「田舎者」・・・・・・あまりいい意味では使われない言葉である。 |
生粋の都会育ちの人は他人をこうは呼ばないと聞いた。呼ぶの |
は、自分自身が地方出身の者だそうである。 |
なぜ自分の故郷を卑下する?田舎のどこが悪い?豊かな自 |
然と温かい人情の中で育ったことを誇りにしてほしい。享楽にう |
つつをぬかす娯楽施設は確かにないが、魂を磨く澄んだ空気と |
緑がある。その大きな、何物にも替えがたい価値に気づくには |
少し時間がかかるかも知れないが・・・・・・・ |
どう考えても私は論理的な人間ではない。ひらめきで勝負・・・ |
というタイプである。一瞬閃光のようにひらめいたことを何とか |
現実のものにする思考回路だけが生き延びて今日まできた。 |
だから論理的に物事を考え、熟慮して実行する人間には一種 |
の羨望を覚える。別に不都合なことはないのだが、ただ一つ困 |
るのは、ひらめかないと動けないということ、そんなときは酒を |
飲んで寝ることにしている。明日になればひらめくさ・・・・・・ |
横着になるというのは、年を重ねてきた者の特権である。 |
朝方、布団の足元で何やら動いている。我が家の居候猫フー |
テンのリンである。寝場所はいくらでもあるのに、わざわざ人間 |
が寝ている布団に近寄ってくる、猫社会の掟に疎い彼女・・・・・ |
このところの朝晩の寒さがこたえるのか、あるいは人恋しくな |
るのか、やけに馴れ馴れしい。甘やかせるのはよくない、一喝し |
て追い払うと、妙に悲しい声で一声鳴いてしぶしぶ出て行く。 |
猫族にとっても寂しさが募る秋である。 |
学校の池に手製の水車をつくることになった。直径1mほどの |
大きさ、材料を買い込んできて早速制作にとりかかったが、丸い |
ものを作るのは思いのほか厄介である。円はとても無理なので |
8角形になったが、どうしても隙間ができる。心棒を通す穴や軸 |
受けの工夫、流水の勢いと水車の重さのバランス・・・・・・・ |
あちこちで何気なく見てきた本物の水車だが、こうしてやって |
みると先人の技に感服である。ホンモノはその制作行程のむず |
かしさを誇らないところがいい。つくづくそう思う。 |
「お前が悪い!」と指差す指のうち、3本は自分をさしている・・・・ |
ある寺の山門にあった説教である。思い当たることは多い。 |
うまくいかなかった結果を全部自分が背負い込むことには、人 |
間そう耐えられるものではない。他人のせいにすれはいくらかは |
荷が軽くなる。精神の平衡の安全弁として許される範囲を越え |
なければ、3本の指には目をつむって指差すこともいいだろう。 |
人差し指とはよく言ったものである。 |
不思議な生命力を目の当たりにしている。庭のキンモクセイの |
花だ。9月に1度咲いた。今年は早いなと思っているうちに、あっ |
という間もなく散ってしまった。しかし、2度目の開花をしたのだ。 |
しかも今度は木全体を覆うほどの黄色い花がびっしり・・・・・・ |
甘酸っぱい、芳醇な香りをあたりに撒き散らしている。急な冷 |
え込みで秋がきたと勘違いしたのかと思っていると、奥方は言う |
・・「去年も2回咲きました。」・・・・知らぬは亭主ばかりなり・・・・・ |
若かったころ 何もこわくなかった ただあなたの優しさが |
こわかった・・・・・・・かぐや姫が歌う「神田川」の一節である。 |
お金や物には縁のなかったあの頃、今思えばこわいものなど |
確かになかった。失うかもしれない不安があったとしたら、それ |
は人の心・・・・70年代に青春を過ごした者には、(うまく説明は |
きないが)この歌はどこかで納得できる世界なのである。 |
それにしても神田川ってどんな川なんだろう。 |
「日本の風景」と言うと必ず出てくるのが茅葺の民家である。 |
近代建築にはない「温かみ」が感じられるのはなぜだろう。 |
幼い日、祖父母の家にいくと「なぜ雨が漏らないのだろう。」と |
むき出しの天井を見上げながら不思議に思ったもの・・・・・・ |
ひょっとすると建物に温かみがあるのではなく、そこで暮らした |
思い出のぬくもりが重なって見えているのかもしれない。 |
