短編1

 出会いはやがて来る別れを伴うものだと知ることができたら、人
生の達人に一歩近づいた。その別れはどんなにつらくとも、乗り越
えなくては次の出会いがないと悟れば、達人である。
 近づいてはいるが、達人にはまだ程遠い道のりである。



 ウソだとわかっていても、だまされることで救われる場面がある。
だまされてくれることで、変な同情の言葉をかけられるよりも一息
つける間合いがある。だます、だまされるという言葉は時によって
人の絆を計る優れた道具になる。


 そこにその人がいるというだけでわけもなく幸せな気持ちにして
くれる人がいる。同性であろうと異性であろうと変わりはない。
 その人は自分の欲しいと思っているものをさも当然のように持ち
あわせている、しかもそれを嫌味なく自分に突きつけてくれる、そ
の心地よさに参ってしまう。数は少ないが、そんな人がいる。



 巷に流れる多くの歌を聴いていると、恋の成就を謳歌するものよ
り、失った恋への後悔や余韻を歌うものが多いことに気づく。
 人の心を得るには気が遠くなるほどの努力がいるが、失うには
ほんのわずかな時間があればいい、という掟の持つ残酷さを一人
で背負い込むにはちと荷が重いからであろう。歌が肩の痛みを和
らげてくれる。忘れることはできないのだが・・・・・・・・・



 9月の声を聞き、心なしか蝉時雨の音も元気がなくなってきた。
彼らの夏は地上での短い一生、その終焉の時を迎えている。
 46億年という地球の年齢を1年にたとえるなら、我々人間が80
年生きたとしてもわずか6秒・・・・・・・・とても蝉の一生を哀れという
わけにはいかない。この世は相対的な時間の流れに支配されて
いるといった学者には脱帽である。


 美しい人というのは外見だけで決まるものではない。にじみ出て
くる知性の輝きが必要だ。知性は勉強の量には比例しない。
 「無学だから・・・」とおっしゃる老農夫の言葉には、学校では決し
て教えない、人生を生き抜く知恵が光る。知性は真摯で誠実な生
き方と生命に対する深い愛情があればおのずから湧き出てくる。


 自分に備わっている能力も、長い間使わないでいるとなくなって
しまったのではないかという気になることがある。それを支えてい
たかつての情熱がどこを探しても見当たらないからだ。
 実は形を変えて今自分の行動の中に現れていると気づくまでに
そんなに時間はかからないだろう。今までの自分ならできないこと
を今やっていると思い至るなら・・・・・・・・・・・・


 すべての間違いは一つの「ものさし」で物事を見ようとすることか
ら始まる。10人いれば10通りの「ものさし」があって当然なのに、
自分のものさしだけが正しいと思い込む。そんな間違いを何度か
繰り返しながら、やっと気づく。「自分のものさしでは計れない人間
がいる。」ということに・・・・・・・人間には1cm=10mmという公式
は当てはまらない。


 群れを作って生きる動物たちには、自分たちを外敵や自然の猛
威から守るために厳しい掟がある。それぞれの役割が群れの中
で決められ、争いがあっても相手に致命傷を与えることはないと
聞く。群れの子どもはみんなで見守り、傷ついた仲間はよほどの
ことがない限り見捨てることはない。共に生きるという鋼鉄のよう
な意思が彼らの繁栄を支えてきた。
 つい最近まで人間も群れで暮らしていたのだが・・・・・・・・・・・・


 「世の中がどんどんおかしくなって、何が本当のことなのかが分
からなくなってしまっていたんです。このドラマでそのことを伝えた
かったんです。・・・・・・」脚本家の倉本聡さんの言葉である。
 一人の脚本家の優れた感性がかくも多くの人の胸を打つのであ
る。人の心を動かすのに雄弁はいらない。人間に対する深い洞察
と自然への畏敬の念、それに伝えたいと思う情熱があればよい。


 枯れたと思っていた枝から、申し訳さそうに小さな芽がでていた。
盛夏の折に留守をして、炎天下の枯渇に苦しみながらもその生命
の灯火をつないで生きていたんだと、身勝手な主として痛く反省で
ある。罪滅ぼしに毎日タップリの水をやっているが、へそを曲げて
いるのか、いっこうに芽は大きくならない。こんな小さな木の枝にも
人間の理解を超えた、意思があるのですね。


 摩擦による熱から火種を手に入れるために、祖先たちは何千
年もの時間を費やした。摩擦熱を減らすために今の科学はあらゆ
る努力をしている。苦労して手に入れたものを、苦労して捨ててい
る。笑えない話である。似たようなことを、私もしている。


 輝かしい記録を残し脚光を浴びる人がいる。その陰で報いられ
ることなく、静かに消えていく多くの人がいる。夢を追いかけるとい
うことは、失敗や挫折を覚悟し、へこたれないぞという信念を持つ
ことなしには成り立たない営みである。夢の実現には大なり小なり
の障害やリスクが「税金」として付加されている。心して夢を持て。


 教養とは、一人でいるときに何をしているかである。何かをする
ために一人になりたいと思うことはあるが、さて、一人になってみ
るとたいていろくなことはしていない。一人でしみじみ酒を飲むこと
がある。それも教養というならうれしいことなのだが・・・・・・・
 教養のある人は、いったい何をしているのだろう。