郷愁というのは、かつてそこで暮らしたという体験が前提となる |
ものらしい。若者が選ぶ「日本の風景」はどんなものだろうか。 |
外見の見てくれのよさ、洗練されて垢抜けた雰囲気、自分の |
住む世界との完璧なまでの隔たり・・・・・若い頃はそんな人を見 |
ると「かっこいい」と思った。少し年を重ねると、自分にはない能 |
力をみごとに開花させている人に憧れた。そして今は、風のよう |
に飄々と、積み上げてきた自分の生の軌跡を語れる人がまぶし |
い。他人を評価する際の、最高の賛辞である「かっこいい」は、 |
贈る側の資質を問われる、高度な形容詞である。 |
進退きわまったと感じたときに浮かんでくる言葉がある。「何と |
かなる。」・・・・・・この一言でどれだけの難局が乗り切れたこと |
か。どうにもならない事態などない、必ず何とかなるという信念 |
があれば、目の前の気の遠くなるような厚い壁にも立ち向かっ |
ていける・・・・・そう教えてくれたのは、解放運動の闘士だった一 |
人のおじいちゃんであった。笑顔の奥に鋼鉄の意志を潜め、理 |
不尽と闘いつづけたその人が、数知れない修羅場の中で手に |
入れた珠玉の名言である。 |
「鶏口となるも牛後となるなかれ」・・・・・中学時代の国語の先 |
生が教えてくれた言葉である。どんなに小さくても一国一城の主 |
であれ、間違っても人の後ろについていくような生き方はするな |
という教えだった。多感な少年時代にすりこまれた人生訓は、そ |
の後の日々に大きな影響を残してくれた。どちらの道を選ぶか |
迷う分岐点にさしかかったとき、躊躇なく草の生い茂った回り道 |
を選んできた自分の足跡は、紛れもなくあのときの先生の教え |
に従っていた。今思えば無茶な教えだが、感謝している。 |
しみじみ食べる米ばかりの飯である・・・・・・山頭火 |
放浪の俳人は米のうまさをこう唄った。折りしも新米の季節、我が |
家にも待望の信州からの新米が届いた。減農薬米と表示されたそ |
の米は、ほんとうにうまい。これぞ米の味、堪能させてもらっている。 |
遠い昔、祖母がおひつについた米粒を一つひとつ丹念にとってい |
た光景が目に浮かぶ。米を作る者にしか分からない実りのありがた |
さを、そんな形で孫に伝えてくれたのだと思っている。おかげで今で |
も茶碗に米粒は残さない。それが感謝というものだ。 |
トップダウン・・・・・あまりよい印象では語られない言葉である。し |
かし、状況によってはこの上意下達の原則で組織を動かさないと埒 |
があかない場合がある。強い指導力の発揮は、それだけ周囲の反 |
感をかうことになるが、あえて火中の栗を拾う覚悟を持つリーダーの |
決断なくしては救えない場面は多い。自分の周囲を見回してみると |
よい。優柔不断なリーダーの下では、一見民主的にことが進んでい |
るように見えても、問題の解決ははるか彼岸である。 |
最近のニュースの中に、リーダーの苦悩が読み取れる。 |
川が渡れないと分かれば、人は橋をかける。行く手に立ちふさが |
る大木が邪魔だと見えれば切り倒す。今の状況が自分にとって不 |
都合なら、居心地のよい環境に作り直そうとする。 |
人間に本来備わっている叡智を使えば、たいていの不平や不満 |
は何とかなるものだ。ただ一つ、どうにもならないのは人の心をつか |
むこと・・・・・・人が人を信用し、その存在を認めるというのは、半端 |
なことではない。心や感情という厄介な代物を、神様は叡智の代償 |
として人間に与えられたらしい。 |
過ぎ去った昔をなつかしむという心理は、おそらく人間に固有のも |
のだろう。それは一気に書き上げた文章を校正する作業に似てい |
る。始めから読み返しながら誤字脱字、句読点などを見直す過程を |
人生という長編小説の中で行っている。 |
人生に彩りを添えてくれた数々の思いでは、間違いなく記録されて |
いるか、自分を成長させてくれた人との出会いは克明に記述されて |
いるか、いまそれを確かめる工程に入ったところかも知れない。 |
残念ながら間違いに気づいても、修正は不可能なのだが・・・・・・ |
生まれ故郷の川に遡上する鮭を見て、われわれは感動する。広 |