 性格の不一致というが、元来性格の一致などということは男女
の間にはあり得ぬこと、性格はちがってもいっしょに暮らせる。
 行き詰まるのは性格よりも価値観の違いであろう。これが狂う
といっしょに暮らせない・・・・・・・・それはうなづける。
 ただし多くの場合、自分とは違う相手の価値観はいっしょに暮
らす時間の蓄積とともに、次第に許容できるようになるもの。
似たもの夫婦は、努力と訓練によってできあがったものである。


 人間を50年以上も生きていると、もはや余計なものを背負い
込むだけの場所がない。背負い込んだものを咀嚼し、消化し、
我がものにして蓄える格納庫の許容量は、生まれた時から決ま
っているようだ。大事にしてきた何かを捨てない限り、新たな置
き場所はない。捨てることに巧みな人は、年を重ねても若々しい


 いくら考えても仕方のないことがある。因果応報、そうなる原因
を作ったのは自分・・・・・ならばその結果を甘んじて受け入れる
しかないのだが、自分を納得させるにはちと骨がおれる。
 二度とあんなバカなことはしないぞ、と言い聞かせても何となく
性懲りもなくまたやってしまいそうな予感・・・・・・・・
 心配いりません。それが人間です。


 対案を考える能力のない者にかぎって、つべこべと批判をする
真に企画した人間の労苦に思いを至らせることのできる人は、
安易に批判はしない。その労苦に敬意を示しつつ、対案を提示
する。それが社会人のマナーというもの・・・・・・・
 対案もなしに批判を出すのは失礼なことだと、だれも教えてく
れなかったのだろう。反対が予測されることがわかっていて企画
する立場に一度でもいいから立ってみることだ。


 空腹が満たされると眠くなるように、欲求は満たされると人間
を休止させる。人間がそれでも進化し続けられたのは、欲求を
1つに限らなかったからだ。
 「私の夢は○○です。」とだけは言うまい。それは最初に到達
すべき目標であって、そのあとに続く「それから・・・」を大事にし
たい。1つしかない目標に到達したあとの、気の遠くなる時間の
もてあまし・・・・・・・胸に手を置けば誰にでもわかる。


 涼しい風に吹かれながら目をつぶっていると、風が運んでくる
懐かしい景色に出会えるときがある。いつ、どこで見た景色だっ
たかは思い出せないが、それは紛れもなく私の履歴に刻まれた
原風景・・・・・・・年を重ねると時折よみがえるそんなクレヨン色
の思い出が妙にいとおしくなる。
 神様が与えてくれた記念写真だと思っている。


 こだわりが人間を磨く・・・というのは本当のようだ。何事につけ
こだわる人には、いい加減では済ませない「美学」がある。他人
がどう評価しようと構わない。自分の納得のいくことが最善なの
である。こだわりはより良いものを求めて前進しようという意欲
の表れでもある。「職人」と呼ばれる人たちの美学には、そんな
意気込みと熱意があって、心地よい。教育者と呼ばれる前に
子どもたちを育てる「職人」でありたい。


 これだけも咲けばよかろう彼岸花・・・・・・・・・昔から田畑の畦
に植えられ、大切に守られてきたと聞く。根に含まれる毒ゆえに
モグラが畦に穴を開けるのを防ぐのだそうだ。人が手入れをし
た場所でないと花をつけない、気位の高い野草である。
 季節の移ろいをこれほど鮮やかに教えてくれる花も珍しい。
 幼い日、この花をチャンバラごっこの相手役にして切り倒した
バチあたりの思い出が浮かんでくる。何はともあれ、秋である。


 世の中にはどうしても波長の合わない人間がいる。どこがと聞
かれると困るのだが、とにかく波長の違いが許容範囲をこえて
いると思える人間だ。知らん顔で付き合えればいいが、そうもい
かないとなると、これは問題である。かつて先輩から聞いた話、
「そんな奴とどう付き合うかで人間の値打ちが決まる。」・・・・・・・
 なるほど、周りを見回せば確かにうまく付き合っている人もい
る。うらやましいとは思うが、そこまでの達観は無理だとなると、
さて、どうしたものか・・・・


 痛い目にあったという記憶は、時に人を臆病にする。しかし、
恥ずべきことではない。同じ痛さを味わわないための安全装置
が働いていると思えばよい。
 用心深く物事を見定める力は、それを怠ったために味わった
痛さの度合いに比例して身につくものである。


 孫に恵まれて早1年4ヶ月・・・・・日に日に可愛さが増していく。
孫が可愛いというのは事実だが、なぜ?となると難問である。
 子から孫へと受け継がれていく命のリレー・・・・間違いなく自分
の存在を未来へ伝えられたという、確かな手ごたえがその正体
ではないかと思える。当分続きそうな「目の中にいれても痛くな
い」症候群は、実は巧妙に仕組まれた自然の摂理の一部であり
本人は全く気づかない、生物界の掟の一つであると言える。


 以心伝心・・・・・握手や抱擁といった直接的なふれ合いで相手
に気持ちを伝える文化を育ててこなかったわが国では、気持ち
は言葉や態度で伝えるものとして、その技が磨かれた。
 研ぎ澄まされた感性がないと相手の真意は量れない。その負
の面だけが強調され、陰を潜めつつある以心伝心の極意だが、
必要とされる場面は多い。錆付いた感性を磨くには人と人の間
に入っていくしかない。

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