い海の中からどうやって自分の生まれた川を見つけ、なぜあんなに |
満身創痍になりながらも遡上していくのか・・・・・・・・ |
驚くことではないのかもしれない。人間にとっては征服すべき対象 |
である広大な海も、彼らにとっては庭のようなものであり、傷つきな |
がらも子孫を残すためにがんばるのは、動物本来の姿であるという |
点で・・・・・・そんなことが分かっていても感動するのは、きっと人間 |
の一生がどこかで彼らと重なって見えているからだろう。 |
聞き上手な知人がいる。どんなたわいもない話でも、相槌をうちな |
がら聞き入り、相手がもっと得意になって話したくなるように水を向 |
ける巧みな話術を身に付けた男だ。真似はできないが見習うことは |
多い。もし自分ならとっくに「もういいかげんにしてくれ。」と、不快感 |
を表している話を、なぜ彼はそれほど興味深く聞けるのか・・・・・・ |
人間関係の基本は意思の疎通というのは自明の理であるが、話 |
上手よりも聞き上手になれる技を磨かねば、と彼を見ながら思う。 |
相当の忍耐力と寛容な心が必要なんだろうなあ・・・・・ |
フリーエージェント権を行使すると宣言した野球選手がいる。古巣 |
を離れて新天地で自分を試してみたいという。野球界のことはよく分 |
からないが、かなりの覚悟が必要な決断であることだけは間違いな |
い。そんな話を聞くと義理や人情にしばられて見動きがとれない我 |
々の多くは、羨望にも似た思いを抱く。決してバラ色の待遇が待って |
いるわけではない環境にあえて飛び込む決断ができる「自信」に対 |
して・・・・・・・・・自分の能力や可能性に対する自信が揺らいでいく速 |
度に比例して、彼らのまぶしさは増幅していく。 |
雪国では昨年より2週間も早い初雪が降って、一面の銀世界にな |
ったと聞いた。南国にいると雪には憧れに近い思いが募るが、積雪 |
3mにもなる豪雪地域に住む知人に聞くと、「雪の中で暮らすのもな |
かなかいいもんですよ。」という。何ヶ月も雪に閉じ込められる生活 |
のどこがいいのか、残念ながら体験のない私にはわからない。 |
ただ一つ言えるのは、逆らってみても勝てる相手ではないなら、共 |
存するための知恵を編み出しているのだろうということ・・・・・・・ |
その知恵の正体を見るために、この冬足を運んでみようと思って |
いる。見えるかどうか、自信はないのだが・・・・・・・・ |
庭の木々が冬支度をはじめた。大きな葉を一枚ずつ風に任せて |
わが身から切り離し、まるで骸骨のような骨だらけの樹姿となった。 |
やがてくる春までその身を生き長らえるための選択だ。 |
何かを捨てなくては新しいものを得ることはできないというのは、よ |
く聞く話だが、これほど思い切りよく、見事に捨てきれる木々には感 |
動である。葉を切り落としたあとの葉柄には、ちゃんと来春のための |
準備が出来上がっている。 |
より大きく羽ばたくために何かを捨てるなら、そのあとに芽吹く若 |
芽を用意せよ・・・・・裸の樹姿の無言の教えである。 |
信じられる喜びと信じる喜びは、どちらが大きいか・・・・・・・・・・ |
この両者は船の舳先(へさき)と艫(とも)に似ている。舳先は波を |
切って船を示された方向にまっすぐに向けるもの、艫は目指す方向 |
に舵を切り、船の行く先を決めるもの・・・・・・・どちらか一方だけで |
は船はまともには進めない。信じる喜びがあるから信じられる喜び |
も感じられる。人から信じられるから、また人を信じようとする。 |
何の見返りも求めず、与えず・・・・「信じる」という言葉には、世俗 |
のほこりにまみれたわが身を見直す処方箋が隠されていると感じる |
今日このごろである。 |
庭に猫の額ほどの小さな畑がある。たわむれにキャベツと白菜の |
苗を植えた。そんな野菜はスーパーで買うものと、我が家では相場 |
が決まっていたが、本当に食べられるほど育つのか、半信半疑の |
苗植えであった。それから一ヶ月、どちらも大きく葉を茂らせ、互い |
が邪魔だと言わんばかりに大きくなっている。「こりゃあ、いけるかも |
知れない。」という密かな期待が募る。収穫がいつになるのかも知ら |
ない、不届きなつくり手ではあるが、彼らの懸命な生長だけはしかと |
見届けたい。無農薬野菜だという証拠に、だれが食ったか、外側の |
葉っぱ一面に、虫食いの穴があいている。この貴重な野菜5株をね |
らうライバルが現れた。頼むから外側だけにしておいてくれ・・・・・・ |
鳥の生態にはとんと疎いのだが、最近我が家の庭や屋根に、きれ |
いな色の小鳥がやってくるようになった。もちろん名前は分からない |
おそらく渡り鳥なのだろう、せわしそうにえさを探したり、あたりを |
警戒したりしながら飛び回っている。ときには地元のスズメとえさの |
奪い合いもやっている。このままここで越冬するのか、あるいは体 |
力をつけてまたどこかへ行くのか、しばらくは顔をみるのが楽しみに |
なってきた。種や生態はまるで違っていても、同じ2002年のこの時 |
をともに生きている同士・・・・・・・なんだか親しみを覚える。 |
また元気な顔を見せてくれ。 |
学級が一つの集団であることは間違いない。しかし、だからといっ |
てその日からみんなが「仲間」であるということにはならない。昨日ま |
で赤の他人だった者同士が、一つの部屋にいることになったからと |
いって仲間の押し売りをされてはかなわない。気に食わない奴だっ |
ているだろうし、顔も見たくない奴もいるかもしれない。 |
だが、同じ土俵で暮らすことになった以上、居心地のよい居場所 |
にしようと、人は考え、工夫し、努力する。 |
学級という集団は、まったくの赤の他人同士がどう付き合えばよい |
のかを学ぶ場である。 |
建て前とは、互いに本心ではないと知りながらもことを円滑に運ぶ |
ために編み出された社交辞令である。本音で人と対峙することには |
潔さと同時に危険が伴う。それを回避し、いらぬ心痛をしなくてもよ |
い方法として建て前がある。 |
普段自分では気づきにくいが、この両者を実に巧妙に使い分けて |
生活していることを肝に銘じておくべきだ。と同時に相手の話がこの |
どちらなのかを見抜く目も養っておかなくてはならない。 |
その判断をあやまると、ひどい目にあう。 |
この時期になると、スーパーの魚コーナーにはおいしそうな魚が |
豊富に並ぶ。どれも脂がのって食欲をそそるのだが、あれこれ迷っ |
た挙句に選ぶのは、鯛やブリの「あら」・・・・というのが最近のパター |
ンになってしまった。刺身になる身を取った残りの骨の部分だが、こ |
れが侮れない。吸い物、あら炊きに最適の素材となる。高級魚と呼 |
ばれる魚は、骨になっても王者の風格を残すものらしい。 |
「魚はあらが最高だ。」などと言いながら食べているが、実は廉価 |
で手に入るのが理由・・・・・この骨についていた身はだれが食べた |
のだろう、などと思いつつ、食卓に今夜もあら炊きが載る。 |
そんなものが教師としての武器だと言われると心外でしょうが、A |
先生、あなたの武器は「母性」です。叱られるにせよ、ほめられるに |
せよ、子どもたちはあなたに母の匂いを感じている・・・・・・・ |
数多くの女性教師を見てきましたが、母性で子どもたちと向き合う |
教師が少なくなりました。我々男性教師ではとうてい歯が立たない、 |
まぶしいくらいの輝きを持つ「武器」です。先生の言動の一つひとつ |
が、母の愛として子どもたちの心の中に根を広げつつあることを、ど |
うか忘れないでください。いつの日か、きっと彼らの話の中にあなた |
のことが出る日がくることを信じて・・・・・・・・・・ |
出る釘は打たれるというが、釘は出ていないと打てない。見も知ら |
ぬ人の集まりで自分の意見を言うということは、勇気がいるというこ |
とを通り越して、恐怖に近い感情がある。大多数の参会者をうなら |
せるだけの材料があるわけでもなく、雄弁というわけでもない自分が |
いったいどんな話ができるというのか・・・・・・・・・・ |
釘になる覚悟がなければ何も言わないことだ。それで事は済む。 |
釘にならないと決めたなら、事後一切そのときの他人の発言にあれ |
これ言ってはならない。打たれたくないという気持ちを第一に考えた |
のだから、それは至極当然の帰結である。 